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項羽と劉邦 その4 (1984)
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1
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/09 22:29:33  ID:1YJ7rFfx0.n(6)
んもぅ…わしをこんなに心配させおって…


2
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/09 22:30:08  ID:1YJ7rFfx0.n(6)

3
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/09 22:32:12  ID:1YJ7rFfx0.n(6)
基本的には、項羽と劉邦、楚漢戦争メインで語るスレですが
周辺人物、秦の治世、前漢建国後の事象など、語りたいことが
あるならば、何でもありで存分に語り明かすスレです

前スレ
▲▲   項羽と劉邦   ▲▲
中国英雄板の別スレッドへ
項羽と劉邦 その2

4
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/09 23:05:21  ID:U0Ri9Gv30.n(2)
南北朝スレみたくすぐ落ちそうだけど大丈夫か?

5
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/12 08:48:36  ID:Qi5d1hRF0.n(2)
ありえない

6
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/12 11:38:44  ID:fjietc1G0.n(2)
おちるかもな

7
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/15 10:01:03  ID:dImC0GdZ0.n(2)
ちょっと面白い

8
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/17 08:35:56  ID:PPXhdOjp0.n(2)
糞スレ立てんな

9
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/20 10:07:59  ID:z72WF6qj0.n(2)
僕も

10
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/22 10:10:52  ID:s5EqZbaK0.n(2)
すまん

11
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/23 13:06:09  ID:K/63/7/q0.n(2)
李左車先生かっこいい

12
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/24 15:39:49  ID:xzjgsgpW0.n(2)
韓信 李左車 龍且 鐘離昧

13
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/24 18:12:58  ID:3zlI6dYi0.n(2)
前スレ>999
>劉邦を凡将よばわりなんかしてたっけ?
>もしかして劉邦に指揮できるのはせいぜい10万って言ったことならあれは劉邦の「将の将たる器」を説明するための例え話みたいなもんだろ
いやあれは自分の才能をひけらかして劉邦を凡将扱いした上で、劉邦が気を悪くしてるのに気がついて取り繕った言葉だ。
10万で十分というのもごもっともではあるが。

14
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/24 23:03:30  ID:UZuU9OCw0.n(2)
三国志だと10万率いれたら十分なレベルだよな

まあ項羽と劉邦の時代と三国志とは時代も違うから簡単に比較できないかもしれんが

15
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/24 23:27:12  ID:kr+szPO80.n(2)
ナポレオンの時代でも直率できる部隊の限界は4万ぐらいだったらしいから
10万ってのはまあ直率+αと考えればかなり有能な将軍になる

韓信は指揮伝達系統をどうやって構築していたか気になる
多ければ多いほど難易度跳ね上がるだろうに

16
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/24 23:36:58  ID:HZNiKmP00.n(2)
呉起だと一人の将軍が統率できる兵は5万が限界とか言ってた記憶があるから
劉邦の将才って地味に高いんだよな

まあ、大軍率いてやらかした事案が多数あるから10万が限界って言われたのかもしれんが
コメント2件

17
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/25 06:02:50  ID:gOtk2liF0.n(2)
>16
実績を素直に評価すれば劉邦は良将
致命的な敗戦が二回ぐらいあるだけで凡将扱いというのはイメージ先行過ぎると思う
コメント4件

18
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/25 13:10:27  ID:uJhC+K9/0.n(2)
>17
致命的な敗戦×2で生き残って漢帝国を建国しているから運だけの男扱いなのだろ

19
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/25 17:23:44  ID:wpE1Gm7o0.n(2)
趙括はたった一度の致命的な敗戦で死んだからな。

20
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/26 02:20:05  ID:/2kelEwD0.n(2)
>17そういう点は子孫の劉備も似てるな

まあ、劉備は致命的な敗戦以外にも細かい負けがかなり多いが

21
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/26 22:31:57  ID:aB4qddsk0.n(2)
あの頃の勘定技術って正確なんだろうか?
1万人を数えるのって大変だよ

10万人=実は5000人くらいだったんじゃないの?

つうかあの頃の中国って10進法?

22
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/27 13:31:10  ID:fen4mB6hO.n(2)
「中国の歴史に出てくる大軍はだいたい桁を一つ下げたくらいが本当の数」とはよく言われるな

23
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/27 15:28:24  ID:UaIPgn3P0.n(2)
1700年代のフランスでは推定人口2200万ほどだったようだが
スペイン継承戦争で動員した兵力は約25万ほど、総人口の1%強である
ナポレオン戦争の頃で推定人口2900万、動員された兵力が総数で130万、総人口の4%教になる
なお、フランスはこの後当分戦争はお休み状態になった
総力戦となったWW1前の1900年で総人口4100万、動員数約840万、総人口の20%まで上った(なお死傷者数560万)
フランスはWW2でドイツにボロ負けすることになるが、これはWW1の傷跡が深すぎて軍事的に立ち直ることが
できなかったためだとも言われている(1925年の人口は4000万、1945年で4200万と30年かかって戦前の水準まで回復)
ここから持続的に戦争できる動員兵力と言うものはおそらく総人口の2%〜3%が限度ではないかと推察される

楚漢戦争時代の漢の人口を仮に300万と見積もった場合
5年間で動員された兵力はやはり多くても10万ぐらいというのが妥当なところではないだろうか
垓下の戦いにおける劉邦軍10万というのはギリギリ現実味のある数字である一方
斉から来た韓信軍の30万というのは無理な動員をかけたか、数字上の誇張が含まれている公算が高い
(しかしながら不可能な数字とは言いきれないのもまた事実である)
コメント4件

24
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/28 01:05:50  ID:kO1laRdz0.n(2)
動くもの 人間を数えるのは結構難しい作業だよね

まず大前提として、上から見下ろせるような場所から視認 指差し数折り・・・

「正確な人数を数えること」が、当たり前に出来ること、とされてない時代  そしてそうするべきなのだと義務付けられていない時代 
報告された人数が正確なのかどうなのか発注者自身が確かめようのない時代

果たして数えられた人「数」は正確だったのだろうか?
コメント6件

25
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/28 01:33:52  ID:sBQNR73r0.n(4)
>24
整列させて点呼報告させれば簡単に把握できるよ
十列で十行並ばせたらそれで百人だ

整列すらできなかったら軍隊というよりは流民と呼ぶほかあるまい
コメント2件

26
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/28 01:37:05  ID:sBQNR73r0.n(4)
戦場でのカウントということであれば数にかなりの誤差が生じるだろう
敵軍は往々にして欺瞞のために嘘の兵数を喧伝するから

まあ斥候情報からの類推になるんだろうな、まあ斥候もそこら辺は訓練するだろ

27
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/03 06:58:07  ID:E4uir6LL0.n(2)
あの強大な秦がわずか一代で倒れたのはただごとではないよね。
蘇秦や張儀が見たら腰抜かす超展開だろう。
コメント4件

28
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/03 19:13:21  ID:8i0P9je50.n(2)
李斯は腰抜かさずに腰斬られたな

29
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/08 17:38:10  ID:0iooDx0q0.n(2)
国家や貴族でなく民衆が反乱を起こすとは陳勝以前には誰も考えもしなかったのでしょう

30
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/08 19:50:39  ID:9L6MjhjP0.n(2)
>25
韓信が掛け算知ってて「すげえ!」って言われてたような記述どっかで見たな

31
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/08 21:57:37  ID:ODdeoBZQ0.n(2)
話題を2週間くらい戻すけど、やっぱ中国人って文治政治が好きなんだろな

軍事なんてエライ人のすることじゃないっていう意識があって、
だから劉邦や劉備を弱い、強かったのは部下ってことにしたがる
日本人から見るとただのネガティブ工作に見えるが、たぶん悪意はない

32
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/09 14:07:11  ID:AEQdA0LO0.n(2)
>24

人の人数を数えないと兵力を算出できないわけではない。
孫?はかまどの数で兵力を偽装できた。

使われた物資の量、運搬に当たった馬車の数、
輜重部隊の数、あらゆるところにその証拠は残る。

33
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/09 17:22:09  ID:cKa0rlLA0.n(2)
でも10万個のかまどを一個一個かぞえるのは大変だ

34
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/09 19:15:27  ID:aZ1xM80X0.n(2)
>23
まず劉邦軍は彭城の戦いで10万とかいうレベルでなく56万まで膨れ上がってる。
漢も当時韓信が別にいるし、連合軍の各勢力も本隊を別に残してる。
項羽も精鋭3万のみで大部分の本隊は残してきたし楚にも余力があったろう。
斉もいたな。これも大軍を動員できる。

とすると当時「中国軍」があるなら100万以上は確実200万くらい動員できたんじゃないだろうか。
2〜3%として、5千万は人口がいたことになるが、ありえんだろう。

もっというと例えば白登山が典型的。匈奴が40万を動員し、劉邦は32万で敗れた。
当然だけど遊牧民は凄く数が少ない。
ワールシュタットのモンゴルは1万程度。契丹も女真も少ない。
匈奴が40万も動員できるはずもない。精々数万が限界だろう。
韓王信が加わってると反論できそうだが、韓王信は独力で30万を超える軍勢を持つことになり更に奇奇怪怪に。

そして劉邦。「中国軍」を使える立場になり、国の命運を賭け親征した。
何で32万しか動員できない?100万を動員できるはず。これでは韓王信に負けてしまう。
匈奴は異様に多く、漢は異様に少ない。漢は負けた。流石に何を言いたいのか分かると思う。

つまり、不可能な数字と言い切れるんだ。
コメント4件

35
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/09 22:07:05  ID:M0X+4zpQ0.n(2)
>34
匈奴の兵数はマックスでも10万〜15万ぐらいが妥当な数字だと思う(後世のチンギス・ハンの征西時の数字を参考に)
それどころか3万前後でもおかしくない(モンゴルの西遼遠征時がこの規模)

36
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/10 01:28:36  ID:mAo5O71G0.n(2)

37
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/10 06:14:21  ID:6GDH3wTi0.n(2)
>34
対匈奴の屈辱的な敗戦の実状を緩和させるために「匈奴は漢を超える兵力で包囲してきた」という公式戦史が喧伝されたのではなかろうか?
漢軍の方が大軍だったのに包囲殲滅されかけたなんて話が残ってたらそっちの方がはるかに大恥をかくことになっただろうから
漢の32万の兵力なんて衛青の活躍した時代でもそこまで捻り出せてない数字だし粉飾なのは確実だろうね

38
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/10 11:41:31  ID:grBdzBV40.n(2)
「兵力」という言葉が単純に数なのか疑問。
漢軍=歩兵+騎兵
匈奴=騎兵

春秋戦国時代においても、
戦力で一騎が歩兵いくらに相当するのか?
みたいな換算があって、それに装備や地形効果を加味して補正するわけだが。
平原のただなかにぽつんと置かれた歩兵がいかに多勢であろうと、
騎兵にとっては動かないに等しいのろまな亀でしかない。

歩兵が戦力として威力を発揮するのは、
陣地にこもるか、方陣を組んで正面の敵のみを撃破する場合だけだ。
通常中原であれば側方を山や川で攻撃されにくい地形を選んで布陣するものだが、
この場合はそれができない。

陣地にこもった歩兵なら、騎兵で包囲は可能だ、補給路を断って、
出てきたのろまな亀だけ見つけたら叩きに行けばいい。

39
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/10 19:40:24  ID:ll0uOprY0.n(2)
”兵”って漢字は、本来は人というより武器・武力という意味が強いと聞いたことがある

『六韜』によると、
「平坦な土地」では、1騎=歩兵8人
「険しい土地」では、1騎=歩兵4人だそうで、

騎兵5万人のことを兵力40万って表記するのはありえるかも?

40
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/11 06:14:30  ID:z6Zfdjhi0.n(2)
韓信に斉を与えたままで出兵させてれば
匈奴を打ち破ったのだろうか?

41
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/12 21:19:03  ID:DedU8trI0.n(2)
百人長、千人長の数で数えてたに決まってんだろ
馬鹿すぎるわ

42
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/13 04:28:31  ID:q5MATwog0.n(2)
こんなアホが真っ先に殺されるんだろうな

43
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/17 19:52:35  ID:tsUDbc/W0.n(2)
個人的にだが・・・
韓信の能力に疑問を持っている。

韓信は、時間をかけて罠を仕掛けてそこに誘導するような戦術は得意かもしれないが、
今まさに戦闘中のさなか、戦闘の状況を的確に読んで瞬時の判断で突破口を開くようなものが伝えられていない。
むしろ肝心なところで優柔不断さが目立つ。

匈奴相手に山も川もない中、敵にばれずに罠を仕掛けられるのか?
匈奴にとっては、罠が疑われればそこに近づかなければいいだけ、地面は平原しかなく、通れる場所は無数にある。

韓信は役に立つのだろうか?
コメント6件

44
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/17 20:56:45  ID:BQ9/Xxnx0.n(2)
>43
何を言ってるのかわからん

>今まさに戦闘中のさなか、戦闘の状況を的確に読んで瞬時の判断で突破口を開くようなものが伝えられていない。

これは例えば誰がどのように発揮したものなのか?
項羽だろうが冒頓だろうが戦端を開く前から作戦はちゃんと立てて
その作戦に沿った戦い方をしてるようにしか見えないが・・・
(二人共基本自分から戦闘を仕掛けることが多いし
項羽が攻撃を受けて立った固陵の戦いにしても
あんな長距離に渡って何日も漢の大軍に追尾されたんだから
当然気づいて迎撃の準備を整える時間はあっただろう)

>むしろ肝心なところで優柔不断さが目立つ。

韓信が‘戦闘中’に優柔不断さで判断を誤ったという場面はどこにある?


>匈奴相手に山も川もない中、敵にばれずに罠を仕掛けられるのか?
>匈奴にとっては、罠が疑われればそこに近づかなければいいだけ、地面は平原しかなく、通れる場所は無数にある。

白登山で冒頓が漢軍相手にやったことはまさに時間をかけて
敵を山に誘い出し罠にはめるというやり方
逆に劉敬の忠告通り罠が疑われるところに近づかなければ
緒戦に勝利を重ねていた漢軍が大敗で終わることはなかっただろう
あと垓下の戦いなんかは別に地形を利用した戦いではなかったのではないのでは?
亰・索や代攻略のように史書に戦術が残ってない戦勝もあるが
これも特に奇策は使わなかったからわざわざ作戦の記述がないとも考えられる

45
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/18 10:21:12  ID:GrO+G/GT0.n(2)
戦闘中以外はなにもかも全部優柔不断だが戦闘中だけはピシッとしてる韓信

46
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/18 12:17:37  ID:ZwNFMXIU0.n(2)
物言いに剣がある人が他人に対して質問してるのって滑稽に見える
縦横家にはむかんタイプだな

47
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/19 06:07:35  ID:vBSb+gPi0.n(2)
ていうか>43はアウェーの大草原で戦うことを想定してるみたいだけど
長城を越えて遠征なんて100年の繁栄で国力が蓄積された武帝の時代だから出来たことで
仮に戦術的に優位に戦えたとしても戦乱で疲弊した当時の漢の体力じゃ専守防衛するしかないでしょ
始皇帝ですらオルドスから匈奴を駆逐したあとは長城建築して防衛するに留めたのに

48
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/19 10:35:19  ID:7OsVc2bc0.n(2)
罠を仕掛けるって相手の心理や都度の流れあってこその戦術だと思うんだ
それに長けてる者が突発的な事象に対応できないってのは考えにくいと思う
それらを想定できるからこそ罠をはれるんだろうしね

49
名無しさん@お腹いっぱい。[age]   投稿日:2016/04/23 01:27:46  ID:O8CJnYtj0.n(2)
しかし夏侯嬰と蕭何は、韓信の軍才をどうやって見ぬいたんだろね
こういうのは実際に兵動かさせて見るまで分からないイメージあるけど、
話しただけでわかるもんなんだろうか

何を以って、雑多な将とは違う国士無双だというほどの確信を得たんだろ

50
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/23 02:56:34  ID:fcSjc3C10.n(2)
夏侯嬰はとりあえず見所がありそうな奴を奴片っ端から助けてたんじゃね。
季布を助けたのも夏侯嬰だし、侠者として認識しても良いと思う

よく分からんのが蕭何だわ
治粟都尉だった韓信の上官として何かしら思う所があったのかもしれんけど
国士無双という評価にどうやって至ったのか、さっぱり分からん

51
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/25 20:45:14  ID:OmWAFEuy0.n(2)
韓信の推挙は項羽と劉邦最大の後付けだと思う
両陣又いだとしても執戟郎から大元帥は無理がある気がする
結果を出す才能ありきだけど、それ以上に売り込みに余念がなかったんじゃなかろうか
袖の下も同時は普通だろうし清廉潔白のイメージも後世に強調され過ぎた気がする

52
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/25 20:51:22  ID:Zq1GIMSu0.n(2)
韓信の政治的な無邪気さというのは本質なのか後付けなのかで大いに悩まされるな
脇の下が甘かったのを後世脚色されまくった結果と見ることもできるし
生来政界遊泳に疎かっただけと見ることもできるし

ただ性格づけは極端過ぎる気が

53
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/03 10:00:40  ID:V9XbMDtY0.n(2)
>27 始皇帝が趙高を信用、重用しすぎたのが崩壊の始まり。

54
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/24 19:28:46  ID:3IA1Vw8a0.n(2)
前から疑問なんだがかんしんってどこで兵法書読んだの?
コメント2件

55
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/25 00:57:40  ID:vYXRZ9fY0.n(2)
>54
鍾離眜と知り合いだしそこら辺の繋がりはあるんじゃね

56
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/27 07:52:38  ID:qEleolHm0.n(2)
>27
張儀時代の秦は既に雄国だけど一強ではなく列強のバランスが保たれているので
彼らはまず天下一統に腰抜かすと思う

時代下って魏冉〜始皇帝くらいになると三年で強秦が崩壊する超展開なんて多分信じないw
コメント2件

57
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/27 08:01:57  ID:/kADrLIU0.n(2)
楚漢戦争の状況を考えると楚にも天下統一の可能性あり得たんだよな
斉は微妙だけど魏晋南北朝とか考えると山東半島と河北押さえている強国が多かったからこれも可能性ゼロではなさそう
コメント2件

58
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/27 20:22:25  ID:Jt7H0UeW0.n(2)
>56
魏冉「つか、秦軍脆すぎない? 誰が指揮執ってんの?」
白起「趙に大軍を貼り付ける(王離章邯軍)戦略、私、嫌な感じがします」

感想はこんな感じやろな
コメント4件

59
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/05/27 22:58:49  ID:VzFE0qK10.n(2)
>57
魏晋南北朝は山東(河北)の勢力が強かったね。
斉は趙(燕)を抑えてから宋を取ってたら天下統一も夢じゃなかった、悪くても東西二大帝国
順番を間違った斉の一瞬の隙を見逃さなかった秦の狡猾さは大したものだわ。

>58
あんたらの時みたく主力軍も援護する軍も寡兵で多勢を木端微塵に打ち砕く精強さがあれば良かったけど
秦末の秦将は(途中まで調子良かった章邯軍除く)どいつもこいつも野戦弱すぎ。
にしても鈍い大軍のやらかし率は異常だなぁ、一旦不測の事態に陥ると国家滅亡レベルの深手を負うし。

60
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/28 00:08:21  ID:ARSV8Vkj0.n(2)
>58-59
河南の秦軍が弱すぎて攻撃的な機動防御不能ってのが痛いよな
河北に展開した兵力に何かあっても救援できない

61
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/05/28 06:42:42  ID:3ySS6olF0.n(2)
まあ、秦軍の質的劣化は、戦国晩期にはもう相当進行していたと思われる
急速な拡大を支えるべく故秦以外からの大量動員に依存した結果、体質が変化し脆弱に
コメント2件

62
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/29 02:21:20  ID:a3CLgavg0.n(2)
全国から寄せ集めた数頼りの戦法が目立つ>戦国末〜秦末

63
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/29 07:30:46  ID:4xBpnXys0.n(2)
李信蒙恬20万
王翦蒙武60万
蒙恬王離30万
南越遠征50万

始皇帝「…言われてみればそうである」

64
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/29 20:29:12  ID:1KpbtxNx0.n(2)
>61
東北と南方の支配は早すぎたなぁ感
そこらに有能忠実な管理職と兵卒のリソース割いてなかったら
ボンクラ君臣でも制圧できたろうに……

65
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/29 22:18:30  ID:zfYqmVzb0.n(2)
そもそも廷臣から覇気が感じられない

66
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/30 00:06:18  ID:bTw3Cpql0.n(4)
李斯を除くと
よくわからんモブ重臣、しかも旧六国出身の外国人しかいないってのが…

67
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/05/30 06:25:27  ID:MfNfa55w0.n(4)
始皇帝〜二世皇帝にかけて高位高官を占める馮氏は謎ですねぇ

68
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/30 16:02:33  ID:57rpZFSC0.n(2)
ドクター・フー?

69
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/30 18:24:11  ID:nCeDD58G0.n(2)
ほぼ完全に固定化した大貴族が高位高官を独占し続けた我が日本国の朝廷だと珍しくもないが
同族と目される人物が同時に3人も百官の主席付近に座ってるのは戦国秦→統一秦だと珍しいね

三晋→秦→楚漢戦争(魏)→漢

戦国の終焉と統一秦の崩壊で由緒正しい家門が消滅するなかしぶとく生き残った息の長い名族やね>馮氏

70
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/05/30 19:27:22  ID:MfNfa55w0.n(4)
戦国趙の馮氏は後に名将馮奉世を輩出し漢の外戚になった名族ですねぇ
地味に劉邦軍にも馮氏いるけどこれは関係あるのかないのか…

71
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/30 23:32:00  ID:bTw3Cpql0.n(4)
楚が滅び親父項燕が死んだとき普通に秦の旧都に住んでた項梁
ちゃっかり劉邦に味方して生き残る項一族

項氏もかなり不思議な氏族

72
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/31 07:54:53  ID:q6xzfAYl0.n(2)
戦国期の項氏は親秦派よりの貴族な希ガス

73
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/01 00:06:14  ID:jigG0AlA0.n(2)
【項羽】
・懐王楚王朝をぶっ壊した謀反人
・項一族の嫡流ですらない

すぐ人望を失くすわけだよ
コメント2件

74
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/06/01 00:41:34  ID:BbHUHS0n0.n(4)
非主流派だよね〜

75
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/01 11:11:46  ID:ucLMzKIv0.n(4)
>73
嫡流はなにしてんの?

76
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/01 19:00:20  ID:33ouxKnj0.n(2)
たぶん項伯が嫡流じゃろ
コメント2件

77
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/01 20:37:44  ID:ucLMzKIv0.n(4)
>76
名前からしたら長男かそういえば
上手く生き延びてんな

78
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/01 21:20:09  ID:BbHUHS0n0.n(4)
項羽と同じく字の方が有名な項伯こと項纏さん

79
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/02 06:29:52  ID:F6FlhK9f0.n(2)
劉邦が推戴されて皇帝に即位するなんて予想できるはずもないのに
項羽が健在な時から劉邦さんに近い項氏がチラホラいるのはつまり
義帝楚国で項羽が頭角を現し項氏の棟梁と認められる時期が遅かったからでしょうね。
みんな義帝の臣下という立場なので対等、独自に劉邦と誼を結んでいた。

80
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/03 23:59:49  ID:qbigQIbo0.n(2)
劉邦は項伯と姻戚になる約束してたんだっけ?

81
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/04 00:26:59  ID:s/a7j8HZ0.n(2)
姻戚じゃなくて義兄弟……

82
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/04 00:45:50  ID:dkuqIyUh0.n(2)
サンクス、義兄弟か

83
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/06/05 00:24:29  ID:IYNX6okp0.n(2)
劉姓を賜って広い意味で同族になりました

84
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/05 03:17:49  ID:QEyBJQ8rO.n(2)
あれ、義兄弟は羽で、伯はこうもんの会取り次ぎの際、伯の息子と劉邦の娘を婚約させたんじゃなかったっけ?

羽が「降伏しなかったらお前の親父をスープにしてやる!」って言ったときに劉邦が「俺とお前は義兄弟だからお前にとっても父になるぞ、父親を殺すのか」と反駁

85
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/05 23:58:29  ID:5pBQI+Z60.n(2)
うむ

86
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/09 15:06:51  ID:4Nl9Z5Cs0.n(2)
唐代からあるネタだけど「肛門の会」

87
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/13 01:11:34  ID:z4/xMIqr0.n(2)
・懐王の居城に近い地域を守り、侵入した王離軍等を撃退
・趙軍の中原進出を阻止
・懐王の命令通り関中を落とす
・懐王の命令を無視する項羽の大軍阻止を試みる

劉邦さんって割と楚懐王の忠臣してると思う
コメント2件

88
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/15 06:55:44  ID:SeS29V1d0.n(2)
元・公務員だし臣下やるのは得意そう

89
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/15 12:29:33  ID:LW//GlyJ0.n(2)
公務員と言っても事務が得意な役人タイプじゃなくて
進次郎の曽祖父(政治家だからいちおう公務員)みたいな任侠タイプだけどね

90
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/15 17:58:14  ID:qlwxJn980.n(2)
まあ政治屋の方が向いてるだろうけど事務能力もそれなりに高いでしょう。たぶん

91
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/18 21:58:14  ID:eotvEjFIO.n(2)
いろいろ間違ってるな
・項伯は末っ子であだ名として落ち着いてるからギャグとして、
伯(長男)とついた
・項伯はたまたま張良に助けてもらったことがあり、
その頃は項羽の羽の字もなかった
・項伯が劉邦助けたのは張良との縁のたまたま
劉邦自体劉の字も元々なかった
・だから項一族を裏切って劉邦派と取引した気脈通じてたもくそもない
楚漢戦争はたった六年
そんな暇もない単なる偶然
・項梁と項羽の父と項伯とが兄弟
項梁とかの父が将軍として有名
・項梁が倒れて将軍になれるのは項羽しかいないから非主流派もくそもない
主流派非主流派で争う暇もない楚漢戦争はあっという間の出来事

・項羽が項梁なき後将軍になったり楚王になったのが25、
天下を暴れまくって四面楚歌で垓下に倒れるのは31
若造すぎた
項羽は単に人望がなかっただけで項一族中の問題は関係ない

92
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/18 22:53:26  ID:azaWWNRV0.n(2)
なぜそこまでナイナイと切り捨てるのか謎であるよ
史記その他の情報なんておそろしく限定的だし司馬史観な偏りも当然ある
過疎スレだし少々の推測は大いに結構楽しくやろうぜ

楚漢戦争はあっという間の出来事で争う暇はない?内部対立で自滅した二世皇帝政権に謝ろう(苦笑

93
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/18 23:41:55  ID:eHT8Ol2v0.n(2)
>87
劉邦凡将論は百害あって一利なしだわ
史記だけ読んでも明らかに戦国後期の名将と比較して何ら遜色のないやり手なのに

その反面史記の楚漢戦争はかなり単純化された戦略理論のケーススタディ資料なんじゃないかと思うときもある
何かスッキリし過ぎというか分かりやすすぎというか…
コメント2件

94
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 00:03:04  ID:PtrCiKPg0.n(2)
楚軍も項羽軍も出来たてホヤホヤの雑多な集団だから皆さん安全保障のために気脈通じまくり争いまくりだと思いますよ。

95
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 00:16:52  ID:KT/IyvTe0.n(2)
曹無傷の裏切りとか
どこの軍も二股膏薬が横行してそう

ちんぺーや韓信は普通なんだろう
逆に紀信とか「おまえ何でそこまで尽くしちゃうの?」レベルの奇行だったんじゃないかな?
コメント4件

96
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 00:36:47  ID:hs/FpaKnO.n(4)
義理堅いと言われる季布が軍を脱走して逃げている事実。さすがにそれだとアレだから創作物だと逃げたのではなくはぐれたことになってるのも多いけど

97
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 03:54:52  ID:zZACuA050.n(2)
季布が脱走したって記述、どこにあるの?
コメント2件

98
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 08:03:34  ID:XyriM37R0.n(4)
>93
うっかり凡ミス大ポカ(この隙は世相にも原因がありそう)があるのが玉に傷だけど能力自体は極めて高いね
やらかして絶体絶命のピンチに陥ってもトドメを刺されない地力があるし

>95
伝統あるきちんとした君臣関係が構築されてない時代だから罪悪感薄いだろうね
コメント2件

99
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/06/19 08:45:12  ID:PMpo2l9W0.n(2)
後門の会の項伯に関しては説話的には義理人情で動いたことになってるけど
実際あそこで義帝政権実質ナンバー2の大功臣劉邦を項羽が処断するのは政治的にヤバすぎる
っていう常識的判断な希ガス

>95 >98
みんな抗秦の同志なんで上下関係は緩い
秦の統一事業で旧六国内部の秩序が弾圧・解体されたせいで元から流動性高いし

100
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 08:46:12  ID:hs/FpaKnO.n(4)
>97
以前横光スレで史記にそう書かれていると聞いたけど、あれやっぱり横光項劉の創作だったのか?
コメント2件

101
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 14:55:19  ID:vCYCpcIp0.n(6)
>100
少なくとも俺がざっと見た感じ史記や漢書にそれらしい記述は見つけられなかった
ざっと見ただけだから見落としあるかもしれんけど、横光史記ソースなら横光さんの創作の可能性高いかもなあ

102
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 15:46:53  ID:HamoiROR0.n(2)
鍾離昧と季布が逃げたって話は、垓下の戦いのときね。

季布は朱家にかくまわれて鍾離昧は韓信にかくまわれたから、
項羽とともに討ち死にしなかった、漢軍にも投降していない(なぜならその後賞金首になったという事実)
=どこかで逃亡した以外にないわけだ。

103
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 21:46:14  ID:vCYCpcIp0.n(6)
そもそも史記・漢書だと、垓下に項羽と虞美人以外に誰が居たかさっぱり分からんという事実があってな

104
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 21:56:34  ID:vCYCpcIp0.n(6)
まあ、季布が最初に匿われた濮陽周氏が居た濮陽と、
項羽の垓下→呉or臨江ルートが方向真逆だから、季布が逃亡したと見做すことは出来るかもなあ
ただ垓下に季布が居た記述がないから、項羽と合流する途上で項羽滅亡を知って濮陽に隠れたということも言えなくもないけど

楚漢戦争時の楚将の記述薄すぎて分からんこと多すぎんのよ

105
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 22:02:28  ID:XyriM37R0.n(4)
実際はかなりの大軍で逃走していたようだし妻妾も一緒だったかもしれんな

106
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/20 00:55:01  ID:G01Jykzc0.n(2)
wikipediaみたら「垓下の戦いあたりで、鍾離?とともに一兵卒に変装して項羽の陣営から離脱した。」ってかいてあったけどこれのソースは何なんだろう

107
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/20 06:15:04  ID:HuiMeZZG0.n(2)
正直wikiはあまり信用せん方がいいと思う

垓下の戦いに限らず楚将たちの動向って
龍且のように遠征軍の司令官でもしないと一々書かれてないことが多いけど
それでも鍾離昧なんかはレキ商と鉅野で戦ったとか
広武山の戦いの前に劉邦にケイ陽で囲まれたとかちょこちょこ名前は出てくるが
季布は本人の伝が立てられてるのに楚漢戦争での具体的な動向が全然わからん

漢書だと固陵の戦い&韓信が動いたのが10月で垓下が12月と多少時間はあるから
多分季布のような主力部将?はそれまでに出来る限りは集結させてたと思うけど

108
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/20 12:33:39  ID:e1tO78Sp0.n(2)
通鑑とかだと固陵の戦い前後の楚軍はもう疲弊の極みっぽい印象を受ける文脈だなあ

垓下が初っぱなから包囲戦っぽく書かれてるのって通鑑だけか?
「漢と数戦して勝てず」→包囲
という流れは乱暴過ぎるわ

109
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/25 20:09:38  ID:th/Flr5G0.n(2)
項羽が鉅鹿落としたのと、陳渉呉広の乱で周章(周文)が函谷関抜いたのと、
どっちが難易度高いだろう?
コメント2件

110
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/25 23:53:02  ID:QaECKGXd0.n(2)
鉅鹿は落としたいうより救援だな
鉅鹿を攻めていた秦軍を破ったわけだから

111
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/26 01:51:18  ID:/0eE4d5G0.n(2)
>109
攻城中の大軍があっさり崩壊する例は戦国期にもあるし難易度の判定は難しいな
函谷関は機能さえしていれば難易度高いだろうけど(というか烏合の衆じゃ到底無理)肝心の三川郡守が城一つ守って攻囲されてる状況ではなぁ

112
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/26 10:26:00  ID:K08jmINt0.n(2)
そもそも人数は全部適当と思っているので大軍崩壊もどこまで本当やら…

113
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/01 12:17:44  ID:X+Bygzf+0.n(4)
>24
軍には伍、什、旅団、師団
みたいに各単位で固まってるから
伍長が10人いるから50人
師団長が2人いるから12000人

みたいに、統括する長の人数で概算だったんじゃないかな

114
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/01 12:21:26  ID:X+Bygzf+0.n(4)
>43
韓信は
軍略判断は一流だが
政治的判断が三流だと思われる。


あれだ
麻雀すっごい強いけど、勝っていい相手か、負けた方がいいか?の判断は下手ってわけで。

六韜は読んでたけど、三略は読んでなかったんだなぁって判断ミスが結構目立つ。
すいすいの戦い前に劉邦に楯突いたりしちゃうし。

六韜って戦争の強さで
三略が政治的強さって感じがする。
間違ってたらすまぬ。

115
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/01 16:25:44  ID:88Jk3A+P0.n(2)
まあその辺はどうせフィクション

116
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/01 21:29:00  ID:HHJMmiRO0.n(2)
韓信はwiki見ただけで国士無双と言われた事が後の評価を過大にして
しまっているとわかる。それがなければ横山マンガよくある終盤出てきて
強キャラ相手に活躍して場をもりたてるだけの役柄だとわかる

117
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/06 12:40:19  ID:78gNv4l60.n(2)
韓信は間違いなく史上最高の名将の一人だろよ

118
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/07/06 19:54:42  ID:036v1Qzs0.n(2)
そういや劉邦とか項羽の字(あざな)って見たことないな
韓信も
コメント4件

119
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/06 19:59:20  ID:YfQ9u6Gr0.n(2)
>118
項籍ェ……

120
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/06 20:43:04  ID:YSmJQ9TE0.n(2)
でもタイトルが「項籍と劉季」だったらゴロ悪くて流行んなかった気がする
コメント2件

121
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/06 21:21:49  ID:B4jKNLzQ0.n(2)
>120
なんかどっちも激しくダサい名前に感じるな

122
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/06 23:07:29  ID:hhr2ZZZg0.n(2)
>118
>項羽の字(あざな)って見たことないな
羽が字で籍が諱だ。

123
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/07/06 23:20:04  ID:J6DzYmk+0.n(2)
韓信の諱は?  ふつう4文字か5文字じゃないの?

124
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/07 00:10:52  ID:dB+wrQ1s0.n(2)
韓信の諱あるいは字は伝わってない
信が諱で、字は伯仲叔季のどれかじゃないかとは思うけど史記も漢書もなーんも書いてない
どっかから佚文でも出てこないと分からないんじゃないかなあ

4文字5文字が何を言いたいのか分からんけど
韓信が生きた時代、人名に「一字姓+一字名」の組み合わせが多いなあとは思う

125
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/07 14:26:08  ID:tim/PJ4j0.n(2)
秦末漢初は姓名字全部一文字が多いイメージだなぁ
んで王莽さんが頑張って字を二文字にした後は長いことそのままって感じ?
コメント2件

126
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/07 20:01:19  ID:Uh1xvE8n0.n(2)
戦国時代から既に二字姓はいないことはない
淳于とか司馬とかそれなりにいる
二字名は二字姓よりずっと多い
コメント2件

127
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/07/08 09:13:41  ID:GmzeJLkQ0.n(2)
>125
逆だよ。
王莽は一字の諱にした。二字の諱は禁止したはず。
字に付いては聞いた事ない。

>126
陳舜臣さんの本に、一字諱だと姓も多くないので、同じ名前が増えるので、
二字諱が流行したってあったな。
それを嫌って、王莽が禁止したはず。
昔は(王莽は昔大好き)一字諱だって理由で。

128
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/08 18:56:01  ID:7seyKuaC0.n(2)
春秋時代の管仲の夷吾とか漢初の審食其と酈食其とか二字諱も少なくないような。

129
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/09 09:13:07  ID:1CgpcY6P0.n(2)
重耳とその兄弟とかね

実は二字姓も多い
先秦期が一番多いんじゃないか?って思う程度に
コメント2件

130
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/22 01:10:27  ID:BG186YMR0.n(2)
最近の中国人の名前も姓名合わせて2字が多い気がする。
春秋ブーム?
コメント2件

131
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/22 04:11:48  ID:u86sKAU40.n(2)
いや普通に三文字が多いし、
春秋はかなり二字諱多いよ。
コメント2件

132
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/22 05:57:56  ID:AoBVgDnu0.n(2)
>129
「二字姓」じゃなくて、二字の氏だろ。春秋時代は姓氏の区別がまだあって、二字が多いのは氏だと思われ。

133
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/23 02:17:17  ID:ACziWJKP0.n(2)
わざわざつっこむとこか?通常そう書く
てか129氏は先秦期って書いてるし特に問題ないでしょう

134
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/24 16:28:40  ID:L9f42aXU0.n(2)
姓名二文字つったらやっぱ東漢〜魏晋のイメージやな

135
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/24 17:19:00  ID:OTGvS+QA0.n(2)
>131
澹台滅明とか言う四文字名前の儒者

136
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/24 19:50:48  ID:M64tNPxSO.n(2)
楚の子文は三文字名だった様な

137
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/29 10:32:59  ID:Oifw0oO40.n(2)
>130
春秋より、周でしょ。王莽さんの昔大好きは。
春秋の頃には乱れていたと。
んで、『二名の禁』を出したっと。

138
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/12 17:37:43  ID:ooAU73fM0.n(2)
韓信は戦術家だが、戦略家ではない。
結果的にはマクロ戦略で失敗して劉邦の不興を買ったのが戦略家の資質にあらざるところ。

戦術は戦略の下位概念、戦略の失敗を戦術で取り返すことはできないとはよく言ったもので、
韓信の末路もその通りだった。

戦術家の将としてのおのれの才能の器に見たった地位に収まっていればいいようなものだが、
分不相応な地位を望んで禍が降りかかるのは、もろもろの道家あたりの古典によく出てくる話だ。
おそらく韓信は師匠について学問を系統的に学んだのではなく、好きなものだけ読み漁っただけの軍事オタクだ。
コメント2件

139
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/21 17:03:09  ID:z+9hopZv0.n(2)
司馬遼太郎は韓信の戦術能力は生来の物としていたな
しかし股潜りのエピソードがいちいち付いて廻った為に世間的な評判が悪くて人望が無かったという事にされていた

ただ元々天下取りを目指していたのかはよく解らないな
司馬遼はただ自分の才能を世間で試したかっただけみたいに書いていたが
コメント2件

140
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/23 07:59:37  ID:77+DW1Pm0.n(2)
田中芳樹に至っては韓信は「俺の才能を認めろよ」ってメンタルのまんま王になったとか言ってたな
コメント2件

141
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/23 18:07:42  ID:tSgvdQse0.n(2)
まぁ妥当な評だと思うわ
単に王になりたければ自立すればいいだけだし
あくまでも自尊心を満たしたい程度の欲望だったんじゃないか

142
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/23 18:41:19  ID:/5BZefNX0.n(4)
韓信の軍中には曹参とか劉邦子飼いの連中が配属されていたから
下手に独立しようとしていたら彼らに掣肘されるおそれがあったと思う

143
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/23 19:11:10  ID:xKfBpDeN0.n(2)
韓信が最大勢力の時代に独立していたら項羽と劉邦を一網打尽に出来ただろうか?
劉邦の配下も韓信軍には多くいたから内部分裂の畏れもあったかも
コメント2件

144
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/08/23 19:39:38  ID:f178J5+o0.n(2)
韓信って嫁とか子供いなかったのかな?
楚から劉邦軍に移ったのが25歳前後 亡くなるのは35歳前後だろうか

こう見ると随分若いな韓信
それまでの実績も少ないのに、漢でよく抜擢されたもんだ


>139
>140
自分でも「漢王は将の将 ワイは兵の将でおます」つってるしね
国の統治とか人付き合いとかは興味なかったかもね

145
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/23 19:43:09  ID:/5BZefNX0.n(4)
韓信は王侯への立身出世は考えていたかもしれないが
劉邦や項羽みたいに天下人になるなんて大それた考えには遂に至らなかった小英雄だと思ってる
自分で自分の思考に壁を作って身分や能力の限界を勝手に決めてしまっていた感じ

同じように低い身分から立身した劉邦はとてつもない野心家でワナビーだったわけだけどさ

146
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/23 21:10:08  ID:FnRbXV1B0.n(2)
>143
曹參と灌嬰を劉邦が押さえている限り韓信は分が悪い。
この二人は騎兵のいわば機動部隊の主力、抜けたら埋める手立てはない。
機動力のない歩兵で奇襲はできないし、
歩兵は兵站を含めて作戦規模が大きくなるので秘密裏に動かすこともできない。

韓信が捕まったときに捕縛に立ち会ったのが灌嬰というのも象徴的。

147
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/24 07:15:31  ID:YlRa+WHj0.n(2)
ふつうはさ、戦術戦略の教科書には、戦争は外交の一手段で、
戦わずして勝つことが最上みたいなこと書いてあるわけだが。

韓信は劉邦に戦わずして負けてるよね。
コメント2件

148
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/24 08:13:33  ID:leI8w6RJ0.n(2)
>147
両者は交戦状態になかったわけだが

韓信は反乱起こしてもすぐに斉の国民に見限られて野垂れ死にしそう
この間までいた王様を騙して放逐した侵略者でしかないからな
劉邦が田氏を王様に迎えるよとか言って討伐しに来られたら詰む
てなわけで韓信は自分で王様になるよりは田氏王家の幼児を探して傀儡操作路線で行くべきだった
コメント2件

149
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/24 10:31:01  ID:5a47z0D+0.n(2)
韓信は統治者としてはどうなんだろう?
軍事的な才能には特化していたとは思うが股潜りで民衆からの印象が悪いまんまなんだよな
コメント2件

150
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/24 10:43:54  ID:2/MgOlvz0.n(2)
司馬遷「ワイのフィールドワークでも韓信の地元での評判最悪やったからな」

151
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/24 11:32:10  ID:CY5h3YiH0.n(2)
>149
短期間で降した趙・代・燕・斉は驚くほど静謐
李左車の献言を用いたとはいえ小規模な叛乱ひとつ起きてない
その間にも楚軍がしばしば趙を侵してもいるが、それも順当に退けるばかりか
劉邦へ余剰戦力を供給もしてる

韓信は政治力を酷評される事があるが、それはあくまで政略・政治的な根回しの
類であって行政手腕はむしろ及第点以上と思える
コメント2件

152
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/24 16:42:35  ID:i3vpk3YT0.n(2)
>151
垓下の戦いの直前に斉から大々的な動員を実行しているわけで
人口調査や徴兵手続き、装備品の支給、兵糧の調達、兵站輸送に関する見積・計画といった事務作業に関しては神憑りといって言いレベル
任官一発目に治粟都尉として配置されたことからおそらく事務屋として有能と思われる要素があったのではなかろうか
「あいついつもエクセルいじってばかりいるな」みたいな感じで

153
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/25 00:21:20  ID:ZrcuJSuy0.n(2)
>148
楚王の時兵挙げてもキツいわな
楚討伐してるから

154
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/25 14:46:33  ID:E66lVMw80.n(8)
韓信は一貫して人間性に問題点がある人物として史書には記述されてる

命惜しさに股潜りをしたりとか老婆に飯を集ったりとか、あるいは欺瞞や詐術に満ちた戦い方とか(後者は賛否が別れるかもしれないが)
本人の中では大志(立身出世)のために背は腹に変えられぬという考えがあったのかもしれないが
レキ食其見殺し事件とか見ててもそうなんだけど思いやりの心も誠実さも道徳心も何も持ち合わせていない
戦争は強いけど品性下劣という点でどうしようもない人物だと思わされる

おそらく反乱起こしても誰もついていかなかっただろう
商鞅の最期みたいな感じになったんじゃないのかな?

155
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/25 14:51:34  ID:E66lVMw80.n(8)
韓信が政治的に孤立していった点をもって政治家や官吏としてはイマイチ/未知数/無能だったみたいな論評あるけれど
品性下劣だから孤立したのであって官吏としての能力には問題なかったように思う

後までネチネチと根に持つから人事とか寝技的な調整とか絶対に任せられないタイプだけど

156
名無しさん@お腹いっぱい。[sage  ]   投稿日:2016/08/25 15:15:55  ID:HhsPurgN0.n(2)
韓信にそこまで顕揚欲や大望があった様にも思えない
ただ己の才幹には強い自信をもっておいて、それを思いのままに
世にふるいたかった様には感じる

劉邦と項羽の相克に乗じて蒯徹が独立を使嗾しても、劉邦への恩義を理由に
遂には踏み切れないあたりに如実に表れてる様にも
既に劉邦の苦境に乗じるかたちで、これも蒯徹の勧めで王位を望んで劉邦に
恨みを買っている現実への認識が不足してるあたりも思うと、己の得手とする
軍事以外には関心が薄いのか保身への配慮も欠けてて、これでは指導者は
いうまでもなく人臣としても終わりを全うできる生き方ができていない感じ

157
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/25 15:50:19  ID:8Q/OI4Ro0.n(2)
司馬も韓信は人徳的には欠落していた様な描写にしていたな
そういう点に関しては劉邦には及ばなかったんだろうな
韓信自身もトップに立つ劉邦という存在をかなり評価していた様だし

158
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/25 16:44:15  ID:E66lVMw80.n(8)
韓信が斉を軍事的に制圧して割拠の形勢を示したのは劉邦的には自分の構想から逸脱した許しがたい行為にしか見えなかったと思うぞ

劉邦としてはあくまで斉を降伏させて楚北辺に対する牽制に使おう(そして成皐月正面における楚軍の圧迫を軽減させよう)と目論んでいた矢先に
脅しのために出撃させた韓信軍(だから新規戦力主体)に手駒の外交官を見殺しにされた上勝手に斉軍と交戦しあろうことか自立の値踏みまで始めたりされたわけだから
韓信が龍且を討ったことで作戦上の目的は一応達成できたけどそれ以外は最悪と言っていいレベルでぐちゃぐちゃにされたような情勢
韓信はぬけぬけと「斉の安定化のために身動き取れません、王にしてください」と言ってきたわけだが
戦国時代などであれば電撃解任待ったなしのシチュエーションだっただろう
「お前が田廣を滅ぼさずに彼らの兵力で楚が牽制できればお前の部隊も対楚に転用できるし一挙両得だったというのに」とでも劉邦は言いたかったところだろう

韓信はこの時点で詰んでいる
この後楚王でワンチャン与えた劉邦の涙が出るくらいの温情采配すら踏みにじることになるわけだが

159
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/25 17:41:56  ID:1qIuJ+D30.n(2)
カイトウが韓信を唆したのも大きい
だがカイトウの言うように韓信が劉邦に忠誠心を示し続けていたとしても殺される迄の時間が少し延ばされただけかも知れない
云わば豊臣秀吉が黒田勘兵衛の才能を畏れたみたいになっていた可能性が高い

160
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/25 23:13:49  ID:tq9onyBo0.n(2)
淮陰侯列伝読む限り彭城の戦いの後で
「信復收兵與漢王會ケイ陽、復?破楚京・索之顱以故楚兵卒不能西。」
とあるから韓信も彭城の戦いに参戦してボロ負けしたのだろう
通鑒に拠ればこの後の京・索の間で楚軍を撃退する原動力になったのが
蕭何の形振り構わない根こそぎ動員と再編成された潅嬰率いる旧秦の騎兵部隊だったみたいだから
劉邦・韓信だけで楚軍を撃退した感じでもなさそうなんよね

韓信は趙・燕平定でも張耳と常に行動をともにしていたみたいだし
実は独力?で成功した作戦って騙し討ちの斉討伐ぐらいなんじゃないかな
これも味方すら裏切っているアレな戦い方であったわけだが
韓信名将説は実は結構怪しいような気がしてきた
コメント2件

161
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/25 23:29:24  ID:E66lVMw80.n(8)
項羽が斉の田栄&田横、梁の彭越、趙の陳余全部敵に回して身動き取れなくなってた状況から
火事場泥棒的に彭城に乱入したにもかかわらず逆にボコられた劉邦軍は残念すぎる

162
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 04:22:30  ID:uhdBTxqH0.n(2)
韓信が最大勢力を築いた際に劉邦が病没とかしていたらどうなっていたんだろう?

