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【王莽】新〜後漢初【光武帝】3 (804)
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名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2012/12/16 18:51:19  ID:N34afP5e0.n
前漢簒奪から漢委奴國王まで語ってください。
明帝〜和帝ぐらいまでならいいかも
前スレ
【王莽】新〜後漢初【光武帝】2
【王莽】新〜後漢初【光武帝】
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2
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2012/12/16 18:55:00  ID:slJHASq10.n
【中国史】やる夫と後漢初頭を生きるようでス。 23膳目
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1351525192/
やる実が、後宮の女史になったようでス。【18禁】6夜
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1350215455/
やる夫が王莽になるようです その二
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1339333581/
やる夫が光武帝になるようです
http://yaruokansatu.blog44.fc2.com/blog-entry-383.html

3
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2012/12/18 00:05:33  ID:ofS1ENZV0.n(2)
http://i.imgur.com/zf5n5.png
ある書評で「共産主義歴史観なし!」と不思議な絶賛をされてる臧嵘氏の『漢光武帝劉秀大伝』

http://i.imgur.com/oLhWg.png
新末の農民反乱を指していう「起義」は、最近では階級闘争の意味合いは薄れてるとしても
典型的な唯物史観のタームであることに変わりはない

http://i.imgur.com/tGF2z.png
『読通鑑論』で光武帝が高く評価されていることに言及したついでに王夫之を「唯物的思想家」と呼んでる
王夫之が讖緯に批判的だったことを「唯物的」と評価してる訳だけど
こういう語句が頻出してるのに何で「共産主義歴史観がない」といえるのか全く分からない
しかも『読通鑑論』の該当個所の巻数が間違ってる。巻6が正しい
光武帝が歴史上高く評価されてきたことを主張したいがためにわざわざ『読通鑑論』を引いてるのに
その巻数を間違えるのは、たかが1文字とはいえいかにもずさんで相当に重いキズというべき
さらにその下では「始皇帝や漢高祖や唐太宗は臣下を使って天下を取ったが光武帝は親征したのが凄い」といい、

http://i.imgur.com/MNxjS.png
「昆陽で智勇を示したり単騎で銅馬数十万を屈服させたのは『飛将軍』李広や『単騎赴宴』の名将関羽に比すべき武勇」という
ネットの名将ランキングの類と変わらないし歴史学者の仕事としてはハッキリ言って稚拙

http://i.imgur.com/Qeink.png
著者以外の人が書いた序文でも「光武帝は始皇帝・漢武帝・唐太宗・宋太祖と比べて遜色ない」とある
これも比較しようのないものを比べるネットの皇帝ランキングなみの物言い

http://i.imgur.com/Ir0RM.png
http://i.imgur.com/X7STI.png
光武帝が儒教の普及に尽力して後世の儒教道徳の基礎づくりに貢献したことが述べられる
唯物史観を維持しながらも文革の頃とは違って儒教を再評価してる訳だけど
この本の論調はひたすら光武帝を称賛するものなので
書評の主が得意とする、儒教と唯物史観とを常に不可分のものとして批判する謎の論法は封印するしかなくなってる

そもそも唯物史観を悪と決めつける書評の理屈がおかしい上に
この本は唯物史観と絶縁してる訳でもないし光武帝の評伝として特にすぐれてるともいえない
コメント3件

4
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2012/12/18 01:28:35  ID:ofS1ENZV0.n(2)
『東漢光武帝劉秀大伝』だった
たかが1文字とはいえなかなかのブーメランではある

5
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2012/12/22 13:49:33  ID:C4gHj/pK0.n
http://i.imgur.com/s67Hr.png
黄留珠氏の『劉秀伝』

http://i.imgur.com/jnWaZ.png
http://i.imgur.com/zGqmV.png
かつては光武帝が大地主・大商人の出身だったという前提に立って、
かれが赤眉などの農民反乱集団を討ったり吸収したりしたことは
ブルジョアが階級闘争を鎮圧したものと認定され、光武帝は反動主義者として批判されてきた
この見解は今では唯物史観の側からも「極左」的とされて賛同されない

唯物史観に拠りつつ光武帝が反動主義者でないというために、
皇族といっても10数万人以上いるうちの1人に過ぎず
ブルジョアの大地主ではなく中小の地主だったことを強調するとか

http://i.imgur.com/6MLyy.png
光武帝による農民反乱の鎮圧は、毛沢東の提唱した
「中国古代における農民戦争は、無産階級や共産党の正しい指導を得られないために失敗して
地主や貴族に王朝交代の道具として利用されるものだった」という法則にのっとったもので
何の不思議もないとするとか

http://i.imgur.com/8aiRY.png
緑林や赤眉は皇帝を立てて農民革命集団としての性質を失っていったから
光武帝がこれを討っても競争相手を倒しただけで階級闘争を妨げてはいないとするとか
いろいろな理由づけがされるようになった

『東漢光武帝劉秀大伝』が光武帝の出身を大地主でないとするのもこの流れに乗ってる訳だし
唯物史観と関係ないつもりで光武帝が血筋や地盤に頼らず実力で天下を取ったといいたいがために
平凡な皇族の小地主だと主張するのは、実は今の唯物史観が描く光武帝像に接近してるということでもある

6
前スレの964[sage]   投稿日:2012/12/26 21:38:42  ID:nXMLdDNP0.n(4)
前スレで長文書いたものだが、唯物史観ってなんだ? どこかのコピペか?
前スレでの返答が全然ないのだが、『三史捏造少ない』論説は、要は捏造もしくは知識不足の勢いに任せた煽りで、
結局、ただの荒らしということでよいのかな?

新唐書や隋書、晋書より捏造が少ないのは確実というレスがあったが、

劉知幾が後漢書を絶賛している反面、劉玄の件で政治性で厳しい批判をしている点を見ても、
正史の評価が、(絃呂里泙箸泙蝓↓¬圭發両ない整合性、政治的偏向の少なさという総合的な評価であることが推測される。
光武帝ファンでもマンセーでもないという長文君は、こういう両面性のある評価とすると、
統合失合症とでも劉知幾を罵るかもしれないが、そんな人物が千年以上経っても高い評価を得ているわけがない。

ということで、新唐書や隋書、晋書の評価が後漢書よりも低くても、 ↓△優先され、が低く見られただけとも考えられる。
ここの議論ではが重要なのだから、そういう結論は出るのはおかしい。

7
前スレの964[sage]   投稿日:2012/12/26 21:41:18  ID:nXMLdDNP0.n(4)
あの劉知幾が史通で、曲筆とまで後漢書批判に劉玄キョどるエピソードを引き合いに出すのは捏造の論拠には弱いという意見も多いが、
事の本質はそうではないだろう。

最大の問題点は、あの批判が強い東観漢記ですら、劉玄伝において記載していない、
『素懦弱,羞愧流汗,舉手不能言』をわざわざ探し出し、記載している点。
わざわざ後漢の史官がおもねって記載した可能性の高い描写を、抜き出して付け足していることだ。

確かに劉玄が上がり症だった可能性も否定はできないが、真実は范ヨウには確認できないのだから、
信憑性が低いとして通常は採用しないところだろう。
だが、後漢書は三国志との比較において、魏に不都合で信憑性が低い記述が採用されていることが批判されているように、
後漢を持ち上げようと、劉玄を貶めた可能性も高いと推測できる。

また、史通で「後漢の史官が筆を曲げ、後漢王朝におもねり、独り光武の美を成した」とまで評したのは、
劉知幾の生きている段階ではその余りにも露骨な歴史書が残っていた可能性もあるとも思える。

8
前スレの964[sage]   投稿日:2012/12/26 21:45:24  ID:nXMLdDNP0.n(4)
さらに、五銖銭の復活は劉玄の所行と『貨幣の中国古代史』で信憑性が高い研究がなされ、
捏造が少ないはずの漢書や後漢書でこれを黙殺し、光武帝を復活していることになっている事実が、
光武帝に関する部分の全体的な捏造あるいは印象操作の可能性を大いに示唆するものだろう。

『自搏戰』もやはり問題がある。
光武帝が本当にやっていたとしても、大局に影響がなく、光武帝の徳には何の加算もされず、
ただ単に光武帝が英雄という印象のためだけの記述であり、大きく信憑性を損ねている。
(一歩間違えれば、光武帝がアホの子って印象を与えることになりかねんw)
『搏戰』であれば、親衛隊を率いて戦った程度と解釈できるが、
一武将が行うことと、有利な状況で皇帝が行うことでは意味が違いすぎる。
そんなことがあり得るか以前に、昆陽の戦いの兵力と合わせて、范ヨウの歴史記述の姿勢が問われるところだろう。

基本的に范ヨウの歴史記述姿勢は、現代ならものすごく叩かれてただろう

9
前スレの964[]   投稿日:2012/12/26 21:49:29  ID:nXMLdDNP0.n(4)
結局、光武帝が、劉邦や李世民に比べ地味な印象があるというのは、真実がどこにあるかは置いて、
『欠点がちゃんと記載されている方が、正史としての評価はともかく、皇帝の実績評価としては信用できる』
ってのがあるんじゃないねーの。

後漢って、やっぱり統一王朝としては微妙だし。

10
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2012/12/26 23:08:21  ID:zNulXbHF0.n
ここは後漢スレだが、隋書はすぐに作ったこともあり
文帝や煬帝を必要以上に叩いている。
李淵と煬帝が親戚で、裏切り行為の正当性のためもあるだろう。
晋書にいたっては、すでに評判の良い晋書があるにもかかわらず
李世民の命令で作られ、成立がその晩年かつ、司馬イ、司馬炎のところを一部太宗本人が
書いたということもある。おまけに成立年代も後漢書以上に離れている。
さらに、李世民の後継のこともあり、劉玄以上に司馬炎や息子の恵帝を悪く書いている。

それに比べれば政治的偏向の少なさとみても、後漢書はましだとはいえるだろう。あくまでマシであって、偏向が無いわけではないのはもちろんだと思う。
コメント2件

11
前スレの964[sage]   投稿日:2012/12/27 00:08:22  ID:w9ZAL3n/0.n
>10
「政治的偏向の少なさとみても、後漢書がマシ」だという論拠の
「隋書が文帝や煬帝を必要以上に叩いている」という根拠は?
李淵は隋に仕え、唐は隋から禅譲を受けているのだから、晋の魏に対する立場と同じ
後漢が新や劉玄に対するものとは違う。ある程度は持ち上げる必要もある
誉め言葉と悪口を全て載せただけではないか? 煬帝ですら、美点も書いてある。
記憶に間違いがなければ、隋書に煬帝の文帝殺しは採用されていない。これも一つの反論になるのでは?

晋書については初耳なことが多いが、編集姿勢が問題であり、
成立年代が離れていることが、政治的偏向の度合いに関係するのがよく分からない。
李世民が一部書いたことは聞いたことがあるが、司馬炎や恵帝を悪く書いたという根拠は?

中文の論文や、正史・歴史論などから類推した自説でもよいので、ソースを教えてもらいたい。
コメント1件

12
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2012/12/27 01:00:30  ID:iVusVpTe0.n
>11
晋書については、六朝政治史の研究 安田二郎 西晋朝初期政治史試論 西晋武帝好色
有名なガマガエルの件とかな。

文帝殺しについては、そもそも後の小説によるところなので反論になっていない。
コメント1件

13
前スレの964[sage]   投稿日:2012/12/29 17:35:15  ID:R3nkCrWU0.n(2)
>文帝殺しについては、そもそも後の小説によるところなので反論になっていない。

おかしなことを言う。
宮崎市定先生が、「依った原典を明らかにすることはできないが」という注意付で資治通鑑が引いた文帝殺しが記載された二書をあげて、
隋書の列伝で散見される文帝殺しをほのめかす記事の出典があるだろうことを述べているのだぞ。
基本的に隋書の文帝や煬帝の本記ではそのことを採用してはいないが、「後の」小説とはどういうことか。

それに、自分の質問の本義は、
唐は隋をある程度持ち上げる必要があり、後漢に新や劉玄を持ち上げる必要はなく、
その状況で、傅玄、劉知幾、山田勝芳先生から粉飾や偏向を批判される状況で、
なぜ、「政治的偏向の少なさをみても、後漢書がマシ」だと言えるのか?
ということと、「隋書が文帝や煬帝を必要以上に叩いている」という根拠を聞いている。
小説に毛が生えたものであれ出典が存在し、煬帝が文帝を殺したことにすれば双方を相当に貶められるのに、
しなかったのはそうではない可能性の高さを示唆しているのだが。

14
前スレの964[sage]   投稿日:2012/12/29 17:38:13  ID:R3nkCrWU0.n(2)
それなら、後漢書はなぜ、『素懦弱,羞愧流汗,舉手不能言』を採用したのだ。
『素懦弱』の一文がなければよかったのだが、劉玄は乱暴や暴虐ではあっても、そんな描写はない。
ただ、劉玄を貶めたいとしか思えない記述だ。

西晋武帝好色や蛙の件は信憑性はともかく、正史の論調としては「武帝は怠惰で奢侈」、
「恵帝はある意味実直だが、暗愚」って面を強調したいのだから、矛盾はない。
その掲載を完全否定したら、正史の人物描写の意味はなくなる。

その上で、煬帝は文帝殺しの噂があったことを否定しないが、基本的に採用しないと隋書は言っている。
後漢書より隋書の方が政治的偏向に関していえば、はるかに良心的に思える。

六朝政治史の研究や西晋朝初期政治史試論については、読んではおらず、
現時点では晋書との比較議論は論じることはできないので、とりあえず保留。

15
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2012/12/29 23:12:25  ID:aul1tmHa0.n
偏向云々だったら、作られた当時から評判悪かった魏書はどうなるんだろうか?
島夷 劉裕伝とかタイトルから偏向が滲み出ているわけだが・・・
コメント1件

16
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2012/12/29 23:56:34  ID:1HKP8OsG0.n
まーた長文か、うんざりだ
コメント1件

17
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/01/05 17:33:30  ID:Sk6ZNeOU0.n(2)
【中国史】やる夫と後漢初頭を生きるようでス。 24膳目
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1357052011/
やる夫が王莽になるようです その三
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1356871028/

最高おすすめ

18
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/01/05 17:38:05  ID:Sk6ZNeOU0.n(2)
やる実が、後宮の女史になったようでス。【18禁】6夜
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1350215455/

19
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/01/05 19:46:14  ID:KBiwV7p10.n
やる夫の話は別のとこでしてほしいわ
「中国史系のやる夫」を語るみたいなスレを立てたらいいんじゃない?

20
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/01/06 00:46:06  ID:rUgn4cEb0.n
黒歴史でオワコンの宣伝乙
ウザいからいい加減にしろ

21
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/01/07 16:10:04  ID:DW5YsRz+0.n
やる夫嫌いだから貼り付けんな
歴史を侮辱していて反吐が出る

22
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/01/08 02:29:19  ID:9cuWaN+t0.n
そいつは前スレから定期的に出没してはステマしてくるからスルーが吉
超過疎で誰も話題にしてくれないからって必死すぎ

23
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/01/10 01:58:52  ID:m6LOHhpU0.n(2)
>3の『東漢光武帝劉秀大伝』が李広や関羽の話に続けて引用した葉適『習学記言』
http://i.imgur.com/cmeqh.png
「光武の主従は統率が取れており、ただ彭寵・ホウ萌・鄧奉が叛いたが(鄧奉の乱は)賈復が収拾した、
臣下が功名を誇らず、爵位は高望みせず、献身し家では倹約に勤めるというのは高祖の時にはないことだった、
光武の材は諸将に過ぎて気を以ってこれを柔らげ、高祖の才は諸将に及ばずして気を以ってこれを圧した、
高祖は韓信・彭越・英布に軽んじられていたが光武は必ずしも臣下には軽んじられなかった」と
軍事の話に限らず君臣の秩序を論じてる
確かに「材」とか「才」には軍事の才能も含まれてるんだろうけど
『劉秀大伝』が「光武の材、諸将に過ぐ」の部分だけ切り取って単に光武帝の将才が諸将に優越してたことの根拠にするのは
光武帝を称賛しようとしてかえって葉適の意見を矮小化してるようにもみえる

また『習学記言』の「石勒ごときが不用意なことを言ったとしても光武の偉大さは損なわれない、
いわんや石勒の言はもともと的外れであって後人が往々にしてこの誤りを受け入れているのは疎略である」と
石勒の例の「高祖には臣従して功を競おう、光武となら勝負しよう」云々に言及した箇所は
むしろ高祖が光武帝に優越してたという議論が後世においてそれなりに受け入れられてたことをうかがわせるものでもある

さらには例えば鶴間和幸氏は、范曄が後漢を四夷を従える中華王朝として描いたのは南朝の民族意識を映したものと指摘してる
そうすると『後漢書』の光武帝像は漢民族が民族的危機に瀕した時に戴くアイコンになりえたのであって
梁の元帝・南宋の葉適・清初の王夫之らが光武帝を称揚したのはその例として説明できるし
『劉秀大伝』が葉適や王夫之の議論の背景を考慮せず「『習学記言』や『読通鑑論』にある通り光武帝は凄い」と主張するのは
歴史学者の仕事としては脇が甘いと思う

その他『劉秀大伝』が、光武帝が馬援に策を授ける時に米で作った地形のジオラマが
今の「軍用沙盤」(http://i.imgur.com/v3hNy.pngこういうやつ)に相当するということとか
呉漢の様子を探らせて「呉公は一敵国の如し」と嘆じたこととか
(呉漢の逸話なのに呉漢が出撃の準備を整えてたことがなぜか省略されてる)を根拠に
光武帝の将才が諸将に優越してるというのは、およそ学者の主張にみえない上に光武帝が好きな読者でも白けてしまうんじゃないか

24
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/01/10 02:33:20  ID:m6LOHhpU0.n(2)
賈復が鄧奉の乱を収めたというのも何か違う気がするな

25
前スレの964[]   投稿日:2013/01/16 23:29:50  ID:Z5je8eEx0.n
遅レスだが
>12
結局のところ、反論も根拠もなしか。
大した論拠もなく、後漢書が隋書より(新唐書はどうなった?)マシなのは「確か」と断言したり、
宮崎市定先生の論文のことを知らずに隋書を語るのはまだしもとして、
ろくに確認もせずに他人の論説を「反論になっていない」と決めつけたり、
その宣言だけで自分の断言した論説の根拠説明がなかったり、本当におかしな御仁だな。
一点が間違えた(と思った)ら、論説全てを否定するやり方は、光武帝ファンでもマンセーでもないという長文君と全く同じだ。
ついでに、>16のようなのは、光武帝ファンでもマンセーでもないという長文君がどれだけ長文書いてもでてこなかったのな。
どれが同一人物か別にして、やはり、ただの荒らしか。

>15
なんか、評判最悪らしいな。
でも、「北史』があるから、北斉と唐で立場が違うから、政治的偏向に関しては、多少は補正できるんじゃないか? 
はじめから分かっているなら、ある程度は排除できる。
後漢書は文章と矛盾の解消で評判がいいだけで、政治的偏向がひどいと評判の東観漢記をさらに助長しているからな。
范ヨウとしては単に面白いと思ったか、とりあえず記載しておこうという感覚だったかもしれないが、
取捨選択ができていない時点で、現代感覚では、むしろまずいわな。

曹魏に関しては、後漢書を批判する人が多いのに、光武帝に関しては無条件に信じ込む人が多いのが理解できない。

26
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/01/17 00:07:36  ID:iJLOsRLe0.n
遅レスの上に長文かよ
いつまで粘着してんだか

27
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/01/18 19:38:20  ID:R0VdHekZ0.n
何でそんなに必死なんだろうね
哀れに思えてくる

28
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/01/18 21:20:28  ID:bsTCE0sS0.n
ほんとにな
こんな死んだスレで

29
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/01/24 01:37:56  ID:Mei5xXdD0.n(2)
いくつかある諸葛亮の文集のうち張溥編、諸葛羲編、厳可均編、『続集四庫全書』所収の張燮編と闕名編との2種、張ジュ編の
6つを見たけど、『金楼子』立言篇の文章を「論光武」と呼んで諸葛亮の文章として収めてるのは張ジュのものだけだった

これらの文集は偽作説が唱えられてる後出師表も収録する一方で、『金楼子』を載せるのは張ジュだけ
張ジュ以外の編者は『金楼子』が諸葛亮に偽託された可能性は後出師表より高いと判断したということだろうし
諸葛亮の子孫だという諸葛羲は、偽作であることがほぼ確定してる便宜十六策などの兵法書も載せる一方で『金楼子』は載せてない
諸葛羲にとって『金楼子』の文章はご先祖様のものとはどうしても認め難かったということだろう

『隋書』経籍志や『新唐書』芸文志で諸葛亮の著作とされてる『論前漢事』について、張ジュ『諸葛忠武侯文集』目録は
「『論前漢事』は陳寿『諸葛氏集』の雑言篇に入るべきもの」といい、「『論前漢事』のうち「論光武」一篇が現存している」ともいう
これは張ジュが『金楼子』の文章を諸葛亮のものとして採録した(現在知る限り)唯一の根拠らしきもの
実在を確認できないし張ジュも参照してないはずの『論前漢事』に「論光武」が入ってたと言われても信じようがない
ちなみに張ジュの編集方針は、諸葛亮の子に諸葛懐や諸葛果がいたとかの俗説も採り上げたりしてて
諸葛亮に関連するものは真偽不明であってもとりあえず載せておくというものにみえる

『金楼子』と『芸文類聚』や『太平御覧』とで文面に甚だしい齟齬がある上に、同じ『金楼子』の中でも文面がズレてて
さらに『金楼子』の元ネタを諸葛亮の文章と認めた例が歴史上ほとんどないし張ジュの論拠も薄弱なことからすれば
いわゆる「論光武」を諸葛亮の文章とするのはもう無理じゃないかと思う
コメント1件

30
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/01/24 01:43:43  ID:Mei5xXdD0.n(2)
『論前漢事』との関連で張ジュのいう「論光武」に間接的に言及した姚振宗『三国芸文志』
http://i.imgur.com/ZMgkN9j.png
姚振宗は張ジュの見解を引いた上で、「出師表の『先帝は臣と後漢の衰微を論じるたび
桓帝・霊帝の頃のことを嘆いておられました』というくだりが『論前漢事』の主旨に近いらしい」という
張ジュも姚振宗も散佚した『論前漢事』を参照し得ず、その内容については推測する他なかったはずなのに
なぜか張ジュは断定的に論じてる

それに「論光武」が『論前漢事』中の一篇だというためには、『論前漢事』の「前漢」が今でいう「後漢」を含むことが前提として必要になる
楊戲が『季漢輔臣贊』で「中漢の末」という言葉を使ってることからすれば、
諸葛亮ら蜀漢の人々が自分たちの属する「季漢」の「前」の「漢」として、今でいう「前漢」「後漢」をまとめて認識してたとはいえるだろうけど
仮に『論前漢事』が今日「後漢」とよばれる王朝に言及していたとしても、それは姚振宗の推測が正しかったというだけのことで
「論光武」が『論前漢事』中の一篇であることの根拠としては全然足りてない

31
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/01/24 21:45:07  ID:R6odry3x0.n
見れないよ 403 - Forbidden だってさ
コメント1件

32
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/01/25 20:31:45  ID:LEVFTyM80.n(2)
>いわゆる「論光武」を諸葛亮の文章とするのはもう無理じゃないかと思う

これについては、俺もそう思う。

諸葛亮の文で一番信憑性がある「出師の表」ではこう論じられている。

>親賢臣遠小人、此先漢所以興隆也。
>親小人遠賢臣、此後漢所以傾頽也。

前漢は興隆し、後漢は傾頽したと見なしている。
諸葛亮の見解は後漢に余りにも厳しい。
前漢は劉邦の時に滅びかけたが、「親賢臣遠小人」ので武帝の時のように興隆したとするか?
後漢は光武帝の時に隆盛したが、「親小人遠賢臣」のでその後衰退続けたとするか?

それにしても、光武帝を劉邦よりあれほど評価したとしたら、普通に後漢に否定的なその表現はないだろう。

>親賢臣遠小人、此両漢所以興隆也。
>親小人遠賢臣、此両漢所以傾頽也。

こうすればよいだけ。
光武帝の知性をあれほど讃えておいて、光武帝の徳に関わる子孫の統治が悪かったとしたら、
余りにも同一人物の見解として矛盾感が激しすぎる。

あなたの確認が間違いないのなら、やはり内容や文体などに問題があると見るのが妥当だと思う。

現在の情報からは、「論光武」は諸葛亮ではなく、
南朝梁時代における光武帝観の一つと見るべきと思う。
コメント1件

33
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/01/25 20:35:33  ID:LEVFTyM80.n(2)
おっと、
>32は、>29-30へのレスな

34
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/01/26 00:13:05  ID:78gNnVO90.n
>31
i.imgur.com/ZMgkN9j.png
をブラウザのアドレスバーに貼ってどうぞ

35
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/04 01:10:18  ID:tZw+ZpBc0.n
まーだ無駄な努力続けてんのか長文粘着
懲りない野郎だw
コメント1件

36
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/06 07:36:24  ID:ishB2ydH0.n
勉強になって面白いな

37
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/06 23:28:13  ID:BQ2/ryg20.n
>35
不快なレスは、根拠をねつ造して、あおりまくり
論理で勝てない時は、単文で荒らしか
光武帝信者ってほんとにカルト宗教みてえ

かまって欲しいんならageた方がいいぞ
暇が腐るほどあっても、動画もやる夫も読書もできない脳無しにできることはそれぐらいだろうしな

38
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/02/14 19:19:13  ID:ojLKiNAF0.n
【中国史】やる夫と後漢初頭を生きるようでス。 25膳目
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1359804498/
やる実が、後宮の女史になったようでス。【18禁】6夜
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/12973/1350215455/

きちんと見ろよ

39
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/02/14 23:56:23  ID:pgJ63F8B0.n
ニコ動でやる夫の光武帝の紙芝居ageている人って死んだの?
1年位止まってるんだけど

40
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/02/15 06:06:53  ID:6z+JVW2I0.n
単に面倒で飽きて終わっただけだろ

41
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/15 23:28:56  ID:3s7AlffV0.n
光武帝カルトは、こんなところでレスしていないで、続きつくればいいだけなんだがな
まあ、動画は捏造とカラカラの脳みそじゃ作るのは、さすがに無理かw

42
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/17 23:59:40  ID:KJjMEluO0.n
何言ってんだお前
こんなスレいらんだろ

43
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/19 05:01:59  ID:ITZf63D30.n
>>前スレの964氏
君が論争していた相手とは別人で、正直違う時代の史書同士の信憑性論争なんていう七面倒くさいことには関わりたくないと思ったし、
「隋唐との比較に限れば」大手をふって信憑性があるとは言い難いのは事実だと思っていたので口を挟まなかったけど。
君が『東観漢記』やこの時代全般の記述といった余計な部分の信憑性にまで余計な攻撃を向け始めたようだから少々突っ込むわ。

>あの批判が強い東観漢記ですら
>政治的偏向がひどいと評判の東観漢記
ここの根拠が『史通』覈才だとすると、あれの『東観漢記』に関する文章の締めが、
「時代的制約はこんなに昔「から」あったんだ!」という意味合いの文章だから、
そこを政治的偏向の酷さとして強調しちゃうとナチュラルに劉知幾の生きた唐も巻き込まれるような気がするんだが。
あと、傅玄の発言そのものについては、傅玄が生きた時代が讖緯が時代遅れとして攻撃された西晋だから、新漢代の時代的特質から考えて割り引いて見るべきだと思うよ。
現代の一時期、『東観漢記』の史料的価値が『後漢書』より高かったのは、実際この発言はそこまで重く見られなかったからじゃないかな。

>わざわざ後漢の史官がおもねって記載した可能性の高い描写
>史通で「後漢の史官が筆を曲げ、後漢王朝におもねり、独り光武の美を成した」とまで評したのは、
史通のこれは『後漢書』劉玄伝についての、『東観漢記』にはない記述の話だよね?
後漢の史官は全く関係ないと思うんだけど。

>さらに、五銖銭の復活は劉玄の所行と『貨幣の中国古代史』で信憑性が高い研究がなされ、
>捏造が少ないはずの漢書や後漢書でこれを黙殺し、光武帝を復活していることになっている事実が、
これについては政権の現状と絡んだ特筆性がなければ記されないのも仕方ないんじゃない?
劉玄が敗死した事件を乗り越えて継続性のある改鋳であったならまだわかるけど。
記さなかったことの一事をもって全体的な捏造の可能性にまで言及するのは些か行きすぎだと思うよ。

>ただ単に光武帝が英雄という印象のためだけの記述であり、大きく信憑性を損ねている。
大局に関連のない英雄性の上積みはどの史書も行っているように思うけど。
そういったこと消えてるのは『三国志』の記述くらいしか思い当たらない。
例えば劉邦の竜殺し逸話は必要かとか、玄武門の変の物語的部分であるとかを見ても、
殊更『後漢書』の信憑性に疑いを向ける理由にはならないように思うよ。

こういう些末な部分まで持ち出して、後漢絡みの記述全般に徹底的に叩こうとするのは流石にどうなのか。
やり込めようとしすぎることで信用を損ねているんじゃないかと思うんだけど。
コメント1件

44
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/19 23:54:20  ID:TSPT7tex0.n
ツイッターで「光武帝」を検索したら、志賀島金印の「漢委奴国王」は匈奴王のことだと解釈して
九州に匈奴がいたと前田敦子に力説してるアカウントがいた

45
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/02/20 00:53:06  ID:HIf/UiA00.n
光武帝なんて所詮敵が雑魚ばっかりだったから天下を統一できたにすぎないと言ってみる
コメント2件

46
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/21 22:08:22  ID:up8OFPnM0.n
じゃあまずこのスレの雑魚を倒してみろ。

47
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/22 01:23:45  ID:qYg32T3b0.n(2)
アンチ必死だよな
無理やり難点を見つけようとしているw

48
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/22 19:14:52  ID:seEKF3kS0.n
>45程度の論理で無理矢理な難点を見つけられているつもりになれるのか、光武帝カルトはw
どれほど脳みそが空なら、ここまで狂信できるのか

後漢書マシは確実くんの敗北と逃亡については、コメントないのはなぜかね?
そんなことも理解できないぐらい、頭が悪くて、人生負け続けだから光武帝マンセーを叫ぶんだろうね

笑えるw

49
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/22 19:51:32  ID:qYg32T3b0.n(2)
もはや言ってることが支離滅裂だな
一人で何顔真っ赤にしてんだ?

50
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/02/23 08:12:10  ID:UXblmG2J0.n
>45
確かに、後漢書を信じれば何もしていないのに内政に失敗したり、勝手に内紛したり、略奪して飢える連中ばかりだからな
しかも、前王朝の名を借り、漢中興の流れにのって、領土は統一帝国にしては狭く基盤は弱いし、

こんな連中に勝って、若くして天下統一とか、史上最高の名君とか叫ばれてもなあ
なんか、寒いだけ
天下統一に失敗した他の時代の君主(曹操とかフ堅とか)は、
敵がこんなのばかりだったら、俺にも統一できたのにと思ったと思うよ
マジで

51
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/23 14:16:29  ID:E2pq/dy70.n
健全でない言葉が含まれているため表示しません 内容を確認する
コメント1件

52
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/23 17:13:05  ID:G171+/YO0.n
光武帝と曹操に関しては気の毒に思うくらいよくわからん粘着居るからな
2chではもう語れない領域

53
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/23 18:04:23  ID:Jv57DyF00.n
語らなきゃいいじゃん
他でやればいい
コメント1件

54
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/23 20:34:13  ID:U88K0vaL0.n(10)
おまえらいいかげん水かけ論はやめろ

『後漢書』は曲筆されている?
いやいやマシなほう?

論ずるなら具体例をあげて論じろよ
コメント1件

55
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/23 20:35:44  ID:U88K0vaL0.n(10)
で、これだけ言ったのでは煽り認定確実なので
具体例をあげて論じてゆくわ

例にあげるのは『東観漢記』と『後漢書』だ

『東観漢記』は光武帝について書かれた歴史書のうち
現存する最古のものだ

これと『後漢書』とを比較して、
もし後者が前者よりも光武帝よりの書きかたをしていたら
すくなくとも

「范曄は『東観漢記』以上に後漢朝にへつらい曲筆している」

と言えるわけだ

56
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/23 20:36:24  ID:U88K0vaL0.n(10)
ではまず光武帝がオヤジの赴任地の済陽でうまれたところ


『東観漢記』世祖光武皇帝

皇考初為濟陽令,濟陽有武帝行過宮,常封閉。上將生,皇考以令舍下濕,開宮後殿居之。
建平元年十二月甲子夜上生時,有赤光,室中盡明。
皇考異之,使卜者王長卜之。長曰:「此善事不可言。」
是歲嘉禾生,一莖九穗,大於凡禾,縣界大豐熟,因名上曰秀。
是歲鳳皇來集濟陽,故宮皆畫鳳凰。聖瑞萌兆,始形於此。


『後漢書』光武帝紀

論曰:皇考南頓君初為濟陽令,以建平元年十二月甲子夜生光武於縣舍,有赤光照室中。
欽異焉,使卜者王長占之。長辟左右曰:「此兆吉不可言。」
是歲縣界有嘉禾生,一莖九穗,因名光武曰秀。
コメント1件

57
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/23 20:37:42  ID:U88K0vaL0.n(10)
『東観漢記』も『後漢書』も、
光武帝がうまれたとき、へやが赤光にみちあふれたとか、
うらない師のゴマすりとか、
嘉禾がみのったのにちなんで秀と名づけられたとか、
おもしろうさんくさい話がいろいろ書かれている

というか、うまれたときにへやが赤光にみちあふれたといっても、
大陸では今でもバカの代名詞の阿斗がうまれたときだってそうだったんだから、
たいしてありがたみがあるとも思えんのだが

とりあえず、光武帝がうまれたところの書きぶりは、
『東観漢記』も『後漢書』も
光武帝に対しておべんちゃらを言っているわけだが、
県舎ではなく武帝の行在所でうまれたとか鳳凰がやってきたとか、
『東観漢記』のほうが『後漢書』よりも
へつらいぐあいがはげしいと言える

58
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/23 20:38:27  ID:U88K0vaL0.n(10)
つぎに光武帝のオヤジが済陽から南頓に異動になってからのこと


『東観漢記』張況伝

張況
況遷涿郡太守,時年八十,不任兵馬,上疏乞身,詔許之。
後詔問起居何如,子歆對曰:「如故」詔曰:「家人居不足贍,且以一縣自養」
復以況為常山關長。會赤眉攻關城,況出戰死,上甚哀之。


『後漢書』張禹伝

張禹字伯達,趙國襄國人也。
祖父況族姊為皇祖考夫人,數往來南頓,見光武。
光武為大司馬,過邯鄲,況為郡吏,謁見光武。光武大喜,曰:「乃今得我大舅乎!」
因與俱北,到高邑,以為元氏令。遷涿郡太守。
後為常山關長。會赤眉攻關城,況戰歿。

59
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/23 20:39:31  ID:U88K0vaL0.n(10)
張況ってのは光武帝の父方の祖母の親戚だ

光武帝の父が南頓の県令をしていたとき、
しばしばやってきたんだな
たぶん光武帝が子どものころ、かわいがってもらったんだろ

で、光武帝が
更始帝のパシリで河北を撫順しにいったとき、
張況のところへ立ちよって仲間にひきいれた

張況は県令太守を歴任し、
老いて辞任したのだが
「家人居不足贍,且以一縣自養」
(意訳:キミの家族ビンボーだから、もういっぺん県長になって稼ぎなよ)
と光武帝に言われて関県の県長になり、
そこで赤眉軍とぶつかって戦死したわけだ

60
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/23 20:40:26  ID:U88K0vaL0.n(10)
県長といえば秩三百石から五百石までの卑官だ
諫大夫とか光禄大夫とか、
もっと給料のいいポストはいくらでもある

ではなぜそんな官に任命したかというと、
そりゃいうまでもなく「ワイロをとってお金持になりなよ」と
言外ににおわしているわけだ

支那の地方官の実入りのいいのは常識で、
県令を三年つとめれば
一家が生涯食うに困らぬだけのたくわえができる

それはみんながやっていることであり、
いちいち目くじらを立てることではないし
光武帝ひとりを弾劾するのも当を失している

しかしまあ不法行為にはちがいない
コメント1件

61
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/23 20:42:54  ID:U88K0vaL0.n(10)
で、『東観漢記』で
「家人居不足贍,且以一縣自養」
とあるのを、
『後漢書』では黙殺している

張況伝の比較においては
『後漢書』は『東観漢記』よりもずっと
光武帝につごうのいい書きかたをしているわけだ

62
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/23 22:59:09  ID:U88K0vaL0.n(10)
光武帝のオヤジが死んでオジサンにひきとられた前後のこと


『東観漢記』世祖光武皇帝

上為人隆準,日角,大口,美鬚眉,長七尺三寸。
在舂陵時,望氣者蘇伯阿望舂陵城曰:「美哉!王氣鬱鬱蔥蔥。」
仁智明遠,多權略,樂施愛人。
在家重慎畏事,勤於稼穡。兄伯升好俠,非笑上事田作,比之高祖兄。
年九歲而南頓君卒,隨其叔父在蕭,入小學。


『後漢書』光武帝紀

光武年九歲而孤,養於叔父良。
身長七尺三寸,美須眉,大口,隆準,日角。
性勤於稼穡,而兄伯升好俠養士,常非笑光武事田業,比之高祖兄仲。
コメント1件

63
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/23 23:06:08  ID:U88K0vaL0.n(10)
だいたいにたようなことが書かれているけれど、
『東観漢記』のほうが『後漢書』よりもくわしくて、
美化のぐあいもはなはだしい

ここらへんは『東観漢記』のほうが光武帝よりの書きかたをしている

64
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/24 02:54:03  ID:Ip0g2fSh0.n(3)
中々楽しそうなこと始めてるじゃないの。
でもちょっと、本題から離れた解釈部分に某三国志サイトみたいに変な飛躍をしている場所があるのである程度突っ込み入れるわ。

>60
>第一段落〜第二段落
がちょっと飛躍が大きい。

>復以況為常山關長。會赤眉攻關城,況出戰死,上甚哀之。
にあるように、記述の時制はおよそ常山近隣に赤眉(ないし河北農民叛乱軍)存在時であることがわかるが、
「光禄大夫などの官に付ける事も出来るのに」という類推はまず光武政権にそういった恩義結合している相手に俸禄を与えて回る余剰が
光武政権の安定前にあることが前提に成り立っており、しかもその証明がなされていない。
更に、赤眉(ないし河北農民叛乱軍)が存在し敗死の危険のある場所から搾取出来ることを前提に論理を立てるのは支離滅裂。

第三にそもそも詔を出して半ば横紙破りになることを顧みず禄を与えたいだけなら、報恩を大義名分に食邑でも与えればいいこと。
もし「賄賂を得よ」と暗に言っているという推測が正しかったとして、王丹のように反新であったとはいえ王莽の親族に実際に食邑与えている例もあるのに何故張況には与えないのか。

何故張況には積極的に横紙破りを許すのに、劉良の要求を許すことには消極的だったのか。
劉秀は儒者の端くれであるし、劉良の死を理由に赦された李子春の例を見れば分かるように
大義名分をおろそかにした例は少ないが、この例だけはおろそかにしていたという根拠は一体何か。

単純に赤眉(などの農民叛乱)の活動が収まってない時期の光武政権では、与える食邑や余剰の俸禄もなかったから働いて得ろと言ったと解釈する方が合理的だろうし。
『後漢書』の記述態度も、台詞の削除で字数を削ったか(渡邊義浩先生の全訳後漢書の冒頭にもあるように、後漢書がかかれた時代は字数が少ない方が優れているとされた)
或いは曲筆であったとして、政権の余裕の無さを描きたくなかったと見る方が合理的だろう。

無闇に個別に卑しい方向に勘ぐると、色んなところと矛盾きたすよ。

>56-57
>62-63
には取り立てて異論がないが、強いてまとめるなら
・『東観漢記』は主に瑞祥マシマシ
・『後漢書』はその点はバッサリカット
ってなことになりそうだね。
コメント1件

65
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/24 03:09:32  ID:Ip0g2fSh0.n(3)
すまない、王丹絡みは記憶違いしてたんで撤回

66
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/24 03:26:05  ID:Ip0g2fSh0.n(3)
恩義結合自体が流し読みで読み間違いしてるね。
すまん。

ただ、遠縁だから恩義結合よりも余計食邑与えないことの理由が意味不明になるけど。

67
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/24 12:48:20  ID:JvzId09L0.n(10)
>64
>単純に赤眉(などの農民叛乱)の活動が収まってない時期の光武政権では、与える食邑や余剰の俸禄もなかったから働いて得ろと言ったと解釈する方が合理的だろうし。
この点についてはまったくの同感。
張況を列侯に封じなかったのは、血縁がはなれすぎているから&「功なくんば侯たりえず」だからか?
『漢書』外戚恩沢侯表を見るに、外戚だからといって無制限に侯になれるわけではなさそう。

『後漢書』で瑞祥を無視しがちなのは范曄が無神論者だったからか。

68
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/24 13:31:03  ID:JvzId09L0.n(10)
常安(漢の長安)でのあれこれ


『東観漢記』世祖光武皇帝

後之長安,受尚書於中大夫廬江許子威。
資用乏,與同舍生韓子合錢買驢,令從者僦,以給諸公費。
大義略舉,因學世事。


『後漢書』光武帝紀

王莽天鳳中,乃之長安,受尚書,略通大義。

69
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/24 13:49:16  ID:JvzId09L0.n(10)
こっちも『東観漢記』のほうがくわしい

おなじ宿舎の韓子と金を出しあってロバを買い、
運送業をやったことが
『後漢書』に書かれていないのは、
光武帝サマが商人のまねごとをしたのを黙殺したからだろう

70
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/24 13:53:53  ID:ugZBvJzD0.n
・今文尚書や緯書『尚書中侯』を根拠とする武王白魚の応は東観漢記にはない(少なくとも現行の輯本にはない)
・東観は古文派が強かった上に讖緯に批判的な尹敏らがいた
・緯学が下火になった(むしろ弾圧の対象ともなった)南朝にあって范曄はあえて瑞兆を書き留めた
・范曄を「無神論者」と評価するのはおそらく新中国の唯物史観独自の見解
コメント1件

71
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/24 14:39:34  ID:JvzId09L0.n(10)
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72
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/24 14:56:00  ID:JvzId09L0.n(10)
『東観漢記』を読むかぎり、
光武帝もわかいころはヤクザみたいな生活をおくり、
闘鶏や競馬が好きだったと書かれている

この部分を『後漢書』が完全に黙殺しているのは、
これまた光武帝聖天子伝説にとって
えらくつごうの悪い部分だったからだろう

73
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/24 15:07:09  ID:JvzId09L0.n(10)
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74
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/24 15:21:37  ID:JvzId09L0.n(10)
常安(漢の長安)でのあれこれ、つづき(というか朱祐とのエピソード)


『東観漢記』朱祐伝

光武嘗與朱福共車而出,過候司隸陳崇。崇,南陽人也,與上通家。
福持車在外,以為上當自達道,今崇請之,上不說,辭出就車,崇大笑,曰:「獨我當相見,念卿不復,故不道也」
常戲狎之如是,福愈恭慎自附。

上在長安時,嘗與祜共買蜜合藥。上追念之,賜祜白蜜一石,問:「何如在長安時共買蜜乎?」其親厚如此。

初,光武學長安時,過朱祜,祜嘗留上,須講竟,乃談話。
及帝登位,車駕幸祜第,上謂祜曰:「主人得無去我講乎?」祜曰:「不敢」


『後漢書』朱祐伝

祐初學長安,帝往候之,祐不時相勞苦,而先升講舍。
後車駕幸其第,帝因笑曰;「主人得無捨我講乎?」以有舊恩,數蒙賞賚。

75
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/24 16:05:21  ID:JvzId09L0.n(10)
朱祐は光武帝のとおい親戚でおさななじみだから、
いっしょに常安に留学したときのエピソードがたくさんある

『後漢書』にあるエピソードは
『東観漢記』の最後のやつとおなじ話

ふたりでカネを出しあって蜜を買ったという
『東観漢記』のエピソードも、
ほほえましく罪のない話である

問題は『東観漢記』のほうの最初のエピソード

76
チョイバルサン ◆z7JZ6l9M3jjA [sage]   投稿日:2013/02/24 18:20:27  ID:veqLw0rQ0.n
この時代は日本だと人気ないね

77
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/24 18:38:39  ID:JvzId09L0.n(10)
司隸(ただしくは五威司命)の陳崇は王莽の懐刀で、
王莽の政敵を弾劾し失脚させていった人物である

そんな人物と光武帝とが通家(代々つきあいのある家どうし)の関係にあるなんて、
無視できるものなら無視したい話である

で、『後漢書』は無視した

言うまでもなく曲筆だね

78
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/24 21:17:29  ID:JvzId09L0.n(10)
これは『東観漢記』でなくて『漢書』の話になるのだが、
王莽のおじで不行跡のはなはだしかった紅陽侯王立という人物が、
南陽の領国について諸劉氏と結恩し、
その末子の王丹が後漢初の動乱で戦死すると
光武帝はその子の王泓をわざわざ列侯に封じてやったという

『漢書』外戚恩沢侯表には
「武桓侯泓,建武元年以父丹為將軍戰死,往與上有舊,侯」
とあるから王泓は光武帝の古いなじみだったわけだ

そしてやっぱり『後漢書』ではそんなことは無視されている

光武帝について書かれた本で、
紅陽侯家についてふれていないものは
眉にツバつけて読むことにしているのだが、
それは『後漢書』も例外ではない
コメント2件

79
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/24 21:51:19  ID:WJ5EiBBt0.n
>51-52
まーた、カルトか
どれもこれも土曜日も暇でお気楽な身分で結構だなw
そんなにカルトって土曜日も暇な奴らが多いのか
光武帝と曹操って特定しているってなんなの? 李世民と劉備は言及しない時点でバレバレ
どっちも同じマンセーして、他をディスって批判を呼び込んでいるだけなんだけどw
頭、悪すぎてもうおぼえてないのかな、被害妄想だけを原動力に生きているだろうからw

>53の言うとおり、どうせ光武帝と二十八将のマンセーしかできない奴に用事なんかねえからよ
捏造信者サイトあたりで、マンセーマンセー語り合ってろ

80
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/24 23:23:12  ID:J9uFJ8cN0.n
>78
後漢書の方は明帝が、関与してたんだっけ?
王朝の開祖を神聖視するのは、どこも同じだしな。
建前上、高祖から続く王朝だから、余計そのような傾向に正史自体を持ってこうとするだろうな。
コメント1件

81
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/02/25 23:11:10  ID:C7lnYVu40.n
>78
王丹については『漢書』元后伝第六十八にも書いてある。

初,紅陽侯立就國南陽,與諸劉結恩,立少子丹為中山太守。
世祖初起,丹降為將軍,戰死。上閔之,封丹子泓為武桓侯,
至今。

王立の末子である王丹は中山太守となり、光武帝が兵を起
こした時に、降って将軍となり戦い死す。光武帝はこれを
哀れんで、丹の子の泓を武桓侯に封じた。


ということは時期的には、王郎との戦いの時に、王丹は
光武帝側についたと見るべきでしょう。中山太守が光武帝
に降って将軍になる状況は他に考えられない。光武帝は
王郎戦に勝利しますから、王丹は功臣となり、故に王泓
に封地が与えられたのではないでしょうか。

82
前スレの964[sage]   投稿日:2013/03/03 17:32:16  ID:ixhe1X7X0.n(5)
>43
そうは思えない。
まず、前提がよく分からないことがある。
そこからはっきりさせたい。

>傅玄の発言そのものについては、傅玄が生きた時代が讖緯が時代遅れとして攻撃された西晋だから
>現代の一時期、『東観漢記』の史料的価値が『後漢書』より高かった

これのソースを頼む。

ついでに、傅玄は「讖緯」に言及していない上に、讖緯とは別に劉知幾も同意している。
その上で、なぜそう思えるのか、その詳しい説明も頼む。

結論は古今にわたる曲筆の例示でも、漢書で評判の班固ですら、政治的偏向による曲筆をよぎなくされたとわざわざ特筆されていることが問題なのだが。
唐はここでは別の問題だ。
東観漢記の評判は良くない、様々な制約を免れなかったと、傅玄の言葉を肯定して、及古書院の後漢書の解題にはっきり記されている。
渡邉先生よりあなたが詳しいはずはあるまい。
コメント1件

83
前スレの964[sage]   投稿日:2013/03/03 17:34:05  ID:ixhe1X7X0.n(5)
>史通のこれは『後漢書』劉玄伝についての、『東観漢記』にはない記述の話だよね?
>後漢の史官は全く関係ないと思うんだけど。

『史通』覈才は確認したのに、『史通』曲筆は確認していないのか?
將作者曲筆阿時,獨成光武之美;諛言媚主,用雪伯升之怨也。
且中興之史,出自東觀,或明皇所定,或馬後攸刊,而炎祚靈長,簡書莫改,遂使他姓追選,空傳偽錄者矣。

まさか、ここの文章の「時」に阿り、「諛言媚」する作者が范ヨウであるはずがない。
そんなことをする必要もなく、仮にも歴史家として高い評価を受ける范ヨウが捏造しているわけがなく、必ず典拠があったろう。
この「時」に阿り、「諛言媚」する作者は後漢の歴史家に違いない。
その後の文章の明帝だの馬皇后だのが、裏付けている。
ただし、「簡書莫改,遂使他姓追選,空傳偽錄者矣」という結果になったのが、ここでの論点だ。
俺もそう書いているように、劉知幾の時代はその露骨な歴史書が残っていたかもしれないしな。

これはどう考えても勘違いするはずもない場所と思うのだが。
なぜ、そういう質問をしたのかを説明してもらわないと分からない。

84
前スレの964[sage]   投稿日:2013/03/03 17:35:58  ID:ixhe1X7X0.n(5)
>これについては政権の現状と絡んだ特筆性がなければ記されないのも仕方ないんじゃない?

