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【劉封】劉備の息子達【劉禅・劉永】 (393)
まとめビュー
1
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/16 23:50:18  ID:Sjx15uCr0.n(2)
劉備の息子達のネタならなんでも・・・
孫もOK!


2
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/16 23:53:35  ID:Sjx15uCr0.n(2)
自ら2をいただき!!

3
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/17 00:04:03  ID:noYmYyLJ0.n
趙雲が阿斗を救いだして、って話。
実は劉備は阿斗を捨てたかったんじゃないかな。

劉備の事だから、阿斗がガキの段階で、暗愚な人間って
判ったんだと思う。

趙雲も空気読めない香具師だな・・・





           などと適当に書いてみた。

4
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/17 00:04:52  ID:QztdyMPq0.n(3)
どっちかっていうと三戦向きだな、このスレ

5
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/17 00:06:17  ID:SrOmvqvq0.n
オレ、昨日、チラシを捨てたら、
落ちましたよって、親切な人が拾ってくれたんだよ
まさか、捨てたと言えないから、礼を言ったけど

劉備はそんな心境だったのか

6
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/17 00:06:53  ID:Qhi3lh660.n(4)
まあ、基本的には子供に冷たい父親だからね。
劉封も別の意味で処分されたと聞くし・・・

・・・とレスしてみる。

7
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/17 00:07:37  ID:w7XPfArC0.n
劉邦も子供を捨てようとしてなかったっけ?
劉備って劉邦を真似るように意識していたのかな?

8
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/17 00:09:54  ID:Qhi3lh660.n(4)
多分、劉邦の遺伝子と思われ・・・

9
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/17 00:23:10  ID:QztdyMPq0.n(3)
んじゃ光武帝はどうなるのよ?と
劉備は確実に劉邦を意識してたんだろう
曹操が光武帝を意識してたようにね

10
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/17 00:35:00  ID:Qhi3lh660.n(4)
曹操は武帝か始皇帝ではないの?
性格的にピッタリな気が・・・

それにしても曹操は妻子に対して気配り上手。
劉備は妻子すら殆ど顧みなかった気が・・・

11
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/17 01:29:09  ID:QztdyMPq0.n(3)
曹操があれだけ光武帝のマネしてるのに、武帝か始皇帝指向な訳がない

12
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/17 23:37:27  ID:/QShm4KC0.n
王朝末期まで真似しなくても・・・

13
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/17 23:58:06  ID:Qhi3lh660.n(4)
曹操って太祖・武帝と呼ばれてるから、
どうしてもどこか武帝を意識してしまう。

劉備は昭烈帝と帝号はわかるが。諡号はわからない。
廟号っぽくいえば適当に先主と呼ぶしかない・・・

14
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/18 00:15:54  ID:tKJ8g8jp0.n
あぁ・・・
三國志を始めて読んでからかなり経つと言うのに
劉備の諡号が不明であることに始めて気が付いた。
ありがとう。

15
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2006/11/18 07:09:15  ID:kL4waV6g0.n
曹操と光武帝は全然イメージ重ならないなw
劉備は、劉邦の真似しようとしていたんだろうなあというのは伝わって来る。

16
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/18 12:20:31  ID:bOCbZZF90.n
昭烈皇帝が諡号なんだが。

17
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/18 12:27:30  ID:NC46XSUW0.n(5)
むしろ曹操はどこか始皇帝と武帝を意識してたような・・・

劉備は劉邦以外に意外と商鞅を意識してたかも。遺言でも
劉禅と劉永兄弟に商鞅の兵法書の「商君書を読め!」と言い遺してるし・・・ 

18
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/18 12:50:12  ID:ioPeiVpg0.n
曹操の袁氏を破った後で、配下が内通していた証拠の文書を読まずに焼却した、
なんていうエピソードは光武帝の真似だよね。

19
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/18 15:46:48  ID:NC46XSUW0.n(5)
あーそういえば・・・光武帝が河北鎮圧でそんなことが・・・

20
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/18 17:04:21  ID:w5llDISJ0.n(2)
漢中撤退の時も光武帝を引用している
だいたい武帝なんて曹操に限らず、宇文ユウや簫衍だって武帝だろうが
漢武帝は国庫の潤沢な資金を自己満足の為に外征に使い
儒家を重用した人物でこれっぽっちも曹操と被らない
始皇帝は言わずもがなで、何コレと新しいモノを想像した始皇帝に対し
曹操は屯田兵を始め、過去の遺物の使えるものを上手に利用するタイプ
光武帝は豪族のバランスの上に天下を統一した人物だから
後漢末に光武帝を模倣することは豪族層に対しての利権を尊重するぞという意思表示にもなる
それに光武帝と愉快な仲間達は名言・格言が多いので三国志の人物達はよく引用し、手本としてる

21
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2006/11/18 18:38:42  ID:MsQo3DRXO.n(2)
まあ実際は光武帝は豪族の力を力を抑えようとしてるけどね
劉邦みたいな粛清等の強権的な方法は使わなかったから不徹底なイメージがあるけどね

22
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2006/11/18 19:26:21  ID:T+Bty32RO.n
実際に徹底は出来なかったからね

光→昭
武→烈
というわけで劉備は光武帝二号
コメント1件

23
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/18 19:32:07  ID:w5llDISJ0.n(2)
実際、光武帝・明帝の間は上手くいってたし>後漢
外戚・宦官・自称清流の三連コンボでアボンしたが

24
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2006/11/18 19:50:33  ID:MsQo3DRXO.n(2)
>22
劉備本人はあまり光武帝を意識してる感じがしないね
諸葛亮は光武帝を凄い尊敬してた節があるけど
コメント1件

25
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2006/11/18 21:38:16  ID:Ke92jJfp0.n
たしか息子は、死んだ時の贈り名だっけ?あれが「廃帝」なんだよな?
コメント1件

26
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/18 22:09:58  ID:NC46XSUW0.n(5)
>24
他に太公望・管仲・商鞅・呉起等々では・・・・・?

>25
思公。(多分)

27
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/18 22:12:16  ID:NC46XSUW0.n(5)
続き)

諸葛亮の尊敬する人物(補充)→楽毅

28
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/18 23:22:15  ID:uDty30640.n
追尊劉禪為孝懷皇帝

29
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/18 23:27:19  ID:NC46XSUW0.n(5)
劉禅が懐帝・・・思公と併せて2つの諡号があるということか・・・

そういえば、献帝も蜀漢から愍帝の諡号を贈られたと聞く。

30
奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. [sage]   投稿日:2006/11/19 00:27:58  ID:vGPZK+4I0.n(3)
病床の諸葛亮が撰んだとか言う諡号ね。
コメント1件

31
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2006/11/19 00:34:04  ID:BN9QeWfIO.n(2)
諡について誤解してる人がいるみたいだな

廃帝とか少帝ってのは通称としての呼び名であって正式名称じゃない
諡をもらえなかったから便宜的に呼ばれてるだけ

32
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/19 00:51:11  ID:2a9DqSmq0.n
俺がされるとしたら廃人か

33
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2006/11/19 00:51:39  ID:Ko7ym4dA0.n
ここがヘンだよ日本人 ここが変だよ中国人
http://l-o-j.net./41/viewthread.php?tid=63419

34
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/19 00:52:39  ID:bJdLV+VY0.n(5)
>30
あぁ・・やっと来たね。

スレタイ通りに劉理(奉孝、名が王偏)が劉備の孫な件・・・
そして、劉禅の子の名は・・・

◎璿・瑶・琮・瓉・珣・璩(琥)・・・多分、王貴人の子
◎諶・・・張皇后の子?

・・・かな?

35
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/19 00:56:51  ID:BN9QeWfIO.n(2)
「諱の偏が同じなら兄弟」みたいのはこの時代はあまり固執しない方が…

曹操と曹拠も兄弟?ってなるよ?

36
奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. [sage]   投稿日:2006/11/19 01:06:26  ID:vGPZK+4I0.n(3)
少なくとも劉瑶は張氏所生じゃなかったっけ。
コメント1件

37
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/19 01:06:27  ID:bJdLV+VY0.n(5)
あぁ、そうか。そういうこともあるね。


そのぷらっとさんは結構「諱の偏が同じなら兄弟、または従兄弟」
ということに自分なりに考えを持っている人のようなので・・・
コメント1件

38
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/19 01:07:42  ID:bJdLV+VY0.n(5)
>36
えっ、そうなの?じゃあ劉理はどうなるんだろう?

39
奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. [sage]   投稿日:2006/11/19 01:07:53  ID:vGPZK+4I0.n(3)
>37
その傾向は晋くらいから強くなるけどね。

40
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/19 01:10:23  ID:bJdLV+VY0.n(5)
疑問に感じることは劉諶の名ね。
まさか劉「王甚」というわけにもいかないと思うけど・・・

41
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/19 01:40:10  ID:0zhUdeX00.n
実はな、劉諶についてのスレを立てたいと思ったことあるんだよ
劉備の子や孫で唯一好きなのが、劉諶

一途というか、やんちゃ坊主って感じでいいじゃん
劉禅とか他の兄弟に「諶、必死だな(プ」とか言われていそうなのも愛おしい
ゲームで、諶坊やの能力、エディタ使って高くしたくなっちゃうんだよな

貴重でしょ、劉家でこういう跳ねッかえりの存在は

42
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/19 02:15:51  ID:bJdLV+VY0.n(5)
劉諶って、どこか鬱を抱えているイメージがあるけど・・・

43
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/19 02:19:53  ID:QktPeHmE0.n
そういや劉備の子孫って今も残っていたりするの?

44
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/19 05:23:56  ID:sFcuo1h8O.n
劉理か劉永のどちらかの孫の劉玄が、晋の八王の乱の時だかに洛陽あたりから
成都あたりに逃げてきたってのはあるよね?
劉禅の子孫を始め、その他の劉備の子孫は皆殺しになったらしい。
劉玄の子孫はいたのか判らんけど。
もしいればその後、ある程度続いたかも知れないね。

45
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2006/11/19 09:37:47  ID:+V857Hec0.n
諸葛亮の子孫はいるのにな

46
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2006/11/20 06:53:38  ID:Xuwy/ECtO.n
日本にも諸葛さんているけど子孫なん?

47
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/20 10:36:05  ID:EpsaExvE0.n
台湾に劉備の後裔がいたとか・・・

48
鍾離昧三昧 ◆KENSIzzDJg [age]   投稿日:2006/11/22 18:01:07  ID:QeEQC1us0.n
劉封は最後がなぁ・・・。

49
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/22 21:07:52  ID:qRD3Bl/10.n

50
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2006/11/23 11:37:09  ID:BsQDmJy30.n
才ある故にか。
皇族なのにポンポン戦に出てる所を見ると
あながち弱くないみたいだね。

51
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/23 15:30:10  ID:AJFYcdMu0.n
亀スレになるが、劉封はどこか信康と似てる気が・・・
軍事能力があるゆえに却って劉備に警戒されたと・・・

52
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/23 15:48:44  ID:Veef+XQ+0.n
信康なんて大した実績もないだろーに

53
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/24 10:09:47  ID:wIt6CuLMO.n
劉禅は家臣次第で名君にも暗君にでもなる素養の持ち主であった。これは陳寿も『白絹の布のような人』と評されている
孔明の独裁政治を許したのも劉禅公の度量の広さであり
孔明もその器の大きさと人徳に先帝の姿を見出し一命を懸けて彼に仕えた


類い希な才能を持ちながら君主の嫉妬によって干されたり消したりされた名臣が居たことを考えると
孔明にとっては自分の才能を十分に発揮出来る、これ以上無い名君に仕えた事となる

54
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/24 10:50:01  ID:Vy6E5V1C0.n(5)
その対照的が曹丕だね。正真正銘の名君でありながら嫉妬心が強かった。
特に同腹の兄弟にしては苛酷だったと言うね。

55
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/24 10:58:50  ID:Vy6E5V1C0.n(5)
また、孫権も父・孫堅、兄・孫策の地盤を受け継いで、守成型を保ったのは立派。
但し、意外と積極性に欠け、戦下手で部下を処刑することは結構あった。
特に人口不足による倭方面に人口補強を失敗した部下を処刑した。

また、非常に酒好きで老公・張昭と衝突を繰り返したり、
自分の意向に逆らう虞翻を何度も処刑未遂するも、
部下の劉尚(劉繇の子)の諫言の繰り返しで、中断された。

孫権は非常に酒癖の悪い君主だったとか・・・

56
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/24 11:25:03  ID:pKuMbgOU0.n
酒飲んで出した命令は無効だとか言っちゃう人だからな

57
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/24 13:03:59  ID:+NV8XkVH0.n
3国の皇帝にもそれぞれ長所短所があるってことだね
確かに度量の広さは親父譲りだし、疑わないってのはいいよね
まあ某司馬の人とか乗っ取る奴もいるけどな

58
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/24 16:09:52  ID:Vy6E5V1C0.n(5)
三国の歴代皇帝


先代 (曹魏)曹操 (孫呉)孫堅・孫策 (蜀漢)劉備

次代 (曹魏)曹丕・曹叡 (孫呉)孫権 (蜀漢)劉禅

59
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/24 20:08:12  ID:6tZD/S4J0.n
>51
家康の息子たちは、曹操の息子たちと比較してみたら面白INジャマイカ?