163
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 11:26:50  ID:oWzKrlvU0.n(2)
項羽は劉邦の対楚合従策に滅亡までの三年間苦しまされ続けたけど
大国の分割統治とか戦略的な発想は悪くなかったと思うんだよな
彭越の無能力化に失敗し続けたのが地味に痛い

164
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 17:51:00  ID:41L75niy0.n(2)
彭越が優秀だったからな
ゲリラ戦術に関しては韓信よりも遥かに優れていた

165
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 17:53:41  ID:+vY/LtQb0.n(6)
敢えて
彭越>韓信>英布
と言ってみる

単独で項羽の矢面に立たされたのってこの中だと彭越だけじゃね
いくら田栄とか劉邦にそそのかされたとは言えなかなかできることではない

166
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 18:35:33  ID:+vY/LtQb0.n(6)
功臣粛正も発作的行動、猜疑心によるものというよりは
どちらかと言えば陳キの反乱における諸侯王たちの身の振り方の結果でしかないよなあ
反乱に与した韓信は当然アウト
彭越は長安における諸侯王の集合には毎年参加してたのにこの時の邯鄲参集は欠席
劉邦にしてみれば彭越に梁から攻撃されたら陳キと挟み撃ちの形になるから
絶対に旗色を明らかにしてほしい場面だったろうに

陳キの反乱を省略して劉邦の功臣粛清だけ取り上げるのは何と言うか中途半端だわ
劉邦は白登山の敗戦処理で駆けずり回ってだいぶ追い込まれていた状況だったわけだから
ここで韓王信や陳キに呼応する素振り見せた連中は正直どうかと思う

167
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 18:48:28  ID:aAvGAl5y0.n(2)
>160
さすがに難癖が過ぎると思うぞw
淮陰侯列伝の彭城の戦いからの下りは劉邦の失敗を韓信が多少カバーしたというもので
仮に彭城で劉邦に同行していたとしても亰・索や垓下のように直接現場の指揮を執っていたような記述もなし
他人の伝でも彭城戦に名前すら出てこない韓信に敗戦責任を被せるのは飛躍している

亰・索では軍政家蕭何が関中で徴発した兵が間に合ったことが勝因の一つだとしても
それがなぜ軍略家韓信の評価にケチがつくのかもわからない
それぞれに自分の仕事をしたというだけではないだろうか
漢書高帝紀によると蕭何の徴発した老弱の兵が滎陽に到着したのも戦いが行われたのも同じ5月中
訓練期間一ヶ月も使えなかった老弱の兵にすら頼らざるを得ないどん底の状況で
勢い絶頂だった当時の項羽を撃退し滎陽に寄せ付けなかったというのはむしろ韓信の評価が上がるポイントでしかないと思う

李必・駱甲を補佐に付けた灌嬰の騎兵が楚の騎兵を破ったのは滎陽の「東」
韓信が勝利した亰・索の間は滎陽の「南」と場所がずれている
時期が同じなのでこの2つの戦いが連動していた可能性はあるにせよ
灌嬰の方は騎兵部隊同士の小規模な戦闘に過ぎず主戦場も全体を統括していたのも当然韓信の方だろう
だからこそ項羽本紀でも淮陰侯列伝でも亰・索での敗戦のため楚は西進できなかったと
こちらの結果が重視されるような記述になっている

趙平定に張耳を伴っていたからという理由で韓信の力に疑問符を付けるのもよくわかない
↑の灌嬰の方にも言えることだが配備された部将を有効活用するのも総大将の重要な能力
もっとも張耳は韓信にくっついていただけで井陘の戦いなどでも勝利に貢献する活躍をしたと思えるような場面は特にないが・・・
そもそも彼は常山王の頃に陳余との戦に敗れ趙を追われているわけで軍事能力は陳余以下だろうし
どの程度戦力になっていたかはイマイチ不明
地理に詳しいとか陳余の後釜として趙を治めさせるとかの目的もあって付けられたのだろうが
コメント2件

168
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 19:05:58  ID:8xB2Esvn0.n(4)
>167
彭城の戦いも京・索の戦いも漢軍の指揮官(彭城の場合はそもそも戦闘態勢が整っていなかったっぽいけど)は劉邦なんじゃね?

左丞相就任以降が韓信の独立的行動の開始だと認識しているのだが
それまでは劉邦の幕僚長的役回りの域を出てないと思ってる
将軍に抜擢されたけど実質大司馬みたいなポジション
コメント2件

169
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 19:22:40  ID:cbT+7fwT0.n(2)
漢の軍制を整えたという記述があるから、その時期は軍政家として辣腕を振るった可能性があるしなあ
ただ、出展が漢書になっちゃうけど、劉邦が韓信の将才を語る下りがあるし、
何らかの形で将才を表す事件があったんだと思うけど、詳細は分からん

170
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 19:26:47  ID:8xB2Esvn0.n(4)
京・索の戦いに項羽が出陣したかどうか不明なんだよなあ
史記読む限りは親征してない

一度は制圧された彭城周辺の戦後処理・平定とか考えたら項羽が自ら西進するのはちょっと難しいような気がする
本格的にケイ陽を囲むのは約一年後の紀元前204年4月からだし
コメント2件

171
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 19:42:18  ID:+vY/LtQb0.n(6)
韓信に対する評価の絶頂は韓信が鍾離バツを匿った際に劉邦が陳平に善後策を尋ねた時だと思う
韓信に敵う者が漢軍にはいないという認識を劉邦も陳平も持っていたというのは面白い

172
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 23:26:11  ID:4opzOiLD0.n(2)
ここでも人格面について散々言われている韓信を鍾離バツが頼ったという事実も興味深いな
曲がりなりにも軍を率いてるし、韓信に全く人望がなかったわけじゃないと思うんだよな
まぁ彼に人を見る目が無かったといえばそれまでだが

173
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/27 02:53:17  ID:NPDVX3nb0.n(2)
鍾離昩が死に際に韓信に「貴方はぐう聖だと思ったがぐう畜だった」つって自決したエピソードとかは司馬遷の創作臭いけどね。

174
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/27 06:41:01  ID:TOss6eU00.n(2)
>168
韓信が遠征に出た後の第2次滎陽攻防戦に先立って漢は甬道を建築して防備を固め
転戦する韓信から奪い取った河北の精兵によって兵力も相当に増強されたはずなのに
一転して劣勢になってることを見ると最初の亰・索での勝利は明らかに韓信の力だと思う
というか劉邦の指揮統率では集めたばかりの弱卒で勝利するって芸当は到底不可能な気がする

>170
「項王之救彭城,追漢王至滎陽,田彬鯑切栴遏の田榮子廣為齊王。」(項羽本紀)
「楚人起彭城,轉鬬逐北,至於滎陽,乘利席卷,威震天下。然兵困於京、索之顱で西山而不能進者,三年於此矣。」(淮陰侯列伝)

これを見る限り項羽は彭城を奪還するとそのまま劉邦を追って滎陽まで親征して来ている
(下の方の「楚人」は文脈上項羽のことを指してるし、そのあと亰・索で苦しめられたことにも触れている)
コメント6件

175
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/27 07:50:43  ID:jVQvWhby0.n(8)
>174
韓信が魏豹を討伐した後(紀元前204年8月)、趙の平定に赴く前に劉邦に兵3万を要請して授けられている(漢書高祖本紀)
閼與で夏説を下した後(紀元前204年9月)に韓信たちは精兵を劉邦に送っているから「韓信たちから奪い取った」というのはお門違いだろう
授けていた兵が戻ってきた(かもしくは夏説の率いていた代の兵を接収したかのいずれか)というのが妥当
夏説が瞬殺されたにも関わらず陳余が韓信・張耳軍を舐め腐ってたのが謎過ぎる

劉邦が明確に韓信・張耳から兵力を収奪したのは紀元前203年7月の寝込みに忍び込んだときぐらいじゃないのかな?
これは擁護のしようがないくらい酷い話だけど
コメント4件

176
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/27 07:54:04  ID:jVQvWhby0.n(8)
しまった>175の暦年は全部マイナス1年だな
初歩的なミス

177
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/27 08:00:41  ID:jVQvWhby0.n(8)
ちなみに夏説との交戦前に劉邦から韓信に授けられた兵は曹参の兵っぽい
曹参の世家だと韓信たちと合流したのは魏豹討伐前
その後魏の平定、陳余攻略後に劉邦のところに兵を引き連れて戻ってるみたいだから
異様に慌ただしい漢書の高祖本紀や資治通鑒よりは曹参世家の記事の方が妥当のような気がする

178
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/27 08:42:10  ID:jVQvWhby0.n(8)
>174
それと京・索の間の戦いにおける楚人の部分はカイ通先生のダイジェスト解説だから
楚人が項羽本人の親征を表現しているかどうかは確定できないでしょ

項羽本紀だと京・索の戦いの際の主格は「項王」じゃなくて「楚」を使ってるから
親征の可能性低いんじゃねーかな
一度陥落した彭城を放置し続けてまでケイ陽にとどまる必要性がない(本格的な攻勢は
結局翌年以降だし)

項羽の親征で楚を使うパターンもあるけど、指揮官不明で楚を使ってるパターンもあるわけで
うーん、水掛け論になりそう
コメント2件

179
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/27 10:54:58  ID:FRiEYXRD0.n(2)
>174
劉邦disるのは自由だけど憶測で語るのはいかがなものかと
京索では劉邦、韓信、灌嬰らが追加徴兵&敗残兵を立て直して何とか楚軍(項羽?)を撃退した以上のことは記録されていないのに
「勝ったのは全て韓信のお陰」ってさすがに飛躍し過ぎ

180
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/27 18:44:38  ID:P8c1giCv0.n(2)
楚から趙は遠いけど漢からは蒲阪渡ればすぐ隣
前の常山王張耳が遠征に同行
陳余が強引なクーデターで張耳を追い出したのが二年ほど前

韓信は劣勢と言われてるけど態勢的にはそこまで不利でもなかったような

181
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/27 20:56:34  ID:8yU/9pGQ0.n(2)
こういう話でよく出てくる趙と斉の国力を過小に見積もる風潮、納得出来ない
コメント2件

182
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/28 03:40:40  ID:52b7wpS/0.n(4)
>181
項羽・韓信と渡り合った斉はともかく趙はグズグズだろ
近所の魏が粉砕され夏説がいつの間にかひっそりと撃破される中
敵将韓信を侮りまくって滅亡した陳余とか酷過ぎるわ
警戒しなきゃいけない相手に腹心夏説を瞬殺されてなお軽視するとか頭か心の病気だったとしか思えない

183
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/28 06:30:50  ID:+syOwF7f0.n(4)
>175
奪い取ったって表現は行き過ぎかもしれんが「漢輒使人收其精兵」だから劉邦が人を遣わし
韓信が魏豹討伐に連れ来た兵や魏・代の降兵の中から精兵を召し上げたんだろう
あと10月の井陘の戦い直後も「發兵詣漢」とあるから修武で奪い取られる前にも
韓信が趙の兵を動員して漢に送り滎陽再侵攻に間に合わせたと思われる

>178
>項羽本紀だと京・索の戦いの際の主格は「項王」じゃなくて「楚」を使ってるから
>親征の可能性低いんじゃねーかな

項羽本人がいたのと「楚」と言う言葉を使うことは何も矛盾しないと思うが
彭城の戦いだとその場に劉邦がいても「大破漢軍。漢軍皆走」垓下でも戦闘が始まると「楚兵不利」のように表記される場合もあるし
その後の文で「項王は彭城を救うと漢王を追って滎陽に至ったので(項王之救彭城,追漢王至滎陽)」と項羽の名は出てくる
(項羽が彭城を救ったのは亰・索の前だから時間軸でこの戦いの後の話をしてるわけでもあるまい)

むしろ項羽本人じゃないならその時の楚将の名前くらい出てきてもおかしくないくらいかも
項羽が不在だったり別将を差し向けたりする場合は代わりに戦った将の名(?)が出てくることは多い
(鉅鹿の戦いの先遣隊や漳南では蒲将軍や黥布。黥布討伐には項声・龍且。彭越には蕭公角や薛公・項声
成皋の留守を守ったのが曹咎で滎陽が鍾離眜といった具合に)
しかし再結集した漢の主力相手に攻め込み戦いを仕掛けた大事なところなのにそんな将の名は出てこない
この時期滎陽で名前が出るは項羽くらい
コメント2件

184
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/28 07:46:14  ID:52b7wpS/0.n(4)
>183
名前の出てこない楚将は存在する
韓信・張耳が趙を平定している時に趙に攻撃した楚将がいるが名前も軍の規模も不明
これを項羽と言い張ることも可能

名前出てきても蒲将軍みたいに誰やねんな奴もおるし
コメント2件

185
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/28 10:56:14  ID:+syOwF7f0.n(4)
>184
多いってだけでもちろん全てとは言っていない
ただそのケースは「楚數使奇兵渡河擊趙」だから
ちょくちょく奇兵を派遣したくらいの意味で項羽自らとかは考えにくいが
それに漢主力相手の楚漢激突第2ラウンドともいうべき亰・索と違い
こっちは趙に本格侵攻して韓信・張耳を討とうというものではなく
嫌がらせか時間稼ぎ目的のゲリラ戦っぽいし作戦としてのスケールは大したことないんじゃないかな

186
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/28 16:48:02  ID:llZHO2aW0.n(6)
陳余は若い頃趙に遊学するとともに儒術を修め
張耳に仕えること親のようにして刎頸の交わりまで結んでいた

でも張耳と喧嘩別れした後は斉の田栄と結んで義帝の諸侯封建体制に公然と反旗を翻し
勝手に趙・代の地に趙王を立てて独立割拠を図った
やがて劉邦が東進してくると張耳殺害を条件にこれと結び
劉邦が敗れ張耳が漢で健在なことを知ると漢に背いて項羽と講和

張耳との仲違いを抜きにしても陳余の外交方針って支離滅裂過ぎる
同盟相手をコロコロ変えて信義も何もあったもんじゃない
案外趙国内でも反対勢力が結構いたんじゃないのかな?

187
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/28 16:59:52  ID:pThoF/w40.n(2)
元祖刎頸コンビはぜんぜんブレないのにな

188
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/28 17:03:48  ID:llZHO2aW0.n(6)
斉の田栄と趙の陳余と梁の彭越の反楚同盟が項羽にとっては当初の主敵だったように思われる
張良に指摘されて項羽自身も劉邦よりも彼らの脅威の方が大きいと思ってたみたいだし

逆に言うと項羽自身は劉邦とは決定的な対立はしたくないと考えていた可能性もあるのでは
各諸侯を見渡してみても功績や能力で項羽に比肩するのは劉邦しかいなかったわけで
三秦を餌に妥協できるんなら安いものとでも思っていたのかも

189
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/28 18:29:39  ID:llZHO2aW0.n(6)
漢と斉・趙・梁同盟に囲まれた項羽は地味に詰んでいると思う
そんでもって彭城制圧されておしまい・・・・
にならなかったのが戦争の恐いところ

強いて言うなら成都陥落後に姜維が何事もなかったかのように鍾會・鄧艾軍を殲滅して元気に北伐を再開する感じか

190
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/08/29 12:27:26  ID:XQ2FXAGZ0.n(2)
       【311】  「致死量の放射能を放出しました」東電の小森常務は、こう発言したあと泣き崩れた。  【318】


福島で続く鳥の大量死 

2015/12/23 福島県でカラス75羽の死骸!鳥インフルは陰性反応! ネットでは放射能を指摘する声も・・・
2016/ 8/17 福島・鏡石でカラス48羽死ぬ 鳥インフルは陰性
2016/ 8/18 スズメ250羽死ぬ、鳥インフル陰性


2016年
6月25日 スピリチュアルTVテディ小泉(52、埼玉)さん、脳梗塞で死去。
7月21日 ケニアに帰国したジョハナ・マイナ(25)選手が急逝。2仙台国際ハーフマラソンで3度優勝
8月 3日 写真家の宮本敬文(50)さん  脳出血で死去、SMAP写真集など手がける


マイト レーヤは原発の閉鎖を助言されます。
マイト レーヤによれば、放射能は自然界の要素を妨害し、飛行機など原子のパターンが妨害されると墜落します。
マイト レーヤの唇からますます厳しい警告と重みが発せられることを覚悟しなさい。彼はいかなる人間よりもその危険をよくご存じです。

日本の福島では多くの子どもたちが癌をもたらす量の放射能を内部被ばくしています。
健康上のリスクは福島に近づくほど、高まります。福島県民は発電所が閉鎖されれば1年か2年で戻って来られるでしょう。
日本の近海から採れた食料を食べることは、それほど安全ではありません。汚染されたかもしれない食料品は廃棄すべきです。
問題は、多くの人々が核の汚染の影響で死んでいるのに、日本政府が、原子力産業を終わらせるおそれのあることを何も認めようとしないことです。

注意欠陥障害(ADD)多動性障害(ADHD)、慢性疲労、あらゆる種類の癌の増大、呼吸そのものが脅かされています。
世界中で病気、主に皮膚、心臓、肺に関する病気の発生率が上昇し、ずっと昔に征服された病気が復活しはじめています。
汚染による死者の数は、他のいかなる原因よりも多いです。河川の汚染は社会に対する犯罪と見られなければなりません。
免疫システムの崩壊の結果がアレルギーです。人々は肺炎やインフルエンザやHIV/エイズなどに抵抗できなくなっています。
認知症の過程は放射能汚染によって加速します。増加するアルツハイマー病の原因となっており、より若い人々に起こっています。

191
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/30 14:27:32  ID:OJTc3XTl0.n(2)
項羽が若い頃学んで大成することができなかった「書」というのは『書経』のことでいいのかな?
そうなってくると没落士族で亡命中ではあったけどそれなりに学問できる環境にあったということなのだろうか
項梁って結構博学だったのかも

それにしても秦から逃げ延びつつ学問や兵法を修めるって割りと離れ業のようにも思えるのだが
お尋ね者だった張耳や陳餘も逃げ延びているから案外捜索はザルだったのかな?
コメント2件

192
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/30 14:42:16  ID:LKeDWwwY0.n(2)
写真どころか紙もない時代だからね

193
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/30 15:11:19  ID:3rbexVUQ0.n(2)
>191
まあ本人の顔知ってる奴に捜索させんとな

194
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/30 15:25:04  ID:X5deo7kj0.n(2)
項梁は殺人罪まで犯して逃亡してた割には呉中で葬儀とか仕切ったり、兵法の講義したり、客を養ったり、
賢士大夫と交流したりと、いくら何でも活動が大胆不敵すぎるだろう
これを検挙できない秦の警察機構はかなりウンコ

……とも思ったけど天下統一した後に間を置くことなく秦の法律を全国に普及徹底させるなんて無理ゲーではあるな
コメント2件

195
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/30 20:14:31  ID:DvPSBWl+0.n(4)
范増の劉邦を粛清しろという提言は長期的には正しいような気もするけど
短期的には楚の旗印のもとに集まった諸将たちの反乱を誘発しかねない危険な選択肢だったと思う
それこそ劉邦が行った粛清以上の反発を引き起こした可能性すらある(当然ではあるがデメリットが大きい分メリットも大きい)

范増の方が項羽より血の気が多そう

196
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/30 20:50:51  ID:DvPSBWl+0.n(4)
項羽が怒り狂ってたのって秦相手の時がほとんどだと思う
鴻門の会もただ単に子嬰とか殺したくて劉邦に秦の王族やら都城やら全部引き渡せーっ!とキレてただけのような
三秦のズッコケ三人組を見離したのも秦の関係者への憎悪>劉邦の反乱という認識だったからかもしれない

197
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/30 23:53:41  ID:iUpDhABx0.n(2)
劉邦約束通り関中の王にしてたらどうなったんかね

198
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/31 00:17:22  ID:AspzHqwm0.n(4)
関中を制する者が天下を制すると誰もが思うだろう。

199
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/31 08:10:22  ID:ho4q4Jii0.n(4)
項羽は秦を心底憎んでいるから関中の王なんて全く興味なかったと思う

むしろ豊沛出身なのに根なし草になってでも関中割拠を志向した劉邦軍団の方が異質
確かに周や秦の揺籃の地であったわけだから本拠地とするには有利だったと思うけど
それでも余所者の劉邦たちがすんなり受け入れられる情勢だったとも思えないんだよねえ
秦の人士たちの方が戦争や苛政に倦み疲れてたから解放者として劉邦を受け入れることができたのだろうか
コメント2件

200
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/31 11:09:13  ID:AspzHqwm0.n(4)
そこが蕭何の腕の見せどころだったわけだ。

201
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/31 11:34:33  ID:ho4q4Jii0.n(4)
彭城の敗戦後に関中地域は大飢饉が発生しているけどそれでも根こそぎ動員を敢行してなおかつ政権が揺るがないという神統治、それが蕭何

202
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/31 12:51:39  ID:AeJqW6I50.n(2)
蕭何  〜家康がもっとも恐れた男〜

203
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/31 13:10:34  ID:6ofZ2NZD0.n(2)
関中って叛秦戦争じゃ殆ど戦場になっていないし、秦王・政の時代に鄭国の治水事業で
生産力も拡大してたろうから、戦後に中原に向けて兵馬を進めるにあたっての地盤として
適切ではあったろうとは思う
それに二世皇帝の時代の宮殿や陵墓の造営に酷使された民衆の恨みはそれこそ全土に
溢れてたろうし、咸陽で禽獣等を飼育するために穀物を収奪して半径三百里の人間は
穀物が食べられなくなったなんて無茶な事もやらかしてるんで、秦の根拠地であっても
秦の統治を特に懐かしむ人間なんて寡少だったんじゃないのかね
漢代以降により大仰に喧伝されたりもしたかもしれんが、劉邦の法三章が歓迎された
なんて話もあるにはあるし

204
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/31 17:45:29  ID:r45dR/LJ0.n(2)
>199
元々沛辺りが楚のハズレというか
楚に滅ぼされた国だから(宋?)楚に忠誠心無さそう

205
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/02 06:43:55  ID:P9b6YIUE0.n(2)
>194
それ言ったら陳餘と張耳なんか、秦のお尋ね者になったとき、自分たちの捜索に参加したろw

206
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/04 21:17:18  ID:bBIlOopA0.n(2)
真田丸で韓信の話題が出てクスッとした

韓信ってホントdisられやすいよな

207
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/04 21:32:27  ID:F6Hsg2+10.n(2)
韓信に関する第一級史料からしてdisりに来てるからなあ
コメント2件

208
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/04 22:29:46  ID:QsvsoLWT0.n(2)
わしに言わせりゃ韓信は馬鹿だ!

209
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/04 22:48:59  ID:26pbSKNo0.n(2)
               ,  ‐ ´  ̄ ̄ `ヽ、
              /     、    、 \
              ,.'./  .:/ ;小:.. ヽ:. :\:.:.ヽ
    .        //:.:.:.:/.:./:. ./ i ヾ:.:.丶:. ...ヾ:ー'、
           //,':.:... :.:厶:./- ヽ 弋:.‐\:.:.:. 丶:\      私の歴史認識に文句あるの?
             ! |:l:j:.:.:´/ ィ天t、   ィ天女、-、:.. ヘ、:.ヽ
             ! | :.!.:.:.:ハ´ち;;;j    ち;;;;j !K }ヽ:.、.! ヽ!
             ヽヾj:.ノ小 `::::.   '  ::::´ ハイ: |`リ  ノ    
           、_ノイ:..:.:リ;:ゝ-‐っ ー-   イ:.l::|:. i |
          /´/:.:/ ‐<>.、 _., .イ_.l:.:l::|:. i |
         /_/∠ ァ┐l !ノーソノl  ̄ ヽ、」::|:. .:i:ハ
       , ./´   `∨イしリ  / ハ  / ヽ ̄`ヽハ
      / |====、∧/  >‐/{ヽ‐‐<   l    l ヽ  r/7-、_
    , '   /     / /   7〃 {{ヾ〉\   |/ ̄ |  厂し' / /┐
    .   /     / /  /   {{.   \  |    | ,/=(_/_/_,人
       |     / / イ    o. {{       \|    l/     'ヾ、/

【司馬遷】

210
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/04 23:39:46  ID:XlycuJcb0.n(2)
漢にしちゃ功臣でもあるが裏切り者(粛清対象?)でもあるからなあ

ショウカでさえ疑われまくったくらいだしな

その点 張良はほんとうまいこと退いたよなぁ
コメント2件

211
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/05 00:09:01  ID:bDaHmkAH0.n(2)
張良の、一切疑われた形跡のない回避っぷり何なんだろうな
一応、疑われないように努力した形跡は残ってるけどさ
コメント4件

212
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/05 01:32:32  ID:oh+MghQ00.n(2)
しかし仙人を目指すとか言っても張良なら「そうか」と思うけど
他の功臣だったら「はぁ?」って感じではあるな
なんか裏があるか発狂したかと思われるだけだろう
日頃の言動も大事だ
コメント2件

213
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/05 17:45:48  ID:mvikz5rS0.n(2)
>207
劉邦「司馬遷から一番DISられてんのオレなんだけど。」

214
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/05 18:24:37  ID:XvBA/66Y0.n(2)
>211
劉邦にハッキリと警戒されていた陳平の方が余程に旨く立ち回っていたと思うがな

215
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/05 20:08:31  ID:vKq7oMac0.n(2)
処世術はいつの世も大切なんだってことだよな
現代で仙人になるなんて言ったらさすがにヤバイだろうけど・・・
コメント2件

216
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/05 21:24:53  ID:dRlkRnFl0.n(2)
張良も橋から草鞋落としては拾ってこさせたりしたのかな
コメント2件

217
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/05 21:46:45  ID:tQcQQ+RO0.n(2)
>216

黄石公ね、あれは、引退した尉繚ではないかという安納芋先生の説。

218
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/05 22:19:43  ID:+hnqscqp0.n(2)
>215
現代は平穏に暮らしたくてもTwitter(笑)やLINE(笑)があるから

219
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/06 19:11:01  ID:gi1rxfwn0.n(2)
江戸時代位までの日本だったら家捨ててひとり出家して山奥の庵に隠遁、
みたいな印象に近いのかな仙人化
現代ならスピリチュアル方面の趣味に生きます〜とか

220
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/11 10:47:44  ID:9ECI585v0.n(2)
「列仙傳」や「神仙傳」見ると、
皇帝の前で仙術を披露しちゃうやつは自己顕示欲が強い俗物にしか見えないがw

ほかにも、李八百とかもうねw性格悪いだろおまえw

221
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/11 19:27:42  ID:zSh+SvoQ0.n(2)
高僧伝にも皇帝の前で手品披露してる坊さんの記述があるで

222
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/18 19:00:27  ID:v6vJHhq90.n(2)
韓信が劉邦に殺されたのは政治力のない韓信のせい。
李牧や岳飛が殺されたのは君主が無能なせい。
これ、不公平じゃない?
コメント4件

223
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/18 20:52:17  ID:Ck2oDdjo0.n(2)
なんで?

224
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/18 21:12:50  ID:C4MkdHcg0.n(2)
>222
韓信は劉邦の帝国を安定させるために元勲達を誅する方針で殺された。
これを積極的に回避しなかったのが韓信の政治力が無いということ。
李牧は無能な君主が秦の離間策にはまったせいで殺された。

一緒にはできない。

225
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/18 22:57:42  ID:rd2hlkKU0.n(2)
三傑の他の二人(蕭何、張良)は保身に成功しているのに一人だけ謀反企てて誅殺という最期なのは印象悪い
彭越も疑われる行為に出た割には弁明のタイミング逃したりしてるし
粛清組で増長してなかったヤツっていたかな

226
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/18 23:46:03  ID:+/yUxfzd0.n(2)
動乱から守成への転換期に粛清は付き物だと
韓信自身知っていたのに災いを避けられなかったと
格下げされた時に嘆いてるじゃん

対して動乱期真っ只中に軍の要を粛清するなんてのは無能と言われても仕方ない
岳飛とか檀道済あたりならまだ言い分もあるだろうが
李牧・斛律光・袁崇煥とかを粛清したのは無能無能アンド無能ですわ
コメント2件

227
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/19 00:33:14  ID:u83NJZQ30.n(2)
李左車とかどうなったんだろう?
漢成立後も韓信陣営にいたんだろうか?

何気にこの人 李牧の孫なんだよね

228
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/19 01:17:05  ID:WnkKE/AB0.n(2)
新唐書のガバガバ系図を採用するのは少し躊躇する

229
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/19 02:45:25  ID:jco6ZHBw0.n(2)
>226
この三人って事実上の生命維持装置みたいな存在だもんね

230
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/09/24 20:05:02  ID:lKi2Dowo0.n(2)
韓信はいなくとも、曹参、周勃、灌嬰が健在なら軍は抑えられる。

231
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/24 20:48:53  ID:LzRKFd2f0.n(4)
そういや、某所で章邯に邯鄲を包囲されてる時に
宋義が総大将でも秦を追い詰めることができた
(≒項羽がクーデター起こしたことをキョ鹿の大勝利で弁護できない)

というのを見かけたけど、どう思う?
コメント2件

232
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/24 21:12:08  ID:0pxdKWQ10.n(2)
>231
宋義がどうやって王離と章邯に勝つのかまったくイメージが湧かん
外交とか合従主体の戦い方だと絶対に各個撃破されるわ
そもそも合従が機能しないくらい諸侯軍が戦意喪失してたのに

河北スルーして秦本国でも目指すの?
コメント2件

233
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/24 21:38:42  ID:LzRKFd2f0.n(4)
>232
ちら見した程度で、俺もよく分かってないんだが

・宋義は楚斉同盟を締結していたので、史実の項羽よりも大軍になる公算高い
・邯鄲が陥落しても楚・斉にはダメージなし、秦はより疲弊してる可能性大
・宋義が章邯に勝てなくても最低限膠着さえすれば、劉邦が関中まで進軍できる

みたいな感じで、項羽って余計なことしたんじゃね? って感じだった
コメント2件

234
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/24 23:09:27  ID:LQS9TNsK0.n(2)
項羽は劉邦より先に関中に入りたいんだからそれじゃ我慢できないだろ。

235
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/25 12:30:58  ID:TI0PggUf0.n(2)
宋義が秦本隊引きつけて劉邦が関中狙うって元々そういう戦略だったんじゃねえの
項羽がグチャグチャにかき回してくれたけど
進行ルート見ると趙救援したらどう考えても劉邦のが先に入るに決まってるし

236
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/09/25 14:23:29  ID:WWjsQnZ+0.n(2)
項羽は必ず勝てると踏んで鉅鹿を救援したはず。
戦術モデルとしては教科書通りのステップを踏めば数の多寡をひっくり返せる事案。

鉅鹿包囲のために分散した敵、他方面作戦を強いられる敵、戦力の集中ができる楚軍。
「実は俺有利なんじゃね?」項羽がこう思ってもおかしくない。
コメント2件

237
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/27 18:43:16  ID:fBxW6C8/0.n(4)
>233
反秦の連中数は多かったけど章邯にボコられまくってたじゃん
その上宋義、劉邦で王離に勝てるとは到底考えられない

238
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/27 19:01:57  ID:fBxW6C8/0.n(4)
>236
章邯がせっせと王離に対して補給してた甬道を分断して勝利したわけだけど
気づけば誰でも分かるような勝ち方でも当時の誰もが実行できなかった

宋義の持久戦方針なんてマジでジリ貧だわ
河南や趙魏を恢復した秦軍に斉や楚の凡将が勝てるかよ
それで勝てなかったから秦に統一されたんだろ

239
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/27 21:04:40  ID:LHeP8PDT0.n(2)
確か王離軍の兵隊は対匈奴最前線から引っばってきたんだっけ
コメント2件

240
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/28 17:52:55  ID:7mHjpQVTO.n(4)
>239
そもそも王離の軍こそ正規軍で、章邯の軍は役徒の群
史料からはおそらく王離は30万、章邯は20万で都合50万
対して楚軍は先鋒の英布らが2万から推測して全軍でもいいとこ10万だろうな

241
CoPiPe931 (ワッチョイ)[CoPiPe931]   投稿日:2016/09/28 18:03:27  ID:CoPiPe931.n(8)
+から逃げてきましたコピペまちーんです。ブロックされまちたー!キャッキャ! Ticket #:2e9605b3d4012e51-NRT

242
CoPiPe931 (ワッチョイ)[CoPiPe931]   投稿日:2016/09/28 18:08:28  ID:CoPiPe931.n(8)
+から逃げてきましたコピペまちーんです。ブロックされまちたー!キャッキャ! Ticket #:2e960d09d1ea133b-NRT

243
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/28 18:30:14  ID:65xUSWXo0.n(4)
兵站では秦の方がハードでもソフトでも実績でもはるかに優越していたわけだから
項羽の驍勇抜きで斉楚に勝ち目があったとは到底考えられない

244
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/28 19:04:35  ID:7mHjpQVTO.n(4)
宋義は趙と秦の対陣を傍観し、趙が潰されても疲弊した秦であれば
与しやすいと主張していたが、項羽・范増の言う様に戦勝で意気があがれば
ますます秦軍が強大になるというのは道理
趙が如何に窮境にあったか、章邯の支援する兵站が万全であったかまでの全容を
どこまで掴んでいたかは明らかではないが、傍観している間に肝心の楚軍の
鋭気が萎んでいるわけで、都合よく宋義の読みどおりになんて事が運ぶとは
到底思えないな

ここばかりは項羽と楚兵の異様な奮闘がなければけして勝ててはいないだろう
ここってまさしく巧遅より拙速だというか
コメント2件

245
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/28 19:07:09  ID:65xUSWXo0.n(4)
>244
章邯が甬道をがっつり築いて護衛まで完備してからじゃもう王離軍に勝つ方法なんて見当たらないからな

246
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/28 19:40:36  ID:F6SbZc8H0.n(2)
そりゃ項羽でなくても「テメーがチンタラやってる間に秦軍はどんどん強くなってんだよ!ぶっ殺すぞ!」ってなるわな

247
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/28 19:47:03  ID:YnZTKcRB0.n(2)
趙高が秦の国力ボロッボロに削いでたから人材も軍需品もろくに届かなかったんじゃないの?

248
CoPiPe931 (ワッチョイ)[CoPiPe931]   投稿日:2016/09/28 19:53:22  ID:CoPiPe931.n(8)
+から逃げてきましたコピペまちーんです。ブロックされまちたー!キャッキャ! Ticket #:2e96a6b350eb0b2c-NRT

249
CoPiPe931 (ワッチョイ)[CoPiPe931]   投稿日:2016/09/29 09:59:09  ID:CoPiPe931.n(8)
+から逃げてきましたコピペまちーんです。ブロックされまちたー!キャッキャ! Ticket #:2e9b7da3813f1329-NRT

250
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/29 15:01:34  ID:eEDMpCYY0.n(4)
>138
あんたと酒飲みながら戦国話したいわ

251
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/29 15:11:35  ID:eEDMpCYY0.n(4)
>210
>211
>212

他の配下たちと根本的な勝利条件が違ったからな。

他の配下たちは
自分を重用してもらうこと。高い地位に付く事

張良は
秦をつぶすこと。項羽をつぶすこと。

2つとも叶ったからもういいやと退いたのかなと。


というよりもはや、垓下の戦いの際に
優秀な陳平と韓信が項羽を攻め切れなくて頭抱えてたとこを
張良がさらっと、心を折ればええやん、と
四面楚歌案を出した時に、項羽だけでなく劉邦すらも
張良の筋書き通りに手のひらの上で踊ってるようにしか思えなくなって怖くなったわ。

252
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/29 15:47:52  ID:48VIIKOz0.n(2)
四面楚歌が誰の策なのかは不明だけどな。
張良かも知れないし、そうではないかも知れない。

253
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/29 21:03:15  ID:bBpq/lP00.n(2)
張良はなんだかんだで「韓の臣」を貫いたのかもな
秦への恨みも項羽への恨みも韓絡みだしね

劉邦もなんだかんだで張良のことを信用して懐に抱えつつも、
「客分」「先生」として捉えてたのかもね
コメント2件

254
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/29 21:52:12  ID:iu0GmNWc0.n(2)
↓地形と勢力図から見た妄想

章邯の甬道は補給に関してはメリットだが、同時に欠点をさらけ出した。
つまり「そこを絶たれるとおしまい」ということ。
補給を最小限の工数で行うためには、兵や物資が今どこを通っているかわからないようにすれば、
移動中の部隊を襲われるリスクが減るから護衛の兵は不要になる、章邯の目論見はこれ。

鉅鹿の周囲の地形は、黄河の支流が網の目のように走り、河岸段丘の高低差も大きい。
兵隊も甬道以外を移動するにはボトルネックが多すぎる。

章邯は後詰の兵を抱えて後方にいたわけだが、主力は歩兵だ。
歩兵は、陣形を整えて集団戦を行わないと野戦では強みを発揮できない。
足の遅い歩兵の大軍を、展開場所までどう持ってゆくか?
甬道を絶たれれば陣形を整える前に、移動中の歩兵は英布の騎兵に各個撃破されて終了する。

前線が城塞の包囲という点も秦軍には不利で、包囲のために広く薄く布陣しなければならない。
鉅鹿の包囲の輪に、楚軍が南からくさびを入れそこから広げるように薄い包囲陣を各個撃破すればいいだけ。
章邯と前線の間には英布、北は諸国の援軍、城壁の中には趙軍。
そして南からは楚軍が現れた、章邯からの連絡は絶たれて応援は来ない。

王離「包囲されてんの俺たちじゃね??」

それらを気にしながら楚軍と戦う困難さよw

敵を前にして、軍の左右での連携は取りやすいが、前後での連携は取りにくい、
鉅鹿から出てくる敵には完璧な包囲網も、90度向きを変えた方向からの攻撃には脆弱となり、
包囲にくさびを打ち込んだ楚軍は、そこから城壁右回り部隊と左回り部隊で半周ずつすれば終了。

秦軍は楚軍に対して、左右が薄く前後がつかえた状態で戦い、楚軍はそれを左右が広い横隊で受ける、
細長い縦隊の先頭に狙いを定めて、楚軍横一列でみんなで射掛ける、海軍でやる丁字戦法になるわけだ。

255
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/29 22:38:49  ID:ikihNTxW0.n(2)
趙の援軍の一部を蹴散らし殲滅できるくらいには王離軍は援軍対策の処置は講じていた模様

256
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/29 22:59:53  ID:ti92ICrSO.n(2)
>253
でもそれなら何でレキ食基の六国王復活策に反対したり、韓王信が追われたときに漢と戦わなかったりしたんだろう

257
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/29 23:07:33  ID:HlTtN9dW0.n(2)
韓王成と韓王信じゃ、立場全然違わなくね?
韓王成がれっきとした王族なのに対して、韓王信って先祖に韓襄王がいるだけで
韓の王族というよりは、劉邦軍の将軍として立身出世した類で、割りと平民だぞ

韓王成の韓王国に参与してない上に、劉邦したがって漢中まで付き従った組やし

258
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/30 00:21:21  ID:fZ4GyTGT0.n(2)
>222
韓信は国家が統一という事業を成し遂げ終えて、さあ功臣粛清だという段階なのにうまくやれなかったから韓信のせい
李牧や岳飛はまだ強い敵が存在していて君主は大いにその才能を使うべき時なのに殺して敵を利したから君主無能

259
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/30 16:57:58  ID:QsfqhZx90.n(2)
韓信は劉邦が居なかったら天下人になれたかしら?
蕭荷も韓信を支持してトップに押し上げただろうし
コメント2件

260
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/30 17:18:26  ID:4SRd8iAS0.n(2)
>259
絶対になれない

地元での名声が皆無どころかマイナスということで
豊沛で顔が知られてた劉邦みたいな半ヤクザ公務員(食客のキャリアあり)みたいな立身は不可能
とにかく人望や徳が無さすぎた

劉邦から指揮権とか徴発権とかを分任されていたから多くの人々がその指揮下に入っていたけど
楚王の座から簡単に転げ落ちたことからも分かる通り腹心とか韓信のために死ねる人間が少なすぎるんだよ
(この点では趙の張敖と比較してみれば韓信の足元の脆弱さがよく分かる)
雇われ将軍としてはこの上ない人材だが群雄には絶対になってはいけないタイプ

261
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/30 17:37:07  ID:+GMCCQLd0.n(2)
2度同じやり方で兵権取られて
これまた2度同じやり方で虜にされて殺された
武勲に比べてかなりスキの多い人物だと思うから劉邦がいなくても中途で消える気がする

262
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/30 18:32:24  ID:gj5KRoVQ0.n(2)
何しろ股夫エピソードが韓信最大のネックだったよなあ
そんな噂が至る所に広まってしまったら立身出世の足枷にしかならんだろうに

263
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/01 07:34:41  ID:GWr/4HWB0.n(2)
地位や名誉は結果としてついてくるものであって、それを得ること目的とするものではない。
韓信は、若いころのコンプレックスが悪いほうに作用して、それを目的にしてしまった。
それがそもそも不幸の始まり。

才能だけあって徳がないのは分別が付かない子供に鋭利な刃物を持たせるようなもの。

264
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/01 08:28:24  ID:a1CH1Guz0.n(2)
韓信は張耳が趙王にしてもらったの羨ましく思っていたんだろうな
劉邦にしてみれば昔の雇用主だし趙の地で名を知られた人物だから趙王にはもってこいの人物だったんだろうけど

韓信が王を望んだというのは結構大それた話だったんじゃねーかな

265
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/01 19:27:48  ID:8AfKtK0Z0.n(2)
陳平は中国史では珍しい色男になるんですか?

266
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 03:36:40  ID:POy7UtVP0.n(2)
じゃあ韓信はどうしてりゃ良かったんだろうねぇ

もし韓信が自分から斉王を望まなかったとしても、
手柄に見合う褒賞といったら(他に王になっている家臣がいる以上)、王の位しかないだろうしなぁ

項羽打倒後、中央に残しておいて名誉職みたいな位に就けるか?
あるいは辺境の地に飛ばして蛮族討伐にあたらせるか
コメント4件

267
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 06:18:20  ID:O3r3+0jx0.n(2)
>266
秦の王翦はあれだけの大功建てながら王位なんて望んでなかったけど

劉邦にしてみれば出来れば義帝時代に封建された諸侯以外には王位なんて認めたくなかったと思う

268
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 09:51:08  ID:FqYQH/G20.n(4)
彭越は韓信の様な露骨な王様申請はしなかったよな
それでも処刑されちまった

韓信はどうやっても処刑されていたんじゃねーの?
コメント2件

269
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 09:58:11  ID:5qfLJue00.n(2)
韓信は、劉邦に従属していれば戦後に王になれた。

劉邦の弱みに付け込んで王位に就いたのがそもそもの判断ミス、
韓信にしてみればそこまでしても、すぐに王になりたかったのだろう。

目の前に大好きなエサがぶら下がっていると、我慢できずに食べてしまう犬、それが韓信。
コメント2件

270
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 10:07:00  ID:rF/KXa9g0.n(4)
>269
楚漢戦争終結後、新たに王に封じられたやつって盧綰以外にいたっけ?

韓信は君主として独立するだけの器量や徳望なかったんだから
無理して王を目指さなくて良かったと思うんだよな
将相の地位で満足しておけばねえ

271
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 10:13:55  ID:rF/KXa9g0.n(4)
>268
彭越の取った行動が一番アウトだと思うんだが

前年にはしっかり長安に参詣していながら
陳キの反乱鎮圧に際しては劉邦から要請されても出陣しなかったというのは
劉邦にしてみれば「もしかしてこいつも陳キに通じていやがるんじゃあるまいな?」と
疑惑の目を向けれても仕方ない行為
弁解のチャンスは何度もあったのに結局捕らえられるまで何もしなかった
実は黒だったじゃないか?
コメント2件

272
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 12:03:20  ID:FqYQH/G20.n(4)
>271
韓信みたいに部下達が独立を薦めていたのに彭越はそれにも乗らなかった
結局は庶民に貶められて勢力的な危険も無くなっていたのに呂后の諫言で処刑されてるんだぜ

野心まみれの英傑だらけの中で彭越はまだしも人格者だったと思うがな

273
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 16:14:26  ID:BFwj4/6P0.n(2)
みんな韓信大嫌いなんだね

自分のこととなるとからっきしな韓信 おれは好きだけどねえ
コメント4件

274
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 16:43:50  ID:z3JqzK6E0.n(2)
老獪でポーズとはいえ義理人情に厚い劉邦
天才的な軍才と秦打倒の情熱に燃える青年武将項羽

韓信はこの二人に比べるとどうしても見劣りするからねえ
かと言って劉邦に忠実に仕えたわけでもないから三傑から浮いちゃうし

275
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 17:09:25  ID:bVYRE0z90.n(2)
項羽と劉邦の中国ドラマって面白い?
Youtubeでチラッと見たけど
コメント2件

276
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 19:51:59  ID:hBVTL4Mj0.n(2)
>273
偉そうなこと言わなかったら不器用な生き方しかできない軍事の天才ということで好きになっていたかもしれないが
楚王になってからのドヤ顔エピソードとか受け付けないわ。

277
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 20:16:40  ID:W8Lsp+M+0.n(2)
韓信は古今の名将たちの兵法を研究していただろうけど
兵法だけでなく人生も学ぶべきだったな

278
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/03 05:53:44  ID:ShigKc0r0.n(2)
韓信はどうすれば天下人になれたんだろう?
コメント2件

279
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/03 07:21:06  ID:+/0QkTlD0.n(4)
>278
劉邦天下統一まで粛々と仕えて劉邦没後に速攻クーデター

ひたすら卑屈に仕えることが肝要
絶対に王位とかは望んじゃダメ

280
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/03 07:21:55  ID:+/0QkTlD0.n(4)
まあこの方法だと天下は一瞬取れるかもしれないけど長期的な統治は不可能だろうね

281
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/03 08:47:43  ID:S68GR/ZD0.n(2)
天下獲ろうって野心がそもそもなさそうだからな

韓信の嫁とか子供って全然話を聞かないな
李左車もいつの間にか腹心の列から消えてるし
斉王・楚王時代の韓信軍団って謎が多い

282
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/03 12:57:26  ID:JfBomqRJ0.n(2)
横山漫画では韓信は頭良いキャラクター扱いだったな
張良が韓信を騙して出頭させるのに一計を案じなくてはならないシーンがあった
コメント2件

283
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/03 16:55:40  ID:MYTES2o50.n(2)
戦以外のことなると先の見通し大して考えてそうにないイメージあるな韓信は
斉王任命で張良が行った際に処世について忠告でもされてりゃ良かったかも知れんが
張良もまたあの状況でそういう事はあまり面と向かっては言いそうになさげ

284
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/03 19:00:26  ID:9J/Kr4IV0.n(2)
功臣より先に粛清すべき奴がいるのにな。
結果論だけど。

韓信と義経は似てるってことでいいの?

285
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/03 19:02:23  ID:k/VoVSLo0.n(2)
中国ドラマでの韓信はどんな感じに描かれているやら

286
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/03 22:12:08  ID:qOjmh13b0.n(2)
>282横山光輝の漫画でも「項羽と劉邦」と「史記」で韓信の書き方が違ってたな
前者は典型的な頭のキレる天才キャラって書き方だったのに対して
後者は名将としての素質がある以外、凡人みたいな顔と性格だった

287
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/04 14:35:41  ID:y/HHM/wM0.n(2)
本屋に新作の項羽と劉邦のビジュアル本があったけど初心者には買いですか?
項羽と劉邦 徹底比較 (別冊宝島 2482)

288
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/04 16:31:16  ID:VCB30+Aj0.n(2)
初心者ならいいかもね
個人的には横山漫画を薦めたいな
本宮ひろしの赤龍王なんかも更に分かりやすくていいかな

289
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 00:32:49  ID:POZQTXKO0.n(4)
韓信が生き残るには張良を見習って王位なんていらないと言って他者との交流を断つしかなかっただろうね

290
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 00:40:56  ID:POZQTXKO0.n(4)
淮陰侯になったあとに樊?に会ったら樊?が平伏して大王と呼ぶくらいだから、劉邦を含めて漢の全員から恐れられていたんだろう
そんな状態ではよほどうまく立ち回らなければ目をつけられるのにコミュ障の韓信には無理

291
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 00:43:43  ID:br+S/EJL0.n(2)
韓信はあくまで劉邦の下で王として仕えたかったってこと?諸侯の一人として

292
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 01:32:29  ID:tDaKlJQj0.n(2)
もし劉邦が光武帝のように粛清を行わない人物だったなら最後まで仕えきった可能性はあると思う
というのも韓信の去就を決定づけてるのって、いわゆる承認欲求だと思うんだよね
つまりは自己実現に他者を必要とする人間であって、彼が斉王は望んでも天下は望まなかったのも根本的にはその辺りが理由なんじゃないだろうか
たぶん韓信は丁重に扱ってやれば満足して一生を終える程度の人物

293
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 05:32:56  ID:/v0YW6eA0.n(2)
韓信の股くぐり事件が無かったらもっと早く出世していたかしら?