これもよく分からない。なぜ、そう思うか、詳しい説明を頼む。
『貨幣の中国古代史』でも、この件について、「後漢王朝にとっては、更始政権は否定すべき存在」だの
「後漢では、王朝を正統化しようとした強い力が働いていた」とまで記されている。
山田先生は東洋史の中国古代に特に強いようであるが。
これだけの研究をされてある山田先生よりも、あなたの方が正しい、あるいは先生が間違っているというのなら、証明すべきだな。

>ただ単に光武帝が英雄という印象のためだけの記述であり、大きく信憑性を損ねている。
ただ単に他の史書と比べてどうではなく、范ヨウの採用した後漢書の信憑性が間違いなく損なわれているという事実を指摘しているだけだろ。
『違う時代の史書同士の信憑性論争なんていう七面倒くさい』ことはいやなんだろ? 俺も、ここではしていない。

85
前スレの964[sage]   投稿日:2013/03/03 17:37:20  ID:ixhe1X7X0.n(5)
>君が『東観漢記』やこの時代全般の記述といった余計な部分の信憑性にまで余計な攻撃を向け始めたよう

別にそんなことを考えていないが、そういった発想自体がな。

全体的にソースの提示もなく、反論する材料も用意できず、
自分が勝手に思いついたそれらしい理屈をのべて、自分が論拠として弱いと思うから、弱いと言い立てているとしか現時点では思えないな。

>君が論争していた相手とは別人で、正直違う時代の史書同士の信憑性論争なんていう七面倒くさいことには関わりたくないと思ったし、
>「隋唐との比較に限れば」大手をふって信憑性があるとは言い難いのは事実だと思っていたので口を挟まなかったけど。

事実を黙っていたところを開き直るところが言い訳くさい。

とりあえず、自分のいったソースの提示と詳しい説明を頼む。

86
前スレの964[]   投稿日:2013/03/03 17:39:05  ID:ixhe1X7X0.n(5)
>54
>おまえらいいかげん水かけ論はやめろ

非常にあなたの調査は興味深いし、面白いが、俺はそんなことをしているつもりはない。
史通と後漢書解題と山田先生の史料と、他の人が翻訳・調査してくれていたコン陽の兵力の話で充分だと思っていた。
でも、あなたの調査で、東観漢記と後漢書が比較がなされ、さらに補足できたことはありがたい。

范ヨウが文章を削っているのは文章の整理か、別の意図があるのか。それはよく分からないが。

87
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/03/03 22:08:33  ID:FoLbSXX00.n
そもそも范ヨウが最も参考にしたのは東観漢記かもしれんが
他の例えば、皇甫ヒツの帝王世紀や司馬ヒョウの続漢書、謝承 後漢書などの八家後漢書や後漢紀
から持ってきたらどうなるんだ?
散逸してるから確かめようがないしな・・・
コメント2件

88
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/03/04 20:22:36  ID:5WGwaaHk0.n
>87
東観漢記だけではなく、そういうところや漢書や他の史書から持ってきたから、
東観漢記にはない後漢書の記述があるんだろ。
さすがに完全な創作はないと思う。

その中で、東観漢記以上に光武帝が美化されている記述が多数採用されてあり、
後漢の史家が阿った記述の意図的な採用や、都合の悪い記述の不採用といった曲筆の疑いが濃いのが問題。

89
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/03/06 11:31:33  ID:pZQjqWJ90.n(2)
>82
43だが、概ね了解した。
多くは私の認識の方が間違っていたと思うので、改めようと思う。
ただ、少し気になったことや、改めて主張したいことは一応主張しておく。

最初に取り上げていただいた二つの引用についてのソースだが、
前者は『晋書』武帝紀、泰始三年の十二月の末尾、「禁星氣讖緯之學」から。
泰始律令の完成が泰始四年正月のことだから、恐らくその立案の議論の中で出て来たことだろう。
官から離れていたとはいえ、泰始四年に御史中丞に起用された傅玄は当然同様の思想的背景を持っているのではないかと考えた。
また『史通』に「世言漢中興史者,惟袁、范二家。」ともあるわけで、『東観漢記』と『後漢書』『後漢紀』の間に明確な相違点を探すなら、
やはり桓譚など讖緯絡みで光武に排除された人間などをしっかり(人によっては重点的に)取り上げたり、瑞祥を減らしている点だろうと考えた。
ただ直接言及してないから確実でないと言われれば、確かにそれは認めざるを得ない。

後者については『東観漢記』がよく批判もなく『後漢書』の問題点の洗い出しに用いられることから、
曖昧に肯定的に用いられていると捉えてしまっていた、これについては謝罪したい。

二レス目に関しては返す言葉もない。
更始絡みの事ばかり考えていたので確認を怠ってしまった。

ただ、改めて確認しておきたいんだけど、『史通』で『後漢書』が『東観漢記』以上に批判されている部分ってどこだっけ?
自分も以前軽く読んだ印象のまま長らく自明のこととしていて見落としていたんだけど、
よく読むと『史通』曲筆の劉玄絡みの記述は『後漢書』を『東観漢記』以上には批判してないし
見落としているかも知れないから心当たりがあれば教えて欲しい。

三レス目前段、何故そう思ったかについては、現代でも継続性のない事実については記されないこともあるため。
例えば「ガウスの消去法」については、実際は劉徽が先に発見しているが、現代の数学との間に数学史上の連続性がないため命名上は未だ無視されている。
また、中国の歴史上も、貨幣発行については当時の「正統な政権」の発行でない限り、公孫述の鉄銭のように特異でもないと記されていない事が多い。
例えば三国時代の蜀漢の貨幣は、特殊な額面の大きい貨幣(劉巴伝にある直百銭)についての発行は正史に記録されているが、
通常の五銖銭も発行されていたと見られているのにこちらは正史に記録がない。
食貨志のない『東観漢記』では意図せずして記録から漏れることもありうると判断した。

ただ確かに、曲筆の可能性が全くないとまでは断言し得ない。
あと三レス目前段後半や、一レス目末尾などの権威論証的な論法については流石に感心しない。

後段については、前スレは見ていないので経緯は分からないんだが、あなたは
>新唐書や隋書、晋書より捏造が少ないのは確実というレスがあったが、
とこのスレの最初の方にあるとおり、これらに対する反論として論だてていたのでは?
>『違う時代の史書同士の信憑性論争なんていう七面倒くさい』ことはいやなんだろ?
と言うが、その通り、私は違う時代の史書同士の信憑性論争だと思って介入した。
違ったなら謝罪したい。

ただ、この主張そのものについては取り下げない。
大勢に影響しない、また多くの史書で修辞的に取り上げられるような例を曲筆として取り上げるのはどうかと。
他史書との信憑性の「比較」で言っているのではなく、信憑性を特に失わしめる例として『後漢書』の他の例と並べて数え上げるには不適切だと考えたまで。
更に言えば、何しろあなたも言う通り、愚かに見られる可能性のある逸話でもあるし。

四レス目、
>事実を黙っていたところを開き直るところが言い訳くさい。
そう言われても困るとしか。
上記のように前スレをほとんど見て居ないために、これまでのやりとりを前提に話されても反応しかねる故、
余計なやりとりを挟む必要がないように、まず最初にこちらの事情の説明は必要だと感じたから書いたまで。
コメント2件

90
チョイバルサン ◆z7JZ6l9M3jjA [sage]   投稿日:2013/03/06 11:38:57  ID:/ioNhjjn0.n
光武帝を主人公にしたコーエーのゲームが発売されれば日本でも少しは光武帝が認知されるだろうか
コメント1件

91
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/03/06 11:57:05  ID:pZQjqWJ90.n(2)
>87
「素懦弱」については先行史書である『後漢紀』にも、少なくとも現在の版本では存在するみたいだね。
『後漢紀』では「聖公素懦弱,流汗不敢言。」だ。

92
前スレの964[sage]   投稿日:2013/03/09 21:26:02  ID:2gCQ9FW60.n(5)
>89
すなわち、
>君が『東観漢記』やこの時代全般の記述といった余計な部分の信憑性にまで余計な攻撃を向け始めたようだから少々突っ込むわ。

ここまで「余計な」を強調して、議論を振ってきて、

>現代の一時期、『東観漢記』の史料的価値が『後漢書』より高かった
>後漢の史官は全く関係ないと思うんだけど。

こんな重要な2点を確認もせずに間違えたまま、俺がレスするまで正さずにいたわけか。
後者などは「史通」の該当部分まであげているのにな。該当部分がどの箇所か分からないなら、問うことが先だというのに。
結果は同じかもしれんが、前スレも読まずにここまで書くことに誠意も感じられない。
前スレは検索すれば、特別なことをしなくても見つかるのに。

結局、重要なソースも片方が勘違いで、片方は断片的な史料からの憶測を重ねた自説か。
自説もよいが、漢書、後漢書と東観漢記を比べて、光武帝や劉玄に関する描写で曲筆を検証するのとはわけが違う。

傅玄は西晋時代の人だから、当然、讖緯批判の思想背景を持っていただろう(自説の推測)
だから、東観漢記を批判したのもそのせいに違いない(自説の推測)
劉知幾が、その話を歴史への政治圧力の例としたのはその背景を考えずに、鵜呑みにしたからに違いない(自説の推測)

『傅子』はほとんど残っていないはずなので、傅玄の細かい思想は確認できない。
学説の根拠もなく、これだけの情報から判断できるのは、最終的には「その可能性はなくもない」程度だ。

93
前スレの964[sage]   投稿日:2013/03/09 21:30:02  ID:2gCQ9FW60.n(5)
『自搏戰』の議論は、他の史書の皇帝も『搏戰』という描写がある上、他の時代の武将でも『自搏戰』した記録もあるので、
この事実を疑う人間は精神病であるというレスを光武帝ファンでもマンセーでもないという長文君という荒らしが延々とレス続けていたのを受けたものだ。
俺は後漢書で採用すること自体が問題だとした。

で、あなたは今度はこれはあくまで「修辞的に取り上げられるような例」だとした。

都合のいい話だ。論者が違うという言い訳で、話の流れも考えずに割り込んで、全く両立しない前提を用いて抗論するのだから。
光武帝ファンでもマンセーでもないという長文君がこれを完全に信じ込んでいたという事実は無視している。
ここに書き込むのだから、前スレは読んでいないという言い訳は通用しない。通用すると思うのなら、ただの常識知らずだ。
俺は『前スレの964』だから、前の流れがあるのは分かるだろ。

もっとも、俺は「修辞的に取り上げられるような例」なのか事実ありえるのか微妙なところを突いてくるのが、
後漢書の光武帝美化に関する質の悪いところだと思うのが、これはただの憶測による自説だから、とりたてては言わない。

以上から判断できることは、あなたは知識は相当にあるかもしれないが、自分を客観視するほどの深い思考力や相手に対する誠意がないということだ。
今後も自分が思いこんだ自説に都合にいい事実だけを並べて持ってくるだろう。

あなたはウェブで散見できる光武帝に特別な思い入れのある一人で、反射的・感情的にレスしたとしか思えない。

94
前スレの964[sage]   投稿日:2013/03/09 21:31:11  ID:2gCQ9FW60.n(5)
>『史通』で『後漢書』が『東観漢記』以上に批判されている部分ってどこだっけ?

こんな質問も俺のレスを真面目に読んでいない証拠だ。俺の文章が悪いという言い訳は聞かない。
あなたは前科であまりにもひどい読み間違いを犯し、俺に説明の手間をかけさせたのだから。

>上記のように前スレをほとんど見て居ないために、これまでのやりとりを前提に話されても反応しかねる故、
>余計なやりとりを挟む必要がないように、まず最初にこちらの事情の説明は必要だと感じたから書いたまで。

それなら、なぜ、このタイミングで入ってきたのか。どのタイミングなら入れるのか。自分が誠意がないことへの言い訳に必死としか思えない。

95
前スレの964[sage]   投稿日:2013/03/09 21:34:12  ID:2gCQ9FW60.n(5)
>権威論証的な論法については流石に感心しない。

感心しないとは、随分と高いところから来たな。
様々な後漢時代の研究を行い、多くの実績を重ねている渡邉先生や山田先生の言葉を借りることを『権威論証的』と切り捨ててきたか。

肝心な部分すら間違えるどこの誰とも分からないあなたと、
過去の多くの研究を背景に、長年の研究の成果から述べてある先生方の説を比べること自体がおかしい。

確かに、権威のある先生でも間違える、もしくは学会で目立つためにかなり奇をてらったおかしい学説を述べることもある。それは認めよう。
しかし、これまでの多くの研究を調べた上で学説を述べることは多くの批判にさらされるし、認められることは相当なことだ。
また、光武帝に否定的になることに格別のメリットも受けるわけでもない。
光武帝特集が雑誌で組まれた時や、光武帝ブームが来た時に仕事が舞い込んでくる可能性が下がるというデメリットは考えられるがw
先生方は正史と簡単な解説本をだらりと読んで、得意げに歴史を語る輩と同じわけではないのだよ。

とにかく、俺は先生たちが間違う可能性も考えて、機会を与えて、あなたの方が正しい、
あるいは先生が間違っているというのなら、証明すべきだと言ったのだ。
山田先生だけではなく、渡邉先生も含めていい。完璧に正しいという証明はできないが、間違いの証明なら不可能ではない。
前スレで、煽り君というコテがやっていたように。それができないのに「権威論証的な論法」と言って、

>ただ直接言及してないから確実でないと言われれば、確かにそれは認めざるを得ない
>ただ確かに、曲筆の可能性が全くないとまでは断言し得ない。

と、自分のあやふやな説を上位にあげるなど、理解できない言葉だ。

96
前スレの964[sage]   投稿日:2013/03/09 21:36:59  ID:2gCQ9FW60.n(5)
ただ、
>概ね了解した。
>多くは私の認識の方が間違っていたと思うので、改めようと思う。

という前置きはあり、人格として、光武帝ファンでもマンセーでもないという長文荒らし君や、
後漢書は隋書等に比べ政治的偏向少ないは確か君たちとは、あなたは一線を画すとは思う。

もっとも、俺には誰が別人か本当は分からず、滑稽なことを書いているかも知れないということを前提にしながらだがw

また、
>また『史通』に「世言漢中興史者,惟袁、范二家。」ともあるわけで、『東観漢記』と『後漢書』『後漢紀』の間に明確な相違点を探すなら、
>やはり桓譚など讖緯絡みで光武に排除された人間などをしっかり(人によっては重点的に)取り上げたり、瑞祥を減らしている点だろうと考えた。

これはとりあえず、否定する材料を自分は持っていないことも付け加えておく。

だから、俺はあなたをこれ以上追いつめ、説明責任を問いはしない。
とにかく、しばらくよく整理して考えて欲しい。
あなた(と思われる人物)が似たような議論で蒸し返しても、もうレスはしない。

97
チョイバルサン ◆z7JZ6l9M3jjA [sage]   投稿日:2013/03/09 21:47:31  ID:e+rQxjEZ0.n
このスレはレベルが高いな
こういうスレは貴重だ
コメント1件

98
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/03/13 00:43:37  ID:OMO8N3160.n(2)
>90
今のコーエーがそういうことするわけない、水滸伝すら出ないのに
無意味な仮定だと思う
また、即位後が後漢書基準では余りにも光武帝側の能力が高すぎて、ゲームバランスがとれない
他勢力の人気が無さ過ぎる

色々と文句を言ってきたのがいたが、別に項羽と劉邦や三国志のネット漫画のように、
自分でネットに漫画を書くか、動画を作るか、別の同時代の主人公でやる夫をやればいいわけで、
自作の小説すらもほとんど書かれない状況でメディアに要求しても仕方ないだろう
面白い題材と思われれば、いつかはとってもらえる可能性はある

それより、学術的な趣味の人はともかく、このスレの流れのせいで、
信者と呼ばれる人々やファンが息しているかが気にかかるところなのだが

多分、詳しく調べた人たちは薄々この事実に気づいて、明らかになっている時系列の不整合などは指摘したが、
ここまで言及している学者はいなかったので、ファンの夢を壊さないように気づかないふりをしていたんだろうなあ

無知な厨が勝手な思いこみを根拠に煽るものだから、こんなことに
あのままなら、ここまでたどりついたはずはない
コメント1件

99
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/03/13 20:07:45  ID:/ZGzhTJs0.n
343 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 13:28:13.96 ID:bsDENMJ5P [1/2]
長平はあの時代だとやられても仕方ないというか
自軍より捕虜となった敵兵の方が多ければ兵糧の問題もあるし、
裏切られた時に対応しきれないってのがあるからな
項羽ですらも降伏した秦軍に対して同じことをやっている

これをやらなかったのが劉秀
自軍2万に対して敵兵10万以上だが、逆に捕虜の人心を掌握する
つまり白起や項羽は劉秀よりしょぼい

344 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 13:37:16.88 ID:ecbzfB+40 [2/3]
そもそも劉秀より優れた名将が歴史上存在したかどうかすら怪しいだろw

346 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 14:13:34.01 ID:AKXbIadc0 [1/2]
光武帝はパーフェクト超人みたいなものだから
戦の上手さの定義にもよるけど人使いの上手さも戦の上手さの一つとかとすると対等の人なんて中華史上にはいないんじゃねえかな




キングダムスレより信者さんは凄いねw
コメント1件

100
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/03/13 23:03:47  ID:OMO8N3160.n(2)
>99
うわっw
まだ、やっているのか
土曜日の昼間に、光武帝を知っている人間がそのスレに3人・・・
自演くせえ。別人だとしても学生か?

知名度を上げる、どや顔でいばるためにやっているんだろうけど、逆効果だな
前スレで言われてた「信者が他の時代の皇帝(ではないが)をディスる」を証明するものだ

これを言われた白起や項羽好きがいい印象抱くと思っているのか?
キングダムスレなら、彼らのファンもいるだろう
光武帝を不快に思う人間を増やすだけ
同じ2ちゃんだから、検索かければこのスレにたどりつくだろうし
なんで、こんなに幼稚なのかね

101
前スレの964[sage]   投稿日:2013/03/17 20:11:46  ID:xnR6jtfm0.n(8)
今までの議論の結末として、
「後漢時代に光武帝部分に関して、政治的偏向が行われ、東観漢記の記述がその影響下にある。
それを主な出典として正史として後に認められた後漢書は瑞兆に関しては不明だが、
光武帝美化や聖人化をすすめる後漢時代の歴史家の記事の採用を意図的、積極的に行っている可能性が濃厚にある」
でいいかな?

東観漢記と後漢書の比較を他の人がしてくれたが否定するものではなく、むしろ補足する方向になっていると思っている。

これが一応、前提にした上で、自分の持つ疑問がまだ残っている。

102
前スレの964[sage]   投稿日:2013/03/17 20:13:45  ID:xnR6jtfm0.n(8)
>80
>王朝の開祖を神聖視するのは、どこも同じだしな。

これがそうでないところが不思議な点だな。
光武帝の業績が現代のウェブで、後漢書そのままに信用されてきたのは、願望や思いこみや意図的な記事の採用もあるだろうが、
基本的に中国の史書がそれなりに信用があったことだと思う。

理由は色々あるだろうが、根本は「史記」や「漢書」の劉邦像がどうみても、神聖視からはずれている。
わざわざ貶める必要はなく、ある程度は真実を重視したとしか思えない。

もし、光武帝が極端に美化されているとしたら、なぜ、前例を無視して美化されたかが分からない。

また、次の長期統一王朝の開祖の李淵にしても、李世民の立場から見ても劉玄のように徹底的に無能に描くか、
神聖化した方が非難からのがれられるのに、それが行われていない。
李淵については、ある程度は真実を重視したとしか思えない。宋の趙匡胤も欠陥のない人物とはされていない。

すなわち、中国の統一王朝の開祖は神聖視が少なくともある程度の制限がかかっていて、完全な神聖視は伝統的歴史記述とはなっていない。

今の議論通りだと、光武帝と後漢だけ異常ということになる。
讖緯に関する諫言への反応をのぞけば、後漢書における光武帝の失点はほとんどない、
存在したとしても部下の失態の任命責任や結果論であり、なんらかのフォローがなされているというのが、俺が見た光武帝像だ。

103
前スレの964[sage]   投稿日:2013/03/17 20:15:56  ID:xnR6jtfm0.n(8)
俺が読んだ書籍では、光武帝に最も厳しい立場をとっている研究者は山田勝芳先生だ。『貨幣の中国古代史』によると

「後漢王朝にとっては、王莽政権同様、更始政権は否定すべき存在であった。(中略)
『後漢書』でも、もとの歴史書の内容を反映して、更始政権に対して批判的に書いていることが多い。
王莽の諸制度を廃止し、前漢の諸制度を復活したのは、後漢王朝の創始者光武帝であるべきだったからである」
「後漢の知識人にとっては、「漢制の復活」という功績は光武帝だけに帰属するべきであった。
そのため、すでに実施されていた更始帝や河西での五銖銭鋳造は歴史から抹殺されたのである」

とまで断言している。

ここまで断言する根拠としては、やはり、一つは「史通」やその意見を正しいものとして論じた日中の歴史学者たちの論説であろう。

なお、史通には、覈才、曲筆だけでなく、編次、稱謂でも批判している。

編次では、光武帝が劉玄に臣下と仕えたのに、東観漢記は仕方ないとしても、後漢書で本紀ではなく列伝においているのを批判し、
漢書と後漢書で更始帝ではなく、劉玄と呼んでいるのを非難している。
後漢書の描く光武帝聖人化は、劉玄についてはキョドる記事の採用も含めて、貶める方向に向いているのが分かる。

これが山田先生の根拠となっていると思われる。その他に根拠はないかと探してみた。

104
前スレの964[sage]   投稿日:2013/03/17 20:18:45  ID:xnR6jtfm0.n(8)
他に気になるところといえば、山田勝芳先生は、「光武帝は非常に強い讖緯の影響下にあった人物であったから」と述べているところだ。
そこで、讖緯についての論文を調べてみた。

明徳出版社 安居香山先生の「緯書」によると、
(安居先生は大正大学学長となり、緯書を専門として研究していた人)

讖緯は前漢末から盛行した緯書の予言書的な性格を持ったもので、始皇帝の信じた録図書もその前身と言われている。
図讖として、前漢の哀帝の時にあげられ、史書によると王莽はそれを捏造して利用し、帝位についたとされるものだ。
光武帝も「劉秀」関連の図讖ににのり、「動かされ、裏付けされた感がある」とされる。
「彼の革命成功の裏には、(中略)、一方、上述のごとき世論を背景とした図讖の目に見えぬ力も預かって力があったことは否定できない。
彼の革命を図讖革命というのは、こういう経緯からである」ともしている。

さらに、中元元年(56年)には、光武帝は、「宣布圖讖於天下」した。
そのために、緯書と図讖の性格をよりあわせた讖緯が流行したのは、光武帝期以降とされる。
なお、建武元年(25年)には、薛漢が詔を受け、図讖を校定したとあるからかなり前から準備していたものと見られる。
(ここは、安居先生は緯書が天下に宣布されて間もない頃とされているが、後漢書と後述する呂宗力 氏の論文によって、こちらを採用する)
図讖を批判した尹敏も同じ頃に校定を命じられている。

105
前スレの964[sage]   投稿日:2013/03/17 20:21:40  ID:xnR6jtfm0.n(8)
なお、図讖については光武帝時代に批判もあり、桓譚と尹敏はこれを批判し、ために光武帝に冷遇された。
なお、光武帝と同時代の人として王充も批判している。

ついでに、讖緯は後漢の張衡が、禁圧を奏請している。
これは取り上げられなかったが、次第にその革命思想が為政者の恐れるところとなり、
晋武帝、宋孝武帝、北魏孝文帝、梁武帝と禁圧が続き、隋の煬帝の時に焼き払われ、学者は死刑となり、伝えられることはなかった。
ただし、唐代までは経書に取り入れられることがあったとされる。

これは自説だが、魏晋南北朝時代に度々、禁圧がでたということは、その時代の人からそれなりに支持が続いた証拠であり、
晋や宋の人全体が讖緯の批判思想にあったという意見をむしろ否定する材料になると思う。范ヨウも否定していない。
もっとも、傅玄の思想いかんに関わらず、あの史通の記述はただの時勢の圧力批判と東観漢記の出来批判ととらえているが。

106
前スレの964[sage]   投稿日:2013/03/17 20:24:43  ID:xnR6jtfm0.n(8)
ここまでは一般的に論じられるところで、気になるのが、
先に少し述べた 平河出版社 「緯学研究論叢」に記載された論文 呂宗力 氏の「東漢碑刻と讖緯批判」の内容だ。
なお、呂宗力 氏は中国秦漢史研究会理事だったことがある人らしい。

これによると、前漢の劉邦が「起於閭巷」にして「天下雄」となったのは夏、殷、周の功業より尊ぶべきことと司馬遷がしているのに対し、
讖緯思想のもとにつくられた後漢時代を主とする漢碑の記述では、漢の始祖を尭としていることに注目している。
讖緯によって、皇帝に対して高度な神化を施した上で、前漢末・後漢の豪族は競って、貴族世系をでっちあげ、
豪族がその権威に取って代わろうという風習はあったとする。これは、後漢の豪族層の王朝と対抗するための武器となった。

光武帝は讖緯を信じてはいたが、すでに広く伝わっていた讖緯を改めて天下に宣布した理由は、
即位当初、薛漢や尹敏に図讖を校定させ、後漢に不利な内容を削減、修正して整理された讖緯を、30年経って始めて天下に布告したとする。
目的は讖緯の固定化により、讖緯を偽造する弊害を根絶することにあったとする。

安居先生はこうは断言まではしていないようだが、おそらく山田先生が根拠としたのは、この系統の学説であろう。
讖緯を原動力とした革命である以上、漢王朝を中興させたのは「劉秀」でなければならない。
それゆえに、讖緯の社会影響と史通のこととあわせての状況証拠から、
山田先生は後漢の歴史書が光武帝のために劉玄らの功績を故意に消したと考えたのではないかと思われる。

校定という行為の中に、史書と同じように記事の取捨選択、解釈の採用という性格が含まれ、
王朝で行う以上、王朝の都合のよい解釈となることは免れないだろうし。

107
前スレの964[sage]   投稿日:2013/03/17 20:26:58  ID:xnR6jtfm0.n(8)
学説では、ここまでが限界のようなので、ここからが俺の推論なんだが、

後漢時代は讖緯が盛んであり、学問の一種とされる讖緯の都合のよい解釈が許容され、
桓譚の諫言によると怪しげな方士によって讖緯を増えている社会であったようだ。
史書の信憑性より、先祖を飾り立てる方が優先されたであろうと考えるべきでだろう。
また、これこそが讖緯の実益を伴った実学である真の性格であり、目的である以上、むしろ自然な流れであろうと思う。
讖緯は当時は一つの学問であるにも関わらず、尹敏が「聖人の所行でない」とまで否定した真の理由はこれではないか。

これが史記などに記載のあった劉邦と違い、光武帝が極端に神聖化された理由と考える。
ただし、後漢も後期になると豪族たちの讖緯による美化のせめぎ合いが史書で繰り広げられたので、
幼帝の美化度合いが減り、讖緯を軽視した外戚と宦官が極端に悪者となる結果となったのだろう。

108
前スレの964[]   投稿日:2013/03/17 20:33:42  ID:xnR6jtfm0.n(8)
南朝では、いまだ、完全な禁圧はなされず、讖緯の是非の議論は非公式にあって、
その思想背景のもとに范ヨウ一個人は讖緯を是とも非ともするほど強烈な思想はなかったので、
光武帝を聖人化する方向で編集したが、讖緯に関してだけはある程度は批判的な議論も反映した方向になったと思える。

その後、為政者の極端な美化があらためられたのは王朝の讖緯の禁圧によるものであり、
王朝は豪族の讖緯による革命思想や権威付けを抑えるために、自分自身の讖緯による権威付けを犠牲にする必要があったのではと考える。
これは貴族社会に向かう上で、新興地主層を抑える必要性から支持され、さらに官僚社会に向かう途上で当然の方向となったろう。
讖緯を認めれば、法による抑制が意味がなくなってしまうだろう。

光武帝が歴史的に高く評価されなかったのは、讖緯思想の背景があったのを歴史家が知っていたからとは考えすぎだろうか? 
光武帝を賞賛した王夫之はこのことを知らなかっただけではないかと考える。

109
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/03/17 21:31:35  ID:ivVHOc1d0.n
細かい突っ込みだけど宋の趙匡胤に関しては
「正史」はいかに書かれてきたか
[竹内 康浩]
大修館書店
2002年06月
を読むと趙匡胤の生まれた際の瑞祥がしょぼいのに三代目がなぜか超えてるのを見ると
系図が太宗の系図に移行したから、美化されなかったのでは?

李淵に関しても、隋への挙兵を勧めたのが李世民に改変されてるあたり
劉玄同様と見るべきでは?
コメント1件

110
前スレの964[sage]   投稿日:2013/03/31 20:51:03  ID:J3Yv3QfC0.n(5)
>109
「「正史」はいかに書かれてきたか」は確認した。そういう事情があったとは知らなかった。すまんね。
宋の太宗については、詳細は自分もよく調べてないのでなんともいえないが、
今度は趙匡胤がなぜ、もっと貶められ徳のない人物と描かれないかという謎が残るな。
本紀だけではなく歴史書全体に関わってくることだから。

とにかく、宋については、連続性が薄いからここではさほど大きな問題ではないと思う。

李淵については、正史に「性寛仁」や突厥を破った話が載っている。
七十本の矢を射て全て命中させたことや、「有三乳」という聖人性も記載されている。
また、外交において、李淵自身が李密を手玉にとるような描写もある。
とても劉玄同様、無能に書かれているとは思えない。
李淵は、正史によったとしても主に李世民の進言を聞き、多少の蹉跌はあっても結果は成功させている。
成功の決断に比べれば、だれが進言したかなど大したことではないだろう。進言者なんて正史では書かれないことも多い。
別に劉邦のいくつかの描写に比べて、劣っている感じは受けない。

聖人ではないが、凡庸とされているというのははただのイメージだろ。

111
前スレの964[sage]   投稿日:2013/03/31 20:53:02  ID:J3Yv3QfC0.n(5)
李世民のことは、李建成らの共同作業や功績を吸い取っている可能性があることは知っているが、
『唐創業起居注』って普通に朝廷に仕えた大臣が残しているわけで別に知られてないかったものではないし。
これを史料の一つとして、『実録』を不採用にしたこともある司馬光も
『資治通鑑』で李世民の決起進言をある程度採用しているということは、
「隋への挙兵を勧めたのが李世民に改変されてる」とまで断言するのは難しいのではないかな。

また、もともと、敬播の書いた『実録』は詳直が多かった、許敬宗が曲筆したと、
実例まであげて堂々と「旧唐書」の時点で断言しているから、
さすがに「旧唐書」自体が「実録」をそのまま鵜呑みにすることはしていないんじゃないか。
ホウ孝泰も別に名将になってない。

112
前スレの964[sage]   投稿日:2013/03/31 20:54:43  ID:J3Yv3QfC0.n(5)
後、呂宗力 氏が、光武帝が後漢に不利な讖緯の内容を削減、修正して整理したと考えた理由として、後漢書の尹敏伝が根拠じゃないかと思う。

尹敏字幼季,南陽堵陽人也。少為諸生。初習歐陽尚書,後受古文,兼善毛詩、穀梁、左氏春秋。
建武二年,上疏陳洪範消灾之術。時世祖方草創天下,未遑其事,命敏待詔公車,拜郎中,辟大司空府。
帝以敏博通經記,令校圖讖,使蠲去崔發所為王莽著錄次比。敏對曰:「讖書非聖人所作,其中多近鄙別字,頗類世俗之辭,恐疑誤後生。」
帝不納。敏因其闕文糠頚:「君無口,為漢輔。」帝見而怪之,召敏問其故。
敏對曰:「臣見前人溝市書,敢不自量,竊幸萬一。」帝深非之,雖竟不罪,而亦以此沈滯。
與班彪親善,每相遇,輒日旰忘食,夜分不寢,自以為鍾期伯牙、莊周惠施之相得也。後三遷長陵令。
永平五年,詔書捕男子周慮。慮素有名稱,而善於敏,敏坐繫免官。
及出,歎曰:「瘖聾之徒,真世之有道者也,何謂察察而遇斯患乎?」十一年,除郎中,遷諫議大夫。卒於家。

113
前スレの964[sage]   投稿日:2013/03/31 20:56:42  ID:J3Yv3QfC0.n(5)
問題は、「帝以敏」から「此沈滯」までの段
(俺の翻訳)
光武帝は尹敏が経書に通じていたので、図讖の校正を命じ、崔発が王莽のために著録したところを除かせた。
尹敏は答えた。「讖書は聖人が作ったものではありません。その中に多く鄙しい別字が入っています。とても世俗的な言葉です。
後世の人を誤るのではと恐れ疑っています」。光武帝はその進言を聞かなかった。
尹敏はそのため図讖の欠文を増やして付け加えた。「君無口(君から口をとったら尹の字となる)が、漢の輔となるだろう」。
光武帝はこれを見て怪しみ、尹敏を召してその理由を聞いた。尹敏は答えた。
「臣は先人が図讖の書を増やしたり減らしたりしたのを見ました。自分の力量を省みず、万が一の僥倖を願ったのです」。
光武帝は尹敏をとても非とみなし、刑罰こそ加えなかったが、冷遇した。

※君無口の翻訳については、「後漢書」の翻訳文を参照している。

114
前スレの964[]   投稿日:2013/03/31 20:59:36  ID:J3Yv3QfC0.n(5)
尹敏は讖緯反対派であることで知られるが、実際は、書経の一遍である「洪範」の消災の術をのべているわけだから、
神秘主義者であり、讖緯に対してはじめから否定的であったことは考えにくい。
それであるのに、光武帝から命じられた讖緯の校正業務を途中から否定し、諫言までしている。
郎中程度で、業務を否定し、諫言して採用されなければ、将来の昇任が難しくなるというのに。

もちろん、後漢書ではまだ解釈の余地は残るが、通常は尹敏が昇進のために讖緯を操作した文章とは解せず、
「君無口,為漢輔。」の文章をあえて光武帝に分かるように、付け加えて、
命がけでこのようなことが日常にされていたことを諫言したと解するのが通常だろう。
南陽出身というだけで、大きなバックがありそうもない尹敏の遠回しのいやみと解するのは難しいと思う。

さらに、ここの「前人」とは、王莽や崔発だけではなく、
実は光武帝に命じられて一緒に作業をしていた先輩の薛漢も含まれるかもしれないとも思える。

このような身を挺した諫言を取り上げないまでも、むしろ賞するのが、少なくとも正史に残る諫言については名君の通例であるのに、
この段はあまりにも異様にうつる。ただの王莽に関する讖緯の削減以上のことが行われていることを推測するのがむしろ自然だろうと思う。

なお、東観漢記の尹敏伝にはこのような記述はない。ただ、中の文章が入ったから、文の最後の印象ががらりと変わってしまうが。

呂宗力 氏が根拠にしていたのはここだろう。

115
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/04/06 23:16:56  ID:6pY2xgcX0.n
後、光武帝で興味あるのは、

・豪族との実際の距離感
・南匈奴の降伏の真相

かな?

116
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/04/24 00:55:07  ID:sybVWGof0.n
>98
まだ生きてたのか李世民信者w
「ここまで言及している学者はいなかった」とか「ここまでたどりついたはずはない」とか痛すぎるわおまえ
そんなに自分の俺様理論に自信があるなら、こんな所で粋がってないで論文にして発表してみろよ
できるもんならなwww
コメント1件

117
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/04/25 21:26:28  ID:b3fHOwm40.n
>116
まだ、いたのか光武帝カルトは
お前以外の誰が俺様理論で粋がったのか? 誰が李世民マンセーなんて言ったのか?
どうやら存在するはずもないものが見えるようだな
さすがはカルト、納得
相手がいなくなったのを見て、出てくる腰抜けぶりも滑稽で期待通り
妄想、小心、阿呆もここまでくれば、一層あっぱれ

後は讖緯で完璧に正史を粉飾しきった、もはや何が実体か分からない
讖緯をことを諫められたら、途端に暴君の地金を出す自称完璧超人()
存在空気皇帝・光武帝のマンセーをどっかの国民みたいにたった一人でわめきたててくれよ

誰からも相手されない姿をながめて、笑わせてもらうから( ^∀^)ゲラゲラ

118
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/05/01 23:56:37  ID:lowqpyMJ0.n
ドクズ

119
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/05/20 00:38:19  ID:CqsYJFlG0.n
健全でない言葉が含まれているため表示しません 内容を確認する
コメント3件

120
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/05/28 00:35:36  ID:2HMHQsu30.n(2)
442 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2013/05/09(木) 18:58:38.01 ID:/gQRcIGPO [6/8]
後漢の光武帝は皇帝を名乗ってからも前線に立つことがあったらしいな
446 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2013/05/09(木) 19:32:37.88 ID:kumW5/kY0
>442
あの人は歴史的には楚漢と三国志に挟まれて地味だし
性格は温厚でヘラヘラした感じだけどリアル我武神な人だからな
敵将からあの武勇は人間と思えないというお墨付きも貰ってるし
450 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2013/05/09(木) 19:59:30.62 ID:/gQRcIGPO [7/8]
項羽はあくまで西楚の覇王だったからな
劉備やナポレオンなど、後に皇帝になる人物が前線に立つのはままあったが、光武帝は皇帝になってからも前線に立った


すいません同時代の皇帝公孫述さんも前線で出て死んでますね
諌められるぐらいだったし、皇帝になって前線になるなんて匹夫の勇そのものだと思うんだが・・
リアル我武神てどのへんが?
朱祐と劉嘉は敵将殺したようだが・・・

というか光武帝アンチ増やしてるだけだろ
コメント1件

121
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/05/28 00:42:48  ID:2HMHQsu30.n(2)
>119
散逸した八家後漢書にあるとか?
考えにくいが・・・
そういや
福永重雅/編 中国古代の歴史家たち 司馬遷・班固・范曄・陳寿の列伝訳注
で華〓(きょう)『後漢書』について)で触れているが范曄はかなりそのまま移しているようで
前スレの964さんが東漢と後漢書比べて言ってますが
実際のところ華〓(きょう)なり謝承なりから持ってきたところかなり多そうだな
孔融へのスタンスを見ると司馬ヒョウの続漢書とか残ってればよかったんだが・・・

122
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/05/30 23:04:43  ID:iZgngiTb0.n
昔の歴史家はもちろん、現在の歴史家もあまり語らなかったのは、
光武帝の事跡が不自然すぎてしょうがないが、対比する史料もないため、
王莽は批判を含めて研究書は発表できても、光武帝は危なくて出さなかったんだろうよ
最近、王莽の研究所は、また出版されていたのに

小説も出たのに、研究書が出版されないのは、本当は、学者が断っているのが真相と予想

123
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/05/31 05:44:11  ID:4FwLd0Q20.n(2)
王莽の研究書書いた東先生は最初光武帝依頼されてたようだね

124
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/05/31 05:45:17  ID:4FwLd0Q20.n(2)
>120
これキングダムスレか?
また始皇帝や項羽よりも、光武帝凄いとかほざくバカが来たのかよ
余計に評価落とすだけだろ

125
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/06/03 21:37:59  ID:HFOEQ+md0.n
人格が散々言われている劉邦や李世民だが、
自分の失敗を明らかにしたり、
かっこ悪い部分を描くのを許したり、基本的に身内の内紛の時しか、ひどく悪意のある描き方しなかったり、
徹底的に自分たちを美化し、敵を悪に描くことを許した光武帝に比べたら、
後世の歴史家視点から見れば、明らかに聖人に近いよな

讖緯の時代背景がある以上、明帝や馬皇后のせいだけじゃないだろ

光武帝がこの二人よりひどかったかどうかは、もはや、わからんが

126
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/06/13 10:37:18  ID:ai4lTefcO.n
どんでんスレ

おおもう…

127
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/06/16 00:02:00  ID:NUCBbclV0.n
>119
後、光武帝信者のいやなところは、
厨が光武帝を持ち上げて、他の人物を貶めていることに反論して、光武帝の批判をすると
猛烈な勢いでたたき出し、光武帝のために厨すら擁護するところだな

光武帝のための荒らし行為やねつ造はスルーで、批判は徹底的に叩くとか、
お前らはどこの韓国人だといいたいw

128
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/08/10 00:00:00  ID:/j3NBaCY0.n(4)
>119
>儒者に嫌われて不当に評価が低いってのはどこからきたんだろう。

これは自分も興味あったので、調べてみた。
自分の昔、持っていた光武帝のイメージは、
世に中国史関係で最も流布した、と俺が思う陳舜臣 氏の小説十八史略や「中国の歴史シリーズ」では、そのように語られていない。
他の概説書を読んでも、儒教との関連を否定するような記載を見たことはない。

田中芳樹 氏が高く評価して、有名になったという説は聞いたが、読んだ限りでは、
なぜか地味なイメージという程度で、儒教に嫌われた不当に低く評価されたという説は読んだこともない。

ウェブではじめて、そのような説を確認した。

129
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/08/10 00:00:00  ID:/j3NBaCY0.n(4)
そこで、wikipediaでその記述があったことを思い出し、調べてみた。
今では改変されているが、光武帝の項目のノートの部分で経緯は推測できるし、履歴のところから、該当する部分は確認できる。

該当部分は、2006年5月23日に追加されたもので、2011年までは載っていた。

抜粋
「徹底した法家思想の政治方針で、太守はもちろん県令まで一人一人自ら面接して任命した。
失態があると皇帝自ら棒叩きにあわせるという、細かくて厳しい法治政治を行った。
「礼は庶民に及ばず、刑は士人に及ばず」という儒家的な思想は一切ない。
こうした光武帝の厳罰主義は後に、「以元元為首(庶民を最優先とする)」と称えられる反面、儒家である士大夫たちに不評であり、
班固には「刑罰の根本が正しくない」に批判され、第五倫に「秦の酷政・王莽の苛政のようなもの」と非難された。」

と、「徹底し法家方針」、「儒家的な思想は一切ない」、「儒家である士大夫たちに不評」と強調されている。

130
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/08/10 00:00:00  ID:/j3NBaCY0.n(4)
さらにその出典であるが、wikipediaにその出典の明記が推奨されているにも関わらず、記載されていない。
ノートで、出典の明記を求められた時、あるサイト(これはノートの記述を読めばわかるため、これ以上は述べない)と
田中芳樹 氏の「中国名将列伝」と守屋洋 氏の「中国皇帝列伝」が出典として挙げられるが、
確認したところではこのような光武帝の儒教との関連を否定するような記述はない。

サイトは名のある歴史学者や小説家が運営しているわけではないようなので、影響力は限定的と思われる。
とすると、実際はこのwikipediaの記述が根拠でよいであろう。

なぜ、そのような解釈になったかについては、出典もなく、特定できないIPアドレス者の書き込みで、意図は不明であり、
信じる方がどうかしているってことでいいんじゃないかな?
すでに該当部分は消されて、1年以上経っているので反論はなさそうだ。

小説が史実と信じられてしまうのは、現代でもある現象だから、珍しくもないだろう。

131
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/08/10 00:00:00  ID:/j3NBaCY0.n(4)
と思ったが、いつの間にか、ニコニコ大百科に光武帝の項目が、旧wikipedia記載と似たような論調でつくられているんだよなあ。
さすがに、儒教思想が全くない云々は記載がないけど。
プレミアム会員ではなければ、編集もできないらしいんだけどな。
これは影響力はそれなりにあるかも知れないが、これまた、そのまま信じる方がおかしいってだけ。

132
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/08/10 00:00:00  ID:YjfcyK540.n
たぶん某個人サイト発祥

133
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/08/14 00:00:00  ID:g0uhrTk60.n
wikipediaの転載など掃いて捨てるほどあるからな。
歴史研究に縁がなく、てっとりばやく何かを知りたい手合いにはちょうどいいのだろうさ。
歴史認識に対する影響力など問題視するものでもない。
とはいえ「2ch」よりは影響力ありそうだがなw
コメント1件

134
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/09/01 21:01:04  ID:GCFtKYjH0.n
>133
wikipediaや2chより、影響力も信憑性もない個人サイトの記述を信用し、ドヤ顔して光武帝をマンセーしまくる信者のカルトぶりはさらに深刻だがなw
発信元の人物は、封神演義翻訳の作者前文と同じような感じで、はったりでネットで注目を集めたり、本の出版なんかをやりたかったんだろう

信者は、光武帝の不自然さをぼかしてるのが理解できず、それを信用して自爆って流れかw

135
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/09/02 08:47:21  ID:ylOzjaXD0.n
>信者は、光武帝の不自然さをぼかしてるのが理解できず

某サイトのように、大系的にそれをまとめたものがないから、知識のない人はわかりやすい方に流れるだろうよ。
それでも、おれは少なくとも、研究資料が提示と引用された個人サイトは、2chやwikiよりははるかに信憑性が
あると考えているが、それでも信じる前には、持っていれば手元の資料に目を通そうとするけどなw
だからただのデマやはったりでは、歴史認識や研究に影響なんてでないよ。
ラノベ的人気を狙っているんでしょ、某サイトの人は。

ここで某サイトを引き合いに出してくる人も、その主張に異議があるなら、相手の見えない場所であーだこーだと
「信憑性のない持論」をぶっていてもしょうがないと思うがね。
2chの発言こそ眉唾なんだから。
それとも、どこかでブログなりサイトなり置いており、自分の研究成果を掲示しているのだろうか・・・
ただの陰口と化していたら、嫌いな一部カルトと反対ベクトルの似た者になっちまうよ。
それは非常にもったいない

136
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/09/14 11:40:42  ID:CRXm5wNX0.n
馬鹿な安置なんかほっといて、普通の議論したいな。

王莽を最近ちょっと調べてるけど、この人はかなり苦労人の上に努力家だったんだな。
極悪人扱いだけど、新しい王朝を創始した人物として、もう少し正当に評価されて欲しい。

137
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/09/24 17:32:55  ID:quTljQ5/0.n
苦労人で努力家だろうと政治音痴には変わりないんだから低評価は当たり前だろw
こんな奴でも一応即位出来ちゃう中国って…