信康ー曹昂
秀忠ー曹丕
秀康ー曹彰
忠吉ー曹植

60
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2006/11/24 22:13:07  ID:gBUjz7K60.n
劉封って何年生まれ?
コメント1件

61
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/24 22:21:56  ID:Vy6E5V1C0.n(5)
う〜ん、俺なら・・・

(徳川家)
信康+秀康≒劉封
秀忠≒劉禅
忠吉+忠輝≒劉永
義直+頼宜+頼房≒劉理
家光≒劉璿+劉諶

(織田家)
信正≒曹昂+曹鑠
信忠≒曹丕
信孝≒曹彰
信雄≒曹植
勝長+秀勝≒曹熊
津田信澄≒曹休
蒲生氏郷≒曹真 

(毛利家)
毛利弘元≒孫鍾
毛利元就≒孫堅
毛利隆元≒孫策
小早川隆景≒孫静
毛利輝元≒孫権

・・・かな?
コメント1件

62
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/24 22:22:43  ID:Vy6E5V1C0.n(5)
>60
多分190年前後。
コメント1件

63
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/25 03:14:27  ID:mdViCXj60.n(3)
>61
こういうのは不毛だが、そのメンツなら

秀忠=曹丕
(秀忠は自分が政権を握った後、鬼のように改易をしまくってる独裁者)
信康=曹彰
(粗野で考えたらず)
忠輝=曹植
(狂騒児。ただし父親に愛されたか、愛されてないかの違いがある)
保科=曹真
(二代目から信頼を受け、実直であった)
家光=曹爽
(宮廷権力抗争には長けるが、基本的に無能。補佐ありき)
信忠=劉封
(信忠は武将として優れた功績を挙げている)
勝長=曹沖
(将来を期待された逸材)
信澄=曹仁
(親族一の名将)
吉川・小早川=孫策・周瑜
(基盤を築いた名将)
隆元=孫登
(人柄穏やかで、縁の下の力持ち)
コメント1件

64
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/25 03:37:14  ID:8ghpFeYk0.n(2)
>63
秀忠は曹丕と劉禅がミックスしてるね。
(理由;秀忠は戦が下手、泰平の世では能力を発揮)

信康は曹彰と劉封がミックスしてる感じ。
(理由;粗暴な所もあるが、戦はまあまあ、どちらも父に警戒され非業の末路に)

信忠は劉封と曹丕がミックスしてるような・・・
(理由;嫡男として父に期待され、文武両道に優れていた)


・・・こんな感じだと思われ。

65
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/25 03:43:21  ID:mdViCXj60.n(3)
ミックスというよか、曹彰と劉封が単に同系統なだけ
信忠はそれ程政治で優れてた実績は無いので曹丕を混ぜるのは躊躇われる
それこそ混ぜるなら劉禅を混ぜろ

っていうか、コレは戦国系の板で三国志に当てはめるヤツにも言うんだが
何故に古代と中近世の人物を当てはめようとするんだろうねぇ
戦国期の人物なら元末明初、三国志なら古墳飛鳥時代の人物に当てはめろよと言いたいが

66
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/25 03:52:05  ID:8ghpFeYk0.n(2)
まあね。時代の状況が違うし。

三国なら同じ中国の元末の状況と比較という見方もある。

朱元璋―劉備

張士誠―袁紹

陳友諒―曹操

というパターンもある。

67
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/25 03:53:58  ID:mdViCXj60.n(3)
方国珍―孫権

か?

68
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2006/11/28 09:54:09  ID:7s6xctnv0.n
>62
意外と若いなw

69
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2006/11/28 10:13:47  ID:+2A7jxos0.n
劉禅は豊臣秀頼
諸葛亮が石田光成
コメント1件

70
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/30 08:40:07  ID:yYYviKOa0.n
逆に斬新だな

71
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/30 10:52:36  ID:92XsFN3R0.n
>69
司馬懿が徳川家康か

72
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/11/30 15:08:59  ID:VwWwwi0F0.n
司馬懿は黒田官兵衛。
袁術は秀吉(W)。

73
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2006/12/01 09:34:30  ID:xwLxbRj00.n
それおかしいw

74
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/12/01 11:08:05  ID:9Gmc/2GZ0.n
確かに袁術は秀吉と違い名門だけど、大げさ見栄を張り
威張り腐ったの所は意外と秀吉に似てると思うけど・・・

袁≒猿・・・なーんちゃってね。
コメント1件

75
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2006/12/01 13:44:00  ID:7P78s+mkO.n
>74 うむうむ術殿も実力が備わっていれば良かったが

彼と秀吉公との決定的な違いは人心を掴むこと。関白になって威張り腐るようになっても相手を持ち上げる事は相変わらず上手かった
コメント1件

76
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/12/02 14:52:28  ID:gLvvHU8Q0.n
そこで、陰険な狡猾狸福耳野郎の家康≒劉備に足元をすくわれるわけですよ。

川尻肥前守秀隆≒車冑の二の舞のように・・・

77
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/12/03 02:22:15  ID:z9VrDCxy0.n(2)
関が原の戦いは下手すれば夷陵の戦いのパターン・・・の場合もある。

感情に勝った家康然り、感情に負けた劉備然り・・・

78
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/12/03 20:39:44  ID:+X/YZE/F0.n
そのネタ飽きた。

79
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/12/03 23:41:17  ID:z9VrDCxy0.n(2)
ふーん・・・

こっちも劉備=秀吉、司馬懿=家康のネタにはもう飽きたけどね・・・
俺から見てもどっちも全然似てないと思うし。

それ以外ならなんでもいいよ。
コメント1件

80
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2006/12/08 14:05:33  ID:VNtD4jwa0.n
劉備って狡猾ね
コメント1件

81
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/12/08 22:26:50  ID:+Wkw/1i60.n
そこがたまらなく良い!

82
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/12/19 23:57:35  ID:sYvBvphZ0.n
劉備って何人子がいたっけ?

83
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/12/20 00:01:10  ID:1ZMnAFFt0.n
>79
みみっちいなw
それもひっくるめて飽きた。

84
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2006/12/20 14:00:40  ID:BeCR7ECj0.n
強いて話題を吹っかけるなら・・・

劉封が鄧禹の末裔の可能性が大であること。
そもそも羅侯の寇氏ってのは、実は鄧氏(寇とは同音)の誤筆。

後漢の安帝によって、餓死した鄧隲(鄧禹)と鄧鳳父子の
子孫が高密侯から南陽の羅侯に降格されたのが史実。

ソースは後漢書。

・・・まあ、劉封は鄧芝の親戚でいいと思う。
コメント1件

85
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/01/03 16:09:29  ID:N5AfSxer0.n
>80
狡猾なわりに失敗も多いようなw
コメント1件

86
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/01/03 21:24:54  ID:t8MpmQBF0.n
>84
そういうエピソードないから親戚にしても劉備と後漢王朝ぐらいの遠い親戚だろう

87
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/01/09 22:37:41  ID:WvJxf73E0.n
ドーピングコンソメいかんざき

88
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/01/11 13:51:38  ID:zuY6MbTx0.n
寇恂

89
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/01/13 01:58:48  ID:Lptl0erHO.n
来敏は来歙の子孫

90
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/01/16 02:17:22  ID:tewRBCiN0.n(2)
来歙?

91
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/01/16 09:41:31  ID:gFLUSAdt0.n
カコウトンの長男って誰?

92
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/01/16 10:57:58  ID:eqnoPpCV0.n
>85
だからこそ面白い。
狡猾だけど、謀の点に関しては曹操などに劣るわけで。

93
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/01/16 13:33:43  ID:tewRBCiN0.n(2)
>91
夏侯惇で潜ればすぐ判明する。

94
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/01/29 03:23:34  ID:s55Hi/Ew0.n(2)
>75
待てやコラ
袁術皇帝陛下は人心掌握に長けておられたし実力も多大なものであったのだ

問題は曹操がそれを圧倒的に上回って優れていたというだけの事よ…

95
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/01/29 09:23:32  ID:3uhg6g920.n
草々は織田信長より狡猾で頭もよい

96
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/01/29 10:02:31  ID:WNbuwy590.n(3)
劉備は息子の誰でも良いからケイシュウに残すべきだった。
最も信頼してる関羽にケイシュウ防備を任せたわけだが、関羽を諌められる武将がケイシュウに
一人も居なかったのが悔やまれる(馬良やビホウでは関羽を諌められない)
北伐をする際にも公子が居るとなれば、より慎重にケイシュウの防備を高めて
呉に対する警戒もMAXに達しただろうし、場合によっては魏侵攻よりも
公子とケイシュウを守る事が第一義だと考えて無謀な北伐に参加せず
見事にケイシュウを守りきったかもしれない。
コメント1件

97
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/01/29 10:17:26  ID:WNbuwy590.n(3)
劉備の息子って言っても劉邦と劉禅ぐらいしかおらんだろ
劉邦と関羽は仲悪いし劉禅はまだ幼いし
コメント1件

98
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/01/29 11:11:16  ID:s55Hi/Ew0.n(2)
劉封は息子じゃなくて養子だからな
養子を公子にしても中々難しいだろう

99
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/01/29 15:56:23  ID:WNbuwy590.n(3)
公子じゃなかったら親族でもいいよ。嫁でもいい。
関羽を自重させる者、もしくは関羽が一目置かざる得ないものを一つは
ケイシュウに置いとくべきだったと思う。
それは価値が高ければ高いものほど良い。
または政略結婚を蜀主導で進めてケイシュウ防衛軍と南三群及び呉、上庸の間で
お互いが裏切れないように縁戚関係を結び出来得れば嫁とか養子の名義で
呉の重要人物をケイシュウか蜀に引き取れれば良かった。
呉から関羽へ政略結婚の申し出があったのが事実かどうか知らないが
呉から、そういう話がなくとも蜀主導で進めても良いくらいの話だった。

100
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/01/29 15:59:57  ID:RVkqj4Z40.n
ID:WNbuwy590は大変な妄想家の上歴史も知らない。
自分の世界だけで物事を語っているように思える。

101
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/01/29 17:50:50  ID:nEyRMMOZ0.n
>96
劉禅も劉封も荊州に置いていってるよ。
でも劉禅は即位時に17歳で劉備が益州を入った時で7,8歳。
意味がないな。

>97
劉封が関羽の樊城攻めの時に救援の兵を送らなかったのは事実のようであるが、それを以って荊州時代から仲が悪かったとは言えないと思うが?

102
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/01/29 18:49:30  ID:0Wb/qjMt0.n
>呉から関羽へ政略結婚の申し出
これが事実だとするとさ、その目的のひとつに、「劉備と関羽の離間」は
なかったのかなー、と思ったり。
もし関羽が独断で受けちゃったら、蜀の首脳陣は面白くないだろうし。

103
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/01/29 20:12:27  ID:HGfyCAn/0.n
蜀と呉の同盟強化の為の婚姻なられっきとした外交政策なんだからまず劉備を通すだろ。

104
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/02/12 20:41:44  ID:YGA0/NYA0.n
劉禅って長男?
コメント1件

105
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/02/12 22:08:04  ID:7N8tepaf0.n
>104
長男だよ
昔は居たみたいだけど殺されたんじゃないか?
捨てて逃げてるし

106
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/02/13 09:45:12  ID:riLNgWNH0.n
劉備と劉禅、年離れすぎ
コメント2件

107
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/02/14 20:59:33  ID:gw6Nyoeq0.n
うむ( ^ω^)

108
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/02/16 14:37:09  ID:sVHv8cm50.n
>106
義兄弟で愛し合った期間が長すぎたから

109
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/02/16 16:57:12  ID:PUtbRRZK0.n
うほっ

110
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/02/16 17:58:46  ID:LlGascVw0.n
>106
それを言ったらマツケンは・・・

111
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/02/16 21:26:35  ID:ENIUvJYH0.n
アッ――-―!