294
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 14:40:50  ID:6xEpnIN50.n(2)
最初に項羽の陣営を選んだ時点で無理じゃね

295
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 16:08:46  ID:cHGks3n00.n(2)
三傑の他二人と違って戦のみに特化してるような才能だし
ハンカイみたいに劉邦と古馴染み同郷な身の上でもない
よくて韓王信みたいに国境警備で対匈奴の要的役割だったかもな
もし韓信が漢帝国で人生全うできる道があったとしたらのひとつの仮定として
ただそれもあいつそのうち敵に寝返るんじゃね?とか疑い持たれなければの話

296
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 16:16:13  ID:UxsCMbHT0.n(2)
しかし韓信無しでは劉邦が天下人になれなかったのも事実ではないか
彭越や英布だけで項羽に勝てたかしら

297
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 17:30:28  ID:jY7ePO0f0.n(2)
そもそも韓信健在なら白登山の大敗もなかったんじゃ

298
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 19:41:15  ID:StXnmyOW0.n(2)
家康がもっとも恐れた男 韓信

299
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 19:50:51  ID:u/mlsfPbO.n(2)
韓信って行政の手腕も確かだけどな
政略や根回しがダメなんであって
コメント4件

300
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 20:10:11  ID:AfZmqU0B0.n(2)
>299
強引に徴発してたようにしか見えないんだが
軍国主義の権化

301
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 23:42:19  ID:rC9KPAVC0.n(2)
>299
そこらへん苦手だから李左車組み込んだんじゃね

302
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/06 00:44:28  ID:xue8HfrT0.n(2)
たしかに李左車の献言はあったが、短期間で降した代・燕・斉で一切叛乱もなく
静謐そのものなんよな
占領直後に徴発やら使役やらで苛政なんかやらかせば直ぐに叛乱起こるのも
珍しくないし、韓信も強引に軍事力で抑圧したふうでもないし

占領行政ってけっこう微妙で、名将でもしくじると戦果も何も無になりかねんしね
百年前に斉は燕をほぼ占領してもやり方がまずくて維持できなかったり、
秦は占領地の住民を他所に移して自国の人間や官吏を送り込んだりを繰り返したけど
根付くまでに時間かかったみたいだし

303
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/10/06 02:58:40  ID:27LcBzmt0.n(2)
韓信は漢軍にきて将になった経緯から考えると、自分の情報収集や工作のための手足になる組織を持っていない。
組織を抱えているなら身一つで逃げ出すことなどできないだろう、それとも韓信ならやるか?

張良は、推定千人規模の自分の組織を持っていて劉邦の傘下に入った。
同時に合流した灌嬰だって、規模は定かでないが間違いなく仲間を引き連れていたはず。
陳平は身一つで漢軍に来たが、様々な工作を可能にする人脈を持っていた。

組織を持たない韓信は、蕭何や張良に用立ててもらったインターフェースを通して、情報収集や指揮をしたはず。
用兵の頭脳だけは韓信だが、組織の運用や、どの情報を韓信に与えるかは用立てた側が管理できたのではないか?

実際の兵の現場の指揮は、主将の灌嬰や曹参だし、情報網も漢側が握っていれば、
それらを引き上げれば韓信の戦力は当分の間は低迷させることできる。

斉王になった後それらが漢側に戻ってしまい、以後、韓信のバカな部分があらわになったように感じる。

304
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/06 07:59:23  ID:w7Vw3BK20.n(2)
なるほど

305
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/06 23:49:28  ID:q65NXUctO.n(2)
・項羽に締め上げられて滅亡寸前の劉邦に、援軍を出すどころか北の王にしてくれなどと抜かす
・項羽との最終決戦にも当初訪れず、項羽の領地全てを譲ると約束してようやく駆けつける
・主命に反して旧友を一旦は匿い、そのくせ全てをなげうって助命嘆願する訳でもなくちょっと脅されたら結局は殺してしまう
・短い間でも世話になった恩人をわざわざ呼びつけて嫌味を言う
・背景に同情の余地はあれど、結局は陳キと共謀しようとしたのは事実

これだけでも「不義理で信用ならん奴」と見なされるのに十分過ぎる

306
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/07 23:04:21  ID:cxZpu26C0.n(2)
鍾離昧「一旦面倒見始めたら最後まで面倒見よ」
コメント2件

307
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/08 00:26:11  ID:/FwgDfg40.n(2)
>306

自決するまで面倒見ただろうが、何が不満なんだ?

308
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/08 09:22:34  ID:aC3omWIj0.n(2)
鍾離昧もよく韓信の元に行こうと思ったよなぁ
韓信なら匿ってくれるだろうって確信があったんだろうけども。

309
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/08 18:28:17  ID:IKJDyv6W0.n(2)
>266
劉邦に媚びて媚びて媚びまくる根回しだったかもな。

自ら参勤交代をちょくちょくやってくこと。

韓信の一番のミスは
自分の武器が、劉邦への脅威になってしまうことへの自覚の無さ。
コメント2件

310
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/08 18:54:50  ID:9MfD+Jdp0.n(2)
まず王にならなければ粛清の可能性はグッと減る
(劉邦が粛清したのは、呂氏関係者除けば異姓王と反乱起こした奴のみ)

あとは呂氏に深く関わらないように生きれば、何とか文帝の頃までは安泰だったかもしれな

311
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/08 19:41:04  ID:njTxoNuq0.n(2)
>309
問題は本当に斉は治めがたくそんな余裕なかった可能性も有ること
軍なかなか送れなかったの統治に苦戦は本当だったとか

312
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/08 19:56:43  ID:c6q37wXj0.n(2)
韓信と陳平が組んだら最強

313
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/08 21:08:52  ID:9uyCDAxT0.n(2)
ニートコンビだな
当時の周りの扱いが全然違ったけど

314
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/10/10 23:45:38  ID:qJS5T2WE0.n(2)
>273
king's warだったら 女性にはおすすめ
見れば間違いなく韓信のファンになる
合戦シーンの描写が物足りないので 
男性が見る場合はその点を妥協する必要がある
あとこれ重要 前半は 項羽と劉邦じゃなくて胡亥と趙高が主役

315
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/22 09:42:19  ID:T4iO183k0.n(2)
劉邦の年齢は、太平御覧皇王部十二だと崩御した時(BC195年)62歳。生年はBC256年

張良は、史記項羽本紀によると項伯より若く、話の文脈からおそらく劉邦より年上
父の平は韓桓恵王23年に亡くなり、20年後の韓滅亡時(BC230年)に
「良年少、未宦事韓。」と記される(史記留侯世家)

20代後半(最低でも27歳)の張良(祖父と父が宰相を務めるくらいの名家)が出仕できてないって
何らかの政争があった感がぷんぷんする

316
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/22 09:46:39  ID:kUlVbpKy0.n(2)
陳平は?

317
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/22 14:03:32  ID:HjA3+z06O.n(4)
礼記に遵うなら、むしろ30歳で出仕したって早いくらいだけどね
コメント2件

318
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/22 14:59:17  ID:3odBTvDr0.n(4)
>317
出仕年齢の基準みたいなのがあるの?
礼記のどこに書いてあるん?
コメント2件

319
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/22 15:05:54  ID:FVeFhC9m0.n(2)
俺が韓信なら天下取ってる

320
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/22 18:11:03  ID:HjA3+z06O.n(4)
>318
「曲礼・上」にある
貴族は30歳で嫁娶、40歳で出仕、という具合
コメント2件

321
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/22 18:27:05  ID:3odBTvDr0.n(4)
>320
読んでみるよ、ありがとう

322
名無しさん@お腹いっぱい。[age]   投稿日:2016/11/05 23:19:39  ID:h6qOi/Fu0.n(2)
>275
ずっと前にBS日テレか何かでやっていたな。
大漢風ってドラマで全50話って、おいそれ日本の大河ドラマじゃねえかよwってやつ。
すごい見ごたえあったよ。
レッドクリフで趙雲役の人が、項羽の役やっている。
それにこのドラマは劉邦の妻・呂稚(後の呂后)がいい味出しているんだよ。

オープニングテーマ曲も合っていていいね。

323
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/12 19:25:12  ID:pz4s61g40.n(4)
完全にフィーリングなんだけど
史記で従軍回数が一番多いのってもしかして劉邦?

324
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/12 20:22:52  ID:UvJGYjlu0.n(2)
従軍回数ってどう数えるんや(困惑)
コメント2件

325
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/12 20:25:41  ID:pz4s61g40.n(4)
>324
項梁・義帝指揮下の時もあるから参戦にするか従軍にするかで迷った

326
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/15 01:07:12  ID:pkjxM0n40.n(2)
韓信は戦術家って書いてる人いるけど
魏、趙、燕、斉の攻略を進言したのは張良でも陳平でもなく韓信だよな?
どう考えても戦略家の一面も持ってるでしょ
項羽みたいなのが戦術馬鹿というべきであって

327
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/15 10:54:14  ID:3mR7maWO0.n(2)
戦略的な視点も十分持ってるんだろうけどどうしても戦術の化け物のイメージが先行するな

328
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/15 14:47:48  ID:LNtjEL200.n(2)
カイトウにそそのかされて劉邦に疑われて
斉王→楚王→淮陰侯→反乱罪で処刑の流れが評価を下げてるんだろうけど
これは戦略性と言うより政治センスの話では?
結局韓信の消えた劉邦は匈奴に大敗したわけでこの時は陳平も負けてから外交で活躍しただけ
まぁさっさと引退した張良こそが劉邦の戦略を全て担っていたと言い切られればなんとも言えんが
韓信がもし斉を攻略した後も劉邦の忠臣で最終的にどっかの王に封じられてても
結局劉邦の猜疑心で殺されてた気はするよな
劉邦、秀吉、毛沢東は後期の人格が全く別物で脳障害起こしてたのか
元々そういう性格だったのを統一までは押さえ込んでたのかは分からないが

329
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/15 22:12:37  ID:3o3y9+fA0.n(4)
蕭何や張良は手厚い恩賞をもらえるところを、一部辞退して劉邦の警戒を解くことを優先させたが、
空気読めない韓信は弱みに付け込んで王になった。
そのあと何が起こるかイメージできなかったのなら、
もうそれで戦略家の名声は無理だろう。

330
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/15 22:17:18  ID:YIaHgZbi0.n(2)
裏切るときは君主の裏をかいて華麗に裏切らないとな
光武帝の河北での独立とか韓信に比べたら一億倍ぐらいスマートかつ残虐に裏切ってくれてる

韓信は手足となってくれる腹心がいなさすぎるよねー

331
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/15 22:25:33  ID:3o3y9+fA0.n(4)
まあ裏切るんなら、直前まで忠臣だと思われるぐらいじゃないとね。
裏切られたことにすら気づかれないまま帝位を簒奪できたら神だなw

332
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/15 23:29:04  ID:y8cm8HHA0.n(2)
宋の太祖趙匡胤の事か。

「趙匡胤の威名を恐れた南唐の李璟は趙匡胤と世宗の間を裂こうと、趙匡胤に手紙と
白金3千両を贈るが、趙匡胤はすべて世宗に献上して、君臣の間に亀裂は生じなかった。」

333
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/16 00:20:47  ID:E5pXo6e30.n(2)
趙匡胤思い浮かべるよなあ
飲んだくれて帝位に上った人も珍しかろう

334
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/16 07:44:31  ID:gUNl2LcH0.n(2)
将の才能があるということと、将の器であるということは意味が違う。
韓信は将の器にあらざるものが将の才能を持ったところに、自信の不幸の根源がある。

335
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/16 09:55:55  ID:VzX4u0RC0.n(2)
わかったようなわからんこと書いて自分が頭良いと勘違いしてる人ってよくいるよね

336
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/16 11:51:55  ID:PeKpk1zu0.n(2)
韓信や白起の末路を知っている後世の将軍(遠征軍司令官や都督クラス)たちは容赦なく裏切って独立するようになったよな
劉秀とか石勒とか
失敗したけど鍾會とか

337
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/16 12:56:03  ID:6TjcxCaj0.n(2)
安禄山 せやな

338
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/11 12:37:14  ID:abPP2sNU0.n(2)
永楽帝「いやワイは周公旦のつもりやから。甥っ子を惑わす奸臣を討伐しただけで」

339
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/18 20:13:11  ID:4/CEtLy40.n(2)
韓信が存命なら、後の匈奴との戦いも平定してくれただろうか。
そうなれば、劉邦の寿命も延びてただろうか。

340
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/18 21:20:55  ID:WLUOVliB0.n(2)
当時の匈奴は騎兵の数が桁違いだからなぁ。秦の時代の対匈奴用のエリート兵も王離が項羽にボロ負けして溶かしちゃったし。

341
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/19 22:47:47  ID:Gf+QqdTw0.n(2)
中原で殴り合うのなら平定は容易だが、、、そういうわけにはいかん。

匈奴は地の利と参入した漢人由来の情報で圧倒的に有利
疲弊しまくった漢(関中)の国力じゃステップに近い所じゃ勝ちきれないよ。
夏侯嬰が幾度も匈奴を破ってる様に撃破だけなら普通に出来るだろうが。

342
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/19 23:48:27  ID:+MzorG0z0.n(2)
中行説が匈奴に投降した頃の匈奴なんてガチで華北支配狙ってたもんな

343
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/20 07:41:44  ID:y69NseNH0.n(2)
・秦末の動乱で北辺の防御が崩壊したうえに社会がひっくり返った状態
・劉邦政権は出来たばかりで権威は軽い
・漢は直轄領が狭く不穏な諸侯王との緊張関係を抱える
・王侯クラスの有力者を含む漢人が配下に大勢いる

むしろ冒頓匈奴が攻め切れなかった印象、千載一群の好機を逃し漢土の回復を許した
たびたび侵入はしているが軍事的空白に乗じてオルドスを奪った後は大した戦果がない

344
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/21 23:51:19  ID:2P43Pmwl0.n(2)
アウェーで勝つ自信と実力はないんだろう
冒頓単于時代の匈奴も
有利な辺境でも軍事的に圧倒できてないし

345
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/22 14:26:40  ID:2MmxaCzA0.n(2)
このあたりは李牧の様に誘い込んで覆滅させるしかないだろうな
それ以降、冒頓単于の時代までそこそこ大人しかったのもそのせいなのかもしれん

武帝の初期にもやろうとしてしくじってるな
奥深くまで攻めても際限なく逃げられるし、なにより消費が大きいし

346
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/22 22:20:02  ID:MgLznq6/0.n(2)
理論上は十分勝てるんだけど

砂漠を越えて追撃できない≒殲滅不可

コスパ悪すぎだよね

347
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/23 15:11:14  ID:CuImoRwW0.n(2)
武帝に追われた匈奴がヨーロッパに現れて・・・

348
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/24 22:28:56  ID:Ac2o2cFk0.n(2)
冒頓単于的には漢王朝に「にぃに」って言ってればお小遣い貰える立ち位置に満足してたのかね

349
邯鄲人[sage]   投稿日:2016/12/25 20:14:18  ID:mKKD1Uu50.n(2)
決戦はリスクが大きいし孤立してる辺境の郡を攻め潰せない状況でそれ以上を望むのは危険だな

350
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/28 00:19:05  ID:hSsQZrcg0.n(2)
いくつかの諸侯王が丸ごと寝返ってたわけだしもうちょっと侵入できた感。

351
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/30 15:21:56  ID:dtoVY9w00.n(2)
裏切り者「どこの馬の骨とも知れん平民出のオッサンに付くよりやっぱ貴種が牛耳る西楚とか匈奴の方がいいよね…」

352
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/30 22:13:44  ID:VLFPw1iY0.n(2)
五胡十六国で北朝についた漢人とあんま変わらんわな。

353
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/04 17:52:15  ID:iTuXm/dl0.n(2)
北朝「漠北の匈奴風情と一緒にされては困るぜよ」

354
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/04 20:58:26  ID:1PPhAKxO0.n(2)
劉淵「ワイ、漢王朝のブラザーなんやけど」

355
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/08 19:57:53  ID:yoTTUILS0.n(2)
義帝って皇帝号?皇帝じゃない帝号?

356
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/08 23:01:30  ID:vsPrLMF30.n(2)
制度が整ってないのか記録が残ってないだけか判らんが、詳しい事は不明。

357
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/10 01:19:04  ID:kMJMGh0x0.n(2)
義って諡号でも殆ど聞かないもんな。

清王朝の摂政王多爾袞(ドルゴン)が義皇帝って諡号贈られたけど。

358
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/10 06:41:45  ID:VAmjxDa/0.n(2)
クス
わからないのか
項羽本紀と高祖本紀的には生号に見える

359
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/11 02:38:14  ID:QHhF084u0.n(2)
皇帝号だと秦帝国の継承っぽくなるからねぇ…

360
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/11 06:03:58  ID:YV8BYZuq0.n(2)
始皇帝
二世皇帝
義皇帝
高皇帝

こうして見てくると、確かに秦の皇帝号の流用っぽく見えてくる
コメント2件

361
邯鄲人[sage]   投稿日:2017/01/12 20:15:46  ID:xJ6NMs6M0.n(2)
>360
なんか続いてる…やはり秦漢帝国とは秦楚連合王朝だったか。

362
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/13 00:47:09  ID:tKklKKIw0.n(2)
春秋戦国時代を通して強国で在り続けた楚の勢力は巨大だかんね

363
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/14 21:22:17  ID:Tr76ZWVR0.n(2)
懐王(二代目)という称号は消え皇帝号復活、古代中国世界の終焉という感じだ。
コメント2件

364
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/14 23:15:56  ID:NqAoyUaB0.n(2)
>363
王号がインフレしすぎていたから帝号でも名乗らないと権威を示すのは難しかったんじゃないのかな

それでも「義帝」として秦の皇帝号との差別化を図っているような感じがするけど

365
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/14 23:41:50  ID:t9Bo/8T20.n(2)
西周じゃないんだから即位してすぐに懐王を名乗ってることの方が疑問
懐王→項羽政権が与えた諡号
義帝→前漢政権が項羽政権を否定するために帝号を与えた

という解釈も出来そう

366
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/23 15:23:05  ID:Q0CK5vB00.n(4)
中国の歴史の人気度では三国志に次いで項羽と劉邦って感じですか?

367
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/23 20:14:12  ID:efdco0cM0.n(2)
日本ではそんなもんじゃない?
現地では大分違うけど

368
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/23 20:37:52  ID:1OAWFFDJ0.n(2)
中国では岳飛や水滸伝の方が人気だった気が
コメント2件

369
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/23 20:43:30  ID:FqDKDhrd0.n(2)
あと定番なのは楊家将、隋唐、西遊記あたり?
順位はシラネ
コメント2件

370
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/23 22:50:17  ID:Q0CK5vB00.n(4)
>369
隋唐ってそんな人気あるんですか?
ちょっと限定的に人気があるのかと思ってた

371
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/24 07:30:37  ID:7ZrsCaFi0.n(2)
楊家将は「◯◯は私の嫁にする!異論は認めん!」の元祖やからな

372
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/24 11:35:45  ID:bu0Dy/N30.n(6)
隋唐演義面白いよ

373
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/24 13:32:07  ID:xzOfqU1H0.n(2)
包青天「あの」

374
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/24 22:09:21  ID:frUnIiQF0.n(2)
日本人でもなんだかんだで戦国と江戸がメインストリームなところがあるし
あまり時代を遡るとどうなんだろ

そういやカンフー映画とかって時代背景はどういう設定になってるんだっけ?

375
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/24 22:46:08  ID:bu0Dy/N30.n(6)
殷〜周(紀元前)
封神演義

周〜春秋戦国〜秦、漢(紀元前)
史記

後漢〜三国〜晋(200年)
三国志演義

隋〜唐(500年)
隋唐演義

北宋〜(900年)
水滸伝

年号は大体で書いてる
中国だと人気なのはやっぱり水滸伝の時代なのかな
楊家将演義なんてのもあるし

376
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/24 22:47:37  ID:bu0Dy/N30.n(6)
晋の後の異民族時代は人気ないよね
五胡十六国時代とか元とか
コメント2件

377
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/25 06:23:51  ID:q5e4cnoT0.n(2)
五胡十六国は資料が少ないってのがね。
コメント2件

378
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/25 10:54:43  ID:Wx6cRJWw0.n(2)
蘭陵王はそんなでもないの?ドラマ化されてるのを見た覚えが

379
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/25 11:38:19  ID:Ehhl8QXF0.n(2)
カンフー映画といえば黄飛鴻の清末

380
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/25 12:07:12  ID:BL72kijb0.n(2)
>377
五胡単体では三崎良章の概説書があるし、魏晋南北朝期通しての概説書も川勝義雄の名著をはじめとして隋唐以降と比べても割りと充実してる

ただし東晋VS五胡を詳細に扱った概説書は今のところ存在しないため資治通鑑を読むしかないというのが実情
通鑑紀事本末の方のエピソードの構成の仕方が実はあんまり良くない

381
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/25 14:16:54  ID:HcmEFeYQ0.n(2)
>368
楊家将、岳飛、水滸伝と宋の時代が一番人気あるのかもね

382
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/25 16:08:01  ID:mXVbXA/I0.n(2)
>376
日本での話なのか中国の話をしているのかはっきり書かないと混乱するぞ
中国での話なら五胡、南北朝はそこそこ人気、清朝とかは大人気ジャンルの部類(現代の中国及び中国文化の基)
日本でなら元(モンゴル)は三国志以降の中国史では一二を争う人気だろう

383
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/25 23:39:06  ID:SUtsE0KA0.n(2)
三侠五義 飛竜伝 説呼演義 万花楼演義 水滸後伝 なんかも宋だし

384
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/26 00:25:41  ID:AVQg81OG0.n(4)
定期的に中国英雄板で時代別の人気比較話題が出るけど三国志と新中国を除くと注目度はマイナーの域を出ない。
所詮団栗の背比べであり虚しいからやめておけ。

385
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/26 01:09:24  ID:4IcuHRb00.n(4)
よし、『漢これ』を流行らそう
毎日シコリティの高い高祖様や覇王様のイラストを見れるはずだ
コメント2件

386
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/26 02:50:02  ID:vrkyP/Ym0.n(2)
>385
麦わら帽子(冠)に小便する性癖を持った高祖娘
なんか萌えるかも

387
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/26 03:15:02  ID:esHV+1aT0.n(2)
一発目から放送不能キャラとは流石高祖さま()

楚漢モノの弱点は敵陣営が極端にしょぼいことだな
項羽以外はモブに近い

388
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/26 12:10:39  ID:3OzjlSOy0.n(2)
范増「」

389
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/26 18:22:14  ID:AVQg81OG0.n(4)
范増さんも言うほど………

390
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/26 20:01:20  ID:8bfjWeUo0.n(4)
楚以外の陣営も国士無双が一瞬で蹴散らしてるしなあ(嘆息)
かろうじて存在感放ってるのは、項羽と引き分けた田横くらいか

391
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/26 20:51:36  ID:GBRT1Pf30.n(2)
范増は非漢陣営ではもっともよく目立ってる部類に入る人物だけど
その彼でさえ楚漢戦争開始後は完全に空気ですからね、、、他はお察し

392
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/26 21:56:15  ID:8bfjWeUo0.n(4)
というか項羽と劉邦と国士無双のキャラが立ちすぎなのが問題
それぞれタイプの違う主人公張れる上に互いが互いのラスボスになれるとか盛りすぎじゃないか

393
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/26 22:13:28  ID:4IcuHRb00.n(4)
その中に入れると韓信の格落ち感がすごい、韓信は別枠でしょ

394
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 01:40:21  ID:HIq0g54l0.n(2)
裏ボスの冒頓単于はキャラ立ってるやろ

395
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 08:05:38  ID:0rtKfeAt0.n(6)
世界情勢の違いはあるけど

諸葛亮があれだけ苦労した漢中から中原へ進出をサクッとこなして、秦が10年かかった華北の平定もあっちゅーまに終わらせてる韓信のチートっぷりはヤバい

それでいて政治的には凡将というアンバランスさも好き
コメント2件

396
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 10:00:41  ID:ApW4BHI+0.n(2)
戦乱の時代にしか生きられないタイプの生き物だよな韓信て

397
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 10:40:58  ID:OV3rdGYT0.n(2)
桓温「せやな」
劉裕「せやな」
陳慶之「せやな」

398
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 11:38:29  ID:pT3JhDTd0.n(2)
韓信は義経風の演出で大いに主役張れると思うよ

399
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 12:24:08  ID:jgWildMX0.n(2)
韓信は純粋なんだよ
だから敢えて天下を取らなかった

400
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 12:42:17  ID:S90lKMfK0.n(2)
>395
諸葛亮がチャンスがあったのは初戦だけだね
あとは魏のほうも対防衛網を構築しだすから
初戦で一気に抜いた韓信はやはり違うと思う

401
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 14:40:25  ID:QY7BphXf0.n(4)
義経と似てるよね
戦場では誰も勝てないくらい強くて、政治はダメダメって感じのとことかさ
コメント2件

402
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 16:59:22  ID:0rtKfeAt0.n(6)
統治は混乱続いてた斉を治めてるから問題ない
人材登用は微妙
政治駆け引きはダメダメ
コメント2件

403
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 19:29:51  ID:7+kC9uNE0.n(2)
>401
義経の当初の役割である対朝廷折衝担当ということを考慮すると
劉邦における韓信ではなくて曹操における荀彧に近かった

義経の軍事的成功は目を見張るものがあるけど範頼とのツープラトンあっての快進撃
まあそう意味では劉邦の軍事行動あっての韓信の軍事行動と言うポジションと少し近い感じもする
コメント2件

404
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 21:14:30  ID:0rtKfeAt0.n(6)
劉邦はすぐ兵を取り上げたり足引っ張るだけなイメージ

405
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 21:31:41  ID:QY7BphXf0.n(4)
>403
義経が荀彧か、その発想はなかったな
どっちかというと韓信のが統治が上手い感じだね、でもやっぱ似てる気がする

406
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 23:56:16  ID:/HAlxyHX0.n(2)
韓信は人望の無い足利尊氏

407
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/28 00:54:44  ID:DxfXXTdX0.n(2)
カリスマの無い尊氏なんて尊氏じゃないww

ただ尊氏の度量の広さは劉邦とも違うよねえ
尊氏は育ちが良すぎる
コメント2件

408
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/28 01:00:34  ID:xO/bMkk50.n(2)
尊氏は趙匡胤とか苻堅の系統やろ

409
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/28 01:39:38  ID:Q5FwqEqR0.n(2)
>402
韓信の斉統治がどうだったかなんて情報ほぼゼロなのになんで問題ないと言い切れる?なぜ人材登用が微妙だとわかる?
見て来たのか?

410
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/28 19:34:31  ID:8UwuSc4I0.n(2)
>407
劉邦は最後は領地を与えた家臣を粛清していくが
尊氏は粛清してないね

411
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/28 20:25:04  ID:taeuCk+80.n(2)
劉邦は、異姓王を討伐したり、反乱した家臣を滅ぼしたりはしてるけど
一応、家臣を問答無用に粛清したことはないはず

厳密には淮陰侯と樊カイが合致するかもしれんけど、
前者は蕭何と呂后が首謀で劉邦はノータッチだし、樊カイは未遂だし……

412
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/01/31 06:48:47  ID:qpvRqCE70.n(14)
俺の中の韓信は、「運が良い趙括」

413
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 14:51:23  ID:q+RKV+uT0.n(2)
無い無い
誰かさんの言葉を借りるなら韓信にはちゃんと応変の才略というものが備わってるからな
それが無くて見事に大敗した趙括さんとは真逆のタイプだよ

414
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 16:16:08  ID:wWVv5fjp0.n(2)
無いことも無いことも無い、少なくとも真逆のタイプと断定はできん
趙括さんにしろ韓信さんにしろ2000年以上前の人物で詳細はわからない
応変の才略があったとしても状況が厳しければ普通に大敗するし
コメント2件

415
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 16:34:07  ID:cMIclj370.n(2)
運で何度も勝てるかよと
それに昔の話とか言い出したら
このスレこの板で何も言えないからなそもそも
君がそう思うなら黙って去ればよい

416
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 17:43:06  ID:EIDjG3nh0.n(8)
さすがに実の両親にまでボロクソ言われた趙括と国士無双を比べるのは無茶苦茶すぎるわ

417
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 18:22:06  ID:dAg1/fxe0.n(2)
共通点は兵法書を読み込んでるだけ

418
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 19:36:18  ID:q2aiTuyC0.n(4)
>414
状況が厳しければとは言うけど韓信が任された局面てほとんどが厳しい状況だったような気がするんだが

419
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 20:08:42  ID:qpvRqCE70.n(14)
俺が運と言ったのは、作戦の当たりはずれのことを言ったんじゃないんだけどな。

かたや内政を秦の内通者の家臣にかく乱された趙で暗愚な王が任命。
こんな糞システムにのっかったんじゃ、韓信が将になったところでダメだろう。
軍吏を使うのも、情報収集するのもいいシステムに乗らないとダメ。
自前で持ってるならいざ知らず、外から頭だけ持ってくるわけだからw
乗る船が泥船しかなかった、これが趙括の不運、まあ乗らなきゃいいんだけどねそれなら。

趙括に、「今、白起が騎兵○万、歩兵○万を引き連れてこの位置をこの方向に進んでいます」と、
正確な情報が入る体制で、不慣れな指揮のまずさも有能な軍吏が隅々まで気を配ってくれるような組織の上に乗れば、あんなあほなやられ方はしない。
些末なことはシステムにまかせて、思う存分敵をどうやってたぶらかすか考えればよい。

これが漢だったら、情報は千里を見通す張良がバックアップしただろうし、有能な軍吏は蕭何が手配しただろう。
車騎将軍灌嬰を李必や駱甲に補佐させたように、
才能のいい部分だけを引き出せた、そういう体制がゲットできたかどうかを言っている。

韓信だって最後は、簡単に騙されてとらえられ、処刑されたじゃないか、正確な情報が入らないと韓信だってこんなもんだw
漢は最初から最後までうまく韓信をコントロールしたよなw
コメント2件

420
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 20:15:15  ID:kpMb+If40.n(8)
414氏の認識は一行目以外は概ね妥当であると判断するが一行目はないね
趙括は前任者の廉頗と比べるのが適当

421
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 20:23:56  ID:w7ELMW920.n(2)
そんなにシステムが整ってれば韓信趙括じゃなくても生まれたばかりの赤ん坊が将軍でも勝てるんじゃねーの

422
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 20:25:55  ID:kpMb+If40.n(8)
>韓信だって最後は、簡単に騙されてとらえられ、処刑されたじゃないか、正確な情報が入らないと韓信だってこんなもんだw

なるほど、確かに巡り合わせが悪く最初に騙されて死んでいたら韓信も単なる失敗者に過ぎぬ
個人は時代を超えることはできない

423
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 20:30:39  ID:EIDjG3nh0.n(8)
>419はそのシステムで廉頗が何年も防衛に成功してたのを知らんのか?
おまけに自ら将軍を何人も罷免してるんだからシステムのせいもクソもないだろう
コメント2件

424
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 20:38:29  ID:q2aiTuyC0.n(4)
そもそもシステムという言い方をするなら秦側はそのシステムが崩せないから一番重要なパーツを不良品に交換させるという作戦に出ざるを得なかったわけで

425
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 20:38:48  ID:f53365li0.n(6)
廉頗さんディスってんのか?

それに長板の敗戦後でも首都こそ落とされたものの李牧が秦の侵攻防ぎまくってるよ

426
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 20:41:51  ID:f53365li0.n(6)
韓信の方はバックアップどころか兵力その他は基本現地調達で魏、趙、燕、斉まで侵攻してるんだが...
コメント2件

427
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 20:46:55  ID:qpvRqCE70.n(14)
>423
>419はそのシステムで廉頗が何年も防衛に成功してたのを知らんのか?

お言葉ですけどね、
廉頗なら、長年軍人をやってるわけですわ。
そういう人は、政権の中に自分の組織であったり、自分に忠誠を誓う人物がいるわけですわ。

そういう人と、いきなりポンと当たのすげ替えで来た趙括と一緒にはできないでしょ?
コメント2件

428
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 20:55:16  ID:BYrHxMYx0.n(4)
韓信は軍まるごと奪われたり精兵を劉邦に送らされたりしすぎなんだよ……

429
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 20:56:35  ID:f53365li0.n(6)
趙括はいきなりデビュー戦で白起と相手が悪過ぎたのは同情する
それにしたって行動が迂闊過ぎるんだが

430
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 20:58:20  ID:EIDjG3nh0.n(8)
>427
趙括は名将趙奢の息子なんだから基盤がない訳ないだろ…
趙括と韓信一緒にしてる奴に言われたくないわ
コメント2件

431
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 21:00:39  ID:qpvRqCE70.n(14)
>426

では韓信は、趙や魏や、燕や斉の行政システムに、どう働きかけてどうやって徴募したのか?

それは軍吏に「徴募せよ」と命令しただけでてきぱきやってくれる組織を持っていたからでね、
例えば、「ここで兵○万で敵を迎え撃つ」と指令を出した場合、そこまでの工程や兵站の計算まで韓信がやるわけじゃないんだよ。
指示された命令だって、しかるべき部署がプランを検討して成否をフィードバックする、そういう組織力で戦争が成り立つのよ。
コメント2件

432
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 21:02:56  ID:kpMb+If40.n(8)
廉頗が何年も防衛に成功していた←これは不確実

433
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 21:03:06  ID:qpvRqCE70.n(14)
>430

そんときゃ趙奢は死んでるしなw
息子に手を貸すなと言い含めてあるのだろうw
まともな後見人がいなければそれが親心というものだw
コメント2件

434
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 21:10:01  ID:9YTmmv5f0.n(2)
>431
韓信は組織編成に関してかなり見識高かった可能性ある
そうでなければあそこまで軍を急造できないレベル
コメント2件

435
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 21:10:49  ID:kpMb+If40.n(8)
>おまけに自ら将軍を何人も罷免してるんだからシステムのせいもクソもないだろう

あとこれも不正確だ、長平の戦いで確認されている趙側の将軍は廉頗と趙括のみ
副将格であろう茄は廉頗の時に敗死させてしまったし
コメント2件

436
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 21:18:22  ID:qpvRqCE70.n(14)
>434

韓信の経歴に軍人としての経験はないように俺には見受けられた。
楚にいた時は郎中だろう?
漢では、倉庫係だよ?
だから俺は組織的に用立てられたもののように思った。

※個人の感想です。

437
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 21:35:45  ID:EIDjG3nh0.n(8)
>433
いやそれ趙括が無能だったからだろ……結論出てるじゃん

>435
俺の認識違いか、すまん
コメント2件

438
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/01/31 21:49:51  ID:qpvRqCE70.n(14)
>437

俺が韓信の親だったら、やっぱりこんなやつをリーダーなんかにするなっていうなw

439
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/31 21:59:39  ID:BYrHxMYx0.n(4)
數以策干項羽,羽不用。(史記淮陰侯列伝)
韓信は項羽にたびたび献策できるポジションではあったみたいだね

天下既定,命蕭何次律令,韓信申軍法,……(漢書高帝本紀下)
また韓信が軍政を整えた記述がある

また西魏の将軍と比較して、韓信に分があると劉邦が語る記述もある(漢書高帝本紀上)

440
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/02/12 05:23:32  ID:u5y2WDz20.n(2)
張良ってほんとに衛星を暗殺しようとしたのか?武勇無いのに
コメント2件

441
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/12 08:25:30  ID:jiS6xjyL0.n(2)
>440
自力では出来ないから力持ちの勇者にやらせた。

442
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/12 18:55:32  ID:Fa/09RK80.n(2)
昔は張良本人がやったんかと勘違いしてたもんだ
そりゃ力持ちに任せますよね

443
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/02/13 00:10:25  ID:WX0yU3M60.n(2)
まあフィクションかも知れん 感心の股潜りもな

444
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/13 10:56:49  ID:Asc4wF210.n(2)
衛星って何かと思ったらエイ政か

445
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/14 21:03:36  ID:a4+9YgOY0.n(2)
ハンマー投げの要領なのかもだけど、実際あの重さで正確に
遠距離ターゲットまで投擲出来るのか現地で実験してほしい

446
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/15 14:02:08  ID:Mz/n/xb+0.n(2)
張良と陳平は仲良かったの?

447
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/02/15 20:23:46  ID:ytjGjuxh0.n(6)
良かったに違いない レキイキと陳平は悪かったと予想

448
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/15 20:51:24  ID:bIAAEKR40.n(2)
互いに認めあう仲じゃないかな
二人とも貢献度はピカイチでもあるし

449
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/15 21:34:20  ID:Wffau5pe0.n(2)
そこいらのチンピラに統一された漢王朝

450
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/15 21:41:56  ID:Arr5YEKd0.n(2)
決して家格は高くないけど官職に就けるくらいの身分ではあるよ

451
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/15 21:45:30  ID:F0a02sN+0.n(2)
石勒(奴隷上がりの文盲)とか劉裕(かろうじて読み書き出来る程度)とか朱元璋(一家の大半が死ぬほどの貧農)ほどの底辺じゃないしな

452
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/15 22:17:17  ID:LNSYWCtK0.n(2)
今で言うと歌舞伎町の顔役が日本を統一したような感じか
間違ってもアキバとか神保町にいるような俺らのような感じではないw

453
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/15 22:42:02  ID:+4yve2RJ0.n(2)
俺らの代表格は強いてあげるなら韓信やしな
コメント2件

454
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/02/15 22:45:46  ID:ytjGjuxh0.n(6)
今レンタルで観てるんだが、項羽役って、三國志で呂布役してた俳優なんだな ピッタリやわ ハンカイ役に張飛役してた俳優 英布役に水滸伝の刺青のあれ 誰か思い出せん 同じ刺青してた英布に合わせての事か

455
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/15 23:26:44  ID:fbkChXT50.n(2)
刺青というと九紋龍史進か?それとも花和尚魯智深か?
顔面にアザなら青面獣楊志だが。

456
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/02/15 23:47:46  ID:ytjGjuxh0.n(6)
ごめん、刺青と言えば史進だね 俺の忘れてたのは楊志だった 同じ俳優
コメント2件

457
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/16 00:17:19  ID:FwTL9S3U0.n(2)
樊カイ=張飛=李逵
英布=林冲

458
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/02/16 08:38:55  ID:qAlsmTXJ0.n(2)
すまん、俺の勘違いだった

459
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/17 16:53:38  ID:Tqrm7jbu0.n(2)
>453
韓信はニートの星、陳平は現代社会の星(兄嫁を寝取る)ってとこか
劉邦もニートの星って感じがして好きなんだがな
コメント2件

460
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/17 18:39:48  ID:PEJDBWC+0.n(2)
韓信はニートの星じゃなくワナビの星って感じだなw

461
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/17 19:35:09  ID:VBdYDFMv0.n(2)
韓信=のび太型ニート
劉邦=ジャイアン型ニート

462
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/17 21:42:59  ID:Ut3xn9Cv0.n(2)
>459
>陳平は現代社会の星(兄嫁を寝取る)ってとこか
違うぞ。兄嫁は家の仕事を手伝わない陳平に嫌味を言ったら離縁されたんだ。
兄貴は陳平に期待してたから仕事より勉学に励んで欲しかった。

>456
あまりにも亀レスだが全身に9匹の龍を彫った九紋龍は凄そうだけど、実は一つ一つが
小さくなって迫力ないらしい。
コメント2件

463
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/02/18 06:53:16  ID:jGtYM5/40.n(2)
当時の刺青技術はそんなもんだろな

464
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/18 10:38:18  ID:iP3FWN5c0.n(2)
>462
確かにそうみたいだ、兄嫁を寝取ったんだと思ってたんだがオレの勘違いみたいだ

465
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/18 12:52:35  ID:NKy5xXmV0.n(2)
でもそういう噂は近所とか親戚に流れてたのかも
史記に書いてあるかはよく覚えてないけど
兄嫁姦通の話は初見ではないなあ

466
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/18 13:06:12  ID:FVyMK9730.n(2)
周勃か誰かが「劉邦兄貴!陳平とか兄嫁をNTRするカッスやで!」とか言ってたと思った。

467
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/18 14:03:43  ID:dGLUqmZ20.n(2)
劉邦に仕えて間もなく古参何人かがあいつ賄賂もらってるし故郷で兄嫁寝取った「らしい」しろくでない奴やでと劉邦に讒言してたらしいな

あと、曹操が求賢令で「陳平みたいなNTR賄賂野郎でも一向に構わんッ!」ってやったから余計既成事実みたいに扱われてんのかもな

468
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/22 00:03:29  ID:ys6aeUxz0.n(2)
ただセックスをしただけで取ってはいないではないか!
コメント2件

469
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/26 19:09:45  ID:i6fuIGGK0.n(2)
>468
李世民「そうだな。大したことじゃない。女は兄弟の共有物だろ」
コメント2件

470
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/26 23:41:44  ID:xWvsVXlh0.n(2)
公孫鞅「…」

471
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/02/26 23:51:06  ID:lKvK/vli0.n(2)
>469
李隆基「せやせや!女は親子兄弟で所有するもんや!」

472
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/02 07:38:55  ID:LZv163bj0.n(2)
紀元前3世紀の風俗に現代の倫理観を持ち込んでもw

473
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/06 00:41:19  ID:3VLcrPzJ0.n(2)
昔は良かった

474
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/06 13:37:34  ID:amp90J3z0.n(8)
張良 天才軍師というけど…
戦略家というより 政略家だろ?
どこらへんが 戦上手なんだよ

475
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/06 16:54:36  ID:J8M/cA3q0.n(2)
戦略家ってのは戦争前に可能な限り勝てる状況を作るのが仕事
実際の戦場で策を振るうのは戦術家の仕事

戦略家の仕事は戦争が始まる前に終わる

476
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/06 18:00:39  ID:amp90J3z0.n(8)
戦略とは おおよそ
敵より人数をあつめ
訓練し 装備 補給を万全し
いつ どこで どんな状況で
開戦させることだろ?
その前に 情報集め分析し
張略謀略など駆使して敵貶めていくこと
だよね?
コメント2件

477
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/06 18:01:03  ID:amp90J3z0.n(8)
戦略とは おおよそ
敵より人数をあつめ
訓練し 装備 補給を万全し
いつ どこで どんな状況で
開戦させることだろ?
その前に 情報集め分析し
張略謀略など駆使して敵貶めていくこと
だよね?

478
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/06 18:11:30  ID:L3kW+oEM0.n(2)
戦略ってその時その時の環境に応じて国家の軍事的な方針を定めていくメッソドなわけだから
実際は場当たり的で、弥縫策の連発みたいなところあるんだけどね

>476
たとえば敵より多く人数を戦場に集めようと準備している間に少数精鋭な敵に奇襲されたらどうするの?
訓練し、装備補給を万全にしようとしている間に、先に敵から攻撃されてきたらどうするの?
いつ、どこで、どんな状況で開戦させるか検討している間に敵から攻撃されたらどうするの?
情報収集したけど、ノイズが多かったり敵の欺瞞だったりした場合、それを鵜呑みにするの?
分析する人の判断力は絶対なの?
調略謀略仕掛けて見たら偽内応で、誘い受けされてしまった場合どうするの?

敵も馬鹿じゃない
コメント2件

479
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/06 18:36:49  ID:amp90J3z0.n(8)
>478
俺はおおよそとかいたよね

で 礎漢時代の戦略家て なに?

480
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/06 19:14:50  ID:wMY2jjQs0.n(2)
劉邦が天下を取る楚漢戦争全体の絵を描いていたのが張良の功績じゃね

項羽を彭城に押し込め東の斉に釘付けにしておいて韓信に魏趙燕斉と平定させる
韓信、彭越、黥布などと連携して項羽を垓下で追い詰める

張良が直接動いたわけじゃないけどこういう方向で進めていけばという流れは他の誰の功績でもないと思う

481
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/07 03:14:00  ID:ps6qqCeL0.n(6)
レンタルDVD観たけど、戦の場面で違う撮影風景出すのは手抜きかよ

482
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/07 03:15:55  ID:ps6qqCeL0.n(6)
それよりその張良 曹操が張コウを得た時、子房を得たも同じと言うたらしいが、武人だし、不思議
コメント4件

483
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/07 10:23:23  ID:rgCrWPGZ0.n(2)
>482
それは荀彧な
張郃のことは韓信に例えて褒めている

484
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/07 10:33:44  ID:ER2IPvEb0.n(2)
しかし韓信役で運用したのは身内人事の夏侯淵という皮肉
曹操って劉邦に比べると本人のスペックは高いのかも知れないが度量に関してはみみっちいよなあ
コメント4件

485
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/07 10:57:26  ID:An7ZtD9P0.n(2)
孫権にとっては周瑜が韓信だったのかな?
コメント2件

486
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/07 11:08:53  ID:ANfZgQV90.n(2)
周瑜は前線司令官だから違うと思う
劉備と関羽の関係はそれに近いかも
関羽は劉備寄りだが半独立勢力状態だったという説は最近の流行りだしね

487
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/07 11:46:19  ID:YcQE3iUX0.n(2)
>484
劉邦の場合身内がアレやし
コメント2件

488
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/07 14:23:58  ID:5HDJQpOz0.n(2)
>485
周瑜が韓信
張昭が蕭荷
魯粛が張良

489
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/07 17:24:35  ID:TImnBGFX0.n(2)
>484
劉邦には頼れる身内がいないから必然的に他人を頼らざるを得ないだけで身内に能力がある人間がいるならそっちを重職につけるのは当時の常識
むしろ曹操は当時の常識からすれば身内でも能力が無ければかなりきっちり切っていった方だよ
コメント2件

490
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/07 19:45:48  ID:HLSWxig50.n(4)
>482
三国志だと
韓信=張コウ、張良=荀彧、ハンカイ=許チョ、夏侯嬰=趙雲、灌嬰=黄忠だったかな
項羽が孫策、劉邦が劉備?、ロワンが簡雍、陳平はカク
コメント2件

491
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/07 21:30:46  ID:ps6qqCeL0.n(6)
盧綰も簡擁も最古参だしそれは当て嵌まるかな 何かスレチに向きつつあるな
季布調べたら没が前156年てあるけど、かなり長生き出来たんだな
コメント2件

492
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/07 21:43:41  ID:Mrt0Wg1l0.n(2)
>489
両夏侯の重用ぶりは、ちょっと疑問符がつくけどね。

493
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/07 22:31:16  ID:HLSWxig50.n(4)
>491
確かにスレチだな、スマンスマン。
ロワンと簡雍は思いつき何であまり気になさらずに

494
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/07 23:50:41  ID:6qOitEmG0.n(2)
>490
徐晃が周亜夫

495
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/08 00:45:38  ID:2AduzCkz0.n(2)
>487
割りと有能でおそらく韓信の斉遠征にも参加しているはずなのに毎回スルーされる呂沢ぇ……
呂氏一族や盧綰、劉賈辺りの身内武将が評価されないのはなぜなのか
コメント2件

496
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/08 10:21:20  ID:wbno+z/R0.n(2)
大樹将軍

497
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/08 21:58:36  ID:JnffWHfj0.n(2)
※これは面白いよ〜
この動画一つで皆がわからなかった真相が明らかに!!!

http://blogs.yahoo.co.jp/anti_mm_eq010/17942365.html

498
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/18 04:43:40  ID:+x7UGGVf0.n(4)
>495
そら結局呂氏はあれだったからw
負ければ評価するのは敵側。

項羽だってさ、子供のころのエピソードが大人になってもそうだと思われている節があるしw

文章は名前が書ければよい→詩を詠んだりする人だった
剣術は一人を相手にするのみ学ぶ必要なし→剣を抜いて暴れたら手が付けられないほどの無双ぶりだった
と言って兵法を学んだがすぐに投げ出してしまった→鉅鹿の包囲網の攻略とか天才なんですけど
コメント2件

499
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/18 06:19:26  ID:L07TXBt60.n(2)
あと人望がなかった→項羽敗死後も旧部下が劉邦に抵抗してるも追加で

500
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/18 08:12:39  ID:m8ar7f2Y0.n(2)
>498
昔から疑問に思っていたけど
籍大喜略知其意又不肯竟學の読み方って

項籍は 其の意を 略知するや 大いに喜び
又 学を竟(お)えるを 肯ぜず

=項羽は兵法の導入教育を受けて学習するや大いに喜び、今回は途中で投げ出すようなことは承諾しなかった
という意味で読んだ方がいいような気がするんだ
昔の中国のお偉いさんたちの解釈とは違うんだろうけどさ

501
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/18 15:53:44  ID:+x7UGGVf0.n(4)
呂馬童は呂氏なの?

「童」がついてるってことは冠している階級じゃなく奴隷なんでそ?
うっかり呂姓だから関係ないのにとばっちり受けてそうな人がいたりしない?

502
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/18 16:52:00  ID:UXfht2CD0.n(2)
https://goo.gl/znnSuW
これは、普通にショックでしょ。。
本当なの?