138
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/09/25 00:27:09  ID:lRCdn5tV0.n(2)
讖緯を利用して、政略によりあまり血を流さず革命に成功した王莽
讖緯を利用して、軍事により積極的に戦争しまくって旧態の王朝を復興した劉秀

これだけ見れば、上の方が優れているようにも見える

平和に成功したら人口が減らず、問題が山積
戦争しまくったら、人口が減って問題が解決

結果論で語らなければ、王莽が劉秀より確実に劣っているという証拠はないな、
色々と暗黒面を押しつけられたかもしれんし

正史を信用しても、衆愚政治の上に政権トップに立った経緯は、現代の政治家の先駆者と評価できなくもない
積極的な政策も、ただ権力をむさぼっても安泰とは限らないし、
結果論で見てもカリスマ性を与えられた王莽が行った方が一番成功率が高いだろ
王莽がダメなら、よほどの奇跡が起こらない限り、いずれ戦乱は避けられんと思う

別に低評価は当たり前とは思わない
コメント1件

139
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/09/25 01:56:43  ID:uErgUCW00.n(2)
政治家なんて結果論で評価するもんだよwwwwww

140
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/09/25 01:59:01  ID:uErgUCW00.n(2)
こういう奴って煬帝も悪くないってほざくんだよな
あんだけ叛乱起こされまくったバカどもを評価するって頭が悪すぎwwwwwwwwwwwwwww
コメント1件

141
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/09/25 08:07:52  ID:d/mYN85t0.n
>140
煬帝の結果とは、外征で国を疲弊させ内乱が過去最高レベルの未曾有の状態に陥れたということを言いたいのか。
しかし一方で、疲弊の原因のひとつでもあった大運河は、以降の経済発展とくに江南開発に大きく寄与しているのは
周知のこと。
結果論とやらではどう評価すればいいのだろう?
コメント2件

142
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/09/25 22:49:14  ID:lRCdn5tV0.n(2)
無駄に草つけしてファビョって、断言口調で内容なし
カルトと呼ばれている手合いだろうな

>政治家なんて結果論で評価するもんだよ
誰が決めたのか
こいつより遙かに頭の良い学者さんたちが、結果論史観や正史偏向史観に疑問を呈しているから、
王莽の再評価などが行われているわけだが

>141
劉エン・劉秀兄弟に政略で勝利し、統一王朝を滅亡させた劉玄も結果論とやらで、こいつは無能と叫ぶのだろうか
結果論者は現実主義者気取りの、実は課程を見つめきれないただの現実逃避者
コメント2件

143
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/09/26 03:00:50  ID:vnxkU5oL0.n(3)
無能だろ
結局、劉玄は劉秀に負けた馬鹿だろ
コメント1件

144
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/09/26 03:02:06  ID:vnxkU5oL0.n(3)
>142
マックス・ヴェーバー

145
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/09/26 03:04:14  ID:vnxkU5oL0.n(3)
>141
運河は後世のためになった
しかし国を滅ぼしたのでカスのゴミ
李密や他の群雄が勝っても馬鹿にされるのは決定してると言っていいだろう
コメント1件

146
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/09/26 04:49:44  ID:VtNUjeuX0.n(2)
>142
秦王朝を滅ぼした項羽も馬鹿なのと同様だよな
確かに見るべきところはあるし、必要以上に悪くされている
だからと言って勝てるチャンスを無にした馬鹿という評価も変わらん
コメント1件

147
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/09/26 09:44:26  ID:QOJqv2Im0.n(2)
なるほど、同じ論理でいけば冒頓単于が最強ということですね
貴方とは気が合いそうです

148
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/09/26 15:28:31  ID:VtNUjeuX0.n(2)
うんそうだな
実際あれで劉邦は大敗したせいで戦下手のカス評価を受けたしな
ただ項羽と違って死ぬことはなかったんだよな

149
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/09/26 17:37:23  ID:QOJqv2Im0.n(2)
うん?
ということは、死ぬ時にある程度権力を維持していれば高評価ということでしょうか?
劉備や孫権などの、晩節をやや汚したタイプの君主をどう評価するのか気になります

150
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/09/27 08:57:23  ID:u4YeJtXB0.n
そういう一点だけで馬鹿だのカスだの言うから、そいつが支持するなにかの欠点が論われることになる。
光武帝を高評価する一方に、かたくなな反論者がいるのは、そういった言い方に対するカウンターだろうな。
もちろんその逆もあるあけで、つまりは発言者の知性と人格が問題という。。。

151
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/10/04 00:48:18  ID:TVnj1LXN0.n
>138
王莽のことは詳しく知らんが原理主義者のカスが政治能力あったわけねぇだろ
朝廷内の立ち回りと天下の大政は別

王莽は私利私欲で簒奪しただけ
光武帝は天下のために(という大義名分で)戦って勝った
それに加えその後の制度とかも凄いもんがある

官僚軽視的な政策で
後漢が宦官に乗っ取られたという見方もできるが光武帝は宦官に権力握られるなんて考えても無かったわけで使用人である宦官を全面的に信用して権力与えまくった「順帝」「桓帝」に全ての責任はある。

152
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/10/04 00:50:44  ID:EoV6ivvs0.n
詳しく知らんくせに反論なんて、すげーことできるんだな
ちょっと感心したわ
コメント1件

153
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/10/04 00:59:50  ID:cu6NnER60.n
光武帝は宦官である趙高、石顕の存在は知ってるはずだが…
それと王莽は新王朝がすぐに滅亡させたから政治能力はたしかに低い
>王莽は私利私欲で簒奪しただけ
大義名分を持ち出すなら、天下のために(という大義名分で)禅譲を行なった王莽は私利私欲ではないと言える
光武帝も王莽も私利私欲だと言うのなら一応わかるが、これは矛盾していて意味不明

制度面で言うなら、王莽は儒教振興や儀式などその後の制度に大きな影響を残しているよ

154
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/10/05 19:34:04  ID:wblsEBbp0.n
>152
>詳しく知らんくせに反論なんて、すげーことできるんだな

これが光武帝信者の理屈
他は全てカスかバカ
光武帝はマンセー、マンセー、ただマンセー

上の理屈に反論できず、
王莽や他を貶めることで光武帝を相対的上げようとひたすら必死
こいつは光武帝マンセーを強調しないことで、光武帝攻撃を避ける、ただのヘタレの雑魚信者

155
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/10/06 16:01:17  ID:XMfmVMB60.n
実際王莽は歴史に良い名を残すような人では無かったろうな。
どれだけ慈善の心からの行動だったとしても、多くの人間が不満を抱いたのは事実だろうし。
光武帝がどれだけ我欲的な心から挙兵してたとしても光武帝のおかげで天下に平和が齎されたのは事実だろう。


156
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/10/06 18:46:03  ID:urrgiPrK0.n(2)
外交政策や経済政策に王莽は失敗したからな

157
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/10/06 19:02:39  ID:Cz7DuAmX0.n
王莽って儒教の原理主義者みたいな大義名分掲げてた癖に
自身は孝も礼も忠も仁も欠片もない人生だったのがなあ
儒教の影響力が薄まる近代になるまではボロクソに言われてもしょうがないんじゃね?
コメント1件

158
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/10/06 19:57:59  ID:urrgiPrK0.n(2)
何言ってんだ
叔父との関係とか知らないのかよ
コメント1件

159
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/10/07 20:00:44  ID:YHPmcB7F0.n
>158
そう
そういう話してるものだと思ってこのスレ開けたらこのざまだよw
なんか別のコミュニティでの争いでも引き摺ってんのこのスレ?
コメント1件

160
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/10/08 00:59:55  ID:tkM2PF7W0.n
>143-149からの流れで、
平日の同日である深夜や日中に、極端な論説とその同調者がこんな過疎スレに登場していることでお察し
>145>146なんて同日でID変わっているしな
やる夫で気に入らないから荒らしまくってアク禁になる厨とか、
ウェブで中国歴史に語ると光武帝をマンセーし他人物をディスる厨が途端に現れる現象とか、
ウェブに流通した光武帝信者論説を批判すると、徹底的に論者を叩きまくる厨とか、まあ、色々だ

もっとも、>157>159
>自身は孝も礼も忠も仁も欠片もない人生だったのがなあ
>儒教の原理主義者みたいな大義名分掲げてた癖に

こんなこと述べているようではネット情報か、いいとこ小説でも読んだ程度にしか見えないけど

孝は叔父に尽くしているし、仁は貧しい時代に兄の子を養っている
礼は後の中国王朝の祭礼の基盤をつくっている
世のためのポーズの可能性があっても、なかなかできることではなく、仁や孝が皆無とは思えない

大義名分を論ずるだけなら、儒教の原理主義者みたいになっているのは問題ないだろ
問題は実際の政策の方なんだが

161
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/10/08 19:28:30  ID:r8qkqhRI0.n
王鳳のこと言ってるなら
× 叔父
○ 伯父

162
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/10/09 01:50:26  ID:fe/yBOBA0.n
光武帝の1/30減税は小農民を優遇するためだけの政策として語られがちだけど
実は高額納税者である大土地所有者にこそ有利にはたらいたはず
なぜかこの事は指摘される機会が少ないけどhttp://i.imgur.com/dxsDEsw.png
楊聯陛氏の「東漢的豪族」みたいな古い研究では簡潔ながら言及されてる
減税を根拠にして光武帝が庶民に優しいことを強調するのは正しいとは限らないんだよね

163
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/10/09 08:46:33  ID:25q95VJx0.n
なぜ大土地所有者にも有利であったことが指摘されることが少ないのか理由ははっきりとはわからないが
想像で思ったんだが、それは小農民にも一定の恩恵があったからありがたがられるとか、わかりやすい
とかがあるからじゃないかな。
大土地所有者だけの目に見える優遇処置で、回りまわって間接的に小農民にも益となるような、小農民
にとってはわかりにくい減税とかであれば、あるいは悪手として指摘されたかもしれない。
いや、現代の消費税増税+法人税減税を思って、そう考えただけなんだがw

164
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/10/10 19:44:54  ID:y6n4vx7r0.n
>それに加えその後の制度とかも凄いもんがある

これ、王莽が光武帝に劣っているか?

王莽が古代の神話から、無理矢理引っ張り出して作り出した禅譲は宋代まで定着し、
光武帝の国の滅亡の際には、漢再興システムは失敗に終わった
光武帝をただ一人、王朝の再興に成功したというのは(それも再興の定義があやふやなのだが)
要は光武帝のシステムは定着しなかったということ
後漢の儒教の国教化も、王朝を支える儀礼も多くが王莽時代にはじまっている
ここだけ見ると、王莽の方がはるかに先進性がある

王莽は外交で致命的な失敗をしただけ
さすがにこの点はどう擁護もしようがなく、全体的に評価が下がるのは仕方ないが
内政においてはいずれ定着したかもしれんし、マイナス面だけ取り出すのは公正とは思えん

165
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/10/10 21:11:06  ID:yEKgzFl+0.n
禅譲の前例として、王莽の事例は魏でも参考にされてたね
(戦国時代の燕でも禅譲の事例はあったけど、後世に参照されてない)

166
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/10/10 22:34:50  ID:9zer5wqO0.n
そういう形式的な話じゃないだろ
儀式とか礼儀の話をしているのではなく中華を統制する上での内政の話でしょ

167
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/10/11 00:31:03  ID:YQjHMlYQ0.n(3)
古代社会においては、儀礼は王朝の正当性を万人に認めさせ、中華を統制するための政治上の重要なファクターだろ

王莽は、時代を先取りしており、後漢の儒教国家形成のための国制の基盤をつくっている
その上で、後漢では採用されなかった禅譲という王朝交代の道筋を曹魏より200年先に示し、長期間に渡り引き継がれてる
決して、形式的な話ではない
経済は古代王朝としては重視されていないから、現代的な視点で内政といってもさほど意味がない

逆に光武帝が残した制度的な大きな影響ってなんだろな?

168
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/10/11 02:10:38  ID:n0gLvKBi0.n
>経済は古代王朝としては重視されていない
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169
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/10/11 09:02:48  ID:w446KqVC0.n
秦の統一気運に、商路の円滑化や通貨の統一性を求める経済的側面があったという説はでっちあげなのか・・・
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170
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/10/11 21:12:23  ID:YQjHMlYQ0.n(3)
>168
突っ込めそうなところだけ、コピペして突っ込むのはやめたまえよ
具体的にどういう理由でおかしいと思うのか述べるがいい

もっとも、自分も重視されていないは言い過ぎた
儀礼による正当化の方がはるかに優先事項となっているぐらいが正しい
正史の記述の量の差が物語っている
ネットで見た意見に「なるほど」と賛意しただけだから、大して自信があるわけではないが

だが、中国王朝において、儀礼が非常に重要だったのはこれは多くの学者が認める事実

>169
経済的側面はあったんじゃね、重要なことに違いないし
でも、それがメインと思うのはなんか現代的な視点だと思う
コメント1件

171
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/10/11 21:15:14  ID:YQjHMlYQ0.n(3)
で、光武帝が残した制度的な大きな影響ってなんだっけ?
人身売買禁止も先に王莽がやっているし
コメント1件

172
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/10/11 21:47:20  ID:WQL3xD1n0.n
宦官の重用

173
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/10/11 21:57:27  ID:fvZVPMxX0.n
>171
都尉原則廃止?

174
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/10/12 00:03:25  ID:XJhnchxQ0.n
>170
ま、「重視されない」を撤回したならそれでいいよ。
もともと商売は卑しいとの認識があるのだから。
でもだからこそ、歴史学にとって、そういう気運の盛り上がりを軽視する理由にはならないと思ってね。

175
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/10/12 21:29:57  ID:ruoKSPR5i.n
経済が、回らないと国は動かないのに何で軽視されるんだろう?糞無駄な儀礼の方を削れや‼

176
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/10/12 23:22:38  ID:cko97/Fz0.n
つまりは、
儀礼制度の後世への影響力は、王莽>光武帝でよいのかな
光武帝の奴婢解放は、後世への影響は相当限定的みたいだし

郊祀、七廟問題の解決は、儒教国教化をしていく上では相当な功績だろう

経済については、貨幣改変についてはかなり微妙な感じがするが、
匈奴との戦争が余計なだけで、王田、六筦政策そのものが悪いようには思えない

177
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/10/13 21:44:40  ID:/ibAuSxL0.n
様々な背景があるにせよ、光武帝の経済制度で国が安定し、
王莽の経済制度が国に不安定要素を与えた可能性は高いのは認めるが、

制度の後世への影響は、王莽の方が圧倒的に上じゃね?

しかし、後世の研究で少しだけ名誉回復されたのはまだましだったが、
王莽は、始皇帝、項羽、煬帝に比べ、儒教批判の煽りをくらって、改革者としての要素は認められず、不運だな
正史での描かれ方も光武帝を美化して聖人にしようとする余り、
徹底的に敵を悪に描く後漢の歴史家のせいで、より小物に描かれたのだろうな
勝利者が劉邦だったら、もう少しましに描かれていたと思う

178
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/10/13 22:04:44  ID:vMIAji5n0.n
>勝利者が劉邦だったら
???????????????????????????????

179
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/10/29 20:08:09  ID:sClkg5+o0.n
王莽もちゃんとスレタイにいるのに、こちらの再評価は盛り上がらないのなw
渡邉が本まで出しているのに
荒らしっぽいのが制度とか語るから、どんな新たな伝説()ができたかと思ったが
ただの知ったかだったらしい、残念!

結局、光武帝って、王莽に勝っていると確実に言えるのは
結構あやふやな軍事能力と匈奴相手にはヘタれた外交能力だけかね?

180
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/10/29 21:04:51  ID:Q2LR9yig0.n
>匈奴相手にはヘタれた
光武帝憎しのあまりにこういうこと言う人も大概だな
遊牧民相手に下手に強硬にしても国力消費するだけで何もならないことは後の時代にも理解されているのにな
匈奴相手にいきがって滅亡への道を歩んだ王莽よりははるかにマシだよ

181
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/11/03 17:15:59  ID:zvjri3P+0.n
それなりに、確実に勝っている、マシと評価した上で、
現実を見て、匈奴にヘタれたと言っているんじゃん
けなしてばかりでもないが、ヘタれたことに変わりはないだろ

そりゃ、時代が違う状況が違うっていくら叫んでも
異民族討伐で実績をあげた曹操や李世民に比べて、評価が下がるのはむしろ当たり前

お得意の予言で地球寒冷化を見抜いたって主張するなら何も言うことないが
コメント1件

182
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/11/05 19:45:54  ID:zdGeRT8hO.n
>181
王莽と比べてたんじゃないの?

183
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/11/05 20:39:24  ID:ahjy3STB0.n(2)
光武帝信者が荒らしている現場見つけたw

三国志11の新武将候補の能力値登録に、真剣に高能力をいれまくり、編集合戦をする光武帝信者の姿w
能力値表 tp://www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1173.html
コメント欄http://www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2431.html

>編集合戦ヤメロ
>いい加減にしてくれい

>諦めましょ、こうしてる間にまた編集が・・・

>やっぱり続く編集合戦・・・
>放置が一番いいかと・・・

>にしても、最早ギャグにしか見えない能力値だな

184
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/11/05 20:40:57  ID:ahjy3STB0.n(2)
マンセー、マンセー、ただマンセー
おれたちのさいきょうかんぺきむてきチート()光武帝陛下、マンセー!
三国志は雑魚! 李世民は捏造()しているから、全て史実()の光武帝陛下より、はるかに下! 二十八将全員が、韓信、張良と同レベル! 

歴史を自分の都合のいい方向に捏造しまくる韓国人とメンタリティに変わるところなしw

ネットに居座る、病人って本当こんな感じだろ

185
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/11/05 22:33:01  ID:jpBnDcLu0.n
ボクは男の娘ヴァンパイア
男の娘ハーレムを作るのだ!

186
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/11/06 00:44:38  ID:+vDNskri0.n
差別的発言やめてくれねぇかなぇ
批判している対象より劣悪にみえるって客観視できないほど視野が狭いのか?
ってこんなこというと、信者乙とか言い出すんだろ?
程度が知れてるっつうの。
信者も信者だが、アンチも相当下劣だな。
コメント1件

187
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/11/06 01:09:31  ID:5Y/rkCiOO.n
光武帝アンチって、ワンピアンチに似てる。

188
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/11/06 10:12:30  ID:Cnh0Y1Lg0.n
こうえんがかっこいい!

189
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/11/07 00:33:15  ID:bIdz3SIB0.n
俺は銚期派

190
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/11/07 00:39:10  ID:mUXJ1Zr20.n
じゃあ俺は張純でいいや

191
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/11/18 12:46:35  ID:hmDAGf3Y0.n
杜茂って祖茂の先祖?

192
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/11/19 00:08:51  ID:fNDTflcb0.n

193
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/11/19 10:47:42  ID:JzmYeZ0W0.n
?

194
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/11/22 01:14:16  ID:Jr6slB9K0.n(2)
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/154504/1/jor053_3_377.p...
この論文の5ページ目の「明帝の時、郎中の何湯は開陽門候を守していたが、
お忍びで外出し夜になって帰還した帝を閉め出したため、門候が皆「奪俸」に処せられた」
という箇所は論文の本質にはかかわらんとは言えいろいろ誤解してる
またこの逸話は光武帝のほのぼのエピソードとして理解されることがあるけどこれもちょっとおかしくて
何湯の剛直なさまとか范曄が論語を引いて「みちびくに政を以ってし、ととのえるに刑を以ってする」と形容した
光武帝の綱紀粛正の方針とかを読み取るのが本筋と思う
コメント2件

195
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/11/22 01:22:44  ID:JlKWygZd0.n(2)
>194
そうだな
仕事を守って門を開けず皇帝でも締めだした何湯だけは誉められてそれ以外の門の番人が罰を受けた、っていう話だな
光武帝の名君ぶりをあらわす話にはなるけどほのぼの感は皆無だなあ

196
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/11/22 01:48:02  ID:Jr6slB9K0.n(2)
入城させなかった他の門候まで処罰されたのは意味不明のとばっちりではある
コメント1件

197
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/11/22 07:24:43  ID:JlKWygZd0.n(2)
>196
まあ、実際に入場させた中東門候以外まで処罰されたんだとしたら辻褄合わないわな

198
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/11/30 17:20:46  ID:c8+aHMcX0.n
>194
論文の筆者が光武帝の逸話を明帝の逸話と間違えているね。

論文で文献は『後漢書』桓栄伝とあり、そこに確かに何湯の逸話がある。
逸話において、ただ「帝」だけで、これでは光武帝か明帝か分からない
が、この締め出し事件の後に来る話は、建武十六年と明記されているため、
ここでの「帝」は光武帝と決まる。
またこの論文の筆者が、原文を見て、その前後を確認せずに文献を引用
したのが取り違えの原因とも分かる。


それで不思議なのだが、195〜197が揃いも揃って、疑義も挟まず、暗黙
に光武帝の話の取り違えと認めてしまっている。見事にコンセンサスが
取れてますねえ・・・(棒読み)
コメント1件

199
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/11/30 17:30:09  ID:eYXuLckq0.n
>198
そりゃIDから見て2人しかいないし

そんな言い方してると逆に勘ぐられるよ

200
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/12/18 00:04:53  ID:p508ohvW0.n(3)
ID:wblsEBbp0

この重症患者はどこの板なら収容してくれるんだろう・・・
コメント1件

201
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/12/18 00:23:17  ID:p508ohvW0.n(3)
833 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/24(月) 22:23:31.88
過疎地の本拠地、中英も派手に光武帝批判に対する自演による誹謗中傷を繰り返して、
本気で検証されて、光武帝の事跡全体が捏造の可能性が濃厚って結論づいて、
完全なブーメランの壮大な自爆ぶりに吹いたなw
要は後漢時代は讖緯思想が強すぎて、他の時代より正史の真実性より自己への粉飾が優先されるってようだ
讖緯はいくらでも方士が捏造しうるし、都合のよいように感謝できる
後漢書は南朝に書かれたものだが、讖緯思想まみれの後漢の史書よりさらに光武帝の美化を行っていることは間違いないみたい
このスレの昔、言われていたことは当たっていたわけだ
しかしに¥、曹操患者なら、後漢書が魏に不利な情報が多すぎて、後漢びいき過ぎて怪しいってことに気づくべきなのに
なぜ、こんなに都合のいい方にしか考えきれないのかw
魏が好きじゃない俺ですら、後漢書からのある程度、差し引いて考えるのになw
おかげで中英では最近、見かけなくて平和なものだ

538 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/13(土) 16:34:37.78
>535
中英で、後漢書の光武帝マンセーが捏造の可能性大とされ、完全論破されたので、
今度は光武帝を切り捨てて、曹操を持ち上げてきているのが笑えるw
今までこういう厨は、光武帝と曹操は一緒にして持ち上げるレスしかなかったのにw
敗北を悟っての突然な更始帝の正当性大肯定、光武帝の全否定で、
再度の曹操、大肯定かよ
あまりに露骨だな

202
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/12/18 00:26:19  ID:p508ohvW0.n(3)
「光武帝」「捏造」でぐぐってみたら三戦の精神病患者のスレに引っかかった。
他に類似の主張もないので同一人物なんだろうな。
色々と長文で劉備や李世民が被害に遭っているとか言ってるがこいつらがどう見ても最悪。

203
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/19 19:56:45  ID:/qH78DS30.n(8)
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コメント2件

204
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/19 19:57:36  ID:/qH78DS30.n(8)
>異民族に領土を渡したのではなく、実は隠された敗北や譲渡があったのではないか?
>後漢書は他の正史と比べものにならないほどの隠蔽や粉飾があるのではないか?

正統扱いされた王朝が都合のいい隠蔽、粉飾を受けている可能性はどの史料にもありえるが
後漢書だけ比べ物にならないとまで主張するのは明らかに飛躍しているぞ
仮にその通りだとしても、何でそんな駄作が唐以後に三史として扱われるのか説明がつかないけど?

>三史なのは、史料が散逸して矛盾だらけの晋書以下と比べればということだろ

歴史的に後漢書は晋書以下よりは史料としてマシな扱いって前提が一致してくれたようでよかったよ。でも

>後漢書は他の正史と比べものにならないほどの隠蔽や粉飾があるのではないか?

って後漢書を嫌疑する主張と丸で矛盾してるけどなw
史料が散逸してて矛盾だらけの晋書以下と比較して、
より史料が散逸していなくて、より矛盾がない後漢書の方が、隠蔽や粉飾が比較にならないほどある!
とかどんな理屈の主張?

205
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/19 19:58:08  ID:/qH78DS30.n(8)
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206
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/19 19:59:17  ID:/qH78DS30.n(8)
>・光武帝の厨(笑)武勇から見て、後漢書は他の正史と比べものにならないほどの隠蔽や粉飾があるのではないか?

>『自搏戰』もやはり問題がある。
>光武帝が本当にやっていたとしても、大局に影響がなく、光武帝の徳には何の加算もされず、
>ただ単に光武帝が英雄という印象のためだけの記述であり、大きく信憑性を損ねている。
>『搏戰』であれば、親衛隊を率いて戦った程度と解釈できるが、
>一武将が行うことと、有利な状況で皇帝が行うことでは意味が違いすぎる。

前から同じことを言ってるがおまえの歪んだ主観から否定するのに拘ってるだけだぞそれ。
「元首が一武将として自ら戦ってはいけない」なんて法則誰が決めたの?
おまえが無条件にマンセーした項羽自体最初と最後は自分で戦って殺しまくってるんだからお話にならない。
もっともそれを俺は信じてるわけでもないし光武帝についてもそれは同様だ。
だが有利ならやらないとか元首ならやらないとか
おまえの勝手な経験則と視野狭窄な偏見だけで全て測れると思い込んでるのが独善でしかないから批判が終わらんのだな。
もっとも、お前にはジョミニ以外にも古代の不透明な戦場を知ったか出来るコージな答え()とやらがあるのだろうw
それについても根拠となる史料資料おまえが盲従してる教祖の著作などを挙げて述べるのが筋だな。
いい年こいた人生終わってるワープア&精神病のおっさんなんだろうが
成功者への嫉妬から身の丈を弁えない天下国家の歴史の知ったかなどに時間を費やすなよw迷惑だからw

ついでにお前の大好きな史料価値の高い三国志から出題だ
遣別將進攻關口、蔣舒開城出降、傅僉格鬭而死

で、自格闘と格闘って違うの?
おまえの阿呆な理屈通りなら傅僉は自分では戦わないで殴り殺されたことになるがw
一武将とはいえそういうありえない文章が載ってる三国志は偏向しまくってて史料価値が低いってことでいいね
もちろん皮肉でおちょくってるだけだから一々真に受けるなよw


>結局、光武帝が、劉邦や李世民に比べ地味な印象があるというのは、真実がどこにあるかは置いて、
>『欠点がちゃんと記載されている方が、正史としての評価はともかく、皇帝の実績評価としては信用できる』
>ってのがあるんじゃないねーの。

結論に合わせて不都合な事実を排除するからそう思うだけ。
本当に美化する意図があり捏造隠蔽してたなら光武帝の治世が天災だらけで酷吏使いまくってたなんて記述残さんよ。
光武帝が無謬化されれるとかほざいてたが結局おまえの偏見と妄想でしかないことがまた一つ証明された。

>だが、ここで、『後漢書』にしても、別に他の後漢書を削ったり、補ったりして、流麗な文章を整えて評価されたもので、
>別に史料として優れていること証明にならないんだな。

バカが墓穴を掘って印象操作をはじめたw
結論に合わせて都合のいい部分だけ切り貼りしてるのがバレバレw
劉知幾が絶賛してるがお前個人の主観から捏造だらけ認定とか支離滅裂w
捏造だらけなら晋書以下と同じ扱いになるのが自然だがそうなっていないのはどう説明するの?

207
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/19 19:59:57  ID:/qH78DS30.n(8)
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208
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/19 20:00:49  ID:/qH78DS30.n(8)
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209
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/19 20:03:10  ID:/qH78DS30.n(8)
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コメント1件

210
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/19 20:03:12  ID:mWa+q4R00.n(2)
金印送ったのって曹丕じゃなくて洪武帝なの?
コメント1件

211
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/19 20:05:13  ID:/qH78DS30.n(8)
さて精神障害者の光武帝捏造認定粘着くんの論文発表がたのしみだ
情けない言い訳して引き伸ばし工作でもするんだろうが
次回の回診までに発表しとけよ(笑)
コメント2件

212
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/12/19 21:03:48  ID:dhnV+bRz0.n
長文すげえw

213
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/12/19 21:11:58  ID:CDKM9+0R0.n

まで読んだ

これが噂の光武帝厨なんか?
コメント1件

214
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/19 21:14:58  ID:8PHsQ3rz0.n
>210
漢委奴国王の金印送ったのは光武帝で合ってるよ
曹丕が金印を送った相手は、卑弥呼だけどね
コメント1件

215
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/19 23:10:12  ID:NykocpWV0.n
>213
だろうな
>完全なブーメランの壮大な自爆ぶりに吹いたなw
この引用レスにファビョったんじゃねえの
ということは、曹操患者って奴とやはり同一人物か

こいつの理論では、俺と213は自演となりそうだが
一応、言っておくな

216
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/19 23:24:00  ID:mWa+q4R00.n(2)
>214
教えてくれてありがとう!!

217
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/20 00:31:10  ID:n6/cZhNc0.n
更始帝(劉玄)はかわいそう

218
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2013/12/20 17:06:16  ID:Nc98WOqX0.n
    \           /
      \_     _/
          彡彡彡
          ミミミミ
          ミミミミ
         ノ σ ヽ
       / / ゚ヽ \
      / //\\ \
     (  ( ( O ) )  )   
      \ \\// /
         `   \/  '
\         *         /
  \_____/\_____/
女性蔑視・軽視の吉川裕(東北大学大学院博士課程)を糾弾する

219
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/20 20:29:26  ID:rl7J+u+00.n
ご立派な事を言われましてもねえ
もう一方で下衆なことやられていれば
信用に値しないんです

220
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/21 07:15:54  ID:+lx3SGi60.n
光武帝厨があらわれると、必ず下品がAAが貼られるな
で、なぜか、光武帝厨には叩いている相手が貼っていると特定できるとw

平日の日中にこういうことをやっている厨は
ハローワークか、精神病院で相手してもらえ

221
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/21 08:55:23  ID:ml39RyZi0.n
>209 指摘しないと一年半前と同じ間違いを引きずるのか?
× 東漢観紀
○ 東観漢記

222
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/21 18:49:32  ID:hZTd+ViC0.n
光武帝アンチの人は光武帝アンチスレを作って、そこで自論を展開したらいいんじゃない?
ファンスレとアンチスレを分けるのはマナーだろ?

223
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/22 10:09:26  ID:k3kfvMXx0.n
ここは、王莽、光武帝を含めた新〜後漢初時代を語るスレだけど?
ファンスレなどどこに?
ID:/qH78DS30みたいなアホウなんぞに配慮して、なに、自治ってんだ?

224
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/22 17:59:06  ID:FYSUIMu50.n
韓国の「鉄の王キムスロ」というドラマに光武帝の甥のユ・チョン(劉チョン)という登場人物がいますがどうもこの人物の父(すなわち光武帝の兄か弟)が新の王莽に殺されたようです
歴史上この劉チョンおよび王莽に殺された父という人は実在するのですか?
コメント1件

225
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/22 18:35:11  ID:/vs03K2R0.n
光武帝は3人兄弟(姉妹は他にも居ますが……)
その内、長兄の劉エンは更始帝に殺され、次兄の劉仲は王莽軍と戦って戦死しています

劉仲は戦死時に子が無かったために、兄劉エンの子劉興が継承し
後に魯哀王と諡されています

韓国語に疎いため、興をチョンと発音するのか知りませんが
無理やり比定するなら、劉チョン=劉興というのが無難なのではないでしょうか
コメント1件

226
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/22 19:24:21  ID:8QlsgSjy0.n
劉縯に二子あり。長子劉章、父の斉王を継ぐ、すなわち諡されて斉哀王。
次子劉興、叔父の劉仲を継ぐ、すなわち諡されて魯哀王。

韓国語でどう発音するのか知りませんが。
コメント1件

227
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/22 19:51:18  ID:IxTv8cfC0.n
>225
>その内、長兄の劉エンは更始帝に殺され、次兄の劉仲は王莽軍と戦って戦死しています

劉秀(光武帝)は劉玄(更始帝)に身内を殺されたのに何故彼を一族として厚く葬りその三子を列公に封じたのでしょうかね?

228
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/23 12:35:28  ID:B0GE1FCy0.n
>劉秀(光武帝)は劉玄(更始帝)に身内を殺されたのに何故彼を一族として厚く葬りその三子を列公に封じたのでしょうかね?

史書には理由は記載されていないので、これからのレスを推測
信者 ・・・偉大なる寛大なる光武帝陛下は、憎き私欲の権化であり、無能なる劉玄の罪を広いお心でお許しに(ry
後漢書派・・儒教を大事にした光武帝だから、劉玄に罪があっても、いったん主君を仰いだ以上、礼を尽くすのは当然
懐疑派・・・元々、劉玄が劉秀を冷遇したわけでもなく、大任を任せていた。その上で反したのだから、兄殺しはチャラ
捏造派・・・劉エンには殺されるべき罪が本当にあった。劉秀は劉玄に重用されていた
      また、劉玄は暗君ではなく、不運な軍事敗北で死んで、謀反の正当化のため、全てなすりつけられただけ
      真実を知る劉玄配下や良心を持つ部下の手前、劉秀が聖人ぶって格好つけただけのポーズ

229
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/23 22:40:38  ID:X+gv/aJB0.n
>劉秀(光武帝)は劉玄(更始帝)に身内を殺されたのに何故彼を一族として厚く葬りその三子を列公に封じたのでしょうかね?

 現実派・・一族には劉玄を慕う者が多い。劉賜・劉信の叔父甥は劉玄の弟劉騫の仇を討ち、劉嘉は劉玄の仇である廖湛の
      大軍(赤眉軍を率いていた)を破り自らが殺害した。彼らの反感を買い、屍に鞭打つような真似、単なる
      鬱憤晴らしをして意味があるのか。寧ろ、劉玄を厚く弔い、三子を列侯封じることで、これまで劉玄について
      いた宗族を安心させることができる。

230
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/24 12:42:04  ID:nJRaDoAlO.n
劉玄の息子が郭聖通の息子の賓客になってて、この2人がつるんで劉盆子の兄貴を殺したけど光武帝は放免してる
光武帝はその一方で同じ頃に諸王が賓客を囲うのを禁止して、賓客1000人が死罪になってる
劉玄や郭聖通の血筋はそれなりに危険分子のはずなのに何かしらの配慮がされてたには違いない

231
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/24 19:32:08  ID:+ztILtYG0.n
もうそんな時期か

232
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/25 13:44:06  ID:0H6N3TmAO.n
>226
韓国語では劉章=ユ・チャン、劉興=ユ・フン、劉仲=ユ・チュンでユ・チョンと読む人物はいないな。

233
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/30 19:42:18  ID:C2WXuufs0.n
>224
その朝鮮ドラマのことは知らないのでなんとも言えないけど、劉仲と考えるのが妥当かと
ただ、もしかしたら全漢志伝(三国志演義みたいな古典小説)に元ネタがあるかもしれない
読んだことないけど
すげー適当な情報でスマン
コメント1件

234
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/31 11:23:22  ID:PT9zaz6V0.n(2)
>203-209、>211
>ID:/qH78DS30

短くすると、
「一年ぐらい必死に反論考えましたけど、知能が低すぎて反論ができません。
傅僉の格闘が根拠になると思いましたけど、必死に考えて、やっぱやめました。
仕事もしていないので、本を買う金もなく、図書館にいっても難しすぎて頭に入りません。本当に俺は頭、悪いです。
天災とか酷吏とか後漢書さえ読まずに語っています。というか、漢和辞典も持ってません。
いつも精神病を言い訳に親にごまかしているので、その関係の用語をとりあえず使って煽っています。本当の意味は理解できていません。
AA貼り付けのなすりつけをしたかったのですが、見破れました。現在、2ちゃん以外はどこもアク禁で行く場所がありません」

で、FA?

前回は光武帝捏造濃厚疑惑浮上に、今回は光武帝厨現存確定か、>186>200のレスが無駄になったな
究極の無能な働き者、ご苦労さん!

235
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2013/12/31 11:35:32  ID:PT9zaz6V0.n(2)
>「三史だから捏造が”少ない”」なんてどこで言った?
>捏造だらけなら晋書以下と同じ扱いになるのが自然だがそうなっていないのはどう説明するの?

こいつマジで頭おかしいだろw
自分でも何を言っているのか分からない類

236
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/01/01 10:21:52  ID:hswz3QW20.n
>233
どうもありがとうございます。
もうひとつ質問しますがその主人公キム・スロという人物の実の父親は新の王莽に仕えていた祭天金人族の族長という設定なんですが当時の中国に祭天金人族という異民族は実在したのですか?
察するに伽耶国の金首露王を北方騎馬民族の末裔とするために匈奴あたりのことをいってるのではないかと思いますが。
コメント2件

237
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/01/01 11:12:19  ID:1hqQRdNB0.n
>236
『史記』『漢書』には祭天金人が記載されています。匈奴の休屠王祭天金人を霍去病が捕らえたとありますね。その辺りを調べますと(これくらいは御自分で調べられると思いますが)。wikipediaに良い記載がありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91_(%E5%A7%93)
>察するに伽耶国の金首露王を北方騎馬民族の末裔とするために匈奴あたりのことをいってるのではないかと思いますが。

そうでは無いかと思います。上記のwikiのページでは別物ですが、金氏は匈奴由来の古い血筋だとか、勝手に改竄する某国人が出てくるかも。

238
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/01/02 00:33:27  ID:zLRodhXC0.n
>236
かいつまんで説明すると、
紀元前119年に漢の霍去病が匈奴の休屠王を攻め、祭天金人を手に入れました。
祭天金人とは「匈奴が天を祭るための黄金の像」のことです。

で、その年のうちに休屠王の妻子が漢のドレイになりました。
ドレイになった休屠王の息子は漢の武帝に目をかけられます。
そのとき祭天金人にちなんで金という姓をたまわりました。
韓ドラの祭天金人族とやらは、この金氏のことでしょうね。
もちろん漢においては祭天金人族なんてケッタイなよびかたはされていませんでしたが。

さて金氏はそののち漢の名家としてはばをきかせます。
王莽の新王朝においてもそれはおなじで、
特に金当という人物は王莽とイトコ同士でした(両者の母親が姉妹)。

後漢における金氏の羽振りがどんなものだったのかは
史料がすくなくてよくわからんのですが、
コーエーの三国志でおなじみの南荊州ザコ四天王のひとり金旋が
休屠王の息子の子孫なので、
金氏は後漢でもひきつづき名家だったと見ていいでしょう。
光武帝の甥に討伐されるようなことはなかったはずです。


つけくわえると、
休屠王の息子は匈奴の部族長ではなく個人として漢の武帝に仕えました。
その子孫もおなじことです。
嫁取りも漢人からえらんだことでしょうし、
王莽や光武帝の時代には
金氏は先祖がちと変りダネというだけで、
身も心も漢化していたはずです。

ドラマの人物相関図でキムスロの父が北方民族の族長とか
河汗(可汗のまちがいでしょうな)とかいうのは
完全なフィクションです。

長文失礼。

239
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/01/15 01:08:12  ID:vZZPM8YD0.n
ID:/qH78DS30みたいな雑魚信者を見ていると、光武帝って本当に研究されていないんだな、と分かるな

アホウなりに一年以上ネット検索して反論が全く思いつかず、自爆なだけの煽りをするしかなかったんだろ
三国志だったら、素人でもレベル高いレスをする人がいるし、その反論に対するそれなりに説得力ある反論を考える人がいる
ID:/qH78DS30の間抜けでも、コピペすれば少しはましな論者に見えただろうに、何も用意できなかった

ネットの論者も信者サイト、wikiの人、やる夫の人、光武帝も扱う三国志サイトの人と、ここにいる何人かぐらいしか見ないし、
学者もろくに論文に書いていない

信者サイトのコピペでは、史通だの讖緯だの東観漢記、漢書との比較に対応できないし、
信者はただ、認めない、理解できないと叫んでいるだけ
まあ、信者サイト自体が学説を認めずに理想の光武帝像をただ叫ぶ、そんな姿勢だからw

こんな状況なら、素人の論説でもそれなりに資料をさぐって、論説がしっかりしていれば、かなり有効
時代背景もろくに研究されてもいない段階で、語ったにしても薄っぺらい英雄談義にしかならないだろう

240
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/01/21 11:13:03  ID:xbPfAYaH0.n
こういう、反論どころか相手を罵倒するしか能のないやつってかなしーねえ
コメント1件

241
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/01/29 11:46:57  ID:lIzr4Nh00.n
光武帝は戦争弱い
ろくな敵がいないし
康熙帝その分李自成、鄭成功、呉三桂など16世紀を代表する
偉人達を平らげる英雄
コメント1件

242
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/01/29 14:18:43  ID:PZmD86NsO.n
>241
康煕帝その他は17世紀に活躍した人物だと思うが。

243
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/01/29 23:53:02  ID:qv/3/TV90.n
>240
全く、光武帝厨は反論どころか論すら論じれず、長文連投を煽りでごまかすしかねーもんな
人生で誰からも相手されていなくて、これからも死ぬまでされないんだろうな
で、マンセーマンセーいってりゃそれでいい、カルト集団探して、結局、光武帝を崇拝か
動画ぐらい作りゃいいが、無能すぎてそれも不可能、ニコニコに書き込んでそれで終わり、確かにかなしーな

讖緯を操作して、自分自身をマンセーさせようとしても、歴史家は釣れなかったが、
2千年後の金印やった島国で少しばかり成功か、本当、世の中分からない

244
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/02/06 23:57:23  ID:DAKgd0mz0.n
ここの人は
秀麗江山之長歌行みたいな光武帝恋愛ドラマは
見ないんですか

245
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/02/07 19:24:57  ID:JHYcfTctO.n
ひたすらビジュアル重視の印象がある

246
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/02/10 23:46:14  ID:MZyufw6Q0.n
http://www.youtube.com/watch?v=Ww_sZtH4d-k
何でも香港吊りアクションにしてしまうんだな

247
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/08 15:26:01  ID:MIy9SWdt0.n
光武帝を扱った講談があるのかどうか知らんけど張飛や李逵とかの場を引っ掻き回す
トリックスターポジションは呉漢なのかなあ……馬武とかのがそういう豪傑のイメージが強いんだけど、
劉秀は更始帝に逆らうつもりはないのに呉漢が更始帝の派遣した太守を切っちゃったせいで
仕方がなかったんだとかやりそう
コメント1件

248
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/09 02:26:47  ID:DSFvjZxv0.n
東漢演義の劉秀は興奮のあまり武挙の会場で粗相してお尋ね者になるトリックスター

249
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/09 07:28:28  ID:DhJkQkoE0.n
ぶっ飛んでるなあ、もう新に乗っ取られ済みだから演義の劉備や宋江みたいに建前を取り繕わなくていいのか

250
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/11 01:18:26  ID:PRWxWxoc0.n
講談師からも呆れられるほどの主人公マンセーの厨設定
光武帝をドキュンにするぐらいしか話の作りようがなかったんだろうよ

251
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/11 11:30:09  ID:pLmWwKnK0.n
>247
張飛ポジションは馬武で合ってるんじゃね?
打金磚とか

252
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/03/23 09:03:27  ID:JVykTlHK0.n
ネットで見たら、王莽の王田制こそが奴隷解放や奴隷制廃止につながる政策であるという説がマジであるみたいだね

これが一般に紹介されていれば、王莽は苻堅みたいに
「現代的視点から見れば、崇高な理想に邁進した政治家だが、先進的すぎて理解されずに死に、死後は貶められた」
という評価ももらえただろうにな

それに対して、戦後の人口減から、戦時中に奴隷になったものの解放を命じただけで、その後、後漢で奴隷制が継続しているのに、
光武帝がさも奴隷解放政策を行ったかのように言われるのは不自然

控えめに見ても、王莽の方がはるかに実効性のある政策を打っているのにね
歴史に詳しいはずの現代の光武帝シンパによる、意図的な工作すら感じるな

253
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/23 11:49:44  ID:wnXpHAdz0.n
良くご存じなようなので、哀帝の限田制から詳しく語ってくれない?

254
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/23 12:14:33  ID:npR0fAg40.n
そんな小難しいこと言わなくても、奴婢の解放は漢の高祖とか武帝とかもやっとるよ

255
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/23 22:11:54  ID:nUwoPCg30.n
光武帝がエポックメーカーだと強弁する人はかれのやったことが全部オリジナルだと言わんばかりだけど
そうでないことは漢代史の概説書の1冊でも読めば分かるはず
概説書より難しい本何冊も読んだ上でなおそう考えるなら付ける薬はもうないね

256
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/24 00:40:03  ID:qYAu1OH30.n(7)
前漢の奴婢解放についてちょいと語ってみる。


高帝五年(B.C.202)五月、漢の高祖の出した勅に
「民以飢餓自賣為人奴婢者,皆免為庶人」
(民のうち飢餓のせいで自分を身売して人の奴婢になった者は、すべて免じて庶人とする)
とある。
これが前漢最初の奴隷解放。

ちなみにこの年のはじめ、高祖はようやく項羽をブッ殺した。
このときの勅には、奴隷解放のほかにも
租税の免除とか、逃散民の帰還詔令とか、爵位の授与とか、
いろんなことがもりこまれている。
ながかった戦争がようやく終ったという平和恢復宣言みたいな意味もあったかと思われる。

なお日本の戦国時代とかでも
飢饉のために身売したケースがあり、
秀吉や徳川幕府が戦後に人身買売禁止令を出した。
くわしくは藤木久志『雑兵たちの戦場』を読むべし。

257
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/24 00:45:07  ID:qYAu1OH30.n(7)
つぎ、文帝。


後四年(B.C.160)五月、
「赦天下。免官奴婢為庶人」
(天下に赦令をくだした。官奴婢を免じて庶人とした)
とある。

赦令とセットになっているから、文帝の恩情によるものだろう。

『漢旧儀』によれば、
奴婢が自分を買いもどして庶人になるためには千万錢が必要だとあるので(事実上不可能)、
たしかに文帝の恩情は自由になりたい奴婢にとってはありがたかったろう。

258
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/24 00:50:07  ID:qYAu1OH30.n(7)
で、限田制。


綏和二年(B.C.7)六月、ホモで有名な哀帝の勅に、
王侯吏民の位の上下に応じて所有できる田地の広さをきめ、
その田地の広さに応じて所有できる奴婢の数もきめ、
オーバーした田地や奴婢は官が沒収する云々とある。
そのつけくわえとして、

「掖庭宮人年三十以下,出嫁之。官奴婢五十以上,免為庶人」
(後宮の女ドレイのうち三十歳より下の者は出嫁させる。
 官奴婢のうち五十歳より上の者は免じて庶人とする)
とある。

259
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/24 00:55:00  ID:qYAu1OH30.n(7)
限田制についてちょっと述べておく。
コレ王莽の奴隷解放政策と不可分の関係があるので、
ご容赦ねがいたい。

前漢では豪族による大土地所有がすすみ、
中小農民は没落していった。
没落するとはどういうことかというと、
田地を売って小作人になることであり、
さらにすすんで自分を身売して奴婢になることである。
で、小作人をつかったり奴婢を買ったりするのは
当然のことながら豪族である。
こうして豪族はますます金持になり、
貧民はますます貧乏になっていった。

大土地所有の制限と奴婢問題とが
限田制や王莽の王田制でセットになってあつかわれるのは
そういう背景がある。

260
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/24 01:00:32  ID:qYAu1OH30.n(7)
この問題に対し、
大土地所有の制限をうったえたのが
儒者の董仲舒である。
もっともこのときの建言は無視された。

そして董仲舒から百年後、
限田制が発布されたわけだが、
このときの大司馬が王莽。
また限田制に関する議論の皮切となった人物の師丹は儒者で、王莽のシンパ。
限田制は王莽の関与があったものと見ていい。

王莽は漢臣であるときすでに
大土地所有の制限と奴婢解放政策とにかかわっていたのだ。

261
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/24 01:05:05  ID:qYAu1OH30.n(7)
なお議論がつくされたのち限田制について奏請したのは
丞相の孔光と大司空の何武であるが、
このふたりはどちらも儒者である。

要するに前漢の豪族による大土地所有と
中小農民の没落に関する問題に対し、
具体的かつ抜本的な対案を提出できたのは
ただ儒者のみだったのである。

この問題に関して法家や道家が何をしたのか、
寡聞にして知らない。

262
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/24 01:10:10  ID:qYAu1OH30.n(7)
さて限田制がどうなったかというと、
なんの効果も発揮しなかった。

限田制は三年間の猶予期間ののちに施行される予定だったが、
当然のことながらそのあいだに土地と奴婢の値段は下落した。
また哀帝の外戚およびホモ相手の董賢が反対したせいで
とうとう実行されずじまいに終った。

ついでにいうと哀帝はホモ相手の董賢を列侯にするとき、
限田制の規定の十倍にあたる二千余頃の田地を下賜した。

王莽は哀帝によって罷免され、領国につかされたのだが、
同時に自分のかかわっている限田制をもブチこわしにされたわけだ。
そして哀帝の崩御とともに中央政権にかえりざき、
ごぞんじのとおり漢にとってかわる。

そして限田制よりもさらにドラスティックな土地・奴婢政策である
王田制を施行するのである。

263
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/03/24 02:10:15  ID:23xqn0h+0.n
法家や道家ってこの時期には政権から追放されてたんじゃないの?
儒教国教化は武帝期ではなく元帝、王莽、光武帝、章帝期と説があるようだけど
武帝期以降儒教が浸透しつつあるのは確かなんだから
この時期には両者ともいないんでは?
コメント1件

264
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/25 00:18:27  ID:4lg0Uk2D0.n
>263
>法家や道家ってこの時期には政権から追放されてたんじゃないの?