112
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/02/26 21:40:08  ID:lcdZn3m20.n
なにこのスレ?

113
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/02/27 09:48:13  ID:ZNit/dK30.n
関羽×劉備 (> <)きゃー

114
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/02/28 12:43:39  ID:IeWKTqQB0.n
(> <)きゃー

115
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/02/28 20:36:46  ID:Btyo8fyv0.n
:(;´゚ω ゚):. アッーーーーーーーー!

116
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/03/03 22:15:38  ID:QqhT+slP0.n
結構年を取ってから産まれた子は特に可愛いものだと思うけどなあ。

117
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/03 22:27:33  ID:2J2DZYcy0.n
劉禅と劉永は蜀滅亡まで生きてたが劉理だけは早めに(と言っても244年だけど)死んでるね。

118
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/04 20:34:46  ID:MfAApgsm0.n
劉封は180年生まれでおk?

119
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/06 20:14:38  ID:KGOv09U60.n
178年説有り

120
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/07 01:40:33  ID:IOSLnpTJ0.n
別スレッドへのリンク(タイトル情報なし/三国志・戦国板)
夢蜀【むしょく】

三国時代の蜀の後主、劉禅は後世に於いて無能な君主として描写されることが多い。
しかし、そうではないことを示す逸話をここに紹介する

魏に降伏した後、劉禅は蜀を懐かしむ素振りも示さず、酒宴に明け暮れる日々をすごしていた
かつて蜀の臣だった人々はこれを観て甚く悲しんだ

幼少の頃より劉禅の身の回りの世話をしていた宦官のという者が居た
邇杜は宦官にしては気性が激しく、正邪を弁えた人間だいう評判だったが
ある日、いつものように楽しそうに宮女の舞を見ていた劉禅を見かねた邇杜
「殿は蜀が恋しくないのですか」と言った
劉禅は聞こえない振りをした
すると邇杜は宮女を押しのけ、劉禅の目の前まで進み出て大声で怒鳴った
「あなたにとって蜀はなんなのですか!」
劉禅は目を逸らし、やはり何も答えなかった
ついに邇杜は劉禅の胸倉を掴み、涙をながして言うに
「あなたは毎日何もせず、踊りを見て酒を飲むばかり。一体何を考えてらっしゃるのか」

邇杜に向き直った劉禅の目には涙が浮かんでいた
そして彼は一言だけ、こう言ったという
「夢蜀。」と

「私は蜀の夢を見ない夜は一度たりとも無かった。」
劉禅の気持ちを察した邇杜は大いに恥じたという

この逸話はしかし劉禅が蜀を再興しようという野心があると思われる危険があったため、公には伝わっていない。
これ以降、日ごろ何もしていないが心の中に大志を抱くものを「夢蜀」と呼ぶようになった
最近では後半の意味が忘れられ、ただ単に何もしない人間をさすようになり、いまの「無職」になったという
 
                  『消された歴史・隠された真実』 李安庸

121
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/07 09:41:48  ID:dup/CnSl0.n

(  ;ハ;)イイハナシアルー

122
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/08 23:41:21  ID:miLE9hgI0.n
ワロタ

123
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/14 19:51:06  ID:UCwntrup0.n
劉永って誰?
コメント1件

124
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/14 19:59:35  ID:Fi/lBc8N0.n
>123
劉禅の異母弟。

> 劉永字公壽、先主子、後主庶弟也。
> 章武元年六月、使司徒靖立永為魯王。
> 策曰
> 「小子永、受茲青土。朕承天序、繼統大業。遵脩稽古、建爾國家。封于東土、奄有龜蒙 、世為藩輔。
> 嗚呼、恭朕之詔 。惟彼魯邦、一變適道、風化存焉。人之好勝∪よへ美。
> 王其秉心率禮、綏爾士民、是饗是宜、其戒之哉」
> 建興八年、改封為甘陵王。初、永憎宦人黄皓、皓既信任用事、譖構永于後主、後主稍外永、至不得朝見者十餘年。
> 咸熙元年、永東遷洛陽、拜奉車都尉、封為郷侯。

以上、蜀志劉永伝。

125
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/19 21:32:46  ID:Enm4Pjpq0.n
劉備の何歳下?
コメント1件

126
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/19 22:17:17  ID:gwftGI8Y0.n
>125
劉禅は46の時の子。
他は不明としか言いようがない。

127
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/03/19 23:58:44  ID:iua/T2O90.n
劉備ってお盛んだったの?

皇帝となった時は、もうかなり年寄りだし、
今さらそんなに遊べなかったか。

128
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/20 09:37:03  ID:VKQjBPOC0.n
46!もっと早く子供作れw

129
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/20 20:54:27  ID:fPztzaoH0.n
徐州時代に子供がおったのでは?
張飛がうっかり酔っ払って呂布に乗っ取られたときに、
呂布が劉備の妻子と老母を保護させたって書いてあったと思ったが
コメント1件

130
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/20 21:11:45  ID:DINIrIRh0.n(2)
>129
劉禅は新野時代に生まれてるから、それ以前のは相次ぐ敗走、生々流転の渦中で死んでったんだろうね。

131
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/20 22:29:41  ID:8Y3cWrtg0.n
(  ;ハ;)カワイソウナハナシアルー

132
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/20 22:37:58  ID:DINIrIRh0.n(2)
陳到が徐州時代に子供を助けていて、そいつが後主になっていたら……
趙雲と陳到の立場が変わっていたことだろう。

133
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/21 10:55:28  ID:re3kpCo40.n
そこ子供だったら滅亡はもっと遅かっただろう

134
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/28 00:18:41  ID:APewa02N0.n
劉禅には6人か7人子供いたんだよな
降伏にキレてクビ切った子供が有名だけど
皇太子はボンクラでとろとろしてるうちに殺されたんだよな
劉備の一族ってとことこダメだな
子孫は一人以外全部永嘉の乱で滅亡したし
もしかしたら劉禅は一族で劉備の次に処世術にたけてたのかも

135
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/28 09:38:12  ID:6z0zdvyJ0.n
たしかに生き延びた分、どこかしら賢い部分もあったんだろうな。
死んじゃったら何もならないし

136
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/29 10:55:06  ID:vY4ZFEsb0.n
娘が最低2人いるでしょ、劉禅より前に

137
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/29 22:26:50  ID:eA3EpRsP0.n
劉禅の場合、生きてても何もならない。

138
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/30 09:33:39  ID:7/7nQX8/0.n
ただ道楽生活をすごすだけだもんな

139
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/03/30 20:53:02  ID:RWXZ9YGh0.n
漢王朝の真の復興のためにはむしろ邪魔だったかな

140
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/04/02 20:37:50  ID:4QMZDuqR0.n
劉封は名将?

141
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/04/03 00:24:53  ID:pbRzy2Md0.n
よくて良将。


142
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/04/03 01:26:35  ID:3AtpUj+u0.n(2)
十分過ぎるほど名将だろ。
冒頓単于だの項羽だの韓信だのが超名将が同時代に結集してるせいで割りを食ってるだけ。

143
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/04/03 01:36:24  ID:3AtpUj+u0.n(2)
しまった。劉邦と勘違いした。
ああ、養子の劉封ね。彼は良将止まりだろう。
ただ人手の足りない蜀漢陣営では相対的に重要な部将の一人だった。

144
名無しさん@お腹いっぱい。[28S]   投稿日:2007/04/03 09:26:42  ID:KsGrP8R80.n
しかし、なんであんなとこから養子取ったんだろう・・・・

145
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/04/04 02:13:24  ID:0uxFM+xa0.n
劉備がヤクザの親分って考えればそれほど不思議でもない
養子取りまくりは階級が破壊された五代十国には顕著に顕れた傾向だし
当時は宦官が養子を取り始めた時期でもあった

146
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/04/04 09:20:17  ID:KHKazygT0.n
曹操の親父も荘だね

147
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/04/04 19:57:48  ID:wKJtNhKR0.n
劉封は羅侯の寇氏の末裔とあるが寇氏というのは間違いで鄧氏という説がある(中国語で同じ発音)
この鄧氏は後漢の建国の鄧禹元勲の子孫にあたる(鄧禹の子供が羅候に任じられている)
家柄としては十分すぎるし荊州にかなりの影響力を持ってた家だったから養子にしたんじゃないか?
鄧芝も鄧禹の子孫らしいが劉備に仕えたのはこの縁ではないかと
コメント1件

148
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/04/04 20:54:15  ID:ET/T9TzA0.n
鄧氏ってそんな目池なんや

149
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/04/04 22:29:35  ID:wOFgf+ApO.n
功臣表が残らない後漢では初期の羅侯と末期の羅侯が同じ氏かどうか分からないよ
魏書の武帝紀に出てくる合肥侯は記録は無いが堅鐔の子孫じゃなく劉氏じゃないか

150
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/04/05 09:15:48  ID:+BfwA/qI0.n
150get!

151
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/04/07 21:18:15  ID:709/P+6f0.n
張翼も張良の子孫で漢の三公の家柄だし蜀も何気に家柄いいのが集まってるんだよな
コメント1件

152
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/04/07 23:04:55  ID:N36CcAaV0.n
そうだなー だからこそ旧勢力の漢の復活を期待したのかも

153
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/04/08 09:45:08  ID:5xGTreOv0.n
>151
本当ですか?
初めて聞いた

154
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/04/08 12:14:14  ID:QkQtBcRi0.n
昔どっかで見ただけだからソースも探せないしそもそも中国人は先祖を捏造することが多いから(日本人もだが)
ただ三公は本当だからそれなりにいい家柄のはず
コメント1件

155
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/04/08 13:38:49  ID:zxoijmKC0.n
蜀って、貴族的な層が特をした王朝?損をした王朝?
コメント1件

156
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/04/08 16:13:44  ID:HNEf6eWQO.n
>154
後漢書に書いてあるよ
まー怪しいのは同意だけど

>155
あまり得したとは言えない
劉備に従った荊州の名家、有力豪族は土地を失ったり一族離散したりしてる
益州の豪族は荊州から来た連中に抑えられて全体的にはあまり良い目見てない
コメント1件

157
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/04/08 21:46:36  ID:rBGns71X0.n
( ;∀;) イイハナシダナー

158
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/04/17 23:57:24  ID:cn4Eo3Lj0.n
>156
治めるのが結構大変そうだな

159
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/04/18 09:22:40  ID:nnMKJofi0.n
>147
結局どっちが本当なんだ・・・・
コメント1件

160
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/04/18 12:13:00  ID:9RAXKwPEO.n
>159
どっちでも大勢に影響は無いんじゃない?
どっちにしろ後漢の功臣の末裔で荊州の豪族で母方が劉氏だったということに変わりはない
コメント1件

161
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/04/19 00:39:57  ID:FL0IgTcb0.n
どっちが本当と言われてもタイムマシン使って見にいくでもしなきゃ判明しないな

162
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/04/19 09:17:49  ID:84ng6WUS0.n
あ、母方が劉一門なんですか・・・・

163
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/04/24 09:27:18  ID:Z+HdjPBa0.n
>160
漢の功臣って、宴席一門より厚遇されてたりするの?

164
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/04/30 11:14:24  ID:Bz5jjp+Q0.n
縁戚じゃなkyて

165
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/05/03 11:27:50  ID:1eY13Fr40.n
劉永って印象薄いくぁ
コメント1件

166
名無しさん@お腹いっぱい。[ppppp]   投稿日:2007/05/03 22:08:06  ID:VwtvLG9N0.n
safe

167
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/05/05 15:10:19  ID:xQuNlRPm0.n
>165
だれ?

168
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/05/06 20:46:21  ID:my5T0D1v0.n
中国語の発音なんてわからんなぁ

169
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/05/08 09:35:23  ID:SVYA2+2P0.n
後期蜀としてはまず荊州を取り返すべきだな

170
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/05/10 09:38:47  ID:X3kiu20M0.n
晋以降は、普通に劉姓名乗れそうだね

171
名無しさん@お腹いっぱい。[うヴぉ:ぽ@:]   投稿日:2007/05/12 00:02:53  ID:iJa4hNX20.n
そうかぁ?

172
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/05/13 20:09:06  ID:h2ljE+J80.n
劉延と劉備ってどれくらい血縁離れてるんだ

173
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/05/13 23:26:22  ID:FBVhz9V10.n
劉延も漢室の一員だったっけ?