503
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/03/19 02:22:47  ID:fuEOlHtV0.n(2)
竜且すき

504
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/20 14:16:45  ID:l520mM6D0.n(2)
どんなとこがいいと思ったんだ?
コメント2件

505
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/03/25 00:32:55  ID:JkbpWMTW0.n(2)
今、楚漢で四作漫画連載してるんだな。

506
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/04/05 21:48:12  ID:OEtQJJ8c0.n(2)
>504
やっぱ頭巾と長ーい紐だべ

507
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/08 21:22:57  ID:RgNf1pw60.n(2)
小説はともかく、漫画なんて、カンニングスタンツぐらいしか知らんわw

508
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/09 00:21:58  ID:PbIvsghz0.n(4)
月刊少年エースの「レッドドラゴン」
月刊少年マガジンの「龍帥の翼 史記・留侯世家異伝」
別冊少年マガジンの「バウンダー」
まんがタイムオリジナルの「美軍師張良」

の4つかな?
上3つはThe少年漫画って感じだなあ
最後の奴はあまりに人気ないのか情報なさすぎて分からん
コメント8件

509
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/09 00:23:26  ID:PbIvsghz0.n(4)
こう見るとカンニング・スタンツって異端な作風なんだな
非商業系だからやれることなんだろうけど、ビジネスマン×ヤンキー漫画スタイルな楚漢戦争って
結構斬新なスタイル
コメント2件

510
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/09 00:35:17  ID:XRiW2g7q0.n(2)
>508
全然知らないけど、こう見ると張良人気者だなぁ。

511
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/09 00:50:51  ID:sGJkj1t90.n(2)
>508
多くの有象無象の三国志漫画がそうであったように、楚漢も三年後には記憶から消えてそうな空気漫画揃いだな…
漫画としても歴史モノとしても微妙なものばかり

>509
あれは結構おもしろいな

512
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/09 07:11:32  ID:WpFtlTsj0.n(2)
「赤龍王」(本宮ひろ志)と「項羽と劉邦」(横山光輝)の出来が良いからねえ

513
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/09 07:47:04  ID:rr/Evv6V0.n(2)
赤龍王はしょっぱなに政くんが「煮殺せィ」っで掴みは充分やからな
コメント2件

514
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/09 07:53:26  ID:AhxGbVcd0.n(2)
粗製乱造と言えば言葉は悪いが
供給過剰ではあると思う、歴史物漫画

515
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/09 09:27:49  ID:rnI2KvJA0.n(2)
>508 こんなにあるのか、知らなんだ。さっそく見てみるよ。ありが邸

516
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/09 09:41:23  ID:OYmldOUf0.n(2)
>508
龍帥の翼は内容がほぼ「修羅の刻 楚漢戦争編」だからな…
でもそれだけに歴史物としてはともかく漫画としては面白いと思うんだがそこは好みだから仕方ないか

517
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/09 11:30:47  ID:tWv65yky0.n(2)
>513
あのシーンはうまい
本宮ひろ志とは思えぬ史記に忠実な始皇帝の顔立ち
あと本宮ひろ志のせいで項羽の顔が未だにあの漫画のイメージなんだよなw

518
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/09 13:27:16  ID:AI3nqbPk0.n(2)
グランドジャンプだったかで始皇帝時代の徐福を主人公にした漫画も
最近になって始まってた気がする
本宮ひろしの

519
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/09 13:54:44  ID:hWYWzBdt0.n(2)
本宮ひろ志は五胡十六国とかの方が似合うのに。石勒とか

520
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/09 21:40:22  ID:hVvHvGZ70.n(2)
ワシが五胡十六国の王、江田島平八であーる!

521
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/09 21:53:52  ID:hN1sKtwW0.n(2)
特に歴史学(漢籍)の素養がなくても書ける、既存小説や漫画の二次三次創作みたいなのでOKな易い題材となると
中国物では三国志か秦末楚漢(司馬の項羽と劉邦、古代中国唯一の世界史レベル始皇帝)絡みになっちゃうのよね
ハードルが低いゆえに弾が多い

522
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/09 23:00:54  ID:auq2pldA0.n(2)
西洋を扱った歴史漫画の方が平均レベル高いというかそれらしい雰囲気出てるよな

しかし浅薄な知識しかない漫画家は無理に手付かずのジャンルを狙うよりは易きに流れた方がいい
孫子でも中華戦国時代でもある必要がなかった孫子異伝はすごくアレだった…
コメント2件

523
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/10 00:04:31  ID:Zbb5hHx/0.n(2)
>522
むしろああいうのが漫画としては正しい
史実を追いたいだけなら史書でも読んでろとしか
コメント2件

524
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/10 09:02:46  ID:+PiTAjzv0.n(4)
あれはひどかったな
空飛ぶタイマン上等な天才軍師の話

525
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/10 14:01:17  ID:jD4jccbF0.n(2)
ゲッサンでやってた月の蛇っていう北宋末が舞台の漫画好きだった

526
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/10 17:37:48  ID:0k9zPhxM0.n(2)
>523
三国志でも中国物でもたまーにその時代のオタクっぽい人の漫画出るけど
そういうのはほとんど売れないんだよね

キングダムみたいに実質ワンピ、古代中国っぽい雰囲気シラネ
史実は少ない方が良い、ファンタジー上等の方がウケる
コメント2件

527
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/10 18:16:11  ID:+PiTAjzv0.n(4)
蒼天航路. >> 達人伝な現状をみるとそうとも言い切れない気がする

528
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/10 21:31:15  ID:DudGUxN70.n(2)
その二つの差は三国志と戦国時代中後期の人気差と雑誌の力
そしてなにより達人伝は蒼天の二番煎じくらいの熱量しかないし当然だわな

529
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/04/10 22:38:47  ID:MYUB269F0.n(2)
三秦の配置は范増らしからぬミスか

530
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/10 22:44:20  ID:Sbfy+65N0.n(2)
楚漢戦争なら香乱記とかマンガ化しないかなあ
田斉が主役という超異色モノやぞ

531
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/11 11:58:55  ID:tCGxVlYI0.n(2)
漢陽をお留守にしたバカチンの問題じゃね?

532
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/17 20:53:44  ID:3KaJD7zY0.n(2)
>526
さすがに奇想天外なんでもござれの創作が無限に転がってる現代で
真面目に記述の簡素な史実準拠の作品やっても地味すぎるからね
特に万人に受ける戦争の描写がうっすいから戦記物は成り立たない

533
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/18 03:09:38  ID:3Er2W+c80.n(2)
三国志の場合史実準拠でやったら劉備も曹操も孫権も名士とのコネ作りにヒーヒー言ってる描写ばっかになるしな。
特に劉備は酷い。

534
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/19 01:05:43  ID:ro4KkS250.n(4)
作家からしたら史実が資料的限界により狭く浅い
逸話・兵法・策がほどよく稚拙な古代中国には気楽に書けるという魅力がある
近世くらいになると凡庸な知識ではなかなか書けない

535
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/19 17:39:46  ID:KqDausyZ0.n(2)
そしてなんちゃって戦国物に…

536
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/19 22:03:03  ID:ro4KkS250.n(4)
しばりょー項羽と劉邦を超えるパブリックイメージを生み出す作品が今後現れる気がしない

537
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/21 15:19:20  ID:dMIdVctW0.n(2)
後世と比べるのも酷だけど史実では甲冑とかもまだ素朴というか地味だもんな
戦国から楚漢の時代は
コメント6件

538
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/21 22:20:38  ID:08tQrpvZ0.n(2)
地味ーに劉邦のイメージが

弱いし礼儀もアレだけど人望はある君主
  ↓
韓信・項羽に及ばないけど当時ではトップクラスの名将。人格がカスすぎて人徳ゼロだけどやることはやる君主

という風に変化してるから、その内パプリックイメージ更新する作品出てくるかもね
コメント2件

539
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/22 00:51:19  ID:DmVkdE9U0.n(2)
相対的な中国(歴史)物の人気は90〜00年代初頭をピークに右肩下がりの傾向
楚漢、項羽と劉邦で釣れるおっさん世代が元気なうちがチャンスだぞ

>537まあ絵にすると映えないのは古代中国が抱える永遠の弱点やろな(ギリシャローマの方を見ながら)
コメント2件

540
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/22 01:53:50  ID:rcW88Ow90.n(2)
>538そういう傾向は子孫の劉備も一緒だな

541
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/22 02:17:43  ID:0yVQIefz0.n(2)
>539
アッティラ「よろしくニキー」

542
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/26 21:02:00  ID:zH/on75O0.n(2)
>537
つか中国は古代だけじゃなく中世〜近世も防具や武器のデザインセンスはかなり微妙やからな
日本の日本刀や具足、ヨーロッパの騎士みたいなスタイリッシュな戦装束がない
せめて古墳時代の日本の防具くらい恰好いいのがあればいいんだがないし・・・

543
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/04/28 23:53:28  ID:A+mCkEx60.n(2)
古墳時代は漢代とそこまで時代離れてない古い時代なのにあの甲冑の完成度は異常。

544
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/29 18:34:12  ID:ILQZ53YI0.n(14)
>537
ヨーロッパや日本の甲冑や兵器は、多くは貴族や士族階級のものだからな。
徴発された平民の歩兵用の武具じゃ中国のほうがよくないか?
高価な弩が普通の歩兵の装備だった国はほかにないよ。

それと、中世ヨーロッパや日本と違うのは、歩兵による集団戦法が戦力の中心だったからね。
敵と刀で斬りあったりしなんだよ、精緻な方陣を組んで長槍をまっすぐ構えて正面の敵にただひたすら突き進むだけ。
20世紀初めにロシアで確立されたとされる縦深攻撃の基本概念が、このころの中国にすでにあったんだよな。
コメント2件

545
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/29 18:42:27  ID:r7HfP1kr0.n(8)
>544
古代中国に deep battle, deep operation の概念があったとは思えないのだが

数百キロ・数か月にも及ぶ連続作戦概念や機械化部隊、空挺部隊の存在が前提で
なおかつ第一次世界大戦で生起した「ガッチガチの陣地戦をいかに克服するか」
という命題に対する回答としての縦深作戦理論が古代中国で展開されるのは無理があり過ぎる

中国の古代軍事制度が先進的でシステマチックだった可能性は否定しないけど
コメント2件

546
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/29 21:25:27  ID:phFFVldl0.n(2)
西洋や日本の特定の時代・状況と比較して「古代中国文明すげー!」する民族ナショナリズムは19〜20世紀に盛んに唱えられた伝統あるものだけど、これ西洋(近代)コンプレックスなんだよね、確かに評価すべきではあるがつい飛躍して近代的な価値を強引に付与してしまう

日本でも古代中国がすごければすごいほど都合がよい古代中国を扱う作家などはよく過大評価する癖がある
コメント2件

547
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/04/29 21:42:30  ID:Wpf032gs0.n(2)
一時期ローマ(塩婆)コンプを発症してた某芳樹の悪口はやめろォ!!

548
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/04/29 21:53:46  ID:ILQZ53YI0.n(14)
>545
現代のその機械化の部分がなく、よって速度が遅い分、距離のスケールが速度に相当する分短くなっているだけでね。
長い陣形の先端をつぶしながら後続の新手がどんどん現れる点、
敵の先端部分を騎兵の弓や弩兵で後方との分断を図って崩そうとし、
敵が崩れればそのまま突破→追撃戦でせん滅に至るメカニズムがよく似ている。

砲火がない当時の中国では発射手数に勝る弓ではなく、射程距離がある弩が大量に使われたのは、その点納得がいくし、
例えば「河外の戦い」で、年をまたいで崩れた秦軍を魏から函谷関まで押し戻した信陵君や、
敗走する斉軍を短期間に即墨追い詰めた樂毅なんかも、このモードにはまってたんじゃないかとの個人的な想像だ。
と同時に肯定するも否定するも君の勝手だw
コメント4件

549
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/29 22:14:28  ID:lE1L+tqS0.n(2)
>548
縦深作戦の終末段階で生起するのは追撃戦ではなくて敵のシステム中枢に対する数軸からの突破による無能力化
包囲や殲滅のパターンは第一線陣地帯付近を突破した際に生起するけど、縦深作戦そのものの目的ではない
敵中枢へのジレンマを強要するために空挺作戦が必要不可欠になっている(地上からの迂回行動では同時的な打撃を達成できないため)

梯隊編成による衝撃力の持続は縦深作戦における重要な要素のひとつではあるが
梯隊運用の一部分だけ切り取って縦深作戦が古代中国にあったというのは乱暴

550
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/29 22:17:35  ID:5zHkwThk0.n(4)
古代(に限らず)中国は軍事記録とかがあまり残ってないからしゃあない。
軍記ものや講談のその名残りがあるだけで。

551
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/04/29 22:19:32  ID:ILQZ53YI0.n(14)
>546

中世のヨーロッパって、中国、インドや、中東に比べて後進国だったんだよ。
これは、冶金技術で特に顕著でね。

インドやシリアで作られた鋼が、製造法をコピーできずに高い金を出して輸入せざるを得ない状況が近代まで続いた。
中国で石炭と鉄鉱石からなる製鉄法は紀元前6世紀ごろに楚ですでにあったが、
ヨーロッパでは、ライン河畔で近代製鉄が産声を上げるまでなかった。

これが何を意味するかといえば、安価な武器を大量に作る技術がなかったということ。
春秋戦国以降、中国の鏃は鋳造による大量生産で作られたが、
ヨーロッパでは、日本のたたらに相当する、カタロニア炉が最先端で、鍛冶屋が一個一個叩いて作ったいたわけだw

552
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/29 22:35:54  ID:lMtaSo5n0.n(8)
なんかこのスレの趣旨から脱線してない?
同時代の漢とローマ、どちらの軍備が優れていたかで議論した方がまだこのスレの趣旨に沿ってると思う
楚漢戦争と第二次ポエニ戦争って似てる気がするんだよな
コメント4件

553
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/29 22:41:03  ID:r7HfP1kr0.n(8)
楚漢ってどっちもボロボロに疲弊していた印象しかねえんだが

空前絶後の軍国主義国家だった秦軍主力が戦争の天才項籍に次々と打ち破られていったことが不思議
コメント2件

554
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/29 22:41:08  ID:HOAfucSd0.n(8)
西の方から伝わった優れた鉄器を用いる蛮族に春秋戦国の諸侯は圧倒されたって巫●さんが言ってた
コメント2件

555
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/29 22:42:44  ID:5zHkwThk0.n(4)
>554
それはどっちかって言うと西晋じゃね。
コメント2件

556
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/29 22:44:50  ID:HOAfucSd0.n(8)
>552
草生やしてる551は煽りだから放っておけ
確かに比較検討するなら楚漢に近い時代の地中海地域(かオリエント)が適当だろうな

557
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/04/29 22:45:28  ID:ILQZ53YI0.n(14)
>552
>同時代の漢とローマ、どちらの軍備が優れていたかで議論した方がまだこのスレの趣旨に沿ってると思う
それを言ったら、「それは漢です」で終わってしまう話。

GDPが3倍ぐらい違うらしいから勝負にならんねw
これは想像レベルの話ではなく、税収の記録や人口の統計が秦の時代から断片的に残っているのが中国のすごいところ。
当然、人口や軍備に対する、投資額もそれに比例するだろうから、ローマには全く勝ち目がない。
コメント2件

558
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/29 22:46:19  ID:ap+TaJJv0.n(4)
そもそもソ連兵みたいに死ぬまで突撃しないと後ろから粛清されるなんてなかったろ

559
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/29 22:48:46  ID:HOAfucSd0.n(8)
>555
・周〜春秋の蛮族大攻勢に敗北する中華
・始皇帝の秦も月氏に手を出せなかった

その原因は鉄器じゃね?というのがあの方の認識なんだ
コメント2件

560
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/29 22:48:50  ID:lMtaSo5n0.n(8)
>553秦は趙高のせいでボロボロになっていたからね
囚人を兵士にしないといけないほど正規の兵士がいなくなってたぐらいだからな

たいした将軍はその時いなかったとはいえ正規の秦軍に勝利し続けた周文はもっと評価されて良いと思う
コメント2件

561
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/29 22:51:18  ID:lMtaSo5n0.n(8)
>557自軍より数の多い敵に勝利し続け大国を築いたローマだから、どうなるかわからないと思うな
コメント2件

562
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/29 22:53:11  ID:r7HfP1kr0.n(8)
>560
王離が率いていた北方張りつけの軍団は最後の正規戦力だったような気もするが

項籍、幼年期にはまともな従軍経験なかったのに何であそこまで勝ち続けられたの?
ワケ分かんないよ
コメント6件

563
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/04/29 23:00:24  ID:ILQZ53YI0.n(14)
>559

俺は騎馬だと思うなw
春秋なら中原は戦車に徒歩の従者が付いて回る戦車戦だし、
秦も歩兵が主力だ。わざわざ遠くに歩兵はやれんよ。

564
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/29 23:02:11  ID:HOAfucSd0.n(8)
>561
というか漢帝国とローマ帝国の国外遠征に動員できる兵力はそんなに変わらない
コメント2件

565
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/29 23:09:17  ID:lMtaSo5n0.n(8)
>562項梁の元で訓練を積んだんだと思うが、それにしても規格外すぎるよなw
突然変異のモンスターとしか思えん

566
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/29 23:11:13  ID:ap+TaJJv0.n(4)
>562
項梁から軍団を引き継いだだけだろ

567
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/29 23:12:55  ID:r7HfP1kr0.n(8)
劉邦は張耳のもとに転がり込んで客やってたみたいだから
何となく軍事や事務仕事の経験を積む機会はあったんだろうなあ、と推測できるけど
項籍は勉強嫌いとか飽きっぽいとかそんな幼年期

軍国主義の権化が弱体化していたとは言えズブの素人相手に負けるというのはちょっと…

568
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/04/29 23:13:23  ID:ILQZ53YI0.n(14)
鉄器が現れて鉄器の性能が青銅器を駆逐したみたいなうそを学校で教えているからなw

鉄器は安価に作れたが、機能が青銅器に勝るのはずっと後だ。
鉄は熱処理の技術が確立されるまでは、安定した品質のものを製造するのは困難だとみるのが妥当だ。
魏の曹操は青銅の鏃を好んだという記述があるらしい。
当時の呼び名は鉄→悪金だからな。

欧冶子や干将莫邪ならその秘法を知っていたかもしれないが、
正確な温度をどうやって管理するのか?
正確な炭素含有量をどうコントロールするのか?
これができないと、青銅に勝る品質はできない。

569
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/04/29 23:20:27  ID:ILQZ53YI0.n(14)
>564

一兵卒あたりにかけられる費用が違う、GDP3倍の差だよ。
土木工事にしても、攻城兵器にしても、
かける費用の勝負になったらローマは勝てないだろう。

570
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/30 00:32:31  ID:ET7T2FDo0.n(4)
ローマの知識は「古代世界唯一の100万都市ローマ」「コロッセオSUGOI」くらいなもんで判断つかんが
それなりに秦漢には詳しいつもりの俺の目から見て明らかに向こうが「優れているなー」と思うのは
まず目立つ兵卒の多彩な甲冑だな、紀元前後とは思えないほど洗練されており凄まじい技術力を感じる
あとやはりインフラ、広大な帝国全土にあれほど優れたインフラを備えた街や軍団駐屯地をポコポコ立てる力は恐ろしい
コメント4件

571
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/30 00:43:36  ID:wIdk2QiA0.n(4)
>570
始皇帝が作った馳道とか直道も凄くね?
コメント2件

572
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/30 00:54:31  ID:uYOURTCk0.n(2)
>570
精鋭軍と思われる秦漢の兵馬の俑から察するに
秦末〜楚漢〜漢くらいの兵士の金属鎧や兜の装備率はかなり低いからね。
漢墓から出土した王侯用?っぽい金属鎧ですらかなり簡素で防御力は低め。

573
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/30 01:10:30  ID:ET7T2FDo0.n(4)
>571
すごいとは思うんだが、馳道に関してはほぼ文献に頼るしかないからな
ネットで検索したら現代でも普通に使えそうな物凄いインフラが次々に出てくるローマと比べるとちょっとな…
直道は遺構の一部は発見されており驚くばかりだがこれも全体像の把握にはまだまだ調査が必要な段階だし
コメント2件

574
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/30 02:26:47  ID:NX16IB6P0.n(2)
>562
王離の軍は元々は匈奴戦線担当のエリート兵だよ。王離が匈奴戦線から離れた事で冒頓単于の勢力が大きくなった。

575
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/30 15:55:37  ID:mdwcqB+j0.n(2)
>548
>敵の先端部分を騎兵の弓や弩兵で後方との分断を図って崩そうとし
騎兵の弓って、この時代は騎射は無いんじゃないの。
コメント2件

576
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/30 19:01:16  ID:4dX/MFLX0.n(4)
>573
古長城くらいしかまともな構造物が残存してない古代中華不利スギィ!
まぁ残存してたとしても頭おかしいハイレベルさを誇るローマ建築に匹敵するとはとても思えんが(ローマン・コンクリートとか卑怯スギィ!)

都市・住居・宮殿の基礎など、地下の保存状態が比較的良好な場所の構造も雲泥の差がある
流石にインフラの質では周辺の錚々たる大文明の技術を継承したローマに一日以上の長があるべ
コメント2件

577
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/30 19:07:34  ID:wIdk2QiA0.n(4)
>576
万里の長城から石材盗んでいく現代中国人見ていたらそりゃ古代の遺跡もあんまり残らんよねと思わされる
コメント2件

578
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/04/30 19:47:13  ID:4dX/MFLX0.n(4)
>577
まぁ万里の長城は長すぎて価値を感じないor保存する価値がほとんどない部分が多いのも事実だから一概には言えないがね
目立たないものなら日本でもよく消えていくし


おそらく先秦の文物は秦による六国滅亡と楚漢戦争による統一秦の崩壊で権威を失い急速に朽ちていったと思われる
もともと耐久力の低い建材を用いることが多いから地上建築は短期間で損傷→価値の低下→放置、破壊、再利用→消失

漢(太平の世だったが墓荒らし流行)〜魏晋南北朝の盗掘で地下の墓葬もすっからかんになってジエンド

579
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/01 01:44:28  ID:OOzSJBzi0.n(2)
世界には数十年、酷いと百年以上もかけて一つの壮麗な建物を建てることが結構あるが
中華はなんかすぐに腐れ儒者がブーブー騒いで邪魔するイメージがある
存外安かろう悪かろうでスケールを確保する文化なんじゃね?版築とかもろそれっぽい

始皇帝「芸術がわからん奴らだ」
項羽「燃やす」
コメント2件

580
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/01 02:58:35  ID:A+Y4euy40.n(2)
煬帝「大運河工事を強行したワイ有能」

581
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/01 03:24:13  ID:qj+ZfKAR0.n(2)
戦国末期に大土木工事で秦の国力を削ぐべく韓が送り込んだスパイ鄭国が献策して
灌漑水路を作らせたけど完成したらかえって秦の国力をアップさせた鄭国渠とか。

582
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/01 07:22:37  ID:ndOd26ts0.n(2)
永楽帝「万里の長城の修復したワイ有能」

583
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/01 09:09:15  ID:7oB3ub6LO.n(2)
>575
え!?

584
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/01 10:45:51  ID:C8g5XV050.n(2)
ローマと中国に関してはS野おばさんにかぶれるかT中おじさんにかぶれるかで全く違う世界の話してるみたいになるからな

585
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/01 12:34:18  ID:1atnqrEE0.n(2)
ハゲガイエは感覚が90年代のノリで止まってるの別にしたらそんなに異様な感じはしなくね

586
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/01 20:08:07  ID:mcA7mnfN0.n(2)
ガイエは塩婆女史のみならず某古代中国小説家にも文句言ってたなあ、変な拘りがあったね

>579
地味な漢の皇帝陵より批判されまくった始皇帝陵の方が後世役に立っているという…
コメント2件

587
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/01 21:50:53  ID:bXh5CF+/0.n(2)
>586
T瞬臣?
M城谷?
コメント4件

588
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/01 22:17:20  ID:aM3tBviF0.n(2)
俺解釈に異様に拘るのはガイエが三国志ヲタ上がりだからじゃね。
(著作では三国志ヲタ馬鹿にしてるけど)

589
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/01 23:01:56  ID:uZ67MLkC0.n(2)
>587多分Mの事かと思う

590
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/05/02 01:02:42  ID:3Ckil9R90.n(2)
近現代文明を築き世界を制圧中の欧米諸国の源流であり複数の古代文明の集大成でもあるローマのS女史に喧嘩売るのは流石に分が悪い。

>587
ガイエが噛み付いたのは大雑把に言えばM氏の中国のピークは戦国時代という発言(断言ではない)。
近代知識人の儒教否定の流れを汲む考えなんで司馬遼太郎も紀元前信者同だし一般の歴史ファンも頷く話だが。

結局ガイエが推していた中世以降の中国史は人気出ないどころか陳やガイエを知ってる世代が老いて更に下降線で
〇姐饂岫∩心銑史記戦国列伝の一部有名エピが相対的に人気な状況は不変という哀しい結果に終わってしまった。

591
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/03 00:30:01  ID:gLjF+v7N0.n(4)
時代が悪かったね
90年代はまあ良いとしても00年代の日本人に「本場中国の老百姓はこっちを好んでる。お前ら三国志/古代ばかりとかダセーぞ」ゆうても反感買うだけやし

三国演義や項羽と劉邦(楚漢)ほどわかりやすくキャラが立った魅力的な素材はそうないし
コメント2件

592
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/03 01:40:09  ID:LfMSPa910.n(2)
陳舜臣を戴くガイエ教は杉様にやられたイメージ。
楚漢戦争は作家に恵まれたな司馬遷と司馬遼とかいう。

593
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/03 01:46:02  ID:QgR2Cx5j0.n(4)
S女史はツッコミどころ満載だし、ある意味妥当なような……
未だに中国史が三国志以前ばっかなのは、もうちょい何とかなってもええと思うけどね
というかモンゴルですら最早そこまで話題に上がってないっていうのがエンタメの回転サイクル早すぎるって話だけどね

594
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/03 03:08:25  ID:+NIEBiIn0.n(6)
>591
ぶっちゃけ日本史だって戦国と幕末しかネタないからね。
南北朝(日本史)だって北方が良い本書いても後に続く作家出てこなかったし。
古代に至ってはお察し。
(むしろ漫画の方が積極的)
コメント2件

595
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/05/03 03:30:31  ID:DpBa9IsP0.n(4)
春秋戦国〜三国志までは邦訳された歴史書が読めるのが大きいんだろうな
だから多くの作家が手を出せる
三国志より後の時代は邦訳されてないのばっかりでハードルが高い

596
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/03 03:33:51  ID:+NIEBiIn0.n(6)
全訳されてるの後漢書までだからね。

597
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/03 10:11:23  ID:gRJR69uw0.n(2)
問題はガイエの書く中国ものはつまらないって事だ
コメント2件

598
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/03 11:07:31  ID:QgR2Cx5j0.n(4)
ちくま三国志が1994年
ちくま史記が1997年
ちくま漢書が1998年
全訳後漢書が2007年

三国志の全訳早すぎるやろ……これが三国志人気か
その割には後漢書の翻訳が遅いのが不思議やけど
コメント2件

599
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/03 13:44:44  ID:jr1cwqR70.n(2)
後漢書全訳文庫版でほしい

600
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/03 14:20:16  ID:+NIEBiIn0.n(6)
>597
ガイエは短編は面白いよ。長篇の場合短編とか中編で書いた方が良いのを無理に伸ばしてダラダラしてる感じ。

601
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/03 18:34:46  ID:fC6SNvVN0.n(2)
>594
南北朝〜戦国前史(応仁の乱)辺りはそろそろヒットする漫画とか出そうな感、実力のある漫画家が上手くウケるように描けば
Twitter見てると興味持ってるクラスタ相当多いし何よりネタが豊富、三国志と楚漢を除く中国史よりは圧倒的に人気はある
コメント2件

602
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/03 20:15:08  ID:gLjF+v7N0.n(4)
楚漢三国はあれども中華帝国盛時たる前漢や後漢は不人気やね
盛唐のシルクロードロマン的なのも昨今はとんと見掛けん
春秋戦国も過疎スレだらけで特に春秋は話題に上らない

603
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/05/03 23:44:54  ID:DpBa9IsP0.n(4)
前漢の話題でも高祖〜武帝までが語られる事が多く
その後はマイナーな域になってるな
やっぱ司馬遷と史記は偉大

604
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/05/04 23:17:04
文帝「えっ、俺も大体流されるだろ?」
高祖「なんでお前が継いでんねん」
景帝「ほとんどスルーですわ」
武帝「俺ですら一般的には、領土広げた、で終わるよな」
司馬遷「わいの息子を返せー!」
項羽「史記とかいう最高の歴史まとめブログ」

605
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/05 03:10:57
王莽「西漢に勝った俺が負けた項羽より強いのは確定的に明らか」
コメント2件

606
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/05 11:57:19
スレチだけど北方さんの楊家将のコミカライズ格好良くてよかったんだけどなー。耶律休可が出てくる所ぐらいまではよみたかったなー。

607
陝西富平人@\(^o^)/[sage]   投稿日:2017/05/05 15:27:47
>605
つまり楚漢戦争の勝者は田斉

608
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/05 16:54:03
文帝以後、前漢帝室に魏王家の血が入ってることを考えると
田斉が魏から禅譲受けて楚漢戦争に勝利した(錯乱)?

609
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/05 23:10:36
始皇帝「ちょっと首都圏に田氏を連れ込みすぎた反省してる」
コメント2件

610
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/06 19:24:45
>609
むしろ漢代に第一から第八姓に改めた田斉を思い起こされた
後世、第五のみ残った様だけど

611
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/06 21:30:45
第八矯「・・・・・・」

612
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/06 23:49:14
いくらなんでもまとめて連れて来すぎ感はある
平時はともかく非常事態になったら危険だ

613
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/07 00:00:18
関中の人口がそれだけヤバかったんだろうけど
前漢って元敵国の住人を首都圏に大量移住させてよく何事もなかったなあ
それとも、軍隊で監視すべき場所を限定できるから、案外良案だったんかな
コメント2件

614
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/07 02:19:58
>598
全訳晋書いつ出るんだろ
コメント2件

615
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/07 14:35:34
>614
出てほしいし
全巻そろえて6万とかでも買うけど
出る可能性はゼロに近い

616
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/12 00:17:11  ID:xwwFzbUd0.n(2)
中国史書入門 現代語訳 隋書 : 勉誠出版
http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&;products_id=100736

晋書でないかなあx
コメント2件

617
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/13 20:30:15  ID:PFgZaoe60.n(2)
>613
王朝崩壊の大事にならないレベルの軋轢とか一揆は無数にあったでしょうが
史記に書いてないだけで
まあ漢は政権の主要構成員自体が六国の移住者なので問題は少なそうだけど

618
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/13 22:13:49  ID:jM+RZ+Mp0.n(2)
一種の国際都市化である天下の人的資源を中央に集める政策は王朝の世論に多大な影響をもたらしたやろな
統一秦時代の負の側面の大半に外国人(旧六国人)が関わってる

619
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/14 22:00:27  ID:g7Msf5tb0.n(2)
戦国中〜後期の秦の君主のなかで最も知識人文化人を好んでそうなのが始皇帝

620
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/15 07:37:21  ID:ayZEo/Hx0.n(2)
政くんは自分の出自とか政策とかに触らなければ知識人は大事にしそう

621
陝西富平人@\(^o^)/[sage]   投稿日:2017/05/15 20:38:43  ID:YMDqBi6e0.n(2)
儒者や道家系の人物が政権に参与していますよね
始皇帝、さすがは呂不韋の後継者と言ったところでしょうか

622
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/05/15 22:49:15  ID:WzWG7xr80.n(2)
意外と継続性があるんだな。
独自の統一と統一後のプランがなかったせいか?
まあ李斯がハッスルしまくったおかげで始皇帝末期に結局断絶するけど。

623
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/16 02:46:04  ID:x//ksb160.n(2)
蕭何「始皇帝と李斯の遺産は蕭何が美味しく頂くかしら〜」

624
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/17 06:44:08  ID:1dJ3k9l00.n(2)
>601
モーニングで建武の新政から足利にかけた漫画が始まっているよ。

625
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/17 14:00:21  ID:dQuqRxQz0.n(4)
バンデットな

626
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/17 16:00:00  ID:/24A+sGi0.n(4)
太平記はいま大河でやったらめっちゃ人気出ると思うわ
基本的に21世紀は日本史ブームだし

627
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/17 16:46:20  ID:dQuqRxQz0.n(4)
太平記って言うか戦国以前って相当マイルドに味付けしないと一般受けは難しいんじゃ。

628
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/17 17:05:05  ID:/24A+sGi0.n(4)
少なくとも中年以下の日本人には下手なマイルド化は逆効果のご時世だよ、ネットは奸計とかヒャッハー!大好きだし
「これが現実だー!本物の中世だー!」って素直に中世したほうが受ける

629
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/17 22:35:31  ID:Gx5kek290.n(2)
悪党は悪人と言う意味ではない。なお高師直。

630
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/17 22:50:12  ID:k/tKIqN70.n(2)
土岐頼遠「おい!上皇様!ほれ、わんわん言うてみ?」

631
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/05/19 07:09:26  ID:MeCp967L0.n(2)
父は100万の兵を指揮したのが自慢だった、
と次男の周亜夫が言ってるんだから、
漢が保有する潜在的にある兵員の数ではなく、

実際に動員した数なんだよな?
周勃が100万の兵を指揮したのっていつのことなんだろ?
コメント2件

632
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/19 09:33:21  ID:6xXSpMPOO.n(2)
そういうのは「天下の兵権を手にしていた」という類いの解釈では?

633
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/19 15:30:19  ID:dg8zz7gF0.n(2)
>616
神保町の東方書店で買って読んでるわ。
避諱使ってる人物には注釈とか入れて欲しかったわ。
(李勣がまんま徐勣って書かれてたりとか)

634
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/19 22:30:25  ID:UhX1LJ/C0.n(2)
>631
文帝「おもしろいジョークだ。」

635
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/05/20 07:34:30  ID:mZz2nrZs0.n(6)
こういうのもあったな、
「私は100万の兵を指揮したことがあるが、獄吏にこのような力があるとは知らなんだ」
周勃って自慢厨なのかw

636
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/05/20 07:42:10  ID:mZz2nrZs0.n(6)
文帝が、裁判と財政で、周勃と陳平に下問するエピソードがあるな?

あれのやり取りの周勃のセリフの頭に、いちいち「私は100万の兵を指揮したことがあるが」を付けてみたら、
超自慢厨周勃の誕生だ、あまりの自慢厨ぶりに大爆笑した。

637
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/20 09:06:57  ID:5GDfs+I90.n(2)
周勃「ボクは100万の軍も指揮できますからね!陛下はこんなボクの主君で幸せですね!」

638
シ無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/20 19:24:48  ID:CM4Q5+Ne0.n(2)
韓信を殺すだろう

639
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/20 20:06:12  ID:mZz2nrZs0.n(6)
項羽と劉邦を語るならこのサイトは欠かせないが
http://kanso.cside.com/index.htm
↓の真ん中あたり、周勃のこんなところがおもろい
http://kanso.cside.com/syasyoku.htm
コメント2件

640
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/05/21 07:29:29  ID:5uRwePBu0.n(2)
周勃さんはまじめだなぁ・・・

641
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/05/22 03:19:43  ID:RU1p7/PM0.n(2)
>639

韓信が蕭何の罠にはまってとっ捕まった時、灌嬰が捕縛の現場に立ち会ったよな?

642
チたよな? []   投稿日:0000/00/00 00:00:00

643
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/05/31 23:25:48  ID:efN1k/Hp0.n(2)
一瞬、灌嬰が緊縛の現場に立ち会ったと空目

644
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/07/03 16:05:59  ID:TipwZdmD0.n(2)
韓信のマラくぐり

645
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/07/03 22:55:06  ID:E6xcjyNa0.n(2)
嫪毐「やらないか♂」ボロン

646
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/07/05 22:42:57  ID:i3Aml86h0.n(2)
梅毒に見えて仕方がない。

647
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/07/20 23:12:44  ID:/DrE9TQ10.n(2)
韓信が漢軍に合流しに発つところ、よく見ると遠くに自動車が走っていててワロタ

648
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/07/22 23:37:26  ID:8gPIEpgU0.n(2)
機械化歩兵部隊を率いて電撃戦を敢行する韓信

649
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/07/27 05:52:28  ID:dEyc506x0.n(2)
史記とか ぜんぜん おかしいわ。
だって、常に勝者は一人だけ。残りの絶対多数は全員が敗者。心あるものが改革を進言しても抹殺される。
我々民主主義の観点から見れば「敗者の教え」になる。
13億でも14億でも一人を除いて全員が敗者の自覚があるから劉 暁波もやられる運命だと、あらかじめ洗脳されていたも同じ。
法輪功も(独裁体制に立ち向かうものだったので)やはり抹殺された。
天安門事件も同様。もう中国人は「抵抗して、やられる」というワンセットになってるんじゃないか。
その頭で考えれば周辺国に対して「お前らも やられて当然である」という発想になるかも知れない。

650
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/07/27 19:44:45  ID:n8YQ+DbT0.n(2)
頭がおかしいな。劉邦が勝者だとしてそれを支えた蕭何や張良は敗者なのか?どう見ても勝者だろう。
コメント2件

651
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/07/27 23:32:40  ID:FG3H9oW90.n(2)
蕭何は痛み分け、張良は勝ち逃げって印象
どう見ても勝者は曹参あたりかな

652
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/07/27 23:41:06  ID:BfiRRpXW0.n(2)
案外負けた側の季布や欒布も勝ち組かもな。

653
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/07/28 06:16:46  ID:kD80F7ap0.n(2)
朝鮮も全員が敗者だけど、気分は大○国なので、その矛盾の境界で火病発症。

654
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/07/28 12:09:18  ID:hetkPfsZ0.n(2)
古代中国を民主主義の観点から~とかあほくさ

655
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/07/28 18:29:05  ID:5tcSsBSz0.n(2)
>650のレスはどう見ても阿呆かつ基地外だが、
いつの時代の中国だろうと民主主義的観点で評価する事自体は構わないと思うぞ、別にあほくさくはない。
中国文明はギリシャ・ローマ等と違い伝統的に民主的ではないので、その点で低評価になるのは自然なこと。
個人的には、あまり魅力を感じない物差しだがね、古今東西問わず。

656
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/07/29 19:33:59  ID:HcPj6mbb0.n(2)
度々主要国で一番自己肯定感が低い調査を叩き出す、自殺大国
敗者の中の敗者な民衆を擁する我が日本国はやはり民主的ではなかったようですね…

657
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/07/31 07:38:34  ID:EEXShPKn0.n(2)
中国は外の国は何とか御することが出来たけど、日本にはやられっぱなしで悔しく、危険な国と見定めて
日本軍人の強さに打ち勝つために全員を火蟻にするために学校教育で反日洗脳を行っている。
一時は経済大国だった日本にも打ち勝つためにアメリカに働きかけて産業拡大して日本に勝った。
核も持ったし、あとはアメリカとの同盟関係に傷を入れれば勝てると思っているようだ。

658
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/01 04:26:52  ID:rvgMwN4q0.n(2)
季布は80近く迄生きた 完全に勝ち組

659
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/01 07:31:34  ID:QwSwvqHp0.n(2)
>659
漢に仕えても直言の士を貫いたのはすごいわ。
まあ夏侯嬰や劉邦もそれを見込んで登用したんだろうけど。

後世で言うと魏徴や狄仁傑のポジション。
コメント1件

660
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/01 15:11:26  ID:+wr8sKdu0.n(4)
そんな単純なキャラじゃないと思うぞ
政変相次ぐ時世を失脚せず順調に出世してるってことは

661
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/01 19:52:52  ID:BjjwyGqF0.n(2)
波乱万丈感では欒布もなかなか。

662
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/01 20:16:31  ID:8SI6phUg0.n(2)
項羽配下も優秀な人材多いよな
項羽の叔父も劉邦の元に招かれて劉の姓を貰う程だし

663
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/01 20:24:24  ID:9sM7UwnZ0.n(2)
項羽は敵には容赦ないけど部下は領民には優しかったんやろな。
コメント2件

664
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/01 22:55:55  ID:+wr8sKdu0.n(4)
項羽勢の資料ほとんどないから有能無能善悪の判定は難しいかと

665
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/02 05:29:36  ID:umqbO0eZ0.n(2)
あいつ礼儀正しいけど人の話聞かねーし金くれねーから離脱してきたわって奴が
劉邦陣営に来たわけだからそういう人間だったんだろうな
コメント2件

666
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/02 09:48:45  ID:2u77Tti90.n(2)
卑近な例ですまないが
日本のヤンキーによく居そうなタイプだな
もちろん大盤振る舞いするやつもいるけど

667
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/02 11:14:27  ID:qBtMDJ370.n(2)
>665
周殷や曹咎なんか重鎮なのに殆どわからないしな

668
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/02 21:59:03  ID:OydIh0kC0.n(2)
三国志の陳寿みたいに楚側の人間が歴史書を書いたりしてたら
項羽配下の人材の記述も残っていただろうにな

669
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/03 12:50:25  ID:Zb4eYfro0.n(2)
楚は字が違ったんだろ

670
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/03 19:42:29  ID:ikaQ6Ami0.n(2)
>663
項氏宗族重鎮として大活躍するどころか利敵行為の方で目立ってる奴を項羽側の優秀な人の例に挙げるってのはあまりにも不適当すぎる
不適当すぎて項羽サイドに人なしという印象が・・・いやまあイメージ通りだけれど

671
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/03 23:36:02  ID:fbbAGc8+0.n(2)
項羽側で活躍したらしき記述がある人物だと、
范増、竜且、鍾離昧、周殷、項声、浦将軍あたりか
季布は有名なのに項羽陣営での活躍ほとんどなかった記憶がある

672
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/04 15:33:28  ID:TAXFN43Y0.n(2)
>672
周蘭がいる
項羽陣営じゃけっこう記述の多めな人物
コメント3件

673
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/04 22:48:32  ID:rAq+lGYi0.n(2)
>672
せやけど季布以外の連中も大概空気キャラなんで大した違いはない・・・

674
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/05 23:57:07  ID:HOmpsUdH0.n(2)
史記が書かれるまでの数十年間に項羽側の記録は抹消されたに違いない!
范増なんて、劉邦が張良蕭何韓信に匹敵するとまで言ってるのに、鴻門の会で失敗したことと項羽に疑われて憤死したことしかない
これじゃただの頑固じじいだ

675
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/06 09:23:33  ID:Cef43ZWC0.n(2)
>675
腫れ物が出来てたのは本当か分からないけど
高齢だから頭に血が昇って死んだのは無理がないと思うけど
コメント3件

676
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/06 18:35:50  ID:KkyU6mTX0.n(2)
>675
はっきりいって項羽臣下は数年で消えた軽い存在だし元から碌な記録なかったと思う
范増高評価に関しては項羽否定喧伝の都合上かなりの下駄履かされてんじゃないか疑惑

677
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/06 20:21:17  ID:U7fgEkPF0.n(2)
項羽自体が10年持たずに滅亡してるからな。

678
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/08 22:23:20  ID:cFfemUkx0.n(2)
一見強そうだけどぽっと出て爆発してぽっと消えた三流政権だかんな…
旗色が悪くなった途端に身内外様関係なく見放される項羽さん不人気すぎィ!!!

679
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/08 23:53:26  ID:cnCE7KTe0.n(2)
項羽様は絶頂期の世界最強状態の時からわりと致命的な反乱くらってるからな、、、

680
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/09 00:19:23  ID:O74OVrbg0.n(2)
こーもんの会で劉邦殺されてても、項羽政権は結局続かなかったんだろうか?

681
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/09 00:29:00  ID:heqF2Z010.n(2)
五胡十六国で言うところの冉魏(2年)西燕(10年)とか五代十国の後唐(16年)後晋(11年)後漢(14年)後周(10年)みたいな政権やからな。
コメント2件

682
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/09 00:37:45  ID:gyvtlAdv0.n(2)
31まで生きて子どもはいなかったんかな

683
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/09 19:25:25  ID:jmsu/ULy0.n(2)
>681
張良、蕭何辺りが生きていれば、劉邦に代わる人物立てて反攻しそう。
項羽がいたから人材は劉邦に流れたので、受け皿でさえあれば劉邦である必要も無かった気が。
韓信登用は必須かな。
コメント2件

684
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/10 21:07:14  ID:7ho3tezG0.n(2)
代わる人物っていただろうかと色々想像した

685
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/11 00:45:04  ID:G1GT1obs0.n(2)
劉邦云々以前に脆弱な項羽政権はどのみち短時間で自壊すると思われ。

686
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/11 01:17:24  ID:p162LnO20.n(2)
劉邦が関中に反転する前に、斉、代、殷が反乱起こしてるし、九江は遁辞構えて動いてないしなあ
その他に韓が楚に潰されて、遼東が燕を攻撃して逆襲喰らって滅亡してるし、
項羽の十八王体制って不安定ってレベルじゃねーぞ

687
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/11 01:28:00  ID:w77RZuhx0.n(2)
>683
そこ不思議だよね

688
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/11 01:51:49  ID:fTLHN98q0.n(2)
元おまえら系ニート国士無双でさえ、連座して処刑される家族がいたのに、
西楚覇王ときたら妾しか記録にないんだよなあ

689
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/11 07:50:38  ID:ahD6hd0I0.n(2)
記録に残らないだけでいたんじゃないかって気もする
どうなんだろうね

690
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/11 07:55:47  ID:pLU+rruf0.n(2)
項羽の妻の一族云々って記述はあるから多分正妻っていたんだろ。
戦場につれてくのは基本側室だし。
(呂后も基本お留守番)

691
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/16 08:52:08  ID:5R+k6qwX0.n(2)
カンニング・スタンツの存在を昨日まで知らなかったけど
これ面白いね、完結してほしい

692
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/16 09:05:25  ID:O3xfUbmR0.n(2)
仮に項羽が家族ごと処刑されても伯父の項伯は劉邦の陣営に残ったしその一族が存続した可能性はあるな
コメント2件

693
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/17 07:21:14  ID:Pp57IP5e0.n(2)
不幸の系譜は現代中国に続く。
コメント2件

694
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/17 15:59:02  ID:9cZZ5lsbO.n(2)
>693
項伯さんは鞍替えというかなんというか項羽陣営とは距離おいてて正解だったね
剣舞しつつ身体張りながら守るとか中々出来ないよ

695
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/17 17:15:23  ID:2gH1erjP0.n(2)
何としても張子房の恩に報いねばと必死の思いだったのかな

696
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/18 11:27:38  ID:w4tr3KA50.n(2)
死にたくなくてやったとか

697
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/18 16:08:50  ID:7EMYZ3hbO.n(2)
何か殺されかねないことあった(やった)っけ?

698
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/19 01:53:49  ID:euQDhxjG0.n(2)
項它・項伯(劉纏)・項襄の子孫が生き残ってるだろ。全員劉姓名乗ってるけど。

699
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/19 20:18:32  ID:jLmChhRd0.n(2)
>692
いい暇潰しになったわ
ポエニも描いてもらいたい

700
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/19 20:59:44  ID:hOCvCejp0.n(2)
>700
いいね
ハンニバルも好きだから読んでみたい
コメント1件

701
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/20 15:11:23  ID:AxFz6IvCO.n(2)
ハンニバル好きだから『ローマ人の物語』で孤軍奮闘もむなしく
徐々に追い詰められ本国からも見捨てられ処刑されるハンニバルがかわいそうで
『ローマ〜』の続きを読むのやめた

ハンニバル(とスキピオ)主人公漫画に『アド・アストラ』ってあるけど
絶頂だったカンネー(カンナエ)の戦いも終わって
シチリアが陥落して実弟マゴが死んでハンニバルが苦境に陥ってる状態で
あとは負けていくだけだから正直読み続けるのはしんどいんだよね

702
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/20 16:50:36  ID:2FcVa93C0.n(2)
ハンニバルの味方は兄弟しかいなかったからな
1度負けたら後は終わりだった
コメント2件

703
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/20 17:53:06  ID:flJscjow0.n(2)
それに比べたら大敗しても不死鳥のように甦った劉邦すごい。
勢力基盤と人材って本当に大事だね。

704
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/20 17:58:24  ID:45SpgB0Z0.n(2)
彭城を制圧した時点で勝利確定だったはずなのに、そこから歴史的大敗喫した高祖ェ……
もう一度逆転してるから良いけど、逆転できずに死んでたらどういう悪評がついてたのか分からんね
コメント2件

705
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/20 18:52:02  ID:WGCnnRGm0.n(2)
項羽が秦を滅ぼした後、関中王になっていたら
コメント4件

706
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/20 20:41:51  ID:tj/dQTFl0.n(2)
>705
油断して宴会してる内に大敗して
ズルズルと退勢に陥った龍神の子とか虚勢張ってた
天下取れたとか言われる過大評価野郎とか

707
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/20 21:40:10  ID:As282ms80.n(4)
>705
「烏合の衆」とか「陳勝の亜」とかそんな感じじゃね

708
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/20 21:49:14  ID:hoYeVUtW0.n(2)
劉邦の死後、「婦女の仁」のうえに部下にケチな項羽とコミュ障な韓信の
どちらが勝っても、秦が統一した中国はバラバラになる
ヨーロッパのように分裂したまま近代を迎えてそうだ

709
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/20 22:03:59  ID:W4tIKstS0.n(2)
>702楚漢戦争と第二次ポエニ戦争はかぶるところがあるな
項羽≒ハンニバル 韓信≒スキピオ って感じがする
項羽・ハンニバルを漢・ローマの主力軍が引きつけてる間に韓信・スキピオが他の楚・カルタゴ軍を撃破していくのが似ているわ

710
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/20 22:05:06  ID:As282ms80.n(4)
秦王家の再興運動が一度も起きなかったことを考えると項羽は徹底的に根絶やしにしたんだろうな

一番得したのは劉邦のような気がする
彭城の敗戦とかその後の苦戦の最中に旧秦地域で叛乱起こされていたら
項羽と戦争どころではなかっただろう

711
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/21 01:31:23  ID:ULFoNEa5O.n(2)
その辺は蕭何がうまくやったんでは?
あの人の「どこからとなく人員・物資をかき集めてくる能力」は(いい意味で)おかしい

712
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/21 14:50:23  ID:OjTh5xVn0.n(2)
>712
あの韓信を何日もかけて追いかけて行く時点でおかしい(いい意味で)
コメント1件

713
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/21 15:23:25  ID:fPnzNLy10.n(2)
蕭何が凄いのが楚漢戦争だもんな
劉邦を選んだのも理由があったんだろう
運だけで天下人になったわけではないよな
コメント2件

714
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/21 17:06:37  ID:+IR6aAx20.n(2)
一番頭良かったな
政治的才能は勿論だが先見性や人物鑑定能力が特に優れていた

715
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/21 19:08:30  ID:j62/Twhn0.n(2)
その蕭何を勲功第一とした劉邦もさすが
兵站の重要性を理解している

716
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/22 00:34:13  ID:WlZ4VTy70.n(4)
>704

関中を紛争地帯にしなかったのが良かった。
戦乱が長引けば長引くほど漢が有利。
食い物にありつきたさに散逸した兵隊がみんな戻ってくる。

717
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/22 14:29:48  ID:NTkApYiz0.n(2)
>713
その韓信も天下平定後には劉邦が不在中、呂后と組んであっさり処分してしまったところにもまた凄味がある

718
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/22 16:13:54  ID:bZNprgPi0.n(2)
韓信はどうしたら生き残れただろうか?
やはりカイトウの示唆に従って独立して項羽を倒した後に劉邦も倒してしまうべきだったのか!?