それはどうかと。
たとえば武帝のひ孫の宣帝は法律好きで、
「「漢家おのずから制度あり。元々、覇・王道を以ってこれを雑す」
と言った(覇道が法家、王道が儒家)。
その宣帝のもとに儒家しかいないってことは、さすがにないかと。

あと限田制を奏請した丞相の孔光は、
姓から察せられるように孔子の子孫だが、
出世できたのは儒者としての素養によるものではなく官僚としての実務能力によるものだった。
くわしくは渡邉義浩『王莽』を読むべし。

あと孔光の先々代の丞相の薛宣も、
孔光の後任の丞相の朱博も、
儒教のジュの字も知らない小役人あがりだった。

武帝期以降儒教が浸透しつつあったというのはまったくの同感だけれど、
それは前漢後期でもまだまだ
法家や道家を完全に駆逐するまでにはいたっていなかったんじゃなかろかと思う。
コメント1件

265
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/03/25 00:42:29  ID:U5NP9v1d0.n
>264
宣帝は元帝の前の人でしょう
しかもそのセリフは儒教好きの元帝に言ったもの
あなたの言った限田制施行の時期は哀帝の時だから
例として宣帝を持ち出すのは違うのでは?
コメント1件

266
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/26 00:58:53  ID:vG9DLLEs0.n
>265

いやいや、
この問題に関して
大土地所有の制限をうったえたのが武帝のときの董仲舒です。
それから限田制の発布まで百年。
その百年のあいだ、
法家や道家はなにをやっていたのかなという疑問なのです。

267
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/26 01:00:21  ID:H8m7M1LD0.n
儒教国教化が完成したかほぼ完成したであろう後漢初期においてすら法律実務に携わる「文吏」がいたことからして
それ以前の段階で法家の者たちが追放されたということは考えにくいよ
武帝以降に起こった儒教一尊へと向かう思想状況がそれでくつがえされることもないけど

268
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/03/26 20:02:00  ID:no8UIf6E0.n(2)
武帝の時に国教化(実際はともかく)したと見せかけた
班固のように史書を書くのが儒教の影響をうけた連中ばかりだから
法家、道家は軽く扱われたり無かったことにされたのでは?

そもそもこの時代で上の法家、道家の著作自体思い当たらんし
せいぜい淮南子ぐらいじゃないの?

269
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/26 20:11:19  ID:no8UIf6E0.n(2)
後世で言うと科挙に合格した「官吏」
地元の有力者がなり世襲も多い実務あるいは執行に携わる「胥吏」
のようなもんじゃないの?
儒家と法家って

270
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/27 00:32:08  ID:/Q3UGCrm0.n
参考程度に、漢書芸文志で道家・法家の著作を調べてみると
武帝の時には道家が存在したことが確認できる(捷子二篇、曹羽二篇、郎中嬰齊十二篇)
また漢書が物されたとき近辺で道家の著作が出ているのも分かる(道家言二篇)

一方、法家の著作物は数が少なく、
漢書が物された時点でチョウ錯三十一篇が出典が判明している最新の著作になる

著作物で判断するなら、法家は武帝〜王莽時点で衰退していて、
道家については、武帝期に一度興隆して、その後衰退していた、と考えられるかもね

271
▼▼▼経済板荒らし〜元ナマポ受給者の知能▼▼▼[sage]   投稿日:2014/03/27 23:14:33  ID:VtZc+TZI0.n
下記スレ量産、2ちゃんねる経済板荒らし、自称坂本陽@豊中市

「糞汁は経済板から消えるべき」
「産業歴史博物館設立実行委員会(エンジン博物館)」
※スレタイに「北斗の軍」と入ってるスレ立てもこのクソ野郎の仕業

(´-ω-`)y-~(禁煙マスター) ← 史上最悪の中年荒らし (トリップを変えて別人になりすます技も覚えて来たようですw)

こいつのズリネタ          http://ameblo.jp/garo-farann/image-11515076726-12507503444.htm...


得意技:情報漏洩、ナマポ受給、糞ブログコピペ、ケムトレイル、人工地震、かまってちゃん、驚異の前言撤回w、都合が悪いとすぐ話題脱線

ナマポで助けてもらい  日本のモノづくりはオカルト /オカルト板
日本人滅びろ発言  9.11真相解明だけが、すべての突破口7 /経済板

情報漏洩をきっかけに   ●(´-ω-`)y-~禁煙氏と愉快な仲間限定対策スレ● /経済板
                 9.11真相解明だけが、すべての突破口7 /経済板
別れの挨拶1!     ロックフェラーVSロスチャイルド26 /経済板
別れの挨拶2!    日本のモノづくりはオカルト /オカルト板
別れの挨拶3!     9.11真相解明だけが、すべての突破口8 /経済板
そして告発の逆恨み!    9.11真相解明だけが、すべての突破口7 /経済板
                   http://ameblo.jp/garo-farann/entry-11462157964.html
精神異常をきたした  《TPP》国家の解体が始まる! /経済板
超低学力!       9.11真相解明だけが、すべての突破口9 /経済板

さらにロリコンも暴露! 産業歴史博物館設立実行委員会(エンジン博物館)4 /経済板-629

何を言ってるのか?   911解明がすべての突破口10天! /経済板
無駄にスレを作ってる張本人w  【秦氏】日本のルーツは古代イスラエル11【十支族】 /オカルト板

これはひどい    糞汁は経済板から消えるべき4 /経済板

272
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/29 17:31:25  ID:6ypKv2yk0.n
そもそも法家、道家、儒家を厳密に分ける必要があるの?

273
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/30 01:51:20  ID:RVP/VT310.n(3)
区別は厳密にするけど必ずしもひとつが他を排除するわけではないということじゃないの
始皇帝の焚書坑儒にしても対象は経典や儒者じゃなかったという説すらあるし
宣帝の発言も結局は儒教に基づいた施政を保障してる訳で
中国の歴史上明らかに儒教と法家とが互いに相容れない関係にされたのは
文革の頃ぐらいしかないともいえるはず

274
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/03/30 01:56:09  ID:xixKzNuW0.n(2)
なわけねえだろw
朱子学とか思いっきり否定してるぞw
それ以前の唐の儒者なんかにしてもそれは同じだわ
日本の儒者にしてもそう
コメント1件

275
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/30 02:13:29  ID:RVP/VT310.n(3)
儒教の礼学に強い規範としての効力を与えたのが法家
李斯も韓非子も荀子の弟子

276
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/03/30 02:16:07  ID:xixKzNuW0.n(2)
法家の商鞅と申不害、管仲(これは騙りだろうが)も儒教から派生したのか…

277
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/30 02:24:05  ID:RVP/VT310.n(3)
儒法は全く相容れない関係でもないと言いたかっただけだけど
そう酌んでくれないならもう絡まなくていいよ

278
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/30 02:32:21  ID:nKMu60m20.n
逆に元がいっしょだから相容れるというのがそもそもおかしいだろw
宗教にしたってユダヤキリスト仏教イスラム儒教どれも「異端」にはより攻撃的だし
むしろ相容れないからこそ補完関係が成り立つというのもありうる
コメント1件

279
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/30 02:45:02  ID:Vipd1emi0.n
そりゃ共通性があることを相容れると言えばそうだろうが
儒教の荀子にしても道徳規範を否定したわけでもなく
自分の考えの一部を極端に主張して、より重い価値をおいた仁などの概念を否定されたんじゃ
法家の連中とはむしろ相容れなくなる

280
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/30 14:00:32  ID:iIK6KQe50.n
前王朝否定が当然だけど、光武帝は王莽の背景となる儒学は肯定してるのね。
「王莽の王田制こそが奴隷解放や奴隷制廃止につながる政策であるという説」
が正しいとして、光武帝はそれを否定しなかった。いや寧ろ継承していると。
一方、隗囂らの挙兵の檄で「田は王田と為し、売買することを得ざらしむ」と
豪族側の視点で、王田制を王莽の罪としている。
南陽の有力豪族出身の光武帝が、叛乱した豪族側よりも王莽に近いのは
面白いね。

281
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/03/30 22:39:25  ID:KvkhU5nt0.n
>光武帝は王莽の背景となる儒学は肯定してるのね。

讖緯の利用も継承しているしな
王莽が定めた儀礼も継承している

国家としての利用価値は儒学は高かったんじゃないか?

282
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/03/30 22:52:43  ID:PSOus4RT0.n
光武帝にとっては、前政権否定をする際に、
王莽よりも更始帝の方が強い可能性があるのか

283
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/03 19:52:24  ID:2mqfFy5M0.n
光武帝自体が儒者じゃん

284
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/03 20:07:14  ID:q0PGO1+O0.n
漢王朝で武帝期以降儒教が普及してるんだから肯定するしかないんでしょう
そもそも高祖の時から一定の有用性は認められていたわけだ
宣帝だって併用するとか言ってるぐらいだから否定しようとは思ってないし
コメント1件

285
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/04/03 23:08:45  ID:6lLQiVPV0.n
>284
というか宣帝は経書を儒者について学んだことが明記されている最初の皇帝では

286
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/04 14:55:33  ID:z+UbwdxA0.n
>274
>278
楚狂接輿歌而過孔子、曰、鳳兮鳳兮、何徳之衰也、徃者不可諌也、來者猶可追也、已而已而、今之從政者殆而、孔子下欲與之言、趨而辟之、不得與之言。
要治世。半部論語。要出世。一巻南華。

異端に攻撃的かどうかは人や世相によるのでは
韓愈や朱熹ばかりが儒者ではないし、イスラムもキリストも原理主義ばかりが正しい宗教家の姿とも言えまい
相容れないからこそ補完関係が成り立つというのもありうるというのは分かるけど、儒家と道家がそれに当てはまるかどうか
まあ、どんなに論じても答えが出ないような話とも思うけど、落ち着いて菜根譚でも読めばいいかと

287
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/05 11:02:41  ID:AMVqjeYN0.n
思想関係は不毛な論争になりやすい

288
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/05 21:21:08  ID:QX7NfeeQ0.n
後漢はあんまり詳しくないが、儒教に囚われない革新的な開明君主ってのは評価のパターンだからな
曹操やら永楽帝やら、現代的に評価される。
光武帝もその仲間に入れた方が、いわゆる「完璧人間」としちゃ良いんだろうけど
あれはどう見ても儒者だなあ。大学建てたりしてたろ。

武帝以後でも王道覇道の宣帝が残してたのが
結局光武帝とその後二代の儒家好きによってほぼ定着段階に行った感じ。
コメント3件

289
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/06 22:27:56  ID:la9nmf1c0.n(2)
健全でない言葉が含まれているため表示しません 内容を確認する
コメント3件

290
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/04/06 23:29:44  ID:H65lEKMzO.n
光武帝を儒者じゃないなんて言ってる人なんていたっけ?
コメント1件

291
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/06 23:35:06  ID:7aq6hBl50.n
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%85%89%E6...#.E5.84.92.E6.95.99.E3.81.AE.E6.8E.92.E9.99.A4.EF.BC.9F

ここにいるじゃないかw
コメント3件

292
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/04/06 23:54:24  ID:la9nmf1c0.n(2)
儒教に囚われないから高評価、っていう流れは確かに最近あるね
儒教ならなんでも貶すような人も出始めているから、そろそろ違う流れも欲しいところ
コメント3件

293
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/07 00:11:21  ID:QTPK2lg80.n
最近つーか昭和からずっとじゃないか
儒教貶めれば評価上がるってのは
コメント1件

294
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/07 23:29:05  ID:ykJJ9TiC0.n(2)
>290
まあ、>291を念頭に置いて>288を書いたわけなんだけど、自分の好きな人物を「○○は儒家ではありません。法家です」みたいな感じで持ち上げる評価をする人はよく見るんだよな

>292には同意なんだけど>293の言う通り、というか、むしろ最近はマシになってるくらいだと思う
昔の論文だと「孔子は奴隷制の復活を提唱しており」みたいな「???」なものをよく見かけた
最近増えたとすれば嫌韓の影響かな?
あとはキリスト教なんかも含めて宗教自体の威信の低下も背景にあると思う
コメント1件

295
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/07 23:30:23  ID:ykJJ9TiC0.n(2)
ゴメン、>288じゃなくて>289だった

296
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/07 23:55:31  ID:j8Q9Qdpg0.n
日本での創作物での宗教の扱いは狂人か悪人かどちらかしかいないと言い切ってもいいレベルwww(当の宗教を除けば)
特に儒教は日本での普及もあって、江戸から明治になる時にdisられまくったしな

嫌韓の影響はもちろんあるだろうけど、既存の権威に立ち向かうという観点から必ず叩かれるんだよな儒教
最近じゃ儒教のせいで中国が先進国から滑り落ちたと言ってる奴もいるしな
コメント1件

297
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/10 22:21:29  ID:k0qCCqMR0.n
>296
キリスト教を悪く書いてたらニヒルでカッコイイみたいな風潮とかあるよな
本人は「人が盲目的に評価する既存の権威に立ち向かう!」ってつもりでも、実はとっくの昔にメインストリームから外れてボコボコにされたものだという
権威とそれに抗う捻くれ者の両方にボコられる儒教たんがちょっとかわいそう

>294で書いた儒教評価が最近マシになったってのも他の発展途上国に比べて台湾韓国シンガポールが台頭し、続く中国が今や経済大国に伸し上がったことから、日本も含めて「実は儒教って凄いんじゃね」みたいな風潮になったのが大きいからなあ
結局、俺らも歴史の流れの中にある価値観からは逃れられないんだろうな

ところで、どうでもいいけど>289>292はID被りだからな!
>289は俺だけど>292はじゃないぞ!

298
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/11 01:23:00  ID:cqNncf570.n
前によく貼られていたやる夫の後漢初頭だっけ?
あれとかもろに儒教アンチで原理主義的なやつらをだしてやりこめるとか
章帝が基地外みたいな儒教好きだから叩いて、宣帝マンセーしてたな
コメント1件

299
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/04/11 01:35:19  ID:a/UvijHL0.n
宇都宮清吉氏は光武帝を儒家的名節をはげました一方で法家的法術と事務的精神の卓越した皇帝と評して
後漢の政治は儒家思想の絶対的優越において儒家的・法家的なものに統合されたと書いてる
古い研究だけど光武帝や後漢における儒教と法家との関係を的確にあらわしてると思う
コメント1件

300
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/11 11:34:37  ID:k5SIXMs30.n
>298
やる夫後漢は短編はいくつか読んで、長編はまだ読んでないからよく分からないけど、別に反儒教って感じはなかったな
ただ、やる夫王莽で宣帝が「俺、アンチ儒教の法家って言われてるけど、儒家も尊重したから」みたいに言ってたのは気になった
俺は宣帝が反儒家とか、法家だとかいう話を知らなかったから「???」って感じで

>299
座りのいい解釈だなあ
たぶん、儒法統合の流れはもっと以前からあったと思う
湯浅邦弘氏の研究によれば秦代の発掘資料の役人向けも文書でも、前期は四角四面な法文ばかりが載っていたが、後期になると道徳的な訓戒が増えたとか
(本が手元にないから確認できないけど、中公新書『諸子百家』を参照)
俺は大学では法学をかじってたんだけど、近代法も、結局は伝統的道徳や時勢を接ぎ木して作るもので、基盤となる道徳が必要不可欠なんだよな
法家一辺倒だと、そこが欠けてるので、異国を平定するには、まずは儒教のような共通道徳を上位に置いて、啓蒙を必要としたんじゃないかと
そういった流れが徐々にあって、光武帝が儒家による法家統合のひとつのマイルストーンだったのかな、と思う
コメント1件

301
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/11 19:55:40  ID:1CvD1Oof0.n
>300
後漢初頭の奴は章帝のあたりはかなりきついぞ。まあ長編読んでくれとしか

鑑の近代: 「法の支配」をめぐる日本と中国をみると
法家と儒家の間では、極めて断絶があって
管仲が書いたとされる管子が東洋で唯一の自然法思想を表したもので
法家はハンスケルゼンに代表される法実証主義の流れであり
むしろ儒と法家は完全に別れたんじゃないかな

(ケルゼンの純粋法学第2版の訳が出ていたけどまだ読んでないw)
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302
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/12 03:45:41  ID:NLiC/5PS0.n
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
コメント2件

303
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/04/12 13:15:03  ID:4v2Kyh8l0.n
こんな場末でも光武帝と儒教の関係を肯定する流れになると
荒らさずにいられない人がいるみたいですねえ
コメント1件

304
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/04/12 16:32:57  ID:BVfg/ClW0.n
>303
>302は他のスレでも出没してる謎の荒らしだから、光武帝うんぬんとは関係ないと思う

305
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/12 22:25:25  ID:V4ajYJWF0.n(2)
>301
うーん、なんとなく違和感があるが、うまく反駁できない
管子には興味があるし、鑑の近代は近いうちに読んでみよう
しかし、こういう面白そうな書籍を紹介されると思えば、多少自信のない雑なことでも言ってみるもんだな

俺が管子を読んだ印象だと、管子の法は、韓非子と違って、徳を基礎に置いている点で大きな相違があるように見える
少なくとも、韓非子のような、まあちょっと極端に戯画化すれば「法律さえあれば、それでいいんです!」というような風な内容には見えなかった
同じ法家に纏められているが、管子と韓非子にこそ、大きな断絶があるのではないか、と考えている
そこから、儒家の流れとして「孔叢子」や「論衡」あたりに言及したいんだけど、うまく纏まらないw

ま、読んでから考えよう
なんかスレチになりそうだし
やる夫後漢初頭は、もっと暇なときにでも読む
コメント1件

306
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/12 22:46:44  ID:/fvnErN30.n
>305
そのとおり
鑑の近代のなかでも一般に法家に分類される韓非子と管子(道家に分類されたこともあった)ではその道徳の扱いで異なる
だからこそ、法実証主義の韓非子と自然法の管子では断絶がある
法家は韓非子をもって集大成またはその代表と見なされたため、管子の思想は近代近くまで誰も継承しなかった
コメント1件

307
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/12 22:57:13  ID:V4ajYJWF0.n(2)
>306
やはりそうか
俺が考えることくらいは研究者は当然やってるとは思ったが、それらしき著作が見あたらなかったから気になってたが、いや、よかった
(実は、管子に徳の気配を感じたときは、俺だけが気付いたと天狗になってたこともあるw)
鑑の近代、是非とも読ませていただこう

308
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/15 21:09:16  ID:gw/01jCk0.n
どのあたりがクソなの?

309
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/16 14:47:40  ID:oZK7Qh+n0.n
健全でない言葉が含まれているため表示しません 内容を確認する

310
名無し[]   投稿日:2014/04/16 17:24:16  ID:y5H2xXZ/0.n
長島大貴(早稲田大学高等学院、早稲田大学社会科学部)は反社会性人格障害者。窃盗・傷害などの犯罪を繰り返している。こいつには気を付けたほうが良い。
コメント1件

311
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/04/17 07:50:21  ID:jJLYdB7u0.n
健全でない言葉が含まれているため表示しません 内容を確認する
コメント2件

312
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/04/20 07:46:10  ID:lh46JRfhO.n
お前の中ではな。
コメント2件

313
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/04/20 12:39:35  ID:kbRHSbtb0.n
雉も鳴かずば撃たれまい
コメント1件

314
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/22 22:44:35  ID:dj4DT9c10.n
>312
やっぱりいたか! 光武帝厨
>313も指摘通りわざわざ自分からゲロるとはな
本当にどれだけ頭が悪く、キショいのか
ここまで来ると、おかしさ通りこして哀れになるな

315
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/04/23 00:19:29  ID:pChfelibO.n
そうだね。お前のなかではな。
コメント1件

316
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/04/23 19:03:15  ID:UqG4wd7/0.n
アルビノの雉

317
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/04/23 21:44:02  ID:tYf9iNTw0.n
>315
だ〜から、貼った本人じゃなければ、だれがやったか分からないから
否定する必要もないってば

そんなことも分からない
どこまでアホなの?

318
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/04/24 02:23:38  ID:TXY1gqXxO.n
別に否定はしてないよ。
お前が何を信じようと個人の自由だから、どうぞ勝手に脳内の光武厨とやらと戦ってればイイヨ。
ただそれはお前のなかでしか通用しないよって指摘しただけ。

319
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/04/24 22:25:51  ID:QooQgdXg0.n
本気でおかしな生き物だな、お前
僕は光武帝厨じゃありませんし、荒らしている本人でもありません
過疎板ですが、たまたま立ち寄っただけです
でも、光武帝厨が荒らしていないとは断言できますが、
同時に本人ではないので、否定もしません
そして、それはあなた以外の全員に明白な事実です、私には分かります

深夜に必死に言い訳こしらえて、日本語として成り立ちもしない文を書いて、冷静な俺カコイイってか
妄想もここまでくると、ひたすらキモい

320
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/04/25 20:55:30  ID:y1Kv/chXO.n
ふーーーん。ま、いいや。
じゃあ、きくけど302のカキコミって例えば石勒のスレにも有るよな?探せばもっとあるだろ、昔からいる荒らしなんだから。これはトウヘイヘイとどう違うの?
311も流れから見れば光武帝はスゲーけど後漢はダメだって流れの後だよね。なんで光武厨って言いだしたんだ?
ようするに312で書いてあるのって両方とも馬鹿な荒らしだろ?ついでにお前もそうなんだろ?
違うって言うなら明確な根拠を書いてよ。お前がそう考えるのは自由だって言うのは前に認めてるんだから、ちゃんと周りが納得する様に頼むよ。
自分としては>312で終わっていたつもりがしつこく粘着してきたんだから、いまさら逃げたりしないよな?
あと、つまらない言い訳や話題逸らしはいらないから。
コメント1件

321
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/04/27 22:59:00  ID:QoMmriaP0.n(5)
>320
>お前がそう考えるのは自由だって言うのは前に認めてるんだから、
そう思うんなら、レスねだるんじゃねえよ
>ちゃんと周りが納得する様に頼むよ。
納得できないと、お前独りが喚いているだけだろ、お前は他人の脳内が読めるエスパーか?
ただの妄想マジキチだろうが
>自分としては>311で終わっていたつもりがしつこく粘着してきたんだから
俺こそ、>311で終わっているつもりだがな、お前が粘着しなければいいだけだ
>つまらない言い訳や話題逸らしはいらないから。
お前のことだろ

現実で誰からも相手にされないからって、ここでレス乞食やってんじゃねえ
コメント1件

322
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/04/27 23:02:05  ID:QoMmriaP0.n(5)
妄想完璧超人を崇拝する光武帝厨の輝かしい実績

^象操作と妄想で光武帝完璧超人像を流布するネット情報を盲信
 史通を語る論者に噛みつき、他の後漢書の存在も知らず、涙目で敗走
△笋詆弩武帝が豪族論や儒教論に比較的賛同の意を示したため、当初は叩く
 やる夫後漢初頭がでてくると対比のため、途端にマンセー
E初は曹操とともにマンセーし、三戦で曹操患者呼ばわりされ、
 曹操を切り捨てて光武帝をマンセー、度々自演行為を行う
い修里燭瓠光武帝も叩きの対象となり、光武帝のアンチを増加させ、三戦から逃亡
ッ羆僂貌┐乙△蝓⇔邦、劉備、李世民らを叩き、光武帝マンセーを続ける
Α峺朕優汽ぅ箸留口を言うな」と論点をすりかえ、光武帝批判に対しては具体的なレスも出さず
Г笋詆弩經曾蘰を荒らし、アク禁になり、作者を偽り、中英でAA荒らしや短文連投を繰り返す
史通を中心とした、光武帝批判が行われる光武帝スレで行われるように

323
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/04/27 23:03:05  ID:QoMmriaP0.n(5)
まだまだあるぜ

┘灰討鬟▲鵐糎討个錣蠅垢襪、さらにアンチな論者が現れると、途端にコテをマンセー
長文による煽りに満ちたレスを連投。返事がないと言い張り、AA貼りをなすりつけ、勝利宣言
基本的な資料すら把握していないことを指摘され、光武帝聖人化粉飾説が浮上。何一つ、反論できず
短文レスで煽るが効果なし、厨の存在はますます浮き彫りになる
1年以上考えたが反論が思いつかず、同一人によるレス認定の上、言いがかりをつけ、再度、勝利宣言。光武帝厨の存在が確定となる
ただの荒らしと化し、意味不明な議論を連呼する、レス乞食と化す←いまここ

俺が知っている限り、これぐらいかな

324
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/04/27 23:03:58  ID:QoMmriaP0.n(5)
こんな過疎ジャンルに、これほどのバカが何人もいるとは思えないから、今回の荒らしを厨と同一視してもむしろ自然
光武帝厨の異常者としか思えないファビョりまくった光武帝アンチや光武帝厨アンチへのレスや荒らし行為を見れば、
擁護する奴は本人以外ありえないって思うのが自然

しかしだ、どうせ理解できないって喚くだろうから、
俺も、お前が好きなように考えるのは自由って認めてやるからよ、妄想の中で好きに生きればいいよ、一生
だから、もうくだらねえレスするんじゃねえぞ、厨

まあ、とにかく俺はお前をただの議論厨のレス乞食とみなしたから、そのつもりで扱うわw
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325
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/27 23:05:25  ID:QoMmriaP0.n(5)
で、話題を光武帝に戻して、

光武帝の思想に儒教の影響がないって旧wikiの記事は、ほとんどwikiのノートページなんかで反論で否定されているんだけど、
当時の儒教って、現在でイメージする朱子学とは違って、法家思想や神秘主義の讖緯思想が混じり込んだものだよね?

結局、実態はどんな感じだったのかな?

326
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/04/28 21:21:15  ID:gPKx8It8O.n
あーハイハイ。
議論はしたくないわけね。わかる、わかるヨ。ヘタなこと言うとボロが出るからな。なら最初から粘着なんかしなければよかったのにな。
まあ、お前がそう言うならレスはもうイラナイよ。
だから一つだけ言わせて貰っとくわ。
お前長々ーと書いてるけど結局、このスレは過去光武厨に荒らされたからこのスレにいる荒らしは全て光武厨に違いない、としか言ってないぞ。だからお前がそう思った理由は聞いてないって再三言っているんだが。
そのくせ、この荒らし他のスレにもいるんじゃね?とかこの流れで光武厨のせいにするのは無理あるんじゃね?って疑問はスルーなのな。
つまりは答えることが出来ないんだろ?ただ認めたくないだけだろ?
それならそれも、もういいよ。ただ、だとしたら<妄想もここまで来るとひたすらキモい> って誰のことだろ〜ね〜。それとも<そんなことも分からない、どこまでアホ>なの?
そんだけだ。

327
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/04/29 04:30:10  ID:xZv1/z3i0.n
ID:QoMmriaP0

おまえいつぞやの李世民信者だな
レス乞食はおまえ
ファビョって罵詈雑言書き散らしてんのもおまえなわけだが
趣味は自己紹介か?w
コメント2件

328
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/11 14:11:20  ID:agZFzAPz0.n(2)
>328
また、すぐ反応してやがる
とことん暇だな、光武帝カルトは、見えない李世民信者といつまで戦っているのか

【高祖・光武帝】 前漢と後漢、どうして差がついたのか… 慢心、環境の違い
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1329577132/

48 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/02/19(日) 08:40:15.04 ID:Ln9L1fIg0
後漢は末期が面白いだけで、光武帝もあの厨設定、あまりにも嘘くさいしな
温厚さと真面目さがとりえな中興の祖を、家臣が全部功績を譲って聖人に仕立て上げた
とも思える

49 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/02/19(日) 08:46:22.79 ID:6mMlApcu0
李世民厨がここにも
捏造は李世民だろ

項羽劉邦でスレ伸ばせるJ民なら光武帝でも伸ばせる

13 : 風吹けば名無し[] 投稿日:2012/11/19(月) 00:52:11.61 ID:dx1zlQT5 [2/3回]
>10
捏造しまくりの李世民と違って光武帝にはアンチつく理由すらないからなぁ

ここまでの執念はどこから来るのかね
李世民を貶めれば光武帝の評価が上がると思うのなら、心底、社会性皆無で卑しいんだなw
程度が低い小中学校でいじめられ、そのまま社会を経験したこともないんだろうよ

329
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/11 14:21:30  ID:agZFzAPz0.n(2)
大体、皇帝高校のキャラとかもそうだが、
光武帝のキャラは、元々のイメージされていた
「地味で儒教狂いなところもあるが、真面目で堅実、しかもよく見るとやれば出来る子」
って方がずっと良くて、好感がもてるのに、

ネットで完璧超人にしたてあげて、中国歴史や世界史上の英雄を語る時に、
必ず完璧超人やチート人物の例として、テムジンの上位にして
書き込んでいる奴が悦にひたる存在にされてしまっているからな
信者も完璧超人像を押しつけて、批判を、存在しない李世民信者や嫉妬のせいにするだけ

そんな完璧超人が楽しいのは、極端に幼稚な人間でなければ普通は小学校まで
広い社会で受け入れられることはないだろ

330
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/18 01:02:07  ID:3+FL/Z+F0.n
てにおはや、読点の打ち方が大分危ういな。

331
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/05/31 01:58:11  ID:xqHWj88z0.n
光武帝って神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世とちょっと被るわ
婚約者を助けに行くのにお金をかき集めても足りない貧乏騎士
最前線で大砲撃ちたがるしw
最愛の妻は評判の美人

332
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/06/01 11:23:41  ID:m7LgBkYd0.n
よく中国史関係のスレで、昆陽で百万(あるいは42万)の軍勢を3千人で圧勝したことが通常運転の実力と評価して
光武帝が中国史上最高の名将や最高に人望厚い皇帝にあげられ、オール100点に近い能力値をつけられるけど

銅馬に敗北したり、大した軍事実績もない相手に手こずったり、自分で出兵せずにトウ禹や呉漢に任せて面倒な事態を発生させる不思議w
そんなに軍事能力がすごくて人望も厚いなら、絶対に裏切らない腹心たちに都を任せて、
赤眉も公孫述も隗囂も匈奴も一瞬で討伐してしまえばいいのにね

333
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/06/01 19:59:30  ID:oGhAVmUC0.n
てか結構裏切られてるよね・・・

334
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/06/10 01:10:59  ID:ZLDltXHM0.n
わたくし(司馬)光が申し上げます。
『尚書』説命に曰く、「薬は苦しい副作用がなければ病は治癒しない」と。
そもそも直言は臣下の利益ではなく国家のためになるものです。
そこで君主は日夜直言を求め、これを聞けなくなることを恐れるのです。
惜しいかな、光武帝の治世に韓キンが直諫のために死んだことは
どうして仁君・明主の汚点でないといえるでしょうか。

335
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/06/10 20:41:49  ID:ezVFdI2rv
歆字翁君,南陽人,以從攻伐有功,封扶陽侯。好直言,無隱諱,帝每不能容。
嘗因朝 會,聞帝讀隗囂、公孫述相與書,歆曰:「亡國之君皆有才,桀紂亦有才。」
帝大怒,以為激 發。歆又證歲將飢凶,指天畫地,言甚剛切,坐免歸田里。
帝猶不釋,復遣使宣詔責之。司 隸校尉鮑永固請不能得,歆及子嬰竟自殺。
歆素有重名,死非其罪,眾多不厭、帝乃追 賜錢穀,以成禮葬之。

韓歆、字は翁君、南陽の人なり、従いしを以て攻伐に功有り、扶陽侯に封ぜらる。
直言を好み、隠し憚り無く、帝ことごと容れる能わず。かつて朝会に因り、
帝が隗囂、公孫術の相与へし書を読むと聞き、韓歆曰「亡国の君は皆才有り、
夏の桀王、殷の紂王もまた才有り」。帝大いに怒り、以て激発に為せり
(気でも違ったかと考えた)。韓歆また歳月まさに飢饉凶作ならんとすと証し、
天を指し地を画し、言甚だ切なり。坐して免ぜられ田里に帰る。
帝なお釈然とせず、また使いを遣って詔を宣べさせこれを責む。
司隷校尉鮑永固く請うも得ること能わず、韓歆及び子の嬰ついに自殺す。
韓歆重い名有り、死はその罪にあらざれば、衆多くは厭わず、帝これを追い
銭穀を賜い、成礼を以て之を葬る。

光武帝は、韓歆を罪人とは考えていない。罪が為に自殺させたなら、礼を以て
葬る必要が無く、それによって罪人の罪を周知させることができる。礼を以て
葬ったということは、韓歆の死は取れに該当しない。少なくとも公的にはそれを
示す態度をとっている。

直言を好み、忌憚ないと言っても、言い方は考えた方が良い。それで身を亡ぼせば、
まさに禍は口より出づ、である。

336
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/06/11 23:00:51  ID:hlZW3Cz70.n
光武帝狂信者はアク禁中か
どれだけ発狂するか、楽しみにしているんだが

337
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/06/16 21:20:30  ID:rMtO41ei0.n(2)
『読通鑑論』巻6
http://ctext.org/library.pl?if=en&;amp;file=21129&page=127 〜
光武帝が功臣に与えた恩は厚かったが馬援だけは例外。それは馬援の自業自得。
建国に尽力したのに最後に罪を責められる者はその強大さや不遜なさまを嫌われるものだが
馬援はそうではなくてかれ自身が光武帝に嫌われただけ。
『老子』に「功成り名遂げて身退く」という。これは陰陽のようすを察知して進退をよくするということ。
隴蜀・匈奴・ベトナムでの功績で馬援は引退することができなかったのか?

武谿の乱では光武帝は馬援の老体をいたわって出征の申し出を許さなかったが馬援は強いて願い出て出撃した。
天下定まり、功名明らかであれば身を全うして親に報い、与えられた俸禄・地位に甘んじて君主を仰ぐものであって
どうして戦場で死んでたのしみを為すことがあるだろうか。

こうして光武帝は馬援が自らを貴ばないことを知った。自らを貴ばない者は明君から嫌われるもの。
また「戦利をむさぼるのでなければどうして戦地に老いて戒めを知らないでいるだろうか」ともいう。
明主からのそしりはおのずからやって来たものであり、老いて戦役を厭わず野心をたくましくすることは嫌われるに足りる。
ゆえに馬援は身は死して名を辱め、家はほとんど断絶するところだった。衰運に背き、進退の道理をなおざりにし、
戦を好み殺生を楽しんで正しい運命を忘れることを天道に逆らうという。老子のことばはウソではない。

『易経』に「剛柔は本を立つる者、変通は時に趣く者」とあるが、「時に趣く」とは進むべき時に進み、退くべき時に退くということ。
また「日かたむくの離、缶を鼓して歌わざれば則ち大耋をこれなげく。凶」という。これは馬援のこと。

338
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/06/16 21:21:54  ID:rMtO41ei0.n(2)
王夫之は光武帝は百王の頂点だとか絶賛してて功臣との関係も円満だったと言ってるけど
そういう立場に立って馬援の末路に言及したらこういう風になるんだな
昨今の光武帝論で光武帝は無謬の明君で功臣にも優しかった、で馬援も叩きたくないからといって
責任を梁松あたりに全部なすりつけたりするのはどうなんだろうね

339
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/06/22 19:21:39  ID:66rAOBgf0.n
王郎は本当にただの占い師だったんだろうか
ガチで成帝の子であった方が、またたく間に勢力を築いた事に対して説得力あるなと思う

340
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/06/22 23:28:31  ID:+SQlDtZh0.n
まあ本当に成帝の子なら正当性は向こうにあるからね
コメント1件

341
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/06/23 00:25:18  ID:QldXUXwU0.n
>340
羊飼いが楚王の子孫だったり、武帝のひ孫が牢屋で育って民間で生活していたりする世界だからな
劉子輿を信じたヤツも意外と多かったのかもしれない

342
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/06/23 01:27:15  ID:J7dnP2W00.n
宮崎市定『中国史』
「劉秀の方では劉子輿が成帝の子だなど称しているのは偽者で、実は卜者の王郎なるものに違いないと言い、
これに対し先方でも劉秀が漢の景帝の後だと称するのは偽者だと言い合ったらしい。
実は歴史家にとってはどちらでもいい事なのであるが、漢の後と称することが当時において
非常に有利な条件になったという事実は見逃せない。
別に漢王朝の恩沢が深く人民の間に浸み渡っていたというわけでなくても、その方が通りがよかったのであろう」

343
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/06/23 01:47:46  ID:17qGrzM60.n
似たような例だと盧芳なんて人も居ますな
光武帝に逆らった勢力は意外と劉氏じゃない扱いが多いのかも
と思って調べ直したら劉永なんて例があった
劉永は元から貴種として認識されてた人だからかもしれないけど

344
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/06/23 22:20:28  ID:TH9rKrZV0.n(2)
現在日本になぜか生まれた光武帝神話に異を唱える流れなら、自分もレスを

やたらと李世民に粘着する光武帝厨だが、
その知識の浅さから見て、こいつの読んでいるのは専門書でなく概略書の中で
比較的に李世民の歴史粉飾批判が強い陳舜臣の「中国の歴史」と思われる
この「中国の歴史」には光武帝に対する批判もたくさん書かれてあるが、こいつは言及することはない
「中国の歴史」の中では、劉楊も謀反の罪で誅殺したことも、光武帝に都合のいい記録として記載している

345
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/06/23 22:22:57  ID:TH9rKrZV0.n(2)
光武帝を擁護する側の反論は、「劉楊は甥の耿純に殺されたのだから、謀反は真実であった可能性が高い」、
「劉楊は同盟者に過ぎないから、誅殺ではない」、「謀反の疑いだけで、光武帝が劉楊を殺すことに問題はない」とするが、
全くの説明にならない
劉楊が臣従している臣だとすると、郭氏のおじであり多大な兵力を貸して光武帝に協力した劉楊を謀反を起こす前に殺すのは、
劉邦の韓信に対するのと同様に、言いがかりの疑いをかけられても仕方がない
劉楊が謀反未遂なのは光武帝も認めている

また、劉楊が光武帝に臣従していないただの同盟者とすると自立は自由なはずである
謀反の容疑で殺すのは、謀略と断言しても問題ない

なぜ、巷の光武帝シンパは、韓信を謀反の疑いで捕らえたり殺した劉邦を責め、
光武帝を誰も誅殺していないと断言できるのか全く理解不能だ

346
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/06/23 22:42:00  ID:xsKda0yD0.n(2)
それは同意するわ
危険だから殺したならわかるし
別に美化する必要はないわな

347
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/06/23 22:43:40  ID:xsKda0yD0.n(2)
あと他の劉氏にたいする見せしめ要素もあったのかな

348
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/06/24 00:14:26  ID:JvdmuXSt0.n
さらに、もう少し
陳舜臣の「中国の歴史」では後漢政権を「灰色の時代」とし、
礼教至上の社会であり、堅実だけれども沈滞の時代と評している

これは似たようなことを、東洋史の研究で知られた宇都宮清吉が、述べているからおかしな言葉ではない

ここに、光武帝シンパが、理屈をこね、明堂の建立や今文学による儒教国家の推進があったという学説を無視し、
光武帝の儒教との関係を否定し続ける理由が存在するんだろう

儒教との関連を否定せねば、光武帝の治世は礼教主義に満ちた堅苦しいものであり、
後漢当初が、聖人皇帝の統治による楽園ではなくなり、光武帝が完璧超人ではなくなるからだ
だから、かなり苦しくても光武帝と儒教の関係は否定しなければならなかった
すなわち、目的と過程を逆にしたレトリックが展開されているのだ

もちろん、儒教そのものにもマイナスイメージがあるため、理論の展開としてはかえって都合がよかったのも言うまでもない

349
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/06/24 17:34:06  ID:RV8osgZc0.n
光武帝信者云々はともかく
光武帝並びに後漢政権において儒教の影響を無視するのはありえんというのは同意する

350
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/06/24 20:28:38  ID:d/MsMgTr0.n
光武帝の兄劉エンも普通に名将だよなと思う
誅殺されなかったら弟並に活躍していたかもしれない

351
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/06/24 21:57:06  ID:p1nsFbic0.n
儒教に関してはどうもこの時代に限らず基本アンチなのが多いから
史書を書いたのは儒者だから歪んでおり間違っていると主張する奴は多い
コメント1件

352
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/06/24 22:56:25  ID:DkRhihQw0.n
>351
それも一理あるだろ
儒教に限らず自分の認識を超える出来事は理解できない
人間は勝手に正悪付けちゃうもんだ

353
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/06/28 01:31:47  ID:IuyVZJ6U0.n
陳亮『酌古論』
http://ctext.org/library.pl?if=en&;amp;file=919&page=87 〜
論者は「みな」言う、鄧禹の計はそういう(関中の勢力の自滅を待つ)ものであったのに
光武帝が鄧禹をせきたてて進軍させ敗戦させてしまった、と。
私「だけ」はそうではないと考える。(光武帝は)苦しみ動揺する関中の民を救うのが間に合わないことを恐れた、
まして自軍が勝っているのに留まって兵を進めないとは、はた何を待つことがあろうか。
長安に拠って戦勝ムードを盛り上げ、住民を慰撫し、士卒に振る舞い、弁士に威徳を宣伝させれば
赤眉・延岑は韓信が趙を破ったような勢いで簡単に平定できたはず、
しかし疲弊した兵を率いて延岑と戦って敗れ、糧食が乏しく連戦連敗、
どうして鄧禹の才略に足りない点がなかったといえるだろうか。

「論者」が誰を指すのかとかは分からんけど南宋の陳亮がいう限りでは
鄧禹の大敗の原因を光武帝に求める見解が多数派だったらしい

王世貞『読書後』
http://ctext.org/library.pl?if=en&;amp;file=52546&page=94 〜
明代になると鄧禹は将軍の器じゃないし光武帝も人選ミスしたから
両者に原因があるという指摘が出てくる
コメント1件

354
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/01 02:20:58  ID:lPGiCOUu0.n(2)
>203-209、>211 のID:/qH78DS30や
ほぼ同一人物確定の>327のID:xZv1/z3i0などの
全て妄想だけに存在する李世民厨の所業にする
マジキチ光武帝狂信者のカルトまるだしの電波な発狂レス「だけ」を期待して
このスレを見ているんだけど、まだー?

まさか、偉大で完璧な光武帝陛下のご威光を汚す輩に逃亡ってことはないよね( ´,_ゝ`)プッ
コメント2件

355
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/01 21:57:51  ID:96mrqckhO.n(2)
>354
>321
>現実で誰からも相手にされないからって、ここでレス乞食やってんじゃねえ

(´Д`)
コメント2件

356
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/01 22:22:54  ID:lPGiCOUu0.n(2)
>355
朝から晩まで2ちゃん三昧の廃人のくせに
レス乞食と釣りの区別もつかないとはこれいかに
自分だけにしか通用しない妄想の世界だけに生きているんだろうなあ
コメント1件

357
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/01 23:44:56  ID:96mrqckhO.n(2)
健全でない言葉が含まれているため表示しません 内容を確認する
コメント1件

358
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/07/05 04:55:50  ID:/Li/CMDY0.n
光武帝配下で一番の名将って誰なの?
呉漢?馮異?耿エン?

359
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/05 06:39:53  ID:kGWf8fG20.n
杜茂でしょ

360
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/07/05 15:42:39  ID:Brcgx7pP0.n
前漢スレはないのかな?

361
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/07/06 01:33:15  ID:XtqrzhPL0.n
光武帝も呉漢も馮異もちょくちょく負けているんだよなあ

362
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/06 15:56:05  ID:Wd1HUt2T0.n
>355>357
しかし、こういう奴ってなんなんだろうな
つまり、全部確認しているのに、光武帝につけてのレスは沈黙、釣りにはすかさず反撃って
結局、理屈になんの反論もできない醜い信者が粘着をしていることの証明にしかならないんだが

こっちはこいつにまともなレスする能力や読解力、最低限の人格なんて存在しないのを知っているから
どれだけ発狂したレスを返すか期待しているだけ、薄っぺらい歴史談義もいらない
光武帝厨くんの頭脳レベルなら「中国の歴史」斜め読みは偉業だろうが、遙か過去に通過してるしw

あ、コピペ荒らしや短文荒らしは飽きたからやめてくれよ、光武帝厨くんw
コメント1件

363
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/06 15:59:57  ID:WSyrVCtz0.n
大樹将軍が一番際立っている気がするなあ
呉漢とかはともかく光武帝配下は文武のバランスのとれた人材が多いんで
単純に名将を設定しづらいイメージ

364
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/06 17:11:31  ID:FMukRNkpW
>362

>どれだけ発狂したレスを返すか期待しているだけ、薄っぺらい歴史談義もいらない

しかし、こういう奴ってなんなんだろうな

365
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/10 01:06:31  ID:ED5O8dBj0.n
コウエンでFA。

366
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/07/15 02:06:20  ID:fJA7sK1g0.n
高祖三傑のように光武帝にも三傑があるなら、誰が良いだろうか?