174
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/05/14 19:32:31  ID:UAJPcLWn0.n
数百年前の祖先が同じだったぐらい離れてる

175
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/05/16 09:54:34  ID:2Yzy/Tsp0.n
φ('A`)ウボアー

176
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/05/19 00:20:07  ID:GbnvE59p0.n
劉裕を養子にすればおk

177
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/05/19 13:53:16  ID:isNVVcJbO.n
「りゅう」って携帯で変換できないんだけど…

178
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/05/20 10:51:24  ID:u6tKMP6C0.n
そりゃぁそうだろう

179
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/05/20 15:36:22  ID:SAMkitKt0.n
この一族は、漢民族だから、今の中国人どもに美化されてんだよ

180
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/05/20 18:01:15  ID:NUgbQWPZO.n
そういやうちの地元に名字が劉って家があったな〜

181
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/05/21 00:29:18  ID:ZMKU42Hp0.n(2)
劉永は、董允死後台頭してきた黄皓を遠ざけるように劉禅に言上して、
逆に劉禅の怒りを買って以後十数年謁見が許されなかったんだよね。
皇弟ですらこうなってしまうんだから、
諸葛瞻・董厥あたりの末期内政トップ連中がいくら黄皓を嫌っていても、
実際にそれを除く方向に動けなかったのも仕方ないか。

182
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/05/21 00:34:58  ID:ZMKU42Hp0.n(2)
あ、間違った。
董厥でなくて樊建ね。

183
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/05/21 01:00:05  ID:49Wao8mNO.n(2)
皇族が政治に口出すのを嫌うのはどこも同じ

184
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/05/21 23:02:56  ID:L97AAhLk0.n
劉備の面影があったらしく、呉懿(伯父)、魏延、王平あたりはみな劉永を慕ってたそうだな。
三国志を扱ってる本によっちゃ、著者が「劉備の血はみな劉永にいってしまった」と書いてたりもする。
劉禅としちゃ、どうしてもコンプレックスが拭えない、出来の良すぎる弟だったんじゃないかね。
コメント1件

185
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/05/21 23:26:37  ID:kEaC8OKD0.n
劉備の威風があったら、居候されてるものにとってはさぞかし迷惑だっただろうなぁ

186
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/05/21 23:29:26  ID:49Wao8mNO.n(2)
>184
そんな話あったっけ?何伝?
コメント1件

187
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/05/22 00:11:22  ID:vpRw9ivx0.n
劉禅「 兄より優秀な弟など存在せん!」

188
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/05/22 09:15:34  ID:rdjxAAEi0.n
織田信雄

189
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/05/22 16:28:46  ID:J1EeiIxM0.n
三国時代のレベルの高さは曹操が証明している。

春秋時代は匈奴に負け続け
劉邦は匈奴にぼろ負けした。
曹操は騎馬民族に勝利し、ほとんどを服属させた。
夏侯淵も戦果を挙げた
晋以降は立場が逆転した。
五胡南北朝宋は異民族政権
明は日本にぼろ負けw
中華民国は語るに及ばず
中国はアメリカ、ソ連、ロシアに勝てない

つまり
三国時代>>>>>>>>>>>他の時代


190
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/05/22 20:46:47  ID:3rKOaivq0.n
おまいは敵の強さがいつも同じ水準にあると思ってるのか

191
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/05/23 08:40:05  ID:IxOMfy810.n(2)
>186
wikipediaなどに書いてある、数多くの…の中の一つっぽいな

192
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/05/23 09:17:10  ID:ONHADRZk0.n
漢〜三国〜晋あたりが中国の良き時代

清〜共産 の現代は、直視できないぐらいヒドイ国になってしまった

193
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/05/23 09:51:31  ID:IxOMfy810.n(2)
共産党的な価値観で歴史遺物を平気で破壊。
共産党的文化によって国土を塗りつぶそうとしてるモンな。
歴史遺物を失った後に残るのは、韓国のようなウリナラ起源文化だというのに。

194
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/05/23 13:43:53  ID:UJb1Q9jc0.n
唐〜宋あたりが中国の一番良き時代

195
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/05/25 23:17:27  ID:KVaj4Rtr0.n
台湾がいいところを受け継いでるな

196
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/05/26 13:34:18  ID:Uggk3zZI0.n
よく劉禅の暗愚を示す司馬昭に蜀が懐かしくないか以下略だけど、
読み直すと司馬昭には家臣との会話も逐一盗聴されていた、
ってことじゃないか?ああする以外生きる道はなかったよ…

生き延びただけでも上等。少なくとも武田勝頼や豊臣秀頼よりまし。

197
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/05/26 14:02:50  ID:Dbj5Yn6G0.n
武田は相手が信長だし秀頼を生かしとくといつ幕府がひっくり返るかわからないから比べる規準が違うな
それに曹氏や司馬氏は人道的すぎる
他の時代で生き延びた旧王朝の帝室で生き延びたのって後周の柴氏ぐらいしか知らない
コメント2件

198
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/05/26 14:54:57  ID:W2Qc6IYC0.n
>196
盗聴されていたなんて生易しいもんじゃなくて
その家臣が司馬昭のスパイだったんじゃないかな

199
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/05/27 18:02:18  ID:WsnpZ1Lc0.n
>197
>それに曹氏や司馬氏は人道的すぎる

よく考えるとそうなんだよね・・・・・
漢代の馴れ合いってやつなのか・・・・

200
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/05/30 03:54:35  ID:524S9m9cO.n
>197
人道的すぎるなどという生易しい事じゃない。
恐ろしい事だよ。
銀河英雄伝説という小説に簒奪について書いてあった。
思い出しながら書きます。

ある王朝の創始者は、まことに賢明であった。
敗者に対する寛大な心が人心を獲得すること。
名目的に前王朝の者が貴族として遇されることで、新王朝に対する敵対心を和らげ、さらには無気力化していくことを洞察していた。

曹氏も司馬氏も生かしてたのは、すべて計算ずくだよ。

201
名無しさん@お腹いっぱい。[「p「」」;」]   投稿日:2007/06/01 23:44:10  ID:tV1yR1Sl0.n
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

202
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/06/03 01:25:53  ID:6IliRqz30.n
曹氏や司馬氏は前政権を長時間かけてグダグダにして人心も掌握してたから無理して殺す必要がなかったんだといえる
戦争で滅ぼされると人心を掌握できてないから前王朝の血筋は滅ぼしたほうがいいな

203
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/06/03 10:42:22  ID:p0kebtRt0.n
銀英伝(笑)