719
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/22 16:31:07  ID:Rri9u4du0.n(2)
>719
独立して項羽と組んで劉邦倒すなら戦なら勝てるね、ただ相手には蕭何、陳平、張良がいる。
ただ人材が韓信は足りてないように思うな
コメント5件

720
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/22 16:32:49  ID:WjEGk1cb0.n(2)
ぶっちゃけキチンと劉邦を立ててれば粛清されなかったんじゃね
変に日和るから疑惑向けられたわけで

721
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/22 16:44:14  ID:JOZrONJf0.n(2)
>721
韓信の手元に強大な戦力とその戦力を好きに動かせる権限が在るか無いか
が最大のポイントだと思われる

韓信が戦上手で優れた能力を持った存在である事が世間に知れ渡ってしまった以上は劉邦の側近達も韓信に対して警戒心を抱くのも必然だった
最終的に韓信に取った最大の理解者だった蕭何が韓信を罠にハメて捕らえられるに至ったワケだから
コメント1件

722
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/22 17:26:31  ID:9moRW4wy0.n(2)
>719
むしろ蒯通を遠ざけていた方が万事上手く行ったような気もする

723
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/22 18:12:25  ID:ZF76YmhT0.n(2)
>723
?通を遠ざけた事に依って韓信はああなったわけだからな
コメント1件

724
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/22 19:02:49  ID:74G4vcSz0.n(2)
>719
その場合曹参とか灌嬰の様に劉邦が韓信に就けた家臣連中が
韓信の下を去ってしまう気がする

725
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/22 19:08:25  ID:dWFy9rMA0.n(2)
項羽倒した後に項羽の部下たちを引き入れよう
更に彭越や黥布と手を組んでクーデター起こせば完璧

726
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/22 19:21:50  ID:SbiMew2M0.n(2)
張良のように仙人になると宣言しちまえば良かったのかしら

727
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/22 19:33:24  ID:MGx/zsmu0.n(2)
>727
張良以外の人間がそんなこと宣言したら
劉邦と呂后の猜疑心はマックスになる
逆に危険
コメント1件

728
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/22 19:51:42  ID:+kjBVRiFO.n(2)
少しでも身の危険を感じたら匈奴に逃げ込む

729
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/22 21:17:53  ID:ZdUOTV2p0.n(2)
>729
韓信が匈奴に逃げたら韓王信と余計にごっちゃになるな
コメント1件

730
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/22 21:22:28  ID:WlZ4VTy70.n(4)
東陵君に弟子入りして瓜を作って暮らすのだw

731
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/22 22:48:06  ID:zQe13gdc0.n(2)
韓信は王翦の処世術を見習うべきだった

732
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/23 04:22:19  ID:Uk2Q9J12O.n(4)
やっぱり第三勢力として鼎立して様子見するのがてっとり早いな
弱った方を叩いて天下二分。ただ惜しむらくは韓信には参謀がいない
コメント4件

733
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/23 05:10:45  ID:FGfI6/b/0.n(2)
カイトウさんは軍師にはなれないの?

734
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/23 05:12:44  ID:RJr1gocL0.n(2)
>732
王翦さんのおねだり大作戦は政くんもドン引きやろな
https://youtu.be/Ne-kEw84-f0

735
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/23 09:13:50  ID:lBSdC//xO.n(4)
戦後の論功で、変なゴネかたをせずむしろ異民族との最前線にまわしてもらい

兵力を維持したままそこでうまくいく間は漢のしん

粛清の網にかかるようなら独立か異民族との共闘

なにせ中央と上手く距離を取るべきだった

そうすれば呂家討伐のさいの中心になれたかも

736
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/23 11:09:37  ID:MV/AjmnS0.n(2)
その場合は陳平と争う事になったりして

737
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/23 11:38:32  ID:q1/LFXuA0.n(2)
どの道を選んだにせよ滅ぼされてたのかもな
コメント4件

738
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/23 12:20:22  ID:CTh4wzUw0.n(4)
>732
天下の大将軍になりたかったんだから引退とか論外じゃね?
死ぬまで将軍でいたかったんだろ

739
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/23 12:59:00  ID:PP7unMjb0.n(2)
始皇帝は猜疑心の強い人だと言われてるけど功臣はあまり粛清してないよね

でも王翦は老齢で亡くなったのは分かるけど李信や王賁とか、秦の全国統一から始皇帝没後の反乱まで10年ほどしかないのに統一戦争に活躍した武将ほとんど消えてるんだよな

740
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/23 13:22:04  ID:CTh4wzUw0.n(4)
王賁は始皇帝が死んだときにはもういないってのがな

741
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/23 16:02:58  ID:lBSdC//xO.n(4)
>737


周勃と手を組んだ陳平が?

742
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/23 16:09:30  ID:Uk2Q9J12O.n(4)
誇大とはいえ兵力ウン十万とかなんやねんお前らって思う
Q.斉を滅ぼすに必要な兵数は?
A.六十万

743
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/23 18:34:54  ID:U00uC+Rd0.n(2)
兵力は10分の1だと思えばええ

744
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/23 18:39:58  ID:P6UVe7ZS0.n(2)
>737
陳平自身は兵力を持ってないから周勃の兵力を必要とした。
それが韓信に代わっても何の問題もないだろう。
そうしたら韓信が左丞相になってたな。

745
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/23 18:46:05  ID:2g2Xj3s0O.n(2)
韓信は仮の王になった時点で統一後の粛清リストのトップじゃね

746
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/23 19:40:32  ID:V46xsRia0.n(2)
カイ通って韓信が独立せざるを得なくなるようにレキイキ見殺しにさせて
劉邦との軋轢生じさせようとしたような気がするのよね
実際の韓信は斉王をリクエストするくらいのアスペなので乗ってくれなかったが
コメント2件

747
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/24 03:20:19  ID:OidRgFdyO.n(2)
>746
斉王にして!とか劉邦をイラつかせずにさっさと兵を出してればよかったのに

748
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/24 09:13:21  ID:xMdLGvAs0.n(4)
蕭何のことだけは捕らえられるその時まで信じ切ってたのかな

749
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/24 09:14:39  ID:6Ea6ygWP0.n(2)
おそらくね
最強の将軍も大恩人には弱かったってことだ
ある意味蕭何が一番強いともいえる結果だね
コメント2件

750
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/24 09:17:44  ID:x/sQ383cO.n(2)
結局、粛清の対象になったのは諸侯がメイン
(英布、ホウエツ、ぞうと、チョウゴウ、韓王信、ゴゼイなど)
この中でも辺境におもむいたゴゼイは放置プレイ

また武官は意外と残っている

中央集権化を目指そうとする漢帝国の流れが見えなかったわけだから
漢帝国自体ひっくり返す以外、アウトだったのかも

751
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/24 11:40:12  ID:I+2SqDkz0.n(2)
>749-750
韓信と蕭何(と張良)が出る三国志11だと
韓信から蕭何に親愛の感情があるけど
蕭何から韓信には何の感情もないというドライすぎる関係が浮き彫りにw

752
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/24 19:06:08  ID:HlOtXoxd0.n(2)
もう、王になって独立する流れは無くなってるんだから、誰か劉家の奴と組んで反乱すべきだった
コメント4件

753
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/24 19:37:37  ID:l+mLCQWy0.n(2)
>752
韓信ちゃん可哀想です(´;ω;`)ウッ

754
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/24 20:22:16  ID:xMdLGvAs0.n(4)
>752
そういえばそうだった
一方通行なんだよなぁ

漢の三傑は本当に面白いというか
興味の尽きない人達だな
特に「どうすればよかったのか」と話題になりがちな韓信

755
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/25 11:25:16  ID:xpduakvZ0.n(2)
関ケ原の戦いで石田三成がどうやれば家康に勝てたかで、
俺は三成が劉邦(漢軍)の戦略を真似れば良かったのではないかと考えた。

史実では家康が、三成がいる美濃大垣城を素通りして
近江(そして京都大坂)へ 進撃するそぶりを見せたので、
大垣城から出陣して関ケ原に布陣して迎撃態勢を取った。

しかしである。 いっそ三成は京都も近江も美濃大垣も放棄して、
大坂城へ籠城すべきだったのではないか。
大坂城は天下の要塞だ。家康でもすぐには落とせず、
徳川の大軍を釘付けにされるだろう。
大坂の背後には、三成軍の旗頭たる中国地方の毛利・宇喜多領があるから、
補給が随時届く。
すなわち大坂城が広武山で、中国地方が関中地方に当てはまるのだ。
そして三成の親友の大谷吉継が所領の越前敦賀へ戻り、
味方の北陸大名である丹羽や青木とともに、加賀の前田利長を滅ぼす。
これが劉邦と項羽が決戦している間に、趙や斉を平定した韓信の役回りを大谷がやるわけだ。
前田を滅ぼした大谷は信濃へ進出し、真田と合流する。
真田幸村の妻は大谷の娘だ。

そして項羽の本拠地・彭城が家康の江戸城にあたる。
項羽は本拠地に近い九江王英布を滅ぼして後顧の憂いを絶ったが、
江戸城の側には英布の役回りにあたる常陸の佐竹がいる。
大谷が信濃上田まで来れば、佐竹も動く。

大谷と佐竹が関東の徳川領へ、真田は甲斐、駿河を略奪し、
関東の徳川領から大坂への補給路を切断させる。すなわち真田が彭越の役回りをする。
コメント2件

756
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/25 18:25:51  ID:r0qoJ0Pr0.n(2)
淀が秀頼が戦に巻き込まれるのを嫌がって拒否する。
コメント2件

757
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/25 20:07:29  ID:YoYvefVo0.n(2)
あのオバサンが害だよな
やっぱ実母は死を命じるべきだな

758
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/25 22:02:35  ID:t+kiLAZm0.n(2)
>755
・鍾離眜を殺さずに楚王の位返上してでも鍾離眜の助命を嘆願
・白登山の戦いに参加し冒頓単于を完膚なきまでに打ち破る

これやっとけば天寿を全うできたかもな
ウジウジ屋敷に籠って謀反考えるなんてその時点で韓信ではない

759
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/25 22:25:54  ID:dknsfr+M0.n(2)
冒頓単于を完膚なきまでに打ち破ったらますます警戒されそう

760
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/25 22:31:35  ID:2RGB1we10.n(2)
>760
いやいや、その前提が「韓信がぼくとつよりつよい」になるし割と無理ゲーやろw

言ってみれば将棋の勝負に初手でドスで刺してくんのがぼくとつやぜ
コメント3件

761
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/25 22:57:19  ID:Bla8Jsm/0.n(2)
それを見越して眼前に防弾ガラスを置き、遠くのビルにはゴルゴを配置しておくのが韓信だったりする

762
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/25 22:57:54  ID:g7PRkf2AO.n(2)
ボクトツが生きているから自分も生きていられると韓信が気付けば
一進一退うまく繰り返すの
かなと
そのあと、とう卓になるもよし割拠するもよし

なにせ異民族の近くでいれば力をたもちやすい
(ちょうこうに騙された盲点はもったいなさすぎ)

763
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/26 00:25:52  ID:qhn0q8ArO.n(4)
こうとししてそうくにられる


だっけ

764
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/26 02:30:59  ID:MVbRYgWIO.n(2)
狡い兎がいなくなると
走る狗は用済みになって
殺されてしまうのです

項羽がいなくなると
下手に兵力と能力のある異姓諸王は駆逐される運命にあったのです

765
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/26 07:28:12  ID:BD23nWrY0.n(2)
>760
冒頓単于は万が一大敗しても絶対に生き残るぐらいのしぶとい梟雄
韓信にやられたぐらいじゃ北原に逃げるだけで絶対に死なんよ
冒頓単于向けに韓信を万里の長城に張り付かせて蒙恬役をやらせるのが
漢にとっても韓信にとっても幸せだったのでは
それを間違えて同姓同名の韓王信にその役やらせるから(ry

韓信は厚遇されている限りは劉邦大好きで忠誠誓うから
韓信に王位と相国・宇宙大将軍・都督六合諸軍事とかw肩書与えていれば
匈奴が滅びん限りは韓信は生き生きしているだろうな

766
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/26 12:44:49  ID:s1KliNqa0.n(2)
劉邦「卿に辺境防衛に際しての全権を与える」
韓信「はっ!身命をかけて陛下と臣民をお守りします!」

厄介払いも出来てうまくすれば死んでくれるという一石二鳥
コメント2件

767
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/26 13:32:09  ID:wy93Z5a30.n(2)
>766
宇宙大将軍韓信か、実現していれば伝説だったね

768
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/26 14:02:00  ID:Co0AYUpR0.n(4)
李世民の天策上将を超える称号だな

769
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/26 14:24:29  ID:qhn0q8ArO.n(4)
韓信
「よし、異民族を一つ制圧したぞ」

異民族A
「カンシンツヨイ。ワレワレハオマエニ従ウ」

韓信
「よし異民族をまた平定したぞ」

異民族B
「カンシンツヨイ。ワレワレモオマエニ従ウ」

以下ループ
周辺異民族平定完了。本国をはるかに凌駕する大軍団を率いることに

精鋭異民族騎馬軍団を率いる韓信!
めざすは取り敢えずヨーロッパ!
「宇宙大将軍に股夫はなる!」

770
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/26 15:09:48  ID:b/J6Kd2E0.n(2)
ハンニバルと韓信に攻められて涙目のローマ

771
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/26 15:56:18  ID:Co0AYUpR0.n(4)
張良に「韓信を宇宙大将軍になさいませ」
などと進言され「子房がそう申すなら」とあっさり頷く劉邦

772
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/26 21:37:41  ID:9Js28Vzy0.n(2)
真顔で言ってるのを思ったらリアルに噴き出しただろうがw

773
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/27 19:33:55  ID:ttmJ/Q4q0.n(4)
韓信を警戒して淮陰侯へと降格させた奴らが諸悪の根源
韓信もうまく厚遇して使えば最後には周勃を超える社稷の臣になっただろうに
韓信の才能を全うさせられなかった点では劉邦は
島清興を全うさせた石田三成にも劣るな
蕭何も夏侯嬰も含めて誰も劉邦陣営で韓信の取説持ってなかったのが悔やまれる

774
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/27 19:50:52  ID:ttmJ/Q4q0.n(4)
>756
石田三成が大阪籠城しようとしたら徳川家康に各個撃破される
石田三成は赤坂辺りで気付かれて追撃されて撃破されるだろうし
もし石田三成が大阪に逃げ帰れても徳川家康は先に佐和山や敦賀の大谷吉継らを始末にかかる
徳川家康にとって得意な野戦でなく不得意な城攻め大阪城攻めは一番最後にするよ
その間に毛利家は内紛で手が付けられず毛利輝元は大阪城から退去確実で西軍の兵力激減
時間経てば経つほど徳川家康に有利になる状況だよ

だから石田三成はあえて短期決戦に持ち込もうとしたのだが
最善の策で最善の陣形でも陣営内の問題(毛利・小早川)を解決できなかったのが石田三成の限界で敗因
コメント4件

775
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/27 20:14:04  ID:WpJQafy90.n(2)
>774
政治的な空気を読めない戦争の天才とか危険人物すぎる
ていうか中国では今も昔も政治的な空気を読めないと悲惨な死に方するな
近代で言うと劉少奇とか(相手が悪すぎるけど・・・)
日本の場合、黒田官兵衛みたいに最高権力者に警戒されても
出家して領国が小さくても不平を言わずにおとなしくしておけば
なんとか生き延びられる
そこが中国と日本の大きな違い
韓信は生まれた国が悪すぎた

776
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/27 22:03:36  ID:rAKDWBKY0.n(2)
韓信は軍才を自慢して劉邦の不興を買ったりしてるからなぁ。
そういうところがたとえ不満なことがあっても表に出さない官兵衛に及ばない。
若い時は股くぐりでもやったのに。
コメント2件

777
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/27 22:04:55  ID:spL8g2Ly0.n(2)
韓信は義経に比べて民衆のヒーローになったわけでもなく、関羽みたいに神様として有名になったわけでもないのは当時から自業自得って見られてたからなんかな?
コメント2件

778
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/27 22:29:08  ID:FQwKI1rY0.n(2)
韓信がまだ楚王の時謀反の噂が出たけど、その時誰も庇ったような感じがしないのがな

779
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/27 22:58:10  ID:diYeEKdF0.n(2)
実在の韓信が横山光輝版の韓信みたいだったらなあ

780
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/28 00:01:18  ID:VcVH6dbSO.n(2)
>774

韓信に必要だったのは
西野カナだった

781
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/28 03:02:12  ID:8uNnAgdH0.n(2)
韓信は無条件に褒め上げる人間が周りにいれば満足なんやろ

782
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/28 07:27:10  ID:l1xAq6fw0.n(4)
>777
でも俺の才能は陛下よりすごいけど
俺を使いこなせるのは陛下だけですって
リスペクトしてるじゃん
劉邦もその辺を利用してとにかく褒めてやってれば
おとなしかったんだと思うけどね
コメント2件

783
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/28 09:00:14  ID:juyEgC460.n(4)
韓信は承認欲求が強い性格だったんだろうけど、軍才のある人間に権力持たせると造反される歴史を繰り返してるから、用が済めば危険分子としか見なされなくなるし、軍功著しい人間ほど権力欲を持つのも求めるのもいけない気がする。

じゃあどうすれば良かったんだろ。
外戚にしたところで、外戚が禅譲せまるなんて例もいくらでもあるし、お金を貰って隠居?
コメント2件

784
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/28 09:26:34  ID:sgl8HZFy0.n(2)
>783
>劉邦もその辺を利用してとにかく褒めてやってれば
劉邦自身も承認欲求の強い方だから無理。
父大公にも皇帝として敬われることを望んでるんだから。

785
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/28 11:25:50  ID:ZyGGg/VQ0.n(2)
そもそも韓信に劉邦や漢への忠心が殊更厚かったとは思えんからな
楚から漢へ鞍替えしたのだって自身の才能の振いどころを求めてで、そこだって
当初は重用されないとみるや脱走してる
斉での独立に踏み切らなかった理由も用いてくれた劉邦への恩と言っているあたり、
さほど忠臣としての姿は垣間見られない
承認欲求という意見が出てるけど、そうだったんだろうと思える要素の方が大きくて
社稷之臣になんてなりようもないんじゃないかね
自身が支配者や皇帝になろうなんて野心は薄かろうと君主は疑念をもつのは歴史の常

786
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/28 18:09:19  ID:SBgjzkRY0.n(2)
>782
同格の樊カイから褒められても嬉しくない韓信
韓信は劉邦より下でも他より上のポジションでないと満足できんだろうな
だから危険に感じても韓信だけは王位からは絶対に降ろしては駄目だった
韓信が大将軍で睨み効かせているいる限りは彭越も英布も粛清されず寿命を全うできただろうな

>自身が支配者や皇帝になろうなんて野心は薄かろうと君主は疑念をもつのは歴史の常

あれだけ寛大の塊の劉邦がそうなったのは皇帝即位した年に臧荼が反乱したから
それさえなければ少なくとも白登山の頃は劉邦の代わりに韓信が冒頓単于と対峙している

>そもそも韓信に劉邦や漢への忠心が殊更厚かったとは思えんからな

韓信は忠心厚いかわからんが少なくとも貧乏時代に飯恵んでくれた老婆に
一生使いきれない大金与えているので一宿一飯の恩義を感じる人間なのは確か
なので淮陰侯へと降格させて5年も放置で冷遇しなければ
大将軍や斉王にしてくれた恩義は返しても返せないぐらいに感じていたと思われ
社稷之臣かどうかはわからんが走狗としてはわかりやすい性格

787
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/28 18:56:12  ID:oq6w0cTe0.n(2)
䔥何がアフターケアというか
弁護でもしてくれればよかったんだけど
「はい、お前とはもう関係ないから」的な態度は冷淡にもほどがある

788
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/28 19:40:29  ID:8p2r1QTm0.n(4)
仕事がデキるやつにありがち
ビジネスライク
その上、元々公務員だし情とか無さそう

789
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/28 20:27:37  ID:R+/V89Eq0.n(4)
しかしさすがだな韓信
漢三傑でこんなに話題になるのは韓信だけ!

790
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/28 20:34:42  ID:an7/cnV20.n(2)
生き残り勝ち組としては陳平が最優秀なんだがな
コメント2件

791
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/28 20:46:32  ID:R+/V89Eq0.n(4)
韓信はそれでも蕭何のことだけは
罠に掛けられたと気付く瞬間まで信じていたんだろうなぁ

792
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/28 22:02:52  ID:l1xAq6fw0.n(4)
韓信「蕭さんあんたもなのか!」
蕭何「いい様だな斉王殿」
韓信「貴様ー!」

793
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/28 22:11:05  ID:4yBhJVVi0.n(2)
韓信は見ようによっては漢の天下取りの為に蕭何に使い捨てにされたようなものだからなぁ

794
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/28 22:42:39  ID:8p2r1QTm0.n(4)
蕭何の保身の能力が高すぎるだけな気もする
子孫も犯罪犯すまでは代々続いたみたいだし

795
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/28 23:09:55  ID:juyEgC460.n(4)
劉邦軍の配下には言葉遣いや礼儀もなってないような無学者も沢山居たんだろうし、韓信は候に格下げされた事よりも、そういうのと一緒にされるのが嫌だったのかもね。

796
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/28 23:11:41  ID:gxDBL2140.n(2)
股くぐりしたくせに

797
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/28 23:21:12  ID:6t8BhXfi0.n(2)
>790
国士無双の軍事的才能と実績がありながら政治面で不器用で悲劇的な最期なのが
判官贔屓な国民性と合致して話題が盛り上がりやすいね

798
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/28 23:26:41  ID:KdDjaYtN0.n(4)
韓信の場合、自業自得なとこがあるから
あんま悲劇って感じがしない

799
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/28 23:30:07  ID:KbjoLSNR0.n(2)
あといつの時代も見た目って重要な要素だから、韓信はブサイクだったであろう事が意外とネックだったのかもね

800
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/28 23:43:37  ID:KdDjaYtN0.n(4)
韓信は古今の名将たちの兵法を学んだのに
伍子胥、楽毅、白起、信陵君、李牧など
君主に疎まれて不幸な運命をたどった名将たちの事から何も学ばなかったんだろうか?
コメント2件

801
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/28 23:54:13  ID:a9i3aKRS0.n(2)
>801
韓信「そいつらみたいに剛直とか清廉アピールしたら殺されるから王センみたいに恩賞を求めたんだが?」
コメント1件

802
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/29 02:37:34  ID:+wuHC0UO0.n(2)
鄧艾「ワイも司馬昭さんに呉討伐を進言して忠勤アピールしたのに粛清されたわ」
檀道済「ワイも忠勤アピールしたら粛清されたわ」
岳飛「ワイは漢土を取り戻そうとしただけなのに」
袁崇煥「ワイは売国奴を粛清しただけなのに」

803
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/29 04:31:11  ID:sA0pCsGEO.n(6)
秦檜「抵抗勢力が邪魔なので始末して和睦したら
未だにボロクソに言われるんだが」

惨めな許しを乞う像(しかも奥さんのも)作ってまで罵って唾吐きかける風習が
ここ10年前くらいまでさも当然のようにあったってのがおかしいわ
義経が爆アゲされる一方で梶原が頼朝の犬やらゴミクズのように言われるのに似ている

804
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/29 05:32:30  ID:2tvTIt5M0.n(2)
>800
最大のネックはやはり股くぐりエピソードだろうな
項羽に重用されなかった要因が正にそれで劉邦も当初は重用していないし
コメント2件

805
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/29 08:09:15  ID:37SwkzZW0.n(4)
韓信の取扱説明書を作成したら
案外少ないページ数で済んだりして

806
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/29 08:27:09  ID:D/sq3nNe0.n(2)
韓信は基本的にこれと同じ性格やからな。
「カワイイ」が「用兵の天才であるオレ」に変わっただけで。
http://i.imgur.com/dNPzYos.jpg

807
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/29 09:38:59  ID:Wh8SHdLP0.n(2)
>804
一度定着したイメージを変えるのは難しいからね
尊氏は逆賊、信長は破壊者、慶喜は敵前逃亡ヘタレ
このあたりは一般的に歴史的事実どうこう関係なく語られがち

808
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/29 10:54:00  ID:2Va5jnHP0.n(4)
韓信の取扱説明書
その1、褒める(こちらが低く見られてる場合は逆効果なので注意)
その2、恩を着せる(こちらが毒づいた態度でも後日まで有効)
その3、進言があれば採用する(採用されなければ逃げるので注意)
その4、身分を与える(剥奪すると引きこもり後反乱起こすので注意)
その5、忠告は通じないと心得る(天才の心に届く言葉が必要)

809
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/29 11:55:34  ID:Z3tJKNur0.n(2)
ケチのつけ始めは斉の仮王にしてくれと劉邦に請うた時だろうかね
この時の劉邦は成皋で項羽との対陣で苦境にあった時期で、足元をみられたと
激怒してるくらいだし、その後も和平破棄で追撃して返り討ちにあったところに
なかなかやってこない
二度もやらかせば劉邦も恨みを残さないわけがないし
最も嫌われた雍歯は政治的な配慮で生かされたけど、これは例外というしかないし

810
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/29 12:54:45  ID:sA0pCsGEO.n(6)
川原正敏の楚漢戦争…というか張良の伝を漫画化した『龍帥の翼』見てるけど
五巻で重要人物が何気に顔見知りになってるのには笑ったわ
陳平はさすがにまだ出てこないけど
コメント2件

811
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/29 14:23:35  ID:bbHIz4FX0.n(2)
個人的には彭越の方が韓信よりも活躍してると思えた

812
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/29 15:43:21  ID:sA0pCsGEO.n(6)
刺青の鯨布!国士無双の韓信!とキャラ立ってるのに比べて
彭越って影薄いと思う。なんか異名あったっけ

813
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/29 15:54:13  ID:2Va5jnHP0.n(4)
お中元に彭越ハム!

814
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/29 16:05:39  ID:37SwkzZW0.n(4)
樊?さんちのお肉で作ったおいしいハム

815
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/29 16:34:20  ID:ikJJNmWW0.n(6)
今までの世界の歴史上の将軍の中で韓信将軍が、1番戦いが上手でした。まさに天才の中の
天才でした。股くぐ伝説や洗濯婆に養わされて話しなどは、敵方を油断させる為に敵側に
流したウソ話のような気がします。天才は他人が絶対に思い浮かばないような策を考えます。

816
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/29 16:47:16  ID:ikJJNmWW0.n(6)
優秀な人間には2種類います。王に成るタイプと軍師に成るタイプと2種類の人間がいます。
韓信将軍みたいなタイプは軍師タイプです。軍師タイプの人間は物欲はないです。
ただ戦いに勝てば満足します。自己顕示欲が強いだけですから、誉めていれば満足します。
漢や明の国が出来た初期は多くの建国の忠臣が殺されました。韓信も劉邦を倒すしか
生き残る道が無かったです。

817
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/29 16:59:40  ID:ikJJNmWW0.n(6)
優秀な軍師でも過去の戦い方を調べて色々な作戦を考えますが、韓信みたいな天才軍師は
神的なヒラメキで作戦を考えて戦うから、相手側も対応の仕方がわからないから、戦に負け
ます。頭の良い秀才タイプの人間が幾ら多く勉強しても、韓信みたいな天才にはかなわないです。

818
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/29 18:56:50  ID:pmtRvwnu0.n(2)
戦争に強いのは理由があるはずで、韓信の場合はまずちゃんと軍を統率出来ていた事も大きいんじゃないかな。

それに加えて、軍事に於ける当時のセオリーも勉学により把握できていて、天才的な自身の理論もあり。

単純にめちゃくちゃ頭が良くて周りがバカに見えるので、くだらない仕事をしたくなかったとかもあるのかな。でも食客として潜り込むことも出来ない風体、容姿。

戦国末期から、個人の強さで戦争が大きく左右する時代からは既に移り変わりつつあった時代とはいえ、韓信軍には絶対に武の強さを誇る部下も居たはず。

韓信は体デカいから武の強さもあったと思うけど。

春秋戦国時代の食客、側近はいつの時代も存在したから、優秀なブレーン達を抱えていて、その人達のチームによる勝利という可能性もあると思うけどね。

819
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/29 22:23:58  ID:iSdzelKX0.n(2)
>810
劉邦は思う通りにならないと激怒する癖あるがただの瞬間湯沸かし器
絶体絶命のピンチの時に馬車から子供達放り投げた時に
わざわざ馬車止めて子供達拾った腹心の夏侯嬰すら斬ろうとしているからな
たとえ気に食わない相手でも少しでもいい処あればちゃんと評価する劉邦が
韓信に2度やらかされても後々まで遺恨残すほどの器の小さい奴なら天下取れてないよ
韓信や彭越に関しては劉邦は別に遺恨ないが
周りが勝手に危険視して粛清に動いて始末している感が

820
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/30 05:15:12  ID:ZTo6FKRUO.n(4)
嫡子と長女を放り投げてまで助かろうとする態度が気に入らない
赤子を地面に投げ捨てる子供を大切にしない態度をしっかりと受け継ぐ劉備

劉邦はあんまり理性がないというか古きよき本宮ひろし的な主人公ノリそのもの
直情的ですぐ激昂して女とヤれればいいみたいな

821
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/30 05:25:43  ID:1WwRYlhX0.n(2)
劉備が赤子を地面に投げ捨てたのは演義だけの話だけどね
コメント4件

822
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/30 11:14:04  ID:DnqwKuqa0.n(6)
>776
日本史で、政治的な空気を読めない戦争の天才が粛清されたケースとしては源義経かな

823
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/30 16:35:52  ID:ZTo6FKRUO.n(4)
・大手の大将がいるのに別動隊にしてもらい崖から飛び降りるなど無謀な行動に出る
・頼朝の目付けもいる軍議で勝手な言動をして衝突
・挙げ句に勝手に渡海する
・大言壮語を連発
・勝手に天皇から官位を貰う→これは圧倒的にダメ
・漕ぎ手を狙わないというのが当時のルールなのに無視
・敵にすら正々堂々勝負しろと言われる
・逃げた先で殺される

戦には強かったがそれ以外のこと、政治的な感覚や空気を読むことは壊滅的にダメという人間

824
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/30 16:39:00  ID:+X7dp7tR0.n(4)
義経以外も官位貰った武士かなりいるで。
頼朝の股肱の小山兄弟ですら貰ってるはず。
(その後頼朝から大目玉食らった)
コメント2件

825
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/30 17:08:11  ID:dPT4cNTV0.n(2)
>825
義経は書状では無視されてなかったっけ?
まだ叱られたり怒られたりするうちは見捨てられてないということかな
存在自体が無視されるようになったら終わりだ
コメント1件

826
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/30 17:24:16  ID:qU82gjxA0.n(2)
>821
>劉邦はあんまり理性がないというか古きよき本宮ひろし的な主人公ノリそのもの
実際、赤龍王描いたしね

>824
・大手の大将がいるのに別動隊にしてもらい崖から飛び降りるなど無謀な行動に出る → 鄧艾みたいなものか
・漕ぎ手を狙わないというのが当時のルールなのに無視 → 殺し合いなので、こういう事もままあるかな
・敵にすら正々堂々勝負しろと言われる → 奇策の影響で旗色が悪い側は大抵言いそう
・逃げた先で殺される → 追討はそういうものなので…

>戦には強かったがそれ以外のこと、政治的な感覚や空気を読むことは壊滅的にダメという人間
これには同意

827
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/30 18:53:35  ID:Lv0Em5Yl0.n(2)
>827
自分も赤龍王は読んでるんだw
壇ノ浦のことだけど漕ぎ手を殺したら船は迷走するので
有効っちゃ有効なんだけどハッキリいうと禁じ手なんだよね
戦だからって何やってもいいのかって話になってしまう
正々堂々云々は平家最強の平知盛から逃げ回ってるときに言われる(八艘飛び)
平泉に逃げたけど追討以前に頼朝の圧力にヘタレた泰衝に殺されるというしまらない死に方
コメント1件

828
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/30 18:58:03  ID:UCAPD05c0.n(4)
>頼朝
義経は弟だから他者に対してよりも厳しくしたってのはあると思う

829
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/30 20:20:09  ID:abNfiAk30.n(2)
義経だけでなく範頼にも厳しい頼朝なのに
希義や阿野全成には優しく特に妹の坊門姫LOVEな変態鎌倉幕府初代征夷大将軍

830
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/30 20:25:56  ID:+X7dp7tR0.n(4)
ホモ(後白河院の寵童)やからな
コメント2件

831
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/30 20:40:28  ID:UCAPD05c0.n(4)
>830
当時、そもそも母を同じくしていなければ
兄弟とは思わなかったと何かで読んだのを思い出した

832
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/30 20:46:41  ID:jY7afc6d0.n(4)
血筋が全然違うけど
粗暴でありながら、実はそんなに短気ではない劉邦と
貴公子であり普段は悠然としてるが
上に書いてるように勝手に朝廷から任官を受けた御家人を
書状でボコボコに容赦なく貶す頼朝の対比は面白い
嫁が気性が荒いのは同じだが・・・
コメント2件

833
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/30 20:50:01  ID:0DD0x+CJ0.n(2)
政子は呂后よりは独孤伽羅の方が近いやろな

政子→側室の家を焼き討ち
独孤伽羅→隋文帝の側室を撲殺
コメント2件

834
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/30 20:56:44  ID:jY7afc6d0.n(4)
まあ人豚とかいう文化は日本には無いので((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

835
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/30 22:44:56  ID:DnqwKuqa0.n(6)
>833
劉邦は同族の劉氏を大切にして諸侯を粛清したが、
頼朝は弟の範頼義経、叔父の行家、甲斐源氏の安田、一条など、
同族の源氏の粛清に尽力

結果は両方とも夫の死後、妻と妻の実家(呂氏、執権北条氏)が実権を掌握

836
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/30 22:48:18  ID:DnqwKuqa0.n(6)
ただ呂氏政権は呂后死後にあっさり消滅したが、
執権北条氏の政権は政子の死後も続き、ますます北条の権勢は強大になっていった
という違いがある

違いの理由は前者では劉邦の息子(後の文帝)が生き残っていたが、
後者では実朝や公暁の死で源氏の嫡流がもうないという差と、
北条泰時や時頼の政治が、諸国の武士たちの支持が得られるような善政だったということだろうか

837
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/31 03:06:16  ID:giQtrlWbO.n(2)
源平の話題はスレチと言われるかと思ったら
意外と親和性があったというのは嬉しい誤算です

皆さん何気に守備範囲広いのね

838
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/31 08:59:36  ID:LkrwqWBG0.n(2)
源平合戦期も大好きなんです

839
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/31 11:24:00  ID:ySRNb5Uq0.n(2)
中華の南北朝好きは日本の南北朝も好き

840
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/31 12:11:43  ID:WBjnU5kE0.n(4)
大楠公と北畠顕家が好きだ
七度生まれ変わっても朝敵を討ち滅ぼしたい

新田はクソ
コメント2件

841
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/31 12:14:56  ID:/lPHP2bn0.n(2)
>840
どっちもリアル北斗の拳やからな
コメント2件

842
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/31 14:03:17  ID:cNk6Wwwj0.n(2)
>841
義貞は義貞で頑張ったけど、
正成を持ち上げるために貶められってしまったような気がしなくもない

そして楚漢戦争時にもそんな武将がいるような気がする
コメント4件

843
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/31 15:00:01  ID:i7GPsLtC0.n(2)
新田義貞は韓信のように強いし最後が残念なのは似てるよね

844
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/31 19:02:58  ID:WBjnU5kE0.n(4)
新田は肝心な時には負けるし女と遊んでたりするし
尊氏には勝てない3番手辺りのライバル
正成がベジータ、顕家がピッコロだとすると天津飯クラス

845
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/31 19:28:44  ID:F7a8aT5+0.n(2)
味方の正成からすらあいつは切り捨てましょうとか云われる義貞…

846
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/08/31 21:57:36  ID:GWple75p0.n(2)
>842リアル北斗の拳といえば西ローマ帝国滅亡前後のヨーロッパも凄いよな

847
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/08/31 23:02:00  ID:T8odKNvD0.n(2)
>832
阿野全成は義経の同母兄やで
頼朝の兄弟の中で唯一頼朝より長生き

848
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/01 00:09:36  ID:zfoMglfL0.n(2)
>842
ソマリアも凄い

849
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/01 09:15:27  ID:ALvCnsx40.n(2)
>821
恵帝を投げ捨てた時って丁度戚夫人を手に入れたときかもしれない
だとすると挙兵以来実家にいて会ってもいない本妻の子を亡き者にして妾の子に後を継がせようという高度な計算が働いていたのかもしれない

850
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/01 09:29:12  ID:txfqz90R0.n(2)
恵帝って諡号の皇帝のハンパない惰弱さ
コメント2件

851
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/01 12:15:52  ID:4NBHiHUc0.n(4)
父親と母親があんなにDQNなのに
やさしい子供に優しい子供に育ったな

852
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/01 12:27:26  ID:f2LXeAle0.n(2)
呂雉「莫迦息子め……要らぬ世話を焼きおって……」
http://i.imgur.com/4mj172P.jpg
コメント2件

853
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/01 13:40:53  ID:4NBHiHUc0.n(4)
>853
弟を庇ったときはマジでそんな感じだったんだろうw
コメント1件

854
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/01 16:11:53  ID:VPPJFyA+O.n(2)
>852
呂雉が劉邦のあとを追うように死んでれば
いい皇帝になっただろうにもったいない
一人の女のせいで一体何人死んだんだ

855
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/01 17:14:15  ID:bkESklr80.n(4)
もしも韓信が項羽の下に留まっていたらどうなっていたんだろう

856
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/01 17:33:36  ID:MTYkbakG0.n(2)
うだつのあがらないまま

857
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/01 18:42:46  ID:SISJivBT0.n(2)
兵卒のままかな

858
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/01 19:29:20  ID:bkESklr80.n(4)
やっぱりそうよな
コメント2件

859
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/01 20:24:51  ID:qgiK35JY0.n(2)
韓王信とか呼ばれずに韓信と呼ばれるだけになる…とかはないか

860
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/09/01 20:59:15  ID:vdbMCec40.n(2)
いいこと思いついた
韓信は魯元公主と結婚すればよかったのだ
そうすれば呂后が韓信の後ろ盾になってくれたであろう
コメント2件

861
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/01 21:37:44  ID:4uSTRxKN0.n(2)
>860
いや韓信が一兵卒で終われば韓王信が韓信と呼ばれていただろう。
淮陰侯と区別するための通称なんだから。

韓非子だって唐の韓愈と区別するために韓非子と呼ばれてるけど
もともとは韓子と呼ばれてたし。
コメント2件

862
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/01 23:04:47  ID:pFXC3ULG0.n(2)
楚漢戦争の軍事考証した本ってあるのかな?

863
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/09/02 01:13:21  ID:cGEyVakZ0.n(2)
>861
韓信は終生独身だった
魯元公主は無理にしても劉家の娘と結婚して男子を儲けていれば、
一門に準じる扱いは最低でも受けられるので、粛清はされなかったかもしれない

864
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/02 01:45:59  ID:+jv5uUPZ0.n(2)
>850
あれってさ、夏侯嬰が子供を助けるのを見越してわざとじゃないの?
それだけ必死なんですってポーズ。
じゃなきゃ、馬車で走ってるのに子供を拾えるかな?
コメント2件

865
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/02 02:01:05  ID:J99naFIe0.n(4)
wikiの韓信が紀元前230年頃の生まれってのはどこ由来の情報なんだろう
コメント4件

866
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/02 02:05:56  ID:RNF7hpws0.n(2)
>858兵卒の韓信です
コメント2件

867
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/02 07:05:08  ID:WwFnFY+20.n(2)
>865
陳先生の「小説十八史略」ではそう言う解釈してたな。
コメント2件

868
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/02 07:59:14  ID:zmF49YKL0.n(2)
>866
気になって調べてみたけど、2005年に中国で出た「韓信生平事迹研究」で
紀元前230年頃生まれと推測してる文章に出くわした

俺の拙い漢文力で要約してみると、
1.当時の徴兵は「20歳になったら3年農作業させてその後1年貯蔵させてから、兵役に就かせる」
という基準があるので、基本的に兵士は23歳以上(史記・項羽本紀・史記集解注)
2.韓信が項梁軍に身を投じたのは紀元前208年
 この時の韓信に関する描写が「信杖劍從之」と、どう考えても正規の兵役についてる様子ではない

1と2の合わせ技で、韓信は紀元前208年時点で23歳未満(紀元前230年以降の出生)であることが導ける

という感じだった


個人的に2.の「信杖劍從之」から何で正規の兵役についてるか否かを判定できるのか
さっぱり分からんので、この結論に全く納得できてないけど、
一応こういう論理展開で韓信の生年を紀元前230年頃と推測してる説があった

「韓信生平事迹研究」はネットで全文読めるので、詳しくはそっちを読んでくれ

869
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/02 10:19:56  ID:uWBHdubX0.n(2)
>865
長坂みたいに真後ろに敵が来てるのに
いちいちそんな打算的なこと考えてる余裕ないと思う
夏侯嬰が忠臣というか愚直なだけで
劉邦「ええい速く走れよ!殺される!もっと軽くしなきゃダメだ!おまえだ!」
劉盈「えっお父ちゃん!?」
と本能に任せてポイーだと思う
コメント2件

870
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/02 10:51:43  ID:J99naFIe0.n(4)
>869
丁寧な解説ありがとうございます
コメント2件

871
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/02 11:28:28  ID:8JnO+AQt0.n(2)
>870
まぁ、そうなんだけどさw 高祖の後々の言動を見ても浅慮だしw
とは言え、逆に考えると、御者が馬車止めて降りて子供を拾ってても
敵に追いつかれなかったんだから、そんなに切迫はしていなかったんじゃね?
とも言える。
一回だけでなくて、何回も落としたとされてるから。
落としても、夏侯嬰が拾うって分かったら次はやらないと思う。
止めてる間に追いつかれるwww

あの高祖ならやりそうって話半分の逸話だなw

872
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/02 11:38:43  ID:H4Pixy+h0.n(2)
>867
めっちゃ強そうだね・・・
コメント2件

873
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/09/02 14:30:20  ID:6cFD/ESO0.n(4)
政治の天才と軍事の天才が二人三脚で
天下を制し、最後まで仲が良かった例は


ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスと
アグリッパのコンビだろうか

874
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/09/02 14:31:46  ID:6cFD/ESO0.n(4)
>874
クレオパトラの敵なので、悪役にされがちだが
二人の友情は素晴らしい
コメント1件

875
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/02 15:34:27  ID:hKUOulEGO.n(2)
>872
あの場面はどうしても本宮ひろしの画風の顔で再現されるw

876
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/02 21:03:44  ID:MyXPRyfY0.n(2)
>864
史記でも漢書でも韓信は三族を族滅されたってあるから
妻子くらいいると思ってたんだけど、生涯独身って
何の史料に出てくるの?

877
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/02 21:35:06  ID:f3EGYcC/0.n(2)
三族を族滅の刑になったからといって実際に結婚して妻の一族が存在したという証拠にはならないんじゃないか。

878
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/02 23:17:37  ID:I9bRct/r0.n(2)
たしかに妻がいたという証拠にはならないが
だからと言って、生涯独身だったという証拠にもならないね

それに仮にも王・侯に登った人間が妻を娶らなかったというのは個人的には信じがたい
韓信の場合は統一後もそれなりの期間生き残ってるんだし

879
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/09/02 23:58:28  ID:xLyAEH2N0.n(2)
来元成「樵書」によると
韓信の3歳の息子が蕭何に匿われて韋と姓を改め
その後南越皇帝の趙佗のもとに逃亡して広西韋氏になった説ががあるね
コメント2件

880
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/09/03 14:15:27  ID:TxI08tLE0.n(2)
>879
そりゃ愛人はいたとは思うが、 正式な妻(正室)はいなかったのではないか
コメント4件

881
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/03 14:33:42  ID:uVHe2P4O0.n(2)
まあ正室はいないけど妾はいっぱいいた英雄英傑もいるにはいるが

882
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/03 14:33:56  ID:7Z6clDvR0.n(2)
結局、史料的根拠ゼロで言ってるのかよ
いくらなんでも不毛すぎない?

883
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/03 15:56:21  ID:UdNgLDxr0.n(4)
>880
ウソっぽいけどいい話だなあ

884
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/03 16:59:16  ID:T1lToeNmO.n(2)
秀頼が真田に連れられて薩摩に逃げたとかそんな類いだろ

実際に宇喜多は薩摩まで逃げてたけどw

885
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/03 17:15:13  ID:UdNgLDxr0.n(4)
宇喜多秀家は人徳があったのか
いろんなひとに助けられて処刑されずに済んでるな
人徳の無いアスペっぽい韓信とはだいぶちがうわ 

886
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/03 20:24:23  ID:XfhvgvzB0.n(2)
仮にも五大老だし嫁は前田利家の娘(秀吉の養女)だし
なぜか落ち武者狩りの人間にかくまわれたりして薩摩に隠れ住み
島津家と前田家からの必死の嘆願で助命された
っていうか島津も十分重罪なんだけどよくしれっと助命嘆願できるな
コメント2件

887
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/09/03 20:45:27  ID:xYsZRgEW0.n(2)
>880
明の時代の本だしなぁ
ところで樊カイって力だけの豪傑見られがちだけど
鴻門の会とか劉邦への諫言とか見ると
結構弁も立つ様な気がする

888
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/09/03 22:40:17  ID:qs1CZidJ0.n(4)
>886
劉邦を皇帝に推挙した
楚王韓信、韓王韓信、淮南王英布、梁王彭越、衡山王呉芮、趙王張耳
の中で劉邦がその死を悲しんだのは楚王韓信ぐらいなので
韓信はアスペかもしれんが人徳無いというのには違和感がある
韓信は国士無双なので誰も軍事面で敵わず劉邦死んだら誰も韓信を制御できないので
呂后はじめ権力中枢の人間達が劉邦死ぬ前に韓信の才能自体をを葬った感が

889
889[]   投稿日:2017/09/03 22:41:22  ID:qs1CZidJ0.n(4)
×楚王韓信、韓王韓信、淮南王英布、梁王彭越、衡山王呉芮、趙王張耳
○楚王韓信、韓王韓信、淮南王英布、梁王彭越、衡山王呉芮、趙王張耳 、燕王臧荼

でしたスマソ

890
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/09/03 23:07:47  ID:gcDkAEaq0.n(2)
張耳はもう死んでいて皇帝に推挙したのは息子の張敖じゃなかったかな?