367
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/15 07:12:44  ID:WIrH2i2s0.n
鄧禹、馮異、呉漢でいいんじゃね

368
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/07/15 08:15:22  ID:GWQ0sxMJ0.n
韓信ショウカ張良と比べるとしょぼすぎて悲しくなるなw
むしろ劉邦が二十八将を組んだら様になるかもしれん。

369
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/15 20:42:12  ID:B7K0ySk50.n
正直、劉邦軍団の方が、劉秀軍団より強いよね

兵数が同じならより優れた戦術を持った単独の指揮官である方が有利だから
劉邦が劉秀を凌いでいる間に、韓信が鄧禹・馮異・呉漢・耿弇を喰いまくり、
また、張良が大局を見据えた戦略・外交・調略を練り、蕭何が補給をする
陳平が反間の計で降将たちを疑心暗鬼にさせて、レキ食其・陸賈が説得にあたる
肝心の劉秀も彭越が後方を断てば、破壊力もなくなる
二十八将が兵を分けて対抗しても、兵の分散には限界があるから、
英布・灌嬰・曹参たちがいれば十分でしょ
いざとなれば、韓信を守備表示にして、外交・調略の成功を待てばいい
追いつめられても、偽りの和平を結んで後方から攻めるのを辞さないところも劉邦、有利

二十八将が章邯・英布・灌嬰・曹参クラスがごろごろいるのは認めるけど、
ホームランバッターばかり集めているようなもの
実際は、戦略・補給・後方撹乱・外交のプロフェッショナルがいるバランス型の劉邦軍団の方が勝つだろ
コメント1件

370
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/15 22:50:45  ID:r9FxPEMP0.n
真面目な話をすると、そういうif論は水掛け論になリやすいんでやめてほしい

371
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/15 23:32:09  ID:cQ4RMahH0.n
妄想と言ってしまえばそれまでだけど、正史読んでると、中国人って昔から異時代の皇帝や名将を比較したりすんの結構好きよね。

372
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/07/16 20:47:23  ID:dGJLkTM50.n(2)
>369
反間の計や説得なんかは、政治音痴で人事が下手な項羽だから成功した部分もあるから
劉秀陣営にも同じように上手くいくとは限らんと思う
コメント1件

373
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/16 21:43:32  ID:a30/CD1N0.n
劉邦が胸に矢直撃しても死なない超人だから項羽に勝てた部分もあるから
劉秀も胸に矢直撃したときに同じように生きていられるとは限らんと思う

374
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/16 22:25:51  ID:Lt9GADgE0.n
>372
どうかな
劉邦は勢力が項羽に比べて小さくても項羽陣営から就くものは多く、
造反するものは、ほとんどいなかったが、
劉秀は 特に反間も敵陣営からされた形跡もない勢力もある時に、
劉楊・彭寵・鄧奉と造反が相次ぎ、樊崇も多分容疑だけで殺されているしな

勢力互角の謀略のプロからの揺さぶりと、黒を白と言いくるめる弁舌の士がいれば、
史実よりもはるかに劉秀陣営はぐらつくと思うがな

劉邦はやっぱり大きな魅力か、巧みな人心掌握力があったと思うよ
いくら項羽が政治音痴で人事ダメでも、それだけでは族滅覚悟で不利な陣営にいかんでしょう

375
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/16 22:40:02  ID:7W7q2Zl20.n
別にどっちかに肩入れするつもりはないが
劉邦は彭城の敗戦で、韓以外の全諸侯が造反している件

376
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/16 23:41:33  ID:dGJLkTM50.n(2)
劉邦は統一後の反乱と離反が目立つな

377
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/07/17 20:29:15  ID:aPTTth060.n
劉秀陣営に張良・陳平ポジションの軍師がいない事には同意する
逆に劉邦陣営には鄧禹のような人事担当がいない

ついでに言うと劉備陣営には韓信・耿エンのような名将がいない
コメント3件

378
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/17 21:51:41  ID:MKskL7tT0.n
>377
それ、戦国時代の諸侯の名残
直属の配下は項羽と戦っているうちは、ほとんど造反していない
>377
統一後は呂后主導かもしれんが、強敵の不在で粛清モードに入ったから
問題ないとはいわんが匈奴が相手なら滅ぼされることはない
>377
劉秀陣営には、戦略担当参謀・謀略担当参謀・後方支援・後方攪乱・外交官・大将軍いずれも不足している
方面軍司令官と部隊長だけやたらと豊富なことが
劉秀が都を守りながら司令官を各方面に散らすという非効率な戦い方につながった原因と思っている
寇恂一人で補給・後方守備・外交をさせてるのも中途半端

>逆に劉邦陣営には鄧禹のような人事担当がいない
韓信を推薦した蕭何がいる
軍事厨である鄧禹の偏った推薦と違い、的確すぎる推薦
コメント3件

379
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/07/18 01:37:17  ID:pesY1UPG0.n
>378韓信一人を推薦しただけで人事担当って言うのはどうだろうか
韓信>>>>>>>鄧禹が推薦した人物全てって言いたいなら、まあそれでいいけど
やっぱりそれでも、人事担当とは違う気がする
コメント1件

380
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/18 22:36:32  ID:TFROGsE7o
>378
蕭何一人で補給・後方守備させているのは、中途半端とは言わないのだね。

381
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/19 21:50:14  ID:vagD20f90.n
陳亮『酌古論』
http://ctext.org/library.pl?if=en&;amp;file=919&page=38 〜
私は、いにしえより叛徒を屈服させ、英雄を使いこなすことで高祖にかなう者はないと聞く。
しかし、光武にできて高祖にできなかったことが2つある。
1つ、銅馬が光武に降った後も安んじなかったことは、高祖諸将の「沙中偶語」と同じである。
光武は「単騎で」銅馬を巡察し、「雍歯封侯」などすることなしに屈服させた。
2つ、関中を制圧した馮異が讒訴されたことは、蕭何が叛意ありと疑われたことと同じである。
光武は讒言を信じずいよいよ馮異への信任を篤くし、蕭何のように投獄などしなかった。〜

こういうのは論者の立場なり時代の要請なりに基づくバイアスと無縁ではないはずで
何でこういう議論が起こったかっていうメタな読み方をしないとダメなんだよ
「○○の言う通り光武帝は高祖よりすごい」ていう主張の根拠にするのはおかしい
あと何の史料のどこをどう読めば「単騎で」銅馬を見回ったと解釈できるんですかね?
100人連れでも軽装で乗馬すれば後漢書のいう「軽騎」になるし

382
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/07/20 00:15:20  ID:90AJLuNN0.n
逆に天下統一出来なかった光武、魏武(曹操)と並べられて評価されてるのも興味深いな
始皇帝と漢の武帝もどういう意味で比較されたのかみたいに

383
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/20 11:33:36  ID:CTmsN5FB0.n(2)
>379
>韓信>>>>>>>鄧禹が推薦した人物全て
実際それが事実だろ
人事担当は必要な人材を挙げるべきで有能なら誰でもいいというわけではない

鄧禹が推薦したのは賈復、銚期、呉漢、寇恂
確かに、出自が高くない部隊長の銚期、貴重な補給担当の寇恂はよい人選だと思う
だが、同僚と不和で勇にはやる賈復、略奪ばかりする呉漢に岑彭・馮異と同等の地位と貴重な精鋭を与えて、
司令官の数を増やして指揮系統を増やす意味が理解できない
鄧禹が岑彭・馮異の権限拡大を阻んだと邪推したくもなる
また、銚期以外は元々それなりの地位にあったもの
項羽軍で重んじられてもおらず功もない治粟都尉から大将軍を見いだした蕭何とは人事能力に隔たりがある
コメント1件

384
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/20 11:35:30  ID:CTmsN5FB0.n(2)
韓信だけで蕭何が人事担当は無理があるかもしれないが、
劉邦自身がすでに決起の時から蕭何、曹参、盧綰、夏侯嬰、周勃、樊噲と人材を集めた上で、
戦略の張良、騎兵の灌嬰、外交官の酈食其・陸賈、謀略の陳平など必要な人材はちゃんと登用している
劉邦が必要と思った人材は能力を認めて抜擢するから、これ以上はいらん派閥争いにつながる人材登用は必要ない
この下は各々で必要な佐官を補充すればいいだけ

南陽と河北だけで中枢を固めて必要な人材を抜擢せず、他勢力から馬援ぐらいしか登用しない劉秀政権の人事担当って言われてもなあ
鄧禹は三傑を兼ねようとして全部中途半端
「ともに帷幄で謀を巡らし、勝利を千里に決す」ってあんな非効率で司令官の戦術能力に依存したごり押し戦略、全然自慢にならんのだが
公孫述が劉備ぐらいの能力と人材を持っていたら何十年も独立を許してしまうイメージ
コメント1件

385
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/20 16:40:29  ID:ETNdz4A81(2)
>383

>司令官の数を増やして指揮系統を増やす意味が理解できない
>鄧禹が岑彭・馮異の権限拡大を阻んだと邪推したくもなる

「後漢書」「後漢紀」に基づいて鄧禹の推挙を時系列順並べ、間に岑彭・馮異の
エピソードを入れてみる。

賈復、王郎挙兵直前の栢人にて推挙され、(破虜将軍下)督盗賊に。
銚期、劉秀が信都に辿り着き、兵を募る際、隣の県にて偏将軍に(別働主将鄧禹の独断)。
(馮異、上述と同時期、また別働で兵を集め、それ故に劉秀に偏将軍とされる)
(馮異、王郎を破った後に、大樹将軍のエピソード。また劉秀に認められる)
呉漢、王郎を破った後の邯鄲にて、推挙で大将軍に。
(岑彭、河内に入った劉秀に太守韓歆と共に下り、韓歆の命乞いをする)
寇恂、劉秀が呉漢・岑彭に謝躬を斬らせた後、河北に賊軍を追う直前、河内は懐県で、推挙で太守に。


少なくとも岑彭を外さないと、邪推以外の何物でもない。

386
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/20 17:57:32  ID:ETNdz4A81(2)
>384

あなたの話を見ていると、前漢が得意だがスレが無いのでがここにやってきた、
俺の話に耳を傾けろと、世間に最近多い「上から目線」の感じがする。
それは構わないのだが、半可通な知識を開陳されると、ネットの世間に
「ソースは2チャン」のいい加減さをまた広めるので、あまり良いものとは
思えない。

そこで、折角だからあなたの知識の深さを証明してほしい。前漢ネタで、
どれだけ知っているか。
きちんとした知識を知っていれば、即座に答えられるはず。またwikiが
どれだけ正しいかも理解している筈。3日もあれば十分でしょう。
それにあなたの目的は前漢での知識の開陳だろうから、嬉々として行える
でしょう?
このスレの住人も極道いや極一部を除けば、そういう知的好奇心を持ち合わ
せている(んじゃないかな)ので、あなたの言動を一言一句を興味津々に
待ってくれるじゃないかと、憶測しています。
私たちを感心させてもらえませんかね?

問1.盧綰とはどういう人物か(新〜後漢初の住人は知らないからね)

問2. 韓信(韓王信の方)はどういう人物か(新〜後漢初の住人は「斉王」の方しか知らないからね)

問3.周勃とはどういう人物か(新〜後漢初の住人は知らないからね。「周亜夫」の説明を求めるのは流石に非道かな)

問4.灌嬰とはどういう人物か(新〜後漢初の住人は知らないからね)

問5.陸賈とはどういう人物か(新〜後漢初の住人は知らないからね)

後漢の人物やwikiの中身と比較されると更にうれしいなあ。あなたは後漢の
人物と比べてと言われるが、新〜後漢初の住人は知らないからね。
あなたには説明責任があると思うのだが。どうかな?

387
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/25 20:25:23  ID:ZSU5Kqo/C
>378

>寇恂一人で補給・後方守備・外交をさせてるのも中途半端

遅きに失したかも知れませんが、異議を申し立てさせて頂きます。
蕭何と比較されていることが多いので、寇恂が河内太守に任じられた直後と
考えます。そうで無いなら、その時期を明示して頂けないでしょうか? 
話戻って寇恂が河内太守に任じられた直後、後方守備は寇恂一人ではありません。
孟津将軍馮異、騎都尉劉隆、野王県令王梁、偏将軍丁綝(ていちん)がいます。
それぞれの列伝、丁綝については子の丁鴻(ていこう)伝を読めば全貌は明らか
ですが、ここはそこからかいつまんで状況を説明しましょう。
孟津将軍馮異は手紙を出して李軼の動きを封じ、河南を攻め、黄河を渡り敵の
河南太守武勃を亡ぼしています。「丁鴻伝」によれば偏将軍丁綝も黄河を渡り、
河南の地の東半分を抑えています。騎都尉劉隆は妻子を洛陽に残し、更始帝側に
その妻子を殺されて、恨みに燃えて馮異の下で活躍しています。野王県令王梁ですが、
野王県は洛陽と上党郡の間、ここに兵が置かれると、洛陽と上党の連携が阻まれます。
つまり、寇恂は一人では無いのです。
洛陽の主将の朱鮪は河内の温県を攻めるに当たって、自らは平陰の馮異を攻めたと
「馮異伝」にあります。ここはどこかというと、黄河を渡った所、河南の地で、
温県を擁護できる場所なのです。

反論があれば御随意に。

388
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/28 22:40:11  ID:KywNWNoF0.n
なあ、耿弇って言われるほどの名将か?
確かに、張歩も過去にそれなりの実績があげているかもしれんが、
ああいう情報作戦って知将と言われる武将なら誰でもやるんじゃないの?
実際にあれほど成功をしたことは見事なんだろうけど、
かかった張歩たちも、蘇茂の対応からしてかなり粗雑な兵略だったと言わざるを得ないんじゃないかな
耿弇はその後、派手な功績をたてていないことから言っても、
よく言われる雑魚専とか、相性の良い相手には名将だが、
それなりの相手には途端に良将レベルと化すというのが妥当な評価という気がするが
コメント1件

389
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/29 19:39:59  ID:eiMY6SQFE
>388

>よく言われる雑魚専とか、相性の良い相手には名将だが、

具体的な人物では? よく言われているなら、言えますよね。

390
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/30 01:45:24  ID:t1O5i2F/0.n
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/66553/1/jic050_075.pdf
武威漢代医簡について

http://i.imgur.com/LXgZdox.jpg
耿エンが処方したとされる薬は
人の陰を□小にし、陰嚢の下がかゆくて湿り、掻くと黄汁が出る
排尿障害、膿汁の排出
…の下が常に痛んで発熱し、熱が下がると頻尿になる
などの症状があって子供ができないという病気の治療薬
コメント2件

391
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/31 00:55:08  ID:9EuAE6+K0.n
七疾の七、「不卒」とは「事に臨みて卒(おわ)らず」とか
「事を行いて遂げず」の意味で深刻なインポテンツのことらしいから
これを治す特効薬を開発した耿エンさんは漢の中のオトコといえよう

392
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/07/31 22:33:41  ID:w6HHRpSe5
>390

(228)建威は甘粛省武都県の北。建威耿将軍は不明。

って、何この注釈!? 漢代の木簡なのに。
「或いは建威大将軍耿弇のことか」くらいは欲しい。

393
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/08/03 00:14:17  ID:yljoXyWw0.n
インポや男性不妊の特効薬作るていうのはもちろん現代でも凄いことだけど
子孫繁栄を旨とする当時の儒教的価値観に照らせば人類史上に残る偉業とみられたはずであって
せっかく耿エンさんが薬学に通じていたことを紹介しときながら
俺の(私の)耿エンがシモの薬作ったことなんかわざわざ言及したくない!みたいな理由で
この件に沈黙するのはかえって耿エンさんの事績をスポイルしてるといえるかもしれない

394
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/08/05 01:58:47  ID:kjDESMYn0.n
耿エンはよく語られるが同じ耿氏でも耿純はあまり語られる事が少ないな
宮城谷の「草原の風」だと耿純の方が目立ってたけど

395
きができるわけではないけど
超一流の人材を分担させ、それぞれのトップに据える劉邦陣営の方が
一流の人材を花形職場に何十人も配置して、地味な裏方は手薄な劉秀陣営より
余程う
[]   投稿日:0000/00/00 00:00:00

396
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/08/17 23:18:13  ID:bhCIxkE30.n
>395劉邦と劉秀の評価って割と半々ぐらいじゃない?
国の創始者や群雄などは劉邦>劉秀な評価だけど
儒者や文人なんかは劉秀>劉邦な評価が多い気がする

397
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/09/16 07:25:09  ID:t3zgGiae0.n
>395
劉邦はその生かした人材を後に粛清しまくってるのが皮肉だなw

398
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/09/16 20:57:24  ID:vc5D8U2S0.n
王莽というのは、橋下徹や東国原英夫みたいなポピュリストだったと考えていいのかな?

399
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/09/17 01:00:20  ID:yYQvlHJK0.n(2)
王莽は大土地所有制限や六カン五均で豪族や商工業者の不興を買ったし
抑圧された富家は庶民からの搾取を強めていった訳で
王莽が何かしらの層に迎合しようとしてたとは言えないんじゃないの
コメント1件

400
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/09/17 01:10:26  ID:yYQvlHJK0.n(2)
>390-393以来
ツイッターの光武帝クラスタが耿エンの薬を話題にしなくなったのが笑える
コメント1件

401
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/09/17 17:14:59  ID:QdNdR2WJ0.n
>400
マジかよw
てか光武帝クラスタなんかあるのかw

402
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/09/17 18:52:22  ID:wJzqA2N40.n
>399

政権をとるまでの話。

403
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/09/18 01:14:56  ID:GCdZnQjd0.n
劉邦の軍師張良、劉備の軍師諸葛亮
みたいな感じで光武帝には軍師がいたんだろうか?
なんか明確な戦略を考える軍師がいなかったような気がするんだけど

404
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/09/19 01:03:36  ID:er7DpHNg0.n
うろ覚えになるけど渡邊義浩氏は鄧禹が光武帝の参謀的な存在だったみたいな話してたと思う
ギョウで合流してからの短い期間しか同行してないのに参謀といえるのかっていう気はするけど
天下取りの大方針を献策したことをそう評価してるんかね


405
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/09/19 05:37:04  ID:DiMWBCSn0.n
光武帝は劉邦なんかと違って、本人に参謀的な能力があったと思われる。
コメント1件

406
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/09/20 11:29:42  ID:5/aon2h50.n(2)
蓋延の蓋は『康煕字典』が『広韻』を引いて胡臘の反切で音は盍としたり
『集韻』を引いて盍=何不(カフ)に通じるとしてることからすれば
コウと読んで別におかしくないんだよね

407
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/09/20 11:38:31  ID:5/aon2h50.n(2)
ところで盍=何不って漢文の教科書のなんぞ〜せざるの所で出てきたりするよね

408
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/09/20 22:21:24  ID:nFyUOTZq0.n
特に戦略的な事を進言した事もなければ、戦術的な事も進言した事のない鄧禹が参謀ってのは無理があるんじゃないだろうか
コメント1件

409
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/09/20 22:39:27  ID:bup6THeQ0.n
>408

人材を見抜く、司馬徽水鏡先生的な能力が高かった。

410
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/09/20 22:51:01  ID:4XqQ8N2V0.n
http://i.imgur.com/Z3UroTx.jpg
演義小説の鄧禹像
本国では大体こういうイメージ
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411
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/09/21 08:07:35  ID:loEKgnE6U
>410
活版印刷(木版)〜、つまり北宋以降、そして演義が巷に溢れるのは明清。
となると、娯楽として追及される素材に、漢時代の考証が十分にされることは無い。
まあ、共産主義政権下のシナでは別のイメージがあるのだろうな。
彼の地の今の歴史教育はプロパガンダだから、とんでもないものかもな。

412
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/09/21 10:29:21  ID:sqO++0Bq0.n
>405
ハイレベルになってくるほど、エースで4番が存在しないプロ野球と同じで、
兼任が難しくなってくると思う
光武帝は武将と政治家と皇帝まで兼任しているのにできたら、ラノベの世界

光武帝の戦略って、群雄相手の外交を施さず、数勢力を相手に同時攻撃して、
各軍が兵力不足に陥ってしまったって、光武帝ファンの人すら批判するほどだから、

鄧禹が参謀となったっぽい河北攻めは成功しているけど、
後は場当たり的に、手柄を立てたい武将たちの進言に従っただけで、
光武帝に参謀的能力はないと思う

413
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/09/21 23:28:55  ID:1hHc6YmE0.n
鄧禹って長安で大敗するまでは名将と言っていいほどの戦績だな
長安で大敗してからは下り坂を転げるように敗北を重ねる事になるけど…
後で名誉挽回できたとはいえ、その前の惨敗っぷりは酷い

よく鄧禹って将軍には向かないみたいな事言われるけど
実は名将だったけど、才能に溺れ調子に乗って大失敗してしまったタイプなんじゃないかと思えてきた
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414
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/09/22 21:13:20  ID:CvItqDkhw
>413
『後漢書』本紀には、王郎戦にて、栢人に駐屯していた李育に知らずして進み、
前衛の朱浮と鄧禹は破られたとあります。つまり長安で敗北する前にもやらかし
てます。

415
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/09/23 01:47:51  ID:Bnw+ikpQ0.n
李信さんとかと同じ感じかw
あいつも最初はよかったから調子にのったし
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416
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/09/24 00:23:02  ID:Cc6ozomd0.n
>415李信さんは楚で大敗した後の方が活躍してるからタイプが違うと思う

417
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/09/24 22:17:24  ID:VweQy7+D0.n
劉秀は、やはり劉邦ほどには人材がうまく使えない印象だよな
鄧禹に戦略を任せて参謀にして、馮異に別働隊を任せればいいような気がするが
馮異の忠誠心、統率力、統治力のどれかに不安があったのか、
鄧禹にずっと別働隊に任せてしまうもんな
あのまま、鄧禹が勝ったとしても功績が大きくなりすぎて後で困ることになると思うんだけど

劉秀のやり方は、二方面で軍事能力のある敵がいて大敗したら、政権が危機に陥る
戦略に長けているとはとても思えない

>実は名将だったけど、才能に溺れ調子に乗って大失敗してしまったタイプ
自分は李密を思い出した
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418
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/09/25 01:26:28  ID:G5mnMh7U0.n
>417劉秀って劉秀を参考にした曹操に似てるとこあると思うわ
正確には曹操が劉秀に似てるだけど

劉秀は一番信用できる鄧禹に別働隊を任せて失敗
曹操は親族で信用できる夏侯淵に別働隊を任せて失敗

419
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/09/25 03:53:45  ID:m1gwUr1r0.n
そんな一要素だけ抜き出して似てるって言われても……

420
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/09/25 03:59:41  ID:F4hKXonn0.n
親族活用は劉邦が劉賈を使ったように普通だし
そこは地縁血縁で信頼できる武将が失敗したってことだから似てるも似てるもなく
皆そうするだろうと思うが

421
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/09/27 22:46:42  ID:HHgqCi900.n
鄧禹>馮異の功績評価に納得できない人は多いが、俺は納得している
戦乱を勝ち抜く上で、最も重要な要素である戦略面で貢献しているのは
(といっても大方針の献策と死後の評価しか根拠はないが)
戦略面の功績が評価対象となっていないと思われる馮異とは違う

鄧禹の指揮官といての軍事功績、罪で功で全く帳消しになったほどじゃないし、
馮異も韓信ほどには指揮官としての功績をあげたわけじゃない
現実は、馮異が耿弇・呉漢・岑彭の分も代わりに功績をあげて、やっと鄧禹と競うぐらいだろ

422
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/09/29 19:24:02  ID:yXao4NdzO.n
 ___ _
  ヽo,´-'─ 、 ♪
   r, "~~~~"ヽ
   i. ,'ノレノレ!レ〉    ☆ 日本のカクブソウは絶対に必須です ☆
 __ '!从.゚ ヮ゚ノル   総務省の『憲法改正国民投票法』のURLです。
 ゝン〈(つY_i(つ http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html
  `,.く,§_,_,ゝ,
   ~i_ンイノ

423
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/10/18 13:21:04  ID:+ladm+s20.n
宮城谷が小説で書いたけど、それなりに資料を調べるのには時間がかかっているはずなのに
同時代の人物を主人公にしないのは、あんまり面白さを感じる時代じゃないからだろう

小説じゃ全体では勝っていて、武将一人のピンチじゃどうやっても盛り上がりはないし
中盤以降は、水滸伝の遼・田虎・王慶討伐みたいなものだからな
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424
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/10/18 13:59:31  ID:/m2Qhl+m0.n
>423

王莽のキャラクターは面白いと思う。

425
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/10/18 15:22:47  ID:PPU6ZCwu0.n
劉祉さん大好き。
コメント1件

426
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/10/19 13:11:50  ID:9tzDRYFRV
>425
何故に?

427
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/11/06 21:05:06  ID:KcSQdyZA0.n
>3http://i.imgur.com/tGF2z.pngみたいに光武帝は高祖と違って
部下任せの仕事をしなかったから凄いていう意見がなぜか根強いけど
劉邦がどれだけ我が身を危険にさらしてきたかに思いを致せば
その意見が明らかに的外れなのが分かるはず
最期なんかほとんど戦死というべき
コメント1件

428
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/11/06 22:31:12  ID:/MQ74Q3B0.n
>427劉邦ってずっと前線で戦い続けた軍人皇帝だもんな
子孫の劉備もだけど部下に任せっ切りみたいな間違ったイメージがついてしまってる

劉備は間違いなく演義のせいだろうけど、劉邦はどこでそういうイメージが着いてしまったんだろうか

429
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/11/06 22:39:28  ID:eNVAeXGM0.n
こういう時は、だいたい司馬遼太郎のせい
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430
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/11/06 23:33:55  ID:+KtGEfbu0.n
>429
司馬遼太郎でもちゃんと矢劉邦になってたのにな

431
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/11/07 21:17:58  ID:lre1JsMC0.n
劉邦が自分では何もしてないていう認識も間違ってる上に
そもそも他人を使役する者より直接の行為者の方が偉いていう理屈もおかしい
「大阪城を建てたのは大工さん」の類の小学生並みの考え方よ
その点では劉邦をよく将に将たりと評した韓信の発言は当を得てる
コメント2件

432
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/11/07 23:32:51  ID:XgLHb8T/0.n
まあ光武帝とかにかぶれた中高生なら小学生並の考え方でも仕方ないだろ

433
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/11/08 22:05:51  ID:RTG6tENy0.n
中高生なら可愛らしいけど大の大人がこねてる理屈なんだよなあ
>3の著者なんか北京大学出身の歴史学者だし

434
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/11/08 22:08:43  ID:r4H0eN6R0.n
誰かをageるために、時代を超えて別の誰かをsageるのは正直どうなんだと思う

435
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/11/09 00:04:47  ID:5SAHs4WB0.n
まあ最近の歴史学者がこれはないと思うが
とはいっても石ロクなんかが劉邦>>>>>>光武帝>>>>>>>>曹操司馬懿
と言ってたりもするし
ランキングする奴はつきものだしな…

436
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/11/13 22:14:35  ID:lkFWdQ2R0.n
光武帝って、後漢の歴史担当官僚が阿ってつくった「さいきょうこうてい」
南朝で聖人化された「偉大なる皇帝様」

近代になってやっと、礼教主義だの保守的だの豪族連合だの軟弱外交だの言われだしたのに、

素人歴史愛好家が学説を変な根拠で否定して、
後漢書の都合の悪い部分は儒教の捏造と印象操作でうち消して持ち上げて
最高の名皇帝像をつくりだした、ただのメアリ・スーだしな

ほとんど光武帝なんて、歴史学で語られるほどの影響もないのに奇妙な感じだ
コメント3件

437
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/11/15 09:39:42  ID:U3YE2HCI1
>436

>ほとんど光武帝なんて、歴史学で語られるほどの影響もないのに奇妙な感じだ

( ゚д゚)

(つд⊂)ゴシゴシ

(;゚д゚)

438
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/11/15 20:06:24  ID:SjBFdkJe0.n(2)
劉邦が戦ってないイメージは司馬遼太郎とか関係ないと思うよ
>431の引く「よく将に将たりと評した韓信」こそが諸悪の根源かと
そのイメージに引きずられて「家臣に任せて自分は何もしない劉邦」のイメージができただけだと思う
まあ>431の言う通り業務を家臣に任せて本人は指揮してただけだったとしても何も悪くないと思うけど

>436
どっちかって言うと光武帝って儒家に過剰に誉められた皇帝だと思うんだよな
俺は十分名君に数えていいと思うけど、なぜか「光武帝信者」と呼ばれる人が「儒教によって過小評価されてる!」と喚くのはなんというか奇妙
「奴隷解放政策は封建的イデオロギーを擁護する儒教によって評価されなかった!」とかねえ

実は奴隷解放ってのは段階的に儒家によって進められてた政策でもある
まず、秦穆公が奴隷出身の百里渓を重用したエピソードがある
そして孔子はこれを高く評価しているし、孔子の弟子にも奴隷出身と思わしき高弟(仲弓)もいる
孔子はこの弟子に対して「お前が王になればいいのに」と言ったり「有教無類」と言って、教育に身分や民族の差別は設けないと言った
その後、漢代になって、大儒董仲舒が「去奴婢除専殺之権」を出した
んで、儒家皇帝の王莽は奴隷制度を廃止した
この流れを見れば、むしろ光武帝の奴隷解放は儒家的だと俺は思うんだけどな
この後に続くのが出身身分に捉われずに出世でき、封建貴族を中国から一掃した科挙制度
「儒教は封建的身分制度のためのイデオロギー」ってイメージが先行しすぎてるんじゃないかねえ
前もここで書いたが、一方的に悪者にされる儒教が可哀想になってくるよ

439
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/11/15 20:33:04  ID:AmuJt1Wf0.n
儒教に関しちゃネット上でも愚儒がとか〜
前に貼られたやる夫の光武帝の続編の人なんか儒教disが激しかったし
嫌韓つながりで儒教が槍玉に上がったりするからね…
そのへんは光武帝とも無関係にあるし
http://pmazzarino.blog.fc2.com/blog-entry-54.html
こういうの見て孔子叩きのついでに儒教叩いたり
論語=儒教の全てと判断したり
宗教は糞とか言う人が儒教叩いたりするしね
コメント1件

440
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/11/15 20:44:10  ID:9rjytSr40.n(3)
儒教ルサンチマンの宗教
http://www.amazon.co.jp/dp/4582850073/

と書いている研究者もいるからしかたないな
コメント2件

441
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/11/15 21:17:40  ID:pEkczdSD0.n
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442
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/11/15 23:22:35  ID:XSuaOYrY0.n
司馬光が通鑑で光武帝の奴隷政策に言及しなかった原因が儒教の正名論にあるのは確かだろうけど
だから通鑑の価値はイマイチだとかいう意見みつけた時は何やこれと思ったわ
それがやる夫光武帝のスピンオフのスレ開いた最後になったよ
コメント1件

443
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/11/15 23:32:08  ID:SjBFdkJe0.n(2)
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444
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/11/15 23:52:41  ID:9rjytSr40.n(3)
実際五経や他の儒教関係でも
図書館にあるこれらへんで
http://www.meijishoin.co.jp/news/nc1144.html
多少確認できるんだけどな
1 論語 8,400
2 大学・中庸 7,500
3 小学 8,800
4 孟子 9,200
5 荀子 上 9,200
6 荀子 下 8,400
13 伝習録 9,600
23 易経 上 9,600
24 易経 中 11,200
25 書経 上 7,500
26 書経 下 6,600
27 礼記 上 7,500
28 礼記 中 7,500
29 礼記 下 6,600
30 春秋左氏伝 一 8,400
31 春秋左氏伝 二 7,800
32 春秋左氏伝 三 8,400
33 春秋左氏伝 四 9,200
35 孝経 7,800
37 近思録 9,800
53 孔子家語 9,600
63 易経 下 8,800
110 詩経 上 7,000
111 詩経 中 8,400
112 詩経 下 8,800
113 大戴礼記 9,200

445
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/11/15 23:54:45  ID:9rjytSr40.n(3)
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446
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/11/16 10:09:15  ID:FZ/mkdoA0.n
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447
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/11/16 15:38:22  ID:PwfHcf2E0.n
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448
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/11/16 23:03:54  ID:azuVYw0x0.n
以前にいた厨がいなくなったから、だいぶ光武帝を語りやすくなったな
根拠をあやふやでも光武帝を高く評価する論者を盲信して、
低い評価する論者とその意見を意味不明な根拠で煽りまくり叩きまくる厨は論外だけど、
それなりの知識があるはずなのに、信者の盲信する意見は否定せず、批判ばかり攻撃する信者もひどかった

多分、某ファンサイトやAA小説の制作者やその取り巻きなんだろうけどw
あのサイトとリンクしているところ多いから、昔、中英の主流だった人たちは沈黙していたと思ってる

449
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/11/17 00:33:45  ID:DjTOXKWC0.n
法家的刑の厳罰化を行ったのは、息子の明帝の方だよね。
その事で、同時代の儒者から批判されたりもしてる。
ただその彼も、儒の教え自体は尊重してて、決して反儒的思想の持ち主ではないけど。
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450
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/11/22 09:52:12  ID:VdM/oAeA+(2)
>447
が面白いことを言ったので、私も裏を取ってあげましょう。

『漢書』刑法志より

自建武、永平,民亦新免兵革之禍,人有樂生之慮,與高、惠之間同,而政在抑彊扶弱,
朝無威福之臣,邑無豪桀之俠。以口率計,斷獄少於成、哀之間什八,可謂清矣。
然而未能稱意比隆於古者,以其疾未盡除,而刑本不正。

建武・永平年間より、民はまた新たに兵革の禍いを免れ、人は楽生の慮れる有るは、
高祖・恵帝の間と同じく、しかして政治は強きを抑え弱きを助けるに在り、朝廷には
威を振るう臣無く、村里には侠気の豪傑無し。人口を以て計るに、断罪獄刑は成帝・
哀帝の間の十分の八と少なく、清楚と言うべし。然れど未だ意は、古の者の隆盛と
比べられようと称するに能わず、以てその病いが未だ除かれ尽されず、しかして
刑罰の根本が正しからず。

班固が述べている時期は、建武・永平より、つまり光武帝・明帝の時代。成帝・哀帝の
頃に比べれば良くなっているが、昔の隆盛時にはとても比べられないのは、「刑罰の
根本が正しくないから」。これは光武帝・明帝への批判になる訳がない。

で、そんな間違いを誰が言っているかを”光武帝” “刑罰の根本が正しくないから”で
検索すると、すぐに見つかった。その文面をよく読むと、『漢書』刑法志を読んでいて、
しかも中途半端な読解力だと判断できる。
コメント1件

451
450[sage]   投稿日:2014/11/22 14:13:21  ID:VdM/oAeA+(2)
余分な文字が残ってしまった。
× 十分の八と少なく
○ 十分の八少なく

452
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2014/12/28 11:09:33  ID:fg5va5kK0.n
某所の議論で見た、南匈奴の降伏が後漢や光武帝の政治・外交の努力の結果って何が出典なん?

戦争自体は後漢が不利→ヘイ州ら諸郡の民の内地移住→盧芳・匈奴に亡命(光武帝からの内地から圧力が強まる?)
→匈奴左部が塞内に移住→連年の飢饉が匈奴で起きる(寒冷化の影響?)→烏桓、匈奴と戦争を起こす
→匈奴、後漢に和親を求める→匈奴が分裂し、南匈奴・内附する→南匈奴、五原に至り、光武帝、受納する
→南単于、北匈奴に圧迫され、救援できず、南単于が南下して西河や放棄していた諸郡に移住することを許す
→後漢、放棄していた土地を回復し、内地に入れた諸郡の民を帰郷させる。
→南匈奴、北匈奴を討伐

これって、どうみてもただの匈奴の飢饉が原因で、南匈奴も降伏というより、土地を与えることで和親して味方にした形にしか見えないのだが
降伏した南匈奴をうまく利用して、離反させずに北匈奴を討伐したってのは分かるが、
南匈奴の降伏まで、後漢や光武帝の功績にするのはどうかな?
コメント4件

453
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/12/28 11:24:07  ID:iySigfJs0.n
>452
光武帝の徳が天を動かしてるだろ

454
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2014/12/28 13:01:40  ID:PV7KnT7BV
>452
一番の出典は、一次資料『後漢書』南匈奴列伝第七十九
これを議していない論議は無意味です。

南匈奴列伝をざっと目を通して思うには、光武帝は使者の行き来を継続していて、
いくら匈奴が驕り高ぶっていても、断絶しようとはしなかったこと。この為、
匈奴内部に後漢親派が生まれ育っている。それが結局、匈奴の内部分裂に至る
ことから、当初の政策、使者交流を続けるという光武帝の考えに功績を見て
良いと、私は思います。

455
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/01/02 15:41:46  ID:TIZDGgmv0.n
>452

> これって、どうみてもただの匈奴の飢饉が原因で、南匈奴も降伏というより、土地を与えることで和親して味方にした形にしか見えないのだが
> 降伏した南匈奴をうまく利用して、離反させずに北匈奴を討伐した


文字通り「夷を以て夷を制す」だな。

456
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/01/05 00:47:15  ID:1HA1TmhZ0.n
中央公論で宮城谷氏が「呉漢」を連載するらしい
コメント3件

457
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/01/06 22:00:50  ID:by3mD2d30.n
>456
厨が「やっと俺の時代()がきた」とか喜んでそうでいやだなあ
「呉漢」なのが救いか、馮異とか耿エンみたいにラノベにはならなそうだ
馬援じゃないのが意外だが
コメント1件

458
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/01/07 21:13:37  ID:CJRpNAZ90.n
喜ぶよりも「俺(私)の方がこの時代の真の姿を書けるのに!ムッキー!」
ていう反応なんだよなあ

459
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/01/08 09:24:45  ID:N1UrEHpu0.n
>456

知識人と東洋史マニア以外にはウケないような主人公を持ってきたな…

460
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/01/08 20:10:54  ID:e7p6ly+V0.n
というかよく選んだな

461
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/01/11 13:58:20  ID:NDfqzZrY0.n
以前に孟嘗君で白圭なんて東洋史しらなきゃ???な人物を芯に
したけれど、宮城谷氏の筆力で漢の魅力満載にしたら、全くの
素人のおばちゃんにも大人気を博したじゃん。
知名度は問題ではないのかもw
コメント1件

462
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/01/11 20:51:38  ID:6Bnk/WYw0.n
呉漢は悪い意味でも正史で印象に残る人物だし、元の爽やかな風を吹かせ回っている
印象のある馮異、耿エン、岑彭では々宮城谷よくある主人公にしかならないなら、英断かなと思っている
活躍期間も長いから時代の食い残しも減るし、
後は、南方討伐関係で「馬援」、新の視点による「王莽」、敵群雄の視点で誰か一人
と光武帝時代の政治家一人の中編ぐらいがあれば
そんなにこの時代は、興味深い題材はある程度網羅できるかな

463
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/01/12 04:32:47  ID:8o47qBEO0.n
>461
白圭なんて東洋史知ってる人間でもほとんどの人が知らない人物だよw
宮城谷氏が『孟嘗君』を書くまでは

まあ、『孟嘗君』の白圭はほとんどオリジナルのキャラみたいな状態になってるけど
『晏子』の晏弱といい史績の少ない人物の方が人気出る事多いな

464
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/01/12 09:41:18  ID:hB+QJs4y0.n
隗囂
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%97%E5%9B%82

          ↑

この人に似たキャラクターと能力の人は日本史には存在するだろうか?

465
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/02/08 10:45:57  ID:311PxCZFU
>450

その「光武帝と建武二十八宿伝」だけど、いつの間にかこっそり、直しているね。
大昔「誤った***論をぶった斬る」と威勢良いこと書いていたけど、こっそり
手直ししたように。
そういう事しているから、知っている人は評価しないんだ。

466
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/02/28 22:25:01  ID:CA+pi4hH0.n
http://i.imgur.com/3o0bJBG.jpg
洛陽城の門は12箇所。東側に光武帝が閉め出された上東門と開陽門がある
例の逸話は門番に閉め出し食らったお茶目ぶりを表してるように思われがちだけど
門候ていうのは首都防衛の最前線を担当する者の中でも12人しかなれない超エリートで
軽々しく門番とは呼べないし、その職務は極めて厳格に執行されるべきであるはずで
閉め出しの逸話も決しておもしろおかしいお話じゃないんだよな

467
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/03/01 14:54:38  ID:NWazv4nkU
>466
皇帝は一人だけ。門侯が超エリートなら、皇帝はなんと言えばいいの?
ルイ14世だっけ、「朕は国家なり」と言ったのは。
暴虐な皇帝なら、門侯だろうと殺害してるんじゃない?

468
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/03/06 19:34:21  ID:+bhl0sws0.n
自民党、グッジョブですわ。
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html

☆ 日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、改憲の参議院議員が
3分の2以上を超えると日本国憲法の改正です。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。
私たちの日本国憲法を絶対に改正しましょう。☆

469
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/03/16 22:21:10  ID:AA+0lANB0.n
>447
儒家に都合の悪い光武帝って解釈
いくら個人の論文にしても、正史と稗史、当時の碑文、学説などをいじくって
どうやったら、そんな結論ができるのかな?
結論があって、後から無理にひねり出している小説的な意見としか思えない

信じ込んでいる人がそこそこいることよりも、反論する人がほとんどいなかったことが驚きだな
この時代の愛好家たちが仲間を求めるため、嘘でもアイドル的な存在が欲しかったということなのか

470
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/03/16 22:33:28  ID:xkb/38Jq0.n
とりあえずアンチ儒教だからこじつける
この時代に限った事ではないが光武帝もある意味犠牲者だな

現代日本において影響はあるもののそこまでアンチする必要があるのかと思う
コメント2件

471
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/03/21 11:16:17  ID:dTpY+XKM0.n
いまだに、光武帝って検索したら、関連ワードに最強、チートってでるもんな
劉邦や李世民、曹操、劉備を下を見る理由がなにかと言ったら、
・一方的な勝利で創業?
・人格や能力に、目立つ欠陥が見つからない
ってだけw

そんなのいくらでも反論できるし、確実にある実績や名声より説得力がない

>470
信者がアンチ儒教でもあったのは、ただ単に自分が好きな者を現代的に完璧な人間にした方が、
厨が味方して矛先が他に向かって、ネット上の主導権が握れて議論に無双できるからじゃないかな
昔の中英って、光武帝好きが主導して、光武帝批判しにくい印象があったし(例:皇帝高校スレ)
コメント1件

472
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/03/21 14:39:23  ID:5dfeCx+Fk
>471

>そんなのいくらでも反論できる

見ていますから、続けて下さい。

473
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/03/22 10:36:28  ID:4Znf0hUS0.n
>470
シャルリー・エブドと根っこは一緒だろ。文化・宗教批判に名を借りたレイシズムの発露に過ぎない。
先のスピンオフで儒教批判とともに外戚の董憲批判に異民族弾圧を利用するなど光武帝作者なら絶対しないこと
をする一方で班超を持ち上げるように後漢の対外政策をキャラクターで色分けするなどこんなダブルスタンダード
を行うものに歴史を語る資格はないだろう。

AAの歴史ものは鎌倉・光武帝・関ヶ原のような微細に詳述するものですら歴史叙述ではなく歴史物語に過ぎないのだが
フィクションを真実だと信じる読者の錯覚が著しいのがAA歴史物語の特徴であり、上のスピンオフのような
2次創作キャラクター史観からレイシズムに達するものが出ると一気に文革の批林批孔レベルの集団ヒステリー
というネットの悪い面が現象として現れる。

474
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/03/22 12:13:56  ID:YkG4MFPe0.n
やる夫スピンオフだとドヤ顔で後漢書は偏向していて
章帝はクズだと気づいたのが学者にもいなく
俺だけが気づいたみたいなこと言ってたのがアレだった

475
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/03/22 15:08:57  ID:MOjp2jTP0.n
そら自分の凄さをアピールして褒めてもらいたいんだろ

476
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/03/22 21:00:41  ID:KAALFDKE0.n
蒼天航路も赤壁の真実に気づいたのは自分だけみたいなことをコミックスの後書きに書いていたから、
歴史に詳しくなった素人の癖だろ

そりゃ、学者は確証のあることしか言わないし、逆に史料に書いてあることを盲信して変な解釈になることも
あるから、大胆な仮説を立てる素人が必ずしも劣るとは言わないが、
俺だけ気づいたってのは、四次元殺法コンビに「よい子の諸君」って言われても仕方ないな

477
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/03/23 22:37:13  ID:FGx1bDdz0.n
何をどう読めば光武帝の政治に儒教の要素が全く無いとか
光武帝が後世の儒学者におとしめられたとか言えるんだろうね
さらにおかしいのが儒教と共産主義が結び付いて光武帝をおとしめたとかいう主張で
文革がどういうもんだったか少しでも知ってればそんな事思い付くはずないやん
コメント2件

478
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/03/24 21:11:37  ID:aVKegm2/0.n
>477
王莽と同様の神秘思想利用の経歴も聖天子劉秀は王莽と違い悪意を持ってやったわけではないということは
やる夫光武帝の苦しい話づくり(言い訳)を無批判に受け入れたことが原因だがな。

結局儒教批判を中共批判に結びつける日本の民間右翼の受け売りを垂れ流すように、
わかりやすい演出を繰り返すだけのアニメ漫画などのサブカルに浸かった人間が善悪(上っ面の有能無能の区別に過ぎんが)二元論に
傾きがちなキャラクター史観でしか歴史を見ることができないのは当然の帰結だろう。
コメント1件

479
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/03/24 21:38:10  ID:bTZmUkIF0.n
儒教批判は中共批判といより
韓国批判だろwww

480
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/03/25 01:48:02  ID:64QuRWDM0.n
>477の説の総本山はやる夫が始まるずっと前からあるんだよなあ
儒教を嫌えば嫌うほど自分が同じぐらい嫌ってる唯物史観に接近していってるのが
滑稽でしゃーない
というか儒教と共産主義をひとくくりにする誤解を改めん限り
この説の提唱者も支持者もおよそ歴史に言及する資格ないよ

481
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/03/26 00:29:00  ID:Q5NhmMkz0.n
>478
やる夫光武帝とそのスピンオフの後漢初頭は別の作者によるもので
後者の儒教叩きはかなりひどいが前者はそうでもないよ
コメント1件

482
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/03/26 21:06:37  ID:sTAgx6m50.n
>481
王莽による儒教体制づくりへの役割を果たしたこととその成果を享受した光武帝
という事実を抜かして聖人ぶりを描写したことが質の悪い2次創作の誘い水になったんだよなぁ…

明帝の厳しい政治を賞賛し、外戚の跋扈を許した章帝をおとすのだがそれを儒学のせいにするのが
的外れであり、章帝の失敗は後漢王朝の最大の欠陥である幼帝や在位年数の短さに求めるべきなのにな。
コメント1件

483
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/03/26 21:25:17  ID:OL1v50HF0.n
>482
>章帝の失敗は後漢王朝の最大の欠陥である幼帝や在位年数の短さに求めるべきなのにな
これは単なる不運じゃない
歴代王朝と比べても酷いし

484
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/03/28 22:07:42  ID:Rb6ORz4f0.n
>王莽による儒教体制づくりへの役割を果たしたこととその成果を享受した光武帝
>という事実を抜かして聖人ぶりを描写したこと

当時は例のサイトの影響力が強すぎて、それやったらアンチ認定されて信者から叩かれたと思う
実際やる夫光武帝すら、はじめ豪族論と儒教(と多分嫉妬)で厨が叩いていたし
前スレのコテ・煽り君も今読めば、かなりの光武帝シンパだが、多少でも光武帝批判が加わっていれば中立的な論者ってイメージだったよ

厳しい批判を引用したり、展開すると途端に厨が煽りだしてアンチ認定していたからなあ
学術的見解と光武帝評価がされないことを前提に考えようとしはじめたのは、ここ最近からじゃないの?

それまでは、あのサイトの信者と厨に関わり合いたくなくて誰も指摘しなかったって印象
コメント2件

485
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/03/29 15:05:57  ID:Yj16MeyrK
>484

>当時は例のサイトの影響力が強すぎて

>あのサイトの信者と厨に関わり合いたくなくて

10年前、例のサイトを知っている人は知っていたが、
だからといって盲信していない。
そもそも光武帝に興味のある人が、今よりずっと少なかったから。
もし、盲信者・反駁者が生まれたとすれば、やる夫光武帝で一気に知悉者が増え、
彼らが情報を求めて、例のサイトの情報を頼りにしたためでしょう。
それが、484の言う当時かその少し前になるのかな。

過去ログ『西漢』→『新』→『東漢』(光武帝)スレより引用

>456 :世界@名無史さん:04/12/21 21:46:11
http://www.geocities.jp/kaysak864/s-china.htm
>↑このサイトってここの住人にとってどうよ?

>457 :煽り君:04/12/22 21:51:25
>456
>釣り?
>忌憚無く言うと、参考になります。前から知っていたし。
>しかし、細かい間違いも含まれているし、主観で終っている部分もある。
>けれど、それでも参考になります。取り敢えず二十八宿全部埋めて欲し
>いね。

>458 :世界@名無史さん:04/12/23 07:12:25
>457
>ありが
>このサイトで興味わいたから
>一度漢籍呼んでみようかと思うよ。

486
靖国参拝、皇族、国旗国歌、神社神道を異常に嫌うカルト[]   投稿日:2015/04/04 16:58:09  ID:0CfEnuHU0.n
★マインドコントロールの手法★

・沢山の人が偏った意見を一貫して支持する
 偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法

・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
 誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法


偏った思想や考え方に染まっていたり、常識が通じない人間は、頭が悪いフリをしているカルト工作員の可能性が高い


10人に一人はカルトか外国人

「ガスライティング」で検索を!
....