204
名無しさん@お腹いっぱい。[amwt]   投稿日:2007/06/06 09:32:31  ID:amyx/QYb0.n
           ___
          ./    \
          .| ^   ^ |
          | .>ノ(、_, )ヽ、.|
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   .l;';',;,,  }  /;\     / ヽ / ,;,;;',;l
   .|;;',;,   } ./;;;,, \   / ;;;;;;ヽ ,,;;','i
   i;',,   / /;;,',';;  ノ--, ',',;;::',',゙i ,,';';i
   i;,';  /./,',',';;" /   \ ',',',;;,'i ,;',i
  /  / i 、  /    ヽ ',;::'、|  \
 ヽヽヽヾ丿  〈       ヽ''  {////
  ```` ト,   i        | 、 i´´´
      |',',;;  }        ! ',',;;i

205
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/06/07 17:21:13  ID:f3DttMiU0.n
現在「集団ストーカー」というのがよく話題になります。
創価学会がやっているとか、探偵社がやっているとか、色々憶測が飛んでいますが、
実際には学会が行っている犯罪です。学会員と揉めてからはじまりました

学会の中には創価班・牙城会という部署があり、ここには
「学会・学会員とトラブルを起こした一般市民に嫌がらせをするセクション」
が存在します。
この連中は学会の敵を監視して、嫌がらせをするのが仕事です。
こいつらが行っている任務が、集団ストーカーです。

学会員は組織的なネットワーク網が充実しているため、実行部隊には学会員を使っています。
パッと見には、誰が学会員だとかはわからないでしょう。
それをいいことに、学会のネットワークに個人情報を流し、嫌がらせをさせているのです。

「仄めかし」というのは本来、「どこにいても対象のことを知っている人間がいる」
=「どこにいても監視されている」と思わせることが目的です。
それを治安を破壊する者でなく、単なる一般市民に対してハイテクを駆使して
集団で行うのが、学会の集団ストーカーです。

公安なども行っているという報告がありますが、創価学会は一般市民に対しても
容赦なく実行してしまいます。
また集団ストーカーの後始末は精神科へ行かせて証言能力を奪うか
社会的に抹殺するか学会員にするかのいずれかですが地域や親戚家族をも
巻き込んで猿芝居を演じて基本的には絶対に精神科へ叩き込みます

どちらにしても、学会が、その体質として受け継がれてきた敵対者をひっそりと
抹殺する方法が集団ストーカーといわれているものの実態です。

206
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/06/09 21:41:45  ID:EahPHZjQ0.n
明治政府もそうだな。旧大名、幕臣のかなりの人数貴族にしてたし。
皆殺しよりずっと賢明だよ。

207
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/06/09 23:53:40  ID:oKdncoPV0.n
廃藩置県が成功したのは
幕府が大名を苛め抜いて、ほとんどの藩が
財政破綻状態だったから

208
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/06/12 09:32:50  ID:b74erQtu0.n
劉封を処断しなければ・・・・

209
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/06/16 00:08:22  ID:cZTG0UpU0.n
劉備は短気すぎ

210
名無しさん@お腹いっぱい。[rwryamn]   投稿日:2007/06/21 22:07:42  ID:6f0gLFk60.n
そうだね
まぁ親分みたいなもんだしね

211
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/06/21 23:42:39  ID:EbQAgI650.n
健全でない言葉が含まれているため表示しません 内容を確認する

212
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/06/23 00:58:54  ID:K3biwmSG0.n
劉封の処刑は計画通りだろ。
養子を取ってから実子が生まれたんでやっかいになったんだよ。

コメント1件

213
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/06/23 15:37:06  ID:PTX/jNP40.n
なんでわざわざ養子にしたのか分からんな

214
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/06/23 19:24:27  ID:i2XLxcto0.n
劉封の子、劉林視点の三国志も見てみたいな。

215
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/06/24 00:00:16  ID:K8VS7CkJ0.n
劉林は生き残れたのか
コメント1件

216
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/06/25 11:27:15  ID:CMLy03cq0.n
>212
実子がいるのに養子を取ったんだろ
コメント1件

217
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/06/25 19:34:05  ID:t+rJk4710.n
>215
蜀滅亡後に河東に移されてるよ。

218
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/06/26 10:40:10  ID:SCLUq7dH0.n
蜀滅亡まで生きてたのか 

219
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/06/26 11:54:59  ID:XeHZN7k/0.n
劉備の場合何でか一族郎党が少なかったから、養子とってでも増やしたかったってとこかと
近世以降みたく概念的な忠義が今一つ信用できない時代のことだし、やっぱり血縁がいちばん信用できたわけで
赤の他人では重要な役目を任せることが難しかったんじゃないでしょうか

曹操なんざ曹一族に加えて夏侯一族がいたし、孫一族は地元豪族みたいなもんだからそうした血族に不足無かったけど
劉備の場合兄弟とか従兄弟がほとんどいないか、出てこない

220
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/06/26 21:14:04  ID:DN5f3laQ0.n
曹家が下級官僚だったのは知ってるが
当時の夏候氏はどんな身分だったの?

221
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/06/26 21:58:21  ID:P2eNqHqZ0.n
>216
それ演技の脚色だから。
実際は劉禅誕生の207年より前の髀肉の嘆をかこってた時に
劉備に跡継ぎがいないんで養子を迎えたというのが有力な説。
ちなみに当時の劉備は40を過ぎてた。

222
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/06/27 17:31:34  ID:mUpjMrI00.n
祖父の曹騰が中常侍、父親の曹嵩が司隷校尉から大司農、太尉歴任でかなり高位の官僚
夏侯氏はほとんど地方豪族みたいなものだったんじゃないかな?

223
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/06/30 23:34:22  ID:Lx0mdGc50.n
高級官僚か・・・・

224
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/06/30 23:53:26  ID:6j9Zt43F0.n
劉備と呉夫人の間に子供が出来てたら面白かったのにな
ひょっとしたら、歴史が変わってた可能性もあるだろ

225
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/07/02 12:03:55  ID:oAiqBYUh0.n
劉備と呉夫人(呉懿の妹)との間に生まれたのが劉永、劉理じゃなかったか?
それとも>224の言う呉夫人って孫権の妹の方?
コメント2件

226
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/07/02 12:14:49  ID:MGLLn9BvO.n
>225
理、永の母は不明
呉氏ではないよ

227
224[sage]   投稿日:2007/07/02 19:29:10  ID:jGOdj6vb0.n
>225
孫権の妹の方
弓腰姫とか言われてた人


228
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/07/02 20:32:35  ID:kr6aF5uF0.n
孫権が妹ごとその子を連れ帰り呉がその子を蜀王として蜀を衛星国に

229
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/07/06 23:40:44  ID:Y7aIXOSa0.n
むりっす

230
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/07/08 21:44:18  ID:Ajlv2E0t0.n
このスレの趣旨は?

231
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/07/14 00:33:29  ID:ubQtIGdp0.n

232
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/07/22 15:05:56  ID:3aSmKNjS0.n
劉禅ってそもそも家臣のいう事にNOと言えない人だよね。

唯一、自ら決断した事である後宮拡大も、董允が゙反対したらすぐ諦めてるし。
コメント1件

233
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/07/23 13:08:33  ID:2lz1pqhx0.n(2)
>232
諸葛亮が病没した時のこと。
李邈は喪に服している劉禅に対して上表し祝賀を述べた。
曰く、「軍権を握り強大な権勢をふるう家臣の存在は国家の害悪であり、今、諸葛亮が死んだことは国家にとって幸いである」と。
劉禅は立腹し李邈を獄に下して処刑した。

一見、黄皓らの言に乗って姜維を降格するようなことをしなかった件などから、劉禅は家臣に対して厳しい態度は取らなかったように思えるが実はそうでもない。
もっとも姜維の件は下手に刺激すればどうするかわからんという恐れもあったのかもしれないけどね。
それはともかく、劉禅には上で上げたような面もあるし、若い頃はそれなりに皇帝の気概を持っていたと言っていいと思うよ。
ただ後年は……
コメント2件

234
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/07/23 15:25:22  ID:p5QVwxI40.n
>233
諸葛亮が蒋エンに「平価は善悪の判断が出来ない。君が良く補佐するように」という文面の手紙を出してるからなぁ。
蒋エンならずとも、董允、費イの入れ知恵なんじゃないかと思ってしまう。
コメント1件

235
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/07/23 22:10:12  ID:2lz1pqhx0.n(2)
>234
諸葛亮没後も政治の中枢を担ったのは諸葛亮系列の人材だしなあ。
そういう面もないとは言い切れないね。

諸葛亮直系と言っていい董允が死に費禕や姜維は外地に。
そういった中でお傍に仕えるのは諸葛亮系列ではあるものの諸葛亮直系とは言いがたい劉禅お気に入りの陳祗。
そしてその陳祗は黄皓と意を通じて劉禅を甘やかす。
人の好さはあるもののダメさが目立ってくる劉禅……
コメント1件

236
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/07/24 03:16:26  ID:iin73k4r0.n
>235
人を疑い自らの意思を貫く心が決定的に欠けてたんじゃないかと思うんだよね。

・李平(李厳)の謀略による上表を信用して、諸葛亮を召還。
 後に諸葛亮が連名で李平を弾劾すると、言われるがままに今度は李平を追放。

 →容疑者にされた諸葛亮が少し調べると、李平の裏工作は明らかとなった。
  また、一度聞き入れた上奏とは正反対の上奏を何の臆面も無く受け入れている。
  どうも劉禅は上奏には真実が書いてあると思い込んでいるのではなかろうか。と思える
  しかも、上奏の結果を信用する事で何が起こるかを理解していない。
  その上、この事で学ぶことなく、後年は黄皓に騙されている。

・性欲が強く後宮を作ろうとしたが、董允に反対されると即座に諦めた。

 →部下に反対されるとNOと言えない。更に、その場では流した事を後になって恨む事がある

・黄皓に、かつて信頼した董允の悪口を吹き込まれると、信用してしまう。

 →黄皓によって被害者意識を刺激されると、董允の事を恨み、董允の禁止していた事を行うようになる

・陳祗に忠候の諡号を贈る。

 →陳祗は能力や働きぶりはどうあれ、後主には阿諛追従し諫言したことは無い。

・陳祗、黄皓らが言うままに姜維を召還しようとしている

 →まるで成長していない。

237
氏真 ◆rF3U/UzFSU []   投稿日:2007/08/14 16:59:45  ID:GpUWuLe8O.n
竜善は有能すぎワロタ

238
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/08/14 17:28:52  ID:YHvL858O0.n
>233
まぁ初期は本物の名君なのに治世長いと(ryって例も結構あるし
そこそこの気概がある程度だとどうしてもね。

長い治世を上手くやるために必要な厳しく自己を律する才能はどう見てもない人だし。

239
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/08/21 06:12:46  ID:8oMSJP980.n
白糸のごとき…と陳寿も語っているとおり、自我を強く持っていたとは思えない人だよね。

240
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/09/10 23:36:50  ID:xwpLA6BG0.n
仮に劉備が天下を統一していた場合、
太平の世を無難に治めたんだろうか劉禅

241
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/09/11 01:48:33  ID:TqI4HdEd0.n
部下の能力に因るとしか言えんかと。腹黒いのが部下にいたら
あっさりと権限奪われて次代で簒奪されそうw

242
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/09/11 02:38:07  ID:/cXO3aRP0.n
のわりには41年、反乱もなくみだらに処刑もせず、無難に収めていたわけで
まあ、実権がほとんどなかったような気がするけどね

243
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/09/11 04:11:53  ID:jP7YTHjl0.n
仮に天下統一しても孔明-ショウエン-ひいラインなら安定期になるんじゃないかな
問題は劉禅の跡継ぎも揃って似たようなのばっかなのだよな

244
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/09/11 20:12:27  ID:7PzFyVfS0.n
慣例を無視して劉諶が継げばいい

245
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/09/12 02:08:31  ID:GSA+vDtR0.n
劉諶はあくまでほかのボンクラと比較してマシなだけであってたいした事はないと思う
国の滅亡に憂いてj指圧しただけだし
コメント1件

246
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/09/12 18:31:57  ID:ffliaY2X0.n
>245
憂国の指圧、想像したら笑えるな

247
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/11/09 17:10:40  ID:aDUMyAAmO.n
age

248
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/11/10 08:35:32  ID:WoK/sinB0.n
劉備一族は劉備はクリーチャーであって本来は劉禅のようなのんびりおっとりぼーっとしたようなDNAだと思われる

249
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/11/11 21:55:05  ID:qzyhEHBX0.n
それにしても、どうして劉備の一族は、劉備に仕えなかったのだろう。
中国では、一族の出世頭に、一族がまるまるついていくのが普通なのに。
よほど一族内部での評判が悪かったのかなあ。

250
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/11/11 23:14:13  ID:iNSMP9s10.n
義勇軍時代に軒並み討ち死にとか?

学問のために金を出す叔父さんとかいたみたいなのにな。

251
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/11/12 15:18:20  ID:i+n5W31F0.n
何代か前の祖先がひねくれもので一族を離れて田舎暮らし
だから親戚なんて母方ぐらいしか付き合いがなかったとか
(援助してくれる叔父は母方)

252
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/11/12 22:31:10  ID:qv2AZ5GX0.n
根拠は?

253
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/11/13 11:30:32  ID:J3+/4SVw0.n
援助した叔父は父方じゃろ。劉姓だし。