891
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/03 23:48:31  ID:HNZJteFa0.n(2)
史記読んで見て思ったけど
劉邦の戦闘に関する記述って白起王翦よりも多いんだよな
項羽よりも分量多いし、もしかして史記で一番戦闘記録残ってる人物?
コメント2件

892
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/04 00:26:58  ID:1Vl3dbzt0.n(2)
>891
劉邦が帝位についたのは漢王5年2月で
趙王張耳が亡くなったのは漢王5年7月
(以上、史記・秦楚之際月表)
ぎりぎり生きてる

けど、漢書の高祖本紀下で、劉邦に帝位に即くように薦めているのは張敖になってるね
冷静に考えたらどっちかが正しくてどっちかが間違ってる

893
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/04 18:19:04  ID:/sPL2IO5O.n(2)
独身だったのか
韓信ホモ説はさすがにないよね

衆道な武田さんや織田さんみたいに
日本ではたまにあるが
その手は漢そ攻防ではないか
コメント2件

894
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/04 19:14:58  ID:mKaImLit0.n(2)
謙信も美男子の三郎を侍らせてたりした
あと合体はしてないが女性と密会してたりする
一緒にはなれなかったが

っていうか古今東西、世界中で男が美少年を愛でるのは
ごく自然のことだった。女人禁制の場所では特に
宗教施設とか軍隊とか。今でもケツを掘られる男が後を絶たない

895
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/09/04 21:01:27  ID:xcDtagx60.n(4)
>895

https://www.cnn.co.jp/usa/35070802.html
米陸軍長官に初の同性愛者 オバマ大統領が指名

陸軍長官は古代中国風にいえば、大都督だろう
ついに現代の世界最強の軍事大国で、ホモの大都督が誕生していたとは
コメント1件

896
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/09/04 21:08:53  ID:xcDtagx60.n(4)
>896
陸軍長官は文民だから大都督じゃなくて太尉だな 失敬
コメント3件

897
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/09/04 21:58:54  ID:fw69NUBj0.n(2)
>893
生きてはいたけど公の場に出られる状態じゃ無くて
張敖が代わりに皇帝推挙の場に出席した
その所為で張耳はすでに死亡したのだと誤った記録が
残されたって事じゃ無いのかな

898
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/05 02:24:43  ID:v2KNJYks0.n(2)
>896
家光「いかんのか?」
苻堅「いかんのか?」
武帝「いかんのか?」

899
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/09/05 09:25:23  ID:jO2cZSaK0.n(2)
家光「いかんのか?」

お前のせいで将軍家がえらいことになりそうだっただろいい加減にしろ!

900
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/05 09:53:03  ID:1oVh6VpT0.n(2)
柳生左門「ええんやで」
慕容沖「ええんやで」
韓嫣「ええんやで」
コメント2件

901
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/05 14:16:39  ID:7GGc7k8s0.n(2)
>900
そう言ったって、御台所があれだし………w
スキになったおにゃのこはぼんさんだしw

902
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/05 20:06:07  ID:ekUZnSzJ0.n(4)
ていうか劉邦自体にも愛童いなかったっけ?

903
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/09/05 22:41:02  ID:R9bchKRY0.n(2)
病気になったとき宦官の膝枕で寝ていて
樊カイに諫言された話なら読んだことあるけど
劉邦に寵童なんていたっけ?

904
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/05 22:44:24  ID:ekUZnSzJ0.n(4)
悪い
うろ覚えだから、たぶん勘違いだわ

905
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/05 23:28:48  ID:XWBqwlxc0.n(2)
俺もうろ覚えだけどなんかあったような

906
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/05 23:56:52  ID:s34vKCV70.n(2)
項羽と劉邦(ピーター・ホー他)の韓信が初めて劉邦に謁見するシーンで
伽をせい、みたいな書き込みいっぱいあったな

907
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/08 21:32:03  ID:GXbUuM2MO.n(2)
天才ホモ元帥韓信誕生か?
韓信処刑は痴情のもつれ説くるか?

908
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/09 21:52:37  ID:ffxYuOHp0.n(2)
さすが国士無双は色んなネタに満ちているな

909
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/09/10 02:41:04  ID:4RIEfdqz0.n(2)
韓信x韓王信

ゴクリ・・・

910
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/10 16:15:00  ID:ltVxnkwB0.n(2)
このスレの4割くらいは韓信の話だったりして

911
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/10 20:48:23  ID:exLgrlsL0.n(2)
だって劉邦はクソだし呂雉はゲスだし
項羽の強さは化け物くらいの話しかないし
張良は超能力者だし蕭何はなんだかよく分からん補給能力だし
人間味がないやつばっかりなんだもの
ハンカイは変換面倒くさいし

912
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/10 21:17:31  ID:b5z9hiar0.n(4)
>912
>ハンカイは変換面倒くさいし
これは本人に責任はないぞw
コメント3件

913
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/10 21:20:39  ID:aVAwWQmg0.n(2)
陳平最強

914
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/10 21:22:32  ID:b5z9hiar0.n(4)
だよな
平凡な名前の割に背の高いイケメンだったらしいし

915
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/10 21:53:09  ID:WHm8xDfR0.n(2)
小学校5年までに習う漢字しか使ってない張良さん見習え

916
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/10 23:30:06  ID:kxQGSagN0.n(2)
三国志にまで影響与える曹参とかも忘れちゃいかん
子孫が凄いね

917
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/11 00:03:18  ID:oEZx71cM0.n(2)
>917
でも曹操の父親って夏侯一族からの養子なんだよな
そう考えたら夏侯嬰の子孫が凄いんだよな〜
コメント3件

918
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/11 00:16:20  ID:hE5qfE7b0.n(2)
>917>918
曹操とこの時代の関係がかなり深いんだな
家柄だとどうしても袁紹のほうが目立つけど
曹操もなかなかの血筋と家柄だね
コメント3件

919
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/11 03:55:44  ID:1ZS7AeIi0.n(2)
漢は庶民出の人が多いし、言葉遣いとか粗野な感じだったのだろうか。

中国って文系文官だらけだから、理論的な算術が必要な小役人とかが出世したり身分ある地位に抜擢されると、圧倒的に成果を残すイメージ

920
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/11 04:03:19  ID:t0LnWrXK0.n(2)
>912韓信も割とクズだろ…
他の悲劇の名将と比べると自業自得と思えるところがあり清さが無い
コメント2件

921
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/11 08:04:11  ID:gKOUwAoO0.n(4)
韓信もアレだけど
「どうすれば生き残れたのか」など話題は豊富だわな
コメント2件

922
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/11 08:25:41  ID:vLWxQOUh0.n(2)
>918
曹仁いるから!

>921
韓信はクズだけどピュアなアスペ感がなんか憎めない
コメント2件

923
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/11 08:37:56  ID:QxNqqur10.n(6)
韓信の場合、岳飛や袁崇煥みた区「こいつ生かしとけばなんとかなったかも知れんのに」的な期待感があんま感じられんのがなぁ。

対匈奴軍も匈奴の軍馬の数が多すぎて知略でなんとなるレベルじゃないし。
その後の文帝景帝時代に中行説が匈奴に寝返ると匈奴がいよいよ華北のガチ実効支配狙い始めるけど、それでも耐えるしかなかった。

924
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/11 08:38:10  ID:cixzwjGm0.n(4)
>922
まぁ
統一後は先んじて反乱するか
統一前は鼎立して趨勢を見るかくらいしかなくて
想像の域になっちゃうしな

925
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/11 11:38:06  ID:cAPHgBio0.n(2)
>920
漢の建国当初って、高祖&功臣たちが粗野過ぎてトホホなのは有名じゃん。
朝廷での建議でも、酒飲んで喧嘩腰とか言われてる。
オレが手柄立てた。
なんだと、オレの方が上。
やるかコノヤロウ
の毎日だったってwww
高祖は高祖で、酒飲んで側妃とやりまくりだしwww

926
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/11 11:48:03  ID:QxNqqur10.n(6)
なにしろ重臣の周昌を呼びつけた時も側室とファックしてて周昌に「陛下は桀紂の再来ですぅ!」って言われてるからな
コメント2件

927
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/11 13:36:57  ID:foylXuSA0.n(2)
>927
劉邦らしいな
相手が項羽で天下取れたのも凄いが、曹操なら多分無理かな
コメント3件

928
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/11 15:43:28  ID:gKOUwAoO0.n(4)
こりゃもう仙人になると言ったお人の気持ちがわかりますな

929
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/11 21:26:09  ID:cixzwjGm0.n(4)
ヤクザに毛の生えたような学もない帝王学も学んでないオッサンが
いきなり全国民の頂点に立てばそりゃあタガなんかバーンとふっとぶさ

「苦楽をともに出来ても栄達をともに出来ない」って劉邦にも当てはまるよな
張良も范蠡に倣ったんだろうよ

930
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/11 21:42:57  ID:QxNqqur10.n(6)
でも劉邦より出自の悪い石勒(奴隷出身の文盲)劉裕(胥吏の家に生まれ生活苦から堕胎させられる)朱元璋(貧困農家の出身で一家全滅)でもここまで行儀悪い話は聞かないからやはり劉邦が特殊なんだろうな。
コメント2件

931
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/11 22:25:59  ID:8pb18gLI0.n(2)
>930>931
元々ガラの悪いヤクザのおっさんだから仕方ない
それより皇帝になっても何も変わってない所が逆に凄い
功臣粛清にしても漢帝国のためには必要なことだったし
(呂后一族の専横まで予想するのはたぶん不可能)
朱元璋みたいに大量虐殺したわけでないから
盧綰はかわいそうだったけどね
コメント1件

932
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/11 23:00:30  ID:aRcLQoKQ0.n(2)
まあ、韓信は絶対劉邦を皇帝にするマシーンやし、ある意味しゃーない
代・趙・斉・燕と、華北の過半を制圧できる能力がありながら独立しないとか意味不明すぎる
おまけに説によっては、項羽を倒したのも韓信の采配という体たらく

三傑の誰か一人でも欠けてたら、劉邦の勝利は有り得ない気がするわ

933
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/11 23:38:11  ID:mnIvvF400.n(2)
陸賈「馬上に居りて得たらんも、 馬上を以て治むべけんや」

これに尽きるな
そして叔孫通が礼制を整える事で劉邦も天下を治める実感を抱ける様になったといふ

934
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/12 08:09:58  ID:Kpm8SJVX0.n(2)
立派な志で立ち上がったけど、権力を握ると途端に堕落するというのもよくあるパターン

935
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/12 11:43:32  ID:Qk1hTZC50.n(2)
ハンパな名君にありがちなこと
若いころは名君
おじさんになると宮殿つくりに没頭

なんで土木工事に没頭したがるんだろう

936
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/12 12:04:22  ID:CkCGT32Q0.n(2)
>936
飢饉時の社会福祉としての公共事業説があるらしいぞ
コメント3件

937
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/12 12:51:44  ID:Ry8k2Ssy0.n(2)
暴君ももれなく土木工事してるけど
あれも公共事業なん?

938
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/12 14:50:02  ID:6GHMqDKS0.n(2)
>936
みんな知ってるだろうけど
蕭何が宮殿を劉邦がいない間に
豪華で巨大なものにしてしまって
「なにしとんじゃ、われ!」
って劉邦が言ったら
蕭何がサラッと
「こういうものも必要なんですよ」(権威付けのためとか言ったかはよく覚えてない)
と言って
劉邦が
「そういうもんなんなら、しかたないのお」
って納得した話が好きだわ

939
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/12 17:25:03  ID:EsH79NGe0.n(2)
蕭何や張良の言うことは
「そうか、そんなもんか」
とサラッと納得しちゃうイメージ

940
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/12 17:28:31  ID:GeFWK+GQ0.n(2)
少なくとも当初は劉邦自身、無学のバカだと自覚してたから、何でも素直に話が聞けたのかもね。
なんなら無学だからわからんみたいなことも言ってたのかも知れないし。
そういう態度だからこそ、韓信とかプライド高そうな人達の自尊心も満たされたのかもね。当初は。

941
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/13 00:18:47  ID:SGgRgas30.n(2)
>941
当初だけでなく、最後の方もそうなんじゃないの?
太子を廃立しなかったのも、四人の老聖人が補佐に付いたからでしょ。
自分がバカだから、知識のある人は素直に認めたみたいな。
>926 の家臣たちのヤクザっぷりには、さすがに反省して
「これまずくね?なんとかしないといけないわぁ」
と、軽蔑しぬいていた儒者に宮廷内の作法を決めさせたんだよね。
それも、一応他人にやらせてみて、これならオレでも出来ると納得した
作法を規範にしたっていう。
おバカなりに道理は理解していたみたいなw
コメント1件

942
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/13 08:57:55  ID:WVHuk5It0.n(2)
何だかんだ言って劉邦は面白いというか興味深いというか

943
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/13 21:48:29  ID:pnu3/DE50.n(2)
他人の話を聞き容れることができる王者の器

944
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/09/13 22:42:12  ID:VRVd6sV00.n(2)
でも猜疑心の塊です

945
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/14 00:47:18  ID:5XUiR1Do0.n(2)
それってさ。呂后が煽ったんじゃないの?
あること無いこと吹き込んで、疑いをデカくした。
そもそも、韓信や彭越って呂后が殺したようなもんじゃん。
劉邦はそんなに粛正する気はなかったのかも。
呂后は、息子が虚弱でおとなしいから、出来る将軍たちが危険に
見えてしょうがなかったんじゃないの?
息子の為にヤバイの始末しとこうと。

946
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/14 08:07:39  ID:x9spvXg70.n(2)
韓信からは兵権だけ奪ってお終いにしようとしたフシはあるね
彭越も隠居したいって願い出てるし、劉邦が聞き入れたらそれで手打ちになってたかも
張良みたいにあ、あいつ触ったらアカンやつや、くらい思わせないと保身できなかったんだろうな
コメント4件

947
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/14 11:02:23  ID:bbzX8h/10.n(2)
張良「仙人になる」
瀟何「仙人になる」
韓信「仙人になる」

やっぱり韓信が一番怪しげだな

948
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/09/14 15:41:18  ID:TvnkZJqjO.n(4)
>946
恵帝のためなら再起不能にし戚夫人

949
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/14 15:47:47  ID:TvnkZJqjO.n(4)
>946
恵帝のためなら再起不能にした戚夫人を見せつけたりして潰して
劉氏一族を殺しまくったりしないと思うな
自分の呂家の系列を高貴にしたりしてるあたり情がないとしか言いようがない
劉肥を殺そうとしたりして恵帝がとっさに防いだりしてるし
安泰にさせたい意を汲んでるならわざわざ防いだりしないと思う

950
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/15 00:32:03  ID:JBFPZou50.n(2)
>950
あれってホントに見せたのかなぁ?
やっちゃったのはホントだとしても、せがれには見せたのかな?
噂を聞いて勝手に恵帝が病んじゃったのかも?
見せたとしても、あんな結果は想像していないと思う。
アンタを蹴落とそうとした馬鹿女に報いを受けさせたからね!
って感じかなぁ。
劉肥の件とか、他の王の件とかは気に入らないからでしょ?
呂氏の女をないがしろにするなんて!キー!てな感じで。
恵帝が邪魔したのは、やっぱり恵帝の優しさからじゃね?
仮にもアニキだもん。殺す程のことはないよね?
殺しまくったのは、恵帝が死んでからが多いんじゃないの?
なんて言うか、元々その素質があったんだろうけれど、
権力使って気に入らないものを排斥しているうちに、
権力の魔力にとりつかれたって言うか。
コメント1件

951
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/15 00:48:04  ID:5NzQs2BU0.n(2)
この時代って側室の息子はどんな扱いだったの?

どの国でも基本的には正室の子供を兄弟として、側室の子供は後に名を残さないイメージ。封建的な国家だと全てが同族だから、脇を固めてる国部下に混じるのかも知れないけど。
コメント4件

952
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/15 01:13:00  ID:0vxlm5k80.n(2)
>951
多分こんな感じやったんやろ
https://i.imgur.com/aVkfg7s.jpg

953
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/15 18:50:55  ID:LH04XLXv0.n(2)
英布は反乱起こして劉邦に手傷を負わせた
ならば韓信と英布がタッグ組んで劉邦と戦っていたら普通に勝てたんじゃね
更に彭越が加わっていたら完璧

954
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/15 19:23:34  ID:KB1CgrG40.n(2)
>927
逃げ出した周昌に追いついて馬乗りになったというんだが、チンポ丸出しで追いかけて馬乗りになったということでいいんだよな

955
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/15 20:48:31  ID:abczA+WY0.n(2)
想像したくない光景を思い描いてしまった

956
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/16 09:39:52  ID:+alOhTPgO.n(2)
>951
見せてないならわざわざ挿入する必要がないエピソードだろ
いつの世も女は恐ろしいな
袁紹の妻が妾を皆殺しにしたり
甄皇后を埋葬するのに髪振り乱させて口に糠突っ込んだりするし

957
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/16 12:43:43  ID:abHfL4sL0.n(2)
>957
史書の記述が全部真実だとでも?
呂后を貶める為に入れたとも考えられるだろ。
始皇帝の親問題みたいに。
史記は漢帝国に配慮して、稗史的な記述もあるしね。
まぁ、呂后が恐ろしいのは本当だろうけれどw
コメント1件

958
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/16 12:57:46  ID:GckXrS540.n(2)
史記や漢書が書かれた時代から見たら
どう考えても呂氏は聖漢を乗っ取ろうとしたただの悪役扱いで問題ないしなー
むしろボロクソ扱いできるのに、本紀扱いな上に民政面では平穏で良かった時代扱いな呂后が凄まじすぎる気がする
コメント2件

959
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/16 14:20:23  ID:pXzF6eC10.n(2)
>959
冒頓におちょくられた時もブチ切れながらも諌められて大人な返事返してるしな
政治家としては地味に優秀

則天武后なんかもそうだな
嫁ぎ先の家を乗っ取ったのに意外と内政面では評判が良い
コメント1件

960
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/16 18:22:48  ID:Hb2O/krS0.n(2)
女は外向きの関心があまりなくて
内に力学が向くから政争はあっても庶民には何の問題もない
むしろ外征がないから平和扱いになる

反面、前漢武帝とかはチートのおじ、おい連中のおかげで匈奴を叩いて
領土も最大版図になり、めざましい成果を挙げたが財政は逼迫した
外では成功したが内部では評判は悪かった
この辺が男と女の違いだろう

961
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/09/16 20:35:37  ID:8kcUpfAs0.n(2)
>958
人豚の件は
同時代の袁盎が妾問題で文帝諫める時にも
例題として出てきているので本当だろうな
他は知らん

962
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/17 08:31:16  ID:wBIoi497O.n(2)
無理矢理栄養価の高いもの食べさせて太らせて
ご覧なさい、これが豚よ!ってなるなら平和な世界だったのにな

高貴な人間の妻が妾にいちいち嫉妬して(報復して)たら
日本史世界史はメチャクチャになるな

963
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/17 08:50:25  ID:KtkaiXUG0.n(2)
独孤伽羅「ヒャッハー!側室は消毒(撲殺)だ〜!」
北条政子「ヒャッハー!側室の家も消毒(炎上)だ〜!」
浅井江「ヒャッハー!側室のガキも消毒(灸)だ〜!」

964
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/17 10:12:53  ID:gNKPMTNv0.n(2)
国が混乱すること考えれば、妾の一人や二人消毒したところで歴史に影響はないだろ
古くは妲己から、最近では江青もやってる

メチャクチャになるのは賈南風や江青みたいに民衆を巻き込む奴らが出た時

965
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/17 11:43:17  ID:2L3e+wj20.n(2)
>965
だよね。
宮廷内でなにやろうが、一般ピープルにひどい影響を及ぼさなきゃOK。
その点は呂后も武則天も及第なんだろw

戚夫人は、気の毒っちゃ気の毒だけれど、なんというか、
本人がバカ過ぎて擁護出来ない。オレ的には。
第一、あんだけ劉邦の寵愛を独り占めしたのに、功臣が誰も
味方に付かなかったのは、本人がやばかったからじゃないの?w
張良ですら、最初は呂后の頼みに逃げたけれど、
結局はナイスアドバイスしたし。
回りの家臣たちは、こんなアホ女が皇帝の母親になったら
おしまいと思ってたんだろw
コメント3件

966
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/17 14:46:19  ID:zqZFa75K0.n(2)
>965
側室の子が継いだり
異母兄弟が協力して事にあたったとか戦になったことなんか
山ほどあるだろ。その人間がいないだけで
歴史なんか簡単に変わるんだぞ
秀頼がいないだけで豊臣政権は逆にうまくいったかもしれん
たかが女が一人二人死んでも歴史に影響ないとか
歴史好きとは思えない言葉だ

967
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/17 17:01:53  ID:k5N7hkzw0.n(2)
威婦人の子が殺されたとき8才だか10才だから幼すぎた

968
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/17 18:40:35  ID:uqQ6Z/hg0.n(2)
戚夫人は自業自得だな
正妻の呂后を差し置いて我が子を世継ぎと働きかけて呂后に歯向かったしな
薄姫みたいに呂后に歯向かわなかったら良かったのに

969
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/09/17 19:14:28  ID:CLTaUQiO0.n(2)
威夫人は自業自得に同意だが
呂后も新末の赤眉の乱の際に墓暴かれて遺骸凌辱されてるから
こちらも自業自得
更に光武帝から皇后剥奪されるコンボで踏んだり蹴ったり

970
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/18 05:04:47  ID:6io6qS16O.n(2)
閨閥の権力闘争を自業自得で片付けるのは如何なもんですかね
甄姫も自業自得なのか?

971
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/18 09:36:42  ID:fRs4Fpb40.n(2)
勘気に触れるような恨み言述べたのが本当なら自業自得と言えるし
曹丕も後悔してるのが本当なら曹丕も自業自得かも

戚夫人は張良の策で敗れた時点で泣いてないで逃げればよかった
劉邦も「呂后がお前の主人だ」じゃなくてお前嫁の執念深さ知っとるだろと
コメント2件

972
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/18 13:31:58  ID:eqFu5QN80.n(2)
劉邦と呂雉って今で言う典型的なヤンキー夫婦だな
呂雉が劉邦以外の男と結婚してたら
その男は哀れだ
DV受けまくりそう
コメント2件

973
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/18 14:03:48  ID:q6ruJO1k0.n(2)
>971
アレも後継者争いで役に立たなかったってのがあるからねぇ。
(魏志后妃伝だと郭氏のホウガ役に立ってたとか)

>972
ぶっちゃけ劉邦が恵帝に「戚夫人と如意の命だけは守ってくれ」って頼んでれば多分助かったと思うけどね。

974
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/18 15:09:43  ID:wDqWAbpB0.n(2)
>974
恵帝に海千山千の母親を出し抜くだけの能力があったかどうか
遺言なんて関係なしにサクッと殺っておいて「あなたのためですよ!?」ってヒスられそう
つくづく生まれる時代が惜しかった人だな
文帝景帝の後だったら、心優しい名君として名を遺したかもしれない
コメント3件

975
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/18 15:38:06  ID:D8fx7Gcb0.n(4)
個人の能力も勿論あるけど、それ以上にいかに強大な兵権を持つか、がクーデター成功の分かれ道。だからこそ同族支配が主流だったんだろうし。

でも前漢成立くらいまでは異国との戦争を除くと、簡単に大軍が破られまくってるから、軍隊の規律という概念を作った部隊が強かったのかも。秦もそうだし、韓信もそう。

韓信は趙、燕、斉を平定して割と強大な力を持ってたから、領土を削られるのは仕方ない気がする。

戦国七雄時代の楚と項羽の楚は別で、南一体ではなく呉と越の辺りだし、支配地域としてはそこまで悪くないけど、強大な力を持つ存在は特に一度疑われたらもうおしまいだから、やはり中国東北部を全て支配してた段階で反旗を翻すか、最初から斉の無心はすべきではなかった。

統一後じゃなくても韓信の存在は普通に怖い。

976
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/18 15:41:53  ID:zpl2Exfl0.n(4)
韓信が最大の勢力になった時に独立宣言していたら項羽と劉邦の二大勢力相手に勝てただろうか?

977
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/18 16:01:27  ID:DIKKbtJE0.n(2)
前に他の人が言ってたけど曹参や灌嬰がいて独立できたのかな
コメント1件

978
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/18 16:18:30  ID:fdXCDfkm0.n(2)
徳のある皇帝だったのに周囲の状況が悪い悲しさよ
コメント2件

979
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/18 16:42:47  ID:RUzqKnnL0.n(2)
>974
恵帝は弟とともに寝起きすることで母から守っていたが朝早く狩りに出かけたときに弟は幼かったので早起きできなかった
そこを待ってましたと呂后が殺した

980
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/18 17:08:32  ID:D8fx7Gcb0.n(4)
>978
従わぬ者を誅殺して独立というのも普通に良くあることだから、誅殺されてただけだと思う。
兵権を掌握してるのはあくまで韓信だから、手勢なんていてもたかが知れてるし。

981
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/09/18 17:34:06  ID:zpl2Exfl0.n(4)
韓信も目附の存在くらい把握してるだろうしな
独立するとなれば備えは万全を図るだろうし
後は兵士達がどれだけ韓信についてくるかという問題くらいかな

982
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2017/09/18 21:00:52  ID:pZ99hjlu0.n(2)
寝食をともにした常勝将軍なんだから
「将軍に死ぬまでついて行きます!」って
心酔してるのもいるだろう
ただ兵だけいても上意下達する将がいなくては勝算は見込めない

983
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/09 22:29:33  ID:1YJ7rFfx0.n(6)
んもぅ…わしをこんなに心配させおって…

984
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/09 22:30:08  ID:1YJ7rFfx0.n(6)

985
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/09 22:32:12  ID:1YJ7rFfx0.n(6)
基本的には、項羽と劉邦、楚漢戦争メインで語るスレですが
周辺人物、秦の治世、前漢建国後の事象など、語りたいことが
あるならば、何でもありで存分に語り明かすスレです

前スレ
▲▲   項羽と劉邦   ▲▲
中国英雄板の別スレッドへ
項羽と劉邦 その2
コメント2件

986
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/09 23:05:21  ID:U0Ri9Gv30.n(2)
南北朝スレみたくすぐ落ちそうだけど大丈夫か?
コメント1件

987
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/12 08:48:36  ID:Qi5d1hRF0.n(2)
ありえない

988
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/12 11:38:44  ID:fjietc1G0.n(2)
おちるかもな
コメント1件

989
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/15 10:01:03  ID:dImC0GdZ0.n(2)
ちょっと面白い

990
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/17 08:35:56  ID:PPXhdOjp0.n(2)
糞スレ立てんな

991
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/20 10:07:59  ID:z72WF6qj0.n(2)
僕も

992
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/22 10:10:52  ID:s5EqZbaK0.n(2)
すまん
コメント1件

993
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/23 13:06:09  ID:K/63/7/q0.n(2)
李左車先生かっこいい

994
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/24 15:39:49  ID:xzjgsgpW0.n(2)
韓信 李左車 龍且 鐘離昧

995
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/24 18:12:58  ID:3zlI6dYi0.n(2)
前スレ>999
>劉邦を凡将よばわりなんかしてたっけ?
>もしかして劉邦に指揮できるのはせいぜい10万って言ったことならあれは劉邦の「将の将たる器」を説明するための例え話みたいなもんだろ
いやあれは自分の才能をひけらかして劉邦を凡将扱いした上で、劉邦が気を悪くしてるのに気がついて取り繕った言葉だ。
10万で十分というのもごもっともではあるが。

996
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/24 23:03:30  ID:UZuU9OCw0.n(2)
三国志だと10万率いれたら十分なレベルだよな

まあ項羽と劉邦の時代と三国志とは時代も違うから簡単に比較できないかもしれんが

997
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/24 23:27:12  ID:kr+szPO80.n(2)
ナポレオンの時代でも直率できる部隊の限界は4万ぐらいだったらしいから
10万ってのはまあ直率+αと考えればかなり有能な将軍になる

韓信は指揮伝達系統をどうやって構築していたか気になる
多ければ多いほど難易度跳ね上がるだろうに

998
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/24 23:36:58  ID:HZNiKmP00.n(2)
呉起だと一人の将軍が統率できる兵は5万が限界とか言ってた記憶があるから
劉邦の将才って地味に高いんだよな

まあ、大軍率いてやらかした事案が多数あるから10万が限界って言われたのかもしれんが

999
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/25 06:02:50  ID:gOtk2liF0.n(2)
>16
実績を素直に評価すれば劉邦は良将
致命的な敗戦が二回ぐらいあるだけで凡将扱いというのはイメージ先行過ぎると思う
コメント2件

1000
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/25 13:10:27  ID:uJhC+K9/0.n(2)
>17
致命的な敗戦×2で生き残って漢帝国を建国しているから運だけの男扱いなのだろ

1001
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/25 17:23:44  ID:wpE1Gm7o0.n(2)
趙括はたった一度の致命的な敗戦で死んだからな。

1002
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/26 02:20:05  ID:/2kelEwD0.n(2)
>17そういう点は子孫の劉備も似てるな

まあ、劉備は致命的な敗戦以外にも細かい負けがかなり多いが

1003
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/26 22:31:57  ID:aB4qddsk0.n(2)
あの頃の勘定技術って正確なんだろうか?
1万人を数えるのって大変だよ

10万人=実は5000人くらいだったんじゃないの?

つうかあの頃の中国って10進法?

1004
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/27 13:31:10  ID:fen4mB6hO.n(2)
「中国の歴史に出てくる大軍はだいたい桁を一つ下げたくらいが本当の数」とはよく言われるな

1005
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/03/27 15:28:24  ID:UaIPgn3P0.n(2)
1700年代のフランスでは推定人口2200万ほどだったようだが
スペイン継承戦争で動員した兵力は約25万ほど、総人口の1%強である
ナポレオン戦争の頃で推定人口2900万、動員された兵力が総数で130万、総人口の4%教になる
なお、フランスはこの後当分戦争はお休み状態になった
総力戦となったWW1前の1900年で総人口4100万、動員数約840万、総人口の20%まで上った(なお死傷者数560万)
フランスはWW2でドイツにボロ負けすることになるが、これはWW1の傷跡が深すぎて軍事的に立ち直ることが
できなかったためだとも言われている(1925年の人口は4000万、1945年で4200万と30年かかって戦前の水準まで回復)
ここから持続的に戦争できる動員兵力と言うものはおそらく総人口の2%〜3%が限度ではないかと推察される

楚漢戦争時代の漢の人口を仮に300万と見積もった場合
5年間で動員された兵力はやはり多くても10万ぐらいというのが妥当なところではないだろうか
垓下の戦いにおける劉邦軍10万というのはギリギリ現実味のある数字である一方
斉から来た韓信軍の30万というのは無理な動員をかけたか、数字上の誇張が含まれている公算が高い
(しかしながら不可能な数字とは言いきれないのもまた事実である)

1006
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/28 01:05:50  ID:kO1laRdz0.n(2)
動くもの 人間を数えるのは結構難しい作業だよね

まず大前提として、上から見下ろせるような場所から視認 指差し数折り・・・

「正確な人数を数えること」が、当たり前に出来ること、とされてない時代  そしてそうするべきなのだと義務付けられていない時代 
報告された人数が正確なのかどうなのか発注者自身が確かめようのない時代

果たして数えられた人「数」は正確だったのだろうか?

1007
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/28 01:33:52  ID:sBQNR73r0.n(4)
>24
整列させて点呼報告させれば簡単に把握できるよ
十列で十行並ばせたらそれで百人だ

整列すらできなかったら軍隊というよりは流民と呼ぶほかあるまい

1008
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/03/28 01:37:05  ID:sBQNR73r0.n(4)
戦場でのカウントということであれば数にかなりの誤差が生じるだろう
敵軍は往々にして欺瞞のために嘘の兵数を喧伝するから

まあ斥候情報からの類推になるんだろうな、まあ斥候もそこら辺は訓練するだろ

1009
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/03 06:58:07  ID:E4uir6LL0.n(2)
あの強大な秦がわずか一代で倒れたのはただごとではないよね。
蘇秦や張儀が見たら腰抜かす超展開だろう。

1010
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/03 19:13:21  ID:8i0P9je50.n(2)
李斯は腰抜かさずに腰斬られたな

1011
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/08 17:38:10  ID:0iooDx0q0.n(2)
国家や貴族でなく民衆が反乱を起こすとは陳勝以前には誰も考えもしなかったのでしょう

1012
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/08 19:50:39  ID:9L6MjhjP0.n(2)
>25
韓信が掛け算知ってて「すげえ!」って言われてたような記述どっかで見たな

1013
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/08 21:57:37  ID:ODdeoBZQ0.n(2)
話題を2週間くらい戻すけど、やっぱ中国人って文治政治が好きなんだろな

軍事なんてエライ人のすることじゃないっていう意識があって、
だから劉邦や劉備を弱い、強かったのは部下ってことにしたがる
日本人から見るとただのネガティブ工作に見えるが、たぶん悪意はない

1014
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/09 14:07:11  ID:AEQdA0LO0.n(2)
>24

人の人数を数えないと兵力を算出できないわけではない。
孫?はかまどの数で兵力を偽装できた。

使われた物資の量、運搬に当たった馬車の数、
輜重部隊の数、あらゆるところにその証拠は残る。

1015
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/09 17:22:09  ID:cKa0rlLA0.n(2)
でも10万個のかまどを一個一個かぞえるのは大変だ

1016
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/09 19:15:27  ID:aZ1xM80X0.n(2)
>23
まず劉邦軍は彭城の戦いで10万とかいうレベルでなく56万まで膨れ上がってる。
漢も当時韓信が別にいるし、連合軍の各勢力も本隊を別に残してる。
項羽も精鋭3万のみで大部分の本隊は残してきたし楚にも余力があったろう。
斉もいたな。これも大軍を動員できる。

とすると当時「中国軍」があるなら100万以上は確実200万くらい動員できたんじゃないだろうか。
2〜3%として、5千万は人口がいたことになるが、ありえんだろう。

もっというと例えば白登山が典型的。匈奴が40万を動員し、劉邦は32万で敗れた。
当然だけど遊牧民は凄く数が少ない。
ワールシュタットのモンゴルは1万程度。契丹も女真も少ない。
匈奴が40万も動員できるはずもない。精々数万が限界だろう。
韓王信が加わってると反論できそうだが、韓王信は独力で30万を超える軍勢を持つことになり更に奇奇怪怪に。

そして劉邦。「中国軍」を使える立場になり、国の命運を賭け親征した。
何で32万しか動員できない?100万を動員できるはず。これでは韓王信に負けてしまう。
匈奴は異様に多く、漢は異様に少ない。漢は負けた。流石に何を言いたいのか分かると思う。

つまり、不可能な数字と言い切れるんだ。

1017
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/09 22:07:05  ID:M0X+4zpQ0.n(2)
>34
匈奴の兵数はマックスでも10万〜15万ぐらいが妥当な数字だと思う(後世のチンギス・ハンの征西時の数字を参考に)
それどころか3万前後でもおかしくない(モンゴルの西遼遠征時がこの規模)

1018
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/10 01:28:36  ID:mAo5O71G0.n(2)

1019
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/10 06:14:21  ID:6GDH3wTi0.n(2)
>34
対匈奴の屈辱的な敗戦の実状を緩和させるために「匈奴は漢を超える兵力で包囲してきた」という公式戦史が喧伝されたのではなかろうか?
漢軍の方が大軍だったのに包囲殲滅されかけたなんて話が残ってたらそっちの方がはるかに大恥をかくことになっただろうから
漢の32万の兵力なんて衛青の活躍した時代でもそこまで捻り出せてない数字だし粉飾なのは確実だろうね

1020
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/10 11:41:31  ID:grBdzBV40.n(2)
「兵力」という言葉が単純に数なのか疑問。
漢軍=歩兵+騎兵
匈奴=騎兵

春秋戦国時代においても、
戦力で一騎が歩兵いくらに相当するのか?
みたいな換算があって、それに装備や地形効果を加味して補正するわけだが。
平原のただなかにぽつんと置かれた歩兵がいかに多勢であろうと、
騎兵にとっては動かないに等しいのろまな亀でしかない。

歩兵が戦力として威力を発揮するのは、
陣地にこもるか、方陣を組んで正面の敵のみを撃破する場合だけだ。
通常中原であれば側方を山や川で攻撃されにくい地形を選んで布陣するものだが、
この場合はそれができない。

陣地にこもった歩兵なら、騎兵で包囲は可能だ、補給路を断って、
出てきたのろまな亀だけ見つけたら叩きに行けばいい。

1021
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/10 19:40:24  ID:ll0uOprY0.n(2)
”兵”って漢字は、本来は人というより武器・武力という意味が強いと聞いたことがある

『六韜』によると、
「平坦な土地」では、1騎=歩兵8人
「険しい土地」では、1騎=歩兵4人だそうで、

騎兵5万人のことを兵力40万って表記するのはありえるかも?

1022
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/11 06:14:30  ID:z6Zfdjhi0.n(2)
韓信に斉を与えたままで出兵させてれば
匈奴を打ち破ったのだろうか?

1023
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/12 21:19:03  ID:DedU8trI0.n(2)
百人長、千人長の数で数えてたに決まってんだろ
馬鹿すぎるわ

1024
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/13 04:28:31  ID:q5MATwog0.n(2)
こんなアホが真っ先に殺されるんだろうな

1025
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/17 19:52:35  ID:tsUDbc/W0.n(2)
個人的にだが・・・
韓信の能力に疑問を持っている。

韓信は、時間をかけて罠を仕掛けてそこに誘導するような戦術は得意かもしれないが、
今まさに戦闘中のさなか、戦闘の状況を的確に読んで瞬時の判断で突破口を開くようなものが伝えられていない。
むしろ肝心なところで優柔不断さが目立つ。

匈奴相手に山も川もない中、敵にばれずに罠を仕掛けられるのか?
匈奴にとっては、罠が疑われればそこに近づかなければいいだけ、地面は平原しかなく、通れる場所は無数にある。

韓信は役に立つのだろうか?

1026
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/17 20:56:45  ID:BQ9/Xxnx0.n(2)
>43
何を言ってるのかわからん

>今まさに戦闘中のさなか、戦闘の状況を的確に読んで瞬時の判断で突破口を開くようなものが伝えられていない。

これは例えば誰がどのように発揮したものなのか?
項羽だろうが冒頓だろうが戦端を開く前から作戦はちゃんと立てて
その作戦に沿った戦い方をしてるようにしか見えないが・・・
(二人共基本自分から戦闘を仕掛けることが多いし
項羽が攻撃を受けて立った固陵の戦いにしても
あんな長距離に渡って何日も漢の大軍に追尾されたんだから
当然気づいて迎撃の準備を整える時間はあっただろう)

>むしろ肝心なところで優柔不断さが目立つ。

韓信が‘戦闘中’に優柔不断さで判断を誤ったという場面はどこにある?


>匈奴相手に山も川もない中、敵にばれずに罠を仕掛けられるのか?
>匈奴にとっては、罠が疑われればそこに近づかなければいいだけ、地面は平原しかなく、通れる場所は無数にある。

白登山で冒頓が漢軍相手にやったことはまさに時間をかけて
敵を山に誘い出し罠にはめるというやり方
逆に劉敬の忠告通り罠が疑われるところに近づかなければ
緒戦に勝利を重ねていた漢軍が大敗で終わることはなかっただろう
あと垓下の戦いなんかは別に地形を利用した戦いではなかったのではないのでは?
亰・索や代攻略のように史書に戦術が残ってない戦勝もあるが
これも特に奇策は使わなかったからわざわざ作戦の記述がないとも考えられる

1027
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/18 10:21:12  ID:GrO+G/GT0.n(2)
戦闘中以外はなにもかも全部優柔不断だが戦闘中だけはピシッとしてる韓信

1028
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/18 12:17:37  ID:ZwNFMXIU0.n(2)
物言いに剣がある人が他人に対して質問してるのって滑稽に見える
縦横家にはむかんタイプだな

1029
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/19 06:07:35  ID:vBSb+gPi0.n(2)
ていうか>43はアウェーの大草原で戦うことを想定してるみたいだけど
長城を越えて遠征なんて100年の繁栄で国力が蓄積された武帝の時代だから出来たことで
仮に戦術的に優位に戦えたとしても戦乱で疲弊した当時の漢の体力じゃ専守防衛するしかないでしょ
始皇帝ですらオルドスから匈奴を駆逐したあとは長城建築して防衛するに留めたのに

1030
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/19 10:35:19  ID:7OsVc2bc0.n(2)
罠を仕掛けるって相手の心理や都度の流れあってこその戦術だと思うんだ
それに長けてる者が突発的な事象に対応できないってのは考えにくいと思う
それらを想定できるからこそ罠をはれるんだろうしね

1031
名無しさん@お腹いっぱい。[age]   投稿日:2016/04/23 01:27:46  ID:O8CJnYtj0.n(2)
しかし夏侯嬰と蕭何は、韓信の軍才をどうやって見ぬいたんだろね
こういうのは実際に兵動かさせて見るまで分からないイメージあるけど、
話しただけでわかるもんなんだろうか

何を以って、雑多な将とは違う国士無双だというほどの確信を得たんだろ

1032
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/04/23 02:56:34  ID:fcSjc3C10.n(2)
夏侯嬰はとりあえず見所がありそうな奴を奴片っ端から助けてたんじゃね。
季布を助けたのも夏侯嬰だし、侠者として認識しても良いと思う

よく分からんのが蕭何だわ
治粟都尉だった韓信の上官として何かしら思う所があったのかもしれんけど
国士無双という評価にどうやって至ったのか、さっぱり分からん

1033
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/25 20:45:14  ID:OmWAFEuy0.n(2)
韓信の推挙は項羽と劉邦最大の後付けだと思う
両陣又いだとしても執戟郎から大元帥は無理がある気がする
結果を出す才能ありきだけど、それ以上に売り込みに余念がなかったんじゃなかろうか
袖の下も同時は普通だろうし清廉潔白のイメージも後世に強調され過ぎた気がする

1034
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/04/25 20:51:22  ID:Zq1GIMSu0.n(2)
韓信の政治的な無邪気さというのは本質なのか後付けなのかで大いに悩まされるな
脇の下が甘かったのを後世脚色されまくった結果と見ることもできるし
生来政界遊泳に疎かっただけと見ることもできるし

ただ性格づけは極端過ぎる気が

1035
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/03 10:00:40  ID:V9XbMDtY0.n(2)
>27 始皇帝が趙高を信用、重用しすぎたのが崩壊の始まり。

1036
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/24 19:28:46  ID:3IA1Vw8a0.n(2)
前から疑問なんだがかんしんってどこで兵法書読んだの?

1037
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/25 00:57:40  ID:vYXRZ9fY0.n(2)
>54
鍾離眜と知り合いだしそこら辺の繋がりはあるんじゃね

1038
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/27 07:52:38  ID:qEleolHm0.n(2)
>27
張儀時代の秦は既に雄国だけど一強ではなく列強のバランスが保たれているので
彼らはまず天下一統に腰抜かすと思う

時代下って魏冉〜始皇帝くらいになると三年で強秦が崩壊する超展開なんて多分信じないw

1039
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/27 08:01:57  ID:/kADrLIU0.n(2)
楚漢戦争の状況を考えると楚にも天下統一の可能性あり得たんだよな
斉は微妙だけど魏晋南北朝とか考えると山東半島と河北押さえている強国が多かったからこれも可能性ゼロではなさそう

1040
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/27 20:22:25  ID:Jt7H0UeW0.n(2)
>56
魏冉「つか、秦軍脆すぎない? 誰が指揮執ってんの?」
白起「趙に大軍を貼り付ける(王離章邯軍)戦略、私、嫌な感じがします」

感想はこんな感じやろな

1041
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/05/27 22:58:49  ID:VzFE0qK10.n(2)
>57
魏晋南北朝は山東(河北)の勢力が強かったね。
斉は趙(燕)を抑えてから宋を取ってたら天下統一も夢じゃなかった、悪くても東西二大帝国
順番を間違った斉の一瞬の隙を見逃さなかった秦の狡猾さは大したものだわ。

>58
あんたらの時みたく主力軍も援護する軍も寡兵で多勢を木端微塵に打ち砕く精強さがあれば良かったけど
秦末の秦将は(途中まで調子良かった章邯軍除く)どいつもこいつも野戦弱すぎ。
にしても鈍い大軍のやらかし率は異常だなぁ、一旦不測の事態に陥ると国家滅亡レベルの深手を負うし。

1042
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/28 00:08:21  ID:ARSV8Vkj0.n(2)
>58-59
河南の秦軍が弱すぎて攻撃的な機動防御不能ってのが痛いよな
河北に展開した兵力に何かあっても救援できない

1043
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/05/28 06:42:42  ID:3ySS6olF0.n(2)
まあ、秦軍の質的劣化は、戦国晩期にはもう相当進行していたと思われる
急速な拡大を支えるべく故秦以外からの大量動員に依存した結果、体質が変化し脆弱に

1044
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/29 02:21:20  ID:a3CLgavg0.n(2)
全国から寄せ集めた数頼りの戦法が目立つ>戦国末〜秦末

1045
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/29 07:30:46  ID:4xBpnXys0.n(2)
李信蒙恬20万
王翦蒙武60万
蒙恬王離30万
南越遠征50万

始皇帝「…言われてみればそうである」

1046
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/29 20:29:12  ID:1KpbtxNx0.n(2)
>61
東北と南方の支配は早すぎたなぁ感
そこらに有能忠実な管理職と兵卒のリソース割いてなかったら
ボンクラ君臣でも制圧できたろうに……

1047
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/29 22:18:30  ID:zfYqmVzb0.n(2)
そもそも廷臣から覇気が感じられない

1048
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/30 00:06:18  ID:bTw3Cpql0.n(4)
李斯を除くと
よくわからんモブ重臣、しかも旧六国出身の外国人しかいないってのが…

1049
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/05/30 06:25:27  ID:MfNfa55w0.n(4)
始皇帝〜二世皇帝にかけて高位高官を占める馮氏は謎ですねぇ

1050
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/30 16:02:33  ID:57rpZFSC0.n(2)
ドクター・フー?

1051
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/30 18:24:11  ID:nCeDD58G0.n(2)
ほぼ完全に固定化した大貴族が高位高官を独占し続けた我が日本国の朝廷だと珍しくもないが
同族と目される人物が同時に3人も百官の主席付近に座ってるのは戦国秦→統一秦だと珍しいね

三晋→秦→楚漢戦争(魏)→漢

戦国の終焉と統一秦の崩壊で由緒正しい家門が消滅するなかしぶとく生き残った息の長い名族やね>馮氏

1052
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/05/30 19:27:22  ID:MfNfa55w0.n(4)
戦国趙の馮氏は後に名将馮奉世を輩出し漢の外戚になった名族ですねぇ
地味に劉邦軍にも馮氏いるけどこれは関係あるのかないのか…

1053
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/30 23:32:00  ID:bTw3Cpql0.n(4)
楚が滅び親父項燕が死んだとき普通に秦の旧都に住んでた項梁
ちゃっかり劉邦に味方して生き残る項一族

項氏もかなり不思議な氏族

1054
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/05/31 07:54:53  ID:q6xzfAYl0.n(2)
戦国期の項氏は親秦派よりの貴族な希ガス

1055
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/01 00:06:14  ID:jigG0AlA0.n(2)
【項羽】
・懐王楚王朝をぶっ壊した謀反人
・項一族の嫡流ですらない

すぐ人望を失くすわけだよ

1056
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/06/01 00:41:34  ID:BbHUHS0n0.n(4)
非主流派だよね〜

1057
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/01 11:11:46  ID:ucLMzKIv0.n(4)
>73
嫡流はなにしてんの?

1058
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/01 19:00:20  ID:33ouxKnj0.n(2)
たぶん項伯が嫡流じゃろ

1059
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/01 20:37:44  ID:ucLMzKIv0.n(4)
>76
名前からしたら長男かそういえば
上手く生き延びてんな

1060
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/01 21:20:09  ID:BbHUHS0n0.n(4)
項羽と同じく字の方が有名な項伯こと項纏さん

1061
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/02 06:29:52  ID:F6FlhK9f0.n(2)
劉邦が推戴されて皇帝に即位するなんて予想できるはずもないのに
項羽が健在な時から劉邦さんに近い項氏がチラホラいるのはつまり
義帝楚国で項羽が頭角を現し項氏の棟梁と認められる時期が遅かったからでしょうね。
みんな義帝の臣下という立場なので対等、独自に劉邦と誼を結んでいた。

1062
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/03 23:59:49  ID:qbigQIbo0.n(2)
劉邦は項伯と姻戚になる約束してたんだっけ?

1063
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/04 00:26:59  ID:s/a7j8HZ0.n(2)
姻戚じゃなくて義兄弟……

1064
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/04 00:45:50  ID:dkuqIyUh0.n(2)
サンクス、義兄弟か

1065
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/06/05 00:24:29  ID:IYNX6okp0.n(2)
劉姓を賜って広い意味で同族になりました

1066
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/05 03:17:49  ID:QEyBJQ8rO.n(2)
あれ、義兄弟は羽で、伯はこうもんの会取り次ぎの際、伯の息子と劉邦の娘を婚約させたんじゃなかったっけ?