487
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/04/28 12:27:24  ID:f0J9J7kV0.n
●●●対日恫喝!?



ネパール地震『311』に発生・・・人工地震か!?

日本時間3時11分に発生した。地震波形が爆発型である。スパイクが2連発。
http://richardko shimizu.at.webry.info/201504/article_162.html



2015年5月11日に第2の『3・11人工地震』が計画されているという予測

世界のエリートと直接繋がりのある週刊エコノミストの表紙が気になります。
右下に11.3(3月11日)とその左横に11.5(5月11日)と書かれています。
左下の地球儀の中の日本地図が変だそうです。ふむ。近畿地方がない。
http://mizu8882.blog.fc2.com/blog-entry-457.html

488
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/05/04 05:12:57  ID:XVzDrOTf0.n
唐の李靖が光武帝こそ将に将たる人物と評価してるな。

489
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/06 01:21:14  ID:4DOtI4EV0.n
王世貞「漢の高祖は蕭何・張良・陳平・韓信を、
明の太祖は李善長・徐達・常遇春を使いこなしたが
光武帝はホウ萌・隗囂・彭寵を臣服させられなかった
将に将たることにおいて高祖と太祖とに及ぶものはない」

490
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/05/06 04:38:00  ID:+sPSv5TZ0.n(2)
その将を後で粛清しまくるんだから性質悪いだろ。

491
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/06 22:04:10  ID:bmdY8E7h0.n
范曄「卑賎の者が分不相応な地位や封地を得れば君主に疑われ、増長すれば乱が起こる
蕭何・樊カイすら投獄され、韓信・彭越が粛清されたのは当然」

492
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/05/06 23:36:52  ID:+sPSv5TZ0.n(2)
蕭何・樊カイすら疑うのは人でなし。
幼馴染も匈奴に逃亡したしな。

493
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/07 20:14:50  ID:bAXYSlOj0.n
「光武帝は功臣に優しい!」→馬援「」
「光武帝は言論に寛容!」→桓譚・鄭興・尹敏・韓キン「」

494
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/08 00:07:42  ID:skdznHGa0.n
なんでも、人格や能力のせいにして、劉邦をディスる光武帝信者うざい

光武帝が天下中の勢力を武力で潰して、国力を激減させ、勢力が衰退した匈奴にも勝てない
勢威が弱い王朝を作ったのは事実だろ

すでに武帝が成功したことができなかったのを国力のせいだけにするけど、その後の後漢自体ができていない
劉邦に比べ、国力を強くする根が植えられなかっただけ

光武帝存命の時に豪族が強かったかは学説でも異論はあるけど、
功臣を多数封じすぎた上存続させて、後の豪族盛強時代の遠因をつくったのも事実だろ

なにより、史記・漢書の劉邦記述との差がありすぎ
光武帝が言論に寛容なんてことは絶対にない

495
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/05/08 00:12:39  ID:msUNHdGq0.n
匈奴は結局従属したけど
コメント1件

496
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/08 00:38:54  ID:kJBvWQoR0.n
馬援に対する光武帝の仕打ちってある意味粛清以上に酷いよな

497
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/05/08 08:00:44  ID:C7lsrvBE0.n
そこまでひどくないだろ。
ホウ越なんか塩辛にされたじゃん。

498
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/09 08:14:21  ID:7Z3qd08A0.n
>495
>452である通り、領土を割譲することで服属する形にしてもらっただけ
形式上、味方は増えたが、内部に敵をつくってしまった形といえるだろ

499
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/09 17:12:31  ID:fjdc7JzS0.n
光武帝好きと光武帝嫌いも、どちらも意見が極端すぎる

光武帝好きは、光武帝・後漢政府の功績でないものまで賛美する一方で、
光武帝嫌いは、功績として認められるものまで過小評価しとる
もう少し中立的な意見の応酬にならないものか……
コメント2件

500
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/05/09 20:15:17  ID:yISE2Xi50.n
後漢王朝は外戚の専横がひどいと言っても
呂氏程じゃないしな。

501
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/09 22:15:24  ID:J0CKK6bu0.n
光武帝も後漢も面白いと思うけどムチャクチャな理屈でひたすら光武帝を持ち上げる向きには閉口するわ
例えば奴隷政策だけ挙げて光武帝が現代的人権感覚の持ち主であるかのように語られても鼻白むだけ
桓譚らや韓キンの事件なんかおよそ現代的人権感覚ではありえない言論弾圧だし
司馬光が韓キン事件を名君の汚点と批判してるように前近代中国の価値観でも叩かれて然るべきもんなんだよ
コメント2件

502
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/05/09 22:22:53  ID:Kgcqz3EK0.n
やる夫後漢初頭だっけ?
あれだと韓キンがクズ過ぎてしかたないことにされてたなw
コメント1件

503
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/10 19:54:47  ID:BjjVAsZO0.n
>499
>もう少し中立的な意見の応酬にならないものか……
光武帝好き・信者側が変わらないと無理なんじゃないか
光武帝好きは、堂々と検索トップ近くに来るサイト、ニコニコ大百科の記事が
願望から来る曲解や誤訳、完全な独自学説まで堂々と行っている

対して、光武帝嫌い・アンチ側は、せいぜい否定的な見解からの史料の拡大解釈ぐらいだろ

また、wikiやここでの意見に反論できないままなのに、自分たちの意見を修正しようともしない
通史的な議論があったら、光武帝が中国史上最高かつ最強の君主と言い張り、劉邦や李世民らをディスる
圧倒的な実績があるわけでないのに、最高と最強を独占した結論で議論する態度自体に社会性を疑う

韓国と日本みたいなもので、比較的公正な方が引いたら、折り合いがつくどころか
信者側が声高にさらに自分の意見を通そうとするのは目に見えている

>501>502
信者側の桓譚・韓キンへの言論弾圧正当化すごいよな
二人とも完全に頭おかしい奴にされてしまっている
あれが通るなら、劉邦の猜疑心も李世民のクーデタも完全に正当化できる
范曄ですらあれは我慢ならなかったのか、尹敏のところで言論弾圧であると明言しているのにな
コメント3件

504
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/10 21:17:05  ID:gP03+dynA
>503
>范曄ですらあれは我慢ならなかったのか、尹敏のところで言論弾圧であると明言しているのにな

范曄の『後漢書』儒林列伝第六十九上、尹敏伝で「帝深非之、雖竟不罪、而亦
以此沈滞」と言っている所か? これなら「帝これを深く非とす、ついに罪に
なさずといえども、これ以後沈滞す」で、尹敏は不興を買って不遇になったと
しか読めないのだが。
違うなら、その原文の提示を願う。

505
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/05/11 22:09:43  ID:6RjuVdt5/
http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/chinahero/1355651479/l50
なぜかこっちでしか見えないレスがありますねえ

506
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/11 22:07:15  ID:jAHDVBzB0.n
范曄が光武帝の態度を言論弾圧と明言したかはともかく
讖緯説を批判した者の末路をわざわざ複数書き留めたことから
光武帝への批判を読み取るのは決して無理ではないと思うよ

范曄は表立っては讖緯がらみで光武帝を批判してないけど
そもそも南北朝は讖緯が好まれない時代で
後漢書にもところどころ讖緯に批判的なくだりがある
光武帝の正統性を根拠づけるような緯書由来の逸話が載ったりしてるのは
むしろ例外ぽいんだよな
コメント1件

507
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/12 20:16:42  ID:gDrMiG93H
>503
>>願望から来る曲解や誤訳、完全な独自学説まで堂々と行っている
と言って

>>>范曄ですらあれは我慢ならなかったのか、尹敏のところで言論弾圧であると明言しているのにな
と言っている。これが自明でないと、自分で「願望から来る曲解や誤訳、完全な独自学説」を堂々とやっていることになるな。

508
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/13 19:25:10  ID:y2u5o8v9D
>499
>もう少し中立的な意見の応酬にならないものか……
ここまで読んだら分かるだろう、無理だって……。503を借りれば
光武帝嫌い・アンチ側が変わらないと無理なんじゃないか
光武帝嫌いは、願望から来る曲解や誤訳、完全な独自学説まで堂々と行っている(503の尹敏)

対して、光武帝好き・信者側は、せいぜい中立的見解からの史料の拡大解釈ぐらいだろ

通史的な議論があったら、劉邦か李世民が中国史上最高かつ最強の君主と言い張り、光武帝をディスる
圧倒的な実績があるわけでないのに、最高と最強を独占した結論で議論する態度自体に社会性を疑う

韓国と日本みたいなもので、比較的公正な方が引いたら、折り合いがつくどころか
アンチ側が声高にさらに自分の意見を通そうとするのは目に見えている

>449
>光武帝好きと光武帝嫌いも、どちらも意見が極端すぎる
しかし、両極端は似たり寄ったりなんだよなあ……信じるに足りない

509
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/13 21:04:19  ID:ieyT1Hmw0.n
光武帝信者の強欲っぷり、すごいよな
過小評価されていた、不遇だった、もっと評価しろといって、ネットの中でやりたい放題
個人的見解の範囲と思って放っておいたら、最強軍人、最高名君の話になるとどこでも現れてドヤ顔で光武帝と叫ぶ

項羽、劉邦、李世民、三国志の人物を誉めると欠点を指摘し、光武帝に比べれば遙かに下等と断言する
擁護すると、相手が歴史の知識が浅いと上から目線で決めつけ、光武帝を批判すると人格攻撃までする
とにかく、認めさせてやりたい、やりこめたいのが文体からぷんぷん漂ってくる

ファンが強硬そうな朱元ショウと康煕帝、曹操相手は、控えるところがまたせこい
本当、日本の隣国の人みたいだ

510
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/05/14 01:30:59  ID:/PYeDLxs0.n
http://chaos2ch.com/archives/3885375.html
こんなところにもいた光武帝信者
>最強のホワイト軍は?
>後漢の光武帝(劉秀)の軍隊と

>8位 李世民の率いる唐王朝軍

なぜか李靖をこきつかったことがランクインの理由wwwwwww
コメント1件

511
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/14 22:49:43  ID:77z0mQt50.n
>506
>范曄が光武帝の態度を言論弾圧と明言したかはともかく
後漢書には言論弾圧とは直接的な表現はされていないけど、
信者のいうような自由な言論の空気のもと自己の正義だけを訴える諫言厨を罰したわけではないとは、
尹敏のところで充分に読みとれるよね、彼はどう解釈しても諫言厨ではなく、信念のある学者もしくは忠臣だ
これは、>501のいう言論弾圧という概念そのものだと思うよ

>光武帝への批判を読み取るのは決して無理ではないと思うよ
間違いなくそうだろ
南北朝は讖緯に関しては完全には否定的とはいえない時代でもあるので問題提起の意味もあったんじゃないかな?
彼が記述した光武帝は讖緯を権威の根拠としているし、范曄は讖緯をどこまで信じていたんだろうね?

512
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/15 00:33:18  ID:6ewWsPVu3
>503
>>范曄ですらあれは我慢ならなかったのか、尹敏のところで言論弾圧であると明言しているのにな

これは自明でない。511が後漢書をチェックして「直接的な表現はされていない」と言ってくれてるからな。
よって、503は自分で「願望から来る曲解や誤訳、完全な独自学説」を堂々とやっていることになるな。

513
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/16 21:10:13  ID:QIgrUR1h0.n
後漢書は李通が「劉氏復興、李氏為輔」の讖文を信じたせいで親族が殺されたことを
論語里仁篇の「富貴は正しい方法で得なければ保つことができない」ていうくだりを引いて批判してる
范曄にとって「真主」である光武帝の正統性を根拠づけるような讖緯を批判することはできないから
後漢の建国の根幹にかかわる李通の援助を批判したのは讖緯に対する自分の態度を
相当頑張って表明したものだと思うし、桓譚らの最期を収録したのも同じ趣旨なんだろうね

514
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/17 00:12:43  ID:jXdaR0t/0.n(2)
>510
すごいな、李靖をこきつかったことが項羽より上になった理由かw
歴史の改変とか、軍隊になんの関係があるのか完全にイミフ。功臣粛清とかやっていたかな?
正史をそのまま信じるのは危険だが、略奪に関しては呉漢みたいな無茶なこと唐軍はやってないのにな
李靖を使ったのは、彼の功績が大きくなりすぎても任せることができた李世民の大度を誉めるべきだろ
李世民自身が出てもいいのに、我慢して補給に徹したことに器の大きさを感じるけどな
それでブラックで、光武帝は馬援の扱いがあってもホワイトなんだなw
歴史にそれなりに詳しい人っぽいのに、そんな人までこんな認識なんだ、世界史関係論者の光武帝信者ぶりは本当に異常
コメント1件

515
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/17 00:13:27  ID:jXdaR0t/0.n(2)
後、領土関係で、光武帝信者の統一に関する評価おかしくね?
光武帝時代に、莎車国に印綬を渡した後奪い返して、独立を許したり、
鄯善国への援軍を拒否して、匈奴に服属させたり、
外交や軍事に失敗して実質的に前漢末期や王莽の時より領土を減らしていると思う

西域は確かに直轄じゃないけど、東西交易の差で前漢は好景気で後漢は不景気であった
宮崎市定先生も言っているし、これも積極的に西域と攻撃して攻略した唐と差をつけられて仕方ないと思う
コメント2件

516
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/05/17 18:49:55  ID:Vq14SPok0.n(2)
>514
軍事的にもそこそこ優秀だった李建成の事績を改変したり
殺したからじゃないか?
そんなこといったら真定王をころした光武帝は・・・
それより軍隊のブラック度なのに李靖がどうとか関係ないじゃん
スターリンみたく粛清したわけでもなく終りをきちんと全うしたんだから
馬援の末路を考えれば、李世民のほうがホワイトになるぞw

517
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/05/17 18:57:34  ID:Vq14SPok0.n(2)
>515
領土に関しちゃ拡大が必ずしもいいわけじゃないかと
増えても管理できず反乱の温床になっちゃしょうがないし
戦乱で人口が減ってるから内政に力をいれるのもしょうがないかと
1000万かどうかは不明だが中国史でもけっこう死んだわけだし
コメント1件

518
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/17 19:25:26  ID:MpyxcZttR
>515
>後、領土関係で、光武帝信者の統一に関する評価おかしくね?
>光武帝時代に、莎車国に印綬を渡した後奪い返して、独立を許したり、
『後漢書』の何処に記述してあるのか、教えてくれない?
それによっては光武帝を擁護できるかもしれない。
まあ、賛美するにしても非難するも、何が出所か分からないと
学説にもなりはしないからね。
コメント1件

519
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/05/18 23:22:39  ID:N+i8+bZ/0.n
http://newskenm.blog.fc2.com/blog-entry-25023.html
>項羽も光武帝のスペックからしたら糞雑魚だろ

本当、ニュース速報まで現れる信者ってのはどうしようもねえな
マジでごきぶりみたいな連中

はじめはまともそうなことをコメントしる奴も、光武帝の評価が下がりそうになったら
キィキィ喚いたり、厨の無茶苦茶なレスを放置するし

520
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/22 02:08:54  ID:EHzpvZtu0.n
とにかく光武帝がリンカーンの1800年前に奴隷解放したから現代的な人権感覚の持ち主だとかまるであり得ない話よ
光武帝が死刑囚の罪1等を減じて宦官にした事って要するに不能者を作り出して私的な奴隷にした訳で
これを現代の感覚でどうやって説明するの?光武帝はあくまで典型的な古代的専制君主のひとりであって
ブラックだのホワイトだの現代的な価値観で評価するのは現代人の傲慢というしかないんだよね
コメント2件

521
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/23 20:32:09  ID:AjByhNS80.n
>517
>領土に関しちゃ拡大が必ずしもいいわけじゃないかと
でも、前漢末期より領土を減らしているとなると最強無敵の光武帝というイメージとは異なるよな
劉邦は始皇帝の郡県制は急進過ぎたので、郡国制に改めたのは周知のことだろうけど
名将ぞろいのチート軍団なはずなのに、結局、北宋と同じってことだろ
>520
誅殺していないとか、一族の殺し合いがないとかが聖人最強存在願望の強い人間たちにうけるんだろうよ
奴隷解放の件が大きくとりあげたのって、どこかのライトノベルの大家が、妄想光武帝をモデルにした最強王子描いたのが発端だよな?
あれも王子がなぜ、奴隷制を廃止したいのが根拠がなかったし
ライトノベルを真に受ける人間たちが二十年以上過ぎても、ネットの中で同じ事を叫んでいるってことかね

522
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/05/24 00:20:51  ID:wwwPIMFK0.n
王莽ってワンマンだよね。

523
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/24 07:04:53  ID:pWC6swxZS
>518
返答が来ないね。怪しいよねえ。515は確たる証拠も無しに書いたのかねえ?

524
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/05/25 00:20:07  ID:pZ3InzvFS
某wikiでも光武帝アンチが1人で好きなように理屈を捏ね繰り回して喚いてるけど、
何だか同一人物っぽい人の書き込みがあるなあ。宮崎市定とか陳舜臣みたいな人物の評価に関係ない学者を持ち出したりしてるところなんか、そっくりだわ。

525
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/25 11:22:42  ID:RNHF/vg50.n
>520
奴隷制を否定したのは王莽であるように儒教原理主義由来なのだがそれを
例の2次創作のように反儒教人間にかかると光武帝の英雄的行為になるのだからな。
そしてそれを無批判に受け入れてしまう読み手はさらに問題だな。
この手の英雄史観は受け手の知識水準がモロに出るわかりやすい例だな。

526
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/05/27 01:16:15  ID:eE4shn5Y0.n
光武帝と比べると劉邦の方がやっぱり良い人材集めてるよな。
大人物を集める器量はやっぱり劉邦のが上だ。

527
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/05/27 23:37:15  ID:4sbJSBt80.n
劉邦と比べると光武帝は張良のような戦略を担当する軍師がいなかったと思える

528
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/05/27 23:45:18  ID:xnMKgJNS0.n
中国二番目の軍師ならいたじゃん
粛清したけどwww

529
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/05/28 23:39:39  ID:Q0WBuNeN0.n
劉邦の面白オッサンぶりは中国史上最高だろ。

530
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/05/31 00:08:25  ID:W0oJT6Sv0.n
張良VS韓信VS蕭何VS陳平VS彭越スレ

325 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/02/04(水) 11:49:26.24 ID:MSFALtkd0
劉邦のカリスマ性、張良の戦略眼
韓信の天才的戦術、蕭何の抜群の行政手腕
支那大陸4000年の歴史でも一人でこれだけの能力をもった人は現れなかった
ただ外国なら近い人物が一人いる
ユリウス・カエサル

328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/02/05(木) 13:52:46.41 ID:N5vh89rp0
>324
光武帝は?

329 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/02/06(金) 00:29:46.56 ID:DZDU7rVc0
>327
光武帝は戦略眼は微妙じゃないか?
それ以外はトップクラスだが

カエサルのことはどうでもいいが、
328は信者確定だが、329も2015年時点でこれなら信者といわれても仕方ないだろ

光武帝は地味な勝利は重ねているが、圧倒的な戦闘も一発屋に近いし、
政治手腕も画期的と言われるものは王莽のパクリばかりだし
人格面はある程度正史を信用しても、カリスマ性には乏しいし

というかネットって人望があって上司から評価されたり部下が逆らわないことと、
人格の欠陥も含めた上でカリスマ性があって人を引っ張るという魅力をごっちゃにしてるよな

劉邦が本当にどこまでカリスマ性があったかはともかく、
このようにして欠陥のない性格(と正史でされる)光武帝がカリスマに仕立てられたんだろうな 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:405b7f1af0f5a85b432d79fa769e9aeb)

531
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/07/25 17:01:04  ID:D6EYMTsj0.n
偶然見つけたけど、このスレ、エスシーの方だけ書き込んで、
煽りや誹謗中傷をしてきたり、
向こうにレスして返答がないのをいいことに勝利宣言する連中が多いんだなw
ちゃんと、2ちゃんネットの存在への注意も書き込まれていたから、偶然じゃなくて、
信者連中がいかにヘタレで卑劣ということを証明しただけw

2ちゃんネットだけ見ている人もいるだろうに、あっちしか見えないレスするとかありえないし、
もう、レスも随分前なんで放置するけど、
ツイッターとニコニコにいる残党信者を見ると、「実際はこういうことをする人たちなんだな」と思うな

532
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/08/05 21:45:09  ID:HrR3O3J90.n(2)
524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/25(月) 00:20:07.54 ID:pZ3InzvFS
某wikiでも光武帝アンチが1人で好きなように理屈を捏ね繰り回して喚いてるけど、
何だか同一人物っぽい人の書き込みがあるなあ。宮崎市定とか陳舜臣みたいな人物の評価に関係ない学者を持ち出したりしてるところなんか、そっくりだわ。

↑scのレス
宮崎市定や陳舜臣を持ち出してる某wikiのアンチてどこにいるのよ
全く意味不明
コメント1件

533
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/08/05 21:59:07  ID:HrR3O3J90.n(2)
某所でヒトウの薬王伝説が後世の付会だと明らかにされてて笑った
これで二十八将のうち薬学キャラ付けがまだ残ってるのは耿エンだけになったけど
インポの特効薬作ったとは大っぴらに言えるはずもなくて
人類史上の大偉業が黙殺されてしまうんですねえ


534
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/08/15 10:21:19  ID:0U52IEdu0.n
scにある莎車国への批判に関しては、
「莎車国」で検索
→wikiで「莎車」の記事で建武17年の事件であること、ソースは『後漢書』(西域伝)であることが分かる
→後漢書を調べて
十七年,賢復遣使奉獻,請都護。天子以問大司空竇融,以為賢父子兄弟相約事漢,款 誠又至,宜加號位以鎮安之。
帝乃因其使,賜賢西域都護印綬,及車旗黃金錦繡。敦煌太守裴遵上言:「夷狄不可假以大權,又令諸國失望。」
詔書收還都護印綬,更賜賢以漢大將軍 印綬。其使不肯易,遵迫奪之,賢由是始恨。而猶詐稱大都護,移書諸國,
諸國悉服屬焉, 號賢為單于。賢浸以驕鼻そ典疉稅,數攻龜茲諸國,諸國愁懼。

って記事があり、簡単に自分で調べられる。(自立まではまだ数年期間があるけど)

これで、ソースが示されないから分からないってことが、光武帝擁護を行おうとする人物があるはずもない
また、光武帝に詳しいはずの他の論者がそれを否定せず、同意するようなレスしているのもおかしい

結論は書き込み手がscを見ていないと推測して、scしか見ていない人に誤解するようにし向けた信者の仕業ってことだろうな

>532
論戦でボロ負けして、荒らして相手も悪いことにして、余所で悪口か。連中らしいやり方だな
コメント1件

535
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/08/16 14:45:48  ID:+iP/WSbB0.n
>534

折角だから、読み易くしてやろう

建武17年、(莎車王)賢、また使いを遣って奉献し、都護(職)を請う。天子(光武帝)
もって大司空竇融に問うに、賢の父子兄弟、相い約し漢につかえ、まことに誠また
至り、宜しく加号位しもってこれを鎮安すべし。
(光武)帝すなわちその使者によって、(莎車王)賢に西域都護の印綬、および車旗・
黄金・錦繡を賜う。敦煌太守裴遵は上言し:「夷狄にもって大権仮すべからず、また
令は諸国を失望せしむ。」
(光武帝は)詔書もて都護印綬を収還し、更に賢もって漢大将軍の印綬を賜う。その
(莎車王賢の)使者(印綬を)換えることをがえんじず、(裴)遵は迫りてこれを奪い、
(莎車王)賢はこれによって始めて恨む。しかして(莎車王)賢はなお大都護を詐称し、
諸国に書を伝(うつ)し、諸国ことごとく服属し、号して(莎車王)賢を単于と為す。
(莎車王)賢もって驕慢にひたり、重く賦(役)税(金)を求め、数度亀茲諸国を攻め、
諸国は愁え畏れる。
コメント1件

536
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/10/03 18:37:54  ID:vutwLSEQ0.n
保守

537
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/10/07 02:49:49  ID:YcIRB7H60.n(2)
光武帝って何か新たな制度作ったっけ?
コメント2件

538
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/10/07 20:16:27  ID:6M5Dm3R70.n(2)
>537

中央政府には大司徒・大司空・大司馬の三公を政治の最高責任者として設けた。
コメント1件

539
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/10/07 22:02:18  ID:YcIRB7H60.n(2)
そんなの官の名前だけやんw
コメント1件

540
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/10/07 22:15:36  ID:6M5Dm3R70.n(2)
>539

中国では官名にこだわる人ばっかしだぞ。

541
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/10/08 23:41:56  ID:P7dcqvmF0.n
>538

正確には太尉・司徒・司空の三公制だな
大司徒・大司空・大司馬のは前漢末でも王莽の新でも更始政権でもやってる

542
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/10/10 11:59:35  ID:MgEXJJUM0.n
信者的に光武帝が低評価なのは、要は儒教の黒歴史である讖緯を
信じていたor利用していたからだろうな

前者は暗君の重大要素だし、後者はとても名皇帝といえない
占いだから、個人的な小さい瑕疵として軽くスルーは現在の感覚

543
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/10/10 12:21:40  ID:VMuq2aXQ0.n
>537
作ったのではなく、肥大した組織を縮小した。
建武六年、四百余県を併せ省き、吏職は十分の一。
田租は、その三十分の一(旧制に戻し、緩めた)。
郡国の都尉を罷める(これは常備軍を廃止することで、平時には軍は要らない
から正しいが、騒乱期には抑止力が無い。乱世には自衛のため私兵が用いられ、
よって三国時代の群雄割拠を招く要因になった。これは光武帝の責任では無く、
そういう乱れた時代にした当事者(の統治者)が悪いのだ)。

544
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/10/16 01:25:28  ID:GCdHg1gd0.n
光武帝が首相になれば公務員制度改革が進みそうだな。
自民は桓・霊帝時代なみにクソすぎる。

545
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/10/18 01:56:02  ID:xkYOGDnf0.n
人員削減や綱紀粛正はともかく制度改革ではどうかね?
王朝の創業者にしては良くも悪くもあんまり独創的じゃないよな、この人
バランス重視の調整型って感じ

そこがいいのかもしれないが
コメント1件

546
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/10/26 00:53:17  ID:LbDGWm9H0.n
民主政権=桓帝
安倍政権=霊帝

547
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/10/26 00:58:38  ID:DnfhtNfD0.n
エラい人にはウソがある ―論語好きの孔子知らず
http://www.amazon.co.jp/dp/4865810293/
やっぱ孔子は糞だな
王莽も光武帝もこんな糞なの崇めてたのかよwwwwwwwwwwwwwww

548
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/11/07 20:17:33  ID:Q7syCt440.n
>545
>バランス重視の調整型
でも、そこが歴史的に名君ってあまり言われない理由の一つだろうな

奴婢解放しても、全然奴隷制度廃止の方向につながってないし、
儒教だけを重視ていないと言っても、儒教一色の世の中になっていくし、
豪族を抑制していたといっても、豪族中心で動いていくし、
異民族をおさえたといっても、異民族が内地に入っていくし
外戚に遠慮させたといっても、外戚は後漢で横行するし、
宦官を重用しなかったといっても、宦官の害が起こってくる

いくら数代後のこととはいえ、後世に対する影響力がなさすぎる
信者視点どころか、好意的な学者視点で見ても、歴史の流れが分からなくなって混乱する
儒教大好き、豪族・外戚重用、宦官無配慮、奴婢解放形だけ、異民族軟弱外交って理解の方が
流れとしてしっくりくる
コメント1件

549
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/11/07 20:59:27  ID:Qom/KkOX0.n
やる夫の後漢初頭みたいに
孫の章帝が暗君中の暗君だからだろwww
コメント1件

550
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/11/08 00:20:24  ID:BteQteAA0.n(2)
>548
まあ、儒教原理主義国家作っちゃったからな

というのはさておき
無理してでも長安に都置くべきだったと思う

551
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2015/11/08 00:41:12  ID:39plZaAz0.n
何で長安?
唐以降ないし

552
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/11/08 02:02:53  ID:PoH2sHls0.n
長安である必要ないからな
前漢の時は、仮想敵国として関東六国があったからそれへの対処だし
むしろ後漢成立以降は、涼州が不安定化しまくってるからその近くに都を置くほうがマイナスなような
コメント1件

553
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/11/08 07:57:46  ID:BteQteAA0.n(2)
>552
涼州対策考えると指揮中枢は戦場に近い方が有利
首都であれば物流の強化も図りやすい
明が永楽帝以降、北京に首都置いたのと似たような考え方をしてみた

班超父子以降も西域経営に人と予算を割いておけば、帝国の西側も
そんなに不安定にならなかったような気もするが

554
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/11/08 21:30:53  ID:+Cfql/Fv0.n
>549
それはそれで、暗君の孫に簡単に祖法を曲げられて復活されない程度の祖法しか作れなかった
中興の祖という評価になるぞw

その方がより低評価になるような

色々問題あっても劉邦の郡国制や皇帝制度の継続みたいな長年続く大事業につながっていない
前漢の土台に、王莽の政策の良さも悪さもなくしたものを積み上げた安全運転政治だからな

戦争の勝利で基盤をつくったようなものだから、洛陽に都を置いた時点で、
形としての王朝は続く保証はされたが、活力や権威を失うのも早かったんだろう

555
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/11/11 01:06:53  ID:azYEwymy0.n
光武帝のwikiでクソみたいな「評価」の節が復活してる
あんなん要らんわ

556
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2015/11/14 07:15:35  ID:owVcYPNSi
おかげで、久し振りにwikipediaを回ったわ。で、面白いことに気づいた。
隗囂・公孫述の配下にいた王元という武将、隗囂伝によれば漢に降伏した後
に、上蔡県令になり、東平相に遷って、墾田が不実だったというので獄に入っ
て、そこで死んでいる。
劉隆伝より、墾田の問題に光武帝が気づいたのが建武十五年、劉隆が獄に下っ
たのが建武十六年。王元の入獄の時期は建武十五年以後と言える。

その東平は、顕宗の同母弟劉蒼の国で、劉蒼が東平公になったのは建武十五年
から。その就国していない劉蒼の国を管理していたのが、王元だった。

ひょっとしたら、王元は相に任命されて日が浅く、現地を十分に把握できてい
なかったため、遠地での事件のとばっちりで、査察を受けて獄に入れられたの
かも知れない。

557
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/01/11 03:03:04  ID:uqjgYEzC0.n
光武帝の部下には高祖の部下みたいな傑物がそんなにいない印象。

558
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/01/11 05:19:42  ID:67dte4Vg0.n
軍事も行政も何でもやるマンが多すぎて、専業一点特化が少ないよなあ
全体的に小粒

559
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/01/11 19:58:43  ID:P14FbNwm0.n
良くも悪くもオールマイティーで、そのせいでキャラ立ちという意味でも弱い

560
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/02/19 22:06:00  ID:GcPwbrup0.n
呉書陸遜伝の「遜上疏曰、『昔漢高受命、招延英異、光武中興、羣俊畢至、苟可以熙隆道教者、未必遠近。…』」ていう一文を
光武帝は道教を盛んにした、光武帝の儒教は道教に近い存在だったとかいう意味に解釈してるのをある所で見かけたけど
https://goo.gl/wZsCA7 にある通り陸遜は儒教を「聖人の道の教え」ていうぐらいの意味で「道教」と呼んでるわけで
そこに今でいうtaoismの意味が含まれてるとは考え難いんだよね

そもそも呉書のこのくだりは孫権が荊州を回復した頃に
当地の人材登用が滞ってて陸遜がその解決法を上疏したっていう話で
「高祖が即位すると英雄・異才を招きました、光武が中興すると俊英が大勢集まってきました、
もしあなたが『道教』を広め明らかにすれば高祖や光武みたいに人材が集まってきますよ」と言ってるわけで
仮にこの「道教」がtaoismの事だとしても光武帝とは何の関係もないんだな

561
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/02/22 19:09:28  ID:26xZ+A6T0.n
そうまでして儒教との関係否定したいんかと勘ぐってしまう

562
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/02/22 20:51:53  ID:wKbEzKP40.n
そもそも道教に近いって
その道教ってどういうものなの?
天師道に近いの?

563
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/10 20:32:25  ID:GF/1YPit0.n
何年か大陸に住んでたけど、
向こうだと光武帝はこっちの徳川家康にイメージ近いわ。
超有能なのは間違いないんだけど、それを時代の先駆者!とか野戦無双!
とか変に持ち上げると、途端に白ける微妙な立ち位置なんだよ。
コメント1件

564
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/11 19:24:04  ID:IDleFjvr0.n
>563

徳川家康よりは北条氏康に近いと思う。

565
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/11 21:33:33  ID:s5Z3W8ce0.n
あぁ確かに北条氏康の方が近いかも。
光武帝のチート伝説コピペとか中国人が見ると
ものすごい違和感を感じるみたいだね。

566
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/11 23:45:47  ID:DXlpstr70.n
本場での評判はなかなか興味深いですねえ
向こうで光武帝を持ち上げようとすると出身階級はブルジョアじゃないとか
赤眉も皇帝を立てたからそれを倒しても階級闘争を失敗させたわけじゃないとか
唯物史観との絡みで小難しい理屈こねないといけないっぽいから
光武帝強い!カッコいい!お茶目!と無邪気にもてはやせる日本のファンはある意味幸せではある

567
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/12 02:29:18  ID:rVV+Vses0.n
今時大陸で階級闘争が〜ブルジョアが〜なんて歴史を語る変人はいないよ(笑)
なんて言うかな、例えば中国人が「東照大権現様最強!」とか「素敵!」とか
言って騒いでたとしたら「何で家康?他に面白い武将いっぱいいるよ。」
って思うじゃない?
そういうポジション。

568
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/20 18:13:09  ID:AuQL4Vh80.n
光武帝といえば、以前、信者が荒らしていると言われたブログのコメント欄閉鎖していたな
三国志11wikiみんなの新武将後漢 コメント欄http://www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2431.html
武将能力値http://www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1173.html

あまりにも後漢初期の能力値が高すぎて、新時代の能力値が低いのでおかしいという クレームが入ったら、
徹底的に抗弁して、仲裁まで入っているのに、納得できず信者が高い能力値の維持を要求していた
ついには、ここのスレでの怨恨まで持ち出して、認定して相手を叩く信者まで出てきて
通史での評価基準まで決めようとする半可通の信者まで出て、
最後は、「運営が書き込み禁止にて、信者側の味方をしている」という疑問まで出ていた
どうみても、SCだけで書き込んでいた信者と文体がそっくりだし、

本当、連中は頭おかしいわ

569
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/20 18:27:38  ID:HIfeASb10.n
wikiは誰でも編集できる都合上粘着できる奴のほうが強いので仕方ない
コメント1件

570
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/21 01:15:47  ID:bqroiuZe0.n(2)
>569
それはそうなのだが、運営を名乗る人間が、議論を注意するタイミングが、
必ず、能力値批判側の意見の方が有利な時なんだよな
しかも、「そこまで低くはない」という言葉をつけくわえるし
あいつらが、運営にまで食い込んでいるか、
運営を名乗って都合の悪い流れを止めようとしていたことすら、疑わしい

571
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/21 01:25:51  ID:jjEDdXen0.n
ちょっと被害妄想入ってる気がするが
特に興味のない運営なら、とりあえず現状維持の方向で動くのが自然だと思うし
現状維持で動いたあいつらが糞って言うんなら、特に異見はないけどね

572
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/21 08:58:32  ID:fYPhZnhpM
コメントの一人には、大いに同意する。

>>自分のブログでやれとしか言いようがないのだが

573
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/21 10:05:26  ID:PalURVhr0.n
あれ多分運営じゃないよ
一部の仕切りたがりが勝手にルール作ってるだけ

574
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/21 15:11:18  ID:bqroiuZe0.n(2)
光武帝劉秀とか言う完璧超人
http://tihourekisimatome.blog.jp/archives/1033827993.html

これはまとめだけど、史書重視派をアンチ呼ばわりして、ここを追い出された信者が、
どこかの板で毎晩同じ内容の信者スレを立てていたらしいな
しかも、すぐに落ちるそうだ

もう、てめえらの薄っぺらしい完璧超人願望に、つきあえる人間はほとんどいねえよ

575
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/19 22:52:10  ID:UkJ82h+i0.n
相手からの反論にもロクに再反論出来ずに、またこんな場所で憂さ晴らしか。情けない奴。
コメント1件

576
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/24 11:56:15  ID:YcluYCs00.n
>575
光武帝信者を叩くと、具体的にどういった内容かを指摘せずに、
反論できなかったとか、人格に問題があるとか単文で言い出す奴が、
どこの掲示板でも必ずでてくるよね
コメント2件

577
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/05/06 09:22:00  ID:mXuP5zPE0.n
光武帝劉秀を題材にした小説「光武大帝伝」を「小説家になろう」にて投稿しています。
http://ncode.Syosetu.com/n5685db/
通俗東漢紀事を参考に一騎討ちいっぱいの演義的な描写で描いています。各人の武器などの時代考証は敢えて無視しています。
光武帝マンセー的な内容なので、苦手な人はスルーしてください。

578
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/06/02 11:39:11  ID:lRp8rY4Z0.n
>576
必死のアンチ活動乙
キチガイじみた文体に見覚えがあったんでここ来てみたら案の定w

まーだ生きてやがったのか、兄殺しの簒奪者李世民信者www


474 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2016/04/24(日) 12:00:44.24 ID:YcluYCs00
>484
ずばり光武帝のことだろ
生まれたときに霊験はないが、予言で告げられていたから同じだ

信用できるのは、劉邦か
盛っているところは、あまりに嘘くさいと分かるようにしている
蛇を切った話や、七王の乱の予言時期だし
コメント1件

579
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/02 16:27:57  ID:DQwQUEKZ0.n
>576  は 王莽のスパイだろ。
コメント1件

580
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/06/08 21:55:43  ID:7qxP40wL0.n
陳勇「論光武帝”退功臣而進文吏”」(中国社会科学出版社『歴史研究』95年4期)
http://i.imgur.com/2w69yL3.jpg
http://i.imgur.com/68C4s9Q.jpg
東観漢記にいう、建武年間に封侯された鄧禹以下28人と
「雲台二十八将」とが同一かは確認し難い、
しかしながら首席も人数も同じなのは偶然の一致ではない、両者は同一かも知れない



なぜか東観漢記を根拠にして雲台二十八将が光武帝の存命中に決まってたかのように言われがちだけど
最初に封侯された28人の名前が文献に残ってない以上は
せいぜいこの論文みたいに奥歯に物挟まったような言い方するぐらいしかできないよ

581
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/14 00:23:36  ID:BaqY8vqs0.n
>578>579
こんな過疎スレで、ともに平日の昼間からの書き込みかw
信者とよばれる手合いがどういう人間か、察しがつくな

582
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/23 19:23:47  ID:ZAtV8v/i0.n
以前いた長文の粘着か
自演にせよ本当に二人いるにせよ
実際は同じIDを探し回ったのだろうな
一生を妄想上の光武帝に捧げるつもりかね

583
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/08/01 17:40:38  ID:SXpXcPM40.n
               【窪塚】   前より、バタバタ逝くぞみんな   【洋介】


チェルノブイリのお爺ちゃんが言ってたっつってました。諦めた奴と、無知な奴から死んでったって、順番に。
もう死ぬのすぐ近くだから、前より、バタバタ逝くぞみんな、だから覚悟して腹決めて、OK?。
だれも守ってくれません、むしろ殺しにかかって来てるくらいの感じだと思っています、俺は。
減ったほうがいいんじゃん、癌になったほうがいいんじゃん、癌センターが儲かるから、ムカつくなぁーあいつらマジで!
https://www.youtube.com/watch?v=5mFtsQ-3QaE


死亡率上昇トップの千葉3区 2位の千葉7区 
http://inventsolitude.sblo.jp/article/176300101.html


2011年
3月18日  「致死量の放射能を放出しました」東電の小森常務は、こう発言したあと泣き崩れた。
2016年
6月25日 『悩みのない世界へようこそ』のスピリチュアルTV主催者テディ小泉(52、埼玉)さん、脳梗塞で倒れ、心筋梗塞で死去。
7月 2日 昨日、友人が脳梗塞で倒れ頭を打ち家でトイレの前で亡くなっていた。40歳だぜ!俺は放射能汚染が本気で憎い
7月 2日 ブロガーのサランさんが今日日本で心肺停止で亡くなったそうです。倒れる前日までブログが更新されてて
7月21日、ケニアに帰国したジョハナ・マイナ(25)選手が急逝。2012年に入社。仙台国際ハーフマラソンで3度優勝


マイト レーヤは原発の閉鎖を助言されます。
マイト レーヤによれば、放射能は自然界の要素を妨害し、飛行機など原子のパターンが妨害されると墜落します。
マイト レーヤの唇からますます厳しい警告と重みが発せられることを覚悟しなさい。彼はいかなる人間よりもその危険をよくご存じです。

584
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/11/12 21:25:44  ID:TOErgBFl0.n
光武帝の低評価は問題にされるのに、王莽の低評価は全く問題にされないのがこのスレ最大の謎

585
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/11/12 21:30:20  ID:5AsUdbg40.n
結局本人一代で滅亡したからね

586
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/13 18:07:22  ID:SHS9ZgtG0.n
王莽の場合建国以来十数年も無益な対外戦争した挙句
(自分から売らなくていいケンカをバーゲン特価で売り歩いた)
それが原因で内乱起きたため王師を派遣したけど物資不足により現地調達…じゃなくて略奪しまくって
一気に国を傾けた財政・戦争音痴だからねえ

為政者として褒めるところあるの?
「史書改竄されている」とかいう妄言抜きでさ

587
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/14 06:17:12  ID:fG22vqWS0.n(4)
実際のところ昆陽の戦いの新軍って洛陽にいた王尋が擁していた十万程度の兵力から
対赤眉のための兵力を除いた、五万ぐらいの部隊しか差向けれなかったと思っているんだが。

そもそも四十万集る余力があるならその前に荘尤とかに部隊つけてあげれるもんな。
コメント1件

588
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/11/14 07:34:49  ID:aVK5yoK70.n
王莽は一発屋芸能人のイメージ。

589
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/14 10:55:19  ID:7Dpt51sq0.n
>587
東観漢記だとそうなってる
なお漢書・後漢書
コメント1件

590
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/14 20:49:09  ID:fG22vqWS0.n(4)
>589
確認
たしかに五、六万って書いてあったわ
(二公兵已五六萬到、遂環昆陽城作營)

劉秀が最初突撃した時は歩騎一千で(昆陽城内の漢兵は八、九千)
その後殲滅する際に精兵三千を選りすぐって攻撃を仕掛けたとあり援軍はそれなりの規模だったのが窺える
籠城戦とその援軍の規模としては必ずしも絶望的な数字ではなかったんだな
(新軍五〜六万対漢軍八〜九千+三千+α)

591
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/14 21:45:46  ID:fG22vqWS0.n(4)
一万近い漢兵が入ってる昆陽を五〜六万で短期攻略するのはかなり無理があったのではないのだろうか
かと言ってこの戦力差だとスルーして宛に向かっても後方連絡線遮断されちゃうし結局攻めるしかなかったか

劉秀が増援連れてきて包囲軍を蹴散らしたのは名采配だと思うが
それがなくても宛陥落が新軍に伝われば勝手に撤退していくことになったと考えられるし
奇跡の逆転勝ちと言うよりは堅実な籠城戦+ダメ押しって感じがしてきたなあ

592
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/14 21:57:59  ID:fG22vqWS0.n(4)
緑林軍全体の指揮を誰が振るっていたか凄く気になるなあ
新軍が赤眉に気を取られている間に昆陽抑えつつ宛を陥落させ
一挙に関中・洛陽を攻略するって並みの手腕でないと思うんだが
仮に劉玄だとしたら時代を代表する名将でもおかしくない

合議制でこういった作戦決めていたとしたらまぐれ勝ちも良いところだが

593
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/15 11:21:09  ID:PZchqnty0.n(2)
通鑑の二十四年頃の蕭王劉秀の動きって相当不穏な感じだけど
赤眉が関中に侵攻して勝利する可能性が高いからそれに乗じて関中を併合しようと図って鄧禹を派遣するあたりかなり謀略家だよなあ
昨日までの味方である更始政権の将たちを平気で攻めることのできるメンタルが凄い

態勢だけで俯瞰すると完全に赤眉と連携して関中攻めているようにしか見えん

594
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/15 12:24:29  ID:PZchqnty0.n(2)
劉玄がボンクラだったから滅んだわけではなくて
公孫述遠征に敗れた間隙を突かれて赤眉を矢面に立たせつつ河東から関中に侵攻を図った劉秀に一挙に滅亡させられているような感じなんじゃないかな

わずかなチャンスを見逃さないあたり意外と機を見るに敏な性格だったんだろうか

595
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/15 22:46:32  ID:bQEyipT+0.n
蘇轍の『歴代論(光武帝)』ってかなり辛口だけどまあ成る程なと唸らされる内容
臣下に大権を委任して成果出るまでじっと我慢するのって大事だよなあ

関中攻めるとき最初は鄧禹を焦らせて速戦を強要しておきながら(鄧禹は急戦よりは緩戦を考えていた)彼の連敗後は
自分はゆっくり長期戦で赤眉を倒そうと図るなど何と言うか肚が座っていないのが見てとれる

596
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/16 06:43:08  ID:BaZAsGyR0.n
総合的に考えると劉秀の性格って軽快機敏だけどそれが行き過ぎて軽率さが現れることが結構多いような気がするんだよね
フットワークは軽いけど腰が落ち着かなくて現場への支持がコロコロ変わる上司

頑迷固陋で大局的な判断を誤ったり肝心なところで決断できないクソ上司よりはマシだが

597
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/18 00:31:44  ID:H2w0g31T0.n
蘇轍は鄧禹の負けは光武帝のせいだとまで言ってるんだな
鄧禹が自軍は肥大したけどまだ赤眉に勝てるほど強くないといって持久戦に持ち込もうとしたのを
光武帝が彼我の強弱を知らないまま決戦を急かしたからだと

598
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/18 22:17:14  ID:Du8rXPQu0.n
光武帝否定に全力投球な歴クラがここ最近追い詰められているの見てて割りと和む

つーか他人の書いた論文なんかで否定しないで劉秀の言行の是非で否定した方が楽だと思うんだが
史書は粉飾されているとか何とかグダグダ言ってて支離滅裂になってるから打つ手なしになってるのがねえ

599
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/19 19:11:25  ID:s4fKNVYN0.n(2)
まったくその通りですね
光武帝を批判した桓譚、鄭興、尹敏、韓キンらの悲惨な末路は後漢書の伝えるところなのに
ネット界隈でこの事に言及される機会は極めて少なくて光武帝が寛容な人物として描かれるのは
たいへん奇妙としか言えません
コメント1件

600
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/19 20:40:48  ID:AzneUtgi0.n(2)
>599
お、釣れた
この犬うぜえな

601
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/19 20:57:37  ID:s4fKNVYN0.n(2)
有効な反論ができないから釣り宣言してウザいときましたか

602
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/19 21:47:42  ID:AzneUtgi0.n(2)
爆釣
俺は謝玄かよw

603
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/20 13:11:02  ID:IO6v8pev0.n(2)
過大と過小が揃ったということは
そろそろ適正な評価になるのかねえ
コメント1件

604
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/20 13:38:54  ID:p5oau0Js0.n(2)
つい最近まで光武帝ファンサイトの存在を知らなかったから
批判サイドの人間が何で切れているのかよく分からんかった
今は少しだけ理解できる

「どっちもどっち」という言葉を使いたくないけど
批判サイドは自分でもブログ開設して活動した方がいいんじゃないのか
傍から見てると一方的にdisっていて頭おかしいのか?と思ってしまう

605
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/20 16:15:31  ID:M3njg3Jk0.n
>603
元の地味な中興の英主という評価に立ち返るんじゃねーのかな

606
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/20 18:30:48  ID:agsmgafa0.n(2)
光武帝のwikipedeia記事がそのサイトの内容に強く影響されてた、
っていうかサイトの管理者自身がwikipedeiaも編集してたらしくてものすごく偏ってた
ある頃wikiのノートページで記事の批判が書かれた上に
サイトに準じた内容も消されたんだけど
しばらくしたら誰かがまた編集して復活させてたんだよな

607
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/20 18:38:19  ID:agsmgafa0.n(2)
スペルがおかしいw

608
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/20 20:29:29  ID:rovMEZ1W0.n
つーかあの犬野郎未だに晋書も読まないで慕容恪ディスりにご執心みたいなんだな、未練がましい
あんな糞野郎に粘着されてる光武帝ファンは心底同情するわ
コメント1件

609
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/20 22:03:38  ID:wl5SnGYp0.n
光武帝ファンといってもまともな人ばっかりじゃなくて
貞觀政要の「高麗は辺境の賤しい者で仁義をかけるに足りず常理も通じない」というくだりを
今の韓国・朝鮮の人たちを侮蔑するために引用するような
およそ歴史を語る資格のない人もいるからね

610
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/20 22:40:31  ID:IO6v8pev0.n(2)
正直>608とかもその類にしか見えない
コメント1件

611
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/20 22:52:19  ID:p5oau0Js0.n(2)
>610
「そうやってケンカ腰になって敵増やすのはやめたら?」と当事者たち以外はみんな思ってるだろ
ケンカ腰がケンカ腰を呼ぶ負のスパイラルに陥ってて本当に後漢スレは不憫だわ
コメント1件

612
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/22 00:18:54  ID:tPf8JreY0.n
この界隈すぐ爆発する人多すぎない?
コメント2件

613
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/22 18:54:46  ID:uxNpc1Em0.n
>612
高尚系な人は切れやすい傾向にあると思う
自分の考察しているモデル以外受け入れられないタイプ、独自研究は凄いんだけどさ
口では「それぞれの考えを尊重する」とか言いつつね

キャラ萌えしている人に噛みつくんだよなあ、このタイプ
コメント1件

614
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/22 22:16:45  ID:JK5FSIF70.n
>612
>613
これは後漢界隈に限らんなぁ
自分の好きな分野のことを知ったら全てを知った気分になってマウンティング始める人とか(中国に街道がないとか言った塩婆含む)
自分の好きな分野のこと貶されたら相手が好きな界隈に恨みを持って動き出す奴とか(これは学問から単なる趣味まで含めて種類を問わない)

全部丸ごと厄介系と括ってやりたいくらい

615
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/26 21:19:08  ID:H5RD/20C0.n
他人の考察を何だかんだ尊重すべきだと思うんだよね
アマチュア界隈としては
学術的云々言うなら史学専攻して研究せえよとしか言えんよ

ミスや事実誤認の指摘はあっても良いけど、評価の別れるところは両論併記とかで十分だろ

616
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/27 10:49:49  ID:9hkjxSyP0.n
さすがに光武帝批判派の歴クラ切れすぎだろ
もう何言ってもまともに取り合ってもらえなくなるぞ
コメント1件

617
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/27 11:45:58  ID:5TpQo4Z40.n
なんというか実に>611な感じ
もうちょっと穏便にいこうや

618
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/27 12:11:51  ID:ClQtItfV0.n(2)
光武帝や更始帝、公孫述らについて語ろうにも、赤眉降伏以前まではダイナミックで面白いのに
降伏以降は消化試合になっちゃうからねえ、糞つまらねえんだわ
個人的には更始帝有能論とか語れたら面白いことになると思ってるけど

619
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/27 12:59:32  ID:q9sRJCtM0.n(2)
その更始帝有能論こそが光武帝をネットで語れなくなった原因なんだよ

劉玄って後漢書で惰弱さを強調されすぎてる説あるよね

ソース出せよどうせ儒教原理主義者の妄想だろ(←意味不明)

劉知幾『史通』とそれを紹介した鶴間和幸先生の文章が貼られる

ソースを求めた人が崩壊して暴言吐き捨てる

こういう事件が10年ほど前にこの板で起こって以来
光武帝が地雷コンテンツになっちゃったんだよな
コメント1件

620
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/27 13:50:11  ID:ClQtItfV0.n(2)
史通での指摘は聞いたことあったけど
鶴間先生の文章の方は見たことないから少し気になるな

でも史書に記載されている劉玄=無能という論調は劉秀兄弟たちがその無能君にいいようにしてやられた印象がついちゃうから個人的には好きではないんだよな
どちらかと言えば切れ者な劉玄を静かなる復讐鬼劉秀がいっぱい食わせるという展開の方が好み
コメント1件

621
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/27 14:35:54  ID:q9sRJCtM0.n(2)
鶴間先生の史通の話は講談社と山川の概説書に載ってるから普通の本屋でも読めるよ
概説書にしては立ち入った話題とも思われることをあえて別々の本で重ねて紹介したのは
後漢書とか光武帝とかに限らず歴史に言及するときは相対的な視点を持って欲しいという意向もあるんでしょう

622
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/11/27 20:38:20  ID:RmC2j5B6Y
>620
 過去スレ見たら? 「史通」でスレッド内検索したらすぐ読めたよ

623
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/28 20:50:13  ID:S/vzBH0d0.n
光武帝ファンサイトだって程度の差こそあれ相対的な見地は持ってると思うぞ
裾野の拡大とか視野に入れるならあの程度見逃せよと思うわ
コメント1件

624
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/28 20:57:42  ID:jvcsoDOp0.n
>616
多数派工作のため経緯を知らない歴クラにそっと忍び寄るスタイルは正直気持ち悪い

まああんな状況で光武帝ファンのクラスタと批判クラスタとの両方と付き合ってる人間は
もしかして諍い見て楽しんでいる良い性格の持ち主のような気がしてならないわけだが

>619
ここまで背景が読み取れない経緯を一方的に書き込めるメンタリティが羨ましい
コメント1件

625
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/11/30 22:58:25  ID:dZEjX48w0.n
二千年も前に死んだ人間の評価ごときでいい歳した大人がムキになって罵りあうとか馬鹿か?