妻に「分家した相手にそこまでせんでええのに」とか言われてるしな。

254
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/11/16 06:54:27  ID:m91LYb1H0.n
刺客をおくる分家

255
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/11/17 01:40:59  ID:rGsngAzD0.n
劉平

256
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/11/21 21:41:09  ID:A3P7LDnK0.n
劉備って確か娘が捕虜として魏に囚われたんだよな?
その後の娘二人どうなったんだ?
調べても全然出てこない…(;´Д`A ```


257
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/11/21 23:32:27  ID:TjBnizFY0.n
曹操と曹純にsenka

258
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/11/22 16:57:27  ID:MnhbWCBr0.n
捕虜になった女性は、大抵その戦で功を遂げた人物に与えられますな。

259
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/11/24 15:46:34  ID:xEB8t7DV0.n(2)
つーことはアレか。
処理機とかになったのか。

260
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/11/24 19:16:51  ID:xEB8t7DV0.n(2)
違った。
嫁さんになったってことか。

261
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/11/28 18:30:27  ID:6Xa1/ssZ0.n
そういう女性って、やっぱり酷い扱いを受けたのかな?

262
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/11/30 04:54:19  ID:+G0uwaoa0.n
そういえば張飛って夏侯氏の娘を山で攫って妻にしたんだったけw
その子供の姉妹が劉禅の皇后になったみたいだし、乱世の女性は紆余曲折あるなあ

昔、SWEET三国志で、ターミネータな張飛が変な印象だったけど
後宮に居る時間が長そうな劉禅が妹まで皇后に立てるとは
結構、張飛は美男だったのか?

コメント1件

263
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/11/30 21:16:47  ID:ccBEJOZ20.n
>262
夏侯淵の姪っ子が美人だった可能性のが高いような

264
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/11/30 23:04:10  ID:zNimt7vH0.n
夏候氏の娘って…一応敵側の血縁者じゃんか。
あの時代、見目さえよけりゃ奥さんに身分や出生は関係なかったってこと?
コメント1件

265
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/11/30 23:12:14  ID:VsCu4dcb0.n
>264
夏侯氏や曹氏の地元は豫州だから、支配者である豫州牧劉備の腹心と縁組してても別に不思議じゃない
見た目じゃなく、地元の有力者と支配者の腹心ということで縁組したんだよ

劉禅と張飛の娘も、娘が美形だったからではなく、劉備と腹心張飛の子供同士ということでのある意味政略結婚
見た目は特に考慮されなかったと思われる

266
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/12/04 15:22:25  ID:LQKp9Cza0.n
賈南風のケースとか考えたらある程度想像つくわな。

267
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/12/05 11:50:18  ID:yk87E6ac0.n
張飛の娘は正史皇后伝に、美人だとハッキリ書いてあった様な気がするのは気のせいか。

268
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/12/05 12:09:40  ID:Td0CgQyE0.n
>親子共々史書に容貌は載せられていない

269
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/12/05 14:55:49  ID:j3DWuSPD0.n
一人なら判るが、姉妹そろって輿入れの理由は?
コメント1件

270
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/12/05 21:52:06  ID:f41ZJXLN0.n
>269
張氏からしたら、次の世代でも権勢を維持するにはなんといっても皇后や皇太子を自分の家から出したいところだ
娘が二人いるなら二人とも後宮に入れたほうがその可能性が高まるじゃないか

271
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/12/09 19:06:52  ID:GofEEMl9O.n
あれ、劉禅に張飛の娘たちが輿入れしたのっていつ頃だ?
張飛存命時じゃないよね?
コメント1件

272
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/12/09 19:19:46  ID:xaOW76hf0.n
宮城谷昌光の三国志

273
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/12/09 22:18:07  ID:kuf/kOe60.n
>271
姉は劉備が即位し劉禅が皇太子になったと同じころ
その年に張飛自身が死んでいるが、一応存命中の話とみていいだろう
関羽亡き後の劉備にとって張飛は一番信頼の置ける人物であり、その娘と皇太子の結婚は劉備と張飛にとっては当然の縁組

274
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2007/12/10 13:00:28  ID:T7iLRI4rO.n
やや邪推してみれば、張飛は蜀屈指の将軍であり実力者。
それを牽制する意味で猜疑心の強い劉備が仕組んだ縁組かも知れない。
劉備という複雑な人格なら考えられる。

275
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/12/10 15:09:43  ID:xf3XUVqrO.n
漢中王を名乗ったり即位したころは亡命政権の延長みたいなものだから
荊州以前の古参などから貴族階級を作りたかったのではないかな。
関羽・張飛・馬超・諸葛亮の一族あたりがちょうどそんな感じで。

276
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/12/11 00:13:37  ID:2Dho9zXI0.n
孔明や馬はともかく関張は名士でもなんでもないからな
皇室の縁戚にして貴族化するしかなかったんだろう
関家は孫が劉禅の娘もらってたっけ

277
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/12/12 22:27:19  ID:3SGo1wmW0.n
劉禅の娘を娶ったのは諸葛瞻

278
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2007/12/31 23:39:38  ID:MspVHVyW0.n
功臣が皇族と姻戚関係を結ぶのは封建制にとって
呼吸するくらい当たり前のことだろう。
そのようにして主家の基盤を固め、臣に栄誉を与える。
名士か否かは直接は関係ない。

ていうか劉備は思い切りわかり易い性格だと思うがな。
世辞でも善人とは言えないが、猜疑心が強いなんて評価は初めて聞いた。
コメント1件

279
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2008/01/01 17:22:14  ID:FIIgCDRHO.n
アクション

280
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2008/01/01 19:40:23  ID:NtitaeNo0.n(2)
>278
張裕、劉巴、雍茂、彭𣴎の例がある。

元来は執念深く猜疑心が強烈だったんだと・・・

281
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2008/01/01 20:03:28  ID:a32Q+zEfO.n
まあ、曹操や孫権に比べればマシだったけどな。

282
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2008/01/01 20:33:48  ID:sx5gv4TX0.n
張祐 占いを事とする(つまり影響力の大きい)人物が繁栄の終わりを予言したり、
    君主の人相をあげつらえば敵視されるのは当然。初めは劉備の軽口が原因だが。
劉巴 どこが問題?
雍茂 これは弁護できないね
彭ニョウ 叛乱の意思の表明。是非もなし。

記録自体が少ないせいもあって、総じて見ると一代でのしあがった人物にしては
驚くほど粛清の記録が少ない人物だよ、劉備は。
曹操でも少ないくらいだ。こっちは長年天子を傀儡にして敵も多かっただろうに。
コメント1件

283
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2008/01/01 20:53:36  ID:NtitaeNo0.n(2)
>282
強いて言えば劉備の皇帝即位に意義を唱え、劉備の不興を買ったこと。
(たしか許靖も該当したっけ・・・)

あとは張飛(素性不明)がある時に、劉巴と付き合いたいと言った。
その時、劉巴は「氏素性もわからん馬の骨とは付き合いたくない」と言った。

あ・・・これは劉備の逆鱗に触れることと関係ないか・・・

284
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2008/01/01 21:38:24  ID:EPlCqxD30.n
つーか南北朝とか狂った時代を見ると、晩期孫権が並。
その二人はやっぱ粛清に頼らないでも求心力を維持できる何かがあったんだろう。

285
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2008/01/01 23:36:47  ID:kLN4Q6nr0.n
>曹操でも少ないくらいだ。こっちは長年天子を傀儡にして敵も多かっただろうに。

官渡決戦の前に、皇帝周辺の連中を軒並み粛清してるじゃん。

286
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2008/02/07 22:52:40  ID:1sSZa17OO.n(2)
・コウメイが活躍できたのは劉禅がコウメイを信頼していたから
・キョウイは正史だと頼りになる人物ではなかった
・降伏後の戯れ事もその時の立場を考えれば優れた対応であった
・魏に潜伏して内部から反乱しようとしていた説

ここらへんの評価から考えると、案外劉禅って愚帝じゃなかったと思うんだがどうだろうか

287
名無しさん@お腹いっぱい。[age]   投稿日:2008/02/07 22:59:04  ID:1sSZa17OO.n(2)
ageとく

288
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2008/02/07 23:28:39  ID:AkxeuWua0.n(2)
武事を専らとする頼りにならない人間が、地縁も賄賂の類もなく
大将軍になれるほど蜀は腐ってなかったぞ。
ていうか腐敗した王朝ほど有り得ないことだが。

289
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2008/02/07 23:40:12  ID:AkxeuWua0.n(2)
そういえば、晋王朝では蜀出身者は軽視され冷遇されていたという話を読んだが、
能天気な劉禅を諌めた郤正の逸話もそこへいきつく流れのものなんだろうな。
その後の侮辱的なエピソードも、信じるとすればそういう形で公然と笑いものにしていたのだろう。
劉禅がどこまで危機感を覚えていたか・計算していたかは解らないが。
しかし、信じるとすれば、郤正は司馬昭らに与していたことになってしまうのだが…。

290
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2008/02/08 06:53:27  ID:BTL/bmlCO.n
よく三国志知らんのだけど、きょういって正史だとそんなに頼りないのか?

291
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2008/02/08 16:21:26  ID:8dkFAPZM0.n
頼りにならないって言うより、むしろ頼りすぎたと言うか、
姜維に頼らざるを得なかった代わりに、姜維の暴走に歯止めを掛けられなかったって感じかな

292
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2008/02/22 18:05:23  ID:Ozj345cI0.n
俺もそこまで詳しいわけではないが、正史の生姜繊維は国力を考えずに北伐を行い、国をぼろぼろにしている
要は軍事と政治がばらばらになっていたわけだ
戦争はあくまで政治、交渉の一手段に過ぎないことを考えるとこれはまずい

こうなった理由としては、姜維が魏からの降将であることが挙げられる
当時の中国では出身地が重要で同郷の人で集まった派閥が形成されたんだが、
蜀の政権には姜維の同郷の派閥がない、つまり政治的な後ろ盾が何もなかった

政治力がない一方で漢中の軍事力を姜維は握っていたわけで
成都の政権組と漢中の軍事組の乖離が起こり、結果主導権争い(黄皓の行為もこの一部なんだろう)
結果、魏がこいつら雑魚じゃねwwwwwとか言って攻めてきて、蜀は滅びましたとさ

姜維が全部悪いわけではないが、責任はあるよね
間違い、勘違い等あるかもしれないけど、俺の理解だとこんな感じ
コメント3件

293
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2008/02/23 18:05:07  ID:dB/PWYKF0.n
>292
姜維と一緒に蜀に降った連中はみんな九卿まで昇進してるのに、
同郷の派閥がないと言うのか?

294
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2008/02/23 18:17:22  ID:JArYUPBY0.n(2)
そういや郭沖も西平出身の左将軍だったな。
重なる北伐とそれ以前の流入で涼州の人材を吸収していたわけか。
すると、かれらが「涼州奪還」としての北伐を推進するということはありえそうだ。
蜀の涼州閥ってのを見直さないといかんなあ。

295
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2008/02/23 18:22:33  ID:nX7ihEqG0.n(2)
いわれてみればそうか
つまり、姜維の行動はますます問題あり、と
つーか、軍事力もってて政治を省みず暴れるのは不味すぎる
どこぞのテロ国家とどっこいだ

何で姜維の評判、悪くないんだよ
軍権握って実際に暴れまわった魏延としか評価できんぞ
コメント1件

296
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2008/02/23 18:48:17  ID:JArYUPBY0.n(2)
戦争は外交の一手段だとかテロ国家だとか、
近代思想用語に振り回されてるレスに説明するのは難しいな…
だが、>292>295のような点においては別に評価高くないだろ。
普通に批判されてる。

涼州閥で思い出したが、姜維の行動範囲を見てみると、
魏の防備が固められて秦嶺山脈を突破するのが不可能になっている代わりに、
祁山を経由して狄道辺りまで進出してるんだよね。
大体渭水を攻防ラインにして、その南岸にはかなりの影響力・支配力を持っていた
ように見えるな。
コメント1件

297
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2008/02/23 22:15:39  ID:nX7ihEqG0.n(2)
>296
なるほど、おっしゃるとおり
確かに近代の思想と当時の考えをごっちゃにしてるね、ごめん
とはいえそこまで詳しく知らないんだよなー
言い訳しているあたり、さらにかっこ悪くはあるんだが

しかし涼州派閥がどの程度の力があったのかは興味あるな
内外に対してどの程度の影響力を持っていたのやら
…あれ? なんかスレ違いっぽくない?

298
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2008/02/24 10:08:50  ID:N72FMJ1h0.n
>292
おまえはまず普通に姜維と書くところから始めた方がいいよ
痛くて見てらんない

299
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2008/02/29 12:24:17  ID:caJDqgAy0.n
スレの題目から話題がずれてるな
あと>298はずいぶん余裕がないように感じた
余計なお世話かもしれないが、もう幾分か心を広くもつことを勧める

300
劉永 劉理[]   投稿日:2008/05/10 22:00:49  ID:MqpTX3kX0.n
 みんな ・ ・ ・
僕たちのことも思い出してよ もういっそ僕たちは外様かい?

301
劉邦[]   投稿日:2008/05/14 10:00:08  ID:u64Tg7540.n
三国志爾任藁禅だけが全能。老子によると無能は全智全能らしい。
コメント1件

302
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2008/05/19 21:03:08  ID:YMPNsRjk0.n
つまり遊び人だけが悟りの書無しで賢者になれるというわけか

303
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2008/06/13 20:15:46  ID:UvlF+tcF0.n

304
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2009/06/26 20:58:44  ID:BXeCC64c0.n
能動的に悪事をした訳では無いのに、酷い評価だよな劉禅。