羽が「降伏しなかったらお前の親父をスープにしてやる!」って言ったときに劉邦が「俺とお前は義兄弟だからお前にとっても父になるぞ、父親を殺すのか」と反駁

1067
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/05 23:58:29  ID:5pBQI+Z60.n(2)
うむ

1068
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/09 15:06:51  ID:4Nl9Z5Cs0.n(2)
唐代からあるネタだけど「肛門の会」

1069
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/13 01:11:34  ID:z4/xMIqr0.n(2)
・懐王の居城に近い地域を守り、侵入した王離軍等を撃退
・趙軍の中原進出を阻止
・懐王の命令通り関中を落とす
・懐王の命令を無視する項羽の大軍阻止を試みる

劉邦さんって割と楚懐王の忠臣してると思う

1070
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/15 06:55:44  ID:SeS29V1d0.n(2)
元・公務員だし臣下やるのは得意そう

1071
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/15 12:29:33  ID:LW//GlyJ0.n(2)
公務員と言っても事務が得意な役人タイプじゃなくて
進次郎の曽祖父(政治家だからいちおう公務員)みたいな任侠タイプだけどね

1072
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/15 17:58:14  ID:qlwxJn980.n(2)
まあ政治屋の方が向いてるだろうけど事務能力もそれなりに高いでしょう。たぶん

1073
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/18 21:58:14  ID:eotvEjFIO.n(2)
いろいろ間違ってるな
・項伯は末っ子であだ名として落ち着いてるからギャグとして、
伯(長男)とついた
・項伯はたまたま張良に助けてもらったことがあり、
その頃は項羽の羽の字もなかった
・項伯が劉邦助けたのは張良との縁のたまたま
劉邦自体劉の字も元々なかった
・だから項一族を裏切って劉邦派と取引した気脈通じてたもくそもない
楚漢戦争はたった六年
そんな暇もない単なる偶然
・項梁と項羽の父と項伯とが兄弟
項梁とかの父が将軍として有名
・項梁が倒れて将軍になれるのは項羽しかいないから非主流派もくそもない
主流派非主流派で争う暇もない楚漢戦争はあっという間の出来事

・項羽が項梁なき後将軍になったり楚王になったのが25、
天下を暴れまくって四面楚歌で垓下に倒れるのは31
若造すぎた
項羽は単に人望がなかっただけで項一族中の問題は関係ない

1074
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/18 22:53:26  ID:azaWWNRV0.n(2)
なぜそこまでナイナイと切り捨てるのか謎であるよ
史記その他の情報なんておそろしく限定的だし司馬史観な偏りも当然ある
過疎スレだし少々の推測は大いに結構楽しくやろうぜ

楚漢戦争はあっという間の出来事で争う暇はない?内部対立で自滅した二世皇帝政権に謝ろう(苦笑

1075
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/18 23:41:55  ID:eHT8Ol2v0.n(2)
>87
劉邦凡将論は百害あって一利なしだわ
史記だけ読んでも明らかに戦国後期の名将と比較して何ら遜色のないやり手なのに

その反面史記の楚漢戦争はかなり単純化された戦略理論のケーススタディ資料なんじゃないかと思うときもある
何かスッキリし過ぎというか分かりやすすぎというか…

1076
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 00:03:04  ID:PtrCiKPg0.n(2)
楚軍も項羽軍も出来たてホヤホヤの雑多な集団だから皆さん安全保障のために気脈通じまくり争いまくりだと思いますよ。

1077
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 00:16:52  ID:KT/IyvTe0.n(2)
曹無傷の裏切りとか
どこの軍も二股膏薬が横行してそう

ちんぺーや韓信は普通なんだろう
逆に紀信とか「おまえ何でそこまで尽くしちゃうの?」レベルの奇行だったんじゃないかな?

1078
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 00:36:47  ID:hs/FpaKnO.n(4)
義理堅いと言われる季布が軍を脱走して逃げている事実。さすがにそれだとアレだから創作物だと逃げたのではなくはぐれたことになってるのも多いけど

1079
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 03:54:52  ID:zZACuA050.n(2)
季布が脱走したって記述、どこにあるの?

1080
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 08:03:34  ID:XyriM37R0.n(4)
>93
うっかり凡ミス大ポカ(この隙は世相にも原因がありそう)があるのが玉に傷だけど能力自体は極めて高いね
やらかして絶体絶命のピンチに陥ってもトドメを刺されない地力があるし

>95
伝統あるきちんとした君臣関係が構築されてない時代だから罪悪感薄いだろうね

1081
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/06/19 08:45:12  ID:PMpo2l9W0.n(2)
後門の会の項伯に関しては説話的には義理人情で動いたことになってるけど
実際あそこで義帝政権実質ナンバー2の大功臣劉邦を項羽が処断するのは政治的にヤバすぎる
っていう常識的判断な希ガス

>95 >98
みんな抗秦の同志なんで上下関係は緩い
秦の統一事業で旧六国内部の秩序が弾圧・解体されたせいで元から流動性高いし

1082
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 08:46:12  ID:hs/FpaKnO.n(4)
>97
以前横光スレで史記にそう書かれていると聞いたけど、あれやっぱり横光項劉の創作だったのか?

1083
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 14:55:19  ID:vCYCpcIp0.n(6)
>100
少なくとも俺がざっと見た感じ史記や漢書にそれらしい記述は見つけられなかった
ざっと見ただけだから見落としあるかもしれんけど、横光史記ソースなら横光さんの創作の可能性高いかもなあ

1084
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 15:46:53  ID:HamoiROR0.n(2)
鍾離昧と季布が逃げたって話は、垓下の戦いのときね。

季布は朱家にかくまわれて鍾離昧は韓信にかくまわれたから、
項羽とともに討ち死にしなかった、漢軍にも投降していない(なぜならその後賞金首になったという事実)
=どこかで逃亡した以外にないわけだ。

1085
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 21:46:14  ID:vCYCpcIp0.n(6)
そもそも史記・漢書だと、垓下に項羽と虞美人以外に誰が居たかさっぱり分からんという事実があってな

1086
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 21:56:34  ID:vCYCpcIp0.n(6)
まあ、季布が最初に匿われた濮陽周氏が居た濮陽と、
項羽の垓下→呉or臨江ルートが方向真逆だから、季布が逃亡したと見做すことは出来るかもなあ
ただ垓下に季布が居た記述がないから、項羽と合流する途上で項羽滅亡を知って濮陽に隠れたということも言えなくもないけど

楚漢戦争時の楚将の記述薄すぎて分からんこと多すぎんのよ

1087
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/19 22:02:28  ID:XyriM37R0.n(4)
実際はかなりの大軍で逃走していたようだし妻妾も一緒だったかもしれんな

1088
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/20 00:55:01  ID:G01Jykzc0.n(2)
wikipediaみたら「垓下の戦いあたりで、鍾離?とともに一兵卒に変装して項羽の陣営から離脱した。」ってかいてあったけどこれのソースは何なんだろう

1089
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/20 06:15:04  ID:HuiMeZZG0.n(2)
正直wikiはあまり信用せん方がいいと思う

垓下の戦いに限らず楚将たちの動向って
龍且のように遠征軍の司令官でもしないと一々書かれてないことが多いけど
それでも鍾離昧なんかはレキ商と鉅野で戦ったとか
広武山の戦いの前に劉邦にケイ陽で囲まれたとかちょこちょこ名前は出てくるが
季布は本人の伝が立てられてるのに楚漢戦争での具体的な動向が全然わからん

漢書だと固陵の戦い&韓信が動いたのが10月で垓下が12月と多少時間はあるから
多分季布のような主力部将?はそれまでに出来る限りは集結させてたと思うけど

1090
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/20 12:33:39  ID:e1tO78Sp0.n(2)
通鑑とかだと固陵の戦い前後の楚軍はもう疲弊の極みっぽい印象を受ける文脈だなあ

垓下が初っぱなから包囲戦っぽく書かれてるのって通鑑だけか?
「漢と数戦して勝てず」→包囲
という流れは乱暴過ぎるわ

1091
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/25 20:09:38  ID:th/Flr5G0.n(2)
項羽が鉅鹿落としたのと、陳渉呉広の乱で周章(周文)が函谷関抜いたのと、
どっちが難易度高いだろう?

1092
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/25 23:53:02  ID:QaECKGXd0.n(2)
鉅鹿は落としたいうより救援だな
鉅鹿を攻めていた秦軍を破ったわけだから

1093
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/26 01:51:18  ID:/0eE4d5G0.n(2)
>109
攻城中の大軍があっさり崩壊する例は戦国期にもあるし難易度の判定は難しいな
函谷関は機能さえしていれば難易度高いだろうけど(というか烏合の衆じゃ到底無理)肝心の三川郡守が城一つ守って攻囲されてる状況ではなぁ

1094
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/06/26 10:26:00  ID:K08jmINt0.n(2)
そもそも人数は全部適当と思っているので大軍崩壊もどこまで本当やら…

1095
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/01 12:17:44  ID:X+Bygzf+0.n(4)
>24
軍には伍、什、旅団、師団
みたいに各単位で固まってるから
伍長が10人いるから50人
師団長が2人いるから12000人

みたいに、統括する長の人数で概算だったんじゃないかな

1096
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/01 12:21:26  ID:X+Bygzf+0.n(4)
>43
韓信は
軍略判断は一流だが
政治的判断が三流だと思われる。


あれだ
麻雀すっごい強いけど、勝っていい相手か、負けた方がいいか?の判断は下手ってわけで。

六韜は読んでたけど、三略は読んでなかったんだなぁって判断ミスが結構目立つ。
すいすいの戦い前に劉邦に楯突いたりしちゃうし。

六韜って戦争の強さで
三略が政治的強さって感じがする。
間違ってたらすまぬ。

1097
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/01 16:25:44  ID:88Jk3A+P0.n(2)
まあその辺はどうせフィクション

1098
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/01 21:29:00  ID:HHJMmiRO0.n(2)
韓信はwiki見ただけで国士無双と言われた事が後の評価を過大にして
しまっているとわかる。それがなければ横山マンガよくある終盤出てきて
強キャラ相手に活躍して場をもりたてるだけの役柄だとわかる

1099
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/06 12:40:19  ID:78gNv4l60.n(2)
韓信は間違いなく史上最高の名将の一人だろよ

1100
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/07/06 19:54:42  ID:036v1Qzs0.n(2)
そういや劉邦とか項羽の字(あざな)って見たことないな
韓信も

1101
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/06 19:59:20  ID:YfQ9u6Gr0.n(2)
>118
項籍ェ……

1102
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/06 20:43:04  ID:YSmJQ9TE0.n(2)
でもタイトルが「項籍と劉季」だったらゴロ悪くて流行んなかった気がする

1103
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/06 21:21:49  ID:B4jKNLzQ0.n(2)
>120
なんかどっちも激しくダサい名前に感じるな

1104
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/06 23:07:29  ID:hhr2ZZZg0.n(2)
>118
>項羽の字(あざな)って見たことないな
羽が字で籍が諱だ。

1105
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/07/06 23:20:04  ID:J6DzYmk+0.n(2)
韓信の諱は?  ふつう4文字か5文字じゃないの?

1106
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/07 00:10:52  ID:dB+wrQ1s0.n(2)
韓信の諱あるいは字は伝わってない
信が諱で、字は伯仲叔季のどれかじゃないかとは思うけど史記も漢書もなーんも書いてない
どっかから佚文でも出てこないと分からないんじゃないかなあ

4文字5文字が何を言いたいのか分からんけど
韓信が生きた時代、人名に「一字姓+一字名」の組み合わせが多いなあとは思う

1107
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/07 14:26:08  ID:tim/PJ4j0.n(2)
秦末漢初は姓名字全部一文字が多いイメージだなぁ
んで王莽さんが頑張って字を二文字にした後は長いことそのままって感じ?

1108
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/07 20:01:19  ID:Uh1xvE8n0.n(2)
戦国時代から既に二字姓はいないことはない
淳于とか司馬とかそれなりにいる
二字名は二字姓よりずっと多い

1109
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/07/08 09:13:41  ID:GmzeJLkQ0.n(2)
>125
逆だよ。
王莽は一字の諱にした。二字の諱は禁止したはず。
字に付いては聞いた事ない。

>126
陳舜臣さんの本に、一字諱だと姓も多くないので、同じ名前が増えるので、
二字諱が流行したってあったな。
それを嫌って、王莽が禁止したはず。
昔は(王莽は昔大好き)一字諱だって理由で。

1110
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/08 18:56:01  ID:7seyKuaC0.n(2)
春秋時代の管仲の夷吾とか漢初の審食其と酈食其とか二字諱も少なくないような。

1111
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/09 09:13:07  ID:1CgpcY6P0.n(2)
重耳とその兄弟とかね

実は二字姓も多い
先秦期が一番多いんじゃないか?って思う程度に

1112
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/22 01:10:27  ID:BG186YMR0.n(2)
最近の中国人の名前も姓名合わせて2字が多い気がする。
春秋ブーム?

1113
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/22 04:11:48  ID:u86sKAU40.n(2)
いや普通に三文字が多いし、
春秋はかなり二字諱多いよ。

1114
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/22 05:57:56  ID:AoBVgDnu0.n(2)
>129
「二字姓」じゃなくて、二字の氏だろ。春秋時代は姓氏の区別がまだあって、二字が多いのは氏だと思われ。

1115
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/23 02:17:17  ID:ACziWJKP0.n(2)
わざわざつっこむとこか?通常そう書く
てか129氏は先秦期って書いてるし特に問題ないでしょう

1116
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/24 16:28:40  ID:L9f42aXU0.n(2)
姓名二文字つったらやっぱ東漢〜魏晋のイメージやな

1117
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/24 17:19:00  ID:OTGvS+QA0.n(2)
>131
澹台滅明とか言う四文字名前の儒者

1118
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/24 19:50:48  ID:M64tNPxSO.n(2)
楚の子文は三文字名だった様な

1119
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/07/29 10:32:59  ID:Oifw0oO40.n(2)
>130
春秋より、周でしょ。王莽さんの昔大好きは。
春秋の頃には乱れていたと。
んで、『二名の禁』を出したっと。

1120
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/12 17:37:43  ID:ooAU73fM0.n(2)
韓信は戦術家だが、戦略家ではない。
結果的にはマクロ戦略で失敗して劉邦の不興を買ったのが戦略家の資質にあらざるところ。

戦術は戦略の下位概念、戦略の失敗を戦術で取り返すことはできないとはよく言ったもので、
韓信の末路もその通りだった。

戦術家の将としてのおのれの才能の器に見たった地位に収まっていればいいようなものだが、
分不相応な地位を望んで禍が降りかかるのは、もろもろの道家あたりの古典によく出てくる話だ。
おそらく韓信は師匠について学問を系統的に学んだのではなく、好きなものだけ読み漁っただけの軍事オタクだ。

1121
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/21 17:03:09  ID:z+9hopZv0.n(2)
司馬遼太郎は韓信の戦術能力は生来の物としていたな
しかし股潜りのエピソードがいちいち付いて廻った為に世間的な評判が悪くて人望が無かったという事にされていた

ただ元々天下取りを目指していたのかはよく解らないな
司馬遼はただ自分の才能を世間で試したかっただけみたいに書いていたが

1122
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/23 07:59:37  ID:77+DW1Pm0.n(2)
田中芳樹に至っては韓信は「俺の才能を認めろよ」ってメンタルのまんま王になったとか言ってたな

1123
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/23 18:07:42  ID:tSgvdQse0.n(2)
まぁ妥当な評だと思うわ
単に王になりたければ自立すればいいだけだし
あくまでも自尊心を満たしたい程度の欲望だったんじゃないか

1124
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/23 18:41:19  ID:/5BZefNX0.n(4)
韓信の軍中には曹参とか劉邦子飼いの連中が配属されていたから
下手に独立しようとしていたら彼らに掣肘されるおそれがあったと思う

1125
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/23 19:11:10  ID:xKfBpDeN0.n(2)
韓信が最大勢力の時代に独立していたら項羽と劉邦を一網打尽に出来ただろうか?
劉邦の配下も韓信軍には多くいたから内部分裂の畏れもあったかも

1126
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/08/23 19:39:38  ID:f178J5+o0.n(2)
韓信って嫁とか子供いなかったのかな?
楚から劉邦軍に移ったのが25歳前後 亡くなるのは35歳前後だろうか

こう見ると随分若いな韓信
それまでの実績も少ないのに、漢でよく抜擢されたもんだ


>139
>140
自分でも「漢王は将の将 ワイは兵の将でおます」つってるしね
国の統治とか人付き合いとかは興味なかったかもね

1127
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/23 19:43:09  ID:/5BZefNX0.n(4)
韓信は王侯への立身出世は考えていたかもしれないが
劉邦や項羽みたいに天下人になるなんて大それた考えには遂に至らなかった小英雄だと思ってる
自分で自分の思考に壁を作って身分や能力の限界を勝手に決めてしまっていた感じ

同じように低い身分から立身した劉邦はとてつもない野心家でワナビーだったわけだけどさ

1128
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/23 21:10:08  ID:FnRbXV1B0.n(2)
>143
曹參と灌嬰を劉邦が押さえている限り韓信は分が悪い。
この二人は騎兵のいわば機動部隊の主力、抜けたら埋める手立てはない。
機動力のない歩兵で奇襲はできないし、
歩兵は兵站を含めて作戦規模が大きくなるので秘密裏に動かすこともできない。

韓信が捕まったときに捕縛に立ち会ったのが灌嬰というのも象徴的。

1129
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/24 07:15:31  ID:YlRa+WHj0.n(2)
ふつうはさ、戦術戦略の教科書には、戦争は外交の一手段で、
戦わずして勝つことが最上みたいなこと書いてあるわけだが。

韓信は劉邦に戦わずして負けてるよね。

1130
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/24 08:13:33  ID:leI8w6RJ0.n(2)
>147
両者は交戦状態になかったわけだが

韓信は反乱起こしてもすぐに斉の国民に見限られて野垂れ死にしそう
この間までいた王様を騙して放逐した侵略者でしかないからな
劉邦が田氏を王様に迎えるよとか言って討伐しに来られたら詰む
てなわけで韓信は自分で王様になるよりは田氏王家の幼児を探して傀儡操作路線で行くべきだった

1131
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/24 10:31:01  ID:5a47z0D+0.n(2)
韓信は統治者としてはどうなんだろう?
軍事的な才能には特化していたとは思うが股潜りで民衆からの印象が悪いまんまなんだよな

1132
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/24 10:43:54  ID:2/MgOlvz0.n(2)
司馬遷「ワイのフィールドワークでも韓信の地元での評判最悪やったからな」

1133
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/24 11:32:10  ID:CY5h3YiH0.n(2)
>149
短期間で降した趙・代・燕・斉は驚くほど静謐
李左車の献言を用いたとはいえ小規模な叛乱ひとつ起きてない
その間にも楚軍がしばしば趙を侵してもいるが、それも順当に退けるばかりか
劉邦へ余剰戦力を供給もしてる

韓信は政治力を酷評される事があるが、それはあくまで政略・政治的な根回しの
類であって行政手腕はむしろ及第点以上と思える

1134
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/24 16:42:35  ID:i3vpk3YT0.n(2)
>151
垓下の戦いの直前に斉から大々的な動員を実行しているわけで
人口調査や徴兵手続き、装備品の支給、兵糧の調達、兵站輸送に関する見積・計画といった事務作業に関しては神憑りといって言いレベル
任官一発目に治粟都尉として配置されたことからおそらく事務屋として有能と思われる要素があったのではなかろうか
「あいついつもエクセルいじってばかりいるな」みたいな感じで

1135
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/25 00:21:20  ID:ZrcuJSuy0.n(2)
>148
楚王の時兵挙げてもキツいわな
楚討伐してるから

1136
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/25 14:46:33  ID:E66lVMw80.n(8)
韓信は一貫して人間性に問題点がある人物として史書には記述されてる

命惜しさに股潜りをしたりとか老婆に飯を集ったりとか、あるいは欺瞞や詐術に満ちた戦い方とか(後者は賛否が別れるかもしれないが)
本人の中では大志(立身出世)のために背は腹に変えられぬという考えがあったのかもしれないが
レキ食其見殺し事件とか見ててもそうなんだけど思いやりの心も誠実さも道徳心も何も持ち合わせていない
戦争は強いけど品性下劣という点でどうしようもない人物だと思わされる

おそらく反乱起こしても誰もついていかなかっただろう
商鞅の最期みたいな感じになったんじゃないのかな?

1137
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/25 14:51:34  ID:E66lVMw80.n(8)
韓信が政治的に孤立していった点をもって政治家や官吏としてはイマイチ/未知数/無能だったみたいな論評あるけれど
品性下劣だから孤立したのであって官吏としての能力には問題なかったように思う

後までネチネチと根に持つから人事とか寝技的な調整とか絶対に任せられないタイプだけど

1138
名無しさん@お腹いっぱい。[sage  ]   投稿日:2016/08/25 15:15:55  ID:HhsPurgN0.n(2)
韓信にそこまで顕揚欲や大望があった様にも思えない
ただ己の才幹には強い自信をもっておいて、それを思いのままに
世にふるいたかった様には感じる

劉邦と項羽の相克に乗じて蒯徹が独立を使嗾しても、劉邦への恩義を理由に
遂には踏み切れないあたりに如実に表れてる様にも
既に劉邦の苦境に乗じるかたちで、これも蒯徹の勧めで王位を望んで劉邦に
恨みを買っている現実への認識が不足してるあたりも思うと、己の得手とする
軍事以外には関心が薄いのか保身への配慮も欠けてて、これでは指導者は
いうまでもなく人臣としても終わりを全うできる生き方ができていない感じ

1139
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/25 15:50:19  ID:8Q/OI4Ro0.n(2)
司馬も韓信は人徳的には欠落していた様な描写にしていたな
そういう点に関しては劉邦には及ばなかったんだろうな
韓信自身もトップに立つ劉邦という存在をかなり評価していた様だし

1140
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/25 16:44:15  ID:E66lVMw80.n(8)
韓信が斉を軍事的に制圧して割拠の形勢を示したのは劉邦的には自分の構想から逸脱した許しがたい行為にしか見えなかったと思うぞ

劉邦としてはあくまで斉を降伏させて楚北辺に対する牽制に使おう(そして成皐月正面における楚軍の圧迫を軽減させよう)と目論んでいた矢先に
脅しのために出撃させた韓信軍(だから新規戦力主体)に手駒の外交官を見殺しにされた上勝手に斉軍と交戦しあろうことか自立の値踏みまで始めたりされたわけだから
韓信が龍且を討ったことで作戦上の目的は一応達成できたけどそれ以外は最悪と言っていいレベルでぐちゃぐちゃにされたような情勢
韓信はぬけぬけと「斉の安定化のために身動き取れません、王にしてください」と言ってきたわけだが
戦国時代などであれば電撃解任待ったなしのシチュエーションだっただろう
「お前が田廣を滅ぼさずに彼らの兵力で楚が牽制できればお前の部隊も対楚に転用できるし一挙両得だったというのに」とでも劉邦は言いたかったところだろう

韓信はこの時点で詰んでいる
この後楚王でワンチャン与えた劉邦の涙が出るくらいの温情采配すら踏みにじることになるわけだが

1141
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/25 17:41:56  ID:1qIuJ+D30.n(2)
カイトウが韓信を唆したのも大きい
だがカイトウの言うように韓信が劉邦に忠誠心を示し続けていたとしても殺される迄の時間が少し延ばされただけかも知れない
云わば豊臣秀吉が黒田勘兵衛の才能を畏れたみたいになっていた可能性が高い

1142
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/25 23:13:49  ID:tq9onyBo0.n(2)
淮陰侯列伝読む限り彭城の戦いの後で
「信復收兵與漢王會ケイ陽、復?破楚京・索之顱以故楚兵卒不能西。」
とあるから韓信も彭城の戦いに参戦してボロ負けしたのだろう
通鑒に拠ればこの後の京・索の間で楚軍を撃退する原動力になったのが
蕭何の形振り構わない根こそぎ動員と再編成された潅嬰率いる旧秦の騎兵部隊だったみたいだから
劉邦・韓信だけで楚軍を撃退した感じでもなさそうなんよね

韓信は趙・燕平定でも張耳と常に行動をともにしていたみたいだし
実は独力?で成功した作戦って騙し討ちの斉討伐ぐらいなんじゃないかな
これも味方すら裏切っているアレな戦い方であったわけだが
韓信名将説は実は結構怪しいような気がしてきた

1143
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/25 23:29:24  ID:E66lVMw80.n(8)
項羽が斉の田栄&田横、梁の彭越、趙の陳余全部敵に回して身動き取れなくなってた状況から
火事場泥棒的に彭城に乱入したにもかかわらず逆にボコられた劉邦軍は残念すぎる

1144
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 04:22:30  ID:uhdBTxqH0.n(2)
韓信が最大勢力を築いた際に劉邦が病没とかしていたらどうなっていたんだろう?

1145
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 11:26:50  ID:oWzKrlvU0.n(2)
項羽は劉邦の対楚合従策に滅亡までの三年間苦しまされ続けたけど
大国の分割統治とか戦略的な発想は悪くなかったと思うんだよな
彭越の無能力化に失敗し続けたのが地味に痛い

1146
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 17:51:00  ID:41L75niy0.n(2)
彭越が優秀だったからな
ゲリラ戦術に関しては韓信よりも遥かに優れていた

1147
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 17:53:41  ID:+vY/LtQb0.n(6)
敢えて
彭越>韓信>英布
と言ってみる

単独で項羽の矢面に立たされたのってこの中だと彭越だけじゃね
いくら田栄とか劉邦にそそのかされたとは言えなかなかできることではない

1148
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 18:35:33  ID:+vY/LtQb0.n(6)
功臣粛正も発作的行動、猜疑心によるものというよりは
どちらかと言えば陳キの反乱における諸侯王たちの身の振り方の結果でしかないよなあ
反乱に与した韓信は当然アウト
彭越は長安における諸侯王の集合には毎年参加してたのにこの時の邯鄲参集は欠席
劉邦にしてみれば彭越に梁から攻撃されたら陳キと挟み撃ちの形になるから
絶対に旗色を明らかにしてほしい場面だったろうに

陳キの反乱を省略して劉邦の功臣粛清だけ取り上げるのは何と言うか中途半端だわ
劉邦は白登山の敗戦処理で駆けずり回ってだいぶ追い込まれていた状況だったわけだから
ここで韓王信や陳キに呼応する素振り見せた連中は正直どうかと思う

1149
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 18:48:28  ID:aAvGAl5y0.n(2)
>160
さすがに難癖が過ぎると思うぞw
淮陰侯列伝の彭城の戦いからの下りは劉邦の失敗を韓信が多少カバーしたというもので
仮に彭城で劉邦に同行していたとしても亰・索や垓下のように直接現場の指揮を執っていたような記述もなし
他人の伝でも彭城戦に名前すら出てこない韓信に敗戦責任を被せるのは飛躍している

亰・索では軍政家蕭何が関中で徴発した兵が間に合ったことが勝因の一つだとしても
それがなぜ軍略家韓信の評価にケチがつくのかもわからない
それぞれに自分の仕事をしたというだけではないだろうか
漢書高帝紀によると蕭何の徴発した老弱の兵が滎陽に到着したのも戦いが行われたのも同じ5月中
訓練期間一ヶ月も使えなかった老弱の兵にすら頼らざるを得ないどん底の状況で
勢い絶頂だった当時の項羽を撃退し滎陽に寄せ付けなかったというのはむしろ韓信の評価が上がるポイントでしかないと思う

李必・駱甲を補佐に付けた灌嬰の騎兵が楚の騎兵を破ったのは滎陽の「東」
韓信が勝利した亰・索の間は滎陽の「南」と場所がずれている
時期が同じなのでこの2つの戦いが連動していた可能性はあるにせよ
灌嬰の方は騎兵部隊同士の小規模な戦闘に過ぎず主戦場も全体を統括していたのも当然韓信の方だろう
だからこそ項羽本紀でも淮陰侯列伝でも亰・索での敗戦のため楚は西進できなかったと
こちらの結果が重視されるような記述になっている

趙平定に張耳を伴っていたからという理由で韓信の力に疑問符を付けるのもよくわかない
↑の灌嬰の方にも言えることだが配備された部将を有効活用するのも総大将の重要な能力
もっとも張耳は韓信にくっついていただけで井陘の戦いなどでも勝利に貢献する活躍をしたと思えるような場面は特にないが・・・
そもそも彼は常山王の頃に陳余との戦に敗れ趙を追われているわけで軍事能力は陳余以下だろうし
どの程度戦力になっていたかはイマイチ不明
地理に詳しいとか陳余の後釜として趙を治めさせるとかの目的もあって付けられたのだろうが

1150
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 19:05:58  ID:8xB2Esvn0.n(4)
>167
彭城の戦いも京・索の戦いも漢軍の指揮官(彭城の場合はそもそも戦闘態勢が整っていなかったっぽいけど)は劉邦なんじゃね?

左丞相就任以降が韓信の独立的行動の開始だと認識しているのだが
それまでは劉邦の幕僚長的役回りの域を出てないと思ってる
将軍に抜擢されたけど実質大司馬みたいなポジション

1151
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 19:22:40  ID:cbT+7fwT0.n(2)
漢の軍制を整えたという記述があるから、その時期は軍政家として辣腕を振るった可能性があるしなあ
ただ、出展が漢書になっちゃうけど、劉邦が韓信の将才を語る下りがあるし、
何らかの形で将才を表す事件があったんだと思うけど、詳細は分からん

1152
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 19:26:47  ID:8xB2Esvn0.n(4)
京・索の戦いに項羽が出陣したかどうか不明なんだよなあ
史記読む限りは親征してない

一度は制圧された彭城周辺の戦後処理・平定とか考えたら項羽が自ら西進するのはちょっと難しいような気がする
本格的にケイ陽を囲むのは約一年後の紀元前204年4月からだし

1153
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 19:42:18  ID:+vY/LtQb0.n(6)
韓信に対する評価の絶頂は韓信が鍾離バツを匿った際に劉邦が陳平に善後策を尋ねた時だと思う
韓信に敵う者が漢軍にはいないという認識を劉邦も陳平も持っていたというのは面白い

1154
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/26 23:26:11  ID:4opzOiLD0.n(2)
ここでも人格面について散々言われている韓信を鍾離バツが頼ったという事実も興味深いな
曲がりなりにも軍を率いてるし、韓信に全く人望がなかったわけじゃないと思うんだよな
まぁ彼に人を見る目が無かったといえばそれまでだが

1155
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/27 02:53:17  ID:NPDVX3nb0.n(2)
鍾離昩が死に際に韓信に「貴方はぐう聖だと思ったがぐう畜だった」つって自決したエピソードとかは司馬遷の創作臭いけどね。

1156
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/27 06:41:01  ID:TOss6eU00.n(2)
>168
韓信が遠征に出た後の第2次滎陽攻防戦に先立って漢は甬道を建築して防備を固め
転戦する韓信から奪い取った河北の精兵によって兵力も相当に増強されたはずなのに
一転して劣勢になってることを見ると最初の亰・索での勝利は明らかに韓信の力だと思う
というか劉邦の指揮統率では集めたばかりの弱卒で勝利するって芸当は到底不可能な気がする

>170
「項王之救彭城,追漢王至滎陽,田彬鯑切栴遏の田榮子廣為齊王。」(項羽本紀)
「楚人起彭城,轉鬬逐北,至於滎陽,乘利席卷,威震天下。然兵困於京、索之顱で西山而不能進者,三年於此矣。」(淮陰侯列伝)

これを見る限り項羽は彭城を奪還するとそのまま劉邦を追って滎陽まで親征して来ている
(下の方の「楚人」は文脈上項羽のことを指してるし、そのあと亰・索で苦しめられたことにも触れている)

1157
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/27 07:50:43  ID:jVQvWhby0.n(8)
>174
韓信が魏豹を討伐した後(紀元前204年8月)、趙の平定に赴く前に劉邦に兵3万を要請して授けられている(漢書高祖本紀)
閼與で夏説を下した後(紀元前204年9月)に韓信たちは精兵を劉邦に送っているから「韓信たちから奪い取った」というのはお門違いだろう
授けていた兵が戻ってきた(かもしくは夏説の率いていた代の兵を接収したかのいずれか)というのが妥当
夏説が瞬殺されたにも関わらず陳余が韓信・張耳軍を舐め腐ってたのが謎過ぎる

劉邦が明確に韓信・張耳から兵力を収奪したのは紀元前203年7月の寝込みに忍び込んだときぐらいじゃないのかな?
これは擁護のしようがないくらい酷い話だけど

1158
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/27 07:54:04  ID:jVQvWhby0.n(8)
しまった>175の暦年は全部マイナス1年だな
初歩的なミス

1159
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/27 08:00:41  ID:jVQvWhby0.n(8)
ちなみに夏説との交戦前に劉邦から韓信に授けられた兵は曹参の兵っぽい
曹参の世家だと韓信たちと合流したのは魏豹討伐前
その後魏の平定、陳余攻略後に劉邦のところに兵を引き連れて戻ってるみたいだから
異様に慌ただしい漢書の高祖本紀や資治通鑒よりは曹参世家の記事の方が妥当のような気がする

1160
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/27 08:42:10  ID:jVQvWhby0.n(8)
>174
それと京・索の間の戦いにおける楚人の部分はカイ通先生のダイジェスト解説だから
楚人が項羽本人の親征を表現しているかどうかは確定できないでしょ

項羽本紀だと京・索の戦いの際の主格は「項王」じゃなくて「楚」を使ってるから
親征の可能性低いんじゃねーかな
一度陥落した彭城を放置し続けてまでケイ陽にとどまる必要性がない(本格的な攻勢は
結局翌年以降だし)

項羽の親征で楚を使うパターンもあるけど、指揮官不明で楚を使ってるパターンもあるわけで
うーん、水掛け論になりそう

1161
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/27 10:54:58  ID:FRiEYXRD0.n(2)
>174
劉邦disるのは自由だけど憶測で語るのはいかがなものかと
京索では劉邦、韓信、灌嬰らが追加徴兵&敗残兵を立て直して何とか楚軍(項羽?)を撃退した以上のことは記録されていないのに
「勝ったのは全て韓信のお陰」ってさすがに飛躍し過ぎ

1162
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/27 18:44:38  ID:P8c1giCv0.n(2)
楚から趙は遠いけど漢からは蒲阪渡ればすぐ隣
前の常山王張耳が遠征に同行
陳余が強引なクーデターで張耳を追い出したのが二年ほど前

韓信は劣勢と言われてるけど態勢的にはそこまで不利でもなかったような

1163
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/27 20:56:34  ID:8yU/9pGQ0.n(2)
こういう話でよく出てくる趙と斉の国力を過小に見積もる風潮、納得出来ない

1164
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/28 03:40:40  ID:52b7wpS/0.n(4)
>181
項羽・韓信と渡り合った斉はともかく趙はグズグズだろ
近所の魏が粉砕され夏説がいつの間にかひっそりと撃破される中
敵将韓信を侮りまくって滅亡した陳余とか酷過ぎるわ
警戒しなきゃいけない相手に腹心夏説を瞬殺されてなお軽視するとか頭か心の病気だったとしか思えない

1165
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/28 06:30:50  ID:+syOwF7f0.n(4)
>175
奪い取ったって表現は行き過ぎかもしれんが「漢輒使人收其精兵」だから劉邦が人を遣わし
韓信が魏豹討伐に連れ来た兵や魏・代の降兵の中から精兵を召し上げたんだろう
あと10月の井陘の戦い直後も「發兵詣漢」とあるから修武で奪い取られる前にも
韓信が趙の兵を動員して漢に送り滎陽再侵攻に間に合わせたと思われる

>178
>項羽本紀だと京・索の戦いの際の主格は「項王」じゃなくて「楚」を使ってるから
>親征の可能性低いんじゃねーかな

項羽本人がいたのと「楚」と言う言葉を使うことは何も矛盾しないと思うが
彭城の戦いだとその場に劉邦がいても「大破漢軍。漢軍皆走」垓下でも戦闘が始まると「楚兵不利」のように表記される場合もあるし
その後の文で「項王は彭城を救うと漢王を追って滎陽に至ったので(項王之救彭城,追漢王至滎陽)」と項羽の名は出てくる
(項羽が彭城を救ったのは亰・索の前だから時間軸でこの戦いの後の話をしてるわけでもあるまい)

むしろ項羽本人じゃないならその時の楚将の名前くらい出てきてもおかしくないくらいかも
項羽が不在だったり別将を差し向けたりする場合は代わりに戦った将の名(?)が出てくることは多い
(鉅鹿の戦いの先遣隊や漳南では蒲将軍や黥布。黥布討伐には項声・龍且。彭越には蕭公角や薛公・項声
成皋の留守を守ったのが曹咎で滎陽が鍾離眜といった具合に)
しかし再結集した漢の主力相手に攻め込み戦いを仕掛けた大事なところなのにそんな将の名は出てこない
この時期滎陽で名前が出るは項羽くらい

1166
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/28 07:46:14  ID:52b7wpS/0.n(4)
>183
名前の出てこない楚将は存在する
韓信・張耳が趙を平定している時に趙に攻撃した楚将がいるが名前も軍の規模も不明
これを項羽と言い張ることも可能

名前出てきても蒲将軍みたいに誰やねんな奴もおるし

1167
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/28 10:56:14  ID:+syOwF7f0.n(4)
>184
多いってだけでもちろん全てとは言っていない
ただそのケースは「楚數使奇兵渡河擊趙」だから
ちょくちょく奇兵を派遣したくらいの意味で項羽自らとかは考えにくいが
それに漢主力相手の楚漢激突第2ラウンドともいうべき亰・索と違い
こっちは趙に本格侵攻して韓信・張耳を討とうというものではなく
嫌がらせか時間稼ぎ目的のゲリラ戦っぽいし作戦としてのスケールは大したことないんじゃないかな

1168
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/28 16:48:02  ID:llZHO2aW0.n(6)
陳余は若い頃趙に遊学するとともに儒術を修め
張耳に仕えること親のようにして刎頸の交わりまで結んでいた

でも張耳と喧嘩別れした後は斉の田栄と結んで義帝の諸侯封建体制に公然と反旗を翻し
勝手に趙・代の地に趙王を立てて独立割拠を図った
やがて劉邦が東進してくると張耳殺害を条件にこれと結び
劉邦が敗れ張耳が漢で健在なことを知ると漢に背いて項羽と講和

張耳との仲違いを抜きにしても陳余の外交方針って支離滅裂過ぎる
同盟相手をコロコロ変えて信義も何もあったもんじゃない
案外趙国内でも反対勢力が結構いたんじゃないのかな?

1169
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/28 16:59:52  ID:pThoF/w40.n(2)
元祖刎頸コンビはぜんぜんブレないのにな

1170
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/28 17:03:48  ID:llZHO2aW0.n(6)
斉の田栄と趙の陳余と梁の彭越の反楚同盟が項羽にとっては当初の主敵だったように思われる
張良に指摘されて項羽自身も劉邦よりも彼らの脅威の方が大きいと思ってたみたいだし

逆に言うと項羽自身は劉邦とは決定的な対立はしたくないと考えていた可能性もあるのでは
各諸侯を見渡してみても功績や能力で項羽に比肩するのは劉邦しかいなかったわけで
三秦を餌に妥協できるんなら安いものとでも思っていたのかも

1171
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/28 18:29:39  ID:llZHO2aW0.n(6)
漢と斉・趙・梁同盟に囲まれた項羽は地味に詰んでいると思う
そんでもって彭城制圧されておしまい・・・・
にならなかったのが戦争の恐いところ

強いて言うなら成都陥落後に姜維が何事もなかったかのように鍾會・鄧艾軍を殲滅して元気に北伐を再開する感じか

1172
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/08/29 12:27:26  ID:XQ2FXAGZ0.n(2)
       【311】  「致死量の放射能を放出しました」東電の小森常務は、こう発言したあと泣き崩れた。  【318】


福島で続く鳥の大量死 

2015/12/23 福島県でカラス75羽の死骸!鳥インフルは陰性反応! ネットでは放射能を指摘する声も・・・
2016/ 8/17 福島・鏡石でカラス48羽死ぬ 鳥インフルは陰性
2016/ 8/18 スズメ250羽死ぬ、鳥インフル陰性


2016年
6月25日 スピリチュアルTVテディ小泉(52、埼玉)さん、脳梗塞で死去。
7月21日 ケニアに帰国したジョハナ・マイナ(25)選手が急逝。2仙台国際ハーフマラソンで3度優勝
8月 3日 写真家の宮本敬文(50)さん  脳出血で死去、SMAP写真集など手がける


マイト レーヤは原発の閉鎖を助言されます。
マイト レーヤによれば、放射能は自然界の要素を妨害し、飛行機など原子のパターンが妨害されると墜落します。
マイト レーヤの唇からますます厳しい警告と重みが発せられることを覚悟しなさい。彼はいかなる人間よりもその危険をよくご存じです。

日本の福島では多くの子どもたちが癌をもたらす量の放射能を内部被ばくしています。
健康上のリスクは福島に近づくほど、高まります。福島県民は発電所が閉鎖されれば1年か2年で戻って来られるでしょう。
日本の近海から採れた食料を食べることは、それほど安全ではありません。汚染されたかもしれない食料品は廃棄すべきです。
問題は、多くの人々が核の汚染の影響で死んでいるのに、日本政府が、原子力産業を終わらせるおそれのあることを何も認めようとしないことです。

注意欠陥障害(ADD)多動性障害(ADHD)、慢性疲労、あらゆる種類の癌の増大、呼吸そのものが脅かされています。
世界中で病気、主に皮膚、心臓、肺に関する病気の発生率が上昇し、ずっと昔に征服された病気が復活しはじめています。
汚染による死者の数は、他のいかなる原因よりも多いです。河川の汚染は社会に対する犯罪と見られなければなりません。
免疫システムの崩壊の結果がアレルギーです。人々は肺炎やインフルエンザやHIV/エイズなどに抵抗できなくなっています。
認知症の過程は放射能汚染によって加速します。増加するアルツハイマー病の原因となっており、より若い人々に起こっています。

1173
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/30 14:27:32  ID:OJTc3XTl0.n(2)
項羽が若い頃学んで大成することができなかった「書」というのは『書経』のことでいいのかな?
そうなってくると没落士族で亡命中ではあったけどそれなりに学問できる環境にあったということなのだろうか
項梁って結構博学だったのかも

それにしても秦から逃げ延びつつ学問や兵法を修めるって割りと離れ業のようにも思えるのだが
お尋ね者だった張耳や陳餘も逃げ延びているから案外捜索はザルだったのかな?

1174
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/30 14:42:16  ID:LKeDWwwY0.n(2)
写真どころか紙もない時代だからね

1175
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/30 15:11:19  ID:3rbexVUQ0.n(2)
>191
まあ本人の顔知ってる奴に捜索させんとな

1176
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/30 15:25:04  ID:X5deo7kj0.n(2)
項梁は殺人罪まで犯して逃亡してた割には呉中で葬儀とか仕切ったり、兵法の講義したり、客を養ったり、
賢士大夫と交流したりと、いくら何でも活動が大胆不敵すぎるだろう
これを検挙できない秦の警察機構はかなりウンコ

……とも思ったけど天下統一した後に間を置くことなく秦の法律を全国に普及徹底させるなんて無理ゲーではあるな

1177
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/30 20:14:31  ID:DvPSBWl+0.n(4)
范増の劉邦を粛清しろという提言は長期的には正しいような気もするけど
短期的には楚の旗印のもとに集まった諸将たちの反乱を誘発しかねない危険な選択肢だったと思う
それこそ劉邦が行った粛清以上の反発を引き起こした可能性すらある(当然ではあるがデメリットが大きい分メリットも大きい)

范増の方が項羽より血の気が多そう

1178
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/30 20:50:51  ID:DvPSBWl+0.n(4)
項羽が怒り狂ってたのって秦相手の時がほとんどだと思う
鴻門の会もただ単に子嬰とか殺したくて劉邦に秦の王族やら都城やら全部引き渡せーっ!とキレてただけのような
三秦のズッコケ三人組を見離したのも秦の関係者への憎悪>劉邦の反乱という認識だったからかもしれない

1179
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/30 23:53:41  ID:iUpDhABx0.n(2)
劉邦約束通り関中の王にしてたらどうなったんかね

1180
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/31 00:17:22  ID:AspzHqwm0.n(4)
関中を制する者が天下を制すると誰もが思うだろう。

1181
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/31 08:10:22  ID:ho4q4Jii0.n(4)
項羽は秦を心底憎んでいるから関中の王なんて全く興味なかったと思う

むしろ豊沛出身なのに根なし草になってでも関中割拠を志向した劉邦軍団の方が異質
確かに周や秦の揺籃の地であったわけだから本拠地とするには有利だったと思うけど
それでも余所者の劉邦たちがすんなり受け入れられる情勢だったとも思えないんだよねえ
秦の人士たちの方が戦争や苛政に倦み疲れてたから解放者として劉邦を受け入れることができたのだろうか

1182
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/31 11:09:13  ID:AspzHqwm0.n(4)
そこが蕭何の腕の見せどころだったわけだ。

1183
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/31 11:34:33  ID:ho4q4Jii0.n(4)
彭城の敗戦後に関中地域は大飢饉が発生しているけどそれでも根こそぎ動員を敢行してなおかつ政権が揺るがないという神統治、それが蕭何

1184
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/31 12:51:39  ID:AeJqW6I50.n(2)
蕭何  〜家康がもっとも恐れた男〜

1185
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/31 13:10:34  ID:6ofZ2NZD0.n(2)
関中って叛秦戦争じゃ殆ど戦場になっていないし、秦王・政の時代に鄭国の治水事業で
生産力も拡大してたろうから、戦後に中原に向けて兵馬を進めるにあたっての地盤として
適切ではあったろうとは思う
それに二世皇帝の時代の宮殿や陵墓の造営に酷使された民衆の恨みはそれこそ全土に
溢れてたろうし、咸陽で禽獣等を飼育するために穀物を収奪して半径三百里の人間は
穀物が食べられなくなったなんて無茶な事もやらかしてるんで、秦の根拠地であっても
秦の統治を特に懐かしむ人間なんて寡少だったんじゃないのかね
漢代以降により大仰に喧伝されたりもしたかもしれんが、劉邦の法三章が歓迎された
なんて話もあるにはあるし

1186
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/08/31 17:45:29  ID:r45dR/LJ0.n(2)
>199
元々沛辺りが楚のハズレというか
楚に滅ぼされた国だから(宋?)楚に忠誠心無さそう

1187
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/02 06:43:55  ID:P9b6YIUE0.n(2)
>194
それ言ったら陳餘と張耳なんか、秦のお尋ね者になったとき、自分たちの捜索に参加したろw

1188
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/04 21:17:18  ID:bBIlOopA0.n(2)
真田丸で韓信の話題が出てクスッとした

韓信ってホントdisられやすいよな

1189
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/04 21:32:27  ID:F6Hsg2+10.n(2)
韓信に関する第一級史料からしてdisりに来てるからなあ

1190
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/04 22:29:46  ID:QsvsoLWT0.n(2)
わしに言わせりゃ韓信は馬鹿だ!

1191
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/04 22:48:59  ID:26pbSKNo0.n(2)
               ,  ‐ ´  ̄ ̄ `ヽ、
              /     、    、 \
              ,.'./  .:/ ;小:.. ヽ:. :\:.:.ヽ
    .        //:.:.:.:/.:./:. ./ i ヾ:.:.丶:. ...ヾ:ー'、
           //,':.:... :.:厶:./- ヽ 弋:.‐\:.:.:. 丶:\      私の歴史認識に文句あるの?
             ! |:l:j:.:.:´/ ィ天t、   ィ天女、-、:.. ヘ、:.ヽ
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             ヽヾj:.ノ小 `::::.   '  ::::´ ハイ: |`リ  ノ    
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          /´/:.:/ ‐<>.、 _., .イ_.l:.:l::|:. i |
         /_/∠ ァ┐l !ノーソノl  ̄ ヽ、」::|:. .:i:ハ
       , ./´   `∨イしリ  / ハ  / ヽ ̄`ヽハ
      / |====、∧/  >‐/{ヽ‐‐<   l    l ヽ  r/7-、_
    , '   /     / /   7〃 {{ヾ〉\   |/ ̄ |  厂し' / /┐
    .   /     / /  /   {{.   \  |    | ,/=(_/_/_,人
       |     / / イ    o. {{       \|    l/     'ヾ、/

【司馬遷】

1192
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/04 23:39:46  ID:XlycuJcb0.n(2)
漢にしちゃ功臣でもあるが裏切り者(粛清対象?)でもあるからなあ

ショウカでさえ疑われまくったくらいだしな

その点 張良はほんとうまいこと退いたよなぁ

1193
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/05 00:09:01  ID:bDaHmkAH0.n(2)
張良の、一切疑われた形跡のない回避っぷり何なんだろうな
一応、疑われないように努力した形跡は残ってるけどさ

1194
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/05 01:32:32  ID:oh+MghQ00.n(2)
しかし仙人を目指すとか言っても張良なら「そうか」と思うけど
他の功臣だったら「はぁ?」って感じではあるな
なんか裏があるか発狂したかと思われるだけだろう
日頃の言動も大事だ

1195
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/05 17:45:48  ID:mvikz5rS0.n(2)
>207
劉邦「司馬遷から一番DISられてんのオレなんだけど。」

1196
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/05 18:24:37  ID:XvBA/66Y0.n(2)
>211
劉邦にハッキリと警戒されていた陳平の方が余程に旨く立ち回っていたと思うがな

1197
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/05 20:08:31  ID:vKq7oMac0.n(2)
処世術はいつの世も大切なんだってことだよな
現代で仙人になるなんて言ったらさすがにヤバイだろうけど・・・

1198
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/05 21:24:53  ID:dRlkRnFl0.n(2)
張良も橋から草鞋落としては拾ってこさせたりしたのかな

1199
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/05 21:46:45  ID:tQcQQ+RO0.n(2)
>216

黄石公ね、あれは、引退した尉繚ではないかという安納芋先生の説。

1200
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/05 22:19:43  ID:+hnqscqp0.n(2)
>215
現代は平穏に暮らしたくてもTwitter(笑)やLINE(笑)があるから

1201
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/06 19:11:01  ID:gi1rxfwn0.n(2)
江戸時代位までの日本だったら家捨ててひとり出家して山奥の庵に隠遁、
みたいな印象に近いのかな仙人化
現代ならスピリチュアル方面の趣味に生きます〜とか

1202
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/11 10:47:44  ID:9ECI585v0.n(2)
「列仙傳」や「神仙傳」見ると、
皇帝の前で仙術を披露しちゃうやつは自己顕示欲が強い俗物にしか見えないがw

ほかにも、李八百とかもうねw性格悪いだろおまえw

1203
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/11 19:27:42  ID:zSh+SvoQ0.n(2)
高僧伝にも皇帝の前で手品披露してる坊さんの記述があるで

1204
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/18 19:00:27  ID:v6vJHhq90.n(2)
韓信が劉邦に殺されたのは政治力のない韓信のせい。
李牧や岳飛が殺されたのは君主が無能なせい。
これ、不公平じゃない?