626
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/01 00:17:38  ID:MDebLzBu0.n
荒らすだけ荒らして更地になったスレでそんなこと言われても

最近チラホラ新しい動きが目につくけど徒労に終わりそうな感じしかしねーな

627
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/01 08:57:49  ID:mvwThnYA0.n
ハンコの方が犬よりマシな印象

628
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/12/01 17:17:48  ID:dyCOcwvA0.n
>624
おそらく批判クラスタサイドに数えられた側の人間だけど、双方と繋がりがある形の人間だが
どちらの側に対しても知識に関しては相応の敬意を払っている、としか言いようがない
感情の発露に関しては無視している

ホントの本音を言えば
「そんなにこんな場末の掲示板覗いての党争がお好きなら後漢界隈から出てってもっと有名な党争ある時代や地域の研究でもしてろやアホ」
と両者にいいたくないとは言わない。
コメント1件

629
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/01 17:55:30  ID:9kKl4NXs0.n
>623
引っかかるところは多いし反駁したい気持ちになることもあったけど
埋もれた人物紹介サイトとしては本当によくできていたと思う

まあ個人的見解としては劉邦>劉秀は不変

630
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/05 22:40:53  ID:90/6QB9J0.n
言うほどチートな人物ではないが、やはり一代で天下統一した手腕は素直に凄い
ただ兄貴粛清に際して劉玄に尻尾振りまくったのだけは狡猾過ぎる
そのせいか穏健な人格者というイメージはないなあ
性格以外は高スペックな末端皇族といった感じ

631
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/06 02:32:01  ID:TQ8Diq6g0.n
劉エンが殺された時に劉秀が土下座したおかげ「だけ」で許されたという筋書きは
個人的には腑に落ちないんだなあ
劉玄は近々誰かを河北の巡撫に遣らないといけなかったはずで
その有力候補を2人まとめてブチ殺すのはいかにも不合理だし
無実の弟が殊勝にも謝ってきたからそれだけを理由に許した、っていうのは
それこそ劉玄の能力を過小評価してるような気がする
コメント1件

632
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/06 07:09:49  ID:BCt3JbuD0.n
馮夷って結構過激な提言するよなあ

大樹将軍の異名持ってるけど将よりは謀主としての方が有能だと思う

633
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/06 22:59:29  ID:UP5FLq/40.n
>631
更始政権の赤眉対策がイマイチよくわからん
小勢力の乱立する河北より一大勢力赤眉が居座る山東を慰撫すべきだったのではなかろうか

それとも王郎が史書上の評価よりもずっと強力な存在だったのか
コメント3件


634
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/12/06 23:35:36  ID:eXiFXjb+0.n
成帝の子どもだから
孺子嬰の対処も早急だったし
正当性がありそうな連中は即滅と

635
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/07 07:59:30  ID:XrC+FOgA0.n
南陽の劉氏以外の皇族系群雄に対する処置は苛烈だよなあ

劉邦とか始皇帝は劉秀に比べたらアマちゃんだわ

636
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/12/07 20:02:42  ID:czuAWr2I0.n(3)
>633

> 小勢力の乱立する河北より一大勢力赤眉が居座る山東を慰撫すべきだったのではなかろうか


弱い敵から潰して、士気を高めるというのも作戦としてはアリだと思う。
コメント1件

637
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/12/07 20:04:02  ID:czuAWr2I0.n(3)
王郎は、元々は占卜を生業とし、天文や暦法に通暁していた。
そして自身の占いにより、河北に天子の気があると考えるようになる。
(ウィキペディア)


            ↑

この占いそのものが、最初から外れていたということになるのかな?

638
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/07 20:10:13  ID:2mwbIWER0.n
>636
でも河南を赤眉に押さえられたら河北は一気に孤立して死に体になる危険な飛び石作戦に見えるんだよねえ
コメント2件

639
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/07 20:51:39  ID:czuAWr2I0.n(3)
>638

まあそうです。

640
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/08 18:06:19  ID:waIY/6PX0.n(2)
>633
更始帝政権における并州や朔方で劉秀と全く同じ役割をやった鮑永の伝を見る限り、
慰撫って州郡を督察するのが役割で平定していく訳じゃないぞ。
郡の兵士の元手の少なくなってる河南に司令官だけ送り込んでどうするつもりだ?

赤眉が一番の敵であるという前提に基づいても、劉秀を河南に送り込むのは、
孫子の「敵の2番目に最高の戦力を当て、敵の3番目に2番目の戦力を当て、敵の最高の戦力に3番目の戦力を当てる」
という原則からも反してしまう。

641
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/08 18:31:21  ID:waIY/6PX0.n(2)
>638
実際、王郎に蜂起されて幽州の劉秀との間を遮断された直後、
劉玄は鮑永を并州や朔方に向かわせて平定して河北の諸賊を伺い
自身は洛陽に都を遷して王郎のいる邯鄲を伺っている

ぶっちゃけるとまぁ、王郎蜂起以前は他の劉氏では荘尤と陳茂が担いだ劉望くらいしか蜂起してないし
劉氏の天下に戻っても河北劉氏が総出で蜂起し出す事は多分想定の範囲外だったんだろう

文帝を出した河北劉氏の側からしたら南陽劉氏は「あんなぽっと出の連中」だったろうし
王莽とも王莽への反乱者とも繋がりが深く実際に王莽を倒した南陽劉氏からしたら
「実際に王莽を倒した我々以外の正統性なんて」という思いだったんじゃないだろうか
コメント2件

642
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/08 19:21:09  ID:BrG8pzJPk
>641
王郎蜂起の時は劉玄は長安に遷都。耿?伝で明らか。

643
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/11 16:35:42  ID:Yw0JQgb2s
>633
赤眉の渠帥樊宗二十人余りは、封爵に惹かれて既に劉玄に降ってるから、問題では無かった。
問題となるのは、さっさと封地しなかったため、彼らに逃げられてしまった後のこと。

644
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/11 18:59:09  ID:MZv6lWlh0.n(2)
>641
河北の劉氏って劉楊以上の大物っていたっけ?
あんまり一枚岩な印象がない

劉楊の滅ぼし方見てるとやっぱり光武帝は悪い奴っちゃなーと思わされる
コメント2件

645
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/11 19:10:50  ID:N0SVj3PE0.n(2)
三国志警察の連中が参戦してきてカオスになりつつあるなあ
つーか生姜の人とか後漢初知識薄いのによくもまあ参戦する気になったな

646
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/11 19:20:06  ID:N0SVj3PE0.n(2)
ひよこの人もうマウンティングとかやめればいいのに

647
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/11 22:39:32  ID:nTjiHXpe0.n
>644
ちょっと前まで趙匡胤と並ぶぐう聖扱いされてたのが不思議なくらいだもんな。
コメント2件

648
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/11 23:04:18  ID:MZv6lWlh0.n(2)
>647
つーか歴史上の人物にぐう聖なんていねえし、チートも完璧超人も当然いねーだろう
そういうなんJあたりのレッテル張りみたいなの百害あって一利なしだわ

まあこういう考え方を突き詰めていくと光武帝=中興の英主という元鞘に収まってしまうんだけれども
でも他にしっくりくる評価もないんだよな

649
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/12 11:31:48  ID:16JVxVSy0.n
なんJなんてアホガキの巣窟に影響される人がいるとは

650
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/12 11:50:07  ID:zGPh5NSM0.n
なんJはなぜか五胡十六国のマニアがたまにいる

651
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/12 20:03:18  ID:xVj94/G00.n(2)
>647
趙匡胤が担がれた経緯が趙匡胤の陰謀といわれないのは
弟に殺された疑惑と石刻遺訓のお陰だといっていい位だし
趙匡胤自身もなんとも言えんわ

ドライに考えよう、ドライに
コメント1件

652
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/12 20:10:19  ID:xVj94/G00.n(2)
>644
別に一枚岩じゃないのは南陽だって同じだろう
真定王劉揚は劉揚で、趙繆王の子の劉林は劉林で、
王郎は王郎で、そして劉秀も劉秀で、そして残りの元皇族元王も
自分が皇帝たらんと策動してたんだろうよ。

653
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/12 20:24:44  ID:6g/bxa+T0.n
>651
自らを光武帝に擬した苻堅もなんちゃって名君みたいな感じだしなー
どんなに自分を飾って見せようにも簒奪弑逆系君主の肩書は取れんもの

光武帝も本質的には更始政権への造反者ではあるんだろうけど

654
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/17 13:11:02  ID:LCxRWbXie
チャンネル銀河で「秀麗伝」が見られるようになるってさ。
ごく一部では、どこが史実で、どこが脚色かでもめるんだろうな。
http://www.ch-ginga.jp/feature/shureiden/

655
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/19 01:39:17  ID:oKyN+Dsh0.n
赤眉が更始帝政権と敵対していたという意見自体がおかしいんじゃないか?

劉縯の劉玄即位に反対した発言とか、
元々は皇帝を立てておらず、漢王朝の再興を願っていたところとか
王莽討伐後すぐに降伏したところとか、
赤眉は当初は更始帝政権の同盟者だったのだろう。

更始帝政権がうまくいかないから失望して自分で政権をつくろうとしたのだろうよ。
コメント1件

656
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/19 20:00:06  ID:eNkBP6iH6
劉縯の言は「今、赤眉は青州徐州に起こり、衆は数十万、南陽にて宗室
を立てたりと聞かば、恐らく赤眉もまた立つる所とならん。かくのごとく
あれば、必ず内に争わんとす」と、皇帝を立てれば、皇帝乱立を生じ王莽
を倒す前に力を失ってしまうと言う意見。この時点では対王莽という点で
利害が一致していた。

657
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/19 21:02:48  ID:fQFCcTvC0.n
>655

赤眉はもともとは更始帝政権と敵対していなかったが
どこかの時点から敵対するようになったのではないかな?

どうだろ?

658
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/20 00:25:16  ID:DsvLZz3c0.n(3)
更始元年九月 王莽死に、更始帝、長安を都とする。
更始元年十月 更始帝、洛陽を首都とし、移る。
    十二月 王郎、天子を名乗る。
更始二年正月 更始帝、洛陽を首都とし、移る。
       赤眉に使者を送る。赤眉、降伏する。
    冬  赤眉、更始帝に反し、潁川に入り、長安を目指す。

注目すべきは、更始二年の五月から冬までに
赤眉の別帥が射犬に他の農民反乱軍と集結している時に、劉秀が打ち破っていること。

これで赤眉は同盟破棄と思い、更始帝政権と敵対することに決めたのではないかな?
コメント3件

659
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/12/20 00:38:19  ID:DsvLZz3c0.n(3)
赤眉としては列侯に封じられたはいいけど、山東の農地は荒れたままだろうし、
これからは統治を考えなくてはいけないから、農地をただ奪うわけにもいかない。
略奪はこの時点では激しくなかったようだから、他の農民には仲間意識があったと思う。

とすると、新しい農地を生む統治能力はないから、他の農民反乱軍と話し合って、
元々の新王朝の都市を奪うか、豪族の土地を奪うしかないだろう。
更始政権には切り取り放題を追認してもらう形で。
実際に三輔ではこの統治方法を採用したのだろうな。

それを打ち合わせしていたら、銅馬を打ち破って降伏させた劉秀が襲いかかってきた。
同盟軍と思っていた赤眉は不意をつかれ、同盟を破棄して長安攻撃を決めたのだと思う。

660
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/20 02:27:35  ID:io/rt2Wz0.n
石勒「なんやこの畜生」(白目)

661
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/20 20:06:45  ID:sLisbG2CO
>658
光武帝紀第一上より
「九月(中略)更始まさに北の洛陽に都せんと」とあり、長安では無いです。
単純な勘違いなんでしょうが、念のため記しておきます。

662
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/20 23:05:38  ID:DsvLZz3c0.n(3)
>658
年表がおかしくなっていたな。スマン
その上で少し整理。

更始元年九月 王莽死に、更始帝軍、長安を占領。
更始元年十月 更始帝、洛陽を都とする。
       更始帝、劉秀を行事大司馬とし、河北に派遣。
    十二月 王郎、天子を名乗る。
更始二年二月 更始帝、長安を都とする。
       赤眉に使者を送る。赤眉、降伏する。
     五月以降 劉秀、独立を決め、更始帝の幽州牧・苗曾らを殺す。
     秋  赤眉の別帥らを射犬に打ち破る。
        呉漢、更始帝の尚書令・謝躬を殺す。
    冬  赤眉、更始帝に反し、潁川に入り、長安を目指す。

五月に更始帝からの独立を決めた後、更始帝の名で赤眉を攻撃。
赤眉が長安に向かうことが確認できた後、謝躬を殺して完全独立したのだろう。
謝躬らを派遣した長安は手薄。判断に迷った場合、赤眉が向かう可能性は高い。

もし、赤眉が河北に向かってきたら、更始帝が自分と手を切れないのを見越して、
長安に援軍を呼んで赤眉を撃滅して、その後で独立しようとしていたのだな。

663
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/21 00:36:30  ID:NikD6mn60.n
それはちょっと無理ありすぎw
何ぼ赤眉が脳筋イナゴ軍団でも、更始帝軍が盟約破って攻撃してきたら
詰問の使者くらい出すだろ。
で、あれはうちに反旗翻した劉秀がやった事だって返事が来れば
攻撃の矛先は劉秀の方に向くだろ。
もしあんたの言う通りだったとしたら、更始側の対応が余程間抜けだったとしか
コメント3件

664
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/21 19:25:15  ID:3+ury8UW0.n
>663

>更始側の対応が余程間抜けだった


この可能性もあるでしょ。暗愚な人だったから。
コメント1件

665
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/21 22:59:59  ID:gGrWVmr90
>658, 662
劉盆子伝に「更始の洛陽に都するに会し、使いを遣って樊宗を降さしむ」とあります。

次に更始が長安に遷都するのは、鄭興伝に「今、議者の先ず赤眉を定めてしかる後に
関中に入らんとするのはこれその本質を知らずして些末を争う。恐れるに、国家の
守りに転じて函谷関にあらんことを」とあるように長安を都とすることが大事である
という鄭興の諫言によってます。
また赤眉が寝返った後、それにも拘わらず洛陽から長安に遷都したことがわかります。
コメント1件

666
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/21 23:10:59  ID:DtzVD3D50.n(3)
>663
実際の歴史はどうだったろうか? 
赤眉は臣従を誓って列侯に封じられたのに、突如、更始政権を攻撃している。
他に更始帝と赤眉が不和が生まれる理由はないのに、
そう考えるなら赤眉は脳筋どころか狂犬集団になってしまう。そちらの方が無理がある。
赤眉は、皇帝を立てる名分を理解しているし、他の農民反乱軍と戦わずに話し合う理性ももっている。

更始帝には劉秀からは、
「苗曾は謀反を起こしたのでやむなく斬った。赤眉から攻撃されたので撃った」
という報告があり、謝躬からは「確認中」の報告が行われていたはずだ。
周囲の南陽劉氏は劉秀をかばうだろうし、これでは更始帝は判断できるわけがない。
赤眉へは回答を保留したか、曖昧に答えたろう。
コメント1件

667
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/21 23:11:57  ID:DtzVD3D50.n(3)
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コメント1件

668
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/21 23:12:52  ID:DtzVD3D50.n(3)
赤眉が公孫述・隗囂のような豪族勢力ならじっくり確認したろうが、
明日の食糧に心配しなければならない農民反乱軍。決断しなければならない。
どちらにせよ、返事を待たず、勝手に河北を攻めたら更始帝と決裂するだろう。

となれば、更始帝と決裂する以上は、更始帝と劉秀の思惑などどうでもよく、
銅馬を吸収し勢いにのる河北よりも、落ち目の長安の方が攻めるのに色々と都合が良い。
劉秀が独立を考えている疑惑があるのなら、孤立している可能性が高いからなおさらだろう。   

669
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/21 23:53:33  ID:M99KvWmD0.n
劉秀の関中攻めは色々と胡散臭い
あの時期のブラックさはヤバイと思う

670
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/22 08:09:32  ID:BjVFT9K70.n
>666-667
連投ミス、スマン

>664
劉玄の暗愚さは潤色の可能性を考えて割引いて考えている。南陽劉氏の権力争いに勝利しているし、
南陽劉氏が劉秀に同調して独立運動をすることはほとんどなかったし。

本来なら、更始政権の内政能力の欠如と、遡っての兄の仇だけが理由では、
独立行動は、忘恩や大義名分の不在など離反が相次ぐ可能性の高い行動であるはずだが、
劉秀はすでに民間に浸透していた讖緯で予言された「劉秀」の名を有している。

すでに若年から、これを知っていた劉秀は、
離反したとしても、自分が真主を名乗る大義名分が存在する確信があったはずだ。
コメント1件

671
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/22 11:56:23  ID:HAQ3Uhgw0.n(5)
>670
更始政権が河北では歓迎されていなかっただけのような気もするけど
馮異あたりは全力で更始政権のダメっぷりに付け込むべきだと劉秀のケツ叩いているし

更始政権は王莽を滅ぼした後の関中と同周辺地域の安定化に目に見える形で失敗してたんじゃないのかな
コメント2件

672
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/22 12:13:38  ID:HAQ3Uhgw0.n(5)
讖緯を利用しても袋叩きにあった袁術とかおるし
絶対視できるようなものではないと思うんだけどね
コメント1件

673
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2016/12/22 15:45:27  ID:Q4q0KaWZ0.n(6)
あえてコテトリ付けて乱入してみる

>671
635氏とは別人だが、河北で歓迎されていなかったことには同意だけど馮異については微妙。
ああいう遡った物語をまるまる事実と認識するのは危険性があると思う。
ああ言う「ほらみろ、○○の言ったとおりじゃないか」という感じのは色々大盛りにするもんだ。

統制については劉玄は王莽政権の太守(大尹)や現地豪族支配の追認などによって統制を図っているし、
并州、隴右、河西の安定化には、劉秀の離反以前はおよそ成功していたと見て取れるように思う。
特に鮑永が安定化させた并州は南方から劉秀の河北平定を支援した謝躬が策源地としていた様子があるし
隴右、河西は後に隗囂、竇融らが何の平定もなく依っているし、竇融が河西に赴任した理由自体が「東は混乱しているから」だ。
この言葉の逆をとれば北西部は概ね安定していたとみていいんじゃないかな。
関中、南陽も自守していた豪族があるものの、対象が更始政権だったのか赤眉だったのかは熟慮すべき点が残っていると思う。

まぁ、公孫述と秦豊の問題があるから、益州と荊州南部の安定には課題があっただろうし
黄河南部諸州についても課題があったと思うが、これは劉秀も武力平定を必要としているし
これを更始政権個別の問題とするのはフェアではないと思う。

>672
讖緯によることが絶対視出来るものではないということは事実だと思うけど、
時代性の問題もあるし、更に立場に対して歴史記述の上で色々疑問点が出されているから袁術は例としては適切ではないね。
たとえば、袁術に従っていたと見られる人が後に魏に仕えたため記述がねじ曲げられた形跡が指摘されている人もいるでしょう?

あと、讖緯を絶対視できるかどうかと、劉秀の動機になったかという話はまた距離があるように思う。
劉秀が、及び劉秀政権が世論をどうみていたのか、と言う点など色々な側面で考えてみないといけない事だと思うから。
政権内で馮異が他の将と比べても危険視された理由が、おそらく馮異の字が公孫であることも入っているだろうことも考えてみないとね。
コメント1件

674
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2016/12/22 16:12:45  ID:Q4q0KaWZ0.n(6)
あと、公孫述や赤眉に対して個別に平定軍を派遣できている事実について顧みれば、
三輔、南陽は極端に不安定ではなかったように思う。
あと更始五銖がちゃんと流通していた件の問題もある。

使持節前大司馬の劉賜は赤眉に敗れる前は六部を指揮して南陽に駐屯している。
謝躬の六裨将の件を見るに、この六部隊1単位ってのが更始政権の軍制の基本のようだが、
この部隊が後漢の軍制の将軍ないし裨将軍とそのまま一致させていいものかには議論が必要だろうね。

675
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2016/12/22 16:22:15  ID:Q4q0KaWZ0.n(6)
あと、前近代はどうあっても完全な面支配じゃない点は常に意識していきたいところ。
これは、現代でも危ういところだけれどもね。

676
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/22 16:54:26  ID:HAQ3Uhgw0.n(5)
>673
史書における事後予言の取り扱いに注意が必要なのは同意するわ

ひとつだけ注意が必要なのが
新王朝の末期(22年以降)の関中周辺では反乱鎮圧部隊のための徴兵徴発が苦しくなってきていて
荊州攻撃を命ぜられた荘尤陳茂たちは吏士百余人で見切り発進させられたり、蝗害に起因する関中の飢饉では流民の餓死者を万単位で出したりと
関中の民力や物資が相当疲弊していたことだけは確実であり、三輔地域が安定していたとはとても断言できない状況だったことかな

隴西天水地域は12年の頃から続いている西南夷対策で騎兵を拠出し続けているためこちらも結構キツかったと思う
(新王朝は句町の反乱を鎮圧することなく滅亡)

兵力が無限に湧いてくるなんてまずあり得ないので
更始政権の軍事的な基盤は飽くまで南陽がメインで関中は基盤から少し離れている遠征先、抵抗らしい抵抗をする力も失った廃墟みたいな感じだったんじゃねーかな
コメント2件

677
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/22 16:57:57  ID:HAQ3Uhgw0.n(5)
四十万徴発はこの時代なら不自然ではないと豪語している人もいるけど
新王朝末期の反乱鎮圧の過程を追っていくと赤眉の乱が起こるより前の段階で「この王朝詰んでる」って感じると思うんだがなあ

678
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/22 17:00:57  ID:HAQ3Uhgw0.n(5)
例え史書の潤色による事後予言であったとしても馮異は光武帝独立をプロデュースした謀主としての役割の方が際立っていると思う

679
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2016/12/22 18:06:52  ID:Q4q0KaWZ0.n(6)
>676-678
この3レスであなたの言っていることには大体同意するのですが、
どの事実をもってしても>671で言ってしまっているような更始政権がとりわけ支持を失っていたことを示さないと思います。
そもそも、全部王莽政権で起こった問題ですから。

関中が更始政権が入った時点で廃墟であったのは、洛陽からの遷都の際に示されていますね。
ですが、それも更始政権での統治について混同出来る話ではないと思います。
といいますのも、更始政権についての記述自体が根本的に不足している上に、
叙述の多くは内部の政争についてばかりなので、果たして近郡の安定化に失敗していたかどうかは、神のみぞ知るレベルだと思いますね。

もちろん安定化の成功についても同じ事が言えますが、
既存史料の更始帝の部分に曲筆のある問題は劉知幾の既に示すところでありますし、
更始五銖の発行が記されていない問題もありますので
(ただしこれは范書の場合、志で描かれる可能性が皆無であったとは言えないので曲筆かどうかは微妙なラインではあると思う)
疑わしきは更始政権の利益に帰したいというのが個人的な感情であります。
コメント1件

680
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2016/12/22 18:15:32  ID:Q4q0KaWZ0.n(6)
ああ、そもそも安定化の定義問題もありますが。

681
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2016/12/22 20:39:33  ID:Q4q0KaWZ0.n(6)
また更始政権に節義を尽くそうとしたと見られる人間も大勢居るんですよね。
謝躬もそうでしょうし、苗曾もそうです、朱鮪も、鮑永も、劉秀を河北鎮定に推挙した劉賜までもがそうです。
更始帝敗亡後どころか、光武が洛陽を陥落させるまで光武に従わず更始政権秩序下のままだったと見られる人物を挙げればキリが無いです。
これらが単純に更始帝の党与であったから、恩沢に与ることができたことだけによるとするにはちょっと材料が欠け過ぎています。

関中での内部抗争も光武と赤眉の離反と入関によって起こった流れですし。
河東などの様子を見てもほとんどは更始政権の崩壊まで従っていたように思います。
今読み直しておりますが、更始政権批判も大官の身分や功績が低かったことにばかり集中していますし。
更始帝の遷都後の素行批判もゴシップみたいなもので政策に関するものはほとんどありません。

682
635[sage]   投稿日:2016/12/23 02:08:09  ID:eaKzqRIG0.n
俺も数字をとるか。

>676
それは三輔が他に比べて特別に疲弊した理由とは思えないな。
地皇三年(22)に流民が関中に流れてきたのは、まだ関中の方が余裕があると思われたからだろうし、
少なくとも、流民に食糧を提供する余裕は、まだあった。
また、三輔の豪族たちは更始帝に呼応して各県で数千の子弟を率いており、
多数の流民がきていたはずなのに、農民反乱軍にならずに豪族が吸収できるぐらいの余裕はあったらしい。

確かに、申屠建の発言への反発から豪族が各県に立てこもった記録もあるけど、
その後、更始帝は長安に入っているし、潤色の可能性を考えると安定化していた可能性も高いんじゃないかな?

また、三輔全体が廃墟ということは、三輔の豪族が各県で独立して赤眉や光武帝とそれなりに戦えたことから、
豪族たちに私兵を保有できるほどの余力があったことを示しており、更始帝政権以前は考えてにくいのではないか。

683
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/23 09:54:52  ID:coSgVx2pj
>667

>実際の歴史はどうだったろうか?
>赤眉は臣従を誓って列侯に封じられたのに、突如、更始政権を攻撃している。
>他に更始帝と赤眉が不和が生まれる理由はないのに、

実際の歴史というなら、後漢書劉盆子伝を引くべき。
「更始は洛陽に都するに会し、使いを遣って(樊)宗を降さしむ。
(樊)宗らは漢室復興を聞き、すなわちその兵を留め、自ら渠帥
二十余人を率いて使者に随い洛陽に至り更始に降りて、
皆封じられて列侯に為る。(樊)宗ら即に未だ国邑有らず、
しかして留めし衆ようやく離反有り、すなわち遂に逃れてその営に帰り、
兵を率いて潁川に入る。(後略)」

赤眉軍の頭目たちを列侯にする、つまり領地を与えると言っておきながら、
更始政権はそれを実行せず、さらに部下の兵士たちが離反し始めたため、
頭目は自陣営に戻った。こう後漢書は赤眉の変節について説明している。

684
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/24 07:28:42  ID:BvQ5SWPr0.n
ID:HAQ3Uhgw0だけども
更始政権は当分洛陽か南陽を拠点にして性急に長安へと都しない方が良かったんじゃないかと思ってる
急激に占領地が拡大していく中でさらに河北とか蜀とかにまで手を広げすぎた結果、持っている国力以上の戦線を抱えて自滅したのではなかろうか
無理しないで着実に占領地の地盤固めをしていってたら赤眉に瞬殺されることはなかっただろう
コメント1件

685
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/24 11:30:07  ID:kN9nd61hy(4)
>679
>関中が更始政権が入った時点で廃墟であったのは、洛陽からの遷都の際に示されていますね。

文献の誤読じゃないでしょうか?
漢書王莽伝下より
「二年二月,更始到長安,下詔大赦,非王莽子,他皆除其罪,故王氏宗
族得全。三輔悉平,更始都長安,居長樂宮。府藏完具,獨未央宮燒攻
莽三日,死則案堵復故。更始至,?餘政教不行。明年夏,赤眉樊崇等
衆數十萬人入關,立劉盆子,稱尊號,攻更始,更始降之。赤眉遂燒長
安宮室市里,害更始。民飢餓相食,死者數十萬,長安為?,城中無人
行。宗廟園陵皆發掘,唯霸陵、杜陵完。六月,世祖即位,然後宗廟社
稷復立,天下艾安。」
コメント1件

686
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/24 11:30:41  ID:kN9nd61hy(4)
主要な部分を訳すと

「三輔は悉く平らぎ、更始帝は長安を都とし、長楽宮に居す。府蔵完全
に具わり、独り未央宮を焼き王莽を攻めて三日、(王莽)死してすなわち
安堵し旧に復す。更始が至りて、一歳余り政教行われず。明年夏、赤眉
樊崇等衆人数十万が入関し、劉盆子を立て尊号を称し更始を攻め、
更始は之に降る。赤眉は遂に長安の宮室市里を焼き、更始を害す。
民は飢餓のため(人が人を)相食む。死者数十万、長安は虚ろと為り、
城中行く人無し」

更始が入関した時、未央宮だけが焼かれ、他は完全に具わっていたと
あります。異論があれば、論拠となる文献を上げて頂けないでしょうか?

687
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/24 11:47:55  ID:kN9nd61hy(4)
人相食(む)について

飢饉の甚だしき時は、食人が起こります。よって「人相食」という文字が
出てくると、その時の程度が極まったとわかります。桑原隲蔵が「支那
人間に於ける食人肉の風習」(青空文庫収録)という論文で中国にお
ける食人文化を書いています。

新末〜後漢初に関して抜き出し、追加修正すると

王莽天鳳元年(14)「縁邊大饑。人相食。(《匈奴と接する》縁辺が大飢
饉で、人相食む)」(『漢書』王莽伝)

(計算して)王莽地皇元年(20)「戦闘死亡。縁邊四夷所係虜。陷罪。
飢疫。人相食。及莽未誅。而天下戸口減半矣。(戦闘で死亡し、縁辺
四方の夷の虜となり、罪に陥り、飢饉疫病で、人相食む。王莽未だ
誅されず、しかして天下の戸口は半減した)」(『漢書』食貨志)

688
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/24 11:52:24  ID:kN9nd61hy(4)
王莽地皇三年(22)二月「關東人相食。(関東では人相食む)」
(『漢書』王莽伝)

{王莽時} 「北邊及青徐地。人相食。?陽以東米石二千。
(北辺及び青州徐州では人相食む。洛陽より東では米が一石二千銭になった)」
(『漢書』食貨志)

光武帝建武元年(25)「民饑餓相食。死者數十萬。長安爲虚。城中無人行。」
(『漢書』王莽伝)・・・この記述は赤眉の惨禍の後

光武帝建武二年(26)「三輔大饑。人相食。城郭皆空。白骨蔽野。
(三輔弼は大飢饉となり、人相食む。城郭はみな空となり、
白骨が野を蔽う。)」({『資治通鑑』建武二年條})


東に食料が無く、そのため赤眉は食料の有る西に向かったと言えるでしょう。
結果三輔も大飢饉になったと言えます。そして最後に人相食むの記述が出る。

689
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2016/12/25 21:28:26  ID:ItfbbZLw0.n(2)
>684
手を広げすぎたということについては同意だが、結果論だとも思う。

河北河南は皇族が跋扈する劇郡ならぬ劇州であることがまずあり、
次にあるのは河北河南まとめた奴に南陽と洛陽と予州だけで敵うの?って言う問題が待ってる。
南北中原が纏まってしまう前にこっちから手を出していくことは大前提だよ。

座視していたら、結果的にこの時代で言えば秦豊、三国時代で言えば劉表の二の舞じゃないかな。
コメント1件

690
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2016/12/25 21:41:13  ID:ItfbbZLw0.n(2)
あともう一つ問題点を指摘するなら、王郎ないし劉林がそのまま劉秀の地位に収まるだけの可能性もある

691
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/26 23:55:34  ID:r5vfDw6N0.n
>97
まだそのレスまでしか読んでないが、そこまでレベルが高いとは思えない
用いられている知識が専門的だとしても、その目的がマウンティングなら非常につまらないものになるからだ
そこまででやり合っているうちの特定の人はその臭いがプンプンする
それでも>89のガウスの消去法のくだりのような話を見ると面白く感じてしまうから読むのはやめない
どうやらその時点で今から3年前のレスのようだから、その後のレスで「前スレの964」への見方が変わったら謝るわ

692
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/28 18:40:21  ID:KW9wLrHs2
>689

重箱の隅つつきで申し訳ないが、
「河北河南まとめた」なら、そこに
河南郡に属する洛陽も含まれていることになる。

多分言いたいのは「河北河南まとめた(洛陽を除く)」と言いたいんだろうな。
そうなると洛陽は孤立化状態ということで、早晩落城するだろうから、
「河北河南まとめた奴に南陽と予州だけで敵うの?」と言い換えても変わらない
と思う。
コメント1件

693
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/28 21:55:51  ID:ZCoBzJmW0.n
今は人もいるのに何年も前のレスに反応してどうすんだ?
マウンティングかどうかなどどうでもいい話だろ

694
635[sage]   投稿日:2016/12/29 21:46:52  ID:a4KO+iTp0.n
結局は、光武帝が赤眉を襲った以外に、一度臣従を誓った赤眉が更始政権に
謀反を起こして長安に攻めたことへの説得力のある説明はないのかな?

後漢書の通りだと列侯になったはいいが、土地を与えられなかったのが理由みたいだけど
三輔と河北・河南・南陽以外は切り取り放題だしな。
更始政権がうまくいっていなかったからといっても表面上は河北は平定しているわけだし、
他に、急に自分のところで皇帝を即位させて、長安をわざわざ攻撃する理由が見つからない。
また、赤眉の別帥の件がありながら、劉秀を攻めなかった理由も他につかない。
コメント1件

695
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/30 19:16:47  ID:jQK45gkyK
>694

>三輔と河北・河南・南陽以外は切り取り放題だしな。
隴西・河西に併州・漢中も更始下(これは些事)

>他に、急に自分のところで皇帝を即位させて、長安をわざわざ攻撃する理由が見つからない。

時系列が逆、長安を目指している時(正確には関外から長安へ2/3くらいの鄭に至った時)に皇帝を即位させている。

赤眉の長安侵攻の動機については後漢書劉盆子伝に記載されている。
それを紹介しないといけないのかな?

696
635[sage]   投稿日:2017/01/06 04:36:10  ID:RQxNUjjP0.n
SCの方の反論を偶然見つけた。
俺の方の説明が悪いかもしれんが、通常は「劉盆子伝」を読んだ上での説明と分かるだろう。
長安の攻撃前に劉盆子を即位させているから、説明が間違いとは思えない。
「劉盆子伝」において、領土がもらえず離反者がでたと言っても、
いったん臣従した更始政権を攻める理由に乏しいと考えていると前から延べている。

俺と見る人の負担になるため、次にSCに書いても無視することにする。

697
635[sage]   投稿日:2017/01/09 19:19:36  ID:zABcOD4D0.n
この前、「はじめての三国志」というサイトで鄧禹の記事を見つけたが、
光武帝の親友だが戦争にべらぼう弱い、と紹介されていたけど、
なぜ、鄧禹はネット内で、いつもこんな扱いを受けるんだ?
河北でも河東でも十分勝っているのに。

>353であった通り、鄧禹としては兵糧不足の長安を進軍せず、
周辺を降伏させて、赤眉の疲弊を待つ戦略だったのに、
光武帝が出兵を強いて台無しにしてしまったと考えるべきではないだろうか?

一見、鄧禹は光武帝の指示に従わなかったようにも読めるが、
資治通鑑によると、鄧禹が光武帝に関中を攻めないことを責められたのは、
建武元年12月で、長安に入ったのは建武二年1月だから、あまりにも急すぎる。
鄧禹は準備不足を分かっていて、あえて長安に進軍したのではないか?
だとしたら、鄧禹がここまで軍事能力が低いことを責められるのは酷だろ。

698
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/09 21:45:19  ID:yHDjj/jo0.n
はじめての三国志は無茶苦茶適当な記事しかないから

699
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/01/11 00:44:48  ID:Y2jtlihx0.n
鄧禹ってそうでなくても、戦下手で人を見る目で筆頭になれたと言われることが多いような。
安定と北地を奪った後で、赤眉不在の長安に入っているから鄧禹の判断でも可能性はあるが、
鄧禹の失敗だけなら、光武帝の指示をわざわざ記載しなくてもいいところだから、
少なくとも連帯責任のような。

700
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM[]   投稿日:2017/01/11 22:26:02  ID:Gv41S4Vys(3)
>685
それは確かに私の文献誤読ですね、すいません。
ただ、どちらにせよ三輔の荒れた要因は赤眉となるので、論旨に大きな影響を与える部分ではないように思います。

あと、こちらで議論を進めるのは感心致しません、
アフィリエイトの無断転載の脱法用に作られた経緯があるため
このサイトは本2ch側から無断転載され、かつ向こう側からは一切見えないのです。
話が通じなくなってしまうのは、そのためです。

アフィリエイトの是非はともあれ、会話が目的であるなら、向こうで進める事をお勧めします。
こちらで敢えて続けようというのであれば、一部の人には会話が目的でないと見なされてしまっても、仕方が無いでしょう。

701
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM[]   投稿日:2017/01/11 23:00:18  ID:Gv41S4Vys(3)
>665
原文を確認する限り、あの文で確認出来るのは鄭興の進言時が洛陽にいたときであり、
赤眉が定まっていない時であることではないでしょうか。
赤眉が背いたと書かれて居ない以上、時の確定は不可能であるように思います。
また、洛陽逗留中で有ることは窺えますが
劉玄伝で出てくる更始帝が洛陽に一時都した事が書かれていない事も気に掛かります。

702
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM[]   投稿日:2017/01/11 23:03:08  ID:Gv41S4Vys(3)
>692
河南といったのが悪かったですね。自治体としての河南郡ではなく
河北平定前後に一気に叛乱が広がった黄河以南、つまり青州までを意図していました。

ただ、こちらの方々?が私の至らぬ知識や言葉遣いを正してくれていることには、感謝致します

703
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM[]   投稿日:2017/01/12 00:24:03  ID:7suncKYkV
青州までというのは不適切な言い方ですね
中原平野の黄河以南といいましょうか、?州、予州、青州、徐州辺りの事が念頭にありました。

704
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/18 03:18:38  ID:X4jmn6gK0.n
光武帝界隈でかつて一体何があって現在の大喧嘩に繋がったのかよくわからない

705
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/22 10:48:50  ID:0EhF+iBd0.n
このスレと基本的に流れは同じだろ

ファンサイトに書いてある理屈で、ファンが光武帝の儒教や豪族関係を無視して完璧という

三国志や劉邦、李世民が光武帝より劣るとdisられたことと、史学関係の評価を知っている人間が露骨に文句を言う

ファンが文句を言う人間を個人攻撃する

中英や世界史板でも分かるけど、かつては光武帝は地味な皇帝という評価だったのに、
通史的な評価では、トップかそれに近い位置にしないといけない空気があって、
それに反発する人間は攻撃された。同じ事が他の場所でも行われたということだろ
コメント4件

706
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/22 11:43:57  ID:XyF0ZP+v0.n
豪族論ってしっくり来ないんだよなー
日本の武士階級の起源が武装自衛農民だー、みたいな変な発展史観にしか見えない

士族として捉えれば、その中に営農主体のやつらも官吏主体のやつらも包含されるだろうから
光武帝は最終的に士族層の広範な支持を獲得した、で説明可能になると思うんだが
豪族論というやつは完全に片手落ちになっていると思うわ
大土地所有営農を生業とする者たちだけで全部説明しようとしすぎなんじゃねーのか
コメント1件

707
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/01/22 19:46:15  ID:cstZXKwS0.n
>705

地味だが有能な人物はいくらでもいるわけで。

奥保鞏元帥とか。

708
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/23 23:53:49  ID:D2D/oTrk0.n(2)
>705
国家の支配を農民との間で考えたら、豪族という層がいて、
その豪族層から官吏層と地主層が生まれて、
豪族出身の官吏層が力を持つと、農民層は弱体化するが、
国家への忠誠を尽くし、地主層の豪族を抑え、国家の安定に貢献することがある。
しかし、官吏としての特権がなくなると、地主層が力を持ち、国家が弱体化する。

この官吏と地主が同根でそれが揺れ動くところから国家の支配を見ようとしているのではないのかな?
士族と言い換えたところで、大土地所有者出身が次第に増えたという研究になるだけだろうから、
本質は変わらないと思う。
コメント1件

709
662[sage]   投稿日:2017/01/23 23:54:50  ID:D2D/oTrk0.n(2)
×>705>706

710
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/24 20:19:24  ID:4ue5EoYI0.n
>708
羽林郎とかの騎射技能をもって採用されていた関中を地盤とする武官層がスッポリ抜けているのはやっぱり片手落ちだと思うよ

学識者も地方の大土地所有者がぽっと出でなる場合よりも家学を継承している人間とかあるいは官吏の倅とか
そういった職能を継承する階層から生まれているケースの方が多い

豪族論は土地所有や営農といった経済的な部分に片寄りすぎていて、そこから官吏に至る道筋、職能的な側面がうまく説明できてないと感じる
また官吏の本籍地回避の原則を考慮すると大土地所有者は下手に高官になるものではないとすら言える(中央官僚になったら尚更である)

漢代を通じ、次代の魏晋期に向けて士族層が形成されていく過程において大土地所有営農者たちはひとつのルーツにはなったことは理解している
それで全てが説明できないところにこの問題の複雑さがあるのだとは思うが

711
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/25 23:55:29  ID:R2538Cd10.n
>705
最近の戦争を観ているとさらにそこから

ファンが文句を言う人間を個人攻撃する

アンチが中立派もファンと決めつけて罵倒攻撃を行う

みたいな感じになって発展してるようだけど
コメント2件

712
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/01/26 20:19:22  ID:kQr5Vwjt0.n
>711
その件が、私と直接ことを構えた立場になる某氏の件についてであれば、
個人的にDMをその某氏から一方的にスクリーンショットで爆撃+ブロックされた限りでは
私と某氏の間に問題があり関係が途切れたため、私が某氏とまめ氏の間の折衝を放り投げたら、
某氏がまめ氏との対話で金印氏の事を持ちだした結果、光武帝関係の闘争になったっていう流れ。

なんで、党派性の問題というよりは、個人個人の問題かなというのが、
多分某氏以外の見解(下手すると、光武帝ファンと光武帝アンチが党派を超えて)として一致してしまった話。

金印氏とまめ氏の遺恨は彼らにしか解決出来ないもので、根深い個人攻撃の連鎖が絡んでいるので、
私が某氏とまめ氏を和解させようとしたのが拙かったのと同じように、某氏は金印氏の事を持ち出すべきではなかった。

色々誤解とかが絡んでいるんで、話し合いたいと思ってるんだが、
ちょっと彼自身が色々決め付け過ぎている側面があり、しかも話し合いを拒むので
それを指摘することになるから、もの凄く角が立つんだよね。

個人的に金印さんも傷つかれているようだし、某氏を不必要に傷つけたくもないので
その誤解に関する解説の記事は作ったんだけど、挙げようか迷っている段階かな。
金印氏に聞いて、良ければ挙げようかとは思ってたんだが、昨晩アカウントを戻すという話だったのでお蔵入りかなーってとこ。