伊藤誠の祖先か?
コメント2件

305
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2009/08/29 17:52:37  ID:5fshyPj40.n
中国人は未だにアホウのことを安斗っていうのかな。
まぁ、ピッタリといえばピッタリだなぁ…

306
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2009/09/19 04:44:05  ID:cfi2lAPZ0.n
誰から聞いたんだ?

307
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2009/09/19 14:06:53  ID:oyxcMVESO.n
日本人だって未だに真田幸村の方が本名より知名度が高い事考えたら納得出来る

308
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2009/09/19 19:27:07  ID:FZ9IcNN+O.n
>301
全智全能なら無能にならないし、そんなことは老子は説いてない。

309
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2009/09/21 19:23:49  ID:RdWO9aCM0.n
>304
お目付け役の董允が生きてる間は悪いこと出来なかっただけ
董允死んだら黄皓重用して政治は黄皓の言いなり
その上自分は遊覧ばっかりして宮中の女や楽団増やしまくって遊んでるんだから無能でしょ

310
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2009/10/20 12:07:43  ID:FG55wtv50.n
降伏後、旧臣に恨まれても政治的野心を持たなかったというのは
よほど立場を弁えているか天然かのどちらかでなければ出来ないこと。

半端に野心や責任感を持ち合わせた凡人なら旧臣の傍迷惑な忠義や
蜀残党を滅ぼしたい政権側の罠に乗っちゃって、政治活動を始めて
九族皆殺しの粛清されちゃうところ。

311
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2009/12/11 13:50:31  ID:MNvSLAhf0.n
蜀書記述少ないもんな
劉禅の上にも兄弟いっぱいいたと思うけど全然載ってない
○○がいたけどこれこれで死んだぐらいあっていいと思うんだけど

312
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2010/01/30 16:01:52  ID:KLLaglvD0.n
なお、『晋書』「李密伝」で元蜀の臣下でもある李密は、名臣を信じて成功し、
奸臣を信じて失敗した事を例に出し、劉禅を「斉の桓公に次ぐ」と述べている。

これに従えば、劉禅の配下が管仲に及ばなかったか魏に管仲以上の人物がいたか
蜀も魏も管仲以下のレベルで争って蜀が力負けしたかのどれかかね

諸葛亮時代は前者、姜維北伐は後者ってとこか
コメント1件

313
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2010/02/17 20:27:13  ID:paFTsDmN0.n
>312それって斉の桓公を過小評価しすぎだと思う
確かに晩年はいただけないが、自分を殺そうとした管仲を許し、その男に改革を任す度量、
自身で軍を率いて諸国の軍を破って行った軍事力、そのどれもが劉禅には無いものばかりだ
劉禅は桓公の足元にも及ばないだろう
自身は遊びほおけてたが名宰相晏嬰のおかげで国を保つことができた斉の景公と
同等ぐらいが劉禅の評価としては妥当じゃないだろうか
晏嬰の死後、田氏を重用して国を乗っ取られるもとをつくったあたりも
黄皓を重用して国を滅ぼした劉禅と似ている

314
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2010/02/18 00:28:11  ID:urXwrEox0.n
黄皓の重用より姜維を放置して亡国した印象

315
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2010/02/18 15:38:08  ID:XZuqDaJu0.n
不毛だな

316
孫尚香[]   投稿日:2010/02/18 15:48:06  ID:NRfE5wVn0.n
可惜蜀漢
五虎上將,臥龍鳳雏依然得不了天下
仁政在中國果然行不通啊

317
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2010/02/21 00:07:01  ID:xzl/Pvk/O.n
もし劉封が生きていて劉禅の変わりに君子になっていたら?
コメント1件

318
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2010/02/26 17:52:08  ID:gYwp0vIa0.n
>317
まず十中八九内乱が起きる。

【劉封派】・劉備の遺命なら忠実に守る派
     ・劉封の経験や実力を買っている派
【劉禅派】・「劉」の血縁こそ大義派
     ・幼く経験の無い劉禅の方が扱い易い、取り入り易い派

その争いに勝ったとしても、諸葛亮の派閥の中でどれだけ発言力を維持できるか。
維持できたとして、諸葛亮より良い結果が出せたかは微妙なところだろう。

諸葛亮死後に、姜維の北伐病を押しとどめつつ費イの暗殺を防ぎ、宦官の悪政をバンバン裁き
すり減った国力の回復すると同時に、最悪の外交状態を修正という
スーパーアクロバッティックを成し遂げたらもっと蜀は長持ちしただろうけど。
 
劉協にもっと優秀な兄がいて、そっちが帝になってたら漢(魏)が三国を統一できたか?
っていうのとあんまり変わらないと思う。


コメント1件

319
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2010/02/27 14:46:24  ID:SbgPbSUg0.n
>318
劉封の年齢だと姜維北伐前に死んでるんじゃないの?
それに劉封が継いでも孔明は宰相だったろうし、北伐が親征になるくらいじゃない?

320
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2010/02/27 18:40:56  ID:+nI2Z8+50.n
異姓不養というタブー中のタブー(まあ曹操によって一時的に禁が解かれてた時代ではあるが)に抵触する存在だからねぇ。

321
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2010/02/27 19:13:26  ID:vBM+Q2rx0.n
そんなに強いタブーではない
類例はちらほら見られる

322
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2010/10/02 15:48:51  ID:NaWu6ZeM0.n
>304
能動的に悪事をした → ポッポ

劉禅はむしろ無能無気力の管に近いと思われ。

323
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2010/10/28 02:45:35  ID:IAyxNZlK0.n
劉封の隠された事項

劉封は劉備の実子で、母は後漢28将の寇恂の末裔の寇氏(諱は不詳、『吉川三国志』では「芙蓉姫」、
後に「鴻」に改姓した)であること
諸葛亮の陰謀で、劉封は「嫡長子」→「実子」→「養子」と廃嫡から降格に改竄・捏造され、
陳寿がそのまま「劉備の養子」と記したこと
『蜀書』劉封伝にある「封は長沙郡の劉氏の甥で羅侯の寇氏の子」のからくりとは…
「長沙郡の劉氏の甥」→後漢王朝→臨邑侯→劉備の生家→劉備の実子(『典略』、(『後漢書』斉武王?伝)
「羅侯」→後漢28将の鄧禹の末子の護羌校尉・鄧訓の系統→爵位は羅侯(現在の湖南省岳陽市汨羅県、長沙市の北方)→劉封の妻が鄧氏であること(『後漢書』鄧禹伝)
「寇氏の子」→後漢28将の寇恂の末裔→寇氏は上谷郡昌平県の豪族→劉備の故郷に近い→劉封の母の実家となること(『後漢書』寇恂伝)
 鄧芝が劉封の縁戚関係で劉封の妻が鄧芝の従妹あるいは従姪であること、
(劉備の子とされる)安平悼王・劉理が劉封の実子で鄧芝の「外従子」または「外従孫」であること
 劉封の諡号が母の姓にちなんだ「寇太子」または「鴻太子」であること(前漢の景帝の長男の劉栄の「栗太子」「臨江閔王」、
後漢の光武帝の長男の劉彊(強)の「郭太子」「東海恭王」と同様である)
 冷遇された彭?ら一部の益州軍閥の反乱の未遂事変の真相は、老いた劉備に代わって、劉封の擁立を目論んだこと
 劉封の最大の支持・理解者は法正・魏延であること  
 北伐で魏延が諸葛亮・李厳(李平)・劉?・楊儀らと衝突したのは、劉封の死と大いに関係があること
 字は「公仲」「公然」と伝わること 爵位は「甘陵王」(『蜀書』劉永伝では劉永の爵位)と伝わること
(230年に子の劉琳が「甘陵王」に封じられたことから始まるという)
 王としての諡号が「厲王」と伝わること(すなわち「甘陵厲王」)
子の劉琳は劉備が漢の帝位に即くとはじめは「臨邑侯」に封じられたこと


劉封は劉備の実子で、しかも嫡長子である可能性が濃厚である。
諸葛亮の陰謀で「養子」として改竄された可能性が高い。
同時に劉封は「長沙郡」の出身ではなく、実父とする劉備と同じ「?郡?県」の出身の可能性が高い。

324
月孔雀[]   投稿日:2010/10/30 08:18:46  ID:/dAm/ks+0.n(2)
劉備の遺言どうり、孔明は、何故、帝位に付かなかったか?

325
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2010/10/30 09:54:10  ID:LOnvaRhxO.n
あれは即位していいよ、とは誘っているが実際はさせない釘みたいなもの。そして諸葛亮への協力だ。
幾ら諸葛亮が法家よりの人間でも、もう漢代の倫理感は儒家に染まりつつあった訳だから、そのモラルに逆らう事は難しいし逆らっても蜀の国家運営は困難だった。
言うまでもなく初期蜀政権とは劉備のカリスマ性に求心力を大きく依存した政権だったからだ。
諸葛亮の権力基盤も劉備の信任篤い臣下としてのものでしかないから、劉備が居なくなれば頗る脆弱なもので、だからこそ劉備没後は漢朝復興を大きく掲げた国家方針を立てなくてはならなかった。
また劉備も諸葛亮の性格や方針も見抜いていたから、実際には即位などしない事も解った上で他の遺臣達に諸葛亮を信頼している事をああ言ってアピールし
自らの没後に諸葛亮が政権運営しやすい様に最後の支援をしてやったと見るべき。

326
月孔雀[sage]   投稿日:2010/10/30 14:36:28  ID:/dAm/ks+0.n(2)
>325
劉備って腹黒いね

327
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2010/11/01 17:25:35  ID:uIlwrc9s0.n
リュウゼンって、本当に劉備の子ですか?
豊臣父子のような嫌疑をあまり聞かないけど、不自然だよね。
劉備、奥さんいっぱいいるのに50くらいで第一子なんて。
コメント3件

328
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2010/11/01 19:04:01  ID:0JR15OZpO.n
流浪の身だから子を残せなかったのか、種無しだったのか

329
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2010/11/02 00:06:53  ID:1NfIwI/v0.n
>327
小沛で高順に城落とされた時に妻子が捕まったという記述がある。
あと長坂の戦いでの逃亡中に娘が曹操軍に捕まっている。

330
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2010/11/02 01:59:20  ID:yZ/qXMrQ0.n
娘どういう扱いうけたんだろ
官妓とかにされたのかな

331
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2010/11/11 02:37:45  ID:OKroxbjD0.n
娘二人は、長坂の戦いでの逃亡のときにつかまってころされているよ

332
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2010/11/12 03:15:05  ID:aaLZ1MsF0.n
http://bibirion.com/up/bnf/1317.jpg
http://cisburger.com/up/bnf/592.jpg

資産3億→実際は1億割れの資産
時給1000万→現実にありえない。本当にそうならとっくにBNF超えてる
明治商学部→実際は夜間2部なのに意図的に1部に見せかけるため2部と申告しない
CFDの説明で株の信用取引よりリスクが低いとリスク説明→ありえない、株の信用取引は最大でレバ3倍までしかかけられない
2chで名無しで特定コテに粘着して荒らし行為
名誉毀損、営業妨害で訴えるなどの脅迫行為(三空はコテに対して日常的に名誉毀損を行っている)


333
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2010/11/20 22:48:54  ID:hnX+OKZz0.n
>327
劉禅は正室甘夫人が初めて生んだ子なので第一嫡子扱い

334
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2010/11/28 06:59:11  ID:SLgFAmXRO.n
劉備のDNAはあまり優秀じゃなかったのかな…
コメント1件

335
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2010/12/01 22:06:20  ID:TFAdOcTi0.n
劉備の近い血縁を見るに劉備のほうがのんびりした一族のなかでは突然変異だったというべき
ただし劉一族は人からは好かれるようだ

336
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2010/12/03 10:00:37  ID:IdWj4gxz0.n
劉永、劉理、劉諶は優秀

337
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2011/01/23 00:23:03  ID:S6E3Aawe0.n
>327
甘皇后伝に、「劉備はたびたび正室を失った」と書いてあるから、
放浪している中で子供も何人か死んでるんだろう

何度も妻子が敵につかまってるし

338
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2011/01/24 00:09:18  ID:dSielatn0.n
健全でない言葉が含まれているため表示しません 内容を確認する

339
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2011/07/26 15:36:14  ID:hQaXA8i30.n
>334
成都という環境も悪すぎた
首都と前線とじゃ、あまりにも意識の差が違いすぎる

340
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2011/12/26 20:39:46  ID:OBRA74Ev0.n
劉諶は自害するくらいなら魏軍相手に討ち死にするべきだった
さもなければ親父と一緒に降伏するか

341
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2011/12/27 22:57:29  ID:WnoTeFxEO.n
兵をひきいた経験や実戦経験ないなら無理じゃねたとえ自分がしたくても
経験あったかどうかは無知な俺にはわからんが

342
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2012/03/01 06:49:42  ID:5uYrFbuG0.n
やはり経営者は戦場の真っただ中に身を置いてこそ成立するものだ
安全な場所で都合のいい話ししか伝えられずにいるからこういうことになる

343
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/05/06 14:00:37  ID:awfLU04/0.n
昔からよく劉禅は叩かれるけど
凡君の器はあったと思う
西晋の恵帝の方がよほど暗君

344
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/05/07 00:12:39  ID:AauRmX6H0.n
蜀は劉備のカリスマ性と孔明の辣腕でなんとか保ってた国で、
これを魏相手に保持するのは二代目としたらあまりに条件が悪い。
しかし、親らの遺産を食いつぶした形になったとはいえ、40年も国を保持し、
しかも国を荒れさせることなく魏に降伏し、天寿を全うしたんだから、有能じゃないにしても無能でもない。
君主として中くらいのレベルを下回ることはないレベルだろ。

345
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/05/07 10:13:32  ID:8ezoNE74O.n
まぁ北宋や明の安定期みたいな状況での在位なら、名君ならずともマッタリした凡君で済んだろうが
如何せん理由はどうあれ、亡国の君になってしまったからどうしても悪く言われてしまうわな。
まして後世の演義人気で更に評価は悪くなる。武侯祠の塑像すら存在を許され無いって辺りは流石に酷い気はするけど。

346
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/05/10 01:24:44  ID:LV5dD3QY0.n
劉禅が優秀だとは思わないが、
歴代中国皇帝の大量の有害な君主どもみてたら
諸葛亮存命中は特に問題起こらなかっただけでもマシな方だと思う。

少なくとも霊廟を作るたびに人民にぶち壊されるほどひどかったとは思わん。

347
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/05/10 11:18:14  ID:16p5exf5O.n
明らかに武侯祠の劉禅の塑像の破壊は明代に入って特に度々されだし、しまいには官吏までが破壊の許しを与えた事例があるので
演義の影響が顕著でないかと思う。
ほぼ同時期に定軍山の諸葛亮の墓の治定(明代までに既に墓の正確な位置は分からなくなっていた)が風水師を呼んでなされ、明の地方官吏がそこに墓碑を誌しているので
これらの現象も演義の普及が民間まで及び、諸葛亮人気が高まったのが影響していると考えられる。
後に清代に入ってまた別の箇所に諸葛亮の墓があるとされたので、現在定軍山には二カ所諸葛亮の墓碑が存在する。