1205
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/18 20:52:17  ID:Ck2oDdjo0.n(2)
なんで?

1206
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/18 21:12:50  ID:C4MkdHcg0.n(2)
>222
韓信は劉邦の帝国を安定させるために元勲達を誅する方針で殺された。
これを積極的に回避しなかったのが韓信の政治力が無いということ。
李牧は無能な君主が秦の離間策にはまったせいで殺された。

一緒にはできない。

1207
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/18 22:57:42  ID:rd2hlkKU0.n(2)
三傑の他の二人(蕭何、張良)は保身に成功しているのに一人だけ謀反企てて誅殺という最期なのは印象悪い
彭越も疑われる行為に出た割には弁明のタイミング逃したりしてるし
粛清組で増長してなかったヤツっていたかな

1208
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/18 23:46:03  ID:+/yUxfzd0.n(2)
動乱から守成への転換期に粛清は付き物だと
韓信自身知っていたのに災いを避けられなかったと
格下げされた時に嘆いてるじゃん

対して動乱期真っ只中に軍の要を粛清するなんてのは無能と言われても仕方ない
岳飛とか檀道済あたりならまだ言い分もあるだろうが
李牧・斛律光・袁崇煥とかを粛清したのは無能無能アンド無能ですわ

1209
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/19 00:33:14  ID:u83NJZQ30.n(2)
李左車とかどうなったんだろう?
漢成立後も韓信陣営にいたんだろうか?

何気にこの人 李牧の孫なんだよね

1210
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/19 01:17:05  ID:WnkKE/AB0.n(2)
新唐書のガバガバ系図を採用するのは少し躊躇する

1211
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/19 02:45:25  ID:jco6ZHBw0.n(2)
>226
この三人って事実上の生命維持装置みたいな存在だもんね

1212
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/09/24 20:05:02  ID:lKi2Dowo0.n(2)
韓信はいなくとも、曹参、周勃、灌嬰が健在なら軍は抑えられる。

1213
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/24 20:48:53  ID:LzRKFd2f0.n(4)
そういや、某所で章邯に邯鄲を包囲されてる時に
宋義が総大将でも秦を追い詰めることができた
(≒項羽がクーデター起こしたことをキョ鹿の大勝利で弁護できない)

というのを見かけたけど、どう思う?

1214
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/24 21:12:08  ID:0pxdKWQ10.n(2)
>231
宋義がどうやって王離と章邯に勝つのかまったくイメージが湧かん
外交とか合従主体の戦い方だと絶対に各個撃破されるわ
そもそも合従が機能しないくらい諸侯軍が戦意喪失してたのに

河北スルーして秦本国でも目指すの?

1215
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/24 21:38:42  ID:LzRKFd2f0.n(4)
>232
ちら見した程度で、俺もよく分かってないんだが

・宋義は楚斉同盟を締結していたので、史実の項羽よりも大軍になる公算高い
・邯鄲が陥落しても楚・斉にはダメージなし、秦はより疲弊してる可能性大
・宋義が章邯に勝てなくても最低限膠着さえすれば、劉邦が関中まで進軍できる

みたいな感じで、項羽って余計なことしたんじゃね? って感じだった

1216
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/24 23:09:27  ID:LQS9TNsK0.n(2)
項羽は劉邦より先に関中に入りたいんだからそれじゃ我慢できないだろ。

1217
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/25 12:30:58  ID:TI0PggUf0.n(2)
宋義が秦本隊引きつけて劉邦が関中狙うって元々そういう戦略だったんじゃねえの
項羽がグチャグチャにかき回してくれたけど
進行ルート見ると趙救援したらどう考えても劉邦のが先に入るに決まってるし

1218
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/09/25 14:23:29  ID:WWjsQnZ+0.n(2)
項羽は必ず勝てると踏んで鉅鹿を救援したはず。
戦術モデルとしては教科書通りのステップを踏めば数の多寡をひっくり返せる事案。

鉅鹿包囲のために分散した敵、他方面作戦を強いられる敵、戦力の集中ができる楚軍。
「実は俺有利なんじゃね?」項羽がこう思ってもおかしくない。

1219
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/27 18:43:16  ID:fBxW6C8/0.n(4)
>233
反秦の連中数は多かったけど章邯にボコられまくってたじゃん
その上宋義、劉邦で王離に勝てるとは到底考えられない

1220
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/27 19:01:57  ID:fBxW6C8/0.n(4)
>236
章邯がせっせと王離に対して補給してた甬道を分断して勝利したわけだけど
気づけば誰でも分かるような勝ち方でも当時の誰もが実行できなかった

宋義の持久戦方針なんてマジでジリ貧だわ
河南や趙魏を恢復した秦軍に斉や楚の凡将が勝てるかよ
それで勝てなかったから秦に統一されたんだろ

1221
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/27 21:04:40  ID:LHeP8PDT0.n(2)
確か王離軍の兵隊は対匈奴最前線から引っばってきたんだっけ

1222
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/28 17:52:55  ID:7mHjpQVTO.n(4)
>239
そもそも王離の軍こそ正規軍で、章邯の軍は役徒の群
史料からはおそらく王離は30万、章邯は20万で都合50万
対して楚軍は先鋒の英布らが2万から推測して全軍でもいいとこ10万だろうな

1223
CoPiPe931 (ワッチョイ)[CoPiPe931]   投稿日:2016/09/28 18:03:27  ID:CoPiPe931.n(8)
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1224
CoPiPe931 (ワッチョイ)[CoPiPe931]   投稿日:2016/09/28 18:08:28  ID:CoPiPe931.n(8)
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1225
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/28 18:30:14  ID:65xUSWXo0.n(4)
兵站では秦の方がハードでもソフトでも実績でもはるかに優越していたわけだから
項羽の驍勇抜きで斉楚に勝ち目があったとは到底考えられない

1226
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/28 19:04:35  ID:7mHjpQVTO.n(4)
宋義は趙と秦の対陣を傍観し、趙が潰されても疲弊した秦であれば
与しやすいと主張していたが、項羽・范増の言う様に戦勝で意気があがれば
ますます秦軍が強大になるというのは道理
趙が如何に窮境にあったか、章邯の支援する兵站が万全であったかまでの全容を
どこまで掴んでいたかは明らかではないが、傍観している間に肝心の楚軍の
鋭気が萎んでいるわけで、都合よく宋義の読みどおりになんて事が運ぶとは
到底思えないな

ここばかりは項羽と楚兵の異様な奮闘がなければけして勝ててはいないだろう
ここってまさしく巧遅より拙速だというか

1227
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/28 19:07:09  ID:65xUSWXo0.n(4)
>244
章邯が甬道をがっつり築いて護衛まで完備してからじゃもう王離軍に勝つ方法なんて見当たらないからな

1228
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/28 19:40:36  ID:F6SbZc8H0.n(2)
そりゃ項羽でなくても「テメーがチンタラやってる間に秦軍はどんどん強くなってんだよ!ぶっ殺すぞ!」ってなるわな

1229
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/28 19:47:03  ID:YnZTKcRB0.n(2)
趙高が秦の国力ボロッボロに削いでたから人材も軍需品もろくに届かなかったんじゃないの?

1230
CoPiPe931 (ワッチョイ)[CoPiPe931]   投稿日:2016/09/28 19:53:22  ID:CoPiPe931.n(8)
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1231
CoPiPe931 (ワッチョイ)[CoPiPe931]   投稿日:2016/09/29 09:59:09  ID:CoPiPe931.n(8)
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1232
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/29 15:01:34  ID:eEDMpCYY0.n(4)
>138
あんたと酒飲みながら戦国話したいわ

1233
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/29 15:11:35  ID:eEDMpCYY0.n(4)
>210
>211
>212

他の配下たちと根本的な勝利条件が違ったからな。

他の配下たちは
自分を重用してもらうこと。高い地位に付く事

張良は
秦をつぶすこと。項羽をつぶすこと。

2つとも叶ったからもういいやと退いたのかなと。


というよりもはや、垓下の戦いの際に
優秀な陳平と韓信が項羽を攻め切れなくて頭抱えてたとこを
張良がさらっと、心を折ればええやん、と
四面楚歌案を出した時に、項羽だけでなく劉邦すらも
張良の筋書き通りに手のひらの上で踊ってるようにしか思えなくなって怖くなったわ。

1234
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/29 15:47:52  ID:48VIIKOz0.n(2)
四面楚歌が誰の策なのかは不明だけどな。
張良かも知れないし、そうではないかも知れない。

1235
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/29 21:03:15  ID:bBpq/lP00.n(2)
張良はなんだかんだで「韓の臣」を貫いたのかもな
秦への恨みも項羽への恨みも韓絡みだしね

劉邦もなんだかんだで張良のことを信用して懐に抱えつつも、
「客分」「先生」として捉えてたのかもね

1236
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/29 21:52:12  ID:iu0GmNWc0.n(2)
↓地形と勢力図から見た妄想

章邯の甬道は補給に関してはメリットだが、同時に欠点をさらけ出した。
つまり「そこを絶たれるとおしまい」ということ。
補給を最小限の工数で行うためには、兵や物資が今どこを通っているかわからないようにすれば、
移動中の部隊を襲われるリスクが減るから護衛の兵は不要になる、章邯の目論見はこれ。

鉅鹿の周囲の地形は、黄河の支流が網の目のように走り、河岸段丘の高低差も大きい。
兵隊も甬道以外を移動するにはボトルネックが多すぎる。

章邯は後詰の兵を抱えて後方にいたわけだが、主力は歩兵だ。
歩兵は、陣形を整えて集団戦を行わないと野戦では強みを発揮できない。
足の遅い歩兵の大軍を、展開場所までどう持ってゆくか?
甬道を絶たれれば陣形を整える前に、移動中の歩兵は英布の騎兵に各個撃破されて終了する。

前線が城塞の包囲という点も秦軍には不利で、包囲のために広く薄く布陣しなければならない。
鉅鹿の包囲の輪に、楚軍が南からくさびを入れそこから広げるように薄い包囲陣を各個撃破すればいいだけ。
章邯と前線の間には英布、北は諸国の援軍、城壁の中には趙軍。
そして南からは楚軍が現れた、章邯からの連絡は絶たれて応援は来ない。

王離「包囲されてんの俺たちじゃね??」

それらを気にしながら楚軍と戦う困難さよw

敵を前にして、軍の左右での連携は取りやすいが、前後での連携は取りにくい、
鉅鹿から出てくる敵には完璧な包囲網も、90度向きを変えた方向からの攻撃には脆弱となり、
包囲にくさびを打ち込んだ楚軍は、そこから城壁右回り部隊と左回り部隊で半周ずつすれば終了。

秦軍は楚軍に対して、左右が薄く前後がつかえた状態で戦い、楚軍はそれを左右が広い横隊で受ける、
細長い縦隊の先頭に狙いを定めて、楚軍横一列でみんなで射掛ける、海軍でやる丁字戦法になるわけだ。

1237
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/29 22:38:49  ID:ikihNTxW0.n(2)
趙の援軍の一部を蹴散らし殲滅できるくらいには王離軍は援軍対策の処置は講じていた模様

1238
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/29 22:59:53  ID:ti92ICrSO.n(2)
>253
でもそれなら何でレキ食基の六国王復活策に反対したり、韓王信が追われたときに漢と戦わなかったりしたんだろう

1239
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/29 23:07:33  ID:HlTtN9dW0.n(2)
韓王成と韓王信じゃ、立場全然違わなくね?
韓王成がれっきとした王族なのに対して、韓王信って先祖に韓襄王がいるだけで
韓の王族というよりは、劉邦軍の将軍として立身出世した類で、割りと平民だぞ

韓王成の韓王国に参与してない上に、劉邦したがって漢中まで付き従った組やし

1240
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/30 00:21:21  ID:fZ4GyTGT0.n(2)
>222
韓信は国家が統一という事業を成し遂げ終えて、さあ功臣粛清だという段階なのにうまくやれなかったから韓信のせい
李牧や岳飛はまだ強い敵が存在していて君主は大いにその才能を使うべき時なのに殺して敵を利したから君主無能

1241
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/30 16:57:58  ID:QsfqhZx90.n(2)
韓信は劉邦が居なかったら天下人になれたかしら?
蕭荷も韓信を支持してトップに押し上げただろうし

1242
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/30 17:18:26  ID:4SRd8iAS0.n(2)
>259
絶対になれない

地元での名声が皆無どころかマイナスということで
豊沛で顔が知られてた劉邦みたいな半ヤクザ公務員(食客のキャリアあり)みたいな立身は不可能
とにかく人望や徳が無さすぎた

劉邦から指揮権とか徴発権とかを分任されていたから多くの人々がその指揮下に入っていたけど
楚王の座から簡単に転げ落ちたことからも分かる通り腹心とか韓信のために死ねる人間が少なすぎるんだよ
(この点では趙の張敖と比較してみれば韓信の足元の脆弱さがよく分かる)
雇われ将軍としてはこの上ない人材だが群雄には絶対になってはいけないタイプ

1243
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/30 17:37:07  ID:+GMCCQLd0.n(2)
2度同じやり方で兵権取られて
これまた2度同じやり方で虜にされて殺された
武勲に比べてかなりスキの多い人物だと思うから劉邦がいなくても中途で消える気がする

1244
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/09/30 18:32:24  ID:gj5KRoVQ0.n(2)
何しろ股夫エピソードが韓信最大のネックだったよなあ
そんな噂が至る所に広まってしまったら立身出世の足枷にしかならんだろうに

1245
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/01 07:34:41  ID:GWr/4HWB0.n(2)
地位や名誉は結果としてついてくるものであって、それを得ること目的とするものではない。
韓信は、若いころのコンプレックスが悪いほうに作用して、それを目的にしてしまった。
それがそもそも不幸の始まり。

才能だけあって徳がないのは分別が付かない子供に鋭利な刃物を持たせるようなもの。

1246
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/01 08:28:24  ID:a1CH1Guz0.n(2)
韓信は張耳が趙王にしてもらったの羨ましく思っていたんだろうな
劉邦にしてみれば昔の雇用主だし趙の地で名を知られた人物だから趙王にはもってこいの人物だったんだろうけど

韓信が王を望んだというのは結構大それた話だったんじゃねーかな

1247
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/01 19:27:48  ID:8AfKtK0Z0.n(2)
陳平は中国史では珍しい色男になるんですか?

1248
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 03:36:40  ID:POy7UtVP0.n(2)
じゃあ韓信はどうしてりゃ良かったんだろうねぇ

もし韓信が自分から斉王を望まなかったとしても、
手柄に見合う褒賞といったら(他に王になっている家臣がいる以上)、王の位しかないだろうしなぁ

項羽打倒後、中央に残しておいて名誉職みたいな位に就けるか?
あるいは辺境の地に飛ばして蛮族討伐にあたらせるか

1249
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 06:18:20  ID:O3r3+0jx0.n(2)
>266
秦の王翦はあれだけの大功建てながら王位なんて望んでなかったけど

劉邦にしてみれば出来れば義帝時代に封建された諸侯以外には王位なんて認めたくなかったと思う

1250
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 09:51:08  ID:FqYQH/G20.n(4)
彭越は韓信の様な露骨な王様申請はしなかったよな
それでも処刑されちまった

韓信はどうやっても処刑されていたんじゃねーの?

1251
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 09:58:11  ID:5qfLJue00.n(2)
韓信は、劉邦に従属していれば戦後に王になれた。

劉邦の弱みに付け込んで王位に就いたのがそもそもの判断ミス、
韓信にしてみればそこまでしても、すぐに王になりたかったのだろう。

目の前に大好きなエサがぶら下がっていると、我慢できずに食べてしまう犬、それが韓信。

1252
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 10:07:00  ID:rF/KXa9g0.n(4)
>269
楚漢戦争終結後、新たに王に封じられたやつって盧綰以外にいたっけ?

韓信は君主として独立するだけの器量や徳望なかったんだから
無理して王を目指さなくて良かったと思うんだよな
将相の地位で満足しておけばねえ

1253
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 10:13:55  ID:rF/KXa9g0.n(4)
>268
彭越の取った行動が一番アウトだと思うんだが

前年にはしっかり長安に参詣していながら
陳キの反乱鎮圧に際しては劉邦から要請されても出陣しなかったというのは
劉邦にしてみれば「もしかしてこいつも陳キに通じていやがるんじゃあるまいな?」と
疑惑の目を向けれても仕方ない行為
弁解のチャンスは何度もあったのに結局捕らえられるまで何もしなかった
実は黒だったじゃないか?

1254
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 12:03:20  ID:FqYQH/G20.n(4)
>271
韓信みたいに部下達が独立を薦めていたのに彭越はそれにも乗らなかった
結局は庶民に貶められて勢力的な危険も無くなっていたのに呂后の諫言で処刑されてるんだぜ

野心まみれの英傑だらけの中で彭越はまだしも人格者だったと思うがな

1255
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 16:14:26  ID:BFwj4/6P0.n(2)
みんな韓信大嫌いなんだね

自分のこととなるとからっきしな韓信 おれは好きだけどねえ

1256
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 16:43:50  ID:z3JqzK6E0.n(2)
老獪でポーズとはいえ義理人情に厚い劉邦
天才的な軍才と秦打倒の情熱に燃える青年武将項羽

韓信はこの二人に比べるとどうしても見劣りするからねえ
かと言って劉邦に忠実に仕えたわけでもないから三傑から浮いちゃうし

1257
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 17:09:25  ID:bVYRE0z90.n(2)
項羽と劉邦の中国ドラマって面白い?
Youtubeでチラッと見たけど

1258
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 19:51:59  ID:hBVTL4Mj0.n(2)
>273
偉そうなこと言わなかったら不器用な生き方しかできない軍事の天才ということで好きになっていたかもしれないが
楚王になってからのドヤ顔エピソードとか受け付けないわ。

1259
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/02 20:16:40  ID:W8Lsp+M+0.n(2)
韓信は古今の名将たちの兵法を研究していただろうけど
兵法だけでなく人生も学ぶべきだったな

1260
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/03 05:53:44  ID:ShigKc0r0.n(2)
韓信はどうすれば天下人になれたんだろう?

1261
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/03 07:21:06  ID:+/0QkTlD0.n(4)
>278
劉邦天下統一まで粛々と仕えて劉邦没後に速攻クーデター

ひたすら卑屈に仕えることが肝要
絶対に王位とかは望んじゃダメ

1262
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/03 07:21:55  ID:+/0QkTlD0.n(4)
まあこの方法だと天下は一瞬取れるかもしれないけど長期的な統治は不可能だろうね

1263
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/03 08:47:43  ID:S68GR/ZD0.n(2)
天下獲ろうって野心がそもそもなさそうだからな

韓信の嫁とか子供って全然話を聞かないな
李左車もいつの間にか腹心の列から消えてるし
斉王・楚王時代の韓信軍団って謎が多い

1264
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/03 12:57:26  ID:JfBomqRJ0.n(2)
横山漫画では韓信は頭良いキャラクター扱いだったな
張良が韓信を騙して出頭させるのに一計を案じなくてはならないシーンがあった

1265
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/03 16:55:40  ID:MYTES2o50.n(2)
戦以外のことなると先の見通し大して考えてそうにないイメージあるな韓信は
斉王任命で張良が行った際に処世について忠告でもされてりゃ良かったかも知れんが
張良もまたあの状況でそういう事はあまり面と向かっては言いそうになさげ

1266
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/03 19:00:26  ID:9J/Kr4IV0.n(2)
功臣より先に粛清すべき奴がいるのにな。
結果論だけど。

韓信と義経は似てるってことでいいの?

1267
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/03 19:02:23  ID:k/VoVSLo0.n(2)
中国ドラマでの韓信はどんな感じに描かれているやら

1268
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/03 22:12:08  ID:qOjmh13b0.n(2)
>282横山光輝の漫画でも「項羽と劉邦」と「史記」で韓信の書き方が違ってたな
前者は典型的な頭のキレる天才キャラって書き方だったのに対して
後者は名将としての素質がある以外、凡人みたいな顔と性格だった

1269
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/04 14:35:41  ID:y/HHM/wM0.n(2)
本屋に新作の項羽と劉邦のビジュアル本があったけど初心者には買いですか?
項羽と劉邦 徹底比較 (別冊宝島 2482)

1270
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/04 16:31:16  ID:VCB30+Aj0.n(2)
初心者ならいいかもね
個人的には横山漫画を薦めたいな
本宮ひろしの赤龍王なんかも更に分かりやすくていいかな

1271
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 00:32:49  ID:POZQTXKO0.n(4)
韓信が生き残るには張良を見習って王位なんていらないと言って他者との交流を断つしかなかっただろうね

1272
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 00:40:56  ID:POZQTXKO0.n(4)
淮陰侯になったあとに樊?に会ったら樊?が平伏して大王と呼ぶくらいだから、劉邦を含めて漢の全員から恐れられていたんだろう
そんな状態ではよほどうまく立ち回らなければ目をつけられるのにコミュ障の韓信には無理

1273
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 00:43:43  ID:br+S/EJL0.n(2)
韓信はあくまで劉邦の下で王として仕えたかったってこと?諸侯の一人として

1274
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 01:32:29  ID:tDaKlJQj0.n(2)
もし劉邦が光武帝のように粛清を行わない人物だったなら最後まで仕えきった可能性はあると思う
というのも韓信の去就を決定づけてるのって、いわゆる承認欲求だと思うんだよね
つまりは自己実現に他者を必要とする人間であって、彼が斉王は望んでも天下は望まなかったのも根本的にはその辺りが理由なんじゃないだろうか
たぶん韓信は丁重に扱ってやれば満足して一生を終える程度の人物

1275
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 05:32:56  ID:/v0YW6eA0.n(2)
韓信の股くぐり事件が無かったらもっと早く出世していたかしら?

1276
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 14:40:50  ID:6xEpnIN50.n(2)
最初に項羽の陣営を選んだ時点で無理じゃね

1277
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 16:08:46  ID:cHGks3n00.n(2)
三傑の他二人と違って戦のみに特化してるような才能だし
ハンカイみたいに劉邦と古馴染み同郷な身の上でもない
よくて韓王信みたいに国境警備で対匈奴の要的役割だったかもな
もし韓信が漢帝国で人生全うできる道があったとしたらのひとつの仮定として
ただそれもあいつそのうち敵に寝返るんじゃね?とか疑い持たれなければの話

1278
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 16:16:13  ID:UxsCMbHT0.n(2)
しかし韓信無しでは劉邦が天下人になれなかったのも事実ではないか
彭越や英布だけで項羽に勝てたかしら

1279
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 17:30:28  ID:jY7ePO0f0.n(2)
そもそも韓信健在なら白登山の大敗もなかったんじゃ

1280
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 19:41:15  ID:StXnmyOW0.n(2)
家康がもっとも恐れた男 韓信

1281
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 19:50:51  ID:u/mlsfPbO.n(2)
韓信って行政の手腕も確かだけどな
政略や根回しがダメなんであって

1282
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 20:10:11  ID:AfZmqU0B0.n(2)
>299
強引に徴発してたようにしか見えないんだが
軍国主義の権化

1283
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/05 23:42:19  ID:rC9KPAVC0.n(2)
>299
そこらへん苦手だから李左車組み込んだんじゃね

1284
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/06 00:44:28  ID:xue8HfrT0.n(2)
たしかに李左車の献言はあったが、短期間で降した代・燕・斉で一切叛乱もなく
静謐そのものなんよな
占領直後に徴発やら使役やらで苛政なんかやらかせば直ぐに叛乱起こるのも
珍しくないし、韓信も強引に軍事力で抑圧したふうでもないし

占領行政ってけっこう微妙で、名将でもしくじると戦果も何も無になりかねんしね
百年前に斉は燕をほぼ占領してもやり方がまずくて維持できなかったり、
秦は占領地の住民を他所に移して自国の人間や官吏を送り込んだりを繰り返したけど
根付くまでに時間かかったみたいだし

1285
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/10/06 02:58:40  ID:27LcBzmt0.n(2)
韓信は漢軍にきて将になった経緯から考えると、自分の情報収集や工作のための手足になる組織を持っていない。
組織を抱えているなら身一つで逃げ出すことなどできないだろう、それとも韓信ならやるか?

張良は、推定千人規模の自分の組織を持っていて劉邦の傘下に入った。
同時に合流した灌嬰だって、規模は定かでないが間違いなく仲間を引き連れていたはず。
陳平は身一つで漢軍に来たが、様々な工作を可能にする人脈を持っていた。

組織を持たない韓信は、蕭何や張良に用立ててもらったインターフェースを通して、情報収集や指揮をしたはず。
用兵の頭脳だけは韓信だが、組織の運用や、どの情報を韓信に与えるかは用立てた側が管理できたのではないか?

実際の兵の現場の指揮は、主将の灌嬰や曹参だし、情報網も漢側が握っていれば、
それらを引き上げれば韓信の戦力は当分の間は低迷させることできる。

斉王になった後それらが漢側に戻ってしまい、以後、韓信のバカな部分があらわになったように感じる。

1286
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/06 07:59:23  ID:w7Vw3BK20.n(2)
なるほど

1287
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/06 23:49:28  ID:q65NXUctO.n(2)
・項羽に締め上げられて滅亡寸前の劉邦に、援軍を出すどころか北の王にしてくれなどと抜かす
・項羽との最終決戦にも当初訪れず、項羽の領地全てを譲ると約束してようやく駆けつける
・主命に反して旧友を一旦は匿い、そのくせ全てをなげうって助命嘆願する訳でもなくちょっと脅されたら結局は殺してしまう
・短い間でも世話になった恩人をわざわざ呼びつけて嫌味を言う
・背景に同情の余地はあれど、結局は陳キと共謀しようとしたのは事実

これだけでも「不義理で信用ならん奴」と見なされるのに十分過ぎる

1288
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/07 23:04:21  ID:cxZpu26C0.n(2)
鍾離昧「一旦面倒見始めたら最後まで面倒見よ」

1289
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/08 00:26:11  ID:/FwgDfg40.n(2)
>306

自決するまで面倒見ただろうが、何が不満なんだ?

1290
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/08 09:22:34  ID:aC3omWIj0.n(2)
鍾離昧もよく韓信の元に行こうと思ったよなぁ
韓信なら匿ってくれるだろうって確信があったんだろうけども。

1291
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/08 18:28:17  ID:IKJDyv6W0.n(2)
>266
劉邦に媚びて媚びて媚びまくる根回しだったかもな。

自ら参勤交代をちょくちょくやってくこと。

韓信の一番のミスは
自分の武器が、劉邦への脅威になってしまうことへの自覚の無さ。

1292
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/08 18:54:50  ID:9MfD+Jdp0.n(2)
まず王にならなければ粛清の可能性はグッと減る
(劉邦が粛清したのは、呂氏関係者除けば異姓王と反乱起こした奴のみ)

あとは呂氏に深く関わらないように生きれば、何とか文帝の頃までは安泰だったかもしれな

1293
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/08 19:41:04  ID:njTxoNuq0.n(2)
>309
問題は本当に斉は治めがたくそんな余裕なかった可能性も有ること
軍なかなか送れなかったの統治に苦戦は本当だったとか

1294
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/08 19:56:43  ID:c6q37wXj0.n(2)
韓信と陳平が組んだら最強

1295
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/08 21:08:52  ID:9uyCDAxT0.n(2)
ニートコンビだな
当時の周りの扱いが全然違ったけど

1296
名無しさん@お腹いっぱい。[]   投稿日:2016/10/10 23:45:38  ID:qJS5T2WE0.n(2)
>273
king's warだったら 女性にはおすすめ
見れば間違いなく韓信のファンになる
合戦シーンの描写が物足りないので 
男性が見る場合はその点を妥協する必要がある
あとこれ重要 前半は 項羽と劉邦じゃなくて胡亥と趙高が主役

1297
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/22 09:42:19  ID:T4iO183k0.n(2)
劉邦の年齢は、太平御覧皇王部十二だと崩御した時(BC195年)62歳。生年はBC256年

張良は、史記項羽本紀によると項伯より若く、話の文脈からおそらく劉邦より年上
父の平は韓桓恵王23年に亡くなり、20年後の韓滅亡時(BC230年)に
「良年少、未宦事韓。」と記される(史記留侯世家)

20代後半(最低でも27歳)の張良(祖父と父が宰相を務めるくらいの名家)が出仕できてないって
何らかの政争があった感がぷんぷんする

1298
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/22 09:46:39  ID:kUlVbpKy0.n(2)
陳平は?

1299
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/22 14:03:32  ID:HjA3+z06O.n(4)
礼記に遵うなら、むしろ30歳で出仕したって早いくらいだけどね

1300
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/22 14:59:17  ID:3odBTvDr0.n(4)
>317
出仕年齢の基準みたいなのがあるの?
礼記のどこに書いてあるん?

1301
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/22 15:05:54  ID:FVeFhC9m0.n(2)
俺が韓信なら天下取ってる

1302
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/22 18:11:03  ID:HjA3+z06O.n(4)
>318
「曲礼・上」にある
貴族は30歳で嫁娶、40歳で出仕、という具合

1303
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/10/22 18:27:05  ID:3odBTvDr0.n(4)
>320
読んでみるよ、ありがとう

1304
名無しさん@お腹いっぱい。[age]   投稿日:2016/11/05 23:19:39  ID:h6qOi/Fu0.n(2)
>275
ずっと前にBS日テレか何かでやっていたな。
大漢風ってドラマで全50話って、おいそれ日本の大河ドラマじゃねえかよwってやつ。
すごい見ごたえあったよ。
レッドクリフで趙雲役の人が、項羽の役やっている。
それにこのドラマは劉邦の妻・呂稚(後の呂后)がいい味出しているんだよ。

オープニングテーマ曲も合っていていいね。

1305
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/12 19:25:12  ID:pz4s61g40.n(4)
完全にフィーリングなんだけど
史記で従軍回数が一番多いのってもしかして劉邦?

1306
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/12 20:22:52  ID:UvJGYjlu0.n(2)
従軍回数ってどう数えるんや(困惑)

1307
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/12 20:25:41  ID:pz4s61g40.n(4)
>324
項梁・義帝指揮下の時もあるから参戦にするか従軍にするかで迷った

1308
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/15 01:07:12  ID:pkjxM0n40.n(2)
韓信は戦術家って書いてる人いるけど
魏、趙、燕、斉の攻略を進言したのは張良でも陳平でもなく韓信だよな?
どう考えても戦略家の一面も持ってるでしょ
項羽みたいなのが戦術馬鹿というべきであって

1309
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/15 10:54:14  ID:3mR7maWO0.n(2)
戦略的な視点も十分持ってるんだろうけどどうしても戦術の化け物のイメージが先行するな

1310
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/15 14:47:48  ID:LNtjEL200.n(2)
カイトウにそそのかされて劉邦に疑われて
斉王→楚王→淮陰侯→反乱罪で処刑の流れが評価を下げてるんだろうけど
これは戦略性と言うより政治センスの話では?
結局韓信の消えた劉邦は匈奴に大敗したわけでこの時は陳平も負けてから外交で活躍しただけ
まぁさっさと引退した張良こそが劉邦の戦略を全て担っていたと言い切られればなんとも言えんが
韓信がもし斉を攻略した後も劉邦の忠臣で最終的にどっかの王に封じられてても
結局劉邦の猜疑心で殺されてた気はするよな
劉邦、秀吉、毛沢東は後期の人格が全く別物で脳障害起こしてたのか
元々そういう性格だったのを統一までは押さえ込んでたのかは分からないが

1311
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/15 22:12:37  ID:3o3y9+fA0.n(4)
蕭何や張良は手厚い恩賞をもらえるところを、一部辞退して劉邦の警戒を解くことを優先させたが、
空気読めない韓信は弱みに付け込んで王になった。
そのあと何が起こるかイメージできなかったのなら、
もうそれで戦略家の名声は無理だろう。

1312
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/15 22:17:18  ID:YIaHgZbi0.n(2)
裏切るときは君主の裏をかいて華麗に裏切らないとな
光武帝の河北での独立とか韓信に比べたら一億倍ぐらいスマートかつ残虐に裏切ってくれてる

韓信は手足となってくれる腹心がいなさすぎるよねー

1313
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/15 22:25:33  ID:3o3y9+fA0.n(4)
まあ裏切るんなら、直前まで忠臣だと思われるぐらいじゃないとね。
裏切られたことにすら気づかれないまま帝位を簒奪できたら神だなw

1314
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/15 23:29:04  ID:y8cm8HHA0.n(2)
宋の太祖趙匡胤の事か。

「趙匡胤の威名を恐れた南唐の李璟は趙匡胤と世宗の間を裂こうと、趙匡胤に手紙と
白金3千両を贈るが、趙匡胤はすべて世宗に献上して、君臣の間に亀裂は生じなかった。」

1315
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/16 00:20:47  ID:E5pXo6e30.n(2)
趙匡胤思い浮かべるよなあ
飲んだくれて帝位に上った人も珍しかろう

1316
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/16 07:44:31  ID:gUNl2LcH0.n(2)
将の才能があるということと、将の器であるということは意味が違う。
韓信は将の器にあらざるものが将の才能を持ったところに、自信の不幸の根源がある。

1317
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/16 09:55:55  ID:VzX4u0RC0.n(2)
わかったようなわからんこと書いて自分が頭良いと勘違いしてる人ってよくいるよね

1318
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/16 11:51:55  ID:PeKpk1zu0.n(2)
韓信や白起の末路を知っている後世の将軍(遠征軍司令官や都督クラス)たちは容赦なく裏切って独立するようになったよな
劉秀とか石勒とか
失敗したけど鍾會とか

1319
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/11/16 12:56:03  ID:6TjcxCaj0.n(2)
安禄山 せやな

1320
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/11 12:37:14  ID:abPP2sNU0.n(2)
永楽帝「いやワイは周公旦のつもりやから。甥っ子を惑わす奸臣を討伐しただけで」

1321
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/18 20:13:11  ID:4/CEtLy40.n(2)
韓信が存命なら、後の匈奴との戦いも平定してくれただろうか。
そうなれば、劉邦の寿命も延びてただろうか。

1322
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/18 21:20:55  ID:WLUOVliB0.n(2)
当時の匈奴は騎兵の数が桁違いだからなぁ。秦の時代の対匈奴用のエリート兵も王離が項羽にボロ負けして溶かしちゃったし。

1323
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/19 22:47:47  ID:Gf+QqdTw0.n(2)
中原で殴り合うのなら平定は容易だが、、、そういうわけにはいかん。

匈奴は地の利と参入した漢人由来の情報で圧倒的に有利
疲弊しまくった漢(関中)の国力じゃステップに近い所じゃ勝ちきれないよ。
夏侯嬰が幾度も匈奴を破ってる様に撃破だけなら普通に出来るだろうが。

1324
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/19 23:48:27  ID:+MzorG0z0.n(2)
中行説が匈奴に投降した頃の匈奴なんてガチで華北支配狙ってたもんな

1325
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/20 07:41:44  ID:y69NseNH0.n(2)
・秦末の動乱で北辺の防御が崩壊したうえに社会がひっくり返った状態
・劉邦政権は出来たばかりで権威は軽い
・漢は直轄領が狭く不穏な諸侯王との緊張関係を抱える
・王侯クラスの有力者を含む漢人が配下に大勢いる

むしろ冒頓匈奴が攻め切れなかった印象、千載一群の好機を逃し漢土の回復を許した
たびたび侵入はしているが軍事的空白に乗じてオルドスを奪った後は大した戦果がない

1326
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/21 23:51:19  ID:2P43Pmwl0.n(2)
アウェーで勝つ自信と実力はないんだろう
冒頓単于時代の匈奴も
有利な辺境でも軍事的に圧倒できてないし

1327
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/22 14:26:40  ID:2MmxaCzA0.n(2)
このあたりは李牧の様に誘い込んで覆滅させるしかないだろうな
それ以降、冒頓単于の時代までそこそこ大人しかったのもそのせいなのかもしれん

武帝の初期にもやろうとしてしくじってるな
奥深くまで攻めても際限なく逃げられるし、なにより消費が大きいし

1328
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/22 22:20:02  ID:MgLznq6/0.n(2)
理論上は十分勝てるんだけど

砂漠を越えて追撃できない≒殲滅不可

コスパ悪すぎだよね

1329
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/23 15:11:14  ID:CuImoRwW0.n(2)
武帝に追われた匈奴がヨーロッパに現れて・・・

1330
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/24 22:28:56  ID:Ac2o2cFk0.n(2)
冒頓単于的には漢王朝に「にぃに」って言ってればお小遣い貰える立ち位置に満足してたのかね

1331
邯鄲人[sage]   投稿日:2016/12/25 20:14:18  ID:mKKD1Uu50.n(2)
決戦はリスクが大きいし孤立してる辺境の郡を攻め潰せない状況でそれ以上を望むのは危険だな

1332
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/28 00:19:05  ID:hSsQZrcg0.n(2)
いくつかの諸侯王が丸ごと寝返ってたわけだしもうちょっと侵入できた感。

1333
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/30 15:21:56  ID:dtoVY9w00.n(2)
裏切り者「どこの馬の骨とも知れん平民出のオッサンに付くよりやっぱ貴種が牛耳る西楚とか匈奴の方がいいよね…」

1334
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2016/12/30 22:13:44  ID:VLFPw1iY0.n(2)
五胡十六国で北朝についた漢人とあんま変わらんわな。

1335
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/04 17:52:15  ID:iTuXm/dl0.n(2)
北朝「漠北の匈奴風情と一緒にされては困るぜよ」

1336
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/04 20:58:26  ID:1PPhAKxO0.n(2)
劉淵「ワイ、漢王朝のブラザーなんやけど」

1337
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/08 19:57:53  ID:yoTTUILS0.n(2)
義帝って皇帝号?皇帝じゃない帝号?

1338
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/08 23:01:30  ID:vsPrLMF30.n(2)
制度が整ってないのか記録が残ってないだけか判らんが、詳しい事は不明。

1339
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/10 01:19:04  ID:kMJMGh0x0.n(2)
義って諡号でも殆ど聞かないもんな。

清王朝の摂政王多爾袞(ドルゴン)が義皇帝って諡号贈られたけど。

1340
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/10 06:41:45  ID:VAmjxDa/0.n(2)
クス
わからないのか
項羽本紀と高祖本紀的には生号に見える

1341
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/11 02:38:14  ID:QHhF084u0.n(2)
皇帝号だと秦帝国の継承っぽくなるからねぇ…

1342
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/11 06:03:58  ID:YV8BYZuq0.n(2)
始皇帝
二世皇帝
義皇帝
高皇帝

こうして見てくると、確かに秦の皇帝号の流用っぽく見えてくる

1343
邯鄲人[sage]   投稿日:2017/01/12 20:15:46  ID:xJ6NMs6M0.n(2)
>360
なんか続いてる…やはり秦漢帝国とは秦楚連合王朝だったか。

1344
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/13 00:47:09  ID:tKklKKIw0.n(2)
春秋戦国時代を通して強国で在り続けた楚の勢力は巨大だかんね

1345
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/14 21:22:17  ID:Tr76ZWVR0.n(2)
懐王(二代目)という称号は消え皇帝号復活、古代中国世界の終焉という感じだ。

1346
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/14 23:15:56  ID:NqAoyUaB0.n(2)
>363
王号がインフレしすぎていたから帝号でも名乗らないと権威を示すのは難しかったんじゃないのかな

それでも「義帝」として秦の皇帝号との差別化を図っているような感じがするけど

1347
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/14 23:41:50  ID:t9Bo/8T20.n(2)
西周じゃないんだから即位してすぐに懐王を名乗ってることの方が疑問
懐王→項羽政権が与えた諡号
義帝→前漢政権が項羽政権を否定するために帝号を与えた

という解釈も出来そう

1348
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/23 15:23:05  ID:Q0CK5vB00.n(4)
中国の歴史の人気度では三国志に次いで項羽と劉邦って感じですか?

1349
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/23 20:14:12  ID:efdco0cM0.n(2)
日本ではそんなもんじゃない?
現地では大分違うけど

1350
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/23 20:37:52  ID:1OAWFFDJ0.n(2)
中国では岳飛や水滸伝の方が人気だった気が

1351
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/23 20:43:30  ID:FqDKDhrd0.n(2)
あと定番なのは楊家将、隋唐、西遊記あたり?
順位はシラネ

1352
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/23 22:50:17  ID:Q0CK5vB00.n(4)
>369
隋唐ってそんな人気あるんですか?
ちょっと限定的に人気があるのかと思ってた

1353
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/24 07:30:37  ID:7ZrsCaFi0.n(2)
楊家将は「◯◯は私の嫁にする!異論は認めん!」の元祖やからな

1354
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/24 11:35:45  ID:bu0Dy/N30.n(6)
隋唐演義面白いよ

1355
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/24 13:32:07  ID:xzOfqU1H0.n(2)
包青天「あの」

1356
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/24 22:09:21  ID:frUnIiQF0.n(2)
日本人でもなんだかんだで戦国と江戸がメインストリームなところがあるし
あまり時代を遡るとどうなんだろ

そういやカンフー映画とかって時代背景はどういう設定になってるんだっけ?

1357
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/24 22:46:08  ID:bu0Dy/N30.n(6)
殷〜周(紀元前)
封神演義

周〜春秋戦国〜秦、漢(紀元前)
史記

後漢〜三国〜晋(200年)
三国志演義

隋〜唐(500年)
隋唐演義

北宋〜(900年)
水滸伝

年号は大体で書いてる
中国だと人気なのはやっぱり水滸伝の時代なのかな
楊家将演義なんてのもあるし

1358
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/24 22:47:37  ID:bu0Dy/N30.n(6)
晋の後の異民族時代は人気ないよね
五胡十六国時代とか元とか

1359
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/25 06:23:51  ID:q5e4cnoT0.n(2)
五胡十六国は資料が少ないってのがね。

1360
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/25 10:54:43  ID:Wx6cRJWw0.n(2)
蘭陵王はそんなでもないの?ドラマ化されてるのを見た覚えが

1361
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/25 11:38:19  ID:Ehhl8QXF0.n(2)
カンフー映画といえば黄飛鴻の清末

1362
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/25 12:07:12  ID:BL72kijb0.n(2)
>377
五胡単体では三崎良章の概説書があるし、魏晋南北朝期通しての概説書も川勝義雄の名著をはじめとして隋唐以降と比べても割りと充実してる

ただし東晋VS五胡を詳細に扱った概説書は今のところ存在しないため資治通鑑を読むしかないというのが実情
通鑑紀事本末の方のエピソードの構成の仕方が実はあんまり良くない

1363
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/25 14:16:54  ID:HcmEFeYQ0.n(2)
>368
楊家将、岳飛、水滸伝と宋の時代が一番人気あるのかもね

1364
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/25 16:08:01  ID:mXVbXA/I0.n(2)
>376
日本での話なのか中国の話をしているのかはっきり書かないと混乱するぞ
中国での話なら五胡、南北朝はそこそこ人気、清朝とかは大人気ジャンルの部類(現代の中国及び中国文化の基)
日本でなら元(モンゴル)は三国志以降の中国史では一二を争う人気だろう

1365
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/25 23:39:06  ID:SUtsE0KA0.n(2)
三侠五義 飛竜伝 説呼演義 万花楼演義 水滸後伝 なんかも宋だし

1366
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/26 00:25:41  ID:AVQg81OG0.n(4)
定期的に中国英雄板で時代別の人気比較話題が出るけど三国志と新中国を除くと注目度はマイナーの域を出ない。
所詮団栗の背比べであり虚しいからやめておけ。

1367
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/26 01:09:24  ID:4IcuHRb00.n(4)
よし、『漢これ』を流行らそう
毎日シコリティの高い高祖様や覇王様のイラストを見れるはずだ

1368
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/26 02:50:02  ID:vrkyP/Ym0.n(2)
>385
麦わら帽子(冠)に小便する性癖を持った高祖娘
なんか萌えるかも

1369
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/26 03:15:02  ID:esHV+1aT0.n(2)
一発目から放送不能キャラとは流石高祖さま()

楚漢モノの弱点は敵陣営が極端にしょぼいことだな
項羽以外はモブに近い

1370
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/26 12:10:39  ID:3OzjlSOy0.n(2)
范増「」

1371
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/26 18:22:14  ID:AVQg81OG0.n(4)
范増さんも言うほど………

1372
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/26 20:01:20  ID:8bfjWeUo0.n(4)
楚以外の陣営も国士無双が一瞬で蹴散らしてるしなあ(嘆息)
かろうじて存在感放ってるのは、項羽と引き分けた田横くらいか

1373
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/26 20:51:36  ID:GBRT1Pf30.n(2)
范増は非漢陣営ではもっともよく目立ってる部類に入る人物だけど
その彼でさえ楚漢戦争開始後は完全に空気ですからね、、、他はお察し

1374
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/26 21:56:15  ID:8bfjWeUo0.n(4)
というか項羽と劉邦と国士無双のキャラが立ちすぎなのが問題
それぞれタイプの違う主人公張れる上に互いが互いのラスボスになれるとか盛りすぎじゃないか

1375
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/26 22:13:28  ID:4IcuHRb00.n(4)
その中に入れると韓信の格落ち感がすごい、韓信は別枠でしょ

1376
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 01:40:21  ID:HIq0g54l0.n(2)
裏ボスの冒頓単于はキャラ立ってるやろ

1377
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 08:05:38  ID:0rtKfeAt0.n(6)
世界情勢の違いはあるけど

諸葛亮があれだけ苦労した漢中から中原へ進出をサクッとこなして、秦が10年かかった華北の平定もあっちゅーまに終わらせてる韓信のチートっぷりはヤバい

それでいて政治的には凡将というアンバランスさも好き

1378
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 10:00:41  ID:ApW4BHI+0.n(2)
戦乱の時代にしか生きられないタイプの生き物だよな韓信て

1379
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 10:40:58  ID:OV3rdGYT0.n(2)
桓温「せやな」
劉裕「せやな」
陳慶之「せやな」

1380
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 11:38:29  ID:pT3JhDTd0.n(2)
韓信は義経風の演出で大いに主役張れると思うよ

1381
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 12:24:08  ID:jgWildMX0.n(2)
韓信は純粋なんだよ
だから敢えて天下を取らなかった

1382
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 12:42:17  ID:S90lKMfK0.n(2)
>395
諸葛亮がチャンスがあったのは初戦だけだね
あとは魏のほうも対防衛網を構築しだすから
初戦で一気に抜いた韓信はやはり違うと思う

1383
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 14:40:25  ID:QY7BphXf0.n(4)
義経と似てるよね
戦場では誰も勝てないくらい強くて、政治はダメダメって感じのとことかさ

1384
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 16:59:22  ID:0rtKfeAt0.n(6)
統治は混乱続いてた斉を治めてるから問題ない
人材登用は微妙
政治駆け引きはダメダメ

1385
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 19:29:51  ID:7+kC9uNE0.n(2)
>401
義経の当初の役割である対朝廷折衝担当ということを考慮すると
劉邦における韓信ではなくて曹操における荀彧に近かった

義経の軍事的成功は目を見張るものがあるけど範頼とのツープラトンあっての快進撃
まあそう意味では劉邦の軍事行動あっての韓信の軍事行動と言うポジションと少し近い感じもする

1386
名無しさん@お腹いっぱい。[sage]   投稿日:2017/01/27 21:14:30  ID:0rtKfeAt0.n(6)
劉邦はすぐ兵を取り上げたり足引っ張るだけなイメージ

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