713
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 19:59:29  ID:FEwa6bkV0.n
まあ興味ある話題の時は話すが、荒ぶってる時は話し掛けない
くらいのドライな感じの方がよいのかもしれない

714
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/28 02:45:04  ID:JJLXEoWw0.n
>711
アンチというかまめとかいうクラスタが頭おかしいようにしか見えないんだけど
別に光武帝に親を殺されたわけでもあるまいし
コメント2件

715
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/01/28 05:09:06  ID:40IF6lO60.n(2)
>714
彼が金印氏に書かれた個人攻撃漫画を見れば
申し訳ないが正直のところ個人攻撃の連鎖に至るのは必然であったと思う。
コメント1件

716
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/01/28 05:12:44  ID:40IF6lO60.n(2)
>714
あと、まめ氏がトゥギャッターで纏めているのはかなり公正な見方をした纏めだよ。
光武帝の肯定的側面も大いに評価している。

717
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/29 14:18:35  ID:phzrwJN80.n
既に論点が個人と個人との感情的な争いに発展しているから
そういう人たちはまとめてお引き取り願いたい、というのが騒動見ていての感想かな。

光武帝コンテンツが核実験場跡地並みに立ち入り禁止区域になってしまったことだけが残念だけど。
コンテンツの死に方としてはかなりユニークだったから、だれかこの騒動まとめてみてくれないかな?
コメント1件

718
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/29 15:12:13  ID:ctD7Erg60.n
>715
漫画の通り過ぎて笑うしかないだろ
コメント1件

719
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/29 15:37:11  ID:Qn+UTkOB0.n
気に食わないから漫画でバカにしてやろうという品性がね…
上にあったような反論できないから犬だの釣りだの言って揶揄するとか
そういう姿勢こそが光武帝ファンはみんなこんな人達と思われる原因だと自覚した方がいいよ
コメント2件

720
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/01/29 15:42:53  ID:A9rpRLdB0.n(3)
>718
右翼が朝鮮人を書いたときとか
左翼が右翼を書いたときのような

憎しみで目が曇っている時特有の
浮ついた架空の人間像のように見えた、というのが本音だね。

721
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/01/29 15:51:15  ID:A9rpRLdB0.n(3)
>719
ファンと信者は峻別されるべきであるような気がしてきた。

まめ氏もあれだけ公正な分析を纏めているのにアンチと呼ばれるのは相応しくないね。
アンチ「光武帝信者」ではあるかも知れないが彼の言うとおりアンチ光武帝ではない。
彼はまとめの中で一つのプレ貴族制の中心的人物としての優美な光武帝像を確立しているのだから。

722
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/01/29 16:04:46  ID:Qm6uon5W0.n
いい加減ネットwatch板でやれよ
アホども
コメント1件

723
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/29 17:33:24  ID:GHSgr74a0.n
なにが起きたか知らない人が見たら現段階ではアンチ光武帝派+三国志オタが延々と粘着しているようにしか見えないし
まとめがあるといいのかもね

724
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/29 18:31:20  ID:GPikx0+q0.n(2)
>719
すまんな
五胡「信者」なんだけど
大好きな慕容恪を理由もなく「神格化」とかケチつけられてな、切れちまったんだわ
根拠がよくわからんどっかの能力値化スレだかなんだかを理由にしてな

ちなみに光武帝界隈の破滅っぷりはその時まで知らんかったわ

725
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/29 18:33:36  ID:GPikx0+q0.n(2)
ちなみにその時は「次は慕容恪をターゲットにする」とか何とか言ってて、こいつ性格ヤバいなーと思ったけどさ

726
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/29 19:08:14  ID:K87aW+Ep0.n
その漫画とやらを見ないとなんとも言えんし
そもそも漫画を描かれることになった経緯を知らんとなんとも言えんからなあ

727
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/01/29 22:35:17  ID:A9rpRLdB0.n(3)
>717
個々人の問題だと認識しながら、つい最近入ってきた
何も知らない私のような人間が不用意に触れてしまったのが失礼だったね。

>722氏の言うとおり、元来ヲチ板管轄だし、個人アカウント名だした私がいうのもあれだが
個人の話題は自粛したいし、自粛して貰いたい。

728
678[sage]   投稿日:2017/01/30 05:39:48  ID:minklZhn0.n
未明のツイートを見たけど、やっぱ頭おかしいわアイツ
存在しない「慕容恪最強論者」を勝手に作ってそれを攻撃
自分の根拠のない「神格化」連呼は棚に上げて正当化、荒らしマインドが半端じゃねーな

こんなのに粘着荒らしされたら光武帝界隈もそりゃ寂れるわ

729
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/30 11:42:43  ID:f5a0v+os0.n
本当それ
自分では正しいことしてると思ってるみたいだが、ただの荒らしにしかみえないわ

730
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 21:58:18  ID:uFvFKVWN0.n
スレ違いどころか、板違いだな
さっさと出て行って、五胡スレにも帰ってくるな

731
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 22:10:08  ID:9YTmmv5f0.n(2)
光武帝に対するアプローチが歪みまくってるのは残念だけど
個人的にはやっぱり中国史屈指の名君だと思うんだけどね
劉邦に比べれば幼馴染みや義兄弟の粛清未遂まで至らなかったという点では良識者ではあったわけだし
功臣たちに権勢を預けなかったという点では独裁者としては高いセンスの持ち主ではあったわけだし

光武帝が必ずしも優れた君主ではなかったという視点の持ち主の人は余りにも後知恵過ぎてドン引くんだけど
コメント3件

732
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 22:19:56  ID:9YTmmv5f0.n(2)
当時において光武帝の比較対象は始皇帝や劉邦、劉徹、劉詢だったわけで
どう見てもこの四者の中でバランス良いのは劉邦か劉秀
後漢時点で劉秀が最高の名君でも問題全く無いレベルだと思う
(先駆者として評価すれば始皇帝になるのかな?)
光武帝の人格や政策に瑕疵があるという意見は誰と何を比較してなのか不明瞭過ぎてアホなんじゃないかと思う
この場合比較対象は時代の近い王莽や明帝になるから、どう考えても劉秀の方がまとも
何と言うか、後知恵大戦争になってるのは筋悪過ぎ
コメント1件

733
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 22:54:46  ID:zVgt9grf0.n
信者とかアンチみたいなのはいったん水に流してまっさらな所から再出発した方がみんな幸せになれると思う
今のままだと揚げ足取りと知識自慢(それすら恣意的ですらえるが)ばかりになってて新末後漢初の流れすら評価できていない

取り敢えず罵詈雑言だけでも禁止して再出発しないといつまでたっても神学論争の繰り返しに終始してしまう

734
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/01 00:56:42  ID:KTtvQSUF0.n(14)
>731
二行目は同意する。

三行目以降が残念無念。
粛清を悪とするか否かというのは簡単に評価できる問題であろうかという疑問がまず有り、
功臣たちに権勢を預けなかった事は問題なくとも、他の統治官僚から権力を奪った事については、
一つは度量問題として、二つ目は外戚宦官問題を惹起した要因の一つとして明確に批判されている。

幼帝が権力を奪われた様を見ている後漢皇帝が幼帝を想定していなかったとすればそれは
後知恵でなくとも当時の問題たり得る。
コメント1件

735
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/01 01:06:21  ID:O9n4OHp30.n(2)
さっそく険悪になってんだから例のアレは別格にひどいとしても
もうどっちもどっちなんだな。

736
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/01 01:07:03  ID:KTtvQSUF0.n(14)
>732
四行目以前と五行目以降で論旨が完全に矛盾している。
五行目以降に至っては同一文章内で自己基準を持ち出してしまっている。

四行目以前のように前漢期に対する超時代的比較を可能とするのであれば
後世の名君とも比較せねば不公平だ。
五行目以降のように超時代的比較は不可能であるという前提に立つのであれば
どれが最高だとかどれがより優れているだとか比較の言は一切述べてはならない。
コメント1件

737
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/01 01:31:00  ID:KTtvQSUF0.n(14)
例えば光武帝期の問題の一つである豪族との融和は、
豪族との対立が王莽期に破局へ至った事への解決策と言えるだろう。
これを王莽らの失敗のデータなくしてやれていたというのは不公平だ。

逆に明帝期は光武帝期からの人口増加によって開削や復旧、交易路の復活などの問題に直面することは必然であった。
徐々に増えていく段階の光武帝期に噴出しない問題に直面した事を光武より劣っていると言われるのは不公平だろう。

光武の問題ばかり時代だから他と比較できないといって回避して、
王莽、明帝期の問題は時代だから比較できないということはないというのでは、
少々肩入れが過ぎると言われても仕方あるまいて。
コメント1件

738
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/01 01:55:34  ID:O9n4OHp30.n(2)
>731
後知恵ってのは俺も同意するわ
あとで問題の原因になったとしても当時それが容易に想定できるのに対策しなかったというのならまだしも
果たしてそれが可能だったかということだよね

739
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/01 07:04:16  ID:Obm5VMnL0.n(9)
>734
必要な粛清と不必要な粛清とがあって
俺は光武帝が劉楊を粛清したことは必要な粛清だったと思ってるし
劉邦たちが韓信を徐々に粛清していったことも韓信の軍才と与えた領地の大きさから絶対に必要な粛清だったと思ってる
でも盧綰や樊カイの粛清は猜疑心に囚われ、耄碌した末の愚行でしかない(未遂に終わったことだけが救いではあったが)
これは史記でも批判的な文脈で書かれているでしょ、どう見てもやり過ぎだった

というわけで劉秀が劉邦に比べて良識あったことだけは明白だと思うんだが、それを否定する材料って何かあったっけ?
コメント1件

740
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/01 07:29:48  ID:Obm5VMnL0.n(9)
>736
システムが近い前漢〜新期は比較対象になり得るけど、軍事制度や政治制度が明らかに変容しちゃってる魏晋南北朝期以降は比較難しいと思うんだけどな
秦漢帝国の頃のスパンで相対的に評価しましょうというのが俺のスタンス

李世民とか趙匡胤とかと比べるのはさすがに無理あるだろうとは思う
コメント2件

741
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/01 08:18:47  ID:1YhQ7mMp0.n
>740
その二人の時代はモヒカンが大量発生した後の時代やから、荒っぽい粛清やったり
あるいはその逆に青臭い理想を口にしたりする必要があったわけやからな。

742
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/01 16:07:17  ID:KTtvQSUF0.n(14)
>739
俺も一行目には同意するが、盧綰の件については耄碌というのは間違っている。
劉邦はあれで耄碌していたとすれば相応の根拠が必要な年齢だ。
そも、死の直前で出す命令が混乱している事を罪するなら建武中元二年の羌への敗北も劉秀のものとして議さねばおかしかろうし、
そもそも秦漢交代期はまだ持節や領尚書事(録尚書事)などの制度を委任される側の制度が成立していない。
死の直前の命令の実態がどれほど評価の俎上にのせられるものだろうか?

樊カイが呂后の姻族で後の呂后派であり、
樊カイを捉えたのが後の呂氏粛清に主導的な立場を担った陳平、周勃らであることを
陳平周勃が呂后在世の間はむしろ呂后に協力していた事実も含めた上で、
ある程度「伝承空間」の出来事としても深く考慮の中に留意してみないといけない、
ちょっと象徴的すぎて単純な粛清と断ずる事は危険な出来事であると考えて居る。

それに、異姓王の封建問題としても見ていかなれけばならない問題だ。
仮に盧綰が臧荼の後釜に座った時のように、樊カイが盧綰の後釜になってしまっては呂氏派が大きくなりすぎる。
当たり前の事として聞くが、「異姓王の封建問題」が後漢初にあったのかね?
アレは武帝期までかけて徐々に克服されてきた課題であったと思うが。
蔡倫の紙の改良前に「光武はなんで紙を使わなかったのだ」と難詰するようなものだ。
徐々に社会は変容してきて時代というのは作られる。

それでもなお『史記』など後世の歴史家の視点を安易に引用するのであれば、蘇轍らに既に指摘されている、
「文治の面で人に任せることが事が出来なかったために、父子で隠逸というものに価値を生じてしまった」、
「適切に任せられる官僚が居なかった為、幼帝が生まれるにあたって結局権力は外戚と宦官の手に帰した」ということも光武批判の対象とされるべきだろう。

ところで馬援死後の「粛清」も「耄碌」していたこととして語られがちだが、それは良いのだろうか。
私はアレも上記呂氏問題と同じく姻戚関係上のパワーバランスの問題であると認識しているのだが。
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743
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/01 16:09:28  ID:KTtvQSUF0.n(14)
>740
秦漢は光武期と何一つ近くはない。
前漢前期は、考古学的な遺跡の研究から核家族形態が一般的であった事が記録されている。
両漢全体を通して転換期とみるべきで、本来的には新漢交代期で政治の捉え方を変える概説書も多く、
また最近は研究者達が集まって出した本でも武帝以前と以後で歴史のとらえ方を分離する本もあるようだ。

中央の制度もそうだ。王莽以前の制度を少しでも洗ってみたことはあるだろうか。
三公制の成立がいつ、そしてどういう政治的変容に基づいていたか考えたことが一度でもあるだろうか。
尚書を強く用い始めたのは誰か考えた事が一度でもあるだろうか。中書はどうだろう。
将軍制の成立はどうだろうか。将軍制の実態は明らかに前漢と新と後漢で個別に分けられる。

私は何度も光武帝評価については過大でも過小でもないニュートラルに戻されるべきだと主張しているが、
秦漢期の古代的個別人身支配制度なるものが実際にどれほどのものであったかという是非はともかく、
魏晋南北朝への過渡期に転じたといわれる新漢交代期とは、むしろ「光武帝に対する高評価を維持する為」にも
逆に安易に同じものと判定していいものとは私には考えられない。

豪族問題を抱えた新漢交代期と前漢前中期とは全く制度的にも社会的にも異なる。
例えば新漢交代期においては劉キンのように私兵として同じ将軍号と部曲を家族に相続することが見受けられる。
これは明らかに魏晋南北朝寄りの制度であって秦漢新の制度ではなく、
制度が進んだと言うよりは更始政権あたりから新の滅亡過程に基づく実態の変容を追認したと言った方が良い時代の推移だ。

更始帝の行った軍制の時点で三国の複数の州牧に都督を兼ねる制度の萌芽のような、持節三公なるものが見えるもので、
光武帝期からは承制などの典故も生じている。
また後漢中期には儀同三司なども出てきており、魏晋南北朝期とも安易に比べていいものとは思わないが
どちらが近いといわれれば前の期間より、後の期間の方が圧倒的に近い。

また高祖や王莽の時代的失敗を安易に比較に用いられるならば、讖緯も超時代的に評価されねばおかしくはないだろうか。
私は光武は傍流であり、また即位に利用したが故に、讖緯については、
即位に利用されなくなった晋代以降でなければ公的な否定は難しかっただろうと情状酌量をもって考えて居る。

また、光武が讖緯を集めて校定させたという失敗が理由で、
かえって蘭台と東観という空間で研究が進んで讖緯に批判的な学者が主流になり、
その嚆矢として桓譚らが大いに評価されていったということも十分ありうる事だと考えて居る。
何しろ蘭台令史であった班固当人の立場もあっただろうが、『漢書』には讖緯に批判的な人間を主流としては描かれていない。

だが、あくまで超時代的に粛清の是非や王莽の失敗などを単純にマイナスとして評価の俎上に載せるのであれば、
光武が讖緯を公認したことも全く情状せずにマイナスとして評価の俎上に載せられてしまって仕方が無いと考えるがどうか。
光武の豪族政策もまた、王莽の失敗を引き継いで、王莽の様々な政策を失敗の中から取捨選択することが出来たからだろう。
その中で安易に光武と王莽を比較するならそれこそ「後知恵」でなくしてなんだろうか。

何にせよ、比較という点では、「どのタイプの人物か」ということは言えても「どちらが優れている」だとか「どちらがおとっている」だとかは
近い時代だろうが遠い時代だろうが政治的にも軍事的にも人物は安易に比べられるものではないというのが、私の立場だね。
キャラクターとして愛するのは良いが、軽々しく他者を踏み台にするものではない。
コメント1件

744
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/02/01 16:50:21  ID:xl4zBfE20.n
>737

> 例えば光武帝期の問題の一つである豪族との融和


既存勢力と衝突して、その衝突が長引くとやばいかも、
という判断はあったでしょうな。

家康も関が原のあとで島津を攻めるかどうか迷ったが
攻めなかった。

745
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/01 17:28:02  ID:Obm5VMnL0.n(9)
>742
論点がよく分からないんだけど「劉邦の粛清は正当な理由があった」、「外戚の横行、宦官の専横は光武帝に責任の一端がある」という話でいいの?
アンタがそう思うんであればそれで良いよ

>743
「比較は無意味」という結論なら別にそれでいいよ

しかし比較しないとなったらなぜ光武帝が成功したのかという要因が出てこないと思うんだがね
それだけ長文書いてもらって悪いんだけど結論何なの?
コメント1件

746
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/01 17:46:49  ID:Obm5VMnL0.n(9)
そもそも魏晋が後漢に制度的に近いんなら東晋なんて幼帝連続だったのに宦官の暴走も外戚の専権も起きてなかったことの説明つかねえと思うんだがな
博識そうだから教えておくれよ
コメント2件

747
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/01 17:48:36  ID:dwuQVrUY0.n
>746
曹丕が即位した時点で宦官と外戚の権力剥奪してるもんな。

748
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/01 18:05:40  ID:KTtvQSUF0.n(14)
>745
前半

論点が不明確に見えるのはあなたが私の評価の種類を二元的に切り分けて守りに入るからさ。
私は何度も言っているだろう、私は光武帝が大好きな一人の人間だと。
しかし、客観的に手法を見た上で、あなたの評価のやり方が片方に肩入れしすぎていると明確にいっているじゃないか。

あなたがダブルスタンダードに依ってるから、
こっちはその二つのスタンダードに依ればどうなるのか、ということを個別に検証しているわけだ。
論点が統一されてない問題はそこに基づくものであって私の責任ではない。

単純な結論に集約させる手法は人を安心させ、極端に走らせるもので、私は好ましいとは考えないが、
あなたがやりたいように単純な二語に集約させるとするならば
「劉秀の粛清や権限の集約に道理があるというなら、劉邦の粛清にも道理を認めなければ不当だろう」
「逆ならば、その逆がまた言える」
というだけの話だよ。

後半

「「人物は」安易に比較できるものではない」といっている。
政策の比較は良いだろう。だが人物に持ち込むのであればそれまでの経緯や情勢や個々人の立場の違いを考慮しないのは明らかに不当だ。
何度もいうが物事は積み重ねがあってなりたつものだ。
コメント1件

749
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/01 18:52:22  ID:KTtvQSUF0.n(14)
>746
魏晋が近いんならといいながら曹魏と西晋を回避した時点で答えは出ているんじゃないか?

魏は外戚宦官を排除するという実権的役割を担っただけで、誰が制度を継ぐのかには結論を出せていないから
最終的に郭太后が曹丕の制度を破り、曹髦の変などを経て司馬氏に簒奪されたじゃないか。
西晋なんて言うまでもない。

というか東晋の王敦の乱も思いっきりある種の外戚豪族の乱だろう。
もちろん、抱えていた問題はさらに進行して貴族制にまで達しており、
背景にはもう一つの門閥化と軍団長の軍閥化があるけれども、
門閥化は袁氏や楊氏の名門化の延長線上にあり
軍閥化は王莽末から後漢初にかけて生じた諸豪族と軍事権力の結びつきに起因する
ことをかえりみれば劉キンの件を象徴的に挙げたように後漢の延長線上にあることだ。
そもそも前漢初より新末後漢初に年代的にも近いんだぞ?晋は。

もちろん、何度もいうが単純な人物的比較や安易な個人の責任論には与しない。
コメント1件

750
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/01 19:18:00  ID:KTtvQSUF0.n(14)
ああ、済まんな、後漢成立と前漢成立と晋成立じゃ何時を基準にするかで問題になるな。
この発言は撤回する。

751
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/01 19:18:50  ID:Obm5VMnL0.n(9)
>749
頼むから要点まとめて
東晋の件について回答してよ

王敦の乱で説明しようとした時点で知識ないのは分かったが
東晋なら普通は庾氏、桓温ら外戚や公主の婿どのたちの話が出てくるはずなのに
なぜ王敦(;´д`)
コメント3件

752
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/01 19:24:39  ID:KTtvQSUF0.n(14)
>751
いや、庾氏、桓温より通史的に考えれば琅邪王氏との通婚関係の方が一般的で早期じゃないか
そりゃ外戚としてより近いのは庾亮らであろうけど。

753
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/01 19:33:03  ID:KTtvQSUF0.n(14)
>751
ただまぁ、基本的に光武を中心にせいぜい三国まででやってきているので
他の知識が概説書や特定著書などで引用される形に偏っているのは否定しない。

754
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/01 20:07:45  ID:KTtvQSUF0.n(14)
>751
ついでに言うなら、何故魏と西晋を避けたのかについて回答すべきなのが誠意ってもんじゃないかなぁと思うけどね。

そもそも、外戚に宦官に限らない南朝での門閥、軍閥化についても
具体的事例を挙げて後漢の制度の直接の延長にあることは述べたでしょう。
要点をまとめても何も、君が読んでないだけじゃないかな。
コメント1件

755
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/01 20:32:39  ID:Obm5VMnL0.n(9)
>754
八王の乱を説明できる自信ないからな、西晋は避けざるを得ない
曹魏は郭太后がイレギュラー過ぎて、このババア一人で王朝の性格付けするのも変だよな、といった感じ

で、どうなんよ
コメント2件

756
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/01 20:37:04  ID:KTtvQSUF0.n(14)
>755
南朝貴族制の特色とその後継的位置づけについては説明したじゃないか。

一応最初に立ち返って、貴方が示さなければならないのは魏晋が「前漢よりも」後漢から制度的に遠いことであって
東晋と後漢の制度が遠い事をしめしても
私の「個別の時代の人物を比べる事に意味は無い」という説を補強するだけで意味が無いことは指摘しておく。
コメント1件

757
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/01 20:55:51  ID:KTtvQSUF0.n(14)
>755
ついでにいうと郭太后がイレギュラーすぎるというのはおかしい。
まさしく後漢に対する批判の通りの状況が出現して
故事に従って郭太后の判断を優先したんだから、後漢と連続した事象であるとしか見れない。

晋の賈氏と弘農楊氏との対立も王制が絡んだと言うだけでどうみても後漢後期の外戚宦官対立の延長線上にある。
コメント1件

758
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/01 21:08:35  ID:Obm5VMnL0.n(9)
>756
意地悪して東晋を引き合いに出してるんだけどさ、これは謝っておく
でもあなたが連続性があったと見なしている後漢以来の外戚の宿痾が何で幼帝連続してた東晋では後漢曹魏西晋ほど顕著に現れなかったのかということについては
門閥貴族(豪族とは既に別物)主体の政権運営という、皇帝権力(と母后による臨朝称制)の独走を制約し得るシステムが成立していたからだとは思うんだよね

あなたは連続性見いだしているかもしれないが、俺は東晋に至ってついに肥大していた皇帝権力が規制されるようになった画期を見いだしているわけ
曹魏西晋はその過渡期、完成形は東晋
コメント1件

759
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/01 21:21:23  ID:Obm5VMnL0.n(9)
>757
ついでに言っておくと八王の乱は外戚問題なんかで説明できないから

それこそ地方の豪族層が絡んでくる重要な問題、地方豪族たちの権力への接近が九品官人法などによって一部の外戚や権門に制約されたことによって
寒門として逼迫を余儀なくされてしまった豪族グループたちが都督州刺史として軍権を握った諸王たちを御輿に担ぎ上げていた側面が強く確認でき
特に成都王の集団はその後の劉淵や石勒の軍閥勃興へとつながっている重要なグループだったりする
遼東への冀州亡命士人グループは慕容燕の推戴に走り、豫州や徐州の亡命士人たちは江南の豪族層と協力して(長安の愍帝政権を尻目に)東晋政権の確立へと邁進した

西晋の時点で後漢初とは社会制度違い過ぎるとは思ってるんだけどな
少なくとも後漢初では豪族(地方士人)たちは晋代ほど中央政権へのアプローチを渇望していた可能性は低い
晋代のそれはついには中央政権における地歩を築くのではなく、地方において小王朝を作る方向へと作用してしまった形跡はあるのだが

760
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/01 21:35:03  ID:KTtvQSUF0.n(14)
>758
おお、その視点は面白いね。

やはり私は他の時代は概略的にしかみていないから
唐宋変革によって皇帝権力が最高に至るというゴール地点を設定して見ていて、
権力については皇帝からのトップダウンへの障害という価値でしか認識していなかったから、
皇帝権力の独走の制約というボトムアップの確立という視点ではみていなかった。

けどまぁ、私は秦漢から門閥貴族制までの過渡期の成立自体が、前漢末期からあって、
王莽はかなり特殊な性質をもった政権だと思っているから、そういった両漢に関する認識の差異については埋まらなそうだけど、
後々『晋書』以降を深く読み込む機会になったら、その視点については留意して読んでみたいと思う。
コメント1件

761
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/01 21:47:49  ID:Obm5VMnL0.n(9)
前漢哀帝も何とか頑張ろうとしてたけど王氏に屈服する形に終わってしまったことを考えると
個々人の能力によって皇帝権力は規制されてしまうケースも大いにあり得るだろう

関係ないが哀帝の男色の話っていろいろと前漢に止め刺しすぎ

762
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/02 17:58:28  ID:3Hrcihka0.n(2)
王莽が西南夷対策で大規模な損害を出しまくったことって対匈奴政策以上の大ポカのような気がするんだけど
対外政策の失敗で匈奴ほどは特記されてないのは何でなんだろ
和睦成立していないという点では対匈奴より深刻だったのでは?
コメント1件

763
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/02/02 22:07:50  ID:V4FxVG/60.n
>762

西南夷は匈奴と比べると機動力がないから、
その分、与し易かったのではないだろうか?

764
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/02/02 22:16:38  ID:PdFLsfQC0.n
高祖劉邦やその他西漢の皇帝たちが対策に苦労したのもありそう

765
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/02 22:17:53  ID:6syE2p6Y0.n
西南夷は安帝の時代も反乱起こしてるな

766
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/02 22:48:18  ID:3Hrcihka0.n(2)
兵力の損害だと累積で匈奴より酷そう
(数えてないけど)
あそこまで失敗しまくったせいで新軍=糞が定着してるわ
王莽擁護する人に聞いてみたいんだよな

767
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/03 19:30:07  ID:jitYc9rr0.n
>748
「人物は安易に比較できるものではない」という発言は卑怯なのでは
比較に基づく人物批評が活発に行われていた時代もあるというのに、何を以て「安易に比較できない」と断言できるのか?
比較されてこそ人物の個性やそのポリシーが明確化されるのではないか?
比較分析から逃げるということはその人物を評価することから逃げるのと同義ではないのか?

光武帝が地味な中興の英主という評価を聞いたことがあるが
これだってやはり誰かと何かを比べて出された評価であるわけだし
完璧超人な最強君主という評価だって、ほかの歴代皇帝たちと比較された結果の一面であろう
また、冷酷で計算高く理想と現実の折衷に苦心した君主と言う評価もあるかもしれないが
これだって誰かとの比較で出てきた人物像ではないのか?

あなたは自分の綺麗事に酔っているんじゃないのか?
「人物は積極的に比較分析するべき」と断言しないとフェアじゃない
様々な人の意見の擦り合わせで客観性を追求していくべきであって
「俺の見方が客観的で公平だ」なんて口が裂けても言えない筈である

辛辣な物言いかもしれないが局外中立的なあなたの姿勢に違和感を感じたので、ついレスしてしまった
気を悪くしないでもらいたい
コメント2件

768
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/03 21:48:05  ID:jT4RGdmG0.n(6)
>767
>「人物は安易に比較できるものではない」という発言は卑怯なのでは
>比較に基づく人物批評が活発に行われていた時代もあるというのに、何を以て「安易に比較できない」と断言できるのか?
現代の史学的視点から言えば文献学的手法に基づいて文献の少ない史論の確立していない時代の人物を人物像に落とし込むのは実に物語的である。
後述するが、歴史的なものではありえないので、客観的ではないことは断言できる。
そして、比較分析という実に「英雄的」で「物語的」な視点はこの中英板において様々な人間の心を傷つけてきた手法であるというのが一つ。
そういった意味で、議論を活発にする意味でもあくまで「この人物がどういうタイプの人物か」というレベルに留めて、英雄的評価からは距離を取って貰いたいというのが私の心情ではある。

>比較されてこそ人物の個性やそのポリシーが明確化されるのではないか?
范曄という人物の個性や李賢という人間のポリシーは伺う事が出来るようになるだろう。
上手く行けば班固や後漢という王朝のそれまで届くかも知れないとは思っている。
果たして『後漢書』なる五次六次史料で光武帝らの実質的人間像に迫れると思ってるならそれこそ度しがたい人間ではないないだろうか。l

>比較分析から逃げるということはその人物を評価することから逃げるのと同義ではないのか?

逃げるも何も、人物評価というのは構造主義が史学手法に取り込まれて以降の「歴史」の本題ではないと思うが。
まぁ、大衆が書いて欲しいというのはそういうものなのであろう、というのは東晋次氏の『王莽』の後書きでも分かったことであるが。
貴方が言っているのは物語では重視されても、歴史、特に近代以前、史料の限られる時代の歴史ではそれは重視されないものだ。
文学史や物語としての光武帝でもやるなら私は別にそれを否定する気はないし、楽しむのにやぶさかではないが、私の直面している問題ではないので逃げると言われても意味が分からない。
社会史を取り上げるといってすら専門家には嘲笑われることのある時代の人物だからどうしようもない。

>光武帝が地味な中興の英主という評価を聞いたことがあるが
>これだってやはり誰かと何かを比べて出された評価であるわけだし
>完璧超人な最強君主という評価だって、ほかの歴代皇帝たちと比較された結果の一面であろう
>また、冷酷で計算高く理想と現実の折衷に苦心した君主と言う評価もあるかもしれないが
>これだって誰かとの比較で出てきた人物像ではないのか?

私は自分なりの劉秀像というものは確立しようとは思うが、今のところ固まってはいない。
Kay氏にも宣言したとおり、たかが今の状態の読解量で劉秀という人物に結論を出すつもりはない。
取り得るあらゆる人間像を投げかけてみるつもりではあるが、それはある意味検討のためのあらゆる可能性の表出であり投げかけだ。

ただ、王莽と劉秀の対豪族政策についてで言ったように、同時代の人間ですら立場で取り得る政策には異なりがあるし、『前代の教訓』や『前代の政策の踏襲』などがある。
彼らは一人の官僚や人間に過ぎない。
社会構造や先例からは逃げられないし、それを時代的推移なしに変えられるような特別な生き物じゃない。
比較すればする程、通俗的な神格化だとか卑俗化に部類する形で比較することは馬鹿げているという感想しか出てこない。
コメント1件

769
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/03 21:51:03  ID:jT4RGdmG0.n(6)
>767
また、
>完璧超人な最強君主という評価
これが誠意をみちた分析の中で行われたものであるなら賛美したと思う。
しかし、多くの場所の、多くの場面で行われている、酷いものでは百度百科の光武帝の項の蘇轍などの例のように、
光武帝批判の文章のうち光武帝の肯定的な部分を切り取って挙げているようなのを見ていると、光武帝についてまともな情報を得る機会がそう多くあるとは思わない。

挙げ句の果てに、
>ほかの歴代皇帝たちと比較された結果の一面であろう
などと他の皇帝を足蹴にするようでは、それは誠意のある態度とは普通は言わないんじゃないかな?どうだろう。
それとも、「他の皇帝達」と比べられる程二十四史を読み込んだ人間がこんな場末の掲示板にそうそういるとでも言うのか?
あのKay氏ですら「光武帝関連については読みこんだ」と限度を定めて居たように覚えているが。
深読みをすれば、ただ光武帝ファンを傷つける言葉を誘導しかねない態度にも見える。

>あなたは自分の綺麗事に酔っているんじゃないのか?
>「人物は積極的に比較分析するべき」と断言しないとフェアじゃない
フェアアンフェアの問題以前に人物なんてところまで客観的に確定しうる程深く立ち入るのは史料的に無理だ。
『後漢書』と『後漢紀』と諸々の佚文と片言隻句なんかで一人の人間の人物像なんか追えない。
心で持っておくのは自由だがぶつかり合いを避ける為にはそれを表出しない方が賢明だと私は思う。
あるいは「私にとってはこの人物が最高だ」、という程度だとかね。
歴代のこのスレに限らない中英板の大荒れっぷりを見ての感想だ。

>様々な人の意見の擦り合わせで客観性を追求していくべきであって
学究的態度でこんな時代の人物像を追うのはせいぜい文学の担当だ。歴史の担当ではない。
それを混同してしまうのが中国文学の非常に悪い点で有る事はよく知っているが。
おまけに逆に文学で擦り合わせや客観性なんてナンセンスだと思うが。
個々人の価値観の問題にまで歴史学のノリで立ち入るつもりならやめておいた方が良い。

>「俺の見方が客観的で公平だ」なんて口が裂けても言えない筈である
すりあわせる価値のある事まで知識が出てきていたら私は>760のようにそれには敬意を払う。
劉邦と劉秀の歴史的評価について乱暴な区分けしかしていなかったから相応の態度を取ったまでだった。

>辛辣な物言いかもしれないが局外中立的なあなたの姿勢に違和感を感じたので、ついレスしてしまった
>気を悪くしないでもらいたい

いえいえ、私は長文が好きな人間だし、有益な知識があればもっと良い。
面白い意見なら記名の上で負けるのも全く構わないと思って居る。

770
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/03 22:09:07  ID:Cv4+Oad30.n
政権の性格 史的位置付け 政策方針とか洗い出していくのにもやはり政権首脳たちの人物像洗い出しや対比は不可避なんじゃないのだろうか。
列伝からしてそういう性格あるんじゃないのかなー という横レス。
コメント2件

771
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/03 22:24:40  ID:jT4RGdmG0.n(6)
>770
そういった意味での人物像の洗い出しには別に反対する気は無いよ。
だからどういったタイプの人物か、という形の人物像については一貫して反対していないし、
だから、自分なりの劉秀像の確立ということには言及したつもり。

ただ発端の>731-732あたりの「人物比較」と「評価」を見て欲しいな。

これがせいぜい文学的なもの以外の何かとしての人物像かね。
そして、これは客観的に他人とすりあわせようとして誰かが幸せになることができる人物像かね?
>768で「英雄的評価からは距離を取って」と主張したのもそのため。

772
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/03 23:16:38  ID:jT4RGdmG0.n(6)
>770
あともう一つ、先日のレスで「安易な人物比較」
今日のレスで「二十四史を読み込んだ人間が〜」といったとおり、

安易でない、しっかりと比較対象の相手の人物の普段為されている批判への異論も踏まえた上で客観的に見る事が出来ていて
光武帝に限らず、そして様々な批判的評価も相応に受け止めた上、両方を尊重した上で比較するなら、
それを安易な人物比較、人物評価として斥けるつもりはないよ。

問題はそうすると相当な読み込みと複数の時代に対して割く興味のキャパシティが必要になってくるよね?
でも片方だけよくある俗説で批判して、片方だけ進んだ理論で高評価、なんてのは、俗説で批判された側を傷つけるだけじゃないか?

だから、百度百科の光武帝の項目の蘇轍の「漢光武論」の引用みたいに、後半の光武批判部分を何故か削除して
光武に肯定的な評価を列挙している部分だけ光武の評価として持ってくるような
ハッキリと光武ファンの風評を傷つけるようなことをやっている人間がいるから問題だと思っている訳よ。

究極には、この時代が好きだから、対立煽りになりかねないそういうのが問題だと思っているだけだし、
それを放置し続けてきたから、この時代はこれだけ大荒れになるくらい、余計な反感を呼んでしまったと思ってる。

比較そのものを禁じようとしたのは、その荒れる理由を少しでもなくしたいという手段に過ぎない。

773
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/03 23:31:43  ID:jT4RGdmG0.n(6)
例えば三国時代の事なら、もう誰でも、何度も沢山議論が為されて、みんな耐性も出来ているし。
経験が何度もあるからさ。

関羽と張飛の武芸がどちらが優れているとか、
賈?と郭嘉の知力がどちらが優れているとか。

誰もが現代の歴史的視点からみたら、如何にも小中学生がやりそうな、年取ったファンは滅多にやらない馬鹿げた事だよね。
ゲームファンでも能力値決定スレとか以外では自重するよね?
みんな「簡単には比較することはできない」ということで一致できるよね。

なのに、なんで高祖と光武帝ではそれが無闇な比較がやり得て成立してしまってるんだ?
ってことは疑問に思って良い事だと思っているのよ。

774
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/03 23:58:15  ID:jT4RGdmG0.n(6)
いい加減熱く語りすぎでキモいかも知れんが、
私がどうしてもそれだけは止めて欲しいと思ってるのは、そういうこと。
長らくぶつかり合いで消耗してきた先達からのちょっとした処世術みたいな感じ。

この人物は謀臣的分類だよね、この人物は武断派だよね、この人物は文治に力を発揮したね。
この人はこういう思想的分類なのかな?
この人物とこの人物はこれこれこういう理由から対立軸を持った人物だよねとか、
この人物は不幸にもここで死んでしまったけど、生きてたこの人物とを分けたのはどこだったんだろう。
そういう人物評価・比較については別にダメだ何だというつもりはないよ。

でも大昔の儒家がやったように、ランキングみたいに下愚と上知を決めるような愚かなことは、やめてほしい。
コメント1件

775
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/04 00:16:58  ID:CECHiUUo0.n
>774
神格化とかレッテル貼りしているお仲間に一言お願いしますw
コメント1件

776
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/04 00:40:51  ID:Grehz47a0.n(2)
>775
一応批判派に属すると言及した事がある為、同派の彼であるとしておくが、二つの理由で言及致しかねる。

実際前回の私と某氏の対立に関する話で言及した事で(実際は内情を知らないのに)
自分は知っていて配慮できているかのような発言は如何なものかとの趣旨の発言を
批判派の彼だけでなく両派から頂いている。

このことについては私は痛く反省しており、故に拗れた対立については直接見た事象以外は深入りした発言はしかねる。

もう一つの理由は、彼はもう光武帝界隈から離脱すると宣言し、
あれ以降実際に言及も控え、活躍の場を遷されているようなので、フェアではないかと思われる。
コメント2件

777
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/02/04 09:08:51  ID:KlX4EOAX0.n
光武帝界隈から離脱ってヨソにまたあのスタンスで噛みついてくのかw
ありゃ他人を不快にするだけだよ

778
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/04 11:51:39  ID:fNOVn2M/0.n
アマチュアのファンアート界隈に喧嘩売ったりご高説垂れたりしないで
普通に史学界に殴りこめよとしか言いようがない。
わけわかんないよ。

779
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/02/04 19:12:28  ID:Grehz47a0.n(2)
うーん、ちょっと誤解を生じ、また「お仲間」と思われて何故か彼との交渉担当にされて
また迂闊なことを言ってしまってもこまるので念の為、私の立場を言明しておくけど。

私は基本的にはニュートラルであることを心がけている立場で、彼とも共有できない部分については何度も衝突している。
ある程度批判的視座で共有できる部分があり、彼の視点が役に立つだろうというところもあって交友を維持している訳で、
他方では真主云々の揶揄について良くないと指摘したこともあるし、>628は私なのだが、その旨直接彼に伝えた結果ガッツリぶつかったこともある。

彼と仲の良かった、ファンアート界隈と仲の悪いアカウントが消えた直接の原因になったこともある。
その彼が仲良かった人がやっていた、「エアリプでの党争と、それを消して証拠を消すような行為の是非」について、私が直接責難した結果、彼はアカウントを消してしまった。
態度を改めるよう求めた程度のつもりであったので、そこまで追い詰めるつもりはなく、その事については悔いてはいるが。

なので、「お仲間」なる、私に言えば彼に通じるような関係と思われてもこっちは色々と困る。
私は彼が昨年末まとめたトゥギャッターが公正で良いまとめであったからそれ以降交友を持ったまでで
纏め始める以前の人間関係については関知していないし、今ここで揶揄をされてもその行動自体に反応にどうしようもないし、先頃から何度も指摘しているがスレと板の趣旨に反する。

なので、ここを陰湿な陰口をするような真似はやめて、個々がそれぞれ自分の身分を明かし堂々と彼とやり合ってくれとしかいいようがない。

780
目圭弓ム[sage]   投稿日:2017/02/04 21:33:40  ID:7e+Hju7/0.n
今日、昼にJR鎌倉駅のキヨスクの前で財布から1000円を取り出して
煙草とライターを買おうと思ったんですが
一瞬1000円がなんか変な感じがして
しばらく1000円を見つめていたんです
そしたら夏目漱石の眼がキョロキョロ左右に動くんで驚いてさらに見ていたら
その口を開いて「公孫病已立!」と子供のような高い声で喋るのです
思わず1000円を地面に投げてしまいました
たしかに口を開いて話ました
口は平面でなくそのときだけ口の形に窪みになり
ちゃんと口の中まで見えました
しかし「公孫病已」って誰のことでしょうか
「公孫病已」にお心当たりのあるかた教えてください
コメント1件

781
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/12 20:32:22  ID:vrf4+hDP0.n
>780
君さぁ、そんな電波全開なこと書くから霍光に処刑されちゃうんだよ

782
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/04 09:28:33  ID:cst8ep2u0.n
>776
離脱宣言とやらがウソなのか頭がおかしいのかわからんけど、また光武帝についてツイートしてるぞ
以前みたいな異様な粘着がまた始まるんかな
コメント4件

783
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/04 09:35:51  ID:PxliVJ4P0.n
>782
もう構わない方がいいんじゃね
あいつも含めて三国志警察みたいな人物を矮小化して悦に入る連中みんな隔離しておいた方が世のためだろ

784
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/04 20:15:34  ID:FzjBKSDF0.n
ほんとそれ

785
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/06 18:32:55  ID:98WPE8Zr0.n
符堅の元で活躍した鄧羌って、鄧禹の子孫だったのね。
コメント1件

786
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/06 21:53:52  ID:A7BSE/W80.n
>785
苻堅は他にも光武帝ネタがあった気がする。

787
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/08 15:25:44  ID:Q7MMMNcu0.n
>782
隋唐や晋〜南北朝には来てほしくないからここか三国時代で隔離してください。お願いします。
コメント1件

788
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/09 08:43:51  ID:LymGz8++0.n
>787
あれで自分がヘイト被害を受けた側だとかツイートしてるから救いがないなw

789
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/03/11 02:15:13  ID:TiYC7NT60.n(4)
>782
何故それを最近彼と絡んでもいない私にわざわざレスしてくるのか理解に苦しむが。

正直を申し上げれば、そもそもがあなた方の派閥抗争の問題だろう、あなた方で解決してくれないか。
当事者二人から私はそもそもの問題の外部にいることを指摘され、局外中立に出たというのに、
何故かけずり回らなければならないのか。

790
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/03/11 02:24:50  ID:TiYC7NT60.n(4)
私は某ラブライバー氏と個人的に仲違いした時や、
某数学教師や現代思想関係でアレな人とぶつかった時以外では、
一切誰と暴言をやりとりした覚えもないし、あなた方、ここでSNSヲチを続けている全ての阿呆の
関係ない人間まで巻き込んで悪意をまき散らす党派性にはウンザリさせられている。

あえてあなた方の挑発に乗って当問題について言えば、そもそもが彼等両者は
あなた方のように2chで匿名で悪意をまき散らし続けた人間達の悪意のある言葉の端々にストレスを貯め、
外部SNSでの認定行動という悪循環をもたらす方法に手を出した結果、ああいう争いに発展したんじゃないか?

正直、未だに私はまめ氏が本当はどの時代や人物が本当に好きで、
どういった理由で光武帝界隈が嫌いになったのかは掴みかねているが、
両者の供述を聞くに、その爆発の淵源が匿名の悪意の積み重ねにあったことは疑いようもない。
そしておそらく、匿名の段階では無自覚に双方向性があったことだろうと私は考えて居る。

それが無益だから匿名をやめろと言っているのが分からないのか、分からない振りをしているのか。

私は、本当に両者が憎むべきはあなた方のような性根をした人間達ではないのかと、疑っている。
原則論としてなんで私は巻き込まれねばならんのか、教えて貰えるだろうか?

791
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/11 08:37:05  ID:cRKrieRo0.n
>782は大蔵氏にどうにかしてくれと言っているわけでもないし、そんなに過敏反応することないんじゃないの
コメント1件

792
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/03/11 15:55:59  ID:TiYC7NT60.n(4)
>791
私に解決が求められていないというのはそうかも知れないですが、何故か彼の問題を私に振ってくる人間が何人かいるのです。
おまけにまったく話した覚えもない身に覚えのない中国史クラスタ相手にブロックされていたという事情も重なりまして、
その後に続いたレスも含め、つい陰にあるイヤーな党派性そのものにイライラした次第です。

793
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/11 17:21:00  ID:mieJPOgb0.n
なんでも一つに繋げて考えるのは精神衛生上よろしくない。

794
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/03/11 18:50:19  ID:TiYC7NT60.n(4)
私の疑念、というものについていえば、それは確かにそうであると私も思う。
でも話した中身は、ずっと考え続けてきたことでもあり、全く無根拠な話をしている訳ではない。

両者の主張を聞くに、様々なディスコミュニケーションが重なって、
無意味な所で対立が起こっているように思えるのもあるし、
このスレ内で争われてきた近々の問題に関わらない諸問題については、
揶揄している彼等のように、一個人たる他者を怪物化してはみれない。

中英板、世界史板で行われてきた、光武帝界隈を含めた罵り合いや史料に対する疑念を吹っかける風潮は
光武帝やこのスレで言及されているような唐太宗に関わらない相互のマウンティング競争と言うべきものであった時期があったし
それは一部の人間に対して怒りを覚えさせるには十分なものだったんじゃないかと考えている。

795
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/13 14:36:19  ID:3NvT6ExZ0.n
ツイッターで「内情を知らないクセに仲裁に入って双方から批判されたことを反省したってのに、代弁してたからじゃね
コメント1件

796
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/13 14:41:03  ID:sjV6LF720.n
登場人物みんなアホしかいないのが問題の本質だと思う

797
大蔵春 ◆tJx7eMfpPM [sage]   投稿日:2017/03/14 21:56:32  ID:VyhON8xM0.n
>795
>776以降一切「代弁」はしてないぞ。
卑怯な事やってる暇があったらもっとまともな方法で解決しろと再三私自身の立場を言ってるだけで。

厳密にはこういう発言対象を明示しない無責任かつ無根拠な嫌味レスをする奴の
陰湿な人間性に不快感を覚えて一々反応していたからレス乞食を喜ばせたといえるかも知れんが。

798
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/15 00:22:14  ID:R4a15Li50.n
もういらないよね、このスレ
どうでもいい話題しか話すネタもないし

799
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/15 02:19:09  ID:mQ4c8od50.n
これは本当なの?
普通にショックだね・・
https://goo.gl/qP1Azu

800
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/16 06:10:26  ID:tdgHwTrD0.n
>436

> 近代になってやっと、礼教主義だの保守的だの豪族連合だの軟弱外交だの言われだしたのに、


王莽の意味のない強硬外交よりはるかにマシだと思うが…。

801
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/17 14:35:29  ID:AR8+iSwl0.n
王莽とかいう底辺を基準に比較するのはNG

802
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/18 01:19:03  ID:J+efqHAZ0.n
王莽さんは中華王朝でも屈指の外交下手やからな。
北宋の上を行く酷さ。

803
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/18 17:15:45  ID:UXfht2CD0.n
https://goo.gl/znnSuW
これは、普通にショックでしょ。。
本当なの?

804
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/29 22:38:01  ID:yyPHOw3Q0.n
袁宏《後漢紀》の劉縯と范曄《後漢書》の劉縯とって結構印象違うよな
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