348
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/06/17 20:36:13  ID:zX4eNZX60.n
蜀の劉禅や陳の陳叔宝は暗君と言われているけど、
乱世において無事に天寿を全うしたという意味では勝ち組なのかもな。
つか劉禅は敢えて司馬昭の前で暗愚の振りをしているように思える。
逆に伏見城で家康に会った秀頼は「こいつは優秀だ」と思われてしまったがゆえに・・・
コメント1件

349
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/06/18 12:38:53  ID:GRDGA+q7O.n
そうなると劉禅は生まれながらの皇子やら安定期の王朝の皇族程ではないが、比較的優遇された生活だったのに結構世故に長けた所があったんだな。
勿論、本人はそこまでの認識や知恵は無くても郤正辺りの入れ知恵で端から打ち合わせ通りの芝居をしただったかも知れないが。

350
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/07/01 00:00:00  ID:q9IwLum80.n
>348
実際には、秀頼がアホでもバカでも結果は同じだったと思うけどね。
清正が家康より長生きしてれば話は別だったかもだけど
コメント1件

351
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/11/23 23:46:47  ID:YNxAV32p0.n
劉禅は戦国のファンタジスタと同じ扱いをされてるな

352
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/11/25 23:34:11  ID:3eYimZZZ0.n
常に健康に気を使ってた家康の勝ちだね

353
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/01/10 16:19:30  ID:LRH7lLZ60.n
>350
清正は自分のお家守るので精一杯だったよ。

354
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/01/19 09:17:03  ID:RAvG2LyX0.n
司馬昭「蜀を思い出されることでござろうな」
劉禅「ここの暮らしは楽しいので蜀を思い出すことはありませぬ」
司馬昭「・・・」

355
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/01 00:06:47  ID:1f0RgYoh0.n(2)
北周宣帝も入れたいところだ

356
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/01 15:09:33  ID:h78YQycm0.n
中国だと蜀漢は伝説で、後世の中央を追われた知識人、権力者の希望だからなぁ
時代を経るほど、それを「潰した」劉禅は嫌われる

即座には潰されないタイミングで建国した劉備は流石だけど、最初からカウントダウン状態でもあったのにw

357
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/01 15:34:35  ID:1f0RgYoh0.n(2)
劉禅は名君でも良君でもないけど
暗君・昏君というほどでもない
けれど、なぜか中国史上最悪の昏君扱いされてるんだよなあ

酷いのになると、精神障害患ってたんだなんて訳の分からない叩きが平気でまかり通っていたりする

358
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/05/02 06:30:45  ID:D4BamGPGO.n
だよな、むしろ劉禅から百年経たないのちの時代の南北朝のヒャッハーな皇帝や
明中期にかけての皇帝に較べたら、劉禅は大人しい位。
ヒャッハーは暴君だから劉禅とはベクトル違うかもしれないが、明の暗君オンパレードの歴史を見れば
「もしかしたら劉禅よりダメだコイツ…何とかしなくちゃ」な気分になる事請け合い。
コメント1件

359
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/02 14:47:51  ID:BNJOzjuE0.n
暴君では有り得んし、ラストも自分の責任で決断したんだよな

追い詰められたあの状況でこの決断をして殺されたりするでもないところを見ると、
ああ見えてそれなりに国内、宮内を掌握してたんじゃ?という気もする

360
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/02 16:10:36  ID:3VfAdWk10.n
劉禅はまかり間違っても名君・良君に分類はできないんだよな
晩年に黄皓の専横を許したのは否定できんし、そもそも主体的に国政を導いた訳でもないし
でも、暗君と呼べるほど何かをやらかした訳でもないし

正直、蜀漢の幕を引かなければここまで悪し様に言われなかったと思う
そう考えると、運が悪かった、というのが劉禅の評価に相応しいのかもしれん

361
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/05/02 20:55:27  ID:H7DXgWhf0.n
>358
劉禅何気にすごくね?
平時ならまだしも乱世において曲がりなりにも在位40年だぞ
万暦帝などとは訳が違う
コメント2件

362
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/05/02 21:16:43  ID:g8PIM01yO.n
在位年数はよく言われるが相手があることだから単純な比較は出来ないと思うの。

363
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/02 21:19:37  ID:6A2WXKME0.n
普通に常時ピンチだけど、劉禅が何かをやって切り抜けたというわけでもないな
うーんw

364
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/02 22:58:01  ID:8IyklWR20.n
魏が司馬氏による内乱でゴタゴタしてなかったら、蜀はもっと早く滅ぼされてただろうしねぇ。
でも劉禅って加点材料もほぼ無いけど減点材料もそんなに無いよな。黄皓問題はむしろ姜維がアカン。

365
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/03 00:06:20  ID:GCCZyY0F0.n
姜維も気の毒だぞ
諸葛亮だけじゃなく、費イもショウエンも董允も…という状況で、軍事だけで一杯一杯
それで不向きな政争まで…というのはw

結局、蜀の国力の問題かね
人材も足りん

366
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/05 02:39:53  ID:JssLITzW0.n
姜維が「軍事のみにかまけて黄皓の専横を許した」云々という言われ方は辛すぎるわなぁ
コメント1件

367
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/05 04:31:26  ID:HayjL7n70.n
姜維が軍権握った頃には完全に詰んでいるしなあ
それにしても政争が下手すぎる気がせんでもないけど
軍事力を背景に失脚を回避しつつ北伐、という突っ込みどころ満載の状況なわけだし

368
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/08 20:02:25  ID:po3RreIST
続三国志演義だと、劉淵は劉理の子という設定なんだよな…
なんか、名前も微妙に違うんだよな…
http://getnews.jp/archives/572151

369
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/13 00:16:07  ID:xi+TWa0x0.n
>361
それに対する感想は天嶮の国って凄いんだなぁと

370
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/05/13 01:03:44  ID:gx+9/QFI0.n
>361ぶっちゃけ諸葛亮と、諸葛亮が残した後継者の二人のおかげだよなあと思う

371
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/13 01:03:52  ID:9S7X3Eg80.n
涼州でひっそりと建国して
在位30年で滅亡した宋建なんていう例もあるしなあ

372
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/13 01:14:35  ID:3q64OM+C0.n
蜀漢は漢の正統を名乗ってたわけで、思いっ切り喧嘩を売りながらの建国だからなー
あれ以上の放置も望み薄か

373
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/13 16:22:32  ID:VKGDdRj/0.n
>366
姜維は大将軍・録尚書事で軍事と政治のトップとしての責任がある。
加えて軍事は政治の手段に過ぎないのに、政治を顧みず軍事に暴走していたんだから批判されて当然。

374
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/15 19:11:37  ID:aVIsLG310.n
諸葛亮の息子も黄皓と協力して姜維と対立してたんだっけ?

375
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/16 01:26:41  ID:zDVzCJri0.n
そうそう
時期的に姜維の行動は突っ込みどころ満載だから、
変な行動ではないんだけどね

376
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/16 01:46:00  ID:H7IXu50E0.n
姜維はそれなりに若いうちに蜀に付いたとはいえ、どうしても基盤が弱いからな。
能力があっても足元を突かれるとキツい。
せめて劉備が生きてる内に降っていれば…。

377
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/16 23:34:40  ID:U+ah+S6B0.n
劉備が生きてる内って、姜維はまだ10代の少年なんですが…
コメント1件

378
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/08/31 19:38:44  ID:ywatw0BL0.n
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379
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/09/02 14:01:27  ID:iwI8iq9D0.n(2)
劉禅が故郷を捨てなければ、いつまでも 蜀は劉氏の場所という古の所在もあるだろ

劉禅とその国土の人間がどれだけ血を流してきたかも本人としてはわかっている。
その上で劉禅はそれら流れた血刃を全てとめられる方法は、自らの振る舞いをもって

魏の人間に知らしめる苦悩を日々苛んでいたと思う。決して、悠々楽をおぼんでいたのではないと思うが。

380
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/09/02 14:05:55  ID:iwI8iq9D0.n(2)
見方をすれば、魏からの入れ知恵もあっただろうが 漢の歴史の業を止めたのは
彼以外にできなかったと 言える。 その後の反乱も おしとどめられた理由は

暗愚の笠を被れば、劉の機転を自らが封じたと言えなくもない。
その証拠に劉禅以後の劉氏に有名な人物が現れていない。
しかし、劉氏は在する所 優れていたから台当しなかったのではないか?

それだけ機知に優れていたと
コメント2件

381
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/09/02 14:58:31  ID:dqjW4HyH0.n
>その証拠に劉禅以後の劉氏に有名な人物が現れていない。

三国志しか知らないと、こんな恥ずかしいことを平気で言えるんだな

382
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/09/02 21:40:07  ID:3Dl6qBLgO.n
>380の内容を見て、劉裕さんや劉淵さんがいきり立ち
劉基さんが主君の朱重八さんに>380を凌遅三千刀にすべく策を練り始めました。

383
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/09/03 00:24:24  ID:6jnDhuCdO.n(2)
トンデモサイトの不完全コピペにマジレスしてやる優しい人達

384
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/09/03 00:26:34  ID:6jnDhuCdO.n(2)
真っ先に劉少奇を思い浮かべてしまった。

385
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/03/22 19:34:58  ID:ZZ8gsjW4O.n
暴君は才がないとならないからな。
劉禅の才は劉璋くらいか

386
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/11/20 21:21:31  ID:vwBF8GMs0.n
>377

その突っ込み方は伊達政宗が○○年早く生まれていれば・・・
に通じるな(苦笑)

多分そういう意味合いじゃないと思うがw

387
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/16 11:49:26  ID:WJ1hNWYj0.n
項羽&劉邦と三国志の中間、漢代の歴史や王莽や光武帝のことって、歴史書や文献みたいな硬い本ばっかりで
司馬遼太郎や吉川英二みたいな読み物になってるやつないのかね?
ウィキペディアなんかもこの時代のことは特段思想がかって変な改変入れられることもないし、出来事と人物だけは追えるが味気ない。

388
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/24 23:12:28  ID:uUe4Mmq5O.n
陳舜臣くらいじゃないの

389
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/25 00:42:56  ID:oACU9hQX0.n
宮城谷の「草原の風」は?
読んだことないけど劉秀が主人公だったはず

390
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/08/01 21:14:19  ID:08Be/88y0.n
劉禅「五胡十六国、南北朝、明朝にも酷いのいっぱいいるのになぜ朕が中国史上最低の暗君扱いなのだ・・・orz」

391
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/08/10 12:05:34  ID:to4J4vs60.n
◆「得票0に疑義」と提訴 参院選でJAM組合員
http://www.sankei.com/affairs/news/160809/afr1608090021-n1.html


実は、非常に奇異な点があるのだ。それは、区によって、「票があるところ」と「まったくゼロな区」があるのだ。三宅洋平の得票では、

豊島区ではなんとゼロ票 

              中央区ではゼロ票。

                        江東区ではゼロ票、

                                   荒川区ではゼロ票 

                                            足立区ではゼロ票 

                                                      通常、こんなことは考えられない。


慶応の学生です。大学の教授が今回の選挙についておかしい部分が多いとツイートしています。
500の束のバーコードを他者に振り替えていると考えられると言っています。
例として幸福実現党は都内に信者がある程度いるはずなのに、3区以外はすべて0票。犬丸氏も同じだったと言います。
また、娘さんが練馬区で三宅氏に投票、他知り合いが3人も入れたのに、0票。 池袋、渋谷で0票もおかしいと書いています。
明らかにム サシの機械での操作があった可能性が高いと書かれています。

392
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/08/19 10:53:39  ID:gVuhrV+60.n
歴代帝王の在位期間 (年数が同じ場合は同順とした 一部文字化けのため諡号を削除してます)

 \供。澗紂\餐長熙帝(1661年 - 1722年) 61年
◆\供。饗紂々盻ヾノ環襦聞偉顱∈澎1735年 - 1795年) 60年
 周 37代 赧王(姫延、在位紀元前315年 - 紀元前256年) 59年
ぁー 5代 穆王(姫満、在位紀元前977年? - 紀元前922年?) 55年
ァ〜梓繊。径紂”霙襦蔑徹、在位紀元前141年 - 紀元前87年)54年
Αー 13代 平王(姫宣臼、在位紀元前771年 - 紀元前720年) 51年
А[法。饗紂\蚕(孤霏膵Ю觜陳襦癖玄貪曄¬輓隆緒、在位982年 - 1031年)49年
─ー 35代 顕王(姫扁、在位紀元前369年 - 紀元前321年)48年
─〔澄。隠澗紂/製)暦帝(朱翊鈞、在位1572年 - 1620年)  48年
 梁 初代  高祖武帝(蕭衍、在位502年 - 549年)  47年
 周 11代 宣王(姫静、在位紀元前828年 - 紀元前782年) 46年
 北宋8代 道宗仁聖大孝文帝(査剌、耶律洪基、在位1055年 - 1101年)46年
 周 26代 敬王(在位紀元前520年 - 紀元前476年) 45年
 明 12代 世宗嘉靖帝(在位1521年 - 1566年)45年
 唐 9代 玄宗至道大聖大明孝皇帝(李隆基、在位712年 - 756年)44 年
亜)盟廖。澗紂/僚 母篦、在位1022年 - 1063年) 41年
院♂羇繊。佳紂仝綣隋蔑禅、在位223年 - 263年) 40年
院‘鄙廖。蟻紂〕宗(1224年 - 1264年)40年

393
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/09/17 17:37:16  ID:Thtc3Dlr0.n